日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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安定的な需要拡大がないかぎり、内部留保はひたすらたまるいっぽうであるという現実を、安倍政権や日本の政治家は理解する必要がある。(1)

 

 

『2018年 戦争へ向かう世界 日本経済のラストチャンス』

三橋貴明   徳間書店 2017/11/30                                                                                                

 

 

 

日本の実質賃金が上がらない、これだけの理由

1997年以降、日本国民は貧困化するいっぽうだった

・日本の実質賃金は、橋本政権が緊縮財政を強行(1997年)し、経済がデフレ化して以降、恐るべきペースで下落していった。直近の実質賃金は、ピークの1997年と比較すると、なんと▲15パーセントになっている。過去20年は日本国民が貧困化していった歴史なのだ。

 

念のために書いておくが、2012年に第2次安倍政権が発足して以降、実質賃金の下落はむしろ加速した。安倍晋三首相は、日本の憲政史上、もっとも国民を貧しくした首相なのである。

 ちなみに、2016年の実質賃金がわずかに上昇しているが、これは物価が下落したためで、給与が大幅に増えたわけではない。

 

ところが不思議なことに、わが国はデフレや国民の貧困化が続いているにもかかわらず、雇用だけは改善している。

 

<雇用が改善したのはアベノミクスのおかげではない>

<340兆円を発行してもインフレ率は上昇しなかった>

・インフレ率(あるいは期待インフレ率)上昇⇒消費・投資拡大⇒デフレ脱却⇒雇用増加 

 という現象が起きているならば、日本の雇用改善はアベノミクス、あるいはリフレーション政策のおかげという話になる。とはいえ、現実にはインフレ率は低迷し、デフレが継続している。それにもかかわらず、雇用だけが改善していっているのだ。

 

フィリップス曲線という仮説になる。インフレ率が高まれば、失業率は下がる。逆に、インフレ率が下がり、経済がデフレ化すると、失業率は上昇するというものだ。

 いわゆるリフレ派理論は、フィリップス曲線が成立するという前提で、「期待インフレ率(あるいはインフレ率)を引き上げれば、需要が拡大し、雇用が改善する(=失業率が下がる)」というデフレ脱却政策だったのである。

 

日本の介護分野における需要増は、もちろん高齢化の影響である。当たり前だ。わが国の65歳以上人口は、2000年には17.4パーセントだったのだが、2017年には27.5パーセントに激増した。人数でいえば、2000年に2204万人だったのが、2017年には3494万人である。

 高齢者という需要がこれだけ一気に拡大すれば、それはもちろん、介護をはじめとする医療・福祉の就業者は増えるだろう。

 

短時間労働者の急増がもたらした名ばかりの雇用改善

短時間労働、つまりはパートタイマーへの切り替え>

少子高齢化の進展で、日本の生産年齢人口比率は、バブル期の約70パーセントから、現在は60.1パーセントにまで低下した。高齢化し、労働市場から退出する人の数を、労働市場に新規参入する若い世代の数が下まわっている以上、生産の拡大がなかったとしても、失業率は下がる。

 

結果的に、就業者数はたしかに増えたが、延総実労働時間はほとんど変わっていないという現象が発生したのである。

 

実質賃金を上昇させるには財政出動が必要不可欠

・就業者数の増加の内訳を見てみよう。

 第2次安倍政権発足前の2012年から2016年にかけて、正規雇用は22万人増えた。それに対し、非正規雇用は207万人の増加。就業者数の増加は、明らかに非正規雇用が牽引している。

 非正規雇用の増加207万人のうち160万人がパート・アルバイトである。すなわち、短時間労働だ。さらに、42万人が派遣社員である。

 

・実質賃金が上がらないはずである。企業が雇用を給与が高いフルタイムから、安いパートタイマーに切り替えた以上、生産者1人当たりの名目賃金は伸び悩み、実質賃金も下落が続いた(消費税増税という強制的な物価上昇もあったが)。

 

・これでは、問題を正しく認識することができない。問題を正しく認識することなしに正しい解決策を講じることは、神様にも不可能だ。それどころか、ワークシェアリング型の雇用改善を言い訳に、財政は緊縮に向かうことになるだろう。

