『政治家は楽な商売じゃない』
・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。
・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。
・また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ。
<勝栄流、ドブ板選挙>
・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。
・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。
<日々是選挙なり>
・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。
・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。
<ドブ板選挙は体力が勝負>
・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。
・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。
・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。
・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。
<国会議員の本分>
・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。
<個人の後援会>
・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。
・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。
<政治家とカネ>
・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。
・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。
・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。
・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。
<拉致は防げた>
・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。
・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。
<拉致問題は時間との戦い>
・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。
・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。
・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。
・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。
<日朝交渉の行詰まり>
・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。
・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。
平沢 勝栄 PHP 2004/10/6
<拉致問題は防ぐことができた>
・日本と言う国がまともな普通の国家であれば、拉致問題は間違いなく防ぐことができた。被害者を救出することもできた。
・衆院の予算委員会で「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と、当時の梶山静六国家公安委員長が答弁したのが、1988年だ。しかし、その後も救出のために何ら動くこともなく、今日まで被害者を苦しめてきた。そして今もなお苦しめている。
・繰り返すが、拉致は防ぐことができた。救出することもできた。にもかかわらず、日本は国家として何もしていなかったのである。
・そして、北朝鮮の工作船を日本は見つけている。北朝鮮の不審な船が日本海を徘徊しているのを日本の当局は、何回となく見つけているのだ。一番初めに北朝鮮の不審船を見つけたのは海上保安庁の記録では1963年となっている。
・それまで海上保安庁が発表しているだけでも、1963年からあの銃撃戦までの間、日本海で21回も北朝鮮の不審船を見つけている。そして、2001年の銃撃戦まではいずれも「追跡するも逃走」とある。拉致の中で日本国内で拉致された事件は1972年から1983年の間に集中している。横田めぐみさんが拉致されたのも1977年である。つまり、横田めぐみさんが拉致されるはるか前の1963年に日本海で北朝鮮の不審船を見つけ、以来何度となく、追跡しているのだ。
・逃げる相手を拱手傍観して取り逃がすバカな国が世界のどこにあるのか。これを日本は戦後ずっと続けてきたのである。21件と言うのは、あくまで海上保安庁が確認した数字であって実際にはこの数倍、出没していたことは間違いない。
・もし日本が2001年の12月の銃撃戦までの40年近くの間、ただ手をこまねいているだけでなく、厳しい実力行使の対応をとっていれば、拉致事件と言うのは起こらなかったのかもしれない。
・北朝鮮の工作員からすれば、日本は出入り自由でどんなにドジな工作員でも捕まることはないが、逆に韓国に出入りするのは命懸けだということだろう。
・日本はそこまで見くびられていたのだ。日本は戦後、本当の意味で国家と言えたのだろうか。
・中東にレバノンという人口3百万人の国がある。あの国も北朝鮮に自国民4人を拉致された。
・レバノンで若い女性4人が北朝鮮工作員によって拉致されたのは1978年8月、横田めぐみさんが拉致された翌年のことだ。
・レバノンは、ただちに関係者に救出を働きかけた結果、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の副議長が金日成に直談判した。
・1979年11月に残りの2人の救出に成功した。
・こうしてみると中東の人口3百万人のレバノンの方が、国家としては日本よりもよっぽどまともと言えるのではないかと思う。
・日本の政治家やマスコミ人、そして、日教組などのなかに北朝鮮を礼賛している人たちがたくさんいたし、日本社会の中で北朝鮮批判はタブーになっていたんです。そして、北朝鮮を盲目的に礼賛していた政治家の責任は大きいですね。
『日本よい国構想』 豊かで、楽しく、力強い日本を!
