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現代の学説によれば、あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚であり、実際にそこにはないものを認識する現象である。(1)

 

 

『夢と幽霊の書』

アンドール・ラング 作品社  2017/8/22

 

 

 

あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚

現代の学説によれば、あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚であり、実際にそこにはないものを認識する現象である。

 知覚(偽物であれ本物であれ)にまつわる心理的、生理的仕組みを論ずるところまでは必要ないだろう。あらゆる「幻覚」は「そこに本物の物体があるかのような正真正銘の実感である。「こちらのほうがはるかに起こる頻度は高いようだ。そしてこのような幻覚は、どんな学説をもってしても、くわしく理解するのが難しい」と、ハーバード大学教授のウィリアム・ジェームズ氏は述べる。「それらはきわめて鮮やかな幻覚である場合が多く、しかもその多くが事実と符合する――すなわち実際に起こった事故や死と一致する――ということが、話をさらにややこしくする」。幽霊は、万が一見たとすれば、間違いなくたいへんあざやかな幻覚で、まるで本物の人間が生身の身体で、しかもたいていは服をまとって現れたかのような印象を与える。だが実際には服をまとった生身のその人は、そこにはいない。つまり今のところすべての幽霊は幻覚であり、そのことは船乗り風の言い回しを使えば「賭けてもいい」ほどで、科学のさまたげにも、宗教や常識のさまたげにもならない。それが幽霊に対する今日の考え方だ。

 

そして現代の科学は、心身が健康な人にもときおり幻覚が生じることを認め、したがって幻影の存在も認めている。幻影とは、ここでは、心身ともに健康な人が見るまぼろしのことだ。ただ、そういったまぼろしが、それを見た当人以外の精神的な要因――すなわち第3者(生死を問わず)の心の動きによって引き起こされたものではないかという問いを投げかけると、話がややこしくなる。それは正統派の心理学が立ち入ろうとせず、どのような証拠が供されても手を触れない領域である。

 

本書は、決して有力な証拠の集大成を気取るつもりはなく、単なる実話の集成に過ぎない。

 

・具体的には(1)アイスランドの幽霊譚には、素朴で劇的な物語として独特の文学的な力がある。(2)ウェスリー家に取りついた幽霊や、バッキンガム公暗殺の危険を警告した幽霊、リトルトン卿に死期を告げた幽霊、ティローン卿の幽霊、パーシバル首相暗殺の予知夢を見たウィリアム氏の話などは、どれも比較的よく知られているものだろう。しかしそれらのもととなる史料は、これまで冷静な史的批評精神にのっとった精査を受けていない。その精査のために、ごく初期の原稿や書物同士の比較考量が有効である。(3)幽霊話にも、幻覚であれ、妄想であれ、あるいはいたずらであれ、とにかくもととなる事実がある。それらは最低でも「人間の記録」だ。面白味のない現代の語りのなかでは抑制されてしまうそうした事実(いたずらや、幻覚や、その他もろもろ)を受け入れれば、批判的精神の薄かったわれわれの祖先が、それらを核にして壮大な伝奇物語をつむぎあげたことが見て取れる実際、悪魔憑き(精神病やてんかんとは別物)の物語は、二重人格の症状が核になっていると論じる人もいる。二重人格の患者は、性格も、考え方も、癖も、そして声までもが変わってしまう。昔、このような症状を前にしたら、患者のなかに見知らぬ何者か――すなわち「悪魔」―—が入りこんだと考えるのが、最もわかりやすい対処法だったことだろう。

 

またいわゆる「幽霊屋敷」で起こるもろもろの現象(もとがいたずらか、幻覚か、その両方かを問わず)も、たちまちふくらんで、アイスランドのグレティルとグラームの伝説や、おぞましい魔女裁判のような事象を生んだに違いない。死んだ人が本人の家に現れるという単純な幻覚にも、やはり説明が求められる。そんなとき、あれは死者の魂がなんらかの目的を果たすために煉獄や墓から抜け出してきたものだという伝説を作りあげれば、簡単に説明がつく。われわれの時代、幽霊話は数あれど目的を果たしにきた幽霊の伝説がいたって少ないのには、何か理由があるはずだ。おそらく神話を創造する力が衰えてきたことがその原因だろう。

 