 実際、多くのエコノミストや学者、官僚が、

「日本は雇用が改善しているので財政出動は不要である。消費税を増税してもかまわない」と雇用改善を緊縮財政の言い訳にしている。

 とはいえ、現在の日本にとっては、デフレ脱却はもちろんのこと、実質賃金を上昇させるためにも、財政出動による需要の安定的拡大が必要不可欠なのだ。

 

<生産が拡大しないため実質賃金の低迷と雇用改善が同時発生>

・GDPが低迷し、生産が拡大しない以上、生産性は上昇しない。さらに、企業が労働分配率を引き下げていっている。この状況で実質賃金が上昇したら、むしろ奇跡である。というよりも、統計上、そのようなことは起こりえない。

まとめると、現在の日本は、

  • 生産年齢人口の低下
  • フルタイムの労働者から短時間労働者への切り替え

という2つが進むことで、生産の拡大とは無関係に構造的に失業率が改善し、有効求人倍率が上昇していっている。そして、

  • 生産が拡大しないため生産性が低迷している
  • 企業が労働分配率を引き下げている

ために、実質賃金の低迷と雇用改善が同時発生しているのである。

 

内部留保税を画策しはじめたエセ資本主義国・日本

・政府や政治家、それにマスコミは、企業が内部留保(厳密には現預金)をため込み、人件費を抑制していることを批判している。一般企業(非金融法人企業)のバランスシートを見てみると、現預金の残高はたしかに増えている。

 

・もっとも、企業が現預金を積み上げ、給与を増やさないことについて、政府が文句をいうのは筋違いであろう。悪いのは安倍政権なのだ。

 なぜ、企業経営者は現預金をため込み、人件費を引き上げず、投資に踏み切らないのだろうか。理由は、将来が不安だからである。

 いまや国民のみならず、日本企業にまで将来不安病が蔓延している。将来不安から逃れられないため、企業は長期金利が事実上ゼロ(2017年10月時点で0.071パーセント)という状況にありながら、負債や投資を増やさない。それどころか、企業までもが現預金をひたすら積み上げていっているありさまになっている。

 これではもはや、わが国は資本主義国とは呼べない

 

結果的に現預金がたまっているわけであり、日本企業の内部留保を増やしているのは安倍政権の経済政策が主因なのだ

 この現実から目をそらし、しかも内部留保を増やしたくないならば、法人税率を引き上げというふつうの政策があるにもかかわらず、グローバル株主におもねり、配当金や自社株買いを増やすために法人税を無条件で引き下げたのは安倍政権だ。

 需要拡大と法人税引き上げという、内部留保抑制のための真っ当な政策(しかもデフレ脱却に大きく貢献する)があるにもかかわらず、そこからは目をそらし、虎の子の企業の現預金に目をつける。

 

・結果、一部の政治家や政党が「内部留保課税」を言いだしているわけだから、あきれはてるしかない。内部留保課税は、明らかに私有財産権の侵害である。わが国は、いつから共産主義国家になったのか

 結局のところ、グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、法人税減税を含む規制緩和自由貿易)に忠実な安倍政権には、現在の日本経済の問題を解決することは不可能なのだ。内部留保はためるべくしてたまっているにもかかわらず、そこから目をそらし、企業を悪者にし、私有財産権侵害の議論を始めようとしている。

 安定的な需要拡大がないかぎり、内部留保はひたすらたまるいっぽうであるという現実を、安倍政権や日本の政治家は理解する必要がある。

 

もちろん、人手不足の深刻化が企業に労働分配率の引き上げを強いる可能性もあるが、現在の安倍政権の労働政策を見るかぎり、望み薄である。

 そもそも、労働分配率がここまで下がってしまったのは、

  • グローバル株主資本主義による利益偏重の経営
  • 労働組合弱体化
  • デフレによる人手過剰

など複数の要因によるものだ。

 デフレによる人手過剰は人口構造の変化により解消されていくだろうが、残りの2つについては、財政出動や人口構造の変化のみでは解決できあに。

 それどころか、安倍政権はいまだに「移民受け入れ」「派遣労働拡大」「残業代ゼロ制度」「脱時間給制度」など、労働規制緩和の政策を推進している。つまりは、労働分配率を引き下げることを可能にする制度改革を進めていっている。

 まさに、逆走である。

 