山田宏 WAC 2010/4/28
<「公正な市場」こそが自由の礎>
・「自由な社会」であるためには「選べる自由(競争)」も重要です。複雑化した現代社会では、社会の善し悪しの判断は公正な市場が行うしかありません。「選べる自由」があるからこそ、それに応えるべく「よいものをつくろう」という競争が生まれ、その結果、商品やサービスの質が上がり、社会全体が豊かになり、イノベーションも活発になり、それぞれに私有財産が蓄積されていきます。
・お客が「選べる」こと、まずそのことが大切なのです。料理の味の善し悪しを決めるのは「客」であって、「シェフ」や「賞」ではありません。
・この逆のあり方は、計画経済だった、かっての社会主義国でしょう。簡単に言えば、物やサービスの善し悪しを「役人」が決める社会です。
・物やサービスの善し悪しを「役人」が決めるのは、社会主義国だけの話ではありません。私たちの社会でも「市場原理主義が格差社会を生む」などという論理で、「役人」による規制が強められることは、往々にして見られることです。これは十分に注意が必要です。
・「市場原理主義」などのレッテル貼りで「市場」のもつ重要な価値を全否定してはなりません。
・批判の矛先は「儲ければ全て善」だとうそぶいて社会への尊敬と感謝を忘れた拝金主義者たちに対して厳しく向けられるべきであって、「市場」そのものを否定するのは間違いです。
・「公正な市場」こそが、お金持ちも貧しい人も、全ての人々を平等に扱う唯一の仕組みであり、なおかつ社会の腐敗を抑止する浄化装置でもあることを忘れてはなりません。私たちの知恵と努力は「いかに規制するか」ではなく、「いかに『公正な市場』をつくりだすか」「そして、それを私たち自身の力で密かに維持していくとか」ということに向けられるべきです。
・さらにいうならば、国が高い税金を課して国民の知恵と汗で得た財産を集めることも、決して是としてはいけません。なぜなら、「自分のお金は大事にして使い、人のお金は無駄に使われる」のが、残念ながら人の世の常であり、そして、「人のお金」の最もたるものが、税金だからです。
・税金をなるべく安くし、財産をなるべく稼いだ人の手元に多く残すようにして、その人の自由は選択によって使われるようにしたほうが、じつは同じお金が社会により有効に使われるのです。減税こそ、社会にとって善であり、減税こそ最大の規制緩和でもあります。
<「道州制」で新しい国のかたちをー「創意と責任」住みやすい国に>
・これまで中央政府で決めて実行してきた仕事をできるかぎり地方に委ねることが大切になります。そして、中央政府には国として一体的に進めなければならない仕事、たとえば、外交、防衛、司法、国家としての教育政策、通貨政策などを指し、その他たとえば、農林水産、国土交通、経済産業といった省庁の仕事は、基本的にすべて地方の仕事とするのです。
・その受け皿となる地方の単位は、やはりいまの都道府県では狭く、都道府県をブロック単位でまとめて「道州制」にすべきでしょう。このような道州制は、外交権などはありませんが、いわば「一国のように」経営されていく必要があります。最も重要な権限の移譲は、国の徴税権の移譲です。自らの責任で税を定めていけることこそが、道州制の独立経営の最大の基礎です。
<ホームページから、ビジョン「山田宏が目指す日本」>
<小さな政府をつくる>
・貧しい時代は少ない富を集めて地方に分配する中央集権的な国家運営が有効な場合が多い。ところが国が豊かになると、中央政府をできるだけ小さくして地方分権を進めた道州制による統治機構が力を発揮する。
『七人の政治家の七つの大罪』
<七人の政治家の七つの大罪とは>
第三の大罪 安倍晋三の「お友達内閣」
第四の大罪 福田康夫の「無気力」
第五の大罪 小沢一郎の「変節」
第六の大罪 麻生太郎の「パフォーマンス」
第七の大罪 平沼赳夫の「無力」
・連続9回の当選は、私の信念と生き方に共鳴していただいた有権者の皆様のおかげとしか言いようがない。
1、人間性を重んじ、調和のある人間社会の実現をはかる
1、自由を守り、平和で豊かな社会環境の実現をはかる
1、我が国の伝統文化を守り、自主憲法の制定を期す
1、政治屋でない、真の政治家として邁進します