<夢>

・夢では時間や空間が無視されるので、離ればなれになった恋人たちも、夢のなかでなら幸せでいられる。だから記憶にあることないことが奇妙に入り乱れる夢のなかで、われわれは過去のできごとを見たり(わたしは夢でカローデンの戦いにも、トロイアの包囲戦にも身を置いたことがある)、遠く離れた場所に行ったり、いない人を目にしたり、死者と会話したり、時には未来のことまで(偶然にもと言っておこうか)言い当てたりする。

 この最後の部分以外は、夢を見る人なら誰でも体験したことがあるだろう。また、催眠状態にある人が、催眠術師の言葉によって、ふつうの夢と同じような、だがいっそう生々しい疑似体験をすることも確かめられている。たとえば、水をワインだと思いこみ、それを飲んで酔っぱらうこともある。

 さて幽霊体験というのは、目覚めているとき、あるいは目覚めていると思われるときに、夜ごとの夢と同じようなものを見ることだ。目覚めている人、あるいは目覚めていると思われる人が、今、近くにいない生者の姿を見れば「生き霊を見た」ことになり、死者の姿を見れば「幽霊を見た」ことになる。ただし、聖アウグスティヌスも言うように、幻覚となって登場した遠くの人や死者は、その幻覚のことなど知るよしもなく、またその幻覚を引き起こしたりもしていないのかもしれない。それはちょうどわれわれが夢で見なれている遠くの人や死者が、夢のことなど知るよしもないのと同じことだ。さらに、ふたり以上の覚醒した人が、同じ「幽霊」を同時に、あるいは続けざまに見たとされる比較的珍しい事例も、よく似たケースが夢に存在する。すなわち、ふたり以上の人が同時に同じ夢を見た例があるのだ。

 

マーク・トゥエインの話>

・マークが家の外で葉巻を吸っていると、見知らぬ男がこちらへ向かって歩いてきた。と、つぎの瞬間、男は姿を消してしまった!前々から幽霊を見たいと思っていたマークが、このことを書き留めようと思って家のなかへ駆けこむと、玄関ホールの椅子に、くだんの男が腰かけているではないか。何か用事があってやってきたらしい。マークに仕える黒人の使用人は、ふだん玄関のベルが鳴ると「そのうちあきらめて帰るだろう」という調子で延々と客を待たせるのが常だった。ところがこの日マークは、客が通りすぎたところも見なかったから、いきなり自分の目の前から消えたことがまったく解せなかった。考えられる説明はただひとつ、自分でも気づかぬうちに眠ってしまったということぐらいだ。消失は、出現と同じくらい謎めいていて、消失のほうがずっと珍しい

 

このように、ごく短い時間眠ってしまったときに幻覚を見る――すなわち身のまわりのことを知覚していて、自分では目覚めていると思いながら眠ってしまったときに幻覚を見ることがあるという考え方は、幽霊の説明として18世紀によく使われた。ブルーアム卿やリトルトン卿をはじめとして、幽霊や幻覚を見た教養人は、みなそういう理由づけを用いた。ところが幽霊として現れた人物とその人の死が重なると、教養人たちは、夢はかぎりなくあるのだから、そのうちのいくつかが偶然に現実と符合してもふしぎではないと、理屈に合わない主張を始める。どうも彼らは大切なことを頭から閉め出そうとしていたようだ。睡眠時の夢はありふれたもので数かぎりなく事例があるが、覚醒時に夢を見る例はきわめてまれで、たとえばブルーアム卿の場合も、それが生涯ただ一度の体験だったのだ。だから偶然の一致が起こる機会は、非常にかぎられている。

 

・夢がいい話の種になるのは、夢で見たものが過去現在未来のまだ知られていない事実と符合し、それを十分に描き出しているときにかぎる。たとえば、メアリー・スチュアートの秘書リッツィオの殺害事件をありありと夢に見たとしよう。この事件は、歴史や芸術を通じて誰もがよく知っている事柄だから、それを夢に見たとしても驚く人はいないだろう。しかしメアリー・スチュアートの生涯のうち記録に残されていない場面を夢に見、夢を書き留めたあとでその正しさを証明する文書が始めて発見されたとしたら、それは驚くべき夢として語り草になるはずだ。あるいは簡単に推測したり知ったりできないような事柄を夢に見て、その夢が(事実を知らされる前に夢を記録しておかねばならないが)あとから来た知らせと一致する場合もあるだろう。さらには、あるできごとを夢に見てそれを記録したところ、あとから同じことが起こるという場合もあるかもしれない。いずれのケースでも、時間が延びたり縮んだりするというふつうの夢のふしぎさに、未知のできごとが実際に起こるという要素が加わっている。

