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UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

蒜山(ひるぜん)高原にある彼女の別荘にUFOが降りてくるという話だった。その女性の話によれば、UFOは2度も別荘の庭に着陸したという。(1)

 

 

 

『予定調和から連鎖調和へ』

アセンション後、世界はどう変わったか

保江邦夫  風雲舎  2013/9/27

 

 

 

・世界が変わった!連鎖調和から生まれる願いがかなう世界、時空を超えた調和のあるいい世界。僕らは今、その裂け目の真っただ中にいる!

 

<世の中が変わったのだから、みんなも変わらなければいけない>

<UFO体験再び>

・小学校2年生のときに初めてUFOを見た。UFOというのは“Unidentified Flying Object”つまり「未確認飛行物体」のことだが、多くの場合、地球外知性体が利用する移動手段を意味する名称として使われている。子どもだった僕がこの目で見たUFOも、当然ながらその意味でのUFOだったと信じている。

 

・ところが、2012年の8月21日の午後5時過ぎ、僕はついに2度目のUFO目撃を果たす。場所は岡山市中心部上空で、西に向かって飛行していた卵形の銀色に輝く機体のUFOだった。はっきりと卵形の形状やその色、光沢の程度さえ見分けることのできる距離で僕は見た。やったやった、ついに2度目の出会いがかなったと小躍りして喜んでいた翌日のこと、『アガスティアの葉』(三五館刊)というインドの聖人サイババについての話題作を書いたことでお名前だけは存じ上げていた青山圭秀さんが大学に僕を訪ねてきてくれたのだが、そこで目撃したばかりの卵形についてお話したところ、逆に岡山はUFO目撃のメッカだと教えてくださった。

 そのいい証拠にとお話ししてくださったのが、岡山県北にある蒜山(ひるぜん)高原でのあるご婦人によるUFO目撃談だった。青山さんの知り合いに70歳過ぎの倉敷在住のご婦人がいて、蒜山高原にある彼女の別荘にUFOが降りてくるという話だった。その女性の話によれば、UFOは2度も別荘の庭に着陸したという。2回目のときは、彼女はすぐさま東京の青山さんに電話したとか。電話口で青山さんが、

「なぜUFOに乗り込まないのですか!」

と彼女を問い詰めたら、

「あなたは現場にいないからそんなことを言うけど、私は恐くて腰が抜けて歩けなかった」というご返事だったそうだ。

 青山さんはすぐに蒜山に行って緑色の芝生が円形に茶色になっているのを見た。明らかに何かがここに降りたという形跡があり、焦げているのかと思って芝生をよく見たら、葉っぱは活き活きとしたまま、色が単に茶色になっているだけだった。芝生は枯れて死んではいなかった。しばらくすると芝生はまたすぐに青く色が戻ったらしい。

 

・そんな話を聞いて僕もその女性の別荘に行きたいなと思っていたが、青山さんとは初対面なのでそんな図々しいお願いをするのははしたないと思っていた。そのうち、僕が書いた何冊かの著書の読者だという方から、出版社経由で電話がかかってきた。倉敷でパン屋を経営している女性だったが、聞けば僕に会いたいとのこと。倉敷のお店に出向くと、彼女の友達

というのが、そのUFOが着陸した別荘の持ち主の女性だということがわかった。

 

・そのご縁があって、しばらくしてご本人から電話がかかってきて、蒜山の別荘でUFOをご覧になりたいのならいつでもどうぞということになった。そんなこんなで、別荘の持ち主ともつながった。こうして人はつながる—―そんなことに僕は気づき始めていた。

 むろん、UFOが頻繁に見えるその別荘に行きたい。あわよくば、庭に着陸したUFOに乗り込みたい。そんな思いがつもりつもって、世界が変わった日から1日が経過した2012年12月23日、岡山県北にある蒜山高原で、何人かが集まってUFOを観察しようということになった。宇宙人の魂が宿っているとおぼしきメンバーを10人ほど集めた。

 

