日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。(5)

 

アトランティスの暗号』

コリン・ウィルソン)10万年前の失われた叡智を求めて

フリーメーソンの起源)(GAKKEN)2006/9

 

 

 

フリーメイスンの儀礼と古代エジプトの関係>

・さらに、フリーメーソンの儀礼には、なぜあれほどまでにその起源が古代エジプトにあることをほのめかす象徴に満ち満ちているのか?なぜ、大ピラミッドは、フリーメーソンの中心的なシンボルのひとつなのか?

 

・現代アメリカの父親たちは、全員がフリーメーソンであったが、一ドル紙幣の中にピラミッドのシンボルを置いたのはほかならぬ、彼らである。

 

・ ロマスとナイトは、エノクと洪水に関する伝承をフリーメーソンにとって中心的な意味を持つとして強調している。そして、彼らの三冊目の本「ウリエルの機械(古代の天文台)」ではエノクは、事実上、中心的な人物となる。すでに述べたようにロマスとナイトは、大洪水の原因を紀元前7640年の彗星衝突に求め、古代人は「ウリエルの機械」を用いて、この衝突を予知した、という。聖書には金星に関する言及が32回もあるが、この星は「ユダヤ教フリーメーソン、その他多くの古代の伝承において、復活の象徴である」という。つまり、フリーメイソンリーの伝承、本書で述べてきた古代文明に関する仮説は、ここで一致するのだ。

 

フリーメーソンの系譜>

・金星はまた、世界最古の宗教、自然崇拝を主張する女神でもある。これはテュロスで行なわれていた宗教であり、ソロモン王もまたその不肖の信徒だった。かの二人のメーソンによれば、ソロモン神殿は金星の崇拝者、テュロスのヒラムによって建てられた。 

 

 

 

『死後の世界を知って生を知る』  

(久保有政) (レムナント出版)  1993/9/15

人は死後どこへいくのか。天国、よみ、地獄はどのような世界か

 

 

 

<二アデス体験の研究>

1、死の宣告が自分に聞こえる。

2、安らぎと満ち足りた感覚を味わう。

3、肉体から離脱する。

4、暗闇に入る。

5、光の生命体に入る。

6、走馬灯のように生涯が回顧される。

7、自分があからさまになる感覚を体験する。

プロテスタントは、煉獄は聖書的な教えではないと考える。

 

カトリックでは、天国、地獄、煉獄の三つの場所を説いている。

 

・ 死後の世界の入口付近では「光の精」に出会ったと報告する人も数多くいます。

 

・ 旧約時代(キリスト以前の時代)全ての人は「黄泉(よみ)」に行った。

・ 黄泉(よみ)は、キリスト以後は、クリスチャンでいない人が死後に行く場所になった。

 

・ 「よみ」は、人生の幸不幸の「補償場」でもある。

 

<天国(天にあるエルサレム)(神の御国)(新しいエルサレム)>

・ (上にあるエルサレム)は、天国の別称です。聖書は、天国を天にある巨大な“都市国家”として描いているのです。しかし、都市国家は、市民がいなければ都市国家ではありません。聖書はまた、天国を「パラダイス」=(楽園)とも呼んでいます。けれども、そこは多くの市民で満ちるようになっているので、今や、「天にあるエルサレム」の名でも呼ばれるのです。

 

・「天国」と呼ばれる神の御国は「神が人とともに住む」世界です。天国は、現在、主たる神、王子なるキリスト、また多くの市民を擁する大“都市国家”となっています。

神を信じ、キリストの教えに従う者は死後みな、この「天のエルサレム」に入っています。この大都市では、今、大きな建築ブームが起こっており、数多くの人々のための住居が建設中です。未入居の家々もあります。環境も整備されつつあります。人類がいまだ築き得なかった見事な都市が、そこに建設されようとしています。

 

<天国(天上のエルサレム)はすぐ近くにある。>

・「私(ヨハネ)は、聖なる神の都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た」(黙示録)

