UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

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国土創成計画とは、その7割の山岳森林地帯のうちの2割を開発し、同時にその土を使って海を埋め立て、有効可住面積を倍増させること(1)

 

 

松下幸之助が描いた「21世紀の日本」』

世界を考える京都座会  PHP   2011/1/5

 

 

 

2010年の理想国日本

・その夢が実現された姿、すなわち近未来小説『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』が想定する理想国日本は、2010年、まさにいまの日本にほかならない。いったい松下幸之助の夢はどれだけ実現したのだろうか。

 

・PHP研究所と世界を考える京都座会では、松下が描いた2010年を迎えたこの機会に、松下の“夢”とはどのようなものだったのかを振り返るとともに、それが現在、どの程度まで実現に近づいているのかを検証し、一書にまとめることにした。

 

<国としての方針・目標を確立せよ>

・『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』が著された1970年代半ばの日本は、戦後30年余りが経過し、目覚ましい復興発展を遂げて“経済大国”と称されるまでになっていた。しかしその一方で、高度経済成長の負の面ともいえる公害や過疎過密の問題、物価騰貴、さらには青少年の非行、犯罪の多発といった好ましからぬ現象が社会の各面にみられるようになっていた時代でもあった。

 

・急速な成長発展を遂げながら、結果として社会の各面に大きな混乱・混迷を生んだ原因の一つに、松下は、戦後、日本が国として明確な方針なり目標をもたなかったことを挙げている。もちろん、“経済を復興させて日本を再建する”という目標は国民共通のものだったが、それはいわば必要に迫られてのものであって、明確な方針に基づいてなされてきたわけではなかった。したがって、国民個々は懸命に努力したとはいうものの、「一面においててんでんバラバラであった」と分析している。

 

「高い生産性」と「共存共栄」>

・では、松下幸之助が描いた「夢の日本」とは、どのような姿なのか。

まず経済についてみると、景気・不景気の大きな波のない、おおむね年率4~5%で推移する安定した経済成長を続けている。

 物価水準も安定し、多くの先進国が物価騰貴に悩まされるなか、輸入物資の急激な騰落が一時的にあることを除けば物価の変動はほとんどない。それは、企業間の過当競争を戒める風潮が強いこと、大企業と中小企業が互いに支え合い調和し合って共存共栄する経済が実現していることによる。

 また、多くの事業において国営から民営への移管が進み、経営の合理化、効率化が研究されている。そこに適正な収益が生み出され、社会全体の生産性もきわめて高い。

 

「適材適所」と「国民意識の向上」

・教育の面では、教育権を行政府から特別に切り離して“教育府”を新設するという大改革が行われた。

 

・日本は人口の割に国土が狭く、しかも国土の約7割が山岳森林地帯である。国土創成計画とは、その7割の山岳森林地帯のうちの2割を開発し、同時にその土を使って海を埋め立て、有効可住面積を倍増させることで、

将来もっとも懸念される問題の一つである食糧問題をはじめ、地価の高騰、住宅不足、公害、交通事故などの諸問題を解決しようという国家的事業である。これは、1970年代に発案され、20世紀末までの20数年をかけて周到綿密な計画が作成されたうえで、21世紀初頭から約200年をかけての実現をめざしている。

 

・最後に政治についてだが、政情不安に悩む国が多いなか、主義主張を異にする政党同士であっても自民の主張にとらわれず、“日本のため”という共通の目的に向かって対立しつつも調和するという姿が実現している。

 

・そして自衛と安全の確保についても、国民の意識がきわめて高い。軍国的にではなく、平和裡に安定発展していこうと国民的合意の下に、近代的で質の高い自衛力を備える一方で、徳行国家、平和国家として国としての総合力を高め、世界各国との結びつきを固くすることによって、自国の安全をより盤石なものにしている。

 

人間は偉大な存在である

・このように、松下幸之助の描いた2010年の日本は、“あらゆる面で理想的”とはいえないまでも、それに向けて着実に進んでおり、少なくとも世界各国から理想国家として憧れを抱かれる国になっている。

 冒頭で述べたように、同書が著された1970年代半ばには、さまざまな社会問題が噴出していた。

 

和を貴ぶ、衆知を集める、主座を保つ

・第二は、「日本人としての自覚」である。人間には、すべての人に共通の普遍的な本質があると同時に、異なった歴史や気候風土のなかで培われてきた国民性や民族性がある。

 