・ところが、直前になって別荘の持ち主の女性から連絡があり、今年の蒜山はとくに雪が深く、先週、ガスも水道もみんな閉めてしまったし、別荘までの林道も雪に埋まってしまったので雪上車でしか行けないとのこと。困ったと思っていると、蒜山高原に大学のセミナーハウスがあって空いているという吉報が舞い込み、そこを借り切って行くことになった。

 行ってみてわかったのだが、そこはその別荘のご近所で、しかも除雪もしてあるため普通の乗用車でも駐車場まで入っていくことができる。晩ご飯を食べてから防寒着をしっかり着て、セミナーハウスの広い駐車場に出てみんなで空を見ようということになった。

 

・僕自身はみんなに声をかけて集めたけれど、じつは蒜山にUFOなんて出てきっこないと思っていた。でも、他のみんなは出て来るのを信じている。とくに東大医学部の矢作直樹先生は今まで一度もUFOを見たことがなく、僕がアレンジしたからには今回は絶対UFOが出てくると信じてくださっていた。だから僕本人が信じていないなんて、とても言える雰囲気ではなかった。

 そうしたら、夜空を見上げてから十分もしないうちに、なんとかなりの高度をジグザグに飛び交うUFOの光点が出た!

 

・そんなときに、セミナーハウスの食堂の賄いのおばさんが駐車場にやってきて、「みなさん、どうされたのですか」と聞く。

「あそこにUFOが!」と言ったら、そのおばさん、事もなげに平然と、「あ、こここらあたり、よく出るんですよ」みんな、目が点になっていた。

 僕自身何十年もこの大学にいてそんなことは一度も聞いたことがなかったし、過去セミナーハウスに何度か行って、そのおばさんとも面識があった。学生も教員もみんなよく行っているのみ、UFOの噂なんてこれっぽっちも立たなかった。それなのに、なぜこの2012年12月23日の夜、いとも簡単にそのおばさんが、「ここらあたり、UFOがよく出るんですよ」なんて言うのだろう。

 

・僕はなんとなく思った。ああ、このときからすでに変わったんだと。

 これまでだったら、僕の前にUFOなんて現われるわけがない。それまでも僕はUFOを求めてありとあらゆる資料を集め、関係書を読み漁り、それという風評を耳にするとその地をくまなく歩いてきた。大金を投じて、アメリカのそれらしきUFOの名所も散々歩き回った。

 でも子どもの頃に一度、加えてこの8月、岡山市内の上空で見た2回きりだった。あるときはアメリカからやってきたグレゴリー・サリバンというUFO青年が岡山に来てUFOを呼ぼうとしてくれた。見識もキャリアもかなりのUFO専門家だったが、残念ながら雨が降り出したために中止せざるを得なかった。

 

・UFOを求めて放浪した僕のストーリーは、それこそ筆舌に尽くしがたい。天文学を目指し、ついで物理学を志向したのも、じつはといえばUFOにまためぐりあいたかったのかもしれない。UFOについてきちんと研究するには、天文学や物理学の見識が必要不可欠だとも思えた。こうして、準備万端整っていたにもかかわらず、2012年の8月21日まではまったくの空振りに終わっていた。

 

・今まで何十年と日常的に会話していた大学のセミナーハウスの賄いのおばさんが、狐やタヌキがよく出るとでもいうように、「ここ、よくUFOが出るんですよ」とごく当たり前のように言う。僕は口を開けて驚き、みんなも驚き、こうして蒜山高原の一夜は盛り上がった。

 小学校2年生のとき以来、ずっと熱望していたUFOが、2012年12月22日に世界が変わったといった途端に、なんでポイと出てくるようになるのか?

