日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

母船ではすでに長老を中心としてガウンをまとった宇宙人たちがずらりと半円に形のテーブルについていた。長老の正面にはテーブルと椅子が置かれており、松村は法廷に立つ被告のごとく席につかされた。(1)

 

 

新潮45   2017年6月号』

三島由紀夫と宇宙友好協会   原田実」   映画『美しい星』公開

 

 

 

<5月26日に公開される『美しい星』。原作の「宇宙人小説」はいかに誕生したのか。三島が会員だった「日本空飛ぶ円盤研究会」の派生団体に、それを解くカギがある。>

<それはアダムスキーから始まった>

・三島には宇宙人(正確には自分が宇宙人だと信じる人々)を扱った作品がある。最近、初の映画化がなされた小説『美しい星』である。

 

・大杉という一家が、空飛ぶ円盤を目撃して以来、父は火星人、母は木星人、長男は水星人、長女は金星人という自覚を持つ。彼らはその自覚に基づいてそれぞれのやり方で世界平和のために邁進する。だが、彼らの前には人類の滅亡こそが救済であるという白鳥座61番星人までが立ちはだかるのだった………。

 

・しかし、主人公の宇宙人一家に挫折をもたらすのは悪の宇宙人ではなく下世話な事情ばかりである。三島は、宇宙的規範の高邁な理想が卑小な現実に翻弄される悲喜劇を描いた。

 奥野健男新潮文庫版『美しい星』の解説で、完成作品を読むまで「純文学の世界に、宇宙人とか、空飛ぶ円盤とか、いわばいかがわしいものを持ち込んだことについて」大丈夫かと心配したと記している。

 

・だが、奥野は知らなかった(あるいは知っていても黙殺した)ようだが、この小説が書かれた当時、火星・木星・水星・金星などの宇宙人と交流しているといいはる人物が実在しており、さらにその言を信じて人生を賭した人々がいたのである。

 1953年、アメリカで1冊の書籍が出版された。「パロマー天文台教授」ことジョージ・アダムスキー(1891~1965)と英国の作家デスモンド・レスリーの共著『空飛ぶ円盤実見記』である。その書籍の中でアダムスキーは1952年11月、カリフォルニアの砂漠で金星人オーソンと名乗る長髪の男性と会ったと主張し、オーソンが乗ってきた円盤の写真と石膏型なるものを公開した。

 

・この時期、アメリカではUFOの目撃報告が続発していた。空軍の調査機関が把握した目撃報告は1952年だけで1501件にも及んでいた。その多くは航空機や星など既知のものの誤認だったが、東西冷戦を背景に防空体制を強化しようとするアメリカ政府と空軍にとって正体不明のもの(UFOは本来、未確認飛行物体を意味する略語)が空を飛んでいる可能性だけでもまじめに検討すべき課題だった。

 

<今では考えにくいことだが、アダムスキーの報告を大真面目に受け取る人はアメリカ国内に大勢いたのである>

・日本では早くも1954年に『空飛ぶ円盤実見記』の翻訳が出され、55年には日本初の全国的UFO研究団体「空飛ぶ円盤研究会」(翌年から「日本空飛ぶ円盤研究会」)が産声を上げた。

 

アダムスキーはその後、金星人のみならず火星人、土星人などとも会見し、さらに円盤に乗せられて彼らの星に行ったと述べた。そして宇宙人たちから核戦争による地球の危機を警告され、さらに精神を高めるための宇宙哲学を教わったという。

 実はアダムスキーパロマー天文台近くのカフェで働いていただけで天文台とは何の関係もなかった。彼は金星人に出会ったと言い出すより前から同好の士を集めて神秘主義哲学の講義をしており「教授」というのは仲間内でのあだ名にすぎなかった。また、彼が1949年に書いたSF小説『宇宙のパイオニア』は月、火星、金星などで高度の文明と精神性を持った異星人に出会う話で後年のコンタクト報告はその焼き直しにすぎなかった。

 だが、アダムスキーの出現はUFO愛好者たちの世界に大きな影響を与えた。自分もアダムスキー同様、宇宙人とコンタクトしてメッセージを授かったという人(コンタクティ)が続出したのである。その潮流は日本にも押し寄せてきた。

 

 