・「和を貴ぶ」とは、平和を愛好し調和を大切にする精神である。「衆知を集める」は、日本が長年にわたって外国のよいもの、すぐれたものを進んで受け入れ、それらを活かすことによって国を発展させ、日本文化をつくりあげてきていることを指す。「主座を保つ」というのは、自主性や主体性を持つことを意味する。

 

現代日本が憧れうる姿

・現実の2010年を迎えたいま、松下の描いた理想像を議論の取っ掛かりにして、われわれが現在置かれた状況、行なっていることを虚心坦懐に反省してみることもまた、意味のあることではないかと考え、本書を読者諸兄のご参考に供する次第である。

 

<「地域分割」こそ成功のカギだ  加藤寛

<厳守すべき2つの原則>

どんな企業・組織であれ「効率的であること」「政府からお金をもらわないこと」…………これが鈴木善幸内閣の土光臨調で私が考えた、三公社民営化にあたっての二大原則である。

 まったく同じようなことを松下幸之助さんが考えていたことに、今回あらためて驚かされた。まさに松下幸之助さんが力説しておられるように、民営化によって、経営は合理化される。民間の企業で効率的でない組織などはありえない。

 

・この点で、中曽根康弘内閣で行われた国鉄の民営化は大成功だった。成功の最大の理由は、民営化にあたって組織を6つの地域に分割したことである。分割すれば、全国一本の労働組合が潰れる。労働組合を潰すことこそ、民営化成功の絶対条件である。

 

道路公団民営化は不十分>

・その後に行なわれた道路公団や郵政事業の民営化も、必ずしも十分な「分割民営化」にはならなかった。この点が非常に残念である。

 

<郵政改革は地方分権とのセットで>

郵政民営化も、分割に失敗したという点では同じである。郵政の場合、事業ごとには分割したが、地域分割は行なわれなかった。

 

<他分野への応用を急げ>

・「分割民営化」の発想は、今後、たとえば、農業や社会保障などの分野にもどんどん広げていくべきだろう。

 たとえば、農業を発展させるために、農業の株式会社化を奨励していくべきだ。そうすれば日本農業の競争力は飛躍的に高まるだろうし、農地を株式会社が統括していけば、後継者不足の耕作地放棄などの問題も解決されていくはずである。

 

政府紙幣発行という戦略

・そんなことをしたら財源が足りなくなるではないか、あるいは郵貯が赤字になってしまうではないか、という声が上がるだろう。では、どうすればいいか。答えは、「政府紙幣を発行せよ」である。

 松下幸之助さんが残念ながら触れておられないのが金融である。松下さんがこの本を発刊された当時はインフレが問題になっていたから、松下さんも「救国国債を発行して、インフレに立ち向かえ」という発想をお持ちだった。だが、いまは逆にデフレが問題になっている。

 

小泉政権で予算の14%を占めていた公共事業を7%まで減らしたのも、大失敗だった。こんなに減らしてしまったら、需給ギャップが発生するのは当たり前である。ならば、いま述べたように、社会保障などの分割民営化に資する予算を政府紙幣の発行によって賄い、需給ギャップを埋めればいいのである。

 政府紙幣国債とを混同している人もいるが、この両者は本質的に異なる。国債は利息を付けて発行するが、政府紙幣に利息はないから、利息が上がってしまう心配はない。政府紙幣を発行すれば、シニョリッジ(通貨発行益)を得られる利点もある。紙幣の原価は100円もしないから、1万円札を発行すれば9900円は政府の収入になる。

 そんなことをしたらインフレになるのが恐い、と日銀は主張するが、インフレ目標をきちんと設定して進めればよい。インフレ率は、成長率が2%、物価上昇率が2%と考えれば、年4%程度が適当である。それを目標に、政府紙幣を発行するのだ。

 

勇気ある現実主義と、きらめく理想主義 中西輝政

颯爽たる「自助・自立」の姿勢

松下幸之助氏による物語仕立ての論考『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』の「自衛と安全」の項を読んだ感想をひと言でいえば、「よくぞ当時、ここまで踏み込んだ」である。

 

