UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

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<サンカ>は、現在の夫婦より5代前の高祖父母を<テガカリカミ>という生き神扱いし、生きていれば、3日ごとに食物を運ぶということですね。(1)

 

丸山眞男 と 吉本隆明

<戦後思想>入門講義

仲正昌樹  作品社     2017/6/28

 

 

<山人>

・最初に『遠野物語』の「山人」の話が4つ紹介されていますね。死者や他界が絡んでくるという因果話になっている、ということです。「山人」というのは、山に住んでいる人間の姿をした、妖怪のような存在です。最初の話は、村の若者が猟で山奥に行くと、遠い岩の上に美しい女がいて、長い黒髪を梳いているのを見たが、人がいるような場所ではなかったので、銃を向けて撃った、というものですね。証拠に女の髪を少し切って、懐に入れて家路に着いたが、途中で耐えられない眠気をもよおしたので、うとうとしていたところ、夢とも現とも分からぬうちに、大男が現れ、若者から黒髪をとり返して立ち去り、そこで若者は目が覚めた、ということですね。それが山人だったわけですね。2番目に挙げられているのが、笹狩りに行った男が、赤ん坊を背負った若い女と遭遇し、その時の恐ろしさから病気になって、死んだという話です。3つ目は雲隠れした長者の娘に山奥で遭遇し、攫われてある男の妻に無理やりされた、と打ち明けるという話。子供は全部夫に食べられてしまった、私は生涯ここにいることになるが、他の人には告げないでくれと言って、男を逃がした、という話。4つ目は3つ目と似ている話ですが、少し違うのは、男が生んだ子供を持ち去ってしまうのでどうなったか分からないということと、時々、男の同類らしいのが、4、5人集まるということ、男が町にも出かけて食料を調達しているらしいこと。

 吉本はこの4つを「恐怖」という視点から捉えています。そのうえで、この手の説話では自分の直接的体験というよりは、村の古老からの言い伝えという形を取ると、経験の迫真性が薄れ、虚構的な要素が強くなるけれど、その分、「共同性」が増すと述べています。これは納得のいく話ですね。

 

・いま(恐怖の共同性)ともいうべき位相から、この山人の話をさらに抽出してみれば、つぎのような点に帰せられる。

  • 山人そのものにたいする恐怖がある。
  • 山人と出遭ったという村人の体験が夢か現かわからないという恐怖がある。
  • 山人の住む世界が、村人には不可抗な、どうすることもできない世界だという恐怖がある。

 

 

 

ード・タイラー(1832――1917)の議論を援用して、山人に対する<恐怖>は、自分たちより文化が発達した異属あるいはその逆に未開の種族、つまり自分たちと異質な民、異人に対する<恐怖>に還元される、と述べていますね。『遠野物語』の場合、具体的には蝦夷の民とか、嘉永(1848――54)の頃から遠野の近くに住みついていた西洋人やその混血児に対する恐怖を象徴しているのではないか、ということですね。

 

・次に吉本は山人譚の<恐怖の共同性>を構成する2つの要素を挙げます。その1つを「入眠幻覚」と呼び、これを心的体験のリアリティの問題だとしています。疲れ切って山を歩いている猟師が朦朧としている中で、幼児の時に聞いた山人の話を思い出して、それを自分で今体験しているような幻覚に襲われる。既視体験もそうした極度の疲労の中で現在体験していることを既に繰り返し体験したように感じることだと述べられています。

 

・だが『遠野物語』の猟師が感ずる入眠幻覚の性質は『野火』の主人公のばあいとちがっている。『遠野物語』のなかの猟師が山に入り、岩の上に美しい女が長い黒髪を梳っているのに出遭って、銃で撃ちころし、その黒髪を截ってふところにして帰る途中、睡気におそわれてうとうとしているあいだに、夢か現かわからぬままに身の丈の大きな男があらわれて、ふところの黒髪を奪って立ち去ったという山人譚には、猟師仲間の日常生活の

繰返しのなかからうまれた共同的な幻想が、共同的に語り伝えられるという本質しかない。たしかにそういう体験をしたと村の猟師が語ったとしても、かれが個人として<異常>な心のもちぬしだとはいえない。ただ<正常>な個人の虚譚でありうるだけである。ここでは<異常>な心の体験は<異常>とならずに<嘘>としてあらわれる。

