日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

「国会政策局」「公務ワークシェアリング」「ベテラン・シンクタンク」の3点セットによって霞が関の人材の受け皿をきちんとつくりながら(2)

 

 

アセンション最後のハードル』

ついに明かされた宇宙のシフトアップ計画

アマーリエ    徳間書店   2010/20/9

 

 

 

<ヘルメス>

<愛の原理を基礎とした繁栄、発展>

・私は、あなた方の文明の中において、エル・カンタラーと呼ばれし者。生命体のひとつとして、かってギリシャの地により、ヘルメスと呼ばれた意識のひとつでございます。

 

・今、数々の経済学者という方がおられて、資本主義、共産主義というイデオロギーの闘いの中において、人々は数々の試行錯誤を重ねてまいりました。

 

共産主義という体制が今においては、もう意味をなさぬものであると、ひとつの文明実験の結果であったということを人類は学んで知っているはずです。

 

<平等な神の子の機会均等システム>

共産主義体制というものが否定され、今、民主化という流れになっているけれども、では民主化という流れの中において、資本主義体制というものが勝利したかというと私は、そうは思いません。

 

・あなた方が学んだ資本主義体制、民主体制というものが、決して完全なる善であると我々は思っていないし、人々もそのうちに、それを身を持って学ぶことになるでしょう。

 

・今、共産主義の崩壊の後、資本主義体制の崩壊というものが行われております。そのようなものが、もう少し時の流れの中においてー。今は資本主義体制のトップとして世界をリードする国として、アメリカという国があるでしょう。でも、そのような国が、そのうち音を立てて崩壊する時がくるのです。

 

・資本主義対共産主義という二元対立の抗争があった中で、片方が先に滅びたからといって、片方が勝ったわけではないのです。そのどちらもが本当の道ではなかったということを人類は学ぶために我々は、その時をかけて見守ってきたということなのです。

 

・人々が、ある意味で、その総合的な合算されたものの中にでてくる、社会体制というのが出てくるのです。

それは自ら一人ひとりが神の子であるという認識において、神の子としてどのようにこの地上を治めていったらいいかということを一部の為政者だけに任すのではなく、一人ひとりが、みんながそのように願いながら共産主義とも資本主義とも言えないシステムを確立していくのです。その結果、平等な神の子の機会均等システムというものが現れてくるのです。

 

 

 

『日本のNPOはなぜ不幸なのか?』

「社会をよくする」が報われない構造を解く

市村浩一郎   ダイヤモンド社  2008/9/19

 

 

 

・社会のために貢献する仕事、しかし、生活がなりたたない、という現状を変えていきたい!

 

・日本と言う国をより良い形に変えていくためには、営利企業セクターと行政セクターに並ぶものとしてNPOセクターというもう一つの経済セクターを成立させることが必要不可欠。

 

<行政の公益独占を止めるには「NPOが必要」という理由>

・日本ではこれまで、議会制民主主義とは形ばかりで、実質的には行政府が立法までするなど実質的に官僚・役人に依存する社会の仕組みが支配的であった。

 

・「議員は新人のころはそれこそ本当に無力なのです。実際、役人にへいこらとお辞儀をしている議員も何人も見てきました。本当は国民の信託を受けている議員こそ、政治をリードしてほしいのに、信託をうけていない人間が威張っている」

 

・欧米では政治に関与する主体として議会と行政の他にNPOがあり、三極を構成している。だからより良いバランスが保てる。なぜならば、NPOが各専門分野について深い知識を有していて、行政に対し直接ものも言えるし、議員に対し法案などについての提案ができる力を持っているからだ。

 

・資金がなければ、スタッフを充実させることもできないし、専門知識を増やしていくこともできない。NPOセクターをしっかりと育成していくのであれば、税金の一部をNPOに渡していくという制度をビルトインした法律を作らなければいけないはずです。

 

・官僚に税金を100%任せるのか、その一部をNPOに回すのか。NPOに税金の一部が回ればNPOはしっかりと官僚をウオッチできるはずです。

 

・実は日本にもNPOと本来認識されるべき組織は多数存在してきたことは、これまでにも紹介してきたとおりだ。公益法人(財団、社団)、社会福祉法人、学校法人、医療法人、宗教法人労働組合、生協、農協など。これらは世界の常識ではNPOとされる組織だ。公益法人には日本経団連経済同友会、商工会、青年会議所ロータリークラブライオンズクラブなども含まれている。そう考えると日本にも従来からNPOの広がりがあることが理解できるだろう。

 

