UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

山の中、ことに北国の山中にいる獣の姿をした妖怪に「覚(さとり)」がある。飛騨や美濃(岐阜県)の山中によく現れ、その姿は狒々(ヒヒ)に似ていて、よく人の心を見抜くという。富士山麓の地方ではこの化け物を「思い」といった。(4)

 

 

荒俣宏の不思議歩記』

荒俣宏   毎日新聞社    2004/11/1

 

 

 

<蜂須賀正氏の有尾人調査>

・平成15年4月13日、東京の立教大学で「蜂須賀正氏(はちすかまさうじ)生誕百年記念シンポジウム」が開かれた。永らく忘れられた人物だったので、まことに喜ぶべき復権である。正氏(1903~53年)は阿波蜂須賀十八代当主だった一方、鳥類学者として華々しい業績を残した。日本人ばなれした冒険貴族でもあった。

 

・それで思い出したのが、正氏は昭和3年にフィリピン探検を敢行した際、帝大の松村瞭博士から奇妙な調査を依頼された逸話がある。いわく、「フィリピンのどこかに尾のある人間がいるので、これを研究できたら世界的に珍しい報告になるでしょう」。

 かくて正氏は有尾人発見という無茶なミッションを負って出発した。鳥類採集やアポ山登頂など多くの成果をあげたこの探検にあって、正氏は最初のうち有尾人調査にもずいぶんと力を入れたようである。30年前にフィリピンで撮影された証拠写真を入手していたので、自信もあったようだ。その他、マレー半島ボルネオ島ニューギニアでの有尾人情報を手にしていた。

 

・じつは昭和初期、日本には密かな有尾人ブームが起きていた。端緒となったのは、大正期に開催された大正博覧会、つづいて平和記念博覧会にもお目見えした「南洋館」だった。南洋への関心を高めるべく、見世物に近い物産紹介が行なわれたが、その一部に有尾人まで加えた南方の風俗を含んでいた。数年前にわたしは、平和博のときと思しい南洋館発行の絵ハガキに、「ボルネオ、ダイヤ族有尾人」なる写真を発見して、驚きのあまりのけぞった記憶がある。その解説に、正氏が入手したのと同じような、アジア各地の有尾人目撃情報が載っていた。

 

・しかし正氏の探検隊は、進展とともに純粋な博物学調査に謀殺されていったし、正氏自身もマラリアに罹って以後は有尾人への関心を弱めた。ただ、日本の一般市民は、みごとなキングズ・イングリッシュを身につけ、狩猟の技にもたけ、自家用飛行機で飛び回る破天荒な正氏を、あいかわらず「怪人」扱いしつづけた。たとえば、昭和14年に小栗虫太郎は『有尾人』と題した秘境冒険小説を発表。正氏が実地調査したアフリカ中央部に有尾人「ドド」を出現させた。正氏は絶滅島ドードーを研究し、「ドド」と表記していたから、モデルは正氏その人と思しい。

 

平田篤胤の広い関心>

・平田神社に保存されてきた教材の中に、絵軸がいくつも残っている。どれも、晩年の篤胤が最も力を入れたテーマ「幽冥界」と「神代」を解決するのに用いたものだ。霊界だの神の時代(古)だのは、これを目撃した人がいないわけだから、『古事記』などの古典を講義しても、文章だけではどうしても限界がある。そこで篤胤は「物」を用いることを始めた。江戸後期には考古学も進展し、各地で古物の発掘が盛んになっていた。時代の遺物と考えられるものが、文字も含めて発見されていた。篤胤は実物を示しながら講義し、「神代文字」も実際に使ってみせた。神代のことを実物を介して説明したことで、門人たちの理解は画期的に向上したにちがいない。

 

・しかし、神代はそれでよいとしても、霊界のほうは「物」で説明できない。なにしろ俗世とは別の空間であるから、幽霊や妖怪を捕えて展示するわけにもいかない。そこで篤胤が編みだしたのは、「絵」つまりビジュアルを活用する方法であった。篤胤は仙境や死後の世界を見て現世に戻ってきた「目撃者」を探し、その人たちから徹底した聞き取り調査を行った。仙境で暮らしたという「天狗小僧」寅吉などは、門人にして十数年にわたり調査を継続している。寅吉が伝える仙境の舞踏については、楽士、舞手の配置、見物人の並び具合、果ては楽譜にあたる音曲の詳細まで聞きだしている。