 

・すべての怪異譚がそうであるように『遠野物語』の山人譚も、高所崇拝の畏怖や憧憬を語っている伝承とはおもわれない。そこに崇拝や畏怖があるとすればきわめて地上的なものであり、他界、いいかえれば異郷や異属にたいする崇拝や畏怖であったというべきである。そしてその根源には、村落共同体の禁制が無言の圧力としてひかえていたとおもえる。

 

<なぜ、人は憑かれるのか?――「憑人論」を読む>

・『山の人生』(1926)に柳田自身の幼い時の経験が記述されているということですね。『山の人生』は、山奥に籠って生活した人、サンカ、マタギ、神隠しなど山に関わる不思議な民話を、ジャンルや地域に拘らずに集めた、半ばエッセイ的な文章です。岩波文庫では、『遠野物語』と併せて一冊になっています。その中に、柳田自身が神隠しに遭いそうになったことを

記述する箇所があるわけです。母や弟と一緒にキノコ狩りに行った時、いつのまにか、どこまで行ってもある寂しい池の所に戻ってきてしまうぐるぐる回りの状態になり、呆然としてきたところに、母のどなり声で我に返った、という話ですね。その三、4年前にも攫われそうになった体験をしたということですね。

 吉本は柳田には入眠幻覚に入りやすい体質があり、それが先ほどの佐々木と共鳴したのではないかと推測しています。

 

・いまこういう入眠幻覚の構造的な志向を<憑く>という位相からながめれば、柳田国男の描いている少年時の体験はじぶんの<行動>に憑くという状態であり、遠隔能力者の手記が語るのは他の対象に憑くということであり、ジェイムズのあげている宗教者の手記は、じぶんが拡大されたじぶんに憑くという状態である。そしてこういう入眠幻覚の体験から異常体験という意味を排除してかんがえれば、それぞれは常民の共同幻想から巫覡の自己幻想へ、巫覡の自己幻想から宗教者の自己幻想へと移ってゆく位相を象徴している。

 

・ただここでのポイントは、先ほども見たように、入眠幻覚が、幼い時の柳田自身の場合のように、具体的な行動になって現れるかどうか、そしてその行動において、具体的な他者が想定されているかどうかです。吉本は『遠野物語』の中の<予兆>譚に分類できる物語の中に、「関係意識」が登場すると指摘しています。<予兆>譚というのは、何か変わった出来事が生じる前触れをめぐる物語ということですね。72~73頁にかけて、吉本は5つの予兆譚を挙げていますね。(1)は、茸を採るため奥山の小屋に住んでいた男が、深夜に遠いところで女の叫び声がしたのを聞いたが、帰ってみると同じ夜の同じ時刻に自分の妹が息子に殺されていたという話。(2)は、村のある男が町からの帰りがけに見なれない二人の娘に出会って、どこからどこへ行くのかと聞くと、山口の孫左衛門のところから何某のところへ行くのだと答えたので、孫左衛門の家に凶事があるなと思ったところ、まもなく孫左衛門一家が毒茸にあたって死に、ひとり残った女の子も子がないまま老いて死んだという話—―これは、座敷童の話ですね。(3)は、大病をしているはずの老人に会ったところ、その日のうちにその老人が死んだ話。(4)は、遠野に住んでいた芳公馬鹿という白痴と見られる男が、石などを拾って人家に投げつけると、その家が必ず火事になるという話。(5)は、柏崎の孫太郎という男が以前発狂して放心状態になったけれど、ある日山に入って山神の術を授けられ、人の心を読むようになったという話です。

 吉本はこれらの<予兆>譚のベースにある入眠幻覚が、誰の幻覚によるものかはっきりしない形で語り伝えられていることを問題にします。

 

・ひとりの村民が、じぶんの妹が息子に殺されたと同じ時刻に、山奥で女の叫びごえをきいたとか、町からの帰り道にザシキワラシの娘に出遇って、ワラシの住みついていた孫左衛門の家の凶事を予知するとか、瀕死であるはずの老人が菩提寺へゆくのに、道で出遇って言葉をかわして不思議におもったが、老人がその後(あるいはその刻)死んだとかいうありふれた<予兆>譚が意味している位相は、村人がじっさいに体験した入眠幻覚とかんがえられるばあいでも<関係>概念をみちびき入れなければぜんたいを理解することはできない。