<落選議員の苦しみ>
・私が落選した議員の復党を第一に話したのは、彼らの苦しみが手に取るように分かるからだ。というのも私は、初当選までに二度の落選を味わっている。
・供託金没収という惨めな敗北である。お金も地盤もなく、生活は苦しかった。家内は岡山市内に借りたアパートの電気料金を気にして、部屋の電気をこまめに消すために部屋を歩きまわるなどして節約に励んでいたものだ。選挙運動にはお金が必要だが、選挙運動をやっていては稼ぐことができない。その悪循環だった。電話が止められたこともある。
・今は亡き中川一郎先生にも大いに助けてもらった。
・そして筆頭秘書だった鈴木宗男氏を呼び、「今日から平沼君を秘書扱いにする」と言って、私の政治団体の口座に毎月20万円を振り込んでくれることになったのだ。当選するまで一度も欠けることなく、振り込まれたこのお金が当時の私にとっては大事な収入であり、正直なことを言えば、毎月20日の振り込み日が待ち遠しかった。それほど、生活が困窮していたのだ。
・そういった経験があるから、復党問題に際して私が第一に考えたのが、落選議員たちの扱いだった。
<食料自給率アップで雇用問題解決>
・平成ニューディール政策では、二つの形で農業を推進させていく。一つは、品質の高い、ワン&オンリーの農産品を作ることである。
・もう一つの農業推進策は減反政策や農家の高齢化で使われなくなった田畑で大規模かつ生産効率のいい農業を行うことである。いうまでもなく、日本は技術の国だ。今や「野菜工場」が現実のものとなり、ビルの中で2毛作どころか「24毛作」まで可能になっているという。
・ワン&オンリーの高級農産物と生産効率のいい大規模農業、この2本立てで日本の食料自給率は必ず上がる。同時に農業に従事する人が増えれば、雇用の 問題も解決に近づくことになるのだ。
<有償ボランティア、パート公務員の拡充>
・日本に夢と希望を抱かせ、低力を引き出すーそれが政治家の最大の使命だ。
『ある凡人の告白』 軌跡と証言
塩川正十郎 藤原書店 2009/6/30
<21世紀に移行して政治家は、20世紀の力の政治、物質支配の政治から目覚めて、人類の共通の目標は何かを確認し自責を負担すべきときにきた>
・私は、1967年衆議院に初当選した。当時の衆議院選挙は中選挙区制で、日本人の政治訓練によくマッチした制度であったので、いわゆる政治家が多かった。したがって、議員は政治の実績を積み上げることで自己のプレゼンスとし、政治実績に満足する人が多かった。
・最近、小選挙区制に変更されてからは、政治家は、極端にポピュリズム(大衆迎合主義)化し、国家民族の公共性を中心した政治活動よりも当選を先行するサラリーマン化し政治屋になってきた。能臣も姦雄も存在しなくなった。
<福田派に入り政治家修業>
・寛大な雰囲気があった岸先生とはだいぶ違う。でも福田先生は、非常に面倒見のよい人でしたね。こんなことがありました。「君はカネどなんしよるんだ。そういう政治家もおるからね」と、後で思うと田中角栄のこと言っているんですよ。それで、「岩清水のように湧きでてくる水を使え。後援会を作ってカネ出してもらって、それを政治資金に使え」と教えてくれたんです。
・岸先生、福田先生の尽力もあって、大阪の経済界を中心に政治資金を集める後援会ができあがったおかげで、カネがらみのスキャンダルはなかったし、政治資金パーティーを開いたことがないんです。
<野党で知った官僚の本質>
・勉強になったこともあったね。官僚の本質が見えたこと。官僚の持つ冷酷さ、秘密主義、省益第一主義とかが分かった。政権復帰後、橋本行革や小泉改革に取り組んだのも野党時代の経験があったからですよ。
・何より大きかったのは、みんなが「これは絶対に与党に戻らなきゃダメだ」と思ったことじゃないかな。
・実は、家内は政治家になるのに反対だった。30年前の衆院選初出馬を決める際には、離婚騒動にまでなったんです。
・僕は重複立候補せず、小選挙区単位で立候補したんです。ところが、皆、「塩川は大丈夫やろう」と手を抜きよった。総務会長の僕は全国遊説で選挙区に帰ってなかった。そこにすき間ができたんですね。まさかの落選です。その当時75歳。もう年とっているし、これで政治やめようかと思ったんです。