 

・これらの情報を絵画化し、ついに「見えない世界」の講義術を確立した。たとえば、仙境に住む「角の生えたイノシシ」を、仙界の住民が鉄砲で狩猟する光景を描いた画軸がある。日本一の鉄砲鍛冶、國友藤兵衛が寅吉に確かめたところ、仙人は空気銃を使うと聞いて仰天した。また、それまでビジュアル化されたことがなかった日本の神々の姿をも、篤胤は絵画化した。「高根様」と称する仙界棟梁の肖像は、まことに迫力に満ちている。記紀に語られる地上最初の陸地「オノゴロ島」を克明に描いた軸もあった。国学の教授法の革命だったと思う。

 

・篤胤を継いだ二代銕胤は、明治維新のあと大学校の開設を計画する役職に就いた。しかし、島崎藤村『夜明け前』に見るごとく、絶望してすぐに新政府と距離を置いた。平田学派は幽冥界の主神、大国主命や、南朝天皇にも敬意を払い、独自の神道思想を深めていた。しかも、その担い手は庶民が主体だった。

 

<稲亭物怪録を覗く>

広島県の東側に三次という市がある。全国的には無名に近いが、二つの自慢がある。一つは、『忠臣蔵』の浅野内匠頭に嫁した阿久利姫(のちの瑶泉院)。もう一つは、1カ月間妖怪の来訪を受け続けながら耐え抜いた豪の者、稲生平太郎。2人とも三次の出身者で、郷土の誇りといわれる。わたしは『忠臣蔵』にも心惹かれるが、やはり時節柄、妖怪に食指が動く。

 

三次市では稲生平太郎の妖怪話を市興しのテーマに据え、すでに「物怪プロジェクト三次」が進行していた。この平太郎は江戸中期に三次に住んだ実在の武士だ。三次藩はその頃廃藩になったあとで、宗藩の広島浅野家から禄を受けてはいたが、仕事もなくブラブラしていた。16歳の平太郎はある日、江戸帰りの相撲取り三ツ井権八に「三次の侍は意気地がない」となじられたことに反発。肝試しと百物語に挑んだ。

 

・ところが、これで比熊山から妖怪の一団を呼びこんでしまい、7月1日から1カ月間、毎晩のように妖怪の来訪を受ける結果となった。目玉のついた石、女の生首、割れた頭から出てくる赤んぼう、ぞろぞろはいりこんでくる虚無僧の群、浮きあがる畳、赤い舌でベロベロと舐めまわす大顔、果ては巨大な蜂の巣から黄色い液がボタボタ垂れてくる怪など、ゾッとするような物怪にたたられた。しかし平太郎はついに耐え抜き、妖怪大将を退去させた。この「実話」が広く流布したのは、なんといっても多くの絵巻が制作されたことに拠っている。2002年6月、県立歴史民俗資料館に寄贈された未見の絵巻『稲亭物怪録』があると聞き、ぜひとも見物したくなった。

 

・最後の場面、妖怪大将が退散する光景では、無数の妖怪どもがツバメのように長い尾を引きながら宙を飛んでいる。今まで見た平太郎の妖怪絵巻のうちでは最も詳しく、他の絵巻では図示されなかったシーンが続出する。

 

・さあ、エラいことになった。絵巻のタイトルも『稲亭物怪録』とあり、これまで使われてきた題、『稲生物怪録』とも異なる。他にただ一冊、同じタイトルの写本が慶應大学に所蔵されているが、ここに挿入されていた絵とよく一致する絵巻だ。つまり、これは別系統を構成する作品群の一つなのである。稲生平太郎の妖怪話は、江戸時代から、平田篤胤泉鏡花折口信夫など多くの人々を魅了してきた。いまだに実話だったのかフィクションだったのか、全貌が明らかにされていない。この新発掘の絵巻が新たな手掛かりとなり、世にも珍しい妖怪実見記の真相が解明されることを祈る。

 

 

 

『図説 奇形全書』

マルタン・モネスティエ  原書房 1999/9

 

 

 

<奇妙な人あれこれ>

<しっぽのある人>

・1910年に旅行家のW・スローンは、ニューギニアの奥地で、四肢に加えてしっぽのある部族を発見した。公式発表によると、それはしっぽ状の突起物で、ヒヒのしっぽと同じくらいの長さがあった。

