UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

最もありそうもないことは、オーストリア人の放浪者、街路清掃人、及びゲイの男娼がドイツ首相になり得たことではないだろうか。(3)

 

 

『伝説の秘密諜報員 ベラスコ』

天皇の金塊”の真実を知っていた男

高橋五郎   学研    2014/9/9

 

 

 

<ボルマンが語ったヒトラーの安否>

ナチス再興を決意した男ボルマンと同伴人ベラスコらを乗せたUボートは、イベリア半島北西部沿岸から南下した。いわゆるドイツ敗北の日からほぼ1年を経たその日の早暁、ベラスコとボルマンの長い航海が始まった。

 二人は狭い個室の二段ベッドを分かちあった。個室にひとまず腰をおろしてから、マルティネスから受け取った包みを開封した。船内であらためるようにとマルティネスが強くこだわったあの包みだ。なぜ船内で、とこだわったのだろうか。

 その時までに確認できたことは、Uボートの船体番号313と艦長の名前がフィという短い苗字だけだった。

 

 

 

・ベラスコがボルマンから知りたかったのは、ヒトラーの安否だった。そこを察したのか、ボルマンは地下官邸の場面を少しずつ説明した。まさに懺悔室で司祭を前にしたボルマンそのものだった。

 ヒトラーを地下官邸から脱出させたからこそ、自分もこのボートに乗っていられるのだ――つまりヒトラー第三帝国の象徴ゆえ、地下官邸では死なせてはならない人物だったのだ、とボルマンはヒトラーの生存価値を真っ先に強調した。

 ボルマンの話によれば、地下官邸のヒトラーをひとまずロタック・アム・エルヘンの要塞に移した。エバは地下官邸で生活中の投薬がたたって死んだ。ヒトラーとエバはガソリンを浴びて焼身心中したように見せかけた。世界はヒトラーとエバの死を信じた。ボルマンは信用する部下数人を使ってロタック・アム・エルヘンの要塞からさらにドイツ領土内を横断して船でヒトラーノルウェーに移した。ヨーロッパからの脱出準備を二人の部下が整えるまでのあいだヒトラーノルウェーの寒村に待機させた。ヒトラーの現在の居場所は話せない。連合軍はヒトラーの「自殺」に満足したことだろう。ボルマンは手際よく運んだものだと自慢気に語った。

 

・世間はボルマンも死んだと思いこんでいるのだろうとベラスコはたたみかけた。ボルマンは笑いながら身を乗りだして、「ボルシェビキの戦場で死んだと伝えてくれ」と熱い口調でいった。ベラスコの胸には一瞬冷たい恐怖心がわいた。知り過ぎた男の末路が頭に浮かんだのだ。ベラスコがそれを口に出すと、ボルマンは笑って手を横に振りながらベラスコを「囚人」と呼んだ。ボルマンはベラスコに向かってナチス党の同志で忠実なメンバーで友人だと誉め言葉を並べたあと、「私の逃亡の秘密を話さないように」と付け加えた。ベラスコに異存はなかった。

 

<1952年10月――南極で「総統」と対面>

・うねりと白波に揉まれながら、ドイツのUボートU313号はアルゼンチンのラ・プラタ河口沖でいったん浮上した。ボルマンとベラスコの上陸地点はパタゴニア地域のプエルト・コイの港付近だ。浮上したそのとき始めてフィ艦長からその地点を知らされた。上陸地点は、潜水艦と陸上との無線のやりとりで決まったようだった。

 

<1952年南極で「ヒトラー総統」は子どもの写真を凝視>

・「写真持参のうえ、南米の最南端で、ある重要人物と会え」。

 突然のメッセージがメキシコに住むベラスコのもとへ届いたのは、1952年だった。3年前の1949年から、ベラスコ一家は北米との国境に接したメキシコの町シウダード・ホワレズに住み、ベラスコは新聞社に勤務していた。

 新聞社でベラスコは土曜特集版の担当編集委員を務めていた。むろんそれは仮の姿であり、実際はナチの地下組織を中米と南米で拡大強化するためだった。

 