 

・一般的にいってはっきりと確定された共同幻想(たとえば法)は、個々の幻想と逆立する。どこかに逆転する水準をかんがえなければ、それぞれの個人の幻想は共同性の幻想と接続しない。しかし『遠野物語』の<予兆>譚が語っているのは個体の幻想性と共同の幻想性が逆立する契機をもたないまで接続している特異な位相である。これはおそらく常民の位相を象徴している。

 

・個体の幻想と共同幻想が「分離」しているのは、先ほどお話ししたように、あくまでその個人に何かが「憑いて」いる様を演じ切るということです。「憑き筋」、つまり憑き物を継承している家系は、金持ちとかよそ者であることが多いので、彼らが特別な者であることを示すために「憑き物」の話が後から取って付けられたのではないかという説があるわけですが、吉本はそれを否定します。先ほど見たように、共同体の利害に関わる公然の秘密を、入眠幻覚状態にある(と思われる)特別な個人が何かに「憑かれた」という体でその秘密を暴露するようになるのが最初の段階で、次に、その人が特異体質を持っていると認定され、更に、その体質がある家に継承されるようになるわけです。そうやって、「憑き筋」が確定する段階では、村落共同体全体が漫然と共有する秘密というよりは、共同体の経済社会的な具体的な利害関係が、「憑き物」を通して表象され、コントロールされるようになる。つまり「憑き筋」の家が、共同体の具体的な利害関係を決定する特権的な位置を占めることになるわけです。

 

ドッペルゲンガーといづな使い――「巫覡論」を読む>

・「巫覡論」の章に入りましょう。最初に芥川龍之介(1892――1927)の遺稿になった小説『歯車』(1927)からの引用がありますね。身の周りで起こる死の予兆のようなものに脅える「僕」が鏡を見ているうちに、二人の知人から、それぞれ別の場所で「僕」のドッペルゲンガー(分身)に出会ったという話を聞かされたことを思い出します。「僕」自身はまだ自分のドッペルゲンガーに会ったことがないのでほっとします。じぶんのドッペルゲンガーを見たら死ぬという話がありますね。吉本はこれを「離魂症」と捉えています。魂が自分の体から離れるように感じられる現象です。

 

・そうやって前置きしたうえで、『遠野物語』の中の二つの<離魂譚>を引き合いに出します。一つは軍隊に入った村の若者が兵営で逆立ちしていて、転倒して気を失った時、幻覚で故郷の実家に帰り、妻や嫂や母の様子を見た。その時のことを手紙で知らせると、ちょうどその時刻、白い服を着た彼が入ってきて炉端に座ったのを見た、という返事が来た。もう一つは、病気になって美しい幻の中で、亡くなったはずの母と一緒に道を歩いていたら、川にさしかかり、母は輪になった橋をくぐって向こうに行き、手招きする。しかしどうしても渡れないと思っているうち、意識を回復する――これは臨死体験のよくあるパターンですね。いずれも『遠野物語拾遺』から取られたものですね。『拾遺』は、1935年に『遠野物語』の増補版に新たに付け加えられた物語群です。

 吉本は、これらはいずれも<死>の兆候と結び付けられている点では『歯車』の主人公と同じだけど、離魂体験の在り方が違うと指摘しています。先ほど見たように、『歯車』の主人公は、自分の分身を自分で見たわけではなく、他人から見たという話を聞いたわけですが、『拾遺』の離魂譚では、嗜眠状態にある人が幻覚の中で自ら出かけています。

 

・わたしのかんがえでは、村落共同体の共同幻想そのものである。入営した村の若者の幻覚が遊行してゆく対象は<故郷>であり、<妻>や<嫂>や<母>や故郷の<小川>や<家>の炉端である。高熱にかかった村の病人の幻覚がたどるのは<亡母>であり<橋>のむこうにいて手招きする亡母と、それをわたりかねている病人に象徴される伝承概念としての<他界>や<現世>である。<橋>はこのばあい子供のときからきかされていた土着仏教の<三途の川>の橋であっても、仏教以前の古伝承としての霊のあつまる高所と人のあつまる村落とをへだてる川の<橋>であってもよい。これらはいずれも遠野の村落の共同幻想の歴史的現存性の象徴を意味しているからである。この<離魂譚>の村の若者や病人が、嗜眠状態で幻覚をたどらせる対象は、かれらに親しい個人である<他者>ではなく、