 

・しかし、新たな報告が三つなされている。その内容はこれまでに述べたものとほとんど変わらなかったが、この報告をきっかけに、ヨーロッパ各地でしっぽのある人間の問題が再び取り上げられるようになった。一つ目は、フィリピンのルソン島に住むブトク族について、フォルバン医師が1926年に収集した観察に関するものである。この部族の者は、著者が撮影した多くの写真が示すように、たびたび長いしっぽを備えていた。二つ目の報告は、1928年にさかのぼり、最もよく引用されているものである。インドシナに派遣されたネデレック博士が、両親とともにサイゴンの監獄に入れられていた、12センチのしっぽを持つ、8歳の中国人の子供を見つけたのである。ネデレックによって撮影された子供の写真は、世界中に配信され、大きな反響を巻き起こした。

 

・しっぽのある人間に関する論争に火をつけた三つ目の情報は、サン・ペロドのヴェラスケス博士が発表したものである。それは次のような文章で始まっていた。「ホンジェラスのトルヒーヨ市の近くで海水浴をしていたとき、カリブ族の中年の女性が海岸にやってきた。彼女が無造作にすべての衣服を脱ぐと、長さ16センチのしっぽがついているのが見えた。その先端は、すでに短く切ってあるようだった」。

 これらの話をもとに繰り広げられた多数の論争を得て、今日でもなお通用している科学的な理論が導き出された。すなわち、しっぽのある人間という特別な種族は存在しないということである。それはただ、どんな種族であれ、同じ家族の中で代々伝えられる奇形にすぎないのである。

 

・今日、この種の奇形に出会うことはまれだが、それは自然がこのような奇形を作り出すことが少なくなったからでなく、当然ながら幼いころにそれが見つかることが多く、ちょっとした外科手術で取り除くことができるからである。

 とはいえ、今日でもなお、いくつかの国の奥地でときどき、しっぽのある大人の人間が見つかっている。数年前、トルコのアンカラにある陸軍病院の医者たちが、トルコ東部から来た21歳の若い徴集兵にしっぽがついているのを発見した。彼は兵役検査にかかるまで、しっぽのあることを隠していた。彼のしっぽは脊椎のほぼ先端に生えており、長さは30センチほどもあった。

 

 

 

『河童・天狗・神かくし』

松谷みよ子)(立風書房)1985/7

 

 

 

<山の神などによる神隠し>

・ある時、この部落の小さい女の子がふっとかき消すようにいなくなった。部落総出で探してみても、いっこうに手がかりはない。幾日かたって、また、ふっと現われた。その現われ方がまた不思議なことだった。この部落のはずれの薬師堂の梁の上に、その女の子はちょこんと坐っていたんだ。村の衆は、あれは薬師様にさらわれたんじゃっていった。  (長野県)

 

岩手県和賀郡がはんらん。和賀町横川目。私が15歳の頃(昭和10年前後)の事件である。大雨で村の中央を流れている尻平が氾濫した。その日、私の部落の幼児(5、6歳)が見えなくなったという騒ぎが出た。消防団も出たりして、部落総出で探しまわったが、夜中になっても見つけることができなかった。きっと川に落ちて流されたに違いないというので、川下を探しまわった。ところが、朝になってその幼児が川向うの山の中で無事で発見された。これはどう考えても不思議なことでした。その川には、丸木橋一本かかっているだけで、当日の大雨の氾濫で大人でも渡ることができない状態でした。

 

・長野県上伊那郡。浦の新三郎猟師といえば、山の神様となれ親しんだ逸話の持ち主として知られています。明治の初年のこと、新三郎は金子勢五郎猟師と連れだって仙丈岳へ猟に出かけましたが、二人は途中の小屋で単独行動をとることにきめ、別れ別れになりました。それから1週間、新三郎猟師は、杳として消息を絶ってしまいました。村人に依頼して山中を捜索してもらいましたところ、勢五郎と別れた小屋に戻っているところを発見されました。新三郎の話では、小屋を出てしばらく行くと、立派な婦人が現われて手招きするのに出会いました。誘われるままについて行くと、苺などの実る場所へ連れて行かれ、たらふくごちそうになりました。