<民主政治は形だけのものか>
・国民の意識には依然として「官に従順すれば得である」とか、「官に反抗し、あるいは非難をすれば、仕返しが来て損をする。したがって、お役人に任せればよい」と観念しているところがある。いわゆる官尊民卑の政治風土が根付いているんですね。それが実体となって官僚国家が形成され民主主義の先進国と比べて、高度な官僚主義国家になってしまっているのです。
<政策も地方行政も中央官僚の絵に誘導される>
・優秀な官僚が行政を処理することは望ましいことであり、私もこれに賛意を表しているのだが、現実には政治の動機が官僚的発想だから法律的、合理的判断が先行する規則国家になってしまっている。
・したがって、地方自治体は自治とはいえ完全な中央省庁の下受け機関に過ぎません。独創性を発揮することも不可能だし地方の個性を実現した業務を行うことも困難になっています。
<官尊民卑の悪弊で改革しなければならないこと>
・我が国の現況はいわゆる先進民主主義国の中では珍しいほどの官僚主義国家であります。官僚中心の政治では世間の空気が閉塞状態になる。経済や社会から活気が喪失されてしまいます。
<国家経営担当官と事務官を分離する>
・民間資金やPFI方式の活用など「民」主導の対策で不況脱却を
・労働分配率の見直しを
『民主の敵』 政権交代に大義あり
野田佳彦 新潮社 2009/7/20
<世襲はやはりおかしい>
・国会議員の世襲を禁止するという話が出ると、憲法で保障された職業選択の自由に反するという反論が必ず出ます。確かに建前としてはそうかもしれません。しかし、現実にはアンフェア、圧倒的な機会の不平等をもっているのです。
・実際問題、地盤と看板さえあれば、一番作るのが、簡単なのが、カバンです。自分を支えてくれる支援者の強固な組織、選挙区の誰もが、顔と名前がわかるほどの知名度、この二つは一朝一夕には作れません。
・現在、衆議院議員480人のうち、世襲は約3割。自民党だけに限れば4割以上です。
・しかも、二世どころか、三世、四世の時代になっています。小泉さんの息子さんは四世です。これはもう家業です。歌舞伎役者ではないのです。
・ごくまれに父親以上にすごい息子が生まれることはあるでしょうから、二世ぐらいはしかたがないかな、とは思います。しかし、三世、四世ともなると私は、弊害のほうが大きいと思います。
・最終的に決めるのは一票を投じる有権者の志向によって決まるわけですが、有為の人材が世襲という壁に阻まれることなく国政に参画できる状態を整えておくことこそ、日本の将来を考える政治家のするべき仕事です。
・人材の供給ルートが固定化するというのは、長期的に見たら弊害のほうが大きいはずです。
<新日本創成論>
<師・幸之助さんの願い>
・私の師である松下幸之助さんは、1976年に「新国土創成論」を唱えました。日本の一番のボトルネック、諸悪の根源は、狭い国土だということで、山を削って、その土砂を海に埋めて、国土を広げていくというものです。環境に配慮しながら、基本計画を25年かけて制定し、そのあと200年くらいかけて、実現するという大構想でした。私は、そのバージョンアップをやりたいと思っています。「新日本創成論」です。
・幸之助さんはそういう問題を気にされていました。1976年からずいぶん時間が経ってしまいましたが、私は、新しいフロンティアを探すつもりです。
・狭い国土はある程度仕方がないとして、宇宙と海とハブ化で立体的な発展の方向を考えると日本はもっと魅力ある国になるはずです。
・繰り返しますが、社会主義的な統制経済が失敗だったことは、20世紀に証明されました。21世紀初頭を席巻したマーケット原理主義も、やはり駄目だということがわかってきました。だからこそ、重要なのはその中間、中庸です。政府はなんでも民間まかせにするのではなく、公が求められる部分はきちんと責任を持ってやらなければなりません、
『なぜいま安倍晋三なのか』
山本一太 リヨン社 2006/8/10
<官僚に評判のいい政治家なんて>
・「新しい政治文化」というのは何も政治とカネの関係に限ったことではありません。これまでの政治と官僚の関係を見直す、すなわち、旧来の政官の文化を変えるという視点も重要です。
