UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

ところで、天狗は身を隠す術をもっていて、あたかも透明人間のようなこともします。たとえば人の面前にある物を掠めとることができるのです。西洋の悪魔もこれが得意で、ゲーテ作の『ファウスト』にもそのようなことが載っています。(1)

 

 

『日本と西洋の妖怪比べ』    妖怪伝説百話集

角田義治   幹書房    2007/4/1

 

 

 

 

擬人妖怪とは

・一口でいえば人の形をした妖怪ということですが、妖怪ですからその外見は普通人と異なり、極端に大きいとか小さいとか、また時には膨張したり収縮したり、身体の色も人間とは違ったりします。

 ところが、西洋の山姥のように、容姿が特にすぐれているため、人の妻に迎えられる例もあるなど、人との交わりも擬人妖怪の特色です。しかし、人間社会の常識と微妙なところで食い違いが起こって、ほとんどの場合その交わりは破綻してしまいます。

 その避け難い理由は、妖怪は絶対に妥協しない点にあります。

 

妖怪の世界には言い訳という言葉がないのです。そのため、うっかり妖怪と約束して、それを破ると後にとんだ悲劇が待っているのです。

 しかし、その一方、人の恩に感じて人を助ける妖怪もいますので、人と妖怪とは仲よくつき合った方がよいと考える妖怪観が、日本にも西洋にもあることが、これから紹介するさまざまな伝説にみることができるでしょう。

 

日本の童子妖怪

童子の姿で現れる妖怪は、日本にも西洋にもいますが、誰でも並の人間に対して恐怖心をいだくことはないのに、相手が子供となると少し事情が違うようです。

 つまり子供の行動は大人にとって実に不可解なことが多いものです。動物本能むき出しの行動などがその一例ですが、大人にとって、子供は、いたいけな存在であって、特に夭死した子供への限りない哀れみの心はうち消すことができません。

 

水子の霊魂

・また、江戸の或る婦人が身ごもったので、おろそうと思い、おろしばばの所へ行って頼んだが、その夜の夢に、大きい男が来ていうには、「自分は折角腹にやどったのに、闇から闇にされるのか」と恨み言を言ったので、思わず婦人がその手を取って引っ張ると、その手が抜けてしまったところで目が覚めたといい、その後おろした児の片手が抜けていたということである。

 

・という、これは説話ですが、大江戸繁盛の裏にはこんな子おろしにまつわる怪談も多かったに違いありません。当時藩によっては厳しい禁止令が出ていたようですが、それはあくまで表向きであって、女児の間引きには寛大だったようです。その理由は、男子はやがて農業の労働力確保の点で大切だったからです。

 

・その座敷童子の性別がほとんど女児である点が気になります。しかし、柳田国男遠野物語には、「或る日廊下にて、はたと座敷童子に行き違い、大いに驚きしことあり、これは正しく男の児なりき。」とあり、座敷童子の性別は女児に限らないようです。

 ところで、「わらし」とは東北地方の方言で童衆のことを言い、訛って「わらし」となったようです。このほか別名で呼ばれる座敷童子は広く日本の各地でみられるようです。

 

東北地方の座敷童子

・この妖怪の由来が、産児の間引きと関係があるかどうかは定説がありませんが、岩手県の遠野地方について座敷童子を調査した佐々木喜善氏は、著書の中で座敷童子の由来に触れ、圧殺された赤子の霊魂、或いは巫女の言葉で言う若葉の霊魂ではないか、そして圧殺された赤子は、その死体を屋外には出さず、土間などに埋葬する風習があったことを付言しているのです。

 

座敷童子という妖怪

・「これは昭和10年頃の話ですが、附馬牛地区(遠野市北部)の或る家の蔵に、座敷童子が現われて、その足跡が見えたうちはよかったが、その家のかかさんが、或る日突然、蔵の中で座敷童子の本物の姿を見たというんですね。それからというもの、その家には悪い事ばかり続くようになって、ついに破産状態になってしまったのですね。

 座敷童子は人に姿を見られると、その家から出て行ってしまうといわれますので、この家でも座敷童子が出て行ったのだと、人々は噂したといいますね。座敷童子は一度家を出ると、二度と帰って来ないといわれますが、その家の主人に会ったとき、『最近こんなに家が立派になったんだから、座敷童子がまた戻って来たのではないかね。』と答えて、座敷童子を否定しました。

 また附馬牛の庄太どんという家の80歳近い爺さんが、『おれは学校終わって百姓かせぎを始めた大正の初め頃、座敷童子をたしかに見たな。』と言ったので、『それはどこで見たのかね。』と尋ねると、『それはこの蔵だ。』と言って蔵を指し、『あの時は昼間だったが、何の気なしに小窓を見上げると、座敷童子がその窓から外をながめていたが、そのうち急に向きを変えて引っ込んでしまったな。見た感じでは髪の毛が薄いようにみえたな。それで、何か赤いチョッキのような物を着ていたように思うのだが、何しろ窓格子の中ほどに顔が見えたんだから、背丈は低いものだったな。』という訳で、小学校1年生くらいの子供にみえたらしいですね。当時この家は村長だったのですが、それからというもの、次第に家が寂れて行きましたが。しかし現代では再び隆盛になっていますね。」

 という、座敷童子の目撃談を交えてのお話でしたが、姿を見せたのが蔵の中だったとすると、座敷童子の異名である「蔵わらし」といってよいかもしれません。

 

その姿は?