 でも僕は、そのときでさえ、世界が変わったとはほんとうに思っていなかった。

 

<あの悪魔がいた>

ルルド最後となる4日目の朝、7時半頃に朝食会場に行くと、ご夫妻で巡礼旅行に参加されていたお二人が少し遅れてやってきた。旅行の間ずっと脂っこい料理を食べ通しで余分な脂肪がついたので、洞穴をグルッと回って走ってきたそうだ。

 僕を見つけるなり、ご主人が「いた、いた、あの悪魔がいた!」と真剣な目つきで訴えてくる。10年前に僕が出会った悪魔が洞穴の入り口のところにいたという。その悪魔の権化となった女性はヤッケを着てじっと座っていて、気味が悪いことこの上ない。しかも、今回は10年前の赤いヤッケではなく、白いヤッケだという。このご主人は僕が10年前のルルドでの神秘体験をペンネームで公表した『魂のかけら—―ある物理学者の神秘体験』(春風社刊)を愛読していたので、10年前にルルドの洞穴の中で赤いヤッケを着た凍るように美しい女性の姿で現れた悪魔の話を覚えていたのだ。

 僕は、いくらなんでも今朝のその白いヤッケの女性はあのときの赤いヤッケの女性とは関係ないなと思った。10年前に30代と思われた女性なら

、今は40代のはず。なのに、僕が本で書いたとおりの30代の美しい横顔の女性だというのだから……。朝食後、また迫先生たちと一緒にルルドの洞穴へぞろぞろと歩いていった。9時半頃に洞穴に着くと、先ほどのご主人が「ほら見て、まだいる!」と僕の耳元で叫ぶ。

 ほんとうにいた!

 顔は見えないけれど、見た瞬間にわかった。白く長いヤッケにフードをかぶり、横から見た感じがあの10年前の悪魔とそっくりだった。10年も経っているのに、歳はとらずにそのままの姿だった。ぜったいにあの悪魔だと確信できた。9時半頃だからあたりには観光客の姿も見える。周りの人も不気味そうに彼女のそばには近づかない。ひときわ異様な修道服のような白い服が目立っていて、魔女という魔物というか、この世のものとは思えない。それがわかるから、みんな遠巻きにしている。

 僕たち一行は洞穴のお参りを断念して、教会へ向かった。ちょうど始まろうとしていたカトリックのミサに参加し、そして町に行って昼食にし、いい店に当たってみんなおいしくいただいた。それから再び洞穴に向かうと、さっきの悪魔の姿は消えていて、迫先生を交えて安心してちゃんとお参りすることができた。

 

<天使様の祝福の行列>

・時計を見たら、もう11時45分。12時には聖域の門が閉まるから急いで帰らなければならない。あたりは真っ黒闇。速足で門のほうに向かって歩いて行くと、正門のほうからロウソク行列がやってきた。20人くらいの12、3歳ほどの少年少女たちの行列。

 え、こんな時間に?

 ありえない。普通のロウソク行列は夕方だ。子どもだけではやらない。明らかに異界の子どもたちという感じ。しかも閉門まで15分しかないのにと、不思議に思いながら門へ向かった。すれ違うときに「ボンソワール(こんばんは)」と声をかけたが、行列の誰も何も言わない。どんなフランス人でもすれ違うときには必ず挨拶してくれるのに、まったくの無言。

無視されたことでほんの少し腹を立てた僕は「何だろう、こんな夜更けに、こいつら?」と思いながら、ロウソク行列をやり過ごした。

 門を出てホテルに向かって歩いている途中、ふと身体の変化に気がついた。

あれ?痛くない。

 そういえば、脇腹の肝臓あたりの嫌な鈍痛が消えている。あれ、どうしたんだろう?そういえば左の奥歯も痛くない。飛行機の中では痛くて機内食も満足に食べられなかった。右側の歯で噛んでも左の奥歯に響いて痛かったのに、それもなくなっていた。

 翌朝、肉も野菜もバリバリ食べて、久しぶりに思いっきり食事を楽しんだ。あんなに痛かった奥歯の痛みがすっかり消えている。

 僕は直感した。マリア様は、愚かな僕をまた救ってくださったのだ。

 10年前、信者でもないこの僕が大腸癌で死にゆく恐怖と極度の痛みから逃げたい一心で、必死ですがったときにもマリア様は救ってくださった。それをいいことに、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の成句どおり、その後時間が経つにつれて再び暴飲暴食が目立つようになる。その結果2年ほど前から再び内臓に痛みを感じるようになり、今回の旅行から帰ったらすぐに10年前に緊急手術をしてくれた医師に診てもらおうと観念していた。

 そんな、情けないこの僕を、このときマリア様は再び救ってくださったのだ!