こんなわけで、山にいる間は、ついぞ空腹を感じなかったという話でした。村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした観方のあることはおもしろいことです。

 

出典:松山義雄著『山国の神と人』(未来社

 

和歌山県西むろ郡上三栖。紀州西むろ郡上三栖の米作という人は、神に隠されて二昼夜してから還って来たが、其間に神に連れられ空中を飛行し、諸処の山谷を経廻って居たと語った。食物はどうしたかと問うと、握り飯や餅菓子などたべた。まだ袂に残っていると謂うので、出させて見るに皆紫の葉であった。今から90年ほど前の事である。又同じ郡岩田の万蔵という者も、三日目に宮の山の笹原の中で寝て居るのを発見したが、甚だしく酒臭かった。神に連れられて、摂津の西ノ宮に行き、盆の13日の晩、多勢の集まって、酒を飲む席にまじって飲んだと謂った。是は六十何年前のことで、共に宇井可道翁の璞屋随筆の中に載せられてあるという。

 

・昭和二十年頃の話。私の家の近くの男の子(小六年)が昼間、にわとりをいじめたから神かくしにあって大騒ぎとなりました。井戸のそばにしゃがんでいたそうなのに、家人にはその姿が見えず、子供には家人の姿が見えるけど声が出なかったそうです。二昼夜、その状態だったそうですから神かくしに違いないと、父母が言っていました。(青森県

 

 

 

遠野物語事典』

(石井正巳) (岩田書院)2003/7

 

 

 

<山の神>

・背丈は「丈高き」「背高く」。顔色は、「顔は非常に赤く」「顔は赤く」「顔はすてきに赤く」「面朱のような」とある。眼の光は、「眼は輝き」「眼の光かがやける」背が高く、顔が赤く、眼が輝くという点でパターン化している。

 

「山男」

・遠野郷の民家の子女にさらわれる者が多く、特に女に多いという。「女は、恐ろしい人にさらわれたが、その人は、背が高く、眼の色は凄く。生んだ子供を持ち去ってしまうものの、仲間と連れ立って食物を持って来てくれるという」。「山里で髪の長い美しい女を撃つ」証拠として、黒髪を持ってきたが途中で眠くなり、背丈の高い男が取り返して立ち去ったと見ると眼が覚める。その男は山男だろうという。

 

「山女」

・「山女は、ぼろぼろの着物を着ているが、色白で長身、長い黒髪を持ち、あでやかである。幼児のいる母親でもある。飛ぶように走ったり、記憶をなくさせたりする特異な力を持つが、銃弾には倒れる。人恋しいかのように里人の前に現れるが、その特異な力や叫び声、大きな笑い声のため、里人にとっては、非常に恐ろしく、恐怖で病死する者もいる。

山女が現れる場所は、遠野地方の東にある六角牛山。白望(白見)山などの山中である。六角牛山は、女神が住んだと信じられた遠野三山の一つである。

 

 

 

『全国妖怪事典』

千葉幹夫 編集     講談社  2014/12/11

 

 

 

青森県

・(アカテコ) 道の怪。八戸町。小学校前のサイカチの古木から赤い小児の手のようなものが下がった。この木の下に17、8歳の美しい娘が振り袖姿で立つことがあり、この娘を見た者は熱病にかかるという。

 

・(カッパ) 水の怪。河童。五所川原では、人の命を取るというので八幡社に祀っている。藤崎では、河童には踵がないのでそれを粘土で補って子供を誘う。だから薄闇で見知らぬ人に声をかけられたら踵をたしかめよといましめる。

 

・(カワオンナ) 道の怪。河女。土堤に現れ、美女となって男に話しかける。ほかの人にはこの河女は見えない。

 

・(カワタロウ) 水の怪。河童。岩木川で腕を切られた河太郎は、5歳ばかりの童子で、髪をおどろに被っていた。腕は4、5歳の小児のようで、指は4本、根元に水掻きを持ち、爪は鋭く、肌は銭苔のような斑紋があり、色は淡青く黒みを帯びていた。

 

