日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

インドでは猿神ハヌマーンが大活躍をしており、勇気と忠誠を象徴する神として広く崇められている。(1)

 

 

『驚きの猿文化』   世界の猿文化紀行

上島亮    三重大学出版会 2008/2

 

 

 

<伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ>

・かつて日本三大港の一つであった伊勢の国の安濃津(現在、津市)の北部に位置する著者の故郷、豊津村(現在、河芸町豊津)は豊かな漁港として栄えていた。夏祭りがくると、平家の落ち武者に因んだザル破りの勇壮な神事が呼び物だった。参道に並び立つ祭旗に「くくり猿」を括り貼り付けた八幡宮の境内では、フンドシを絞めた若い漁師達が大きな竹笊を我先に破って、無病息災や大漁を祈願していた。

 梅雨あけの空にはためく祭旗の周囲には、すげ笠をかぶった猿たちが腰に巻いた五色の腰ひもをヒラヒラと浜風になびかせる。真っ赤な「くくり猿」の乱舞は、この豊津の浜にヒシコ漁の到来を告げる夏の風物詩であった。

 子どもの頃、村祭りで見た「くくり猿」を求めて各地を訪ね歩くうちに、日吉系神社や庚申信仰など、猿が信仰と密接に関わることを知り、猿文化の奥深い魅力に目を開いた。

 その後、「くくり猿」のルーツを探しに孫悟空の生まれた中国に足を運ぶと、中国はまさしく猿文化の宝庫だった。

 

・インドでは猿神ハヌマーンが大活躍をしており、勇気と忠誠を象徴する神として広く崇められている。ガイドのヴァルマ氏に案内され、インドのヒンドゥー教文化を反芻しながら各地の仏教遺跡やヒンドゥー寺院を巡った。インドの乾燥地帯では灼熱の太陽の下で地面から吹き上げて来る地熱の凄まじさを初めて体験した。『ラーマーヤナ』に端を発するハヌマーンは、インドからネパール、ミャンマーカンボジアインドネシア、タイ、ベトナムなど、アジアの多くの国々で猿神として人々に崇められ、舞踏劇、人形劇、影絵などの形で人々の生活の中に広く受け入れられている。

 

・エジプトには多くの動物神の中に猿神トトがいる。アブ・シンベル大神殿の正面上段やツタンカーメン王墓の壁面に描かれた王を守護する猿神トトの群は圧巻である。トト神は死者の心臓を天秤にかけ、天国か地獄かの審判役を司り、また「書記」の補佐役を立派に努めている。カイロの国立考古学博物館にはトト神の石像やトト神のモデルとなったマントヒヒのミイラなど、数多くの猿神の造形物が見られる。

 

・西洋のキリスト教文化の中では、猿は色狂いの淫乱な役割を担っている。絵画、彫刻、舞踏劇などにおける猿は「原罪」の象徴とされており、飼い主のために街角で懸命にオルガンを廻す哀れな「ペニーコレクター」に貶められている。

 

<インド文化圏の猿神>

ハヌマーン

・『ラーマーヤナ』は、ヒンドゥー教にみられる二大叙事詩の一つである。その幕開けは、苦行者ヴァールミーキが聖仙ナーラグに訊ねることから始まる。「さて、いま、この世において、徳のある人はだれなのですか。また勇気のあるのはだれですか。まただれが最もよく正義を知り、信義を守り、嘘をつかず、また掟を堅く尊法しているのですか……」と。

 過去・現在・未来に通暁したその聖仙ナーラダは「君が数えあげたような徳をもつ人々は、まことに得がたい。……まずは聴きたまえ、イクシュヴァーク王の家に生まれたラーマという命名高い人がいる…」と物語は展開する。

 