<必要なのは「社会の三権分立体制」の確立>

・社会システムの中に行政セクター、営利企業セクターと並ぶ三本目の核としてNPO(非営利)セクターを据え、いわば「社会の三権分立」を確立したいと私は考えている。

 

NPOセクターには、多種多様な市民活動団体およびボランティア活動団体のほか、NPOを運営面などで支援する中間支援組織や、非営利活動を財政的に支援する助成団体、そして生活者指向の政策代替案を提示し得る独立型シンクタンクもある。また、財団や社団、学校法人や医療法人、宗教法人といった公益法人等や労働組合、生協や農協なども設立の趣旨から言えばNPOセクターの住人ということになろう。

 

・米国には弁護士や会計士などがNPOのために相談業務を行うNPOを設立しているケースもある。あるいはNPOを対象に広告代理業を行うNPOも存在する。多分に同好会的な組織も含まれるし、後にコンピュータソフト会社やインターネット・プロバイダーなどの営利企業になってNPOセクターを巣立っていった団体もある。それほどまでに多種多様な目的や形態を持つ「自律した民間非営利組織(真のNPO)」の集合セクターを私は確立したいと思っている。

 

・米国ではファンドレイザーと称する資金集めのプロがステータスの高い一つの職業として成り立っているほどだ、米国の寄付金の年間総額は04年の時点で23兆円を超えているが、一方、日本は年間約6000億円にすぎない。これはやはり寄付金税制によるところが大きい。米国では所得に占める控除の限度額が大きい。英国では単独寄付や給与天引き制度などといった少額の寄付を継続しやすい制度が完備している。

 

<「官の公」から「民の公」へ>

・実は行政とねんごろな運動家たちの多くも「官の私」セクターの住民といえよう。そうした運動家たちは、このセクターに回る莫大な資金の分け前をどのように得ようかと考えて行動している。公益ではなく、利益を優先している輩だ。

 

・06年4月1日の時点で、中央官庁や出先機関随意契約を結んでいる1233の公益法人の8割近い962法人に、国の機関のOB約1万人が「再就職者」として天下りしていることが会計検査院の調べでわかった。そのうち約3600人は役員に就任しているという。

 

 

 

『国を変える力』 ニッポン再生を探る10人の提言

猪瀬直樹   ダイヤモンド社   2008/10/17

 

 

 

<『政治と秋刀魚』で見る日本政治(ジェラルド・カーティス

(カーティス)当時、ジョン・F・ケネディ大統領が通した国防教育法という法律があった。国防のためにアメリカ人はもっとロシア語とか日本語とか中国語を勉強すべきだということで大きな奨学金制度が作られたのです。

 

(猪瀬)西荻窪のアパートはトイレも炊事場も共同だったんでしょう。

 

(カーティス)毎晩銭湯へ行きました。帰りにラーメンを食べたり、スナックへ行ってビールを飲んで、ママに日本の歌謡曲を教わったりして。良かったですね。いろいろな懐かしい思い出があります。

 

・日本に来て、僕の食生活は革命的に変わりました。あのころ、その食堂で肉を食べたいと思ったら、あるのはクジラだけ(笑)。牛肉なんか大衆食堂では食べられない時代でした。

 

<若者に希望や可能性を与える社会に>

(猪瀬)それともう一つ、最近は、とにかく塾に行って、いい点を取って、いい大学に行って、いいところに就職すると勝ち組だという非常に狭い価値観と、一方ではフリーター、ニートがいるという両極になっている状況です。再チャレンジの仕組みがうまくつくれずにいる。

 

(カーティス)アメリカの社会にはいろいろな問題がありますが、いいところは、レイトブルーマー、遅咲きの人間に非常に寛容な社会なんです。日本はあまり寛容ではない。だから、一度フリーターになってしまったら、なかなか新しいチャンスが与えられない。

 

(猪瀬)僕自身、大学を出てから「さて、これからどうやって生きようか」と考え始めた遅咲きです。就職せずに作家になろうかと、いままでとは違った小説をどういう方法論で書いたらいいのかと、考えていた時期がありました。

 

<『代議士の誕生』に見る自民党政治

(猪瀬)『代議士の誕生』という本は、大分県のある代議士が国会議員になろうとする。どぶ板を踏んで、いろいろな村の寄り合いに出て、お金も集めなければいけない。演説もちょっと浪花節っぽくやらなければならない。そういうひとりの代議士が生まれて来るプロセスをドキュメンタリーと政治分析を加えた手法で描いています。

 

(カーティス)佐藤文生さんは、二枚目でした。若いころは三船敏郎みたいな感じでした。1967年の総選挙で初当選してから連続当選8回で、第二次中曽根内閣の郵政大臣も務めたんですが、1990年の総選挙で落選して、2000年に亡くなりました。