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。旧家にいる一種の精霊。ザシキボッコ、クラワラシ、クラボッコ、コメツキワラシ、ウスツキコ、ホソデ、ナガテなどともよばれる。赤顔、垂髪の小童で旧家の奥座敷などにいる。これがいる家は繁盛するが、いなくなると衰亡する。ザシキワラシのいる家の座敷に寝ると枕返しをされたり押さえつけられたりするが、人を害することはない。野辺地町の富者の家運が傾きかけたある夜、ザシキワラシが奥座敷で帳面を調べていたという。

 

・(ニンギョ) 海の怪。津軽の海に流れついた。唐紅の鶏冠があり、顔は美女の如く、四足は瑠璃をのべたようで鱗は金色に光り香り深く、声はヒバリ笛のように静かな音だった。

 

・(メドチ) 水の怪。河童のこと。十和田―猿のような顔で身体が黒く、髪をさらっと被った10歳くらいの子供という。女の子に化けて水中に誘う。人間に子を生ませる。紫色の尻を好む、相撲が好きだが腕を下に引くと抜ける。

 

・しかし一旦見込まれると逃れられず、友達や親戚に化けてきて必ず川に連れ込む。生まれつきの運命だという。津軽藩若党町の子が川で溺れた。水を吐かせようと手を尽くすと、腹のうちがグウグウとなり、たちまち肛門から長さ1尺6、7寸で体が平たく頭の大きなものが走り出て四辺をはね回った。打ち殺そうとしたが、川に飛び込まれた。

 

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。南津軽郡井筒村。農夫が羽州田代嶽で会った。丈6尺、肌が非常に白く裸体で、滝壺の傍らに座って長い髪を水中に浸して梳っていた。

 

岩手県

・(アンモ) 家にくる怪。北上山系。姿を見た者はいないが、正月15日の月夜の晩に太平洋から飛んでくる。

 

・(オクナイサマ) 家にいる怪。上閉伊郡土淵村。14、5歳の子供姿で、近所が火事のとき火を消してまわったという。

 

・(カッパ) 水の怪。河童。真っ赤な顔で、足跡は猿に似ており、長さ3寸、親指が離れている。松崎村で二代にわたり河童の子を産んだ家があり、子は醜怪な形だった。栗橋村橋野の大家には駒引きに失敗した河童の詫び証文がある。岩手県紫波郡煙山村赤林でも河童の子を産んだ女がいた。女は産屋に誰も入れなかったが、中からクシャクシャと小声の話が聞こえたという。

 

宮古に伝わる証文は筆でぬりたくってあるだけで、とても文字のように見えない。栗橋村栗林には、駒引きに失敗した河童が左の腕を噛み切って指で書いた詫び証文がある。この河童は、川から上がって許された家に入りザシキワラシになった。主家思いであったという。詫び証文は釜石にもある。下閉伊郡田野畑村の証文には「又千、又千」とあった。

 

 紫尻を好むという。上閉伊郡宮守村では、駒引きに失敗した河童が喉のはれをひかせる薬の調合を教えた。上閉伊郡大槌村赤浜でも河童はザシキワラシであるように信じている。嬰児のようで赤く、ジイジイジイと鳴く。相撲を好み、子供と相撲をとった。陸前高田市横田では河童は直接骨接ぎをするといい伝える。

 

・(カブキレワラシ) 木の怪。土淵村。マダの木に住み、時に童形になって座敷に忍び込み、家の娘に悪戯をする。また胡桃の木の三又で遊ぶ赤い顔がこれだという。

 

・(カワタロウ) 水の怪。川太郎。下太田村。日ごろ子供と遊んでいた。親には決して語るなと戒めていたが、ある子が禁をやぶり、村の若者が鎌を持ってさんざんに追い回した。翌朝、川太郎は子供らに、もう一度非道をすれば北上川はじめ処々の川から、仲間を数百集めて報復するといった。一説にはこの家の姫に夜な夜な通ったともいう。

 

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。座敷童子。童女だともいう。上閉伊郡――布団を渡り、頭にまたがる。釜石・遠野――笛太鼓で囃しながら来る。枕返しをする。赤い友禅を着た17、9歳の娘であるという。土淵村――赤い頭巾を被った赤顔で、足音は3、4歳くらいの子供のもの。土淵村栃内――神檀の前に掛けてあった鐘を家人の留守中ガンガン叩いた。土淵村田尻――夜半、懐に入ってくすぐり、たまらず起きて襟を合わせると、今度は袖口から手をいれてくすぐった。土淵村本宿――運動場に見知らぬ子供が一人おり、体操の時などどうしても一つ余計な番号が出た。尋常小学校1年生にしか見えなかった。