・当時、神々は鬼神ラーヴァナの悪事にひどく悩まされていた。そこで神々は、このラーヴァナの退治をヴィシュヌ神(シヴァ、ブラフマーと並ぶヒンドゥー教の三大神の一つ)に依頼した。その時、ダシャラタ王の三人の王妃は双子を含む4人の息子を生んだが、この物語の主人公ラーマ王子は、カウサリヤー妃からヴィシュヌの化神として生まれた。その後、ラーマ王子は、シーター王妃と結婚。しかし、ランカー島(スリランカと云われている)に住む悪魔ラーヴァナが、このシーター王妃を略奪。ラーマ王子はそれを奪い返すためにラーヴァナに戦いをしかけ、臣下の猿神ハヌマーンをはじめ猿軍団と悪魔たちとの勇猛果敢な戦いが繰り広げられる。

 

・またヒンドゥー教の三神体の一つを形成するブラフマーは、この世の人々を幸せにみちびくために文武両道に長け、しかも猿の姿をした戦士を生むように、全ての神々に語りかけた。このようにして、ハヌマーンをはじめ猿神達は、ブラフマーの啓示の下に、多くの神々から誕生した。即ち、インドラ神は猿王ヴァーリン、太陽神(スールヤ)はスグ

リーヴァ、ブリハスパティ(祈祷王)はターラ、クベーラ(富の神)はガンダマーダナ、ヴィシュヴァカルマン(工芸の神)はナラ、アグニ(火神)はニーラ、アシュヴィン双神(暁の双生神)はマインダとドゥヴィヴィダ、ヴァルナ(海神)はスシェーナ、パルジャニヤ(雨神)はシャラバ、風の神(ヴァーユ)はハヌマーンをこの世に創造した。そしてこれら猿神達の下には、何千何万という猿の軍隊が組織された。これが『ラーマーヤナ』の勇猛な猿戦士たちの誕生である。

 

ハヌマーンは風神(ヴァーユ)と天女(アンジャニー)の間に生まれた。この猿神の顔は赤く輝き、金色の肌をして、限りなく長い尻尾をつけていた。身体は金剛杖の如く屈強で、金翅鳥のような速さで大空を飛翔することが出来た。しかも、この怪力無双のハヌマーンは、統率力に富み、決断力に長けた武将でもあった。

 『ラーマーヤナ』の触りの一つは、ハヌマーンが王子ラーマの弟ラクシュマナを救命する場面である。ハヌマーンは、ヒマラヤのカイラーサ山に自生する万能薬の草を取りに一っ飛び。この薬草を懸命に探すが見分けがつかない。そのため急遽、薬草の生えた山ごと手の掌に載せて運び、ラクシュマナを死から救った。

 

ヒンドゥー寺院の屋根に鎮座する数々の神々、その天井に描かれた多くの神話、正面の祭壇に祭られた神々。これらの神々は、極彩色に彩られ、おどろおどろしい姿形をした神、妖艶な美しさをたたえた女神など、実に千差万別である。神々の座すこの聖域は、人々のコミュニケーションの場にもなり、子供の学習の場や無料の診療所にもなっている。

 このハヌマーン寺院の門口には、右手にハヌマーン、左手には聖鳥ガルダが見下ろしている。不浄から浄へと場を移す境目には、背丈の数倍もある大きな神像が、かなりの迫力で立っている。更に、寺院の裏庭に抜ける通路には板塀が張り巡らされて、その上に、今にも飛び出して来そうなハヌマーンの立体像がペンキで巧みに描かれている。寺院内部は聖なる地、もちろん土足厳禁である。

 

・シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの三神体の神話、ハヌマーン、シヴァの息子であるガネーシャ(象)、ガルダ(聖鳥)、カーマデーヌ(牡牛)、ナンディー(雄牛)、ナーガ(蛇)など多くの動物神が描かれている。ハヌマーンプリントの画像には、ハヌマーンが自分の胸を引き裂き、ラーマ王子、シーター王妃に忠誠心のある事を披歴している。これら庶民の宗教画は、文字を読めない人々のために、ヒンドゥーの神話をビジュアルに表示したものである。難解で形而上学的なヒンドゥー教の哲学を形象化し、右脳的なもの(五感)へと転換された図像ともいえる。