エルサレムは、天のエルサレムが、地上に降りてきたものなのです。天国は、やがて地上世界に合体すると言うのです。

 

・ 「天国は、今日、肉眼では見えませんが、霊的な目が開かれると、すぐ近くにあるのが、見えるのです。天国は神のもとで今も存在し続けているわけです。

 

・ 「パウロは、肉体のままであったか、魂の体外離脱によったかは分かりませんが、ともかく一時天国にまで引き上げられ、その光景をかいま見たのです。天国は、現在、地上世界と分離していますが、遠くにあるわけではありません」。

 

・ 「また、旧約聖書に出てくるエノクや、エルヤは、肉体の死を経験せずに直接、天国へ移された人物として知られています」。

 

・ 天国は、地上世界から分離した状態にありまがらも、ずっと神の元で存在し続けています。

 

・ 神は、この世界から悪と苦しみを取り除く日を定めておられるのです。その第一段階が、「千年王国」であり、第二段階が、「新エルサレム」です。千年王国は、現在の地における至福の神の国であり、新エルサレムは、万物が改まった後の新しい地における至福の神の国です」。

 

・ 「新エルサレム」は、あらたに創造されるものではなく、もともと天にあったものが、そこに下って来たものなのです。

 

・ 「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た」(黙示録)

 「長さも幅も高さも同じ2220キロメートル」の立方体の巨大な都が、聖書で言う新エルサレムなのだそうだ。

 

・新エルサレムにおいては、神のおられる新しい天と、人の住む新しい地とは、融合しているのです。黙示録にこう記されています。

「都は、四角で、その長さと幅は同じである。彼(御使い)が、そのさおで都を測ると、1万2千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである」。(黙示録)

「長さも幅も高さも同じ」立方体なのです。これは、イスラエルの古代神殿の「至聖所」の形と同じです」。(第一列伝)

 

・各辺の長さは、今の人間の尺度で言って「1万2千スタディオン」だといいます。1スタディオンは、185メートルであり、「1万2千スタディオン」は、2220キロメートルになります。これはほぼ日本列島の長さに相当します。このように、新エルサレムはきわめて巨大な都であることがわかるでしょう。

 

・「新天地に住む全ての人々は、永遠の生命の体を与えられています。

「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ姿に変えてくださるのです」。(ピリ)

 

<新天新地は巨大な都市国家

・新エルサレムの外に住む人々もいるのです。しかし、外に住んでいる人々が、新エルサレムの都の中に入れない、ということではありません。都には、自由に出入りすることができるのです。

 

・ 新天新地は、いくつもの行政区に分けられ、それぞれの行政区に王がおり、そのさらに上に大王である神とキリストがおられる、という秩序形態になると考えられます。あるいは、新天新地は、一種の連邦国家のような形態だといってもよいかもしれません。

 

 

 

『宇宙人は本当に実在する』 

矢追純一) (河出書房新書) 1998/7

アメリカ国防総省の元高官が明かした衝撃の真相

 

 

 

土星のリングの中に3機の超弩級UFOが隠れていた>

・バーグラン博士の発表によると、土星のリンクの中にそれぞれ日と場所を違えて、長さ、(1)1万2669キロメートル、(2)2万5338キロメートル、(3)5万667キロメートルの円筒形UFOが存在することが確認された。これらのUFOの直径は、それぞれ974キロメートル、1949キロメートル、3898キロメートルという信じられないほどの巨大さなのだ。

 

・UFO1号機は、地球の直径と同じ長さで、円筒形の直径は約1000キロメートル、3号機にいたっては、その長さが、地球の直径の4倍もあり、UFOの直径は、オーストラリア大陸をそのまま飲み込んでしまうくらいの想像を絶するUFOなのだ。

 

・ とてもにわかには信じられないことだが、実は、この事実はハッブル宇宙望遠鏡でも確認され、『サイエンス・ニューズ』誌で発表されているのだ。それによると、1995年、相次いでこの葉巻型UFOが、リングの中に存在する事が確認されたと言う。

 

 

 