<円盤に乗った日本人>

・日本最初の全国的UFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」(略称JFSA)は北村小松糸川英夫徳川夢声らを顧問とし、三島由紀夫石原慎太郎星新一平野威馬雄らを会員に迎えるなどUFOに関心を持つ文化人のサロンとしての側面もある団体だった。

 

・CBA結成前後の時期、松村は自分も宇宙人からのテレパシーを受けていると言い始めた。そして、1959年7月27日、テレパシーに導かれた松村は、ついに小型円盤に乗せられ、宇宙空間に浮かぶ母船へと案内されたという。

 母船ではすでに長老を中心としてガウンをまとった宇宙人たちがずらりと半円に形のテーブルについていた。長老の正面にはテーブルと椅子が置かれており、松村は法廷に立つ被告のごとく席につかされた。宇宙人と松村との会話は英語によってなされたという。

 宇宙人たちが告げる内容は以下のものだった。すなわち、地球の大変動がきわめて近い将来に迫っている。宇宙人たちはそれに備えて地球を観測しているがまだ正確な期日はわからない。宇宙人たちは将来の地球再建のために、一人でも多くの人を他の星に避難させたい。その際には決して混乱を招かぬよう慎重に事を進めてほしい。松村はその使命のために選ばれた人物なのだという。まるでSF映画の1シーンのようである。

 

<「『リンゴ送れ』シー」>

・1959年末、東北・中部・関西など日本各地のCBA会員たちにその地区の連絡員の名で「特別情報」なる文書が配布された。その内容は次のようなものである。

 1960年から62年の間に地球の自転軸が傾く大災害(CATASTROPHE)、略称Cが起きる。

西日本と東日本に一か所ずつ宇宙の兄弟が円盤で迎えに来る避難所が設置される。

Cの10日前には「『リンゴ送れ』シー」という電報が届くので登山の用意をして家族とともに指定された避難所(おそらくは山岳地帯)に急ぐこと。

Cによる大洪水で地球の生物のほとんどは死滅し、3年間は作物も育たない。地球を脱出した者は再教育を受けて数年後に地球に帰り輝かしい未来を築く。  

以上。

 

・翌1960年1月29日、産経新聞は人騒がせな珍事としてこの話題をとりあげ、他の新聞や週刊誌もこれに続いた。それらによると「試験なんか受けたって仕方ない」と学校を休んだ高校生グループや「遊ぶなら今のうち」と生活を乱した女子高校生、地球脱出の準備のために家屋敷を売り払った商人もいたという。それらの内部情報を主にリークしたのは当時、会員だった平野威馬雄だが、彼も松村の主張の荒唐無稽さには辟易していたのである。

 

・そして1961年6月、小川に代わってついに松村が代表となる。この内部抗争の過程で久保田らアダムスキー主義者、小川ら生長の家関係者は追放された。

 他にも追放された人物には、CBA創設時以来の幹部で、「特別情報」をばらまいた一人である渡辺大起もいた。やがて渡辺はサナンダという金星の長老から直接メッセージを受け取るようになったという。渡辺は1982年から91年にかけて信奉者を引き連れ、フランス、ギリシャエクアドルなどで地球浄化のための儀式と称するものを行ない、全人類の救済を宣言した。

 

・松村の主張によると宇宙には正義の宇宙連合の他に、敵対する悪のオリオン星雲人がいる。追放されたCBA幹部や対立するとみなされた団体は、すべてオリオンの想念波動を受けた人々だったいう。

 

<宇宙考古学への傾倒>

縄文時代晩期の出土品で東北地方を中心に分布するいわゆる遮光器土偶。このユニークな形状の考古学的遺物が実は宇宙服を着た宇宙人を模したものだという説は、ソ連の作家アレクサンドル・カザンツェフが1962年に発表したエッセイで広まったものとされている。そして、カザンツェフのエッセイには資料にした土偶現物やアイデアの提供者として「松村さん」という日本人の名がでてくる。これが松村雄亮であることは言うまでもない。松村はすでに1960年にCBA機関紙で土偶宇宙人説を提示している。

 

・松村新体制でのCBAがもっとも力を入れたのは宇宙考古学(古代宇宙飛行士説)の普及だった。松村によると日本列島はムー大陸の流れをくみ宇宙人とも交流していた古代太陽王国の地だった。天皇家太陽王国への侵略者で、その伝承を奪い、自分たちを中心とした神話を捏造したという。この歴史観には成長の家の天皇崇拝に対抗する意義もあった。