・同書が発刊された1976年(昭和51)年当時は、日本人のほぼ半数が自衛隊違憲とみなしていた残る半分の容認派も、その理由としては、災害救助や「地方における雇用先として」などを挙げることが多かった。学会でも主流は非武装中立で、国の安全のために軍事力が必要と考える人など、ほとんどいなかった。ちょうどそのころ、私は英国留学をしていたのだが、イギリスのほとんど全国民が「国の安全のために軍事力は必要だ」ということを自明の理として受け入れていたことに、ほかのいかなることよりも最大のカルチャーギャップを感じたほどであった。

 

松下幸之助という人間の精神のなかに、柔軟かつ勇気ある現実主義と、きらめくような理想主義がみごとに共存している。

 

無責任な「やさしさ」「軽さ」が蔓延

・翻って考えたとき、世の風潮に抗してでも根太いプラグマティズムを勇気をもって押し出せる強靭さと、理想に向かって進む精神の崇高さを、いまの日本はもちえているだろうか。かつての「非武装中立」の風潮は、たしかに大きく減退した。

 

・このような颯爽たる「自助・自立」の姿勢は、松下氏に限らず、戦後日本を築いた経済人たちの多くに通じるものである。

 

戦後平和主義の呪い

・さらに湾岸戦争やPKO論争を通じて露呈したのが、「結局は世界からどう思われてもいい」「国内のことだけが大切」という平成日本人の本音であった。そこから政治改革の議論が起こり、その後のバブル崩壊もあって、国際貢献論は大きく後退していく、熱しやすく冷めやすい日本人の国民性もまた、国際貢献を衰微させたといえる。

 

三つの要素のバランス

・松下氏が『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』でもっともいいたかったのは、おそらく国の安全や防衛を考えるときは、三つの要素をバランスよく守り立てることが大事ということである。一つは国力であり、二つ目は国際環境に敏感であること、三つ目は日本人の精神性である。これは単純な富国強兵を意味しない。食料やエネルギー、外交力、信用力などまで含めた、いわばソフト・パワーの充実である。太平洋戦争の原因を石油と考えれば当然の話で、この論考が出た数年後には大平内閣でも「総合安全保障」という考え方が出てくる。

 ただ、松下氏の論考が安易な「総合安保」論と大きく異なるのは、軍事力こそ安全保障の核心であるとはっきり押さえている点である。

 

<「無税国家」という国家百年の計  齋藤精一郎>

理想の税制を掲げることでみえてくること

・ざっくりと試算すると、仮に、国家予算を70兆円、積立金をその1%の7000憶円、利子の年率を6%とすれば、百年後には積立金は4000兆円を超え、その金利だけで250兆円の収入が生まれることとなる。

 この論が実現可能であるかはさておき、従来の税金の常識を打ち破り、税制論議に一石を投じたことは間違いない。ここで松下氏は、2つの大きな問題提起を行ったといえる。一つは、財政は放っておけば膨張するから、長期的な理想を掲げることで歯止めをかける仕組みを考えなければならない、ということ。もう一つは、税金をそれ以上増やせないということになれば、人間はいかに税金を適正に配分して使うか知恵を働かせるようになる、ということである。

 

所得税ゼロの可能性>

・この夢が実現可能かどうか、1993年から96年にかけて、私は研究者たちとプロジェクトを組み、具体的な数字を挙げてシュミュレーションを行った。1997年から2007年までの10年間、「地域主権」と「市場主義」を基本理念に大胆な行政改革を行ない、国と地方の歳出統計類の2割強を大胆に削減したらどうなるかを検討したのである。

 

・その結果まとめられた提言(『日本再編計画』PHP研究所)で、われわれは、2007年以降、国と地域合わせて毎年30兆円の歳出が削減でき、その余剰金などを「21世紀活力基金」として積み立てれば、2020年には467兆円になり、所得税ゼロも可能になるという、具体的な姿を描いたのであった。

 

<富裕税構想>

・「そこで、その点だけに、一つだけ税金科目をこしらえる。富裕税と申しますか、うんと金のある人は、所得の格差を多少調整する意味において、国家に対して税金を納める」

 そしてこの富裕税一本にすれば、徴税もきわめて簡単になり、徴税費用も現在の10分の1以下で済むのではないか、というのである。

 私は、産業人は「効率」は語っても、「公正」の話は嫌がるものかと思っていたが、松下氏のようにゼロから叩き上げた成功者が、1979年の段階でこのような富裕税構想を語ったことに、たいへん重みがある。