 

・江刺村――ザシキワラシのなかでも最も色白く綺麗なものをチョウピラコという。附馬牛村――土蔵の中で終夜、喧嘩でもしているような荒びた音がして、翌朝、極めて美しい一人の子供が死んでいた。3、4歳くらいで顔が透き通るように白かった。隣家のザシキワラシと喧嘩して殺されたとか、ザシキワラシの夫婦の喧嘩だとかいった。

 

・(カラコワラシ) 家にいる怪。夜の子の刻になると、座敷の床の間から黒い半衣物を着て現れ、杓を持って水をくだされといった。ザシキワラシの一種。

 

・(サルノフッタチ) 動物の怪。猿の経立。人によく似る。女色を好み里の婦人を盗み去ることが多い。

 

・(ショウジョウ) 動物の怪。猩々。人面獣身で人語を解し酒色を愛すという。

 

・(チョーメンコ) 山の怪。和賀川がつくる深い渓谷に住む。姿形は不明だが、夕暮れ時、遊びほうけているワラシたちがいると必ず出てくる。

 

・(テング) 山の怪。天狗。早池峯山。木の実ばかり食っていたが、穀物を食いたくなったといって、遠野の万吉という湯治場で会った男を尋ねてきた。一日に一羽、鳥を捕えて焼いて食ったという。

 

・(ノリコシ) 道の怪。遠野地方。影法師のようなもので、最初は小さい坊主頭で現れるが、はっきりしないのでよく見ようとすると、そのたびにメキメキと大きくなる。

 

・(マヨイガ) 山の怪。迷い家。遠野地方で山の中にあるという不思議な家。この家に行き当たった人は必ず家の中の什器、家畜などなんでも持ってこなければいけない。それはその人に授けるために、その家を見せたのだからという。

 

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。栃内村和野の猟師が、背が高く髪がそれよりも長い女を鉄砲で撃った。のちの証拠にと髪を切り取って下山したが、途中ひどい眠気に襲われた。夢うつつに丈の高い男が現れて懐中からその髪を取り去った。

 

沖縄県

・(アカガンター) 家にいる怪。赤い髪で赤ん坊のようなもの。古い家の広間に出て、枕返しをし、押さえつける。

 

・(アカマター) 動物の怪。斑蛇。中頭郡西原村我謝、名護町、那覇泉崎、羽地村田井等、多くの所で聞く。美青年に化けて女を誘惑し、命を取ったり多数の子を一度に生ませたりした。アカマターは尾で文字を書くが、この字は人を惑わすという。羽地村仲尾次では蛇婿に類似した話を伝える。

 

・(アカングワーマジムン) 赤ん坊の死霊。四つん這いになって人の股間をくぐろうとする。これに股間を潜られた人はマブイ(魂)を取られて死んでしまう。

 

・(アフイラーマジムン) 動物の怪。家鴨の変化。ある農夫が野中、道でしきりに股をくぐろうとすると怪しい家鴨にあった。くぐられては大変だと石をぶつけるとたくさんのジンジン(蛍)になって農夫の周りを飛び回ったが、鶏の声とともに消え去った。

 

・(イネンビ) 火の怪。遺念火。沖縄では亡霊を遺念といい、遺念火の話は多い。たいていは定まった土地に結びつき、そう遠くへは飛んでいかない。

 

・(ウシマジムン) 動物の怪。牛の変化。真っ黒い牛のように大きいマジムンで、牛が往々連れ立って出る。

 

・(ウヮーグヮーマジムン) 動物の怪。豚の変化。豚の形をして現れ、しきりに人の股をくぐろうとする。くぐられるとマブイ(魂)を取られて死ぬ。

 

・(カイギョ) 動物の怪。怪魚。美里間切古謝村。塩焚きが、海に浮かんだ一尾の魚を捕らえて帰ると、笊の中から「一波寄せるか、二波寄せるか、三波寄せるか」と微かな声がした。

 

・(カムロ) 道の怪。那覇と与那原の間にある一日橋。よく踊りの音がする。近づいて引きこまれることがある。これは「マ」の仕業という。

 

・(カワカムロウ) 水の怪。以前はよく池などで人を引き入れた。

 