 熊本県山鹿市のチブサン古墳(現・国史跡)は両手を広げた人物といくつもの円形で構成された装飾で知られている。

 1963年9月、CBAはこの古墳の前に、空飛ぶ円盤を迎える太陽王国の王の壁画だという掲示板を立て、山鹿市教育委員会からの度重なる撤去要求に抵抗を続けた。

 

・また、CBAは、アイヌ叙事詩ユーカラに出てくる英雄オキクルミを宇宙人とする解釈からオキクルミ降臨伝説が残るハヨピラ(原北海道平取町)に宇宙人を出迎えるための記念公園を作る計画を発表、直径15メートルの太陽円盤マーク花壇やピラミッド状のモニュメントを含む公園を実際に建設した。

 

・当時の会員の一人は後年の著書でセレモニーの最中、数百機の巨大な母船群と円盤が次々に出現し、延べ1000人を超える人々がそれを見たと証言している。類似の証言は山川も残しており、公園完成の高揚感で参加者たちの中からUFOを見てしまった者が出たことがうかがえる。

 

・さて、ここで『美しい星』初出の時期に注目したい。1962年、それはUFO関係者の間で「『リンゴ送れ』シー」報道の記憶がまだ生々しかった頃である。『美しい星』の大杉家の言動は三島自身が会員だったJFSAの活動内容よりもCBAの方に近い。

『美しい星』の主人公一家の苦難にはCBAの悲喜劇が投影されている………そう考えるとこの作品の謎めいた結末も理解できるように思えてくる。作中の白鳥座61番星人はさしずめオリオン星雲人か。

 

 

新潮45   2017年6月号』

「三島さんが生きていたら相談したかった」   映画『美しい星』公開

(映画監督) 吉田大八    インタビュー・構成 (映画評論家)瀬戸川宗太

 

 

 

<「この小説が映画になったら絶対に観たいと思った」と語る吉田監督、大学時代に初めて読んで以来、30年越の悲願が叶えられた>

三島由紀夫の小説で異色の作品として知られる『美しい星』を、『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』の吉田大八監督が映画化した。原作は、1962年に書かれており、米ソ冷戦の真最中、ソ連による人類史上最大の核実験の前年、埼玉県飯能市で暮らす4人家族が、突然「宇宙人」であることに覚醒し“美しい地球”を救おうと考え始める。三島作品としては異色のSF小説である。映画は時代を現代に置き換えている。

 

<なぜ誰も映画にしないのか>

—―映画化するにあたっての道のりはどのようなものだったのでしょうか。

 なぜ映画にならないのかなとずっと思っていました。許可がでないのかな、なんて想像したりしながら。

 

—―そもそもなぜこの小説を映画化したいと思われたのですか。

 8ミリで自主映画を制作していた大学時代に初めて読んだんですね。それまで僕にとって三島由紀夫という名前は教科書に出てくる人であって、自分に縁のある人とは思っていませんでした。

 

—―三島由紀夫の小説は他には読まれているのですか。

 正直言うと、学生時代はそれほど読んでいませんでした。読んだのは短いものが多く、「豊饒の海」なんかは結構後で、30歳を過ぎてからです。「美しい星」はたまたま人に勧められたから。

 

—―『潮騒』なんかどうですか。何回も映画にもなっていますが。

 読んでませんし、映画も観ていません。「不道徳教育講座」は中学生くらいの時に読んでいます。ブラックなものって中学生は好きじゃないですか。あの三島由紀夫があんなふざけたものを書いていたことが嬉しいですよね。

 三島さんの小説を好きになったのは大人になってからです。「鏡子の家」をようやく読んだのが1昨年のことです。

 

—―不思議に思うのは、当時の三島さんが宇宙人やUFOに興味を持ったことです。UFO研究会に入っていました。あの時代になぜだと思いますか。

 なぜですかね……。「美しい星」に関しては、ご本人の言葉がそれほど多くは残されていません。ただ、楽しんで書いて、作品の出来には相当な自信があったそうです。まだUFOという言葉が認知されていなくて、「空飛ぶ円盤」だった時代に、自分だったら扱えるという直感があったのではないでしょうか。ただ当時、世間が三島さんに期待していたものとはマッチしていなかったのではないかな。それは三島さん自身も発表後に、世間の反応からお感じになったことだと思います。

 