 これらの神々は日本に渡来しに、わが国の神々と混淆し、融合して、日本文化に深く浸透している。例えば、ヒンドゥー三大神のブラフマー梵天、シヴァは大自在天、ヴィシュヌは那羅延天である。富と幸運と豊穣の女神であるラクシュミーは吉祥天、学問と音楽の女神、サラスヴァティーは弁財天、象の頭を持つガネーシャ大聖歓喜天界、須弥山の頂上に住むインドラは帝釈天、ヴィシュヌの乗り物で、龍を常食とするガルダは迦楼羅(金翅鳥)、阿修羅の眷属であるラーフは、日食、月食を起こす蝕星などに変身して、神社仏閣に納まっている。

 

・『ラーマーヤナ』は、紀元前からインドに伝えられた「ラーマ物語」を、ヴァールミーキが紀元2世紀頃に集大成した。少年編、アヨーディヤー編、森林編、美麗編、戦闘編、最終編の7章に分かれている。この物語は、演劇、演舞、舞踊、人形劇、影絵芝居など、様々な形でアジアの多くの国々に広がり、タイ、ベトナムカンボジアミャンマー、ネパール、ラオスインドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、チベット、モンゴルなどに伝えられている。

 わが国の猿文化を語る場合にどうしても避けて通ることが出来ないのが、このインド原産の猿神ハヌマーンである。ハヌマーンは、アジアの国々では、その国の宗教や文化の中に深くとけ込み、今なお、人々の尊崇を集めている。当然、日本にも、多くの仏教教典と共に『ラーマーヤナ』は伝来している。巨獣にして怪力、智略を備えた戦士であるハヌマーンの影を宿した猿神は居るのだろうか。日吉の神猿、庚申信仰の猿や『桃太郎』の猿などが、ハヌマーンの化身として候補に上げられてはいるが、何か物足りない気がしないでもない。この不死身のハヌマーンも、強力な呪術と魔力を秘めた日本の猿神の前には、太刀打ちできなかったのだろうか。それとも、この物の溢れる豊かな国のどこかで、身を隠し、密かに起死回生の機会を窺っているのだろうか。このミステリーは、わが国の猿文化の七不思議の一つとして、未解決のままとなっている。

 

 

 

『「伝説」はなぜ生まれたか』

小松和彦   角川学芸出版    2013/3/23

 

 

 

<「生贄」と「異人」、身代わりの論理>

<二つの生贄祭祀>

・ところで、右の事例は、村落共同体とその幻想的な異界(自然)との関係を描いたものである。村落の存亡は作物の出来・不出来であり、それを左右する天からの水を支配しているのは、天界の大蛇(龍神・水神)である。長い日照りが続いたために共同体が危機に瀕している。長者はこれを救うために天竺の大蛇のところまででかけ、「生贄」を求められることになる。

 水を支配する大蛇(異界)が「生贄」を好むならば、日照りが襲ってこないように、定期的に「生贄」を差し出そう。それを提供し続けることで作物の豊穣を確保できる――こうした思想に基づいて行われるようになったのが、「生贄」祭祀である。いいかえれば、これは異界との「富」の交換の物語ということができるだろう。しかも、この異界との交換は、両者ともに満足のゆく結果をもたらす限り、安定した関係といえるだろう。

 

・ところで、共同体の「長」が共同体内の誰かを生贄として差し出す祭祀を、共同体の外部(=異界)から訪れた者(=異人)が廃止するという説話も伝えられている。『今昔物語集』巻26の第7話と第8話は、その種の物語のなかでももっとも有名な話である。この話はまた、生贄の

祭祀の状況をリアルに描いている点でも興味深い。

 

・この二つの生贄話は、一見した限りでは、上述の事例と同様の話にみえる。しかし、まことに対照的な構造となっている。すなわち、一方は異界と共同体の間の直接的な交換であるのに対し、他方は、第3項としての「異人」が介在する物語だからである。しかも、二つの話の内容には微妙な差異も見出せる。第8の話は、村落共同体自体が共同体内部からの「生贄」の調達を厭いだし、共同体の外部の者(回国の僧)を「身代わり」に立てる方法で対処しようとしているのに対し、第7の話は、共同体の外部(東国)からやってきた者(猟師)が、「生贄」祭祀のことを耳にし、自分から進んで「身代わり」に立っているのである。