日本の雇用改善は、人口構造の変化と短時間労働の増加によるものである。安倍政権の経済政策の成果でも何でもない。

 この現実をふまえ、政府が財政出動により、安定的に生産(需要)が拡大する環境を構築し、さらに企業の労働分配率を引き上げる規制強化を推進しないかぎり、安定的に実質賃金が上昇し、国民が豊かになる日は訪れない。

 

消費税増税と負債返済で国民は貧しくなるばかり

プライマリーバランス黒字化目標の毒は、もはや喉元から、日本国という体全体に行き渡っている状況だ。それにもかかわらず、相も変わらぬ財政破綻論の蔓延で毒矢を抜き取ることはできず、安倍政権は「2019年の消費税増税」を前提に解散総選挙に打って出た。厳密には、消費税増税による増収分の使い道の変更である。

 

「デフレ下では、借金返済には1円たりともまわすべきではない」

・政府の負債返済により、政府のプライマリーバランスは改善(赤字幅の圧縮)したが、結局のところ消費税増税は国民貧困化政策なのである。

 

逆に言えば、プライマリーバランスや財政は、バブル期並みに経済が好調にならないかぎり、ふつうは黒字化しないのだ財務省が日本のプライマリーバランスを本気で黒字にしたならば、バブル期並みの好景気にすればいい。そのためには、一時的にプライマリーバランスの赤字拡大を無視し、デフレギャップ(総需要の不足)が埋まるまで財政を拡大する必要がある。

 

<日本政府が円建て負債で破綻する可能性はゼロ>

消費税増税は、日本国の発展途上国化への道なのだ。

 そもそも、わが国に財政問題などない。当然、消費税を増税する必要もなければ、増税による増収分で政府負債の返済をする必要もない。財政破綻とは政府が借りたおカネが返せなくなることであり、ほかに定義はない。英語でいえば、デフォルト(債務不履行)である。

 

・それに対し、日本政府は、通貨発行権という強大な権力をもつ、国内最強の銀行たる日本銀行を子会社として保有している。日本銀行が「最後の貸し手」として存在している以上、日本政府が日本円建ての負債で破綻する可能性はゼロである。

 そして、日本政府の負債は100パーセント日本円建てだ。現在の日本のように、自国のカネを借りている政府が財政破綻に追い込まれた事例は、世界に一つも存在しない。それにもかかわらず消費税増税を強行し、しかも増税で増えた税収を借金返済にまわす。

 将来の日本国民は、現代に生きる私たちについて、「何てバカな世代なのか……」とあきれはてることだろう。

 

主権を喪失した国民と待ち受ける屈辱の未来

2018年の補正予算が日本の生死を決する命綱

今回の難民関連の規制強化で、偽装難民は激減するはずである。第9条2項という壁により、主権喪失状態にある日本国民は、やたら海外の目を気にする。日本の難民制度や移民受け入れに対し、外国がくちばしをはさむ行為は明確な内政干渉であるという事実くらいは知っておいてほしい。

 

・ところで、筆者の友人でもある内閣官房参与藤井聡京都大学大学院教授は、「日本がデフレから脱却するためには、とりあえず15兆円の補正予算が必要」と政府に提言した。

 もちろん、プライマリーバランス黒字化目標の破棄も必要だが、政治日程的に2018年6月の「骨太の方針」までは難しい。むろん、強引にプライマリーバランス黒字化破棄の閣議決定をすればすむ話だが、それではあまりにも目立つ。2018年の「骨太の方針」の閣議決定の際に、プライマリーバランス黒字化目標を外すというのは、政治的に正当化される手法だろう。

 2018年中はまるまる手を打てないというのでは、あまりにも悲惨だ。というわけで、2019年度通常予算が執行されるまでの期間「つなぎとして補正予算による財政拡大が必要」というのが藤井教授の提言なのだ。

 

第9条2項とプライマリーバランス黒字化の破棄が繁栄への道

グローバリズムのトリニティに囚われ、かつプライマリーバランス黒字化目標という壁を打ち砕かない以上、日本国がデフレ脱却に必要な財政支出をすることは不可能なのだ。

 