<3・11で書いてみたものの>

—―原作の最後には、人類滅亡か救済かをめぐる大論争が出てきます。日本文学ではあまりないことがやりたかったようにも思えます。

 そうですね。三島さんには、自分ならそれを達成できる、という自信があったのではないでしょうか。「神」を失った日本人たちに向けて、宇宙人たちの奇妙な神学論争を突きつける。それを強引に成立させるための、自分の能力に対する信頼みたいなものを強く感じます。

 

—―小説では核戦争による人類滅亡の危機が問題となっていますが、映画では、現代の環境・温暖化が問題となっています。変えたのはなぜですか。

 今思い出したのですが、僕が原作を初めて読んだのは、チェルノブイリ原発事故でした。「3・11」の後にも、本書を手に取る人が増えたと聞いています。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用

「美しい星(小説)」

あらすじ

 

夜半過ぎ、埼玉県飯能市の旧家・大杉家の家族4人が町外れの羅漢山に出かける。彼らはいずれも地球の人間ではなく、父・重一郎は火星、母・伊余子は木星、息子・一雄は水星、娘・暁子は金星から飛来した宇宙人だと信じていた。各人とも以前、空飛ぶ円盤を見て自らの素性に目覚めていたのである。その日、円盤が来るとの通信を父が受けたのだが、円盤は出現しなかった。しかし一家は自らが宇宙人であることを自負しながら、その素性を世間に隠し、水爆の開発によって現実のものとなった世界滅亡の危機、核兵器の恐怖から人類を救うために邁進し始める。

 

重一郎は、破滅へと滑り落ちていく世界の有様を予見するとともに、その責任を自分1人が負わなければならないと考えていた。「誰かが苦しまなければならぬ。誰か1人でも、この砕けおちた世界の硝子のかけらの上を、血を流して跣足(はだし)で歩いてみせなければならぬ」と思いつめていた重一郎は、「宇宙友朋(UFO)会」を作り、各地で「世界平和達成講演会」を開催して回る活動を始めた。娘・暁子もソ連のフルシチョフ共産党第一書記に核実験を止めるよう嘆願する手紙を書いたりした。

 

ある日、暁子は文通で知り合った石川県金沢に住む、自分と同じ金星人の青年・竹宮に会いに行く。そして、その時内灘の海岸で一緒に空飛ぶ円盤を見た神秘体験によって、妊娠したことをのちに知るが、暁子は竹宮を地上の人間だと認めず、自分は処女懐胎したと主張し、生む決意をするのであった。

 

一方、こうした大杉家に対し、宮城県仙台には羽黒真澄助教授をはじめ、羽黒の元教え子で銀行員の栗田、大学近くの床屋の曽根の3人の、はくちょう座61番星あたりの未知の惑星からやって来た男たちがいた。彼らはひたすらこの地球の人類滅亡を願い、「宇宙友朋(UFO)会」の重一郎を敵視していた。彼らもまた、円盤を見てから自分たちが宇宙人であると自覚し、水爆戦争による「人類全体の安楽死」に使命をかけて団結していた。

 

 

 

『宇宙人の柩』  日本人脳外科医が衝撃の告白!

鈴木龍成、竹本良  明窓出版  1997/8

 

 

 

・今年(1997年)に入ってからのことだ。

 それは一本の電話から始まった。某大手出版社のB誌編集部員であり、親しくさせていただいている長浜淳之介氏が、NASAの施設でETの死体を見たという日本人医師がいるといってきたのだ。

「何? それはほんとうか?!」

 唐突な話であったため、私が、長浜氏に思わず聞き返したのだった。しかし驚いたことに、それと1週間と違わず、私の年来の友である出版プロデューサーの横田久哉氏に、ある政治家の新年会でお会いした時、彼が全く同じ話をしてくれたのだ。

 

・「ええっ?ひょっとしてそれ、○○○○(有名な病院名が入るところ、医師としての職業上、そして本人の身の都合上さけています)の鈴木龍成氏(仮名)の事?」

私が身を乗り出してたずねると、横田氏はうなずいたのである。

 