 

<古い証券>

・ある女性が、夢で窓辺にすわり、晩秋の夕日が沈むのをながめていた。そのとき玄関でノックの音が聞こえ、やがて紳士と婦人が部屋に通されてきた。紳士は19世紀初頭のような古めかしい黄褐色のスーツを着ている。実際それはナポレオン戦争で、フランスにおいてイギリス人捕虜になっていたことのある年老いた叔父だった。いっしょに来た婦人はとても美しく、スペイン風のマンティラと呼ばれるベールをかぶっている。ふたりは珍しい細工をほどこした鋼鉄製の箱を持っていた。会話が始まる前に、夢のなかのメイドが婦人のおみやげのチョコレートを持って入ってくるとふたりは姿を消したが、メイドが退出するとまたテーブルのそばに現れた。見ると鋼鉄の箱がひらいており、老紳士がなかから黄ばんだ紙を取り出した。色あせたインクで何か文字が書かれている。老紳士は、これはわたしが持っていた証券の記録だ、と話し出した。1800年代の初頭に彼はフランスにいて、隣の美しい婦人と婚約したのだという。

「今、証券は、金庫に入れてある」と紳士は言った。「ほれ、あの会社の――」。ここでまたノックの音がして、こんどは夢ではなく、本物のメイドが本物のお湯を持って入ってきた。起きる時間だった。おそらく夢全体が、最初のノックの音をもとにして生まれ、客人がやってくるというドラマチックな形に脚色されたのだろう。現実の時間でほんの2、3秒のできごとだったはずだ。メイドの2度目のノックで、「あの会社」がどの会社だったのかは明かされぬままになったが、おそらくマンティラをかけた婦人同様、架空の存在だったのだろう。

 このように夢は、気がつかないほどの、ごくかすかな現実の刺激をドラマに仕立てあげる。そしてただの空想(古い証券の話がそうだ)や、一度はあったが完全に忘れ去っていた事柄、あるいはちらりと頭をよぎったがしっかり考えることのなかった推論などが、夢の劇場の登場人物の口から「明かされる」。その登場人物は、生きている人のこともあれば、死んだ人、あるいは架空の人物の場合もある。

 

<夢と幻視>

事実と符合する夢、過去、現在、未来の知られざるできごとが明かされる。「精神的電信」すなわち「テレパシー」の理論では、未来を予見する夢を説明できない。

 

・当人が知らない、そして知り得ない事実をぴたりと言い当て、しかも作り事ではないと証明された夢には、ほかの何ものも――幽霊すらも――かなわないほど大きく信念を揺るがす力がある。遠い場所や遠い過去に起こったできごとが夢に出てきた場合でも、その謎を解き明かすのは難しい。ましてや未来のできごとを当てたとなると、「まぐれだ」とでも言うしかない。たとえばわたしが遠くで起こったできごとを夢に見て、先にその夢を記録したり、夢に従って行動したりしてから、それが実際のできごとであるとわかったとしよう。さらにその事柄が、病人が亡くなるとかレースや選挙の結果を知るといった、推測可能なものではなかったとしよう。そういう夢も十分ふしぎではるが、登場したできごとは、生きている誰かの頭のなかにあるはずのものだ。もしも「精神的電信」あるいは「テレパシー」といったものがあるとしたら、わたしの心は夢のなかで、その事実を知っている人の心のなかに分け入ったのかもしれない。

 

こんなふうに考えるとまことにやっかいだが、それにもかかわらず人間は3種類の夢、すなわち知られざる過去の事柄、現在の事柄、そして未来の事柄を知らせる夢を3つながら信じてきた。当然のことながら慎重派は、そんな夢は偶然のたまものか、忘れていた記憶がよみがえった結果か、記憶違いの幻想か、あるいは意図的にせよ無意識的にせよとにかく作り話だとして退ける。それでも物語は語られつづけるし、本書の関心は物語にある。

 