・もっとも、切迫する北朝鮮危機には、第9条の改正はいずれにせよ間に合わない。また、すでに述べたが、日本が現時点で第9条の改正を図ると、国民が真っ二つに割れることになる。北朝鮮危機が深刻化するなか、国民の分裂を引き起こす第9条改正を進めるべきだとは思えない

 しかも、安倍首相は2017年5月3日に、第9条の1項、2項を残し、3項として自衛隊を明文で書き込むという案を説明していた自衛隊の合憲性を明文化することに異論はないが、それにしても問題の2項が既存の条文のまま残るのでは、日本国に交戦権がない状況が続くだけだ。交戦権を否定したままで、日本国民が主権を取り戻すことができるのか、正直、疑問である。

 

・もっとも、日本で「保守的反グローバリズム」の政治が勃興することが、「第9条2項の破棄」「グローバリズムの象徴であるプライマリーバランス黒字化目標の破棄」という2つの「壁」の破壊をめざすこととイコールになるのは確かだ。

 

「第9条2項があるから、防衛力の強化はできない」「プライマリーバランス黒字化目標があるから、財政の拡大はできない」

 2つの「壁」こそが、日本の政治家が経世済民に背を向け、日本国民を害する政策を推進する際の言い訳を与えているのである。

 

保守も革新もこぞって移民受け入れに賛成する理由

なぜ、日本では、右寄りも左寄りもこぞって移民受け入れに賛成するのか。理由は、大きく2つある。

 1つめは、日本国民の実質賃金を引き上げたくない経済界の意向だ。生産性向上のために投資をし、製品やサービスの単位労働コストを引き下げないかぎり、国民の実質賃金が上がれば、大手企業のグローバル市場における価格競争力(国際競争力とやらではない)は下がる。

 そして、大手企業は自己利益の最大化を求めるグローバル投資家に支配されており、生産性向上のための投資には踏み出したくない(利益が減るリスクがあるため)。ならば、日本国民の実質賃金を下げるべく、非正規雇用派遣労働者を増やし、さらに外国人を安く雇用すればいいわけだ。国内で日本国民と外国人の賃金切り下げ競争が起これば、人件費の抑制が容易になる。

 筆者は2017年5月に、徳間書店から『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路――「移民政策のトリレンマ」が自由と安全を破壊する』を刊行した。最新のOECDのデータに基づき。2014年の外国人移住者数(流入数)が世界5位の日本の移民問題について書いたものである。

 

日本では右も左も移民に賛成する。あるいは反対しない理由の2つめ。こちらのほうがより深刻なのだが、わが国は右も左もグローバリズムが浸透し、国民主権国家の政治基盤であるナショナリズム国民意識)を喪失しているためだ。

 ナショナリズムとは、べつに「軍靴の音が聞こえる」といった話ではなく、たんに「国民が助け合い、安全保障を確立し、豊かな生活を実現しよう」という意味である。北朝鮮の核ミサイルには個人では対抗できない。大震災や台風被害といった大規模自然災害にも個人では立ち向かえない。

 少なくとも、安全保障を確立するには、ナショナリズムに基づく国民の助け合いが必須なのだ。

 

 

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用

三橋貴明

三橋 貴明(みつはし たかあき、本名:中村 貴司〈なかむら たかし〉、1969年〈昭和44年〉11月22日[1] - )は、日本の作家、経済評論家、中小企業診断士。株式会社経世論研究所(旧・三橋貴明事務所)代表取締役社長、国家ビジョン研究会経済財政金融分科会副会長。

 

主張・活動

 

自身について、「保守派」「リフレ派」と名乗ったことはなく、自身が「○○派」と意識したことはないとしている。

 

人権擁護法外国人参政権に反対の立場をとっている毎日新聞2010年参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓制度」に対し「反対」と回答した。2008年(平成20年)にはその主張を元にしたディストピア小説 『新世紀のビッグブラザーへ』を発表している。

 

現在までの、幸福の科学出版『ザ・リバティ』への寄稿について、「三橋貴明幸福の科学とは何の関係もなく、そもそもこの宗教と創価学会の違いさえ知りません」と自身でブログで述べるなど、宗教については興味が無いとしている。

 

原子力発電所については、安全性を確保した上で稼働させていくべきという立場をとっている。反原発運動をしてる人に対しても、懐疑的な立場をとっている。ただし、将来的な脱原発には賛成の立場である。