 

(カーティス)「いやあ、あなたには大変おせわになっているから、もちろん、ぶんちゃんに入れますよ」と言う。なるほどなと思いました。町会議員のあなたにお世話になっているから、あなたが支持する国会議員の候補者である佐藤文生さんに投票すると言う。要するに、佐藤文生さんは関係ないんですよ。これが昔の自民党政治です。

 

(カーティス)一番の発見は、日本の政治、ある意味では日本の社会は人間と人間のつながりに基づいたネットワークが非常に重要であるという事でした。自民党の集票マシンというのは、要するに、代議士の後援会を全部足したものなんですね。党のマシンがなくて、個人の政治家のマシンがある。

 

(猪瀬)個人後援会が各地域にあって、その個人がいくつか寄せ集まったら自民党になる。票が読めるんです。

 

(カーティス)それが自民党の集票マシン。いま、それができなくなったのは、ああいう社会構造そのものが崩れてきているんですね。それに代わる新しいものがまだつくられていない。

 

1920年に始まった日本の民主主義>

(カーティス)何の話かというと、佐藤さんを支えていた県議会議員たちは、みんな戦前の政友会なんです。もう1人ほうは(立憲)民政党で、憲政会系なんです。1960年代にもそれがまだいくらか残っていました。つまり政党政治は大正時代にあった。いまの自民党の組織に総務会長、幹事長、政調会長があるのは、これは(立憲)政友会の組織を継承していて、戦前からの伝統です。

 

<日本のリーダーは説明する努力を>

(猪瀬)アメリカの大統領選はいいところも悪いところもあるけれど、いいところは一年間かけて各州を回ってずっと説明して歩くこと。具体的な公約が国民の頭に入ってきますよね。

 

(カーティス)演説をするときにペーパーを読まない。ディベートのときも何時間もスタッフと練習をして、どの質問をされてもすぐ自然と答えられるように準備している。アメリカの政治家を見ていると、もともと話がうまいように見えるんだけれど、ものすごく努力しています。あの練習の時間は大変。政治家はそのくらいの努力と、パッションが必要です。

 

(カーティス)そういう意味では、僕は小泉純一郎さんが総理大臣になって非常に良かったと思う。ある意味で最も早く、それこそ自民党の集票マシンを壊して、新しいものをつくる規範をつくって、良かったと思うんです。これから必要なのは、すでに話したように、政治家がまず国民を説得する方法を真剣に考えることです。

 

・日本の政治家は、官僚以上にいろいろなことを知っているんだということを、国民にみせようとしない。高学歴ではない国民にもわかりやすく説明することが大事なのに、それをしない。そうしないと説得することにはならないんです。

 

 

 

『七人の政治家の七つの大罪』  

平沼赳夫  講談社  2009/4/10

 

 

 

<七人の政治家の七つの大罪とは>

 

第一の大罪 小泉純一郎の「郵政民営化

第二の大罪 竹中平蔵の「市場原理主義

第三の大罪 安倍晋三の「お友達内閣」

第四の大罪 福田康夫の「無気力」

第五の大罪 小沢一郎の「変節」

第六の大罪 麻生太郎の「パフォーマンス」

第七の大罪 平沼赳夫の「無力」

 

・連続9回の当選は、私の信念と生き方に共鳴していただいた有権者の皆様のおかげとしか言いようがない。

 

1、人間性を重んじ、調和のある人間社会の実現をはかる

1、自由を守り、平和で豊かな社会環境の実現をはかる

1、我が国の伝統文化を守り、自主憲法の制定を期す

1、政治屋でない、真の政治家として邁進します

 

<落選議員の苦しみ>

・私が落選した議員の復党を第一に話したのは、彼らの苦しみが手に取るように分かるからだ。というのも私は、初当選までに二度の落選を味わっている。

 

 

 

・供託金没収という惨めな敗北である。お金も地盤もなく、生活は苦しかった。家内は岡山市内に借りたアパートの電気料金を気にして、部屋の電気をこまめに消すために部屋を歩きまわるなどして節約に励んでいたものだ。選挙運動にはお金が必要だが、選挙運動をやっていては稼ぐことができない。その悪循環だった。電話が止められたこともある。

 

・今は亡き中川一郎先生にも大いに助けてもらった。

 