・メッセージにある「重要人物」を、ベラスコはボルマンだと直感した。文面には、「例の写真を持参するように」とあった。例の写真とは、ベラスコが時折、北米ニューメキシコに密出入国しては無事を確かめてきた二人の子どもたちの写真のことだ。二人の子供は、1951年にポルトガルリスボンから北米に連れて来られたのをベラスコは知っていたが、彼らの両親が誰なのかは知らなかった。学校に通う彼らの登下校の時間を狙っては、その元気な様子を写真に収めてきた。それもナチスパイとしての仕事のひとつであった。

 その子供たちの写真を南米の最南端まで持参せよ、というのだ。ベラスコは、軽飛行機を何度か乗り換えて指定された場所に向かった。最後に乗った小型飛行機にはスキーが装着されていた。パイロットは、飛行目的地についてはいっさい喋らない。離陸後の飛行ぶりでは、どうやら南極に向かうようだった。

 

・翌日、1952年10月10日の午後、男がベラスコを呼びに来た。

「ドクトール・ゴメス、総統のお会いしてください」

ボルマンではなく総統とは………いったい誰のことか。ベラスコは迎えの男に尋ねてみた。

「総統は一人しかいません。アドルフ・ヒトラー閣下です」

男はけげんそうな顔つきでそう答え、自分が案内すると告げながら踵でターンをしてベラスコを先導した。先を歩く男はいったんその建物を出て、別棟に向かった。ベラスコは、舞い降りる小雪を頭に積もらせながら、大きな木造の建物に案内された。男から内部の1つの部屋に入るように促された。

 

・その室内には大型の机が置かれ、一人が座り、三人が立っていた。座っている男の背後の壁には、部屋の大きさに不釣合いな大きな真紅と黒のナチの国旗が貼ってある。三人の男の顔に見覚えはなかった。

 その一人が、ベラスコを前に立たせ、椅子に座った「総統」に対する挨拶を促した。ベラスコは、机の男に向かって姿勢を正しつつナチ式の敬礼をした。机の男つまり「総統」は、座ったまま微笑を見せ、ベラスコに右手を小さく振った。

 ベラスコは机をはさんで「総統」と向かい合って座った。目の前の人物をヒトラーだと判断するのは難しいと直感したものの、その理由は自分でもわからなかった。1945年4月21日に、ベルリンの地下官邸で見た最後のヒトラーの顔つきと、目の前の「総統」の顔はさほど変わっていないが、何となく目の前の人物がヒトラーそのものとは思えなかった。

 

・面前の「ヒトラー」には口髭がない。頭は禿げて、頬は皺だらけだ。こめかみに小さな傷跡がある。目は濁っていて、艶のない灰色の肌が目立つ。アイロンがかけられていない、だぶだぶのナチのダブルの制服を着たその姿そのものはベルリン最後のころとさほど変わっていない。そのかぎりでは、まさに年老いた「ヒトラー総統その人」だった。左手が麻痺している状態で、たえず痙攣して自由がきかなそうな様子もヒトラーの特徴どおりだ。ただ以前と違って、口元から少しずつ唾液が顎に流れている。言葉は以前同様に小声で聞き取りずらい。

 

・「ヒトラー」は、ベラスコに質問をした。南米諸国の政治・経済を中心とした現況について知りたがっていたのだ。とくに身を乗りだして尋ねてきたことは、南米でのナチの活動についてだった。

 だが、何よりも「ヒトラー」が待ち望んでいたものは、ベラスコが持参した二人の子どもの写真だったようだ、渡した数十枚の写真を一枚ずつ丁寧に眺めては、「その子供たち」と呼んで、子供たちとヒトラーとの関係をさとらせなかった。子供の一人は少年アドルフォで16歳、もう一人は少女ステーンだとわかったが、年齢は確認できなかった。それでも両人がドイツ人の子供であることはわかった。ヒトラーは小声で何事かを呟きながら写真を繰り返し眺め続けた。

 