 

かつては自由民主党安倍晋三を支持し、アベノミクスを肯定的に評価。また、安倍の持病について言及したマスメディアに対して、「人権侵害」であると批判した。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には反対の立場のため、安倍がTPP交渉に参加を表明した時には、「それはマスメディアの歪曲」と批判していた。しかし、2013年10月に入って、構造改革特区構想や雇用規制緩和など規制改革の進め方を批判して、第2次安倍内閣を「レントシーキング内閣」と表現し、「有権者から選ばれた国会議員や閣僚は、「抵抗勢力」として議論にすら参加させない。こんな手法がまかり通るのでは、 「日本の民主主義は終わりだ」と述べ、批判的姿勢に転じた。

 

経済に関する主張

 

やみくもな財政健全化政策やグローバリズムを批判している。日本の財政赤字については、デフレから脱却すれば結果的にプライマリーバランスは放っておいても改善すると主張している。財政再建の進捗具合は名目GDP比の債務比率で判断すべきと主張している。 銀行預金の運用先がないのは、民間企業の資金需要がないためであると主張している。

 

インフレ期とデフレ期

 

デフレには反対の立場で、TPPなどの自由貿易協定の参加についても「更に物価が下がっていく」と主張し、批判的な立場をとっている。デフレを解決することが最優先課題であるとし、内需拡大こそ重要であるとしている。

 

インフレ期とデフレ期では経済現象や適切な経済政策がほとんど正反対になるとしている。緊縮財政、増税規制緩和自由貿易などは、インフレを抑制するための政策としている。

 

インフレと円高

 

物価が下がっていくデフレは個人消費を押し下げるため、消費者物価指数(以下CPI)が2%超上昇することが必須という立場をとっている。CPI上昇の結果、失業率も下がり、内部留保がある企業は賃上げしていくと予想している。

 

また三橋貴明の名で活動を始めて以来、一貫して「円高こそ日本経済のため」と主張している。円安には否定的な立場をとっており、中小企業の収益力を落とし内需の成長率も低下させると予想している。円安を主張する人には、内需を増やすべきだと反論している。

 

1ドル95円程度の円高になれば、日本国外からの輸入品の価格が下がるため、消費者の購買力が高まると主張している。日本国外企業への直接投資をしやすくなるから、円高は企業活動にとってもプラスに働くと主張している。

 

ただし一方で、「円高なら円高なりに、円安なら円安なりに国家が繁栄するモデルを志向するべきである」とも述べている。また、円高を緩和するには、市場に円を大量に流通させるべきだと主張している。2011年の時点で、 円高是正のために、日本銀行が目標を定め持続的な金融緩和を継続させることが必要であるとしていた。

 

2009年の時点ではビッグマック指数という指数では適正な為替レートは1ドル80円台前半が妥当であり、1ドル100円といった「超円安」の状態は暴論に近いと著書で述べている。

 

世界経済に対する見解

 

2007年から“韓国経済の危機”“中国経済の危機”を自著で唱え続けている。

 

アメリカ経済の場合、ドルを基軸通貨制度もいつか終わると予想している。

 

ヨーロッパ経済に対しては、緊縮財政をするべきではないと主張している。現在のスペインはバブルが崩壊したことで需要が収縮しているため、フィリップス曲線から失業率の改善には相応のインフレ率は欠かせないと主張している。現在インフレ率を上昇させる政策をとらないギリシャやスペインは、スイスや日本同様に深刻なデフレで失業率はアメリカ大恐慌期を上回ることになるだろうと主張している。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

<2019年にやってくる4つの危機  (三橋貴明)>

東京五輪特需の終了 → 約5~6兆円のマイナス

消費税率10%への引き上げや所得税改革等の増税 → 約10兆円のマイナス

残業規制といった「働き方改革」→約8兆円のマイナス(大和総研の試算)

 

日本経済全体で20~30兆円のマイナス圧力が2019年にやって来る可能性があります。おおよそGDPの5%が吹っ飛ぶ計算になり、この衝撃はリーマンショック時を超えます。GDPは日本国民の所得の合計です。GDPの減少は私たちの所得の減少ということになります。

 