アルクトゥルス・プローブ』

(銀河連盟と現在進行中の調査、及びその物語)

(ホゼ・アグエイアス著)(たま出版)1996/5

 

 

 

天王星の謎>

・ 「『アルクトゥルス統制』として私達に知られる時代のあいだ、私の心の中の純粋さを通して、アルクトゥルス・プローブはいくつかの影響力を維持することができた。牛飼い座の変則者と定則者に対して、私はちょうど鍵穴のようなものだった。その鍵穴を通して、さまざまな実験、知のパターン、肉体化が、受容的でそれを望む3次元体に与えられた。テレパシー的な信号という手段を使っていた天王星人もまた、天上の砦である天王星そのものを『シャンバラ』、『ユートピア』、『新しいエルサレム』といった名前で呼んで、私の存在を通してそれら天王星の回想を生き生きと保ち続けた」。

 

 

 

『前世と生まれ変りの超真相』 (この世は特殊な霊界である)

コンノケンイチ)(徳間書店)  2005/3/20

 

 

 

<1917年10月13日正午ファティマの大奇跡>

・ 地球全土にファティマの巨大UFOが出現!

・ 聖母とルシアの対話が始まったが、群衆には聖母の姿は見えず、その声も聞こえない。ただ、閃光がきらめいたり、奇妙な甘酸っぱい芳香が周囲に漂い、子供たちの顔がうっとりと変化するのを目にしただけだった。

 

・ 突然、ルシアが叫んだ。「見て、お日様が!」そのとき、大群衆は、驚くべき光景を見た。降り注いでいた雨がぴたりと止み、空を覆っている雨雲の中にぽっかりとのぞいた青空に、七色の光を放射しながら回転する銀色の太陽のような物体が姿を見せたのだ。太陽は明るく輝いていたが、不思議なことに少しもまぶしくない。

 ・ お分かりと思うが、今で言う完全なUFO現象で、当時は、UFOという概念も名称も存在しなかったから、「太陽のようなもの」と表現したのもいたし方ない。この現象が目撃された範囲から推定すると5000メートル以上の高空に出現した直系1キロのディスク型UFOだったといえる。

 

 

 

『縄文宇宙文明の謎』

高橋良典)(日本文芸社) 1995/2

 

 

 

<日本の「磐城ノ国」に地下都市を作り、地球の大異変を生き延びた>

・日本の3大奇書と言われる竹内文書によれば、アシカビキミヌシの後をついで、世界の王となった上古第二代天皇ツクリヌシキヨロズオは、日本の「磐城ノ国」に地下都市を作り、地球の大異変を生き延びた後に「父の山」から、神去ったというのだ。

 

・この「磐城ノ国」がどこにあったかーそれは中国の史記に記された黄帝(アシカビキミヌシ)の後継者、高陽帝の地下都市が「山海経」の中で、紀伊半島にあったと記されているところから、「磐城ノ国」は紀伊半島の地下都市を指していると見られる。

 

・この紀伊半島の地下都市は「山海経」では、「方丘」と呼ばれている。高陽帝は、この時代に紀伊半島の地下都市に世界の都を置いて、地球上の各地に住む五色人を治めた。その時代に天皇と皇子たちが、前代に引き続き太陽系の別の惑星や銀河系のかなたの星とも交流を持っていたことは、「神代の万国史」の記録を見れば明らかである。上古第三代天皇キノクニミヌシは、大型宇宙船8隻、小型宇宙船16隻を作らせた後、これに乗って地球各地を視察した。天皇は、万国を巡幸した後、常磐国大付浜(福島県双葉郡大熊町大川原)のあたりを経て神岡(岐阜県神岡町)に帰還した。

 

・上古第三代天皇の世に大異変が発生して、地球は泥の海となり、万物がことごとく死滅した。このとき天皇一族397人は、飛騨高山と紀伊半島の大台ヶ原の二ヶ所から宇宙船に乗って地球を脱出し、災難を逃れた。その後、天皇は、天越根中国(富山、岐阜、長野の県境)に天降り、皇太子は同地の鷲羽山に天降り、その他の皇族も日本の各地の山々に天降った。