 

ベーシックインカム」だけを保障する社会へ

・ここで、国は国民の「ベーシックインカム」だけを保証する、と考え方を変えたらどうか。たとえば国民に年額150万円を保障することとし、それ以外は保障しない。ただし、住宅と医療だけは、最低限供給する。これで最低限の生活が担保されるから、国民は安心感をもてる。この場合、誰しも生涯の生活が保障されるから、公的年金は不要になる。

 

・次に考えるべきは、負担と受益の明確化である。そのためにまず、国は基本的に国防、外交、司法さえ担えば十分とし、あとは地方にすべて任せる。

 ここで求められるのが「地域主権」の発想である。300前後に集約した基礎自治体をきちんと機能させ、その連合体として「道州」をつくる。

 

・いまの税金のあり方は、あらゆる意味で松下氏が描いた2010年の姿と、あまりにもかけ離れている。

 

<「可視化」を進めよ>

・とかく日本の社会は「インビジブル(不可視)」だ。財政の仕組も、年金の仕組も、わざと普通の人にはわからない、「隠語」だらけの伏魔殿をつくりあげている。重要なのは、「可視化」を進めることなのだ。「税金の可視化」も然り、「負担と受益の可視化」も然り、「コミュニティーの可視化」も然りである。そうすれば、解決策もおのずと見えてくるのである。

 

<政治家のパフォーマンスを廃す>

・公正と効率の問題については、まず所得税を見直す。現在40%を上限に6段階に分かれている累進課税を、10年以内に3段階にする。ただし最高税率は公正の面を重視し、当分は40%のまま据え置く。

 さらには富裕税も導入する。富裕層の資産に課税する、一種の資産税である。

 

<「総合力」と「変化即応力」で際立つ松下流 牛尾治朗

高度成長を牽引したキーワードは「生産性」

・『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』に描かれた「政治の生産性」という言葉と「日本政治生産本部」という組織――これはじつに松下幸之助氏らしい発想だと、しみじみと感じる。

「生産性」という言葉は、私にとっても強い思い入れがある言葉である。戦後日本の高度成長を大きく牽引したキーワードもまさに「生産性」であった。

 

・さらに昨今、「いかに生産性を高めるか」を論じる場合に重要となってきているのが、「『労働生産性』よりも『全要素生産性』をいかに高めるかである。全要素生産性」とは、全体の産出量の「変化率」から労働と資本の投入量の変化率を引いた数値のことであり、労働や資本などの生産要素だけでは測れない、技術・研究開発など創造性の部分を計測するためのものだ。

 

<「職人力」と「クリエイティブな能力」>

・経営は、職人技術とクリエイティブな能力の二本立てである。たとえば資金繰りや労使交渉などは、ある種の職人的な技術といえよう。片や、先に挙げたような「総合力」や「変化即応」、または「企画力」などはクリエイティブな能力である。

 

「ゾンビ化」で、国も経済も停滞をつづけた

市場経済は、強いものが残って弱いものが消えていくから全体の生産性を高めることができる仕組みだ。弱いものをいびつな形で残し続けたら、平均値が落ちてくるのは火をみるより明らかである。ダーウィンが説いたように、変化に即応できるもののみが生き残れるはずなのだが、日本では変化に即応できないものでも儲けられる道がたくさんあり、政治も利権がらみでその道を固守し続けた。だから国も経済も停滞しつづけたのである。

 

規制緩和で透明性を高め、雇用の閉鎖性を見直せ

・オープン化とは、「開放」と「透明化」である。日本をオープン化するために、規制緩和を進めて日本の制度や市場をより透明性の高いものとするとともに、たとえば雇用なども、閉鎖性を見直していくべきであろう。

 

・逆に、日本に企業や工場を残したければ、日本の排他性をなくし、グローバルに競争できる環境を整備するしかない。

 

現場主義、完璧主義、集団主義に根差した「力」

・さらに、松下幸之助経営を私流に表現すれば、日本の戦後の成功を支えた大きな要因は、日本人の「現場主義」「完璧主義」「集団主義」にあると思う。

 

<官僚主導の「イヤイヤ開国論」を糺す  堺屋太一

・いまから50年以上前に「日本の景観資源を活用し、『観光立国』をめざせ」と提言した故・松下幸之助氏が2010年10月に観光庁長官表彰を受賞した。

 