東京五輪までは安泰だという意見が多いですが、普通五輪のための準備は前年までに終了してしまいます。2016年にリオ五輪を実施したブラジルもやはり、五輪を開催した年は大きな落ち込みがありました、、、

 

さらにまずいことに、2019年に民間銀行保有国債が尽き、日銀の量的緩和政策が強制終了する可能性があります。すると必ず円高になり日本企業の株価は暴落します。なぜなら現在の日経株高は日銀の量的緩和による円安がもたらしたものだからです。量的緩和が終了すれば円高になり、日経平均は暴落するでしょう」とのこと。

 

 

 

『世界が認めた「普通でない国」日本』

マーティン・ファクラー  祥伝社  2016/12/10

 

 <戦後日本の強みに気づいていない、日本人>

日本は「普通の国に」になるべきだ、という議論がある。普通の国とは、他国のように軍隊を持ち、国際舞台で責任ある行動をする国のことだ。

 しかし、太平洋戦争終結から71年、「普通でない国」だということが、逆に日本の強みになっている。

 

・経済や文化においても、日本は世界の大国と同じではなく、独自の進化を遂げており、数々のアイデアを持った企業家やすばらしい文化を生み出してきた。

 <与えられた民主主義>

・日本には、民主主義が深く根づいていないように見える。市民が犠牲を出して自らの手で勝ち取ったものではないため、民主主義の基本的な考え方や価値観が、国民にまだ十分広がってはいないのではないかと考えざるをえない。

 

・戦前に「天皇陛下万歳」と万歳三唱していたひとたちが、戦後になると突然「民主主義を守れ」と叫んでも、和服を洋服に着替えたようでしっくりこない。

 あの戦争はなぜ起きたのか、責任はどこにあったのか、どうすれば防げたのかといった議論を、市民が自由に、活発に行った後なら「民主主義を守れ」という言葉を受入れることができる。

 私は政治学者の丸山眞男が戦時中に執筆した論文を読んだことがあるが、丸山の主体性論はとても面白かった。日本でなぜ市民の主体性が生まれなかったについて、江戸時代の思想家である林羅山山鹿素行らの著書を綿密に検討したものだ。江戸時代の思想を取り上げたから丸山は逮捕されなかったが、なぜ主体性が生まれなかったかというテーマ自体は、江戸時代ではなく戦時中の日本の問題であった。

 

・戦後しばらくの間、アメリカの豊かさは圧倒的で、日本人はとにかくアメリカに少しでも追いつこうと馬車馬のように働いた。それはある意味で大きな革命であったが、あくまで外からの革命であった。

 日本は戦後も政府が主導して経済の発展に力を入れ、それが成功したために、市民は戦前と同じように「お上に任せておけばいい」という姿勢から脱せずに終わったという側面も強かったのではないだろうか。

 <競争する政治が必要>

日本の政治を見ていて思うのは、封建制とまでは言わないが、硬直化して流動性に乏しいことだ。東日本大震災のような大きな危機を迎えても、変化が起きにくい

 最大の問題はおそらく、優秀な人材が政治の世界に入ってこないことではないか。インドのカースト制度のように、政治家がひとつのカーストを形成し、親から子や孫に世襲したり一族郎党が後を継いだりしている。非常に残念であり、大きな問題だと私は思う。優秀な世襲議員もいるが不十分で、新しい人材が必要である。

 ・日本で、ビジネスの世界で成功した人も政界に転出すべきだ。財界やNGO(国際協力の民間団体)の世界には優秀な人材が輩出しているのに、なぜ彼らが政治家にならないのか。そこが、日本の政治制度が機能していない一番大きな原因だと思う。

 日本は政党政治の形態を取っているが、政党を見ていても芯のある政党がない。政権を担っている自民党野党第一党民進党を見るかぎり、どちらも政権の幅が広くて似通っており、ふたつのビジョンが対決するという構図にはなっていない。

 ・アメリカの場合、民主党共和党という二大政党が政権の座を競い合い、大きな政府か小さな政府か、社会福祉自由経済かという基本的に違うビジョンがある。ところが、日本の政党にはこういう日本を作りたいというビジョンがなく、そのために政党どうしがそれぞれのビジョンを戦わせて競い合う政治も生まれない。