 

 

 

『縄文宇宙文明の謎』

高橋良典)(日本文芸社) 1995/2

 

 

 

<世界中の叙事詩がシャンバラの存在を示す>

・インドに伝わる世界最大の叙事詩マハーバーラタ」によれば、「仙洞(シャンバラ)」の王クベーラ(宮下文書に登場する阿和路比古)とシバの兄弟が築き上げたクル族の偉大な宇宙文明を享受していた。現在の日本人は、「マハーバーラタ」に登場するクルの大王ドリタラーシュトラとその息子ドウリヨーダナが、それぞれ、日本神話の「国常立(クニトコダチ)」と息子の面足(オモダル)に相当し、「ユーカラ」の主人公コタンカラカムイ(国造りの神)とその息子のエイポイヤウンペに対応することを忘れ去って久しい。

 

・最近の研究では、エジプトの「死者の書」に示された世界が死後の魂の行く所ではなく、生きた人間が活躍した実在の世界であり、そこに登場する天上と地下は、宇宙都市と地下都市を描いたものであることが明らかになろうとしている。エジプトの「死者の書」は、実在した地下都市チュアトから宇宙都市へと旅発ったファラオたちの様子を記した「地下都市の書」であることがますますハッキリしてきた。

なお、中国に伝わる世界最古の地理書山海経(さんかいきょう)」は、今から3千5百年前の夏王朝を開いた伝説の帝王、禹(う)が、大洪水の後に作成したと言われる世界地図の解説書である。

 

 

 

ヴァリス

(フイリップ・K・ディック)(創元社)1990/6/22

 

 

 

・フイリップ・K・ディックは、天使と交信している作家として知られていました。

「われわれの宗教すべての根本的な源泉は、遠い昔に訪れた三つ目の侵入者から直接に宇宙創成論と宇宙論を得た、ドゴン族の祖先にある。三つ目の侵入者は、聾で唖だが、テレパシー能力を持っており、われわれの大気を呼吸することができず、イクンアトンの引き伸ばされた不恰好な頭蓋骨を有し、シリウス星系の惑星から到来した。手はなかったが、そのかわりに蟹のハサミを思わせる鋏を有し、偉大なる建築家であった。彼らは密かにわれわれの歴史を実り豊かな終末にむかわせる影響をおよぼす」。

 

 

 

『太陽の法』

大川隆法) (土屋書店)1997/7/1

 

 

 

<ゴンドアナ文明(96万2千年前)>

人類3億年の歴史の中には、川を流れるあぶくのごとく、数限りない文明が生まれ、かつ消えていきました。

その当時の人間の大きさは、男性が約2メートル10センチ、女性は約1メートル80センチ、それが標準でした。この時代の男性は、おもしろいことに第三の眼があったようです。その位置は、ひたいの中央部分、ちょうど眉間の二センチほど上の部分にエメラルドのような緑をした丸い眼がひとつついていた。この第三の眼は、ふだんは閉じているのですが、超能力を発揮するときなどは、開いたようです。女性には、この第三の眼がありません。ですから、女性は、超能力をもつ男性の眼を大変恐れ、しだいに隷属的地位におかれていったようです。

 

・ゴンドアナ文明の末期に伝わっていた神話として「神は、人間の男女を平等に作られた。その証拠に、男性は自分の身を守り一族の安全を守るために第三の目が与えられ、女性は、一族の繁栄のために子宮が与えられた」というのがあったようです。

 

・このころは、女性の子宮も、超能力の器官だと思われていたのです。なぜならば、女性は子宮という超能力器官により、霊天上界と交信ができ、子供となるべき霊を身に宿すことができたからです。そこで、母親となる女性は、事前に霊天上界の子供となるべき霊と十分に話し合いをし、両者が合意したときに、子供を身に宿したようです。

 

 

 

封神演義大全(ほうしんえんぎ)』

 (実吉達朗) (講談社)1998/10

 

 

 