<ガラガラヘビ>

・アメリカ、フィラデルフィアにあるエピファニー教会のキンソルビング博士は、「ガラガラヘビと遭遇する」夢を見た。「殺すと、尾に黒っぽいガラガラがふたつついており、尾の骨に奇妙な突起があった。皮膚の色もふつうのガラガラヘビに比べて薄かった」。翌日、兄と散歩していると、キンソルビング博士は、ガラガラヘビを踏んづけそうになった。「わたしが心の目で見たガラガラヘビと、こまかい点までそっくりそのままだった」。しかしキンソルビング博士の兄は、弟と力を合わせてこの不運なヘビを退治したあと、「ガラガラはひとつだけだった」と述べている。兄弟は、互いに相談することなく、べつべつにこの件を手紙に書いていた。兄の言うとおりだとすれば、ガラガラがひとつだけのこのヘビは、夢に現れたヘビではないということになる。兄弟の住まいはヘビの多いウェストバージニア州にあった。

 

<幻覚>

・事実と符合する幻覚は、科学では認知されないか、または偶然、でっちあげ、記憶違いなどで説明される。それらは、一般には生き霊または幽霊と呼ばれる。

 

・水晶玉による幻視は、誰でも自分で、あるいは信頼できる仲間とともに実験することができる。それは意図的に作り出した幻覚で、簡単な手順を経れば、可能な範囲で幻覚を呼び覚ましたり、引き起こしたりすることができる。いっぽう、意図的でなく、覚醒時に不意に起こる幻覚は、フランシス・ゴールトン氏の研究によれば夢ほど日常的ではないものの、やはり健全な精神のなせる業であることに変わりないさて、幽霊あるいは生き霊というものは、すべて幻覚である。

 

<生き霊>

スコットランドのハイランド地方では、生きていて元気だがよそのいる人が姿を現すことを「生者の霊」と呼び、セカンド・サイトという特別な能力を持った人のもとにちょくちょく現れると広く信じられている。訪問者が客から見知らぬ他人か、あるいは相手が持っているかいないかを問わず、本人の到着より前に生き霊が到着するというのだ。読者諸氏は、通りで知り合いに出くわした経験がおありだろう。その人とすれちがって、ものの100メートルと歩かないうちに、またしてもくだんの相手と出くわして立ち話をする。その相手が印象的な格好をしていたり、風変わりな人だったりすると、知り合いに出くわした体験自体が、不可思議なものに思えてくる。おそらくは、現実のできごとに多少の幻覚がまぶされているのだろう。このごくふつうの体験が「アライバル」と呼ばれる体験への入り口だ。「アライバル」とは、ある人の姿を見たり聞いたり、ときには言葉を交わしたりしたのに、その人はまだ移動中でその場に到着していないという現象である。マーク・トゥエインは、みずからの体験を記している。ある大人数のレセプションで、トゥエインは、人ごみのなかに昔好きだった女性がいて、こちらに近づいてくるのに気がついたが、近くまでくると姿を見失ってしまった。夕食会のとき彼女に会うとレセプションのときと同じ服装をしていたが、レセプションの時間には彼女はまだ汽車で会場のある町へ向かっている最中だったという。

活字になっている例もたくさんある。ある紳士が婦人とともに窓辺でいると、兄とその妻が、何週間も外に出していない馬に馬車を引かせて通りすぎるのを見た。まもなく兄夫婦の娘が訪ねてきたが、娘はちょっと前に家を出たところで、そのとき両親はまだ家にいたというのだ。その10分後、本物の兄夫婦が、馬から何かさっき見たままの姿で到着した。

この話は「まぼろしの馬車」の一例でもある。

 

<幽霊と幽霊屋敷>

<近世の幽霊屋敷>

・シュチーポフ夫人のような事例は、幽霊屋敷特有の例だと言える。われわれの祖先、たとえば近世の中国人は、そうした事例を、通常の死者の幽霊ではなく悪魔憑きのせいで起こるものだと考えた。悪魔憑きの例は数が非常に多く、詩人のコールリッジの言葉を借りれば、みな同じ「症状」が表れる。コールリッジは、そのような症状は、目撃者のあいだに、観察神経の障害が伝染するせいで起こるのだと考えていた。この手の事例のなかで最もよく知られているのが、作家のウィリアム・ハウィットが取材してつづり、同じく作家のキャサリン・クロウが『自然の夜の側』で借用したウィリントン製粉所の幽霊譚だろう。

 

<さらなる幽霊屋敷>

・先に記したようにロシアのシュチーポフ夫人の事例では、少なくとも医師が夫人を診ているあいだは、魔物を抑えこむことができた。この手の騒動には、明らかに医師の目配りが必要だと思われる。とはいえ、もしこれらの騒動のすべてが自作自演だとするなら、その俳優や女優はみな驚くほど似かよった症状を示しているし、また誰も彼もが恐ろしいほど放火好きだということになる。著名な心理学者のウィリアム・ジェームズ教授は、よく似た10件の事例をあげて「自然に生まれた型があるのではないか」と述べている。それはつまりヒストリー症状のひとつの型ということなのだろうか?