・その政策判断がもたらした結果については、当然、政治家が最終責任を負います。
ところが、日本ではこれまで政治家と官僚の間に貫かれているはずの原理原則が、実際には「絵に描いた餅」になっていました。官僚を縦横無尽に駆使するはずの政治家が中央省庁の応援団にされ、逆に官僚に使われるという「主客転倒」の姿になっていったのです。
・たとえば、私が、力を注いできた外交、安全保障の分野をとってみても、外交政策決定のプロセスは実質的に外務官僚が独占してきました。これは官僚が悪いというより、政治家の罪だと思います。官僚をコントロールするだけの力量が政治家のサイドになかったということに他ならないからです。
・私は、「官僚に評判のいい政治家」をあまり信用しないようにしています。特に外務省に好かれている政治家は要注意です、それは外務省の世界観や常識の枠にとどまっていることを意味するからです。
<いままでの政治政策決定プロセスはぶっ壊せ>
・官僚主導の政策決定プロセスは、この国で過去50年間にわたって続いてきました。このシステムを変えるというのは、決して容易な作業ではありません。政治を官僚の手から取り返す試みは、党と政府の内部で同時並行的に進められています。党においては個々の政治家が族議員として特定の省庁の省益のために行動する「持ちつ持たれつの構造」を打破すること。
<官僚の「天下り文化」が崩壊しつつある>
・「政治家というものは選挙があるから、短期的なことしか考えられない。長期的なビジョンでものを考えられるのは官僚しかない」
・私は、官僚主導の政策決定と言う構図は変えなければならないと感じていますが、「何でもかんでも官僚叩きをすればよい」という最近の風潮には違和感を感じます。官僚組織のモラルを一気に低下させることは、国益上、得策ではないと考えているからです。
・日本が議員内閣制をとっている限り、大統領制をとる米国のように「議員立法」が法案の主流になることは考えにくい気がします。英国と同様、政府提案の「閣法」が今後とも法案の中心を為すとすれば、立法の過程における官僚の役割は引き続き重要となります。実際に成立した法律が機能するかどうかは、法律学者には判断できないからだ。
さらに付け加えるなら、現段階で官僚組織を代替するようなシンクタンクは育っていません。
・安倍さんが党改革本部長として号令をかけた自民党のシンクタンク構想は極めて重要である。
・私は、マイナーリーグ(参議院)の、大した肩書も持たない「ちび議員」です。が、政治家として自分がやったことに責任を取る覚悟だけは持っています。いつ議員バッジを外してもいいという気持ちで政治活動をやってきました。
<新しい政治文化と古い政治文化の衝突>
・政界でのキャリアが長ければ長いほど、「古い政治活動の慣習」に染まってしまうのはある意味当然かもしれません。その証拠に「政治とカネの問題にメスを入れるべきだ」と主張するベテラン議員には、ただの1人も会ったことがありません。
・理由はいたって簡単です。現在の法律をそのまま厳格に適用すれば、「私の政治活動にグレーゾーンはない。政治資金や選挙活動に関する全てのルールを100%守っている」などと言える国会議員は、ほとんど存在しないからです。少なくとも私が、知る限り、そういう政治家に会ったことはありません。
・私は、父親(故山本富雄参議院議員)の地盤を継いで当選した、いわゆる「世襲議員」です。地盤や看板と言う点では、亡父から貴重な「無形の財産」を受け継ぎました。このことには感謝しています。
しかし、同時に「古い政治文化の尻尾」という負の遺産も引き受けることになったのです。この10年間は、亡父の残した、無形の財産を生かそうと努力しつつ、古い政治文化の尻尾を切り取るための戦いでした。
・「おかしい」と思っていることが、なかなか変えられず、「自分には国会議員の資格があるのだろうか」「このまま政治家を続けていいのだろうか」と真剣に悩んだことも、一度や二度ではありません。
・他の政治家を比較しても何の意味もありませんが、自民党の国会議員の中では「クリーン度」というジャンルで上位5%に入っていると自負しています。