UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

このときから体脱体験を繰り返すようになったという。自分でもどうにもできない身の毛のよだつような思いをした。他人の考えていることがわかるようにもなった。(1)

 

 

 

アメリカ超能力研究の真実』 国家機密プログラムの全貌

アニー・ジェイコブセン  太田出版 2018/3/16

 

 

 

<超能力研究>

1950年代初期から40年以上、国家安全保障の名目でアメリカ政府主導によりESPやサイコキネシスなど超能力研究が行われてきた。極秘プロジェクトの目的は、ロシアを筆頭とする共産側の情報収集と国家の脅威を予知することだった。研究を主導した機関はCIAから国防総省、陸海空軍にいたるまで多岐にわたる。

 

サイキック兵士

ジョーマクモニーグルベトナム戦争中に「第6感」が明らかになったあと、陸軍の超能力研究プログラムに選抜され、リモート・ビューアー0001号という機密扱いの肩書をあたえられた。リモート・ビューアーという呼び名はESPに付随するオカルトの烙印を排除するために作られた。

 

ジョーマクモニーグル准尉は、ヴァージニア州アーリントン・ホール・ステーションにあるINSCOM(情報保全コマンド)本部で、航空機の特殊なコンピュータ主導ブラック・ボックスを作成していた。信号情報・電子戦担当上級計画将校で、年齢は32歳。私生活はぼろぼろで、陸軍の生活にはほとほと嫌気がさしていた。軍にすべてを捧げてきたにもかかわらず、努力はほとんど報われていなかった。1967年にベトナム駐留中、ヘリコプターが撃墜されて九死に一生を得た。それ以降は国から国へ、基地から基地へと異動続きの生活を送っていた。

 

マクモニーグルは、2度目の会合に参加するために、メリーランド州フォート・ミード陸軍基地まで赴いた。基地に着くと、第902軍事情報群に出頭した。

 

マクモニーグルは、パソフが病院の中庭の「だいたいどのあたりにいるかを、プライスがきわめて明瞭に描写し、建物や物体の大きさや位置関係が正確である」ことを感動しながら映像に見入った。

 

・従軍期間が終わりに近づいたある日、ベトナムプレイク省にある基地に帰還中、乗っていたヘリコプターが撃墜された。回転翼の音を聞きながら飛んでいたら、次の瞬間ドカンという衝撃とともに機体が落下しはじめた。目が覚めたときには陸軍の病院にいて足を牽引され、頭は固定用のピンで留めれていた。回復すると、ベトナムからドイツ南部のバート・アイブリングという小さな町へ送られた。1970年には、同じくドイツのポキングの分遺隊の指揮を任された。ブラウナウにあるイン川に面したレストランで臨死体験をしたのはその夏のことだった。

 マクモニーグルと妻は、分遣隊の仲間のひとりとその店で飲んでいた。飲み物をひと口かふた口すすったところで吐き気がして席を立った。毒でも盛られたのかと思った。新鮮な空気を吸いに外に出たところで、頭のなかでポンッとはじけるような奇妙な音が聞こえた。そのあとは、まるで自分が写っている映画を見ているようだった。石畳の道の上に立ち、パブの入口の外で目の前に展開する現実とは思えない光景を眺めていた。「それからの出来事は、まるで自分が現実との境目を一歩超えたところにいるかのように進んでいった」と、彼は回想する。両腕を前に突き出して、雨が自分の手を通り抜けていくのをじっと見た。恐れが消えて、うっとりとした気持ちになった。「パブの入口あたりが騒がしくなり、様子を見ようと漂っていくと、溝から半分突き出した自分の身体を見下ろしていることに気がついた」。現実のマクモニーグルは自分の舌を呑みこみ、呼吸が止まっていたのだ。妻と友人が彼の身体を車に乗せるのが見えた。その車がパッサウの病院に向かうのを、まるで車の脇を飛んでいるかのように見ていた。医師と看護師が蘇生措置を施すのも見た。自分が長いトンネルに落ちていき、ER(緊急救命室)がどんどん遠ざかり、小さくなっていったのを覚えている。どこかはわからなかったが、しばらくのあいだそこに留まっていたという。

 それまでの自分の人生が見えて、悲しみと後悔の念が胸に湧きあがってきた。マイアミのスラム街でアルコールの依存症の両親のもとで育ち、つらい子供時代を耐え抜いた。父親に強く殴られるとキーンという耳鳴りがして、顔が血だらけになった。一家の金はすべて酒代に消え、満足な食事ももらえなかった。みじめな生活のなか、双子の妹がいちばんの味方でもあった。彼を心から理解してくれる、たったひとりの人間だった。けれど大好きな妹は高校生で妊娠し、生まれた赤ん坊は修道女にどこかへ連れていかれた。妹は鎮静剤を打たれ、それ以降薬に依存するようになり、二度と「普通」に戻らなかった。「何もかも許そうという強い気持ちがどっと胸に押し寄せてきた。そのときだ。胸の奥の声が、ここにいてはいけないと言ったんだ。戻らなくちゃいけない、まだ死ぬときではないってね」。その声に逆らったが、無駄だった。「2度目のポシッという音がしたかと思うと、病院のベッドの上にいた。私は身を起こしてあたりを見まわした」。病室には誰もいなかった。