 

<訳者あとがき>

・本書は1897年に初版が出版された。

 

・……と、ひと言で言ってしまうと簡単なのだが、その関心の分野がじつに幅広い。詩作、小説、随筆、評論、人物伝、歴史書、人類学や民俗学の研究書。いっぽうでは先に触れたとおり世界各地の民話の蒐集を続けて、1889年に『あおいろの童話集』を出版。

 

・『アンドルー・ラング世界童話集』には、この原書の挿話が収録されている。そして民話の蒐集や、人類学、民俗学研究の延長線上にあるのが、本書『夢と幽霊の書』に代表される心霊現象への関心だった。

 本書にも民話と実話の中間のような物語がいくつか収められているが、伝承物語である民話と、「実話」と称される怪奇譚の境目は、じつはあやふやであることが本書を読むとよくわかる。また、世界各地に同時発生的に同じパターンの話が存在する民話と同様、怪奇譚も世界各地に時代を超えて類話が存在する。そのような物語に接したラングは、民話蒐集家としての血が騒ぐと同時に、人類学的、民俗学的な興味をおおいにかき立てられたのではないだろうか。

 

・だがラングを心霊研究に向かわせた要因は、それだけではあるまい。みずから水晶玉をのぞいたり、「出る」といわれる屋敷に泊まったりという本書のエピソードから推察すると、どうやら純粋に心霊現象というものに惹きつけられてもいたようだ。その裏には「心霊主義」が一種のブームを巻き起こしていた当時の社会背景があるだろう。アメリカやイギリスでは1850年代から「霊媒」と呼ばれる人たちがスターのようにもてはやされたり、各地で降霊会が催されたりするようになっていた。

 

ラングも1882年の設立当初から心霊現象研究協会の会員として名を連ね、亡くなる前年の1911年には会長も務めている。会員にはほかにも、のちの首相で『バルフォア宣言』で有名になるアーサー・バルフォアや、数学者で『不思議の国のアリス』の著者であるルイス・キャロルシャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイルら、英国の代表的な知識人がそろっていた。

 ラングはこのなかで、ドイルとはちょっとした縁があった。

 

このあとドイルは1893年に心霊現象研究協会に入会する。彼の人生をくわしくたどることは避けるが、ドイルは次第に霊魂の存在を確信するようになり、第1次大戦を経て晩年に差しかかるころには、心霊主義の啓蒙活動を人生の中心に据えるようになっていた。ふたりの少女がいたずらででっちあげた妖精の写真をドイルが本物の信じ込んで本まで出版した「コティングリー妖精事件」もよく知られている。いかに心霊ブームがあったとはいえ、こうした一連の行動がドイルの名声を傷つけたのは確かで、やはりこの分野とうまくつきあっていくのは、相当難しいことなのだと思わされる。

 

・「すべての幽霊は幻覚である」と言い切り、まだ科学的には立証されていないものの、「テレパシー」が、その幻覚を引き起こしていたのではないかと説明を試みるラング。

 

<「120年の時を経てあらわれた幻の本」   吉田篤弘

・先にも書いたとおり幻想文学的興味から民俗学関係の本を読んでいたとき、またしても、アンドルー・ラングの『夢と幽霊』に突き当たった。水野葉舟の『遠野物語も周辺』(図書刊行会)という本である。帯の謳い文句に「いま蘇る第2の遠野物語」とあるとおり、水野葉舟柳田國男の『遠野物語』が刊行される以前に、遠野に伝えられてきた奇談、怪談の数々を収集してはいくつかの雑誌に発表していた。のみならず、柳田を遠野にガイドしたのも水野であり、この人なくして『遠野物語』は成立しなかったと云われている。

 