官僚の演出する外国人恐怖症

松下幸之助氏は、いわば「好き好き開国」の先駆者である。松下氏の精神の根底には、日本に対する揺るぎない自信があった。

 

それに対して、官僚たちのしているのは「イヤイヤ開国」でしかない。官僚組織というものは身分社会であり、自分と違う身分の人は信用しない。日本の官僚は「国民に任せたら必ず失敗する」と固く信じている。いわんや外国から入ってくるものは、絶対に信用できず、「徹底的に監視統制しなければ危ない」と信じ込んでいる。

 日本の官僚は、「外国人を入れると犯罪が増える」とか「外国の企業が株を持つと国益に反することをする」と明言しており、マスコミもそのような論説が流されている。医薬や医療機器の許認可では、外国の実験例は原則として認めない。このため日本の医薬医療は非常に遅れている。

 

・官僚組織は情報ばかりでなく、人の流入も統制したがる。日本の観光立国化が大きく立ち遅れた要因の一つに、ビザの発給問題がある。たとえば日本政府は中国人に対して、添乗員が付き添う団体観光のみにビザの発給を許可してきた。中国人が滞在期間を過ぎても帰らず、国内で不法就労をするような事態が頻発した、というのがその理由である。

 09年7月、中国人向けの個人観光ビザの発給がようやく開始され、10年7月からビザの発給用件も緩和された。

 

・現在、日本からの出国者数は年間約1600万人だが、一方で海外からの入国者は約800万人にすぎない。日本が観光立国を謳うからには、少なくとも来日する観光客を倍増させて均衡状態にする必要があるだろう。

 

<沖縄の観光開発はなぜ成功したか>

・また、日本の法制と沖縄の県民性からみてギャンブルも外した。これに代えて第一に据えたのは、サイト・シーイング、とくに海洋リゾートである。これには多分の「フィクション」を加え、「リズム・アンド・テイスト」に力を入れるべきだと考えた。

 

・こうした取り組みを続けた結果、沖縄の観光客は「10年間で10倍」の目標をはるかに超える成功を収めた。いまや沖縄への入域観光客数は年間実数500万人を大きく超えるまでになっている。人口も、大方の予想に反して急増、日本有数の人口増加県である。日本国内で大規模な観光開発に成功した唯一の例が、この沖縄県であろう。

 

<官僚型観光開発は死屍累々>

・80年代に入ると、数多くの自治体や企業が観光開発に乗り出した。そしてそのいくつかから相談をもちかけられた。しかし、当時相談を受けたプランの多くは、「失敗は必至」と思えた。その理由は大きく分けて3つである。第1は、「自分のしたくないことを他人にさせよう」という「官僚的傲慢」である。第2は、「アトラクティブスの欠如」、つまり非日常性がないのだ。第3は、プロジェクト推進の技術的未熟さだ。

 

<科学の力と松下幸之助の夢  石井威望 vs. 広中平祐

<情報化で変貌する教育>

・(PHP1984年に、世界を関上げる京都座会から「学校教育活性化のための7つの提言」が出されました。提言の内容は、中央集権的な学校のあり方を改めるという基軸のもと、「学校の設立自由化と多様化」「通学区域制限の大幅緩和」「意欲ある人材の教師への登用」「学年制や教育内容・教育方法の弾力化」「現行の学制の再検討」「偏差値偏重の是正」「規範教育の徹底」というものでした。これらは4半世紀たった現在も、日本の教育に求められている課題のように思います。

 

・(広中)かつて教育は、学校に任せていれば十分でしたが、いまやテレビから強く影響を受けたり、インタ―ネットからさまざまな知識を得られるなど、教育と家庭が密接に結びつくようになっています。ある意味、家庭や社会の役割のほうが、教育において重要になっているのです。

 

他流試合によって生まれる新しい人材

(石井)また、経験という点では、研究者に専門分野から外に出て、他流試合をさせるのも効果的です。

 

 

 

松下政経塾が日本をダメにした』

八幡和郎   幻冬舎   2012/2/24

 

 