 

・見舞いに訪れた妻が、マクモニーグルが病院に運ばれてきたときは臨床死の状態だった、と説明してくれた。意識が戻ると、陸軍は療養のためミュンヘンにある民間の診療所に彼を移した。このときから体脱体験を繰り返すようになったという。自分でもどうにもできない身の毛のよだつような思いをした他人の考えていることがわかるようにもなった。「実際に相手の思考が聞えたり、一語一句読み取れるわけじゃなかった。概要や思考に含まれるテーマを見透かせるようになったんだ」。自分の身に起きていることを看護師に訴えたが、この種の体験を病院で口にするのは危険だと考えた。それで体脱体験は胸の奥にしまっておくことにしたものの、自分のどこかが変わってしまったことはわかっていた。「一度臨死を体験してしまうと、以前のように普通にふるまうのはほとんど不可能と言っていい。物事の見方そのものが変わってしまうんだ」と、マクモニーグルは言う。

 

面接後、パソフはマクモニーグルを陸軍の斬新なプログラムに推薦した。彼こそ情報収集用リモート・ビューイング訓練に求めていた人物だった。アトウォーターとワットは、マクモニーグルにこう尋ねた。フォート・ミード基地で試作的に創設する6人編成の部隊、<グリル・フレーム>という機密プログラムに参加する気はあるか?これは実験的な非常勤部隊だ。参加するなら、SRI(スタンフォード研究所)へ送られて訓練を受け、その後、フォート・ミードで一連のアウトバウンダー=ビーコン実験をおこなう。マクモニーグルは承諾し、リモート・ビューアー001号に指定された。

 

・チームには、ほかに陸軍で雇われた3人の民間人とふたりの情報将校が選抜された。写真解析官で元航空偵察者のメルヴィン・ライリー。米国写真解析センターの将校で米海軍特殊部隊元訓練教官のハートレイ・トレント。冷戦初期からフランスで数々の諜報作戦に従事してきたベテラン防諜将校のフェルナンド・ガーヴィン。対情報活動の専門家のケネス・ベル大尉。それから画像分析官のナンシー・Sで、彼女に関する詳細はほとんど明らかにされていない。

 

・独立班Gと呼ばれるこのグループは陸軍諜報史上前例のない、風変わり案秘密部隊だった。<グリル・フレーム>は隠密作戦であったために軍服は着用せず、髪を伸ばすことも認められていた。

 

陸軍は、正規軍人にスキルとしてリモート・ビューイングを学ばせる訓練を承認すべきか決定をくださなければならなくなった。しかし、サイキックと陸軍は原則的に相容れない。そのため、次のような計画を立てた。まずは1年かけてこの現象が本物であることを立証する。2年目は訓練にあて、3年目は陸軍のプロトコルを作成する。そのように事を進めるはずだった。ところが、1979年11月4日、20世紀最大級の劇的な国家安全保障上の緊急事態が勃発した。テヘランで革命派の学徒がアメリカ大使館とイラン外務省になだれこみ、66人のアメリカ人を人質に取ったのだ。アメリカ史上類を見ない重大な危機であった。NSCは、フォート・ミードで訓練中のサイキックをイラン人質事件の支援部隊に任命した。

 

・「午前4時に突然電話がかかってきて、ただちにオフィスに出頭するように言われたんだ」と、マクモニーグルは思い起こす。テレビやラジオは禁止、新聞の見出しも見ないように指示された。フォート・ミードに到着すると、独立班Gのメンバーはすでに集合し、大きな会議用テーブルの周りに座っていた。テーブルの上は、100枚以上はありそうな大量の写真で埋め尽くされていた。アトウォーターからテヘランの事件の概要が説明され、リアルタイムの作戦任務があたえられた。

 

・「何をターゲットにしたかって?」と、マクモニーグルが大仰に言った。「すべての建物、すべての部屋、それぞれの部屋にいるすべての人間だ………彼らがどんな服を着て、体調はどうか、どんな家具があるか、壁にどんな絵や写真がかかっているかまでね」。

 

マクモニーグルの記憶によれば、ナンシー・Sは「大爆発………なんだかわからないけれど、燃えさかる巨大な炎」が見えたと報告した。それからパニックになり、わっと泣き出した。当時ビューアーが置かれた状況はかなりハードだった。緊迫した事態のストレスと、慣れないモーテルの部屋、何時間も続く任務で、誰もが疲れ果てていた。その晩遅くなってから、ワットが唐突に任務の終了を告げ、テレビをつけた。カーター大統領が人質救出作戦が失敗し、テヘランの南東約320キロのイランの砂漠でヘリコプターが墜落した、と発表して国民を驚かせた。砂漠にあった作戦拠点の暗号名は「デザート・ワン」。救出は<イーグル・クロー作戦>であった。墜落によりアメリカ軍の兵士8人とイランの民間人ひとりが死亡し、大勢が重傷を負った。救出作戦が失敗に終わり、人質がこれからどうなるのか誰にもわからなかった。