・そして筆頭秘書だった鈴木宗男氏を呼び、「今日から平沼君を秘書扱いにする」と言って、私の政治団体の口座に毎月20万円を振り込んでくれることになったのだ。当選するまで一度も欠けることなく、振り込まれたこのお金が当時の私にとっては大事な収入であり、正直なことを言えば、毎月20日の振り込み日が待ち遠しかった。それほど、生活が困窮していたのだ。

 

・そういった経験があるから、復党問題に際して私が第一に考えたのが、落選議員たちの扱いだった。

 

<食料自給率アップで雇用問題解決>

・平成ニューディール政策では、二つの形で農業を推進させていく。一つは、品質の高い、ワン&オンリーの農産品を作ることである。

 

・もう一つの農業推進策は減反政策や農家の高齢化で使われなくなった田畑で大規模かつ生産効率のいい農業を行うことである。いうまでもなく、日本は技術の国だ。今や「野菜工場」が現実のものとなり、ビルの中で2毛作どころか「24毛作」まで可能になっているという。

 

・ワン&オンリーの高級農産物と生産効率のいい大規模農業、この2本立てで日本の食料自給率は必ず上がる。同時に農業に従事する人が増えれば、雇用の 問題も解決に近づくことになるのだ。

 

 

 

<有償ボランティア、パート公務員の拡充>

・日本に夢と希望を抱かせ、低力を引き出すーそれが政治家の最大の使命だ。

 

 

 

『日本を磨く』   輝く「強い国」をつくる  

日本経済新聞社      日本経済新聞出版社  2007/2

 

 

 

<『日本のあるべき外交とは』 (中曽根康弘)>

・冷戦後、米同時テロが起きるなど、国際環境は激しく変化している。このような状況の中で、わが国はどのような原理・原則を持って他国と付き合えばよいだろうか。

 まず何よりも重要なことは、「独自性を持った国家」として、日本は世界に対峙していくべきであろう。その際国策として推進するのは、平和や福祉、環境などという分野が望ましい。

 

・国民が日本の自主性、主体性を確立しようという動きになっていること自体は、喜ぶべき現象である。

 

・日本は非核三原則を佐藤内閣以来、堅持している。我々の回りには北朝鮮や中国などの核保有国がある。そういう点から、核による防衛は米軍に依存するということで日米安保条約ができた。非核三原則を持っている限りは安保条約、日米同盟は維持されていかなければならない。安保条約の本質的な要素は日本が核兵器を持たず、米国によって防衛されるという点にある。このように日本は戦後、米陣営と軌を一にして行動することが国益にかなうと考えてきた。

 

 

 

・日米同盟を維持しつつも、やはり冒頭に挙げたように「独自性を持った国家」でありつづけること、つまり、主権国家としてふさわしい態度を取るということが、国益を守ることにおいてなにより重要だろう。その意味で、東シナ海日本海の主権、北方四島の返還は実現せねばならない。

 

・私は、外交についてはいつも四原則を言うことにしている。

 

第一に、国力以上のことをやってはいけない。

第二はギャンブルでやってはならない。

第三は内政と外交を混合させてはならない。

そして第四は世界の潮流に乗っていること。

 

これが、大東亜戦争を反省した上での日本の外交四原則である。

 

・多国間の課題に対処していく上で、現在の政治や官僚の統治機構を見直す必要ももちろんあるだろう。

 まず基本的な問題として提言しなければならないのは、日本の情報戦略体制は全く欠落しているということである。種々の情報は、みんな米国からもらっているようなもの。したがって日本外交は米国への順応外交だと言われている。特に、小泉前首相の場合はそれがあまりにも顕著だった。日本は安保条約は持っているが、世界戦略においては米国とは別の側面がいくつもある。官房長官の元に、日本独自の情報戦略体制を至急整えなければいけない。今、内閣情報官が置かれ色々とやっているが、これはまったく弱い。各省庁の情報をかき集めるだけの仕事にすぎない。

 

・たとえば英国やイスラエルのように、自ら情報を持って戦略や国策を打ち立てていくという体制が、日本には非常に欠落している。米国に順応していけば済むような印象だ。

 

 内閣の下に情報戦略局のような独立した局機構として確立し、そこにベテランを入れ、永続的のその仕事ができるようにする。彼らにはある程度の権限を与え、官房長官が上に立って各国の日本大使館ジェトロとの連携をとらせるようにするべきだ。

 

・このような議論をすると、「対米順応外交からの脱却と日米同盟の強化は両立するのか」という声がすぐにあがる。しかし、私はまったく矛盾しないと考えている。主権国家として主体性を持って外交にあたるということは、むしろ当然のことだろう。日本の政治にそういう主体性の自覚が、ほんとうに足りないのだ。米国順応というのが外交の80、90%であるかのように錯誤している。