水野はそうした本邦の怪談を紹介するだけではなく、海の向こうにも自分と同じような「収集家」がいるのを知って、いち早く翻訳を試みていた。これは明治41年に『趣味』という雑誌に掲載されたもので、『怪夢』と題して6篇の小話を紹介し、その冒頭にこう記している。

不思議な夢について、アンドリュー・ラング氏の集めた話の中の二三をここに書いて見る

 この六篇だけではなく、水野は何度か「ラング氏の集めた話」すなわち本書から翻訳した数篇をあまり知られていない小さな雑誌に細々と発表していた。

 

『英国の幽霊伝説』  ナショナル・トラストと怪奇現象

シャーン・エバンズ   原書房  2015/1/26

  

イギリス人口の半分近くは幽霊を信じている

・本書ではナショナル・トラストの管理スタッフやボランティア、見学者たちが実際に体験した奇妙な出来事や、何世紀にも渡って語り継がれてきたミステリーを収集。幽霊城や呪われた館の撮影で著名なサイモン・マースデンの作品をはじめとする、幻想的な写真とともに幽霊譚を紹介する。

 ・人がそこに住み、そこで死を迎えたすべての家は幽霊屋敷だ。開いたドアから、何かの目的を果たそうと、悪意のない幽霊たちが滑るように姿を現す。彼らの足が床に音を立てるとことはない。

 ・古い建物には強烈な個性が宿ることがある。人々が暮らし、愛し合い、争い、勝利し、絶望した場所はどこでも、そこならではの特徴がある。そうした古い建物の中で一定の条件が整うと、ほんの一瞬、過去の出来事が現在に投影される。まるでちょっとした電気障害が起こったときのように。私たちはこうした場所を「とりつかれている」と言い、その劇中の主人公(ドラマティス・ペルソナエ)を幽霊と表現する。

 ・古くは旧約聖書の時代から、世界中のあらゆる文化の伝統の中で、幽霊は死んだ人たちが現れる現象と考えられてきた。彼らは生きている人たちの前に姿を現し、何かのメッセージを伝えたり、危険が迫っていることを警告したりする。もう少し時代が下ってからは、新しい説として、私たちが幽霊と呼ぶものは迷える魂ではなく、古い時代の「記録」なのだと唱える人たちも現れた。つまり、現代の目撃者が別の時代、別の次元のシナリオの一部を垣間見ているということだ時代を隔てていたヴェ―ルがほんの一瞬すべり落ち、その間に古い時代の断片的な記録が再生される。

 ・古い場所に幽霊がすみつくと信じられている理由は実にさまざまで、答えを見つけるのは簡単ではない。たとえば、強烈な個性の持ち主が彼らの特定の場所に「刻みつける」のかもしれない。

 ・これは驚きの結果と言えるかもしれないが、イギリスのNOP[全国世論調査会社]が2000年に実施した調査によれば、イギリス人口の半分近くは幽霊を信じている。約42パーセントのイギリス人が、幽霊や亡霊、その他の超自然的な存在を信じていると答えたのである。

 スコットランドと北イングランドでは、3分の2近くの人が幽霊を見た、あるいはその気配を感じたことがあると認めているのに対し、南部の人や年配の人たちはもう少し懐疑的だった。

 ・本書は、ナショナル・トラストの管理下にある歴史的重要性を持つ特徴的な建造物や美しい自然に関連する古い物語を記録する目的でスタートし、そこから徐々に発展したものである。

 ナショナル・トラストの所有地と結びついたバラエティに富む幽霊物語は、十分な証拠に裏づけられたものもあれば、時には歴史的事実と矛盾する内容のものもある。

 ・しかし、それぞれの物語の核心にはいつも一粒の真実がある。そして、優れた幽霊物語とは要するに、その特別な場所をつくり、そこに住んできた人々について想像力豊かに語られた物語が、彼らの子孫や相続人たちによって語り直され、解釈され、修正されてきたものなのだ。時には歴史的事実が含まれることもあるものの、神話や伝説として語り継がれるこれらの物語は、今も私たちの民間伝承の力強い底流を成している。これらの物語はイギリス文化史におけるひとつの豊かな鉱脈であり、重要な口承文化の伝統が現代に受け継がれている証でもある。