・アルゼンチンへ戻る飛行機のなかでベラスコの胸は膨らんだ。復興に不可欠なナチ党の象徴(ヒトラー)がこうして「生存」していることから、ボルマンのナチ復興には大いなる希望が見込めたからだ、ベラスコは、ナチ党最高幹部のベルリン脱出とさらに南米へと逃亡行為に、わずかながらでも貢献できた満足感に浸り続けた。明るいナチ党の未来を窓の外の雲間に浮かべることができた。ベラスコは興奮をおさえきれずにメキシコのわが家へと戻った。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

<エイリアン集団紳士録>

アルデバラン   ゲルマン人バイキングを創作・管理>

・典型的なアーリアン型で金髪で青い目を持つ。薄い茶色か中ぐらいの茶色の髪で、目がヘーゼル(はしばみ)色の人もいる。この集団は、ゲルマンの諸民族とスカンジナビア人、特にバイキングの創作と管理を担当した。強い関心を持って、こと座文明の再創造を支援している。よくノルディック人と混同されることがあるが、ノルディック人は、もっと背が高く傲慢である。

 

アルクトゥルス  ローマ帝国建設を手伝った精神性の高い種>

・非常に精神性の高い種である。原始的な形態の宇宙旅行技術(地球より発達しているが、シリウス人ほどハイテクではない)を保有している。白いローブを着た聖職者層が支配している。

 

りゅう座人(ドラコ) このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティ

・地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である。分断して征服することを画策する彼らは、リゲルとともに海を沸騰させたり、大地を焼き焦がしたりしたように、暴虐さで有名である。

りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。1997年にヘール・ボップ彗星に隠れて到達した。そこにいるのは、純血爬虫類人である。交配人種であるイルミナティは地球の支配を行っている。

 

<プレアデス   こと座からの避難民、長身金髪のノルディック>

・ノルディック、背の高い金髪とも言われる。元々は、こと座(リ-ラ)文明からの避難民であるが、7つの恒星と15の入植済みの惑星からなるプレアデス星系の存在である。

 

・1959年に米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、技術格差を埋めるためにプレアデス人が招聘された。だが、過去、彼らは、ヒトラーの人類浄化政策を画策し、仏教を堕落させた。チベットに広大な地下基地を持っている。

 

・プレアデス人は、ローブを着た白い姿で現れる非物質的存在が率いる最高評議会の指揮下にある。プレアデス人の一集団(アトランと言われる)が、アトランティスに入植した。小柄で青い肌をした集団がプレアデス人と一緒に行動している。

 

 

 

『大いなる秘密』(レプティリアン爬虫類人

デーヴィッド・アイク 三交社  2000

 

 

 

<アーリア人の祖先たちの故郷>

<シャンバラと呼ばれる都市を主都とする地下王国「アガルタ」>

・「ヒトラーについていけ!彼は踊るだろう。笛を吹くのは私だ」のエッカルトと、「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレヒトラーを精神操作した。

 

・スカンディナヴィアの伝説によると、ウルティマ・トゥーレは、太陽の沈むことなき極北の楽園であり、アーリア人の祖先たちの故郷であったと言われている。ヒュペルボーリアが水没し始めたとき、ヒマラヤ山脈の地下に高度な科学技術を持っていたアーリア人たちは、地殻にトンネルを掘り抜き、ヒマラヤ山脈の地下に巨大な地底都市を建設したのだった。これはのちに、シャンバラと呼ばれる都市を主都とする地下王国「アガルタ」として知られるようになった。少なくともトゥーレ協会の人々はそう信じていた。ペルシア人たちは、その地域をアーリアナと呼んでいたが、これは「アーリア人の土地」という意味である。

 

ナチスの教義では、アガルタの人々が「善者」で、シャンバラが「悪者」ということになっている。この両勢力の争いは、何千年も続いており、ナチスは、アガルタの「善者」たちと同盟して、「悪者」のシャンバラが操る「フリーメーソンシオニスト」と戦っていた。少なくともナチス自身はそのように信じていたのだ。

 