・(キジムン) 木に宿る怪。水の怪。古木を住処としている。ガジュマル、アコウなどの木が歳経るとキジムンになるという。海の魚を捕るのが上手だが、左または左右の目のみ抜き取って食うだけだから、これと親しくなると魚運に恵まれる。屁がなによりも嫌いという。セーマ、

 

セーマグ、ブナガイ、ブナガー、ミチバタ、ハンダンミーなどともいう。各地とも形はほぼ一定で、髪が長く身体は全部毛で被われている。ところによっては赤ん坊の大きさで、毛髪は赤いともいい、また底辺大きな真っ黒いモノで睾丸が大きいともいう。蛸が嫌いで、古木から生じるから古木の股に釘を打ち込めばよいという。水面を駆けることが巧みで、人を連れたままでも水面に立てるという。よく火を出す。旧暦の8月10日は妖怪日といい、この日にキジムナー火を見ようという人が多い。キジムンの火は色が違う。時々海上を渡ってくる。とても速い。側に来ても声をかえない。かけると霊魂(マブイ)を取られる。

 

・山で出会い、谷川の石を動かしているのを見ると、怒ってマブイを取る。国頭村の山小屋に来た。追い払うと悪さをするので、生竹をそっとくべて、爆ぜる音を聞かせると驚いて逃げた。キジムンのいる家は富み、よそへ越すと衰える。枕返しに遭った、寝ていて押さえつけられたという話は多い。大宜見村ではブナガヤアという。ぶながるは髪をふり乱す意味で、腋あたりまで垂らした様をいう。人語を聞きわけられる。怪力で、これを利用して成り上がった者がいる。のち、離れようと蛸(ぢやさめ=手八つ)を柱に掛けておいたら、二度とこなかった。木のうろにいる。うっかりとその木を伐ると、酷い目に遭わされる。つきまとって、いつまでも悪さをする。髪は総角で、山で人間の炊いた火に当たりに来る。追い払うには青竹を燃やして爆音を出すに限る。本土の火取魔のように提灯の火を取って逃げる。これを防ぐには出かける前に提灯を跨いでおけばよい。夜にうなされるのはキジムナーが戸の隙穴から入って押さえるためである。これを防ぐにはススキのサン(輪結び)を胸に載せておくとよい。

 

・羽地村源地の老婆が、川端の老木の上で、枝を枕に睾丸の大きな子供が寝ているのを見た。老婆が竹竿で睾丸をつつくと子供は飛び上がってどこかへ消えた。老婆はその夜、床につくやいなや先の子供に襲われて身動きできず、終夜苦しめられた。大宜味村喜如嘉の某家に毎年旧暦の8月8日に来て、豚小屋の豚を綱で縊り、火で所構わず焼いたという。屋敷にあるヒンギの老大木にキジムナーが住み、その家の翁と親しくなって、魚取りに誘って翁を裕福にしていたが、毎晩なので翁のほうがつらくなって木に火をつけると、キジムナーは他家に移り、その家は潰れた。同じようにキジムナーと関係を絶とうとして嫌いなものを聞き出し、門口に蛸を吊るし、蓑を着て鶏の真似をして追い出したが、3日後に死んだ翁の話なども伝えている。

 

・(キーヌシー) 木の精。大木に宿る。キジムナー(キジムン)と違い、木から飛び出すことはない。

 

・(ギルマナア) 家に来る怪。体が赤く身長1尺くらい。木の腐ったうろの下におり、夜になると人を押さえに来る。

 

・(ザン) 動物の怪。人魚。夜遅く波をわたって海の上から美しい女の声が聞こえてきた。翌日、この声の主を確かめようと3人の若者が船を出した。網にかかったのは半人半魚の生き物。

 

・(シイノキノセイ) 木の変化。椎の木の精。椎の木は必ずスジヤ(人間)を守ってくれるという。大宜味村喜如嘉で椎の実を拾いに山へ入り、道に迷った少女が夜中に、緑の衣装を着て踊る大勢のものに会った。このとき大きな猪に襲われたが、白い髭をはやした翁に抱き上げられて救われた。翌朝、目が覚めると椎の木の大木の下におり、実が枝もたわわに実っていた。

 

・(シチ) 山の怪。真っ黒で山路を歩くと立ち塞がって人の邪魔をする。

 