一瞬で、それがわかった。身にしみて、わかった。

 

ノートルダム大聖堂での大天使ミカエルとの再会>

・人波を搔き分けて彼のところに行き、「ありがとう。冊子をもらってずいぶん助かったよ」と言って、僕は握手を求めた。さっきはあんなに親切に、わざわざ9ページだよと進行具合まで教えてくれたので、向こうも同じような笑顔で応えてくれると思った。ところが僕が手を差し出すと、若者は急に真剣な、厳かな顔になって、背の高い身体をさらに後ろに反り返らせて威厳をみなぎらせている。まるで俺はお前なんかと握手する筋合いはないという雰囲気だ。

 なんだなんだ。なんでお前。そんなに偉ぶってんの。この若者が……と僕は思った。しかしいったん差し出した手をどうしたものやら、そのままでは格好がつかない。「こいつ、ほんとに何を考えているんだ」と慌てていると、彼の表情がますます厳かになって、王様や王妃様が謁見の場で臣下に手を差し伸べるような感じでゆっくりと上からの目線になって手を出しはじめた。でも、とにかく手を伸ばしてくれたのだからまあいいやと思って手を握った。そして、彼の手に触れた瞬間。「あ、これは!」とピンときた。

 そう、彼は、大天使ミカエルだった!

 

 

 

『宇宙人についてのマジメな話』

平野威馬雄)(平安書店)  1974年

 

 

 

<空飛ぶ円盤に憑かれた男>

岡山市安井清隆(60歳)(ペンネーム)(故人)>

・ 星の住人は、ちゃんと男女の性別があり、目は碧く、髪は金髪だったという。

 

・ 地球人ともっとも違うのは、その生存期間です。百歳はまだ幼児期で、平均寿命は3万年から4万年ということでした。それに「老」「病」がなくて、3万歳の人も青年みたいな風貌をしていました。

 

・ 住民は小型円盤がそのまま、マイハウスになり、高層建築に見えるものも、小型円盤の積み重ねだったという。

 

・ 空飛ぶ円盤なので、移動はむろん簡単。

 

・ 星全体が単一国家でほしいものは定められたところへ行けば、すぐに支給されるので、争いもなく戦争も皆無の理想郷。

 

 

 

『UFO革命』

 横尾忠則   晶文社  1979年3月

 

 

 

<母船で連れていかれた太陽系外惑星   (安井清隆)>

(安井)・普通の日本人よりもっと立派な日本語、まるでアナウンサーみたいな日本語で、声もそういう調子でした。

 

・ええ、高いんです。背が私の倍ぐらい、2メートル4、50ありました。

 

・「もっと遠い星で、太陽系の外の星なんです。まだ地球上では確認されていないので名前もありません」

 

・私のことは子どもの頃から全部観察してあり、記録されてあるらしいですね。

 

・宇宙人の名前はチュェレイさんといいます。チュェレイさんと一緒にいた女性は、背の高さは私と同じくらい、1メートル70センチはありました。髪の毛は少し長めで金髪なんです。

 

・母船はものすごく大きく、何メートルなんてものじゃなく、葉巻型になっていて長い方が50マイルぐらいだとチュェレイは言っていました。ということは、岡山県の幅ぐらいはあるでしょうね。とにかく想像を絶する巨大な母船なんですね。

 

・母船の中を小型円盤がピューピュー飛んでいて、全体が街のようになっているんです。

 

・どこから灯りが出ているのかさっぱりわからないんですが、とにかく昼間の太陽光線と同じなんです。

 

・彼らが、植えた草や木もあり、池のようなものもありましたよ。非常に気持ちがいい場所でしたよ。

 

・建物は地球のビルのように四角形のものや堕円形のものもあり、その中がコンパートメントのように仕切ってあるようですね。

 

・この母船は、巨大な宇宙空間を飛ぶと、ゼロに近い時間で飛ぶらしいですね。その原理は、私たち地球人の知識では全然見当がつかないですね。そして、この母船の中で、時時、地球の各国の人が招待されて色々な話をすることがありますが、その内容については、詳しいことは公表できないことになっているんです。ただ彼等は、原則として地球には干渉してはいけないことになっているらしいんです。