・非常に長期にわたるこの争いは、「火星由来のアーリア人対アヌンナキ・レプティリアン」の戦いだったのではないのだろうか?彼らは最初、火星上で戦いを繰り広げ、続いて戦場を月に移し、さらに地球へと下りて争いを続けた。アーリア支配種との接触を果たさんとしたヒトラーは、この地下世界への入口を見つけ出そうと躍起になっていたが、「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレによる精神操作を受けていた彼は、事実上レプティリアンの繰り人形であった。

 

<反ユダヤ・反マルクス主義とゲルマン支配種の復権が、トゥーレ協会の教義の中心となった>

<トゥーレ協会から派生したドイツ労働者党>

・これまでに述べてきたように、地球の完全支配をもくろむレプティリアンが、他の異星人や地球内部種族との争いを続けてきた可能性は非常に高い。またレプティリアンたちは、低層四次元においても他の意識体たちと競合関係にあると考えられる。

 

・トゥーレ協会を創始したのは、ゼボッテンドルフ男爵などという大仰な名に改名した占星術師、ルドルフ・グラウエルであった。反ユダヤ・反マルクス主義を提唱した彼の影響によって、反ユダヤ・反マルクス主義とゲルマン支配種の復権が、トゥーレ協会の教義の中心となった。このトゥーレ協会から派生したドイツ労働者党が、ナチスとなったのであった。これに関して重要な役割を果たしたのが、ゼボッテンドルフの友人にして熱烈なオカルティスト、ディートリッヒ・エッカルトであった。大酒飲みで麻薬中毒の作家であった彼は、自分には来るべきドイツの独裁者のために道を開くという使命がある、と信じていた。

 

・1919年にヒトラーに会ったエッカルトは、ヒトラーこそが自らの探し求めていたメシアであると確信した。レプティリアンの波動に接続するための黒魔術儀式を中心とする秘教の知識、これらをヒトラーに授けたのはエッカルトであった。1923年エッカルトは、友人に宛てた手紙の中で次のように語っている。

ヒトラーについていけ!彼は踊るだろう。笛を吹くのは私だ。我々は、ヒトラーに、彼らとの通信方法を教えた。私が死んでも悲しむことはない。私は歴史に最も大きな影響を与えたドイツ人なのだ」

 

<68光年の彼方から火星経由、地球にシュメール文明を打ち立てた金髪碧眼のアルデバラン星人>

<牡牛座のアルデバラン

・ドイツの研究者ヤン・ファン・ヘルシンクは、その著書『二十世紀の秘密』のなかで「ヴリルとトゥーレの両秘密結社は、1919年12月ベルヒスガーデン・ロッジで、マリア・オルシックとシグルンという2人の霊媒を通じて、異星人との交信を試みていた」と述べている。ヴリル・ソサイエティー関連の資料によると、それらの通信は、地球から68光年の距離にある牡牛座のアルデバラン太陽系の二つの惑星からなる「スメーラン」帝国とのあいだで行われていたという。

 

・同資料の説明を続けて紹介しよう。アルデバランの人々は、明確に二つのタイプに分けられているという。一つは光の神と呼ばれる金髪碧眼のアーリア支配種であり、もう一つは気候変動によって遺伝子的に劣化した、いく種かの亜人類である。5億年以上もの昔、アルデバラン太陽は、膨張とともにすさまじい熱線を放射し始めた。そのため「劣等な種族」は、居住可能な他の惑星へと避難させられたという。そしてついに光の神アーリア人種も、母星からの退去を余儀なくされたのであった。このような経緯で我々の太陽系にやって来た彼らは、まず最初に惑星マローナを占領した。

 

・惑星マローナはマルドゥクという名でも知られており、ロシア人やローマ人はこの惑星をパエトンと呼んでいた。火星と木星のあいだ、現在のアステロイド・ベルト軌道にあったとされるこの惑星は、古代シュメール人の言う惑星ティアマトに相当している。その後、金髪碧眼のアルデバラン星人は火星に植民し、続いて地球へと下りてシュメール文明を打ち立てた。・・・少なくともヴリル・ソサイエティーの人々は、そう信じていた。