 

トレントとナンシー・Sは、この一件を「予知」していたのだろうか?ガーヴィンはどうなのだろう?彼らは時間の壁を越えて、未来の情報を手に入れたのか?リアルタイムであの出来事を見ていたのだろうか?ゴリラは特殊部隊員の一種のゲシュタルト(象徴)だったのだろうか?陸軍のリモート・ビューアーたちは天性のサイキックではなかった。インゴ・スワンやユリ・ゲラー、パット・プライスのふりをしたわけではない。つい最近、まだ効果もわからない実験的な情報収集ツールの訓練を受けはじめたばかりだった。予知能力は悪夢のような技術に等しい。未来を見ることは、死を見ることでもあるからだ。誰がそんな能力をみがきたいと思うだろう?

 

・フォート・ミードのビューアーは、NSC、CIA、統合参謀本部に情報を提供し続けた。それから3ヵ月後、人質はまだ解放されず、カーター大統領が再選されなかったのは、<イーグル・クロー作戦>の失敗のせいだと言われている。1981年1月20日ロナルド・レーガン新大統領の就任直後、ホメイニ師率いる政府は残っていた52人の人質全員を解放した。

 

・フォート・ミードの独立班Gは、ぞっとするような薄気味悪さに包まれていた。それぞれ口には出さないものの、心のなかでこう問いかけていた。「おれたちがここでしていることは何なんだ?」。答えは、やはり誰も口には出さなかったが、「わからない。だから訊くな」だった。サイキックになったり、その練習をするという感覚はきれいさっぱり吹き飛んでいた。アウトバウンダー・ビーコン実験に“新時代の意識拡張訓練”という面があったとすれば、それはイラン・アメリカ大使館人質事件で一変した。アメリカ陸軍のリモートビューイング部隊はきわめて難しい状況に追いこまれていた。一方で上層部の意向は明確だった。「この現象が何なのかわからない。本物かどうか立証することはできないが、3年計画は忘れてとにかくプロジェクトを進めよう」。先の見えない計画は、インドの僧院やチベットの山頂、もしかするとCIAならまだしも、アメリカ陸軍にふさわしいとは言いがたい。リモートビューイング部隊は、大きな混乱と混沌へ向かおうとしていた。

 

<スーパーナチュラル>

(スーパーナチュラル)科学や自然の法則では説明できない現象。魔法や神に関連する、あるいはそれらによって引き起こされるように見える現象。

 

・1941年5月10日。第2次世界大戦中のこの日は、超自然現象がかかわる信じがたい出来事が起きたために歴史に刻まれることになった。第三帝国の副総統ルドルフ・ヘスは、ミュンヘン郊外のハルラヒングの自宅で目を覚ますと、おかか占星術師の助言に従って、この日に秘密の計画を決行すると決めた。星図によれば、その日は6つの惑星が金牛宮に重なり、満月になるとされていた。

 

・レーダーに探知されぬように低空を飛びながらライン川へ進み、オランダ沿岸を横切り、北海を出てスコットランドに向かった。離陸からおよそ5時間半後、ヘスは機体からパラシュート降下し、グラスゴーの南のイーグルシャム村に近いフロアーズ・ファームという農場に降り立った。

 彼がのちに語ったところによれば、このイギリス行きの目的は、ダンガヴェル城に向かい、ウィンストン・チャーチル首相と親しいハミルトン公を仲介役にしてイギリスと和平を結ぶことだったという。ところがそうはならず、ヘスはイギリスに逮捕され、拘留された。

 

・数年後、ヘスはシュパンダウ刑務所で服役中、第三帝国の元軍需・戦時生産大臣アルベルト・シュペーアに動機を明かした。「ヘスは、あの考えは超自然的な力をもって夢の中で暗示されたのだ、と真剣な面持ちで確信した」と、シュペーアは自著『第三帝国の神殿にて』(中央公論新社)に書いている。ヘスの二人のおかか占星術師、カール・クラフトとエルンスト・スルテ=シュトラハウスが、宇宙の法則に従って5月10日が単独飛行決行日にふさわしい、と信じこませる星図を作ったとされている。

 

・しかし2002年に英国放送協会(BBC)が、この話のもうひとつのバージョンを明らかにした。それによれば、イギリス諜報機関が“イギリスでもっとも有名な魔女”シビル・リークという女性を使って、「占星術を信じるドイツ人に偽の占星図を提供していた」という。「彼女はナチスルドルフ・ヘスをイギリスへ飛行させ、そこで逮捕されるようにホロスコープを作成したようだ」。結局のところ、リークの星図はヘスの取り巻きグループに偽情報をしこむ道具であり、彼の行動に影響をあたえ、信念を助長させたというわけだ。

 

ヘスが和平交渉のために独断でイギリスへ飛んだことは、第三帝国にとっても大失策となったヒトラーはヘスが精神に異常をきたしていたと発表し、ドイツ国内でのオカルトにかかわる活動を禁じる「スペシャル・アクション・ヘス」という政令を発布した。これによりドイツ国内の占星術師、占い師、透視能力者、信仰治療師など、600人以上が大量検挙された。