NASAの研究施設で「ETの死体を間近で目撃した」と証言する日本人医師が現れた。1992年にNASAで宇宙航空医学の専門家として派遣されていた時、ある部屋で2時間ほど冷凍ガスで保存されたETを目撃したというのだ。背丈は140センチ位、頭が異常に大きく、腕は細く長い、血管は地球人よりも太く、緑色。性器は退化しており、骨格もあり、肌はゾウのそれに似ている。いわゆるグレイタイプであったという。更にドクターKは男女判別つけがたい、生きているETとも会話したと語った。そのETは我々が白鳥座61番星と呼んでいる星から来たことが判明、腰につけた自動翻訳機で対話したという。こちらは一般にアダムスキータイプと呼ばれているものであり、ゲイ・ペッツの描いた「金星人の姿」にそっくりな風貌、ただ目鼻がもう少しくっついていたというのだ。-中略―その他、全身がガン化したことその腫瘍の写真(ETは皮膚ガンになりやすいという)、実験室の見取り図、国務長官の確認書、反重力装置の一部を見せてくれた。ドクターKは「これらは20~30年内に周知の事実となるだろう」と述べた。

 ドクターKとは鈴木龍成氏のことである。

 

 

 

『光速の壁を越えて』

エリザベス・クラ-ラー  ヒカルランド  2016/4/30

ケンタウルス座メトン星の【宇宙人エイコン】との超DEEPコンタクト

 

 

 

<息子に付けた特別な名前>

・「ここメトン星では、時間はまったく重要でありません。夜も昼もなければ、「時間を区切る単位もありません。事実、今あなたが浸かって、光のより高い振動周波数はあなたの加齢プロセスは高い帯域の周波数においては適用されません。そこでは、時間の流れ、そして人間の寿命が変わってくるので、メトシェラの神話は見劣りするでしょう。人類は、電磁的特性によって永遠の命を得ることができます。ただ電磁エネルギーを強化してそれを固守することで、人々は純粋な思考と愛によって7年毎に自己を肉体的に更新できるのです。

 

・祝賀会はエイコンの家で催され、この偉大な文明の多くの人々がはるか彼方からやって来た。彼らは皆エイリングを愛してくれた。幼い息子の美しさは目を見張るものだった。高い知性と完璧な態度は大人たちにも感銘を与え、彼らは息子を白鳥座へと連れて行きたがった。

「地球のような惑星の女性としては、素晴らしい成功です。銀河の私たちのところにエイリングに訪問してもらいたいです。彼は偉大な科学者になって、私たちの文明に恩恵をもたらすことでしょう」と彼らは言った。

白鳥座は遠すぎるわ。地球からデネブまでは少なくとも1500光年もあるわ。琴座のベガの方がずっと近くて、地球からわずかに26光年ほどよ。息子を白鳥座まで連れて行かないで!あの星座には超新星ができるわ」と私は彼らに言った。

「心配することはありませんよ。私たちはそんなつもりで言ったわけではありません。あなたが望まないなら、白鳥座に連れて行きませんよ。ただ、その地域で超新星現象が起こると言うあなたの予言に、私たちはとても興味があります。あなたは問題の恒星に気づいているのだと思います。あなたの未来に関する直感と知識は高まっていますね」

 

 

 

『知っておきたい世界の幽霊・妖怪・都市伝説』

一柳廣孝  西東社   2008/7

 

 

 

三島由紀夫 天才小説家の怪奇な死>

<英霊に導かれた死>

・1970年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説をして自衛隊にクーデターを促し、その後に割腹自殺をした「三島事件」は世間に衝撃を与えた。彼の死に関しては、その友人から奇妙な話が伝わっている。

 

・自殺した年の正月に三島邸で行われた新年会の際、霊感の強い者が三島由紀夫の後ろに青い影を見て、それを三島に告げた。三島が影に向かって「磯部か?」というと、その影は消えたという。磯部というのは陸軍軍人の磯部浅一という人物で、2・26事件に関与して銃殺された。三島由紀夫の思想にも強い影響を与えた人物だそうだ。友人はこのような霊にとり憑かれていたら大変だからと、お祓いを勧める。それを聞いた三島は「『英霊の聲』を書いているときに、半分居眠りしてるのに筆だけが動く。でき上がったのを見て書き直そうとしても、どうしても何か、書き直せない力が働いていた」と思い当たるふしについて語ったという。

 

・『英霊の聲』は、2・26事件の青年将校たちの霊が天皇に対する無念を語るという内容である。この話を踏まえると、三島由紀夫は、磯部浅一の霊に導かれて死んだとも考えられるのではないだろうか。

 また、三島が自殺した市ヶ谷駐屯地では、たびたび三島由紀夫の幽霊が目撃されたという。

 