 

<身代わりに立てられた僧>

・まず、第8の方の話から検討してみよう。この話の概略は、次のようなものである。

 飛騨国の山中で道に迷った回国の僧が、たまたま出会った男に山里に案内され、郡殿(大領)の決定に従って、ある男の家で世話をしてもらうことになり、しかも一人娘を妻としてあてがわれる。8ヵ月ほど経った頃から、家の者が「男は肥えた方が良い」といってご馳走攻めにする。不審に思った僧が妻にわけを詰問すると、妻は「じつは、この郷の者が祀る猿神は、年に一度生贄を求める。この私が次の生贄になることになっていたが、その身代わりとしてあなたを出そうとしているのだ」と教える。

 祭礼の当日になり、村人たちは僧を裸にして俎(まないた)の上に載せ山中の祠の前に運び、神楽を奉納したあと、一人残らず郷に帰っていった。やがて猿神が現れるが、僧はこの猿神を捕縛し村に連れ帰る。そして人びとの前で、二度とこのようなことはしない、という約束をさせて追い払った。その後、この男はたくさんの人を使う「長者」となった。

 

・この話で興味深いのは、この村落の人びとが村落の外部に「身代わり」を探し求めていたのであって、その外部からやってきた僧は、自分が身代わりの生贄とされるためにもてなしを受けているのだということを知らなかった、ということである。僧の妻となった娘が事前に真相を明かさなければ、僧は生贄として猿神に差し出されて食べられていたのである。さらに推測すれば、この僧が猿神を退治するまで、たくさんの旅の者が身代わりの生贄として猿神に差し出されていたにちがいない。

 いま一つ留意したい点は、この僧は猿神を退治した後、この里に住み着いて「長者」になった、と語られていることである。この「長者」が「郡殿」(大領)をしのぐほどの存在、つまり「首長」であったかどうかはわからないが、共同体の「外部」からやってきた者が土地の女性と結婚してその「王」となるという、人類学で言う「外来王」的な性格をもっている。

 

<自ら身代わりに立った猟師>

・第7の話の概略を紹介しよう。

 

美作国に中参・高野という神がいた。中参は猿、高野は蛇であった。土地の者は、毎年一度の祭りには人間の生贄を差し出すことが決まりになっていて、ある家の、年の頃16、7歳の美しい娘が次の年の生贄に指名された。たまたま東国からやってきた猟師がこの話を耳にし、娘を妻にくれるなら自分が娘に代わって生贄となろう、と申し出る。娘の命が助かるならばと、親は娘を人知れず男に娶らせる。男は飼っている猟犬から二匹を選び出して特別な訓練を行ない、刀をしっかり磨きあげた。

 やがて、祭りの当日がきた。「宮司」(神主もしくは祭司)を筆頭にたくさんの人がやってきて生贄を入れる長櫃を寝屋に差し込んだ。男がこの長櫃のなかに犬とともに入ると、親たちはそのなかに娘が入っているかのようなそぶりをしながら、一行に長櫃を差し出す。祭礼の行列が社に到着し、「祝」が祝詞を唱え、瑞垣の戸を開けて長櫃を差し入れたあと、その戸を閉じ、その外で宮司たちは並んで待機する。

 男が長櫃を少し開けて覗き見ると、丈七、八尺もあるかと思われる猿を中心にたくさんの猿が居並び、俎と刀も用意されていた。この大猿が長櫃を開けると同時に、男と犬がそこから飛び出し、大猿を捕えて俎の上にすえて刀を当て、頸を切って犬にやろうか、と迫った。このとき、一人の「宮司」に神(大猿の霊)が憑いて、「もう生贄を求めない、この男や娘の親にも復讐したりしない。だから助けてくれ」と助けを求めた。これを聞いた宮司たちが社のなかに入ってきて、「神様がこのように申されているのだから、どうか赦してください」と頼んだが、男が「この者と一緒に死ぬのだ」と少しも赦そうとしないでいると、「祝」(つまり大猿の霊)は言葉に窮し、誓いの言葉を何度も述べたので、赦してやると、猿は山に逃げ去る。家に戻った男は末永くその娘と夫婦となって暮らした。