 

・ド・ウォールは確かに熱心な占星術師だったが、イギリス諜報機関アメリカ国内の作戦部門であるイギリス安全保障調整局の協力者でもあった。機密解除されたド・ウォールの諜報ファイルによれば、彼のコラム、インタビュー、それに予言もすべて念入りに仕組まれた偽情報作戦の一部であり、「アメリカの世論をイギリス支援に誘導するため」のものだった。

 

・3ヵ月後、日本が真珠湾を攻撃し、アメリカは日本に宣戦布告をした。12月11日、今度はヒトラーアメリカに宣戦を布告した。こうしてアメリカは第2次世界大戦に参戦し、役目を終えたド・ウォールはイギリスへ帰国したのだった。

 その後の5年間、彼はハインリッヒ・ヒムラーが活用する占星術とオカルトの対抗手段として、連合国のために働いた。

 

本来、社会におけるオカルトは手の空いた時間にする趣味にすぎなかった。それがナチスの国家安全保障機構と絡み合うと、人々に大きな影響を及ぼすようになった。ハインリッヒ・ヒムラーは、親衛隊全国指導者として、すぐれたドイツ人を意味する「超人」神話を助長させるさまざまな疑似科学プロジェクトを推進した。大学時代からオカルトに魅せられていた彼は、1925年にナチス党の地区指導者になると、オカルト関連の助言役としてカール・マリア・ヴィリグートという66才の退役陸軍大佐を雇った。ヴィリグートは、ルーン文字ゲルマン人が用いた古代のアルファベット)とチュートン(ゲルマン)語のシンボルの専門家、そして預言者(霊媒)でもあり、紀元前1200年の古代アーリア人部族と交信できると主張していた。親衛隊少将に出世したあともヒムラーの個人スタッフとして仕えていたが、1923年に精神病院に収容され、法的に精神障碍と宣言されていたことが親衛隊情報将校たちによって発覚した。

 

・ヴィリグートが排除されたころ、ヒムラーはすでに「アーネンエルベ(祖先のアカデミー)」というナチスの大がかりな科学アカデミーを創設し、自ら総裁として君臨していた。

 

・アーネンエルベは壮大な規模を誇り、潤沢な資金を使うことができた。50もの部門に分かれ、考古学、地質学、天文学といった広範な自然科学分野を網羅していた。その一方で、岩石層と地質学的な出来事の年代を測定する地質年代学や洞窟の調査と探検をおこなう洞窟学のようなきわめて特殊な部門もあった。「オカルト科学なるものの調査」という部門では、超感覚的知覚(ESP)、占星術、マップ・ダウジング、霊魂とのチャネリングなどの超常現象と占いの研究が行われた。ソ連アメリカの超能力をめぐる軍拡競争のはじまりは、アメリカと赤軍が別々に押収した、アーネンエルベの超常現象に関する公式文書がきっかけだった。

 

・1945年6月、ヨーロッパでの第2次世界大戦は終結した。ナチスは敗れ、第三帝国の思想も打ち破られた。死者総数は5000万人に達した。しかし、同盟国だったアメリカとソ連による戦利品の争奪戦は、まだはじまったばかりだった。第2次世界大戦の終わりは冷戦という新たな戦争の幕開けであり、それとともに壮大な軍拡競争の火ぶたが切って落とされた。第2次世界大戦中、ナチスは技術的に世界でもっとも進んだ兵器のいくつかを生み出していた。その科学技術に魔術とスーパーナチュラルがかけ合されていたことは、1945年にはうっすらとしかわかっていなかった。しかし、第三帝国がひた隠しにしていたその秘密は、ほどなくして冷戦の軍拡競争の一部となる。

 

・第2次世界大戦が終わるとすぐに、米ソ両政府は人間の行動に影響をあたえコントロールする新しい方法を研究しはじめた。ここで初めて、アーネンエルベの科学がナチス・ドイツ以外の場所で活用されることになった。アメリカ側の研究を指揮したのは、創設されたばかりのCIAだ。初期の計画のひとつは、自白剤の開発だった。魔法の薬と魔法使いの呪文が関連する、古くから探求されてきたテーマである。この秘密のプロジェクトは、メリーランド州エッジウッドの陸軍化学センターで陸軍の科学者とともに進められ、最初は<ブルーバード>、次に<アーティチョーク>、最後は<MKウルトラ>と呼ばれた。CIAは、研究のためにマジシャンや催眠術師のほか、“イギリスでもっとも有名な魔女”シビル・リークまで雇い入れた。

 これらのプログラムの主導者のひとりに、モース・アレンという男がいた。欺瞞を見抜くことと嘘発見器の専門家で、1952年に<プロジェクト・アーティチョーク>の指導者に昇進した。彼の仕事はCIAが諜報活動に利用できる、もっとも効力のある薬を世界中から探し出すことだったナチスのアーネンエルベは、第2次世界大戦中にこの種の研究をすでに始めていた。強制収容所で人間の生理状態を極限状態に置き、その結果を測定し記録できるようにしていたのだ。相手の計画から自国を守るために必要な対抗手段だと主張して、CIAとソ連の国家保安委員会(KGB)はそれと同様の実験に手を染めようとしていた。