 

・飲み物は、地球のコーラに似たようなものを飲ませてくれました。けれど、特別変わった味ではありませんでしたね。そのほかにも甘い飲み物はあったんですが、私は、飲まなかったんです・・・・。食べ物は、肉をやわらかくしてトロトロしたものをスプーンで食べるんです。

 

・リスの肉らしいんです。それとトウモロコシのようなねぎ坊主に似た穀物をくだいて、粉々に作ったパンのようなものがありましたが、これは大変おいしかったですね。味付けの感じは、いわゆる西洋料理のような感じですね。

 

・チュェレイ星に行く時は、その母船でチュェレイ星の近くまで行くんです。

 

・降りたところの風景は、どちら側が北か南か全然分かりませんでしたが、とにかく、一方に海があり、その彼方にうっすらと山が見えていました。そして、海と反対側の方は、降りた所もそうでしたけれど、わりと荒れた土地、いわゆる荒蕪地といったらいいでしょうが、そんな感じの平野のような土地が続いていて、そのまん中に街というより都市といったらいいでしょうか、かなり大きな街が見えていました。

 

・草はね、少し違っています。ちょうど、芭蕉の葉っぱを少し厚くしたような、あるいはゴムの木の葉のように葉の肉が厚いんです。そういう草木が沢山あり、全部の木が闊葉樹ですね。それから動物もいるんですが、皆大きいですねえ。リスが羊ぐらいの大きさに見えました。ただ全部の動物を見たわけではありませんでしたけれど・・・。

 

・太陽はあります。ただ地球で見るよりははるかに大きいんですが、逆に太陽の熱は地球よりも強くないんです。そして、チュェレイ星は地球のようには自転していないらしいんです。

 

・都市というのは、かなり大きな街でした。岡山市の旧市内ぐらいは充分あったと思います。そして、もっと驚いたことがあるんです。最初に降りた所でざっと周囲の風景を見てから、もう一度円盤に乗ってチュェレイ星をグルッと一周してもとの場所に帰って来たんですがー海や山などの風景が同じだったのに気がついたのでチュェレイに聞いたら、「そうだ、最初に降りた場所だ」というのでわかったーさっきあった都市がなくなっているんです。おかしいなあと思って、風景は同じようだけれども、あそこに見えていた都市がないのはどうしてなのかと訊いたら、笑いながら、「あれは全部円盤でできていて、今はもう他の場所に飛び去ってしまったのだ」というんです。

 

 

 

『UFO革命』

 横尾忠則   晶文社  1979年3月

 

 

 

<第4種接近遭遇>

<UFOに同乗した人>

・「運動公園でUFOに乗った人」で少しご紹介した故安井清隆(ペンネーム)です。安井さんが初めてUFOを見たのは、昭和28年頃の夏だろうと推定されます。岡山市富田町の家の前で夕涼みをしている時に2日続けて目撃したそうです。

 

・その人は自分の名前をチユェレイと名乗りました。その後、安井サンはチユェレイさんの故郷の星のことを便宜上チユェレイ星と呼びました。

 

昭和35年の5月14日。マスコミ各社が集まっていた総勢100人の観測会で33機の大編隊が現れ、読売のカメラマンが撮影に成功したといわれます。だが、この記事はなぜか発表されていません。そして当日取材に来ていなかった夕刊紙がこのことをスッパ抜き、一躍岡山の話題になりました。

 

・また、もっと驚いたことには、チユェレイ星を一周してもとに戻ってみると、風景は同じなのに、さっきは確かにあったはずの都市が消えていたのです。チユェレイさんは笑いなら「あれは全部円盤でできていて、今は他の場所に飛び去ってしまったんです」と説明しました。その生活のための円盤は四角形のものも沢山あって、さっき見た都市は円盤が重なってビルのように見えていたのです。円盤は絶えず1メートル位浮いているので、道路を作る必要もないとのことでした。しかし、安井さんはどんな単位で街を作るのか、なぜ街は移動するのか聞くのを忘れたといいます。

 