 

<金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)>

・ヴリル・ソサイエティーのチャネラーたちによると、シュメール語はアルデバラン星人の言語であり、その音は、「不可解なドイツ語」のようであるという。そして、ドイツ語とシュメールーアルデバラン語は波長が同じであるとも彼らは、信じていた。

 

・彼らのテーマはこうだ。金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となった。彼ら支配種は高度なシュメール文明の発祥にインスピレーションを与え、この地球に純粋な血流を植えつけた。以来このgodsは、地下都市から地上の人類をコントロールし続けている。

 

・しかし一つ言い忘れていることがある。それは、アーリア人の中にレプティリアンの血流が潜んでいるという事実だ。ブラザーフッド内部の者から聞いた話だが、レプティリアンは金髪碧眼の人間の血を必要としており、アーリア支配種の純粋性を維持するというナチスの教義はそのためのものであったという。

 

・トゥーレ協会の名は、伝説の都市ウルティマ・トゥーレに由来している。このウルティマ・トゥーレは、アルデバラン太陽系からやってきたアーリア人が最初に入植したという北方の大陸、ヒュペルボーリアにあったと言われている。

 さらにまた、このヒュペルボーリアは、アトランティスやレムリア(ムー)よりもずっと以前の大陸だったとも、アトランティスそれ自体であったとも言われている。はたまた地球の内部にあったという説すらある。

 

 

 

『FBI超能力捜査官マクモニーグル

「遠隔透視」部隊の現実  

(並木伸一郎・宇佐和通) (学研)2007/2

 

 

 

<幽霊のハンス>

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いに来た。あれは感謝祭の夜で、妻の母は、その年の8月に亡くなっていた。家族が感謝祭で集まったとき、私は、どうしようもない眠気に襲われて、二階の寝室で横になったんだが、ふと目が覚めると義母がベッドのわきでほほ笑んでいた。私は、嬉しくなって「すべて順調だから心配しないで」と話しかけた。すると義母の姿が消えた。

 

・陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

 

・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

 

 

 

天皇のスパイ』

高橋五郎      学習研究社   2009/8

 

 

 

天皇のスパイ>

・“天皇のスパイ”と呼ばれる男がいた。第二次大戦中、二重三重スパイとして、世界を股にかけた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコだ。

 

<今もヒトラーナチスの意志と行動が確実に存在している>

・「そこで朝まで寝てしまった」。

 ベラスコは私が座っている濃茶色のソファーを指した。

「着替えもせずに」。

とコンチータが付け加えた。その夜ボルマンがベラスコの自宅でシャワーも寝室も使わなかったのを、コンチータは覚えていた。40年以上も前の出来事なのに、2人はまるで昨日のことのように語った。

 この昔話はその先まで聞くことにした。というのは、ベラスコが例のマドリード脱出劇の際に見せたあの逃亡行為の背景を解くカギが、ここでいう昔話にもひそむ気がしたからだ。指名手配の戦犯ボルマンがなぜ、いとも簡単に国境を超えられたのだろうか。何か特別な通行手形でも持っていたのか。

 

・世界最高のお尋ね者ボルマンは戦争が終わったのにマドリードに堂々とやって来ているではないか。どうやらナチス・ドイツに関わった人々は、戦争の勝敗を超えた何か特別な次元で動いているのだろうか。須磨公使も、フランコも、そしてヒトラーも、ボルマンも、そしてベラスコもまた途方もなく巨大なドイツの影のなかで動かされる「小人」のそれぞれだったのか。ベラスコの口癖「和平は戦争の一時的中断に過ぎない」の広い意味がもっとも良く見えてくる気がした。子供だましの戦争という意味もだ。

 

<SS大佐フッカーの語るエバとヒトラーの脱出模様>

ヒトラーが閣僚たちと階段の上に消えたその3時間後、ベラスコは地上めがけて階段を駆け上がった。ベルリンの夜空は黒と赤に断続的に変化していた。砲撃で夜空は赤一色になる。ガレキのなかを走ろうとしたら誰かがベラスコを引っ張った。SSのワグナー大佐だった。こっちから走れ!そう叫んだ彼の横にオベルベイルもいた。