 

・1952年10月、アレンはメキシコに人間を変性意識状態に置くハラタケ科の食用キノコがあることを知った。テオナナカトル(神の肉)というその菌類増殖は、古代アステカ族の伝説で特定の“霊感のある人間”つまり超能力者に超自然的な能力をあたえると言われていた。「メキシコ先住民の部族の一部がおこなう儀式を記した大昔の記述に、宗教行事の際に幻覚を引き起こしたり、極度の興奮状態を生み出すためにこのキノコが使われた、とある」。

 

・1953年初め、CIAはキノコのサンプルを集めるために科学者のひとりをメキシコに派遣した。しかし、“神の肉”を見つけるのは容易ではなかった。

 

<機密解除した1300万ページに及ぶ文書>

2017年1月17日、CIAは機密解除した1300万ページに及ぶ文書で超能力の実在を公表して、世界を驚かせた。本書はこれらの文書と、情報公開法を通して独自に入手したファイル、50人以上の関係者への取材をもとにアメリカ政府と数十年にわたる超能力研究プロジェクトの全貌を明らかにしている。CIAや軍のプロジェクトの中心グループ、国防科学者、政府が雇用した超能力者、計画に関わった物理学者たちの証言もおさめた迫真のノンフィクションだ。

 

・著者のアニー・ジェイコブセンは、丹念で精力的な取材で定評がある調査情報ジャーナリストだ。世界的なベストセラー『エリア51』でデビューを飾った。

 

 

 

エリア51

世界でもっとも有名な秘密基地の真実

アニー・ジェイコブセン   太田出版   2012/4/5

 

 

 

<秘密都市>

本書はノンフィクションである。ここに書かれているのはすべて実話であり、本書に登場するのもすべて実在の人物だ。本書を書くにあたってインタヴューした74人はいずれもエリア51に関する希少な情報――すべて自らの体験に基づいた情報――を持っており、そのうち32人は実際にこの秘密基地内に住み、そこで働いた経験を持つ人々である。

 

エリア51の謎>

にもかかわらず、連邦職員のなかのごく一部のエリート集団と、国家機密を守ることができるという証明を受けた者以外に、この秘密基地が存在することを100パーセント確信している人間はほとんどいなかった。が、それも1989年の11月までのこととなる。眼鏡をかけたおだやかな口調のフロリダ出身の30歳の男性、ロバート(ボブ)・スコゥット・ラザーが、ラスヴェガスで報道レポーターのジョージ・ナップとともに、<アイウィットネス・ニュース>に登場し、エリア51の存在を世界じゅうの人々に明らかにしたのだ。

 

・長年にわたってエリア51で働いてきた何万もの人々のなかで、これほどまでにおおっぴらに沈黙の誓いを破ったのは、ラザーただひとりだ。科学者にしろ、警備員にしろ、エンジニアにしろ、エンジンの清掃係にしろ、エリア51で働くというのは大いに名誉のあることだった。秘密を守るという誓いは神聖なものであると同時に、それを破れば投獄されるという暗黙の了解があった。その暗黙の了解が人々に誓約を厳守させてきた。それがボブ・ラザーの登場で、そんなエリア51の40年近い秘密の歴史が劇的に終わりを告げたわけである。

 

・ラザーによれば、初めてエリア51にやってきたその日は、未舗装のでこぼこ道を20分から30分、車に揺られ、グルーム湖のはずれの山の斜面をくり抜いて建てられた、謎めいた格納庫群に連れていかれたという。その辺境の施設――「S―4」と呼ばれていた――でもセキュリティ検査を受けた。が、それはほんの少しまえにエリア51の拠点基地で受けたのとは比べものにならないほど厳重なものだった。さらに、自宅の電話の傍聴を許可する書類と憲法で保障された権利を放棄することに承諾する書類に署名させられ、そのあとなんと空飛ぶ円盤を見せられた。その円盤の反重力推進システムを逆行分析するのが彼の仕事ということだった。ラザーによれば、S-4には全部で9機の円盤があったそうだ。空飛ぶ円盤が地球外の惑星からやってきたことを説明するマニュアルを渡され、エイリアンのようなものが描かれた絵も見せられ、その絵を見たときに確信したという。これこそ宇宙からやってきた円盤のパイロットにちがいない、と。

 

・その冬はS-4で働いた。働くのはたいてい夜で、働いた日数は合計すると10日ぐらいだったという。仕事自体は集中力を要するものだったが、いかにも散発的だった。週に一晩しか働かないこともあった。当然欲求不満になった。もっと仕事がしたかった。自分がどんなことに従事しているか人に話すことはできなかった。妻のトレーシーや、親友のジーン・ハフにさえ。1989年3月初めの夜のこと、ラザーは銃を持ったふたりの警備員に付き添われ、S-4の廊下を歩いていた。前方を見ているようにと言われたのだが、好奇心からふと横に眼をやると、23センチ四方の小さな窓を通して、ある無標示の部屋の内部がほんの一瞬垣間見えたという大きな頭をした小柄なエイリアンが白衣を着たふたりの男にはさまれて立っているのが見えたのだそうだ。少なくともそんな気がしたらしい。が、もう一度よく見ようとしたところで、警備員のひとりに押され、前方の床を見ているように言われた。