マリリン・モンロー 演技をし続けた苦しみの人生>

<謎の死をとげた世紀の女優>

・ハリウッドにあるルーズベルトホテルには、マリリン・モンローの幽霊が出るという話がある。1950年代からアメリカのセックスシンボルとして有名だった彼女は、1962年に突然亡くなり、世間に衝撃が走った。睡眠薬の大量服用による自殺という説や、何者かに殺害されたという説など、その死は謎に包まれたままだ。

 

マリリン・モンローの幽霊は、よくルーズベルトホテル内を徘徊しているのだという。また、地下に飾られている、マリリンが愛用したという鏡には、マリリンが映ることがあるそうだ。プールサイドに水着姿のマリリンが歩いているのを目撃した人も多数いる。そんなことから、ルーズベルトホテルには、マリリン・モンローの幽霊見たさに来る客が絶えないそうだ。

 

マリリン・モンローは実際は聡明な女性で、世間に求められている「セックスシンボルとしてのブロンド美人」というキャラクターとのギャップに悩んでいたとされている。また、本当はブロンドではなく、褐色の髪だったということも知られている。その鬱屈から逃れるために、彼女はアルコールや恋愛に依存していったのだという。

 

アドルフ・ヒトラー  録音された独裁者の声>

<大量虐殺を謝罪する声>

・第2次世界大戦を引き起こす原因をつくり、敗北直前に自殺したアドルフ・ヒトラーは、ユダヤ人を大量虐殺したことで有名な人物だ。そのヒトラーの霊の声が録音されたテープがあるという。第2次世界大戦から15年ほど経ったある日、スウェーデン市民が購入した新しいテープに奇妙な声が録音されているのに気づく、よく聴いてみるとそれはドイツ語で、ドイツ人に聴かせたところ、ヒトラーの声に間違いないということだった。そして、その声は、ユダヤ人の大量虐殺を謝罪していた内容だったという。

 

 

 

仮面の告白

三島由紀夫  新潮文庫   2003/6

 

 

 

三島由紀夫の作品における「仮面の告白」の中のフリーメーソン

・「夜、私は床の中で、私の周囲をとりまく闇の延長上に、燦然たる都会が浮かぶのを見た。それは奇妙にひっそりして、しかも光輝と秘密にみちあふれていた。そこを訪れた人の面には、一つの秘密の刻印が捺されるに相違なかった。深夜家へ帰ってくる大人たちは、彼らの言葉や挙止のうちに、どこかしら合言葉めいたもの、フリ-メイソンじみたものを残していた。また、彼らの顔には、何かきらきらした直視することの憚れる疲労があった。触れる指先に銀粉をのこすあのクリスマスの仮面のように、彼らの顔に手を触れれば、夜の都会が彼らを彩る絵の具の色がわかりさうに思はれた。やがて、私は「夜」が私のすぐ目近で帷をあげるのを見た」。

 

 

 

『週刊 世界百不思議 2009年3・12/19合併号』 

この世は「謎」と「怪奇」に満ちている

講談社

 

 

 

<UFOを信じた知識人たち>

<自宅に観測所を作り、研究会員になった三島由紀夫(1925-1970)>

・作家、三島由紀夫は日本初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会(略称JFSA)」の会員だった。

 

・1960年代頃、彼は「美しい星」というタイトルの、自ら宇宙人だと信じる一家の小説を書いているが、その中には、JFSAの機関誌名「宇宙機」という言葉を登場させている。また彼はJFSA発足の2年後に結成された「宇宙友好協会(略称CBA)」が主催したイベントにも参加している。これは仲間と手をつなぎ、「ベントラー、ベントラー」とUFOに出現を呼びかけるというものだが、残念ながら目撃にはいたらなかった。

 

・ちなみに、UFOへの呼びかけ文句「ベントラー」とは宇宙語で、宇宙船の意味だという。

 

 

 

『太田千寿が解き明かす「霊界と天上界の大真実」』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

太田千寿  徳間書店    1996/8

 

 

 

三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。

私が知らされていたのは、次の三点です。

 

1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

 

2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

 

3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

 

・-私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは一面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

 

・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

 

<地獄からの生還>

・-UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

 

・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

 

・そのとき、神々しき声がした。

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

 

・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

 

<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

 

<白髭白髪の老人の出現>

・ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。