・チユェレイ星人はみんな身長2メートル以上ありますが、動植物も全体に大きく、リスでも羊くらい。花も直径3~5メートルくらい、木はすべてゴムのような肉厚の広葉樹でした。

 

・チユェレイ星人の体は全体的にひとまわり大きいものの、地球人と同じです。生殖行為もほとんど同じということでした。原則として一夫一婦制ですが、必ずしも護られなく、恋愛(?)は、彼らにとって最も深い関心事のひとつだとか。しかし、裸に対する抵抗はないらしく、風呂は混浴でした。安井さんはチユェレイさんと一緒に、その風呂に入ったそうです。

 

 

 

『岡山に出現したUFO』  

(秋田めぐみ) (岡山若者新書)  1987年

 

 

 

<岡山の安井さんのチュェレイ星への異星旅行>

・ 円盤は都市という程度の規模なんですか?

・ さっきあった都市がなくなっているのです。あそこに見えていた都市がないのはどうしてなのかと訊ねたら、笑いながら「あれは全部円盤でできていて、今はもう他の場所に飛び去ってしまったので」というんです。

 

・ じゃあ、都市は全部ドーム型になっているんですか?

・ これらの円盤は、飛行するためというよりは、生活する場としての円盤なのですから、四角型の円盤も多くあり、それらが積み重なった場合、大きなビルのように見えるわけなんです。最初見た円盤の街を作ることは、簡単なわけですよね。ただ、どういう理由で、あるいはどんな単位で一つの街を作っているのか、さらにそれらの街は、たえず場所を移動しているのか、何のために移動するのかなどまでは聞き出せなかったんですけれど、いずれにせよ、パァーと集まれば海の真ん中にでも瞬間的に大都会ができるんですから便利だと思いますね。

 

・ 地上からたえず、1メートルぐらい浮いているわけですから、地上に固定した建造物は全然なく、たえず動いている。チュェレイ星全体が単一国家で、欲しい物は、規定の場所に行けば手に入るし、争いも皆無らしいんです。

 

・ もちろん、建物は全部円盤でできているわけです。そんな建物がひとつだけ、ぽつんと浮いているところもありました。

 

・ チュェレイ星人の平均寿命は3万歳から4万歳くらい。

 

<異星人とテレパシーなどでコンタクトする方法が分からない>

・ “コンタクトする方法は?”円盤に対しての関心を毎日の生活の中でたえず持ち続け、そして宇宙人に早く会ってくれと頼む(念ずる)しか方法がないんじゃないでしょうか。

 

 

 

『UFO革命』 

横尾忠則)(晶文社)   1979年3月

 

 

 

・また「時間と空間は相対的なもの」というのは今の地球の科学でも定説になっていますが、天文学上でも各星によって1年(1行程)の長さが違います。チユェレイ星人の平均寿命は地球時間で3万~4万年くらいらしく、チユェレイさんは地球人の30歳前後しか見えませんでしたが、実際は1万歳くらいとのことでした。そして、地球人がピラミッドを作っている頃から地球に来たことがあって。「あれ(ピラミッド)は地球人が作ったものだ」と言ったそうです。

 

・「異星人には同じ人間型でも5メートルくらいのもいる。人に言うと怖がるからしゃべらないことにしている。それに人間とはまったく違う形態の知的生物もいる。チユェレイさんたちでもつきあってもらえないほど次元が高く、チユェレイさんたちが研究しても分らないのがいる」と言っていたとのことです。

 

・こんなにも沢山の人が、こんなにも様々なUFOとの出会いをしている・・・。この事実はなんびとも否定できません。この事実、それも当地岡山においての事実を秋田さんは足で調査し、一冊の本にまとめてくれました。貴重なものだと思います。

 

・ここ岡山の街にも事実か、単なる流言飛語か、沢山のUFO目撃の噂があります。そこで岡山のUFO研究といえばこの方を抜いては語れないといわれている畑野房子(就実高校理科講師)のご協力のもとに、この噂の真相を調べてみました。(月刊※タウン情報おかやま別冊)(1987年)

 

・人間が本能的に持っている未知への探究心が大事。