 

・外務省、防衛省警察庁内閣府にそれぞれ情報部門はあるものの、横の連携が不十分との指摘もあるが、国をあげた情報戦略機関はどうしても上からつくっていかなければ駄目なのだ。下の情報をかき集めるという今までのやり方では、立ち行かない。その代わり、局長になる人材は相当長い間務めさせて、局員も相当な待遇を与えて継続して任務を遂行できるようにしないといけない、いずれは、米国の中央情報局(CIA)のような組織をつくらざるを得ないだろう。現状では内閣情報調査室があるが、もっと本格的な組織を用意していかないと駄目だ。

 

・中国との外交をやっていくには、情報を持たないとどうしようもない。これからの外交の勝負は対中外交にある。米中間で日本がどういう立場をとるかという問題である。日本は米国とは安保条約を持っているが、それだけでなく、アジア全体、欧州を含めた色々な情報を持たないといけない。

 

・日本がさらに国力を高め、「光る国」になるには何を磨くべきか。具体的にあげれば、以下のようなイメージが良い。

 日本という国は、発展途上国の面倒をよくみる国。

 環境問題について、強い主張を持っている国。

 そして、東アジアの共存協力関係について深い洞察と強い見識を持っている国――。

日本とはこのような国である、という印象を国際社会に与え、さらにそれらの施策を確実に実行していくということがとても大事である。

今の政治家や官僚たちには、日本をどう印象づけようかという意志がない。そこに私は非常に危機意識を持っている。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。

 

<トルコ風呂(性風俗)>

名称問題と改名

 

日本での動き

 

1960年代後半頃より、性風俗店としての「トルコ風呂」は日本で広く通用する言葉になっていた。「トルコ風呂」はさらにしばしば「トルコ」と略して呼ばれ、「トルコ」という名詞から第一に連想されるものは、中東にある国家よりも、むしろ性風俗店であるかのような状況で、日本に滞在するトルコ人の間では、祖国の名称や伝統文化が性風俗産業と結び付けられて使用されていることに対する憤慨を呼び起こしてきた。

 

ただし、これはトルコを含むイスラム国家で歴史的・伝統的にセックス産業が存在しなかった訳ではない。「トルコ風呂」名称の孕む問題は、トルコと性風俗が関係あるか否かではなく、本来性風俗文化とは直接の関係のない、トルコの浴場文化が『性風俗のイメージと混同』されて用いられたことや、「トルコ」が性風俗店の呼称として使われたために、本来は国名である「トルコ」が、性風俗のイメージと結び付けられてしまうことにあった。

 

1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて、東京大学に留学していたトルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリも「トルコ風呂」の名称にショックを受けた一人である。再来日した1984年(昭和59年)8月に、当時の厚生大臣である渡部恒三に「トルコ風呂の名称変更」を直訴するなど、改名運動を行った。また、1983年(昭和58年)まで、新宿区に「大使館」という性風俗店があり、そこが日本電信電話公社の50音別電話帳に「トルコ大使館」と掲載されていたため、渋谷区に駐在している本物の『駐日本国トルコ共和国大使館』が抗議したこともある。

 

この運動は小池百合子(後に東京都知事)の協力を得て、日本のマスコミにも大きく取り上げられた。その結果、同年10月に横浜市の特殊浴場協会が「トルコ風呂」の名称を用いないことを決定、愛知県と神戸市でも横浜に続いて「トルコ風呂」の名称が撤廃された。

 

しかし、代わりとなる名称が決まらず、暫定的に「特殊浴場」「特浴」「湯房」などの名称が使われた[2]。東京都特殊浴場協会は新しい名称を一般公募し、同年12月19日に赤坂プリンスホテルで会見を行い、新たな名称である『ソープランド』を発表した。2,400通以上の募集があり、最も多かった名称は「ロマン風呂」「浮世風呂」だった。このほか、「コルト」「ラブリーバス」「オアシス」「ロマンス風呂」「ラブユ」などの名称が提案された。

 

以降、性風俗店を意味する「トルコ風呂」「トルコ」の呼称は(基本的に)公的に使われる事がなくなり、発表済みの小説や漫画作品などにおいては、文章やセリフの削除もしくは「ソープランド」「ソープ」等への修整が行われた。しかし、性的なイメージと離れた「ソープランド」の名称に、当初は反発する声もあった。これらの風俗店で性的なサービスに従事する女性を指す名前も、「トルコ嬢」から「ソープ嬢」「ソープレディ」に改められたが、新しい名前は馴染みが薄いために「ホステス」「コンパニオン」の名前が使われることもあった。