<第三眼をもつ男たち>

太師聞仲(ぶんちゅう)は額に第三の眼を持っていて、いつもは閉じているが、極度に興奮したり、怒り心頭に発したりすると、それが開くのだそうである。だが、第三眼は「封神演義」だけをみても、聞仲(ぶんちゅう)一人だけが持っていたのではない、怪仙呂岳(りょがく)も、王子殷郊(いんこう)も、その家来になった怪人勇士の温良(おんりょう)・馬善(ばぜん)も、みんな三つ目小僧である。炎の魔王ともいうべき焔中仙羅宣(えんちゅうせんらせん)もそうである。

 

・もっと有名な第三の眼の所有者は、ほかならぬ二郎真君楊繕(じろうしんくんようぜん)である。「封神演義」にも「西遊記」にも書いていないのに、映画、TV、漫画、画本、-あらゆる楊繕の民衆的表現には額に第三の眼があり、俳優が楊繕に扮するときも例外なく眉間に第三の眼を描いて出演する。

 

・ 楊繕の次に有名な第三眼の所有者は、「南遊記(なんゆうき)」の華光であった。華光はその前生において、釈迦如来に侍る妙吉祥童子(みょうきつどうじ)で、下界に追い落とされるとき、如来が人間に負けないように第三眼を授けたとも言えば、仙術武芸の師妙楽天尊が与えたとも言う。

華光の第三の眼はただの威嚇用ではなく、開いて見つめると地上から天宮まで、見通し、敵が金城鉄壁の中に隠れていても透視できるという効用があった。

 

 

 

『国常立大神(くにとこたちおおかみ)現われる』

(近江谷信裕)(文芸社)  1999/12

 

 

 

<神界の親神との出会いと奇跡の数々>

(人類誕生)

神々には、神界と同じような楽園とでもいうべき世界を、物質をもって地球上に作るために、大祖神からの意志が発動されました。物質体をもつ生物を作るには、物質体をもつ神様が必要と言うことで、宇宙で初めて地球から生物として誕生したのが、国常立大神(くにとこたちおおかみ)です。神様の体は、大部分が意志体ですので、遠くへ行くのも、体を消したりするのも自由自在です。

 

・まだ、熱でドロドロの地球を動植物の生きられる地球に変えていくため、神様が神様の体の一部の龍神体を切り取り、次々と神様を生んでいくのです。そして、雲、雨、風といったそれぞれを担当する神様とともに地球を変えていったのです。

国常立大神より、一番最初に生まれた神様が、大地将軍大神と常世姫大神となり、神界の象徴となります。さらに国常立大神の龍神体の一部と大地将軍大神と常世姫大神の龍神体の一部を切り取り、それぞれを地球の土の中に埋めたのです。地球の時間にして、約5千年後、地上に初めて、人類が誕生したのです。現在の人間とは、比べられないほど大きく7メートルくらいあったようです。一体は男性、一体は女性でした。

 

・人類が誕生した頃、神々は、生活に必要なものを全て作りました。人類も巨大でしたが、動物・植物もまた巨大でした。巨大と言っても神から見るとアリの大きさくらいにしかならなかったでしょう。

イースター島にあるモアイ像は、その当時の人類の姿ではないでしょうか(大きさも顔も当時の姿ではと考えています)

 

 

 

『ジュリアの霊界通信(1)』 (スピリチュアル新書)

イリアム・ステッド   1993/10

 

 

 

・英国のウイリアム・T・ステッドが1891年に亡くなったジュリアという女性から受け取って自動書記したものです。

 

「私は、肉体を離れました。その時の気分といったら何とも不思議なものでした。私は自分の肉体が横たわっているベッドの側に立っていました」、

「その時、洪水のように暖かい光が室内に充ち、天使が出現しました」、「私は、部屋と私の肉体を後にして外へ出ました。そこは実に不思議な光景でした。市街には霊が一杯で、行き来する人達は、皆私と同じようでした。私の天使には翼があって、その姿はまことに美しく、白い衣をまとっておられました。私達は、街の通りを過ぎ、やがて空中を飛行し、とうとう死んだ友人がいる処へ行きました。霊友達も現界に在ったと同じような生活状態で互いに仲良く生活しており、もはや衣食の為の労働の必要は無くなっているが、何かと為すべき仕事は色々あるようでした。ここには誰も老人に見える人はいません。みんな私達は若いのです。