母胎のような村落の共同幻想の象徴である。

 

・次に離魂譚がやや高度な形で現れたものとして「いづな」の話が紹介されています。一つは、遠野の町で登場した見知らぬ旅人が、あの家にどんな病人がいるとかこんなことがあるとか様々なことを言い当てるので、どうしてかと村人が尋ねると、白い狐のおかげだと言うので、村人はそれを買い取り、よく当たる八卦置(八卦見)として金持ちになったけど、何年かすると八卦が当たらなくなり、また貧乏になった、という話。もう一つは、やはり村の何某が旅人から種狐をもらってすぐれた術師になるのだけど、ある年大漁祈願を頼まれて、失敗したので海に投げ込まれた。何とか海から上がったものの、嫌になって、種狐を懐に入れて川の深みに入ったら、狐が苦しがって傘のところまで登ってきたので、傘を解いて川へ流し、いづなを解放した。

 

・こういう<いづな使い>の民譚が、さきの<離魂譚>よりも高度だとかんがえられる根拠は、すでにここではじぶんの幻覚をえるための媒介が、はっきりと<狐>として分離されており、けっして嗜眠状態でもうろうとした意識がたどる直接的な離魂ではないからである。ここでは村落の共同幻想の伝承的な本質は、はっきりと<狐>として指定される。そして狐使いは、作為的であるかどうかにかかわりなく、<狐>という共同幻想の象徴にじぶんの幻覚を集中せせれば、他の村民たちの心的な伝承の痕跡もここに集中同化させることができると信じられている。これは、犬や猫や蛇であっても、折口信夫が指摘している箱におさめられた<偶人>(人形)であっても、村落の共同幻想の象徴である点で、まったくおなじことを意味している。

 

・<いづな使い>は個体としてみれば類てんかん的な入眠状態の幻覚を、媒体さえあれば獲得できる異常者である。かれが旅人から譲りうけたのは、ほんとは小さな狐ではなく、狐という共同幻想の伝承的な象徴さえあれば、入眠状態でじぶんの幻覚を創り出せる技術だったことは疑いをいれない。

 

吉本隆明の「幻想」とは?>

・前回の復習をしておくと、吉本は『共同幻想論』において、マルクス主義で言うところの下層構造決定論に対抗する形で、幻想論を展開します。幻想が人間の文化的行動を強く規定していて、そうした側面は必ずしも生産様式に還元できない。ただ「幻想」だからといって、人間の想像力次第でどうにでも変化するものではなく、一定の法則性に従って生じ、変化するものだというのが吉本の前提です。「幻想」には、「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」の三種類があります。彼の議論の要点は、個人が自己に対して抱いているところの自己幻想は、いきなり共同幻想に合致することはなく、「性」を中心とする家族関係に対応する「対幻想」をいったん経由しないと、「共同幻想」とうまく接続できないということです。

 

<あの世と死とは?――「他界論」を読む>

・「他界論」の章に入りましょう。「他界」とは、現実的に「共同体」の外側の世界のことです。ただ、「他界」といっても、全く無関係なものが幻想として現れるはずはありません。何らかの形で、共同体と関係がある「外部」が他界として現れてくる。これまでの章だと、山人や山姥がそうですが、彼らは共同体から排除された、あるいは自分から出て行った存在でしたね。

 

・そういうわけで<死>と<他界>は不可分の関係にあります。123頁で、『遠野物語』の<死譚>としてある鷹匠の話が紹介されています。鳥御前という鷹匠が、茸採りに山に入ったところ、赤い顔をした男と女が話しているのに出会った。彼らを普通の人間ではないと思い、試しに切刃を抜いて打ちかかったのだが、男に蹴られて気を失ってしまった。それで家に帰って、今までこんな目に遭ったことはない、誰にも言うなと語って、3日後に死んだ。山伏に相談すると、山の神が遊んでいるところを邪魔したので、その祟りを受けたのだ、という。