日本の政治はよくなったかといえば、むしろ「劣化」している

政経塾ができたころ、講師を務めた堤義明は、「政治家になるには、『政治家の子どもに生まれるか、その娘と結婚する』『官僚になる』『労組とか宗教団体から出る』以外には難しい。それを打ち破るならよほど土性骨をいれてかからねば」と語った。そういう困難を乗り越えて、これまでの政治家とはひと味違う政治家群の排出に成功したのは間違いない。

 

松下幸之助の弟子たち、天下を盗る~二世と官僚の王国を倒すも世直しの展望なし

<政治家二世や官僚より高い確率で国会議員に>

・しかも、これまでの卒業生の総数は、わずか248人でしかないのに、現職の国会議員だけでも38人を占める。

 

政経塾卒業生の成功率は驚異的ですさまじいばかりの政治エリートぶりである>

・とはいえ、あの偉大な経営者だった松下幸之助がこの国の未来を憂え、政治の貧困に絶望した末に、私財を擲って創立した松下政経塾の志に、卒業生は応えうる存在なのか。そう問われたとき、躊躇なく頷くべきレベルに達しているかどうかは、まったく疑問なのである。

 

<志はあっても政策に弱いという評判>

松下政経塾出身の政治家については、もちろん、共通した長所もあるが、批判的な見方や厳しい評価もある。

 

① 専門知識・国際経験が不足しがち

・陣笠代議士としてなら十分に高いレベルかもしれないが、現代国家のリーダーには、インターナショナルな水準に合致する大学院クラスの知的訓練、国際人としてのコミュニケーション能力、グローバルに普遍性のある文化的素養も不可欠なはずだ。

 

実務経験に乏しく現場感覚が政策と結びつかない

・政治以外の実社会で働いた経験があったとしても、大学卒業後の短い期間における若手社員となどとしてのもので、管理職や経営者としての経験が抜け落ちている。販売店や工場での研修などの成果もあってか、現場感覚は豊かでマメだが、たとえば、中小企業経営者や管理的立場にある人の悩みなどを十分に聞いているわけではない。

 

③ 志の高さと堂々たる国家観はあるがステレオタイプ

・よい国をつくりたいという志はあるし、愛国心などもしっかりしている。しかし、理念をステレオタイプに主張するだけなので、独創性があまり感じられず、自国の利益を主張する基礎となる過去の歴史などについての細かい知識や目配りに乏しい。

 

④ 関心が外交など特定分野に偏るとともに政策に弱い

・興味がある分野が偏り、外交・国防・教育・環境などには、おしなべて強いが、経済政策などへの興味は希薄である。

 

演説は上手だが政治技術がなく実行力に疑問

⑤政治技術の不足とその重要性についての意識のなさ

 ・足して2で割る式の旧来のやり方に問題があるのは事実だが、現実の政治では、うまく交渉し妥結して、いかにして最大幸福を実現するかが問われる。そうでなければ、特定の集団、階層、地域などの利益ばかりが実現することになりかねない。ところが、政経塾出身の政治家は、自分の意見を主張するだけで、それを実現するための政治技術を軽視がちで、不得意でもある。

 

演説は上手だが討論は下手

 ・スピーチが軽視される日本の政治風土にあって、国際的なスタイルに近い演説の水準を会得し、具体的な利益につながらないような高邁な理想や国家観を訴えるのは評価できる。しかし、違う意見の人と討論し、相手を説得したり、的確に反論することが上手だとはいえず、一方的な主張に終始したり、はぐらかしてしのぐ傾向がある。

 

⑦迅速対応に傾斜しすぎ軽率な発言が目立つ

 ・近ごろの日本社会全般の問題でもあるが、マスコミや世論を気にするあまり、急ぐ必要がない問題にあわてて対応しすぎて、軽率な発言、官僚などへの責任のなすりつけ、誤った方針の採用、バランスを欠いた対応をする傾向がある。企業イメージの確保が優先される民間とは異なり、政府は短期的評判より長期的視点を重視すべき存在である。

 

・だが、松下政経塾の卒業生たちは、「地盤・看板・カバン(資金)」のいずれもなかったので、しかたなく、街頭演説に頼らざるを得なかった。

 

 

 

松下幸之助の生き方』  人生と経営77の原点

佐藤悌二郎  PHP   2015/11/17

 

 