 

能登半島の猿鬼退治伝説>

<発掘された猿鬼伝説>

・ここで、その具体的な例として、第1章で詳細な検討を加えた能登半島の輪島市と能都町旧柳田村に伝わる「猿鬼退治」伝説を、「天皇」と「村落」との接続のプロセスを物語る事例として取り上げ直してみよう。

 繰り返しになるが、地元に伝わる「猿鬼伝記書」によって、この伝説の概略を改めて紹介しておこう。

 昔、当目(能登町旧柳田村)という集落に岩井戸という洞窟があって、そこに「猿鬼」と呼ばれる恐ろしい鬼の一党が潜んでいた。当目の村の家々は、次から次へと猿鬼に襲われ、この噂が神々の耳にも入り、日本中の神たちが「出雲の国」に集まって猿鬼退治を相談をし、能登での出来事は能登の神が解決すべきだということになり、気多大明神(大穴持命)と三井の女神の神杉姫という神に、猿鬼退治の命が下される。神軍が猿鬼一党を攻撃したが、猿鬼は不思議の術を使う化生の者なので、なかなか征伐することができないでいたが、神杉姫の策にはまって鬼たちが酒宴を開いていた隙を狙って急襲し、ついに猿鬼の首を切り落とす。

 その後、猿鬼の魂魄が祟りをなしたので、神杉姫が僧に身をやつしてやってきて、その魂魄を鎮めた。

 

<猿鬼を退治した神は誰か?>

 この猿鬼退治に関する記録が現れた最初は、安永六年(1777)の『能登名跡志』記載の記事である。この記録は、いわば現代の民俗学者や地誌学者が地方を訪問して、地元に伝わる文書や聞き取りから制作した地誌・民俗誌のたぐいである。それには、次のように記されている。

 

 この当目村方々へ散村になりて蓮華坊いふが往来也。千毒といふ川中に、岩井戸といふ不思議の洞あり。海辺より三四里の山奥なれども、汐のさしひきあり、烏賊など吹き出せしことあり。昔この洞に猿鬼といふもの住みて人を取る。これを大穴持命退治ありて、その霊を祭て今猿鬼の宮とてあり。案ずるにこれは狒々(ひひ)の類なるべし、そのほかこの猿鬼退治ありし時の旧跡色々あり。

 

 

 

『世界不思議大全  増補版』

泉保也     Gakken   2012/8

 

 

 

ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ>

<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>

アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。

 1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。

 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。

 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。

 ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。

 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。

 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

 

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

 

アダムスキー宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

 

土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30~200歳以上にも達するという。

 

<コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々>

・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

 

<ハワード・メンジャー>

・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

 

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

 

安井清隆>

・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

 

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

 

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

 

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

 

<ステファン・デナルデ>

・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。

 

・身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。

 会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。

 

・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。

 ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した。

 

<R・N・フェルナンデス>

・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。

 

・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。

 

・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学反物質などについて語った。

 

・リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。

 

<宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実>

・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。

 

・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。

 

・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。

 

 

 

『女神イシスの降臨』

古代エジプト神話の謎に迫る

大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9

 

 

 

<女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある>

・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

 

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

 

<夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>

オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>

天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>

天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

 

天照大神とイシスは「ベガの女王」。

 

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

 

ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。

 

 

 

『妖怪文化入門』

  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22

 

 

 

<異人・生贄>

<「異人」とはなにか>

・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。

 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

 

① ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

 

② ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

 

③ ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

 

 

④ 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

 

・異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。

 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

 

<異人・生贄・村落共同体>

・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

 

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

 

<「異人」と「家」の盛衰>

・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

 

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。