 吉本は、この鷹匠は幻覚に誘われて谷底に落ち、打ちどころが悪く死んだのだろう、という即物的な解釈を示したうえで、それに、

 けれど「鳥御前」が、たんに生理的にではなく、いわば綜合的に<死>ぬためには、ぜひともじぶんが<作為>してつくりあげた幻想を、共同幻想であるかのように内部に繰込むことが必要なはずだ。

いいかえれば山人に蹴られたことが、じぶんを<死>に追い込むはずだという強迫観念をつくりださねばならなかったはずだ。そしてこのばあい「鳥御前」の幻覚にあらわれた赭ら顔の男女は、共同幻想の表象にほかならないのである。

 

・余談ですが、姥捨てされた人たちと熊の戦いを描いた、佐藤友哉(1980―― )の小説『デンデラ』(2009)のタイトルはここから来ているのでしょう。

 要するに、60過ぎの年寄りは生きながら「他界」へ追いやられるわけです。この場合は、老人が<家>の働き手として失格したので、対幻想の共同性から追いやられることははっきりしています。

129~130頁では、それに加えて、「対幻想の共同性が、現実の基礎を見つけだせなくなる」ということが指摘されています。これは生殖能力がなくなったという話のような気がしますが、吉本自身が子供を実際に生むかどうかではなくて、「対幻想として特異な位相を保ちえなくなったかどうか」だと言っているので、面食らいますが、この特異な位相というのは、性的なニュアンスを含んでいる、ということでしょう。恐らく、実際に子供を生んで家を継続させるかどうかではなく、生殖的なものの象徴でいられるかどうかでしょう。非性的な存在になってしまったら、対幻想によって個人と家、家と村落共同体を繋ぐ役割を果たせなくなるので、共同体の地理的な向こう側に追いやられるわけです。

 130~131頁では、「他界」というものが空間的に村の向こう側に設定されるのは、農耕民の特質であるということが論じられています。これは納得いきますね。農耕で定住しないと、村の内/外を区別する意味がない。<サンカ>のように定住することなく山地や里の周辺を渡り歩き、野生物に依拠しながら生活する人々の場合、時間・空間意識は当然異なったものになります。<サンカ>は、現在の夫婦より5代前の高祖父母を<テガカリカミ>という生き神扱いし、生きていれば、3日ごとに食物を運ぶということですね。つまり各人は共同体の中で自然と<死>の領域へ移行していくわけですね。

 

 

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

 

荒神

荒神(こうじん)とは、日本の民間信仰において、台所の神様として祀られる神格の一例。

 

荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようである。ちなみに各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。

 

荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある。(三系統ともいう。)屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」*(1)、屋外の「地荒神」である。

 

屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教修験道三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。

 

御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教道教陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神牛頭天王の眷属神だとしている。

 

牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。

 

 

 

偽史と奇書の日本史』

佐伯修  現代書館  2007/4

 

  

 

<全人類は天皇家の子孫である!「竹内文書」とその支持者たち>

・いわゆる「超古代史」の文献と総称されるものだが、もとより正当な歴史学からは、フィクション、ファンタジーとして一笑に付され、無視されてきた。しかし、一方でそんな「歴史」を真面目に信じる人々が常にあり、たび重なる否定にあいながら、この手の「歴史」が再生産されてきたことも事実である。

 

・さて、数ある「超古代史」の中でも過去へのさかのぼり方という点から群を抜いているのは、「竹内文書」(竹内文献)であろう。編集公表されたものが『神代の万国史』と名づけられているように、その記述は、実に3176億年近い昔という、気の遠くなるような過去に始まっている。

 

・「竹内文書」は、このとき、「天地身一大神(あめつちひとつのおおかみ)」によって全宇宙は創られた、と説くのである。そして、約2000億年前に、日本で生まれた神の子が世界に散らばって世界の各人種になった、というのだが、天地を創造した「天神」、初代の「天地身一大神」は天皇家の遠い祖先ということになっている。すなわち、全人類は天皇家の子孫であり、地球上には最初から天皇の統治する日本があり、日本こそ本来の世界の中心だった、というとんでもないことになる。