 そういうエキサイティングな状況がないから、多くの人たちが政治に関心を持たず、優秀な人材が政治の世界に入ってこないという悪循環に陥っているのではないか。

 日本にも右翼と左翼があるが、その場合の左右という区分はアメリカのように国家に対するビジョンの違いではない。日本の場合、あの戦争をどう評価するかが軸になっていて、日本が悪かったと考えるのが左で、日本は悪くなかったというのが右であるように見える。

 日本は、国家として自立する時期を迎えている。そのためには、政党が国家のビジョンを掲げてぶつかり合い、競争する政治が不可欠だと私は思う。

 もちろん、アメリカと対等な同盟国になるという道もある。そのために憲法を改正して軍事力を整えるという選択もある。しかし、国家として自立しないとダメだと思う。自立とは、自分たちで自分たちが進む方向を決めるということである。

 今の日本には、そのメカニズムがない。そこが大問題である。

 とくに最近の日本の政治は、奇妙な事態に陥っている。ひとつの政党のなかのひとつのグループが、いろいろな決定を行なっているのだ。自民党と野党との議論も低調で、自民党内の他のグループや派閥との議論も低調になっている。その結果、ぶつかり合いのない、のっぺりした政治的な状況に陥っている。

 建物がひとつしか建っておらず、まわりはすべて砂漠。そんな奇妙なランドスケープになっていると思う。

 

<日本の政治家の質が落ちた>

・戦後の日本には、しっかりとした政治家がいたと思う。

 当時はそれほど感じなかったが、今振り返ってみると、首相を務めた中曽根康弘宮澤喜一らは「あの人たちは偉かったなあ」とつくづく感じる人物であった。橋本龍太郎も沖縄の苦しみをきちんとわかっていたリーダーのひとりだった。

 ある意味で、自民党の黄金時代だったと思う。

 ところが、気がついたら、政治家の質が落ちてしまった。今の日本の不幸は、あのレベルの政治家が出てこないことだ。

 ・政治はどうしても汚い部分が拭えないが、国家を指導することの偉大さと困難さをよくわかっていた人だと思う。

 また、戦後日本の経済発展がいかに大変だったか。あるいは、経済発展を牽引したリーダーたちがいかに頑張ったか、戦後の平和と豊かさがどれだけ貴重であるかといった大切なことを理解していた政治家でもあった。

 一方、今の政治家たちは、日本の豊かさが当たり前だと思っている節がある。また、自分の行動に対する責任感も強いとは思えない。もちろん例外はいるだろうが、政治家としての発言が軽すぎる。言葉に重みが感じられないのだ。

 ・だから、その価値観に基づいて行動する勇気があったと思う。レーガン大統領はおそらく、中曽根首相のそういう強靭さを認めたのではないか。ふたりとも強い政治家だった。こうあるべきだと思ったら、その方向に動く信念と行動力を持っていた。

 宮沢喜一首相は、娘がアメリカの外交官と結婚していることもあって、ブッシュ(父)大統領とブッシュの別荘で1対1で話すことができる間柄だった。ふたりは、政治家としても通じ合うところがあったようだ。

 小泉首相は今振り返ると、規制を緩和して経済の自由競争を活性化させ、小さな政府にするというネオリベラリズム新自由主義)のビジョンを持っていた。そこは、ブッシュ(子)大統領に近い思想だ。また、政治的なパフォーマンスも巧かった。

だから、小泉首相は例外的にカリスマ性があったが、その前の森喜朗、後の福田康夫麻生太郎らは政権担当期間が短いだけでなく、一国の首相としてはあまりにも軽い存在だった。

民主党が政権を奪還してからもその傾向は変わらず、鳩山由紀夫菅直人野田佳彦とやはり短命で軽い首相が続いた。

 ・こうして見てくると、これまでの首相があまりにも不甲斐ないだけに、政権担当期間が3年を超えた安倍政権は、それだけでも存在感があり、評価される。経験、ビジョン、リーダーシップを持っていて、周囲、特に野党にライバルもおらず、その力はとても強い。

 <安倍首相はリビジョナリストか>

・安倍首相の強みは「方向性」を持っていることだ。彼のビジョンのひとつは国家の力を増強し、日本が普通の国になることだ

 アベノミクスと呼ばれる経済政策を進めているが、新たな経済成長を起こして、3年間はそこそこうまくいっている。しかし、その経済成長の恩恵が広がっていないし、3本目の矢が強力ではないので続くかどうかは不明である。最終的には、経済は目的ではなく手段に見える。