 

・この出来事がラザーには大きな転機となる。彼のなかで何かが変わった。もうこれ以上、空飛ぶ円盤やエイリアンかもしれないもの(「エイリアン以外にも可能性はいくらでもあったが」)の秘密を抱えたまま、その重みに耐えることはできなかった。悲劇的な主人公ファウストのように、ラザーもまた誰も知らない秘密の情報を手に入れたいとずっと切望してきた。その結果、現にS-4でそれを手にしたのだ。が、ファウストとは違って彼には約束を守りとおすことができなかった。守秘するという誓約を破ってでも、自分が知ったことを妻や友人に教えずにはいられなかった。グルーム湖における円盤のテスト飛行のスケジュールを知っていた彼は、ついにトレーシーとジーン・ハフ、それにもうひとりの友人ジョン・リア――熱心なUFO研究家で、ビジネスジェットを発明したビル・リアの息子――を誘う。一緒に空飛ぶ円盤を見にいかないか、と。

 

・「ボブ・ラザーが“S-4”について話すのを聞いて、好奇心を掻き立てられたね」リトル・トーキョーで彼が営む<フクイ葬儀社>の葬儀場で忙しく働きながら、早川はボブ・ラザーの話を聞くと、テレビ局に知り合いはいなかったので、UFOの特集記事で有名な<ムー>という雑誌を出版している日本の出版社に連絡を取った。「<ムー>の編集者からはすぐに連絡があって、大変興味を覚えたと言われた。日本のテレビ局、日本テレビも興味を示しているということだった」数週間のうちに、日本テレビは8人からなる取材班をロサンゼルスに送り込む。早川は事前にボブ・ラザーのインタヴューの段取りをつけており、その会場となるラスヴェガスに取材班を案内する。1990年2月のことだ。

 

早川が日本にいる<ムー>の編集長に撮影フィルムを見せると、編集長は大変興奮し、日本テレビはラザーのエリア51での体験を特集した2時間番組を放送することを決め、その出演料としてラザーに5000ドルを少し超える額の報酬を支払った。その契約には、ラザーが早川弼生と一緒に東京へ来て、15分のインタヴューに答えるという取り決めも含まれていた。が、番組が放送される数日前になって、ラザーから日本テレビのディレクターに電話がかかる。連邦政府の「手先」に国外に出ることを妨げられているというのだ。その結果、番組はラザーが電話で質問に答えるという形式に内容変更された。「その番組は日本のゴールデンアワーに放送された」と早川は言う。その結果、3000万の日本人がその番組を見た。「その番組が日本とエリア51を引き合わせたんだよ」

 

 

 

古神道《神降ろしの秘儀》がレムリアとアトランティスの魂を蘇らせる時』

保江邦夫    ヒカルランド  2014/3/28

 

 

 

UFOを呼ぶ男、トミヒサ老人の物語

・この場所に寿司店を出してもう40年になるというご主人が僕の向かいに座るお二人の紹介をしてくれたのが、男性は70歳を超えた日本人でトミヒサさんというお名前だった。女性は数年前にトミヒサさんと結婚した日本人女性で、抽象的でスピリチュアルな絵画を発表している画家とのこと。お互いに簡単な挨拶を交わした後、舟盛りの刺身が運ばれたところで乾杯となり、日本人観光客を地でいくつもりだった僕はひたすらハワイの新鮮な魚介類に舌鼓を打つ。

 

・ところが、ところが。トミヒサさんが小さな声で淡々と語ってくれるうちに、この僕は彼の話に激しく引き込まれてしまう。何故なら、僕の目の前にいる老人こそは若い頃から幾度もUFOに連れ去られた経験を持つ日本人であり、既に何冊も本を出版してその事実を公表してきたというのだから、しかも、そのトミヒサ老人は、いつでも好きなときにUFOを呼ぶこともできるというのだ。

 

・というのは、その番組の計画では、UFOをよぶことができるという老人が、武蔵野の森の中に入り、深夜テレビカメラの前で実際にUFOを呼ぶということになっていたのだ。青年の仕事は、そのわけのわからない老人が夜空に向かってUFOを呼ぶ様子を撮影し続け、最後には出現したUFOをもレンズに収めるというもの。

 宇宙人やUFOなどまったく信じていなかった当時のトミヒサさんは、助監督の説明が終わってからもずっと頭を抱えたままだった。

 

・目視で自分達のロケバスよりも数倍大きいと思えるその光る物体は、明らかに空飛ぶ円盤のような形状で光り輝きながら森の上空に静止していた。それを見ていた老人が、急に動いたかと思うと、そのUFOらしき物体は音も立てずに素早く地表へと降りてくる。武蔵野の森の奥深いところ、老人が呼んだと思えるUFOが老人の目の前に着陸してきたのだ。そして、その一部始終をトミヒサさんのカメラが捉えていた。