 

・ところで「竹内文書」は、それにとりつかれた人々を介して新たな妄想を生み出している。例えば、酒井は昭和9年(1934)に吉備(岡山県)の葦岳山が「ピラミッド」だと主張してセンセーションを起こしたし、一部では今も信じられている「青森県にキリストとその弟の墓がある」という説に火を点けたのは、竹内と画家の鳥山幡山である。また「竹内文書」には「ヒヒイロガネ」という”謎の金属”が登場するが、かの「オウム真理教」の麻原彰晃(松本千津夫)は、この金属を本気で入手すべく躍起になったという。その他、「ベントラベントラ」という”空飛ぶ円盤を呼ぶ呪文”でマスコミをにぎわせた高坂剋魅も、「竹内文書」の中の「天ノ浮船」(あめのうきふね)をもとに「UFO」実在論を展開したという。

 

<警察予算獲得の「サンカ」と「島根県邏卒(らそつ)文書」>

・かって、日本の各地には、「サンカ」と呼ばれる独特の暮らし方をする人々がいた。人里近くの河原や林の中などに、仮設住居をいとなむなどして、野営に近い住まい方をし、川魚などを捕ったり、箕など竹細工製品を作ったり、修繕して生活を立てることが多かった。また、季節や、その折々の事情に応じて、しばしば生活拠点(セブリ)を移動させるため、「漂泊民」の一種に数えられてきた。

 

・その起源はつまびらかではないが、確かな記録が残っているのは江戸末期からで、第2次世界大戦後の昭和30年代頃までに、ほとんどが一般的な定住生活を送るようになり、姿を消したようである。

 

・むしろ、世間一般に「サンカ」の名が広く知られたのは、昭和10年代に爆発的に流行した三角寛(1903~71)による「山窩小説」のためで、由来不明の「山窩」の表記とともに、ヨーロッパの「ジプシー」(ロマニー民族)になぞらえるような、伝奇ロマン的な「サンカ」像が広められた。

 このような「サンカ」の実像は、民俗学なども正面から取り上げられることがないまま放置される一方、警察関係者らは早くから「サンカ」を、「犯罪予備集団」と見做して警戒してきた。

 

・「島根県邏卒文書」は「サンカ集団を『略奪』『強姦』『殺人』『放火』を行う凶悪な犯罪者集団と断定した初めての資料」。

 

<「艮(うしとら)の金神の託宣を「伝える!大本教出口なおの「お筆先」>

・子だくさんの大工の女房だったが、夫に先立たれた、京都府綾部在住の出口なおが、最初に神がかりになったのは、明治25年(1892)の節分、なおが、数えで57歳のときだった。

 

・幼くして実父を失い、奉公に出て、出口家の養女となった彼女は、夫の浪費、発病、そして破産、長男の自殺未遂、夫の死、次男の出奔、長女の不和など苦労の半生を耐えてきた。そんな彼女はまた、三女の乱心や長女の発狂を機に、金光教や能勢(大阪府)の妙見菩薩、稲荷明神などへの信仰にはまりつつあった。

 

・さて、神がかりとなったなおは、男声でおごそかに「艮の金神」の託宣を告げ、きちんと座った姿勢のまま身体を上下に揺らしながら腹中に宿った神との対話に入ったという。最初の神がかりのとき、彼女は2月の寒さの中、水ごりをしながら13日間断食を続けた。

 

<「神代文字」で書かれた本文!『秀真伝(ほつまつたえ)』の五七調の奇妙>

・『古事記』や『日本書紀』に記された以前の”歴史”を綴った、いわゆる「超古代史」文書には、太古の成立を謳いながらも、実際の出現は近代になってからのものが多い。そんな中で、今回紹介する『秀真伝』は、その全貌が明らかにされたのは、戦後のこととはいえ、一応江戸時代の安永年間(1772~81)まで、その出現年代をさかのぼることができるとされる。

 

・その後、弓削道教(?~772)との抗争に敗れ、近江へ逃れた大三輪一族によって持ち出された『秀真伝』は、滋賀県高島郡にあった三尾神社の「神宝」となっていたが、安永四年(1775)になって、地元の井保勇之進(和仁估安聡)が宮中に献上を試み、にわかに注目をあびる。井保は、「秀真」なる「神代文字」で書かれていた本文のそばに漢字で訳を附している。