松下自身、現実という書物を読むことの大切さを説いています

松下幸之助の人生をたどってあらためて思うのは、松下ほど、一つひとつの見聞や体験に学び、考え、何らかの教訓を導き出して、その後の人生や仕事に生かした人もめずらしいのではないかということです。故・山本七平氏の言のとおり、松下はデカルトのいう“膨大な書物といえるこの社会”をきめ細かに読み、そこから実に多くのものを学んできた人だったように思います。

 

・これに対し松下は、「万巻の書を読まなくても、真理はすべて日常の事象の中に具現されている。たしかに真理や原理原則は万巻の書物に書いてあり、普通はその本を読んで研究するが、それ以上によく説明しているものがある。それは現実という書物だ」と述べています。そして実際、あらゆる事象をつぶさに観察し、学ぶ姿勢をみずから貫いたのです。

 

・昭和59年11月27日に90歳を迎えるとき、「27日になったら一から出直しだ。中学校に入ってもう一ぺん勉強しよう。それから高校へ行って、大学へ行って」と言い、翌60年の年頭には、「PHP大学をつくって、大学生の第一号になる。まだまだ勉強しないといけないから」と言ったといいます。松下の一生は、まさに“学ぶ心をもちつづけた一生”、とどまることなく学び、思索し、成長を続けた生涯だったといえるでしょう。

 

<企業は国家からの預かりもの――税金で悩む>

・私は爾来、50年近いあいだにずっと公開経営と申してもいいほど、税金に対しましてはガラス張りでやってまいりました。また、関係会社にしましても、税金に関してはいっさい心配は要らない。もともと国家のものをわれわれが預かっているにすぎんのやから、喜んで出したらいいということでやってきました。

 

・結局、企業というものは全部国家のものであって私のものではない。それを私のもの、あるいは私らのもの、あるいは株主のものだというような考え方でやっているところに問題がある。だから企業は国家から預かっているものであるという観点に立っていっさいを見ていこう、そうすれば非常に楽であるし間違いがないと、こういう考えでやってきておるんです。

 

<間違いは正さなければならない――財閥指定に抗議する>

・幸之助は、財閥に指定された他の会社の社長がみな辞職したなかで、ひとり辞職しなかったのみならず、GHQに対して徹底的に抗議しようと決意します。大阪からGHQ本部のある東京まで、超満員の汽車に乗って出向き、50数回にわたり指定の取消しを訴えました。財閥ではないと証明するために作成した資料は5千ページを超えたといいます。

 その間、個人資産が凍結されたために生活は困窮し、友人に借金をして生活費にあてる日々を余儀なくされました。しかし、幸之助はあきらめずに抗議を続け、3年半後の昭和24年12月、財閥家族の指定を解除されたのでした。

 

<従業員はわが家族――物故従業員慰霊塔を建立>

・一昨日から出張して、けさ早く帰阪いたし、そのまま出社した。会社付近まで来た頃にはちょうど各工場の出勤時間で、工員諸君が大勢、しかも雨降りで傘をさしているため、表の通りはそれらの人で埋まるくらいのにぎやかさであった。それを見て深い感慨を覚えるとともに、それらの若い人々が、いずれも将来の幸福を願い、それぞれの希望を抱いて、朝早くから勤めにかよっておられるのであろうことを考えて、自分の責任の重さを強く自覚させられたのである。

 自分としては今いちばん深く考えていることは、大勢の従業員諸君が毎日を愉快に働いておられるかどうかという点である。願わくは1人残らず。その日その日を愉快に働いてもらいたい。そのときに、真の会社の発展も各人の向上も望みうるのである。

 

明文化して意識づける—―三つの心得を通達

松下電器には、明文化された規則とか心得といったものが少なからずある。それらは、見方によれば窮屈な感じを与えるかもしれない。けれども、また一面においては、お互いが仕事を進めていくうえでのよりどころともなるわけである。

 規則も何もない姿で事がスムーズに運べば理想的だが、実際にはなかなかそうはいかない。だから、やはり、お互いに期するものをもち、みずからを律しつつ、目標を追求していくという姿が望ましい。そういうところにこそ充実感が得られ、好ましい成果もあがってくるのではないだろうか。

 そういう意味からいって、一つの集団、一つの会社が力強い活動を続けていくためには、何らかの規則、決まり、心得を明文化して、それを1人ひとりがくり返しかみしめていくことも非常に大切だと思うのである。