 調査を始めるとすぐに、幽霊たちには出没期限がないことが明らかになった。つまり、ある場所に幽霊が出たという記録があれば、たいていの場合、その幽霊は時代を超えて存在し、はっきりした終わりというものがない古くから「とりつかれてきた」とされる建物の現在の管理者――スタッフ、その家族や友人、ボランティアや訪問者――を直接訪ねてみると、多くの場所で、今そこにいる人たちも同様の奇妙な体験をしていた。そのため、特定の場所の古い民間伝承を収集しようとして始めたことが、その場所を語るにふさわしい人たちにインタビューするうちに、あっという間に彼ら自身が経験した奇妙な出来事を語ってもらうという、ユニークな口述歴史プロジェクトに変わっていった。ナショナル・トラストのスタッフ4500人[当時]、ボランティア4万人、見学者のうち、話を聞かせてもらった人たちの多くが、自分の経験を語ることを快く承知してくれた。

 ・幽霊が出るとされる場所では、幽霊の存在を信じる人と疑う人の両方による調査が数多く実施されていて、そうした調査によって物語に興味深い情報が付け加えられることも多い。また、超常現象の調査は、室温の明らかな変化、「玉ゆら」(写真や映像にはっきり写っているが、撮影時には見えなかった円形の光)などの説明できない現象を記録することがある。しかし、もちろん幽霊はこちらの注文どおりには現れてくれない。実際、この本のために集めた物語を見ると、幽霊が現れるのは目撃者がいつもどおりの日常的な作業をしているとき、あるいは何らかの害のない行動に熱中しているときが多いように思える。

 ・私たちはこうした「予期せぬ物語」と、これから本書で紹介する次のような物語をきちんと区別して考えらなければならない――ある教育コーディネーターは壁から灰色の霊が現れて窓から出て行ったのを見て仰天し、ある学芸員ディズレーリの幽霊から非難めいた視線を向けられた。また、ある清掃係はティールームにいるときに清教徒革命時代の給仕の少年から嫌がらせを受けた。ベルファストのバーではヴィクトリア朝時代の洋服を着た4人の人物が突然現れた。上半身のない足だけが現れ、掃除したばかりの床に足跡が残された。階段を下りるローダーデール公爵夫人の亡霊の足音が聞こえ、そこにはバラの香りが漂っていた……

 <アバコンウィ・ハウス>

ウェールズ北部の古都コンウィは、幽霊に関しては幽霊に関してはちょっとした評判で、城壁の上を歩く番兵の姿が目にされることもあれば、溺れ死んだはずの漁師が突然波止場に姿を現したという話もある。

 町の中央にひときわ目を引く建物がある。石積みの上にハーフティバー様式[むき出しの木の骨組みと塗り壁やレンガ壁から成る]の外壁を組み合わせた15世紀初期の家だ。アバコンウィ・ハウスは、この城塞都市の激動の歴史を生き残った唯一の中世の商家で、ウェールズに残る最古のタウンハウスである。

 ・奇妙な出来事が最も頻繁に起こるのはジャコビアン様式[ジェームズ1世時代(1603~25)風]の部屋で、スタッフや見学者、ボランティアの何人かが「ヴィクトリア朝時代の格好をした紳士」の姿を目にしたと報告している。管理人はもっとはっきりと、「……背の高い、フレッド・ディブナーに似た人物」と表現する。[フレッド・ディブナーはとび職人からテレビの人気パーソナリティになった人物で、歴史家でもあり、無類の蒸気機関車好きで知られた]。この紳士の幽霊は階下でちらっと姿を見せることが多いのだが、夜遅くにジャコビアン様式部分に現れたことが少なくとも一度あり、部屋の中に入っていったものの、そこですぐに姿を消してしまったという。部屋への入口は一か所だけなので、物理的には不可能な現象だった。

 この紳士が現れるときには、その前兆としてパイプたばこの匂いや花の香りが漂うことも多い。スタッフは彼のことを「ジョーンズ氏」と呼んでいる。1850年から1880年まで妻と10人の子どもたちと一緒にこの家に住んでいた人物の名前だ。

 <エイヴベリー>

・エイヴベリーはヨーロッパでは最も重要な巨石記念物のひとつで、広大なエリアに立石が散らばっている。

 ・エイヴベリーには、この遺跡の数十年前の様子を目にしたという女性の奇妙な話もある。第1次世界大戦中の10月のある夜、教区牧師の娘で農耕部隊の一員でもあったイーディス・オリヴィエという女性が、はじめてエイヴベリーを訪れた。遺跡への道はよくわからなかったのだが、かまわずベックハンプントンを出発した彼女は、霧の立ち込めた西からのルート沿いにある、巨石のそそり立つ道に魅了された。ある村に着くと、村人たちがどことなく田舎風の市場に集まっているのが見えた。その巨大な道は1800年までに消滅しただけでなく、その村では1850年を最後に市が開かれたことがないと彼女が知ったのは、それから9年後のことだった。