 

・私は、この世とあの世の生活がこんなに似ているとは全く思いもしませんでした。こちらの世界では、思念は創造力でして、物を思うとたちまちその物があるのです。私は自分で衣服を着たわけではありません。必要だと思うと必ずその必要が満たされるのです。何もかも新鮮です。と言ってもびっくりするような地上と瓜二つのこと、そして全く別のこと、色々なのです。たとえば、こちらで初めて目を覚ましたとき、気がつくとそれは地上とそっくりなのです。周りには、見馴れた壁や絵や窓やベッドがあるのです。唯一つ変わっているのは、身体なのです。そこで、これはてっきり何事かが起こったと気づくのです。天使には翼があったのですが、あれは通例のことではないのです。天使には翼が必要はないのですが、天使のイメージを感じさせるためにそうしているだけなのです。私達は、そこへ行きたいと思えば、直ちにそこに居ます。天使は私の地上生活中にずっと私と一緒に暮らしたのです。守護天使はいわばもう一人の自己なのです。こうしてとうとう私は、地球からずっと遠くへ行きました」、「今幽明両界に必要なのは、通信局です。信用できる数名の霊媒を使って事務所を設置しませんか」、「私が心から貴方に申したいのは、再び黙想を始めることです。黙想の時間が必要というのは、貴方の霊に近づくためです」。あの世は2次元であるという研究者もいます。

 

『ジュリアの霊界通信(2)』

・「死の時は何の苦痛もなく、何のショックもなく、ただぐっすり眠ったあと目が覚めるような感じで、あとは何もございません。死んだことに気づかない人も居ます。夢でもみているのではないかと思ったりします。こんな時、別の霊から事実を教えられ、目を覚ますのが普通です。彼らは死んだのにずっと同じ世界で生きているとばかり思い込んでいるのです。第一に目に見える外界は、すっかり同じままであること。第二に自分の意識はちゃんと続いていること。私は、自分の身体が横たわっているのを見て自分が死んだことに気がつきました。新しく他界した人に地上で親しくしていた友人が沢山こちらの世界にいるなら、そういう人たちがこちらで待ち受けています。当界に入りますと自分のした一生の姿を見ます。天国が素晴らしいので、地球に戻りたいとは思いません。

 

・要約しますと、1、死は苦痛ではないこと。2、死からの目覚めは驚きであること。3、死後も人格は変わらず、世界もそっくりであること。4、親愛な知友がいなければ死後の目覚めは淋しいこと。5、上記の淋しい人には天使の擁護があること。6、死を自覚しない人は天使の擁護を受け付けないこと。7、愛のない人の運命は、その世界が闇黒であること。8、他界には待ち受けている人がいること。9、天国と地獄は次第に連続していてその間に明確な区画はないこと。10、天国と言っても無限に差があり、それは宇宙に充満する神霊を知る進歩の程度によること」。

 

『ジュリアの霊界通信(3)』

・「バイブルには、『他界では人は娶らず、嫁がず、天にある御使いたちのようである』と書いてあるが本当にその通りです。色々な制約に女性は拘束されることはありません。私達は、こちらでは子供を生みません。私達は自分の霊と波長の合った他の霊または沢山の霊と波動が調和している限り、自由無制限に全身全霊をあげて交わります。その喜びといったら地上の肉体愛の比ではありません。当界では、恋愛には制約はありません。地上同様に一夫一婦の生活をしてもよいのです。ですけど、二人きりしか愛さないという生き方は、最高の道義とはならないのです。勿論、性の区別は続きます。私達は、心に愛があれば、その愛のままにお互いに接します。天使と性と人間の性とは違っているのです」。