 

 

 

『世界を支配する秘密結社』(謎と真相-別冊歴史読本

新人物往来社) 2003/5

 

 

 

<サンカを秘密結社として描いた三角寛>(今井照容

三角寛がサンカ小説を通じて活写する“サンカの社会”はサンカを秘密結社として描いている。1932年~1940年までの間にサンカ小説は集中的に発表されることになる。

 

<サンカの起源を国津罪にもとめた三角寛

・三角は、「サンカの社会」でサンカ文字の存在を明らかにする。田中勝也氏の「サンカ研究」によれば、このサンカ文字は《上記(うえつふみ)》で用いられている象形文字の系統にあるという。

 三角の「サンカの社会」によれば、サンカでも一般社会にその存在を秘密にしている“隠密族(シノガラ)”を一種の秘密結社であると解説しているわけだが、別にシノガラでなくても三角の描くサンカは、小説においても研究においても秘密結社の要件を満たしているといっても良いだろう。三角は、民俗としてのサンカを粗描するのではなく、サンカの起源を念頭に置きつつサンカ像を構築している。すなわち、三角はサンカの起源を天皇の歴史に連なる天津罪(あまつつみ)ではなく、土着性の濃厚な先住民の歴史を示唆する国津罪(くにつつみ)に求めようとしている。

 

 

 

『漂白の民 山窩(さんか)の謎』  日本のジプシー

 忍者カムイと出雲阿国(いずものおくに) 

(佐治芳彦) (新国民社)1982/6

 

 

 

<サンカの持つ異人性>

役小角(えんのおづぬ)の登場。役行者(えんのぎょうじゃ)

彼の出身地から見て、国栖(くず)と称された異民(異族)に属しており、吉野の国栖(くず)が先住民であり、それが後世のサンカに統合される部族であった。

 

・ サンカ、シノガラの持っている特異性は、秘密結社ということだ。似たものとしてフリーメーソンがある。なぜフリーメーソンが恐れられているかというと、組織のメンバーが外部から判らないように助け合うからだ。

 

<サンカ文字をめぐって>

・サンカが固有の文字を持っていることを明らかにしたのは、三角寛であろう。

 

・ サンカ文字といわれる文字は、神代文字それも「上記」に出てくる豊国文字や「竹内文書」に出てくる象形仮名文字という種類に酷似している。

 

・ 鹿島昇氏は、ウガヤ文字、サンカ文字、越文字、豊国文字を研究して、それらが、インドのカロシティ文字とブラフミー文字の系統に属していることをつきとめた。

 

・ サンカ文字のルーツを考えると、サンカの原郷は、インドに求められることになり、したがって、サンカ=ジプシー同根説は、より具体性を帯びることになる。

 

・ 越文字とは、かって「越(こし)」の国と呼ばれていた北陸地方から山形県南部にかけての日本海沿岸部において使用されていたとされる古代文字である。

 

・ ジプシーは、インドを原郷とする漂白の人々。ジプシーの起源は、近代に入るまで知られていなかった。だが、近代に入って言語学が発達して、ジプシー語をサンスクリット語の類似点が次第に明らかになり、彼らの原郷がインド北西部だということをつきとめるのに成功した。

 

<山の民のルーツ>

・ 多くの先住民だが、「古事記」や「日本書紀」では、それらの人々を天津神(あまつかみ)系の天孫民族に対する国津神(くにつかみ)系―その諸民族との代表的なものとして出雲族があるーとして一括している。そして、朝廷に服さなかった人々として「古事記」や「日本書紀」は、隼人(はやと)、熊襲(くまそ)、肥人(くまひと)、土蜘蛛・(つちぐも)、国栖(くず)、古志(こし)(越人)、粛慎(みちはせ)、毛人(もうじん)、蝦夷(えぞ)などをいわゆる「まつろわぬ」異族(異民)として挙げている。

 

<サンカの始祖伝承>

・ サンカは、古代天皇家につながる天孫民族の渡来以前から、この日本列島に居住していた先住民族―「山の民」-の後裔であるというのが佐治氏の基本的仮説である。