 大方というより、その老人以外の参加者全員がUFOなど現れるはずもないと信じきっていたにもかかわらず、その日の収録は大成功だった。夜空に向かって呼びかける老人に応えるかのように光点が突然現れ、その後どんどん近づいてくるにしたがい円盤型の形状まで撮影できただけでなく、老人の眼前で実際に森の中の広場にUFOが直陸してきたのだから。

 

・2ヶ月後、もうすっかりUFOの一件については記憶砂漠の奥底に追いやってしまっていたトミヒサさんの眼前に、再びあのときのUFOが現れる。深夜会社からの帰り道でのこと、気がつくと上空に静止した姿をついさっき目撃したばかりのUFOの中にいたという。その後は搭乗していた宇宙人らしき存在にどこか遠い宇宙にある街に連れていかれ、そこで地球人類についてのこれまで一度たりとも聞いたことのなかったような、奥深い本質的な知識を授かったそうだ。

 

・その結果、彼は宇宙人によってUFOで連れ去られるということに恐怖を抱くようになってしまい、夜遅くに外を歩くこともできなくなっていく。このままではストレスで精神を病んでしまいかねないと考えたトミヒサさんは、真剣に東京を脱出することを考えるようになった。もう二度とUFOや宇宙人に出会うことのない、安全な場所へと。日本の中のどこに逃げたとしても、おそらく宇宙人達は必ず見つけ出してくるに違いない。だとしたら、いっそ遠い外国へ逃げ出してしまうしかないかもしれない。

 

・当時の日本人にとって、特に若い20代の青年が何とか工面して行くことができる外国といったら、アメリカ合衆国の第50番目の州ハワイ以外には考えられなかった。そこで、トミヒサさんは外国航路の貨物船に乗って、単身ハワイの州都ホノルルへと向かう。当ては何もなく、知り合いすら誰もいなかったのだが、UFOに乗って彼を連れ去ろうとする宇宙人達から逃れたい一心でハワイを目指したのだ。

 幸いにも当時のハワイでは職にありつくのはさほど難しくなかったため、その後も現在に至るまで50年間も住み続けているそうだ。

 

<宇宙人は人類の将来を案じている――テレパシーを小説化>

・だが、ハワイもまた、当初の期待とは逆に彼にとっての安住の地とはならなかった。というのは、ようやくハワイでの生活が安定し、将来に対する希望を持てるようになった頃、ホノルル郊外の海岸にいたトミヒサさんの眼前に3度あのUFOが出現したのだ。再び彼を連れ去った宇宙人達は、パニックにこそ陥ってはいなかったが狂わんばかりに困惑していたトミヒサさんに向かって、どうして自分の使命から逃げてばかりいるのかと、慈愛の心が伝わってくるかのような穏やかなテレパシーで問いかけてきたそうだ。

 その瞬間、トミヒサさんはやっとすべてを理解したという。そう、彼がこうしてUFOに遭遇し宇宙人達から教わった人類の将来にとってとても重要な事実を、一人でも多くの人達に伝えていく。それが、宇宙人から与えられた使命だったのだということを………。

 

・UFOの宇宙人に見入られてしまったトミヒサさんの波瀾万丈の人生の中で、こうして使命を果たしていくたびに宇宙人からの接触があったのだが、逆にトミヒサさんのほうから宇宙人に会わなくてはならなくなったときのために、UFOを呼び出す方法までも授かったという。そして、彼は既に何回もUFOを呼んでいるとのことだった、その昔武蔵野の森で彼の眼前に初めてUFOを出現させた老人の如く。

 

トミヒサ夫人の近未来予知夢――東京以北の閉鎖と首都移転

・奥さんがホノルルを飛び立って太平洋上空を飛行していたとき、日本政府は東京よりも北に位置する関東のすべての県と東北地方南部の県の全域を立ち入り禁止とする決断を迫られる。その結果として、成田空港も閉鎖となったのだが、危険な立ち入り禁止区域に隣接する東京が首都のままでは首都機能が滞りかねない事態に陥るかもしれない。そこで決まったのは、首都を岡山に移すということだった。それに合わせて、日本の外国への玄関口としての役割を、閉鎖せざるを得なかった成田空港から関空へと移したのだという。

 トミヒサさんの奥さんが乗った飛行機が関空に着陸した背景には、ざっとそのような怖い理由があったのだ。

 もちろん、夢の中での出来事なのだから、目が覚めてそれが夢だとわかった時点で「あー、夢でよかった!」と喜べばよいだけのこと……。だが、既にトミヒサさんから聞いていたのは、その夢を見た彼の奥さんは予知夢を見るということだった。

 となると、日本の首都が今から3年後には岡山に移転するということになるのだが、はたして本当にそんな異常事態に向かって時間が流れていくのだろうか?