 しかし、安倍首相はリビジョナリスト歴史修正主義者)だという懸念もワシントンでされてきた。つまり、日本の独立が承認された1951年のサンフランシスコ講和条約や、東条英機元首相らA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判を受入れる歴史観を否定し、日本をアジア諸国から孤立させる危険性を持った存在であるという懸念だ。

 安倍首相はこの両面を持ったリーダーとして、ワシントンからは見られてきたのでさる。

 ・結局、安倍首相がやろうとしているのは、すでに述べたように、日本を普通の国に変えること、つまり、日本の方向性を変えることであり、その方向性自体はワシントンなどで認められている。

 <すべての政党が空洞化している>

・日本の場合、選挙運動でテレビを使ってアピールすることが厳しく制限されているため、後援会がないと選挙に勝てない。

 後援会を作るにはお金と手間がかかり、とても大変なので、どうしても安上がりで簡単な方法、つまり親から子へと後援会を引き継ぐ世襲が多くなってしまう。だから、今の選挙制度のままでは、世襲が多くなるのは仕方がないと言わざるをえない。

 逆に言えば、もっと自由に選挙をすることができるように選挙制度を改正したら、もっと新しい人材が政界に入ってくるかもしれない。

 日本の場合、選挙に勝つためには後援会という組織が必須であることが、政治的に新しい人材が入るうえで非常に高い壁になっている。

 それでも自民党の公認が取れて支援を受けられれば、かなり優位に選挙戦を進められる。しかし、資金が豊富でない野党の公認が取れても、たいした支援もなく、孤軍奮闘するしかない。

 

自民党も2012年の政権奪還選挙で初当選した人が多く、政治経験のある人がめっきり少なくなった。小選挙区制の導入によって党内を支える人材集団が薄くなったため、ある意味で、自民党も含めてすべての政党が空洞化している。

 <その後の民主党政権の失敗があまりにもひどかったので、期待が大きかった分、失望も大きかった>

・ひとつの党が極端に大勝すると、同時に野党が壊滅的になり、野党が次の選挙で政権を奪還するときには経験の乏しい政治家が多数を占めて政治が空洞化するという悪循環が続いている。

 ・言いたくはないが、今の閣僚を見ると、本当に尊敬できる人があまりにも少なすぎる。素人の政治家がいてもいいが、やはり頼りになるプロの政治家を揃える必要がある。安倍政権がラッキーだったのは、菅義偉のようなプロの政治家が官房長官にいることだ。

 私は政治学者ではないので、なぜ小選挙区制が日本でうまく機能していないのか原因はわからないが、今の政党は芯がないから入れ替えが簡単で、この20年間を見るかぎりでは悪い影響のほうが大きいように思う。

 アメリカのように政治に競争が必要だと思うが、いまだに二大政党による政権交代は実現できていないし、20年経っても成果が出ているとはいえない。中選挙区制がいいかどうかはわからないが、日本では小選挙区制導入の目的とちがう結果になってしまっている。

 <国民的議論がなぜ起きないのか>

・なぜ、日本には国民的な議論が起きないのだろうか。

 それはおそらく、前述したように日本に革命の歴史がなく、市民が自分たちの手で民主主義を勝ち取った国ではないからだろう。

 一番感じるのは、主権が国民にあるという意識が薄いことだ。国家やお上に任せれば、何とかしてくれるだろうという封建的な意識が、まだ残っているような気がする。

 ・安倍政権の打ち出している「日本を普通の国にする」という理念が間違っているとは思わない。もしかしたら、その道しかないかもしれない。ただ国民的な議論がないので、国民は自ら選択したという意識を持てないだろう。そうすると、将来、そのツケが回ってくる可能性もある。

 ・社会が混沌として中国に対する恐怖感や将来に対する不安感がつのると、アメリカのトランプのようなデマゴーグが出現するかもしれないし、いろいろなハプニングも起こってくる。アメリカの後に付いて行けば何とかなるという時代が終わりつつある今、日本は新たなチャレンジに踏み切らざるをえないだろう。