 ワグナー大佐らのあとに続いてガレキの山をいくつも這って超えた。暗闇を照らす赤い炎で死体と救助を求める人々の姿が見えた。ベルリンの大通りは地獄だった。

 

・オベルベイルは眼鏡をなくしたと喚いていた。車中へ引っ張りこんでくれたSS将校はシートに仰向けになって太めの腹を出してのびていた。ワグナーはケガで割れた膝を押さえていた。夜が明けるにつれて、ベラスコらの車が南部の田舎道を走っているのが分かった。くしゃくしゃになった煙草がベラスコのポケットにあった。車内の全員にすすめて一息ついた。煙草を持つベラスコの指先は震えたまま止まらなかった。18台の護衛車の乗員は全員が地下官邸のスタッフだった。

 

・田舎の道路を走行していたベラスコらの一団に突然戦闘機1機が襲いかかってきた。英国空軍の偵察機は、爆弾を投下した。先頭車が被弾して破壊された。後続車は次々に追突して全車輛は停止、全員が道路周辺を逃げ回った。だが遮蔽物もなく被害は甚大だった。追い打ちをかけるように機銃掃射に見舞われたために、わずか1、2分のあいだに23人が死に、13人が重傷を負った。10台の車が完全に走行不能になった。死亡者の遺体を道路脇に並べ、重傷者には救急用品と毛布を渡してその場を離れるほかはなかった。

 

・「ボルマンが最後に地下官邸に来たとき、ヒトラーはまだそこに残る気だった。心のなかの軍隊とともにベルリンを防衛するつもりだった。死ぬ覚悟もあった。だが、ボルマンはそれを察知してヒトラーとエバを即刻地下官邸から退去させるよう命令した。2人は薬を飲まされたが、それがエバに致命的な結果をもたらした」。

 ひたすら喋りまくるフッカーの顔をワグナー大佐はにらみつけていた。ワグナー大佐はフッカーの知らない事情まで知っているらしかった。フッカーが非難したボルマンの態度についてベラスコは内心、半信半疑だった。ボルマンの心変わりなど信じられなかったからだ。

 

・フッカーのお喋りは際限なく続いた。

 

ヒトラーの失敗は、英国軍事情報部に買収された予言者を信用したことだ」。

 フッカーは予言者がどうやってヒトラーを信じこませたかを微細に喋った。ヒトラー総統が予言者を信じていたことは英国軍事情報部員からベラスコも聞いていた。だが奇抜すぎたから聞き流していた。今になってみれば裏づけでもとっておけば良かったのにとベラスコは後悔した。だが、もしフッカーのお喋り通りだとすれば、ベラスコにとってのスパイ活動歴のなかで最大の失敗だったと悔やんだ。

 

偽装結婚あり、マドリードまでの脱出行>

<ベラスコ邸にボルマンとアイヒマンを匿う>

・ボルマンの姿をベラスコが最後に見たのは、例の地下官邸で4月21日だったが、始めて口をきいたのは、ボルマンがベラスコ邸に訪ねてきたそのときだった。

 目の前のボルマンは以前よりも痩せていた。二重アゴは頬の筋肉と一緒になくなっていた。前頭が部分的に禿げてギリシャ鼻には整形が施されていた。輝いていたのは眼光だけで、それも異様な明るさに見えた。

 ボルマンを案内してきた工作員は、彼の名前はフレッチャーマンだとベラスコに紹介した。ベラスコはボルマンだと気付いていた。工作員を帰してボルマンを居間のソファーに案内し、スぺイン産ブランデーをすすめた。

 

「君は私を覚えているかね」。

ボルマンはそう尋ねた。ベラスコがうなずくと同時に、

「そう私はフレッチャーマンだ。いいかね君」。

と念を押した。

「ならば、私はドクター・ゴメスです」。

ベラスコも即座にそう答えた。ボルマンのスペイン語はひどいものだった。

「ここで長居するつもりなら、スぺイン語を上達させてください」。

「長居をするつもりはないが、君の忠告どおり少し勉強しよう」。

ボルマンはそう答えた。

 