 地元住民が夜中に石の周りで幽霊のような人影を見たり、動く光を見たりといった話は山ほどあり、亡霊が歌を歌っているのを聞いたという話もある。そのため、巨石群は今もかなり丁重に扱われている。地元では、立石の一部だった石を使って建てられた建物は、「幽霊の来訪」と呼ばれるポルターガイスト現象を引き起こすと信じられている。

 <バッダスリー・クリントン

・このロマンチックなマナーハウスはフェラーズ家が代々暮らしてきた邸宅で、15世紀に周りに堀をめぐらして建設され、17世紀以降はほとんど変わっていない。エリザベス朝時代には迫害されたカトリック教徒の避難場所になり、建物の中に三つの隠れ場所がある。

 バッダスリー・クリントンの歴史を考えれば、この家に多くの幽霊物語が生まれたのも不思議ではないだろう。1930年代にフェラーズ家によく招かれていたある老紳士は、この家の飼い犬の一匹が突然起き上がり、誰にともなく甘えた仕草をしていたことを覚えている。一家は「幽霊に甘えている」のだと言っていた。

 

・現在のスタッフも不可思議な現象を目にすることがある。「幽霊など絶対に信じない」と断言する今の資産管理人でさえ、彼が経験した次の出来事については説明できなかった。ある夏の夜の午後9時ごろ、彼は邸宅内のオフィスでひとり残って仕事をしていた。よく晴れた日で、風もない静かな夜だった。ところが突然、階段を上りオフィスのほうに歩いてくる足音がはっきり聞こえた。最初は何かの用事で同僚のひとりが戻ってきたのだろうと思い、気にしなかった。足音はだんだん大きくなり、閉じたドアのすぐ前までやってきたが――それっきり音は止み、家の中は再びしんと静まり返った。資産管理人はデスクから立ち上がり、誰だろうと思いながらドアを開けたが、そこには誰もいなかった。

 ・緋色の上着に白い帯をたすき賭けにした男性の姿を目にしたという人たちもいた。その後、レベッカが見つけた第9歩兵連隊のトーマス・フェラーズ少佐の細密画が、目撃された男性の描写にぴったり合っていた。フェラーズ少佐は1817年にフランスのカンブレーで任務についている間に、城壁から落下して死亡した。レベッカがフェラーズ少佐のためにミサを開いてからは、足音が聞こえることはめっきり減ったという。

 <ベルトン・ハウス>

・この静かな環境にたたずむ邸宅には、数多くの幽霊話が伝わる。1685年から88年にかけて建設されたベルトン・ハウスには、王政復古時代(1660~88)のイングランドの自信と楽観主義が表現されている。19世紀にはカリスマ性のある第3代ブラウンロー伯爵のもとで、ベルトンは第2の黄金時代を謳歌した。

 ・ここには多くの幽霊がらみの物語があり、謎めいた「黒い服の貴婦人」の幽霊についてはさまざまな目撃報告がある。また、対照的に黄金の光に包まれた「ベルトンの輝きの婦人」が、しばしば主階段のホールに現れるという話もある。

 <ベニンバラ・ホール>

・「ヨークのカントリーハウスと庭園」として知られる現在のベニンバラ・ホールは、同じ敷地内のすぐ近くにあった後期エリザベス朝様式の家を建て替えたもので、1716年に完成した。この家は有名な殺人事件の現場になったが、それがいつ起こったのかについては1670年代とも1760年代とも言われている。痴情のもつれにより殺害された犠牲者の幽霊が、その後何世代にもわたってこの家にとりついてきた。

 ナショナル・トラスト

・英国人は幽霊や不思議なものを愛する国民性があるといわれ、かの国の歴史と幽霊をテーマにした本や、怪談・超常現象をまとめた本は、これまでに数限りなく刊行されているなかでも本書が特別である点は、まえがきにおいて著者自身が述べているとおり、英国ナショナル・トラスト保護資産に対する調査プロジェクトを発端としていることにある。