 

「チャイナレイクへ行け」とささやいたのはFBI超能力捜査官ジョーマクモニーグルだった

・「もうエリア51に行っても無駄だぜ。UFOも宇宙人も既に他の秘密施設に移されてしまったからな」

 そのアリゾナで開かれて国際会議の後にも、お隣のネバダ州にあるアメリカ空軍の秘密施設として名高いエリア51に行き、深夜に飛行実験が繰り返されているという噂のアメリカ製UFOを見つけようと考えていた僕は、ひょっとして自分の心の中を見透かされたのではないかとさえ思うほどに驚いてしまう。だが、長年にわたってUFOと宇宙人についての真実を追い求め続けてきた僕の魂が蘇ってきたのか、既に太い背中を向けて歩き始めていたその男に向かってはっきりとした声で問いかける。

「どこに移されたんだ?」

 歩いたままチラッと後ろを振り向いた男の、一瞬ニヤリとした、何とも言えない訴えるような、それでいてこの僕を試すかのような目つきは、そのとき彼が投げかけてきた言葉と共に記憶から消えることは決してなかった。

「チャイナレイクに行ってみな」

 ぼうぜんと二人を見たまま立ち尽くしていた僕の頭の中では、既に4回も訪れていたエリア51を再訪するという選択肢が一瞬で消え去り、まったく見ず知らずの男が捨て台詞のようにして吐き出していったチャイナレイクへと向かう道筋が浮かび始めていたのだ。

 

・これは、後日たまたま日本のテレビ放送のおかげでわかったことなのだが、エリア51に行こうとする僕の心の中を透視し、既に何もないそんなところに行く代わりにチャイナレイクに行けと教えてくれた身体の大きな男は、旧ソビエト連邦との冷戦時代にアメリカ陸軍が秘密裏に実施した超能力による透視実験で頭角を現したジョーマクモニーグルという元軍人だった。FBI超能力捜査官』と題したテレビ番組で紹介されたマクモニーグルさんの顔をテレビ画面で見たときの、まさに目が点になったような僕の驚きを想像してもらえるだろうか?

 では、あのとき僕の隣に座った小柄な男は、いったい誰なのか?翌日、岡山にあった大店舗の書店に行き、テレビ出演とタイアップして出版されたマクモニーグルさんの自伝的な訳本を見つけた僕は、その場で再び固まってしまう。何故なら、あの小柄の男性こそは、冷戦時代にアメリカ陸軍がスタンフォード研究所に依託して行った極秘プロジェクト「スターゲイト計画」の陸軍側責任者、スキップジョーンズだったのだから!

 

<音もなく忍び寄るブラックヘリ—―その追跡を振り切れるか>

・むろん、アリゾナ州ツーソンで行われた国際会議が終わった時点では、その二人は謎の人物でしかなかった。もし、そのときに既に超能力者による遠隔透視によるスパイ行為を研究していた「スターゲイト計画」で超能力を身につけたマクモニーグルと、上司であり計画責任者だったスキップジョーンズだとわかっていたなら、僕はどこまでも彼等に追いすがっていったに違いない。だが、そのときの僕は、まさかそんな機密計画の重要人物がふらりと眼前に現れるなどとは、想像だにできなかったのだ。

 

・チャイナレイク、正式には「チャイナレイク海軍兵器研究所」。表向きはポラリスやポセイドンなど、原子力潜水艦から水中発射できる戦略核ミサイルの研究開発を主導してきたアメリカ海軍の研究施設ということだが、マクモニーグルの遠隔透視で突き止めたのか、あるいはスキップジョーンズが国防省での機密情報として得ていたのかは不明だが、とにかく今はそこにUFOや宇宙人について調査研究する秘密施設があるという――。

 

アリゾナ州からは昔懐かしい響きのあるルート66を西に向け、シェラネバダ山脈を越えると広大なモハーベ砂漠が行く手を阻む。普通の観光客ならば気温が摂氏40度を超える死の谷・デスバレーや奇岩が連なる渓谷を訪れるのだろうが、そんなものにまったく興味のない僕がこのカリフォルニア州南部でこれまで行ったことがあるのは、1950年代に時の大統領がUFOで飛来した宇宙人に接近したという噂のあるエドワーズ空軍基地のみだった。

 そして、海軍兵器研究所があるチャイナレイクとは、エドワーズ空軍基地からさらにモハーベ砂漠の奥に入ったところにある完全に干上がった湖であり、近くには小さな村があるだけの、まさに陸の孤島。かろうじて舗装だけはされている砂漠の中の一本道を走っていくと、何軒かの商店や食堂、それに如何にもといった安ホテルが点在する小さな村が現れ、その右に広大な砂地が遠くの山にまで及んでいるのが見える。

 

・このままでは、やばい!!

 ブラックヘリからの通報で駆けつけてくる警備兵に捕まってしまうことを恐れた僕は、反射的にアクセルを踏み込んでその場から逃げ出す。細い荒れ道を砂埃を巻き上げながら走っていけば、上窓からでも丸見えになることはわかっていたが、一刻も早くチャイナレイクから脱出しなければと考えてのことだ。幸いにも途中から舗装した山道になり、ブラックヘリにとっては不利な条件での追跡が強いられていた。