<「ハイル・ヒトラー」ボルマンと乾杯、どっこい生きていたナチス・ドイツ>

・1946年1月3日の深夜、フェリペが再び訪ねて来た。例のメッセージに書かれていた「重要人物」を同伴していた。深緑のソフト帽を深くかぶり、黒色の外套の襟を立てていて顔がよく見えない。フェリペは、フレッチャーマン氏だと紹介した。握手した瞬間ベラスコにはその人物が誰か分かった。あのマルティン・ボルマンだ。

 

・あとは前述の通りの場面になった。ここまでピレネー山脈を越えて陸路で来たのか、それとも民間航空機で来たのか、あるいはUボートガリシア海岸沖まで来て車を乗り継いで来たのか、と尋ねるベラスコの問いかけにボルマンは答えなかった。

 その代わりに、開封された白い封筒をベラスコに渡した。裏表とも何も書いてなかった。

 そのメッセージの紙面にもZAPATAの文字があり、なぜかヒトラーのサインまであった。文面はボルマンをバルセローナの南およそ15キロほどにあるコンドール城に連れていくよう指示していた。その古城は地中海に面した閑静な地域にあることはベラスコは知っていた。ボルマンは3日間ベラスコ邸の居間で過ごした。

 1月6日、ベラスコは新車のクライスラーを用意してボルマンを乗せ、マドリードをあとにしてバルセローナに向かった。なるべく人目につかない道路を選んだために8時間の長旅になった。コンドール城には50歳過ぎの漁師風の男マカリオが待っていた。

 

・敷地総面積が数千坪はある城郭内には、戦争時から連絡センターとして使われていたいくつかのコテージがある。人目につかない城の塔のなかに案内しながら、マカリオは快適ではないが一番安全な部屋だと言った。簡素な空間だったが、床にはなぜかカーペット代わりに白い砂が厚めに敷かれていた。ボルマンはマカリオに食事を出すよう催促した。ベラスコはそのままマドリードにUターンすることにした。ボルマンはベラスコに身体を鍛えておくようにと命じつつ、長い旅に出るからと付け加えた。マドリードに戻ったベラスコにはその後3ヵ月間、ボルマンはむろん誰からも何の連絡もなかった。

 

・1946年5月1日、再びフェリペがベラスコの前に現れた。フェリペから受け取った封筒のなかのメッセージは簡単なものだった。5月7日にガリシア海岸のビラ・ガルシアにボルマンとともに到着するようにと書いてあった。その場所ビラ・ガルシアは、以前マドリードから逃亡したときに目指したイベリア半島の北西海岸にある寒村だ。そこにUボートが待っているのだろう。それで今回はそこからどこへ向かうのだろうか。ベラスコは不安だった。

 

・5月3日、コンチータに長期旅行になるかも知れない旨を告げながら、ベラスコはボルマンが待つ、バルセローナに向かって8時間の長距離ドライブに出た。

 コンドール城に到着して、ボルマンと再会した。「スペインは素晴らしかったが、去るのは辛くない」。ボルマンはワインを傾けながら流暢なスペイン語で喋った。

 この12週間でナチス党の再建と将来構想を固めたとボルマンは語り、その行動初日を祝ってマカリオを含む3人で乾杯した。「ナチス党とその指導者のために、ハイル・ヒトラー」。

 暖炉の炎が3人の姿を石壁にゆらゆらと映しだした。3人が乾杯する影をこの場には敗戦国ナチス・ドイツのイメージはなかった。ベラスコは興奮して震えた。なぜならボルマンがハイル・ヒトラーと叫んだこの乾杯は、まさに死んだハズのヒトラーの生存を意味することにほかならないからだ。ナチス・ドイツはどっこい生きていたのだ。繰り返すが、これは1946年5月3日、戦後のことだ。