・(ジュリワーマジムン) ズリ(遊女)の化け物。沖縄各地で最も有名な化け物の一つ。

 

・(タチッシュ) 山の怪。山原地方。夕方、山から杖をついて下りてきて、子供をさらっていく。非常に力が強くて、村の若者でもこれと相撲をとって勝てる者はいない。

 

・(タマガイ) 火の怪。子供が生まれるときはタマガイといって、火の玉が上がるという。

 

・(チーウノヤ) 童墓(ワラビバカ)にいる霊怪。極めて優しい顔の女で、黒髪を長く洗髪したように垂らし、乳が特別に大きいものという。

 

・(ツボノマジムン) 器物の怪。壺の変化。山羊に化けて、通る人を悩ませ、数えきれないほど人の命を取った。

 

・(トウィマジムン) 動物の怪。鳥の変化。鶏のマジムン。家畜のマジムンの現れ方は人の前をさっと横切るのだという。

 

・(トジマチャービー) 火の怪。最初に一つ、提灯大の火玉が現れ、他方からもう一つの火玉が来て二つに合わさってユラユラと立ち上がって消え、また現れる。

 

・(ナカニシ) 人の姓。仲西。晩方、那覇と泊の間にある塩田温泉の塩田温泉の潮渡橋付近で「仲西ヘーイ」と呼ぶと出てくる。

 

・(ナビケーマジムン)器物の怪。鍋笥(杓子)の変化。為すところはミシゲーマジムンに似る。

 

・(ネコノカイ) 動物の怪。猫の怪。猫はマジムンにはならないが、13年経つと化けて人を害するという。

 

・(ハーメーマジムン) 老婆の怪をいう。

 

・(ヒチマジブン) 海の怪。国頭地方でいう。単にヒチともいい、夜道に筵を持っていくとヒチに連れられる、夜、櫛を挿していくとヒチに惑わされるなどといった。

 

・(ヒツギノマジムン) 器物の怪。棺の変化。今帰仁村で美しい女に化けて青年を誘惑した。

 

・(フイーダマ) 火の怪。火玉。鬼火、人魂の類。

 

・(ブナガ) 木に宿る怪。本島で木に宿る怪をいう。国頭地方でいうキジムンと似たモノ。

 

・(マー) 形は漠然としているが、牛の鳴き声をするという怪。

 

・(マジムン) 魔の物。ユーリーは背が高く顔だけが真っ赤で、木にぶらさがっていて、足のないのを見た人がいる。また、歩くのに足音も足跡もないという人もいる。

 

・(マズムヌ) 宮古島でいう化け物。人の死霊もあれば動物の怪もある。

 

・(ミシゲーマジムン) 器物の怪。古い食器が化けたもの。

 

・(ミミチリボージ) 耳切坊主。大村御殿に誅された琉球伝説中の怪僧、黒金座主の化けたものと伝える。

 

・(ムヌ) 形は漠然としている。妖怪をヤナムヌ(嫌なもの)ともいう。

 

・(モノマヨイ) 物迷い。夕方に子供をさらっていく怪。

 

・(ヤギノマジムン)  動物の怪。山羊の変化。

 

・(ユナバルヤージー) 男性の怪物という。

 

・(ユナーメー) 髪の毛のぼうぼう生えた妖怪。

 

・(ワーウー) 面相の恐ろしい怪。

 

<石川県>

・(アオオニ) 家の怪。青鬼。金沢。加賀中納言死去のとき、加賀越中能登の武士が残らず詰めかけている広間を、夕方、背丈二丈ばかりの青鬼が奥から出て玄関の門を出ていった。三国の武士はあっとばかり見送るだけであったという。

 

・(イマノヒト) 山の怪。能登島で天狗をいう。オオシトとも。今のは「例の」の意。

 

・(オシロイババ)道の怪。白粉婆。能登。雪の夜に酒を買いにいく。

 

・(ガメ)水の怪。河童のこと。能美郡中海村遊泉寺――ある老人が堰淵のそばで立っていると水中から出て、この中に入ってごらん、いい気持ちだからと誘った。断るとガメも諦めて淵の中に飛びこんだ。

 

・(マクラガエシ) 家にいる怪。枕返し。ある家の座敷に寝ると、隣室に引き出されてしまうという。