・姿を見たという人の話を総合すると、およそ次のようです。

 顔は一般に赤く、頭に頭巾をかぶって現れることもあり、普通は垂髪ですから当然女性です。

 年齢は6、7歳といわれてますが、例外もあって、這い這い児の場合もあるというのです。「ノタバリコ」という名前もそこからきているようです。

 また前の目撃談の中に出てきた、赤いチョッキのような物を着ていたという点を取り上げますと、西洋の伝説にある妖精とそっくりです。その上、赤い頭巾でもかぶった姿を想像すると、ますます妖精に似通うことになりましょう。

 

住む家と場所は?

・まず大きい家の奥座敷というのが普通ですが、前掲のように土蔵の中にも住むほか、作業所や物置などに住むこともあって、「米搗きわらし」の名があるほどです。

 また、座敷童子が住み付く第一条件は、大きい家ということですが、それだけではまだ十分条件を満たしてはいないのです。その十分条件とは、その家が隆盛であること。そして一家が仲良く平穏に生活していなければなりません。

 

・このように考えますと、座敷童子が出ていったから家が傾くのではなく、家が傾いたので座敷童子が出ていくと考えた方がよいかもしれません。

 なお、例の『遠野物語』に、「旧家には座敷童子という神の住みたまう家少なからず」とか、「この神の宿りたまう家は富貴自在ということなり。」などとあり、座敷神という見方もあったことを認めなければならないようです

 

その振舞は?

童子の妖怪ですから、その行動はおよそ想像できましょう。まず遊ぶ仕草ですが、夜中に部屋の中や廊下を駆けまわる足音が聞こえるのです。特に奥座敷に寝ている人の蒲団の周りで騒いだり、また、こうした家で枕を北にして蒲団を敷くことはありませんが、「マクラガエシ」といって、南向きに寝ている人の枕が眠っている間に反対側にされてしまうというのです。死者を安置するとき、頭を北に向けることをマクラガエシと昔から言いますので、そんないたずらをされては不快でしょう。

 

こんな日本の童子妖怪に対して、では、西洋にも同様の妖怪がいるのでしょうか?引き比べて面白いのはハウスガイストを挙げることができるようです。

 その中のコーボルト(妖精)は、ドイツ語圏の伝説に特に多いので、まずこれを取りあげてみたいと思います。

 

西洋の童子妖怪

・日本の童子妖怪に対するものとしては、何といってもドイツのコーボルトがその代表といえますので、まずその由来を比べてみましょう。

 座敷童子の由来がはっきりしないのに対して、コーボルト(妖精)の方はそれが実にはっきりしているのです。手っ取り早くいえば、洗礼前に亡くなった赤子の霊魂が家にとどまっているという俗信がもとになっているのです。もっとも船に宿る妖精はその由来が少し変わっていて、洗礼前に亡くなった赤子の霊という点は同じですが、赤子の屍が原野の木の下へ漂着した場合、やがてその木が大木に成長して、その木の一部が偶然にも船体のどこかの部分に使われると、その船は精霊を宿したまま航海するので、安全が保証されるというのです。これは精霊移宿信仰とでもいったらよいでしょうか。

 

その姿は?

・日本の座敷童子に比べると、背丈は少し低く、60センチ以下ですが、極端に小さいのもあって、人の手の平に乗るようなのもあるのです。この妖怪もめったに人に姿を見せませんので、見たという人の報告はさまざまですが、総合してみますと、衣服は赤いヤッケに赤い頭巾(一般にいうとんがり帽子)をかぶっていて、足ははだしです。また船の妖精はセーラーズボンをはいていて、丸いつばのない帽子をかぶっているという説と、衣服はまったく着ていないで、素っ裸だという説もあるのです。

 

・顔かたちは座敷童子のように一般に童顔ですが、例外としては老人顔で、顔中しわだらけというのもあり、また美事な髭を生やしているのもあって、妖精も年を取るということでしょうか。

 しかし老人顔の妖精は、地下で社会生活を営む小人と、そのイメージが入り交じって生まれた伝説なのかもしれません。小人は人間社会と同様に、結婚して子供もあるとなれば、老人がいても当然でしょう。

 

・これに対して家に宿る妖精は孤独で、平生は屋根裏の空樽の中とか畜舎の干し草棚などに、ひっそりと隠れて暮らすのが特徴です。

 なお性別については、座敷童子が主に女性であるのに対して、妖精は男性ですから言語の上でも男性名詞です。

 

その宿る家は?

・これも座敷童子と同様に、骨組みのしっかりした大きな農家に住み着きます。そしてまた、座敷童子と同様、十分条件を満たしている家でなければなりません。

 

その振舞いは?

・大体座敷童子に似た行動が目立ちますが、かなり違う点もあります。まず似ている点を挙げますと、童子妖怪特有のいたずらが激しいことです。

 

・しかし、これは彼が特にご機嫌が悪い時であって、平常はおとなしく、家事の手伝いをよくするのです。この家事の手伝いという点は、座敷童子には見られないことで、妖精の方が仕事好きというか勤勉というか、家のために直接役立つ妖怪といえましょう。

 

干し草の妖精

この伝説はドイツとチェコの国境であるエールツ山脈地方の妖精伝説です。

 或る農家の家族がみんなで屋根裏へ干し草を上げていた時の事、おかみさんが何か黒っぽい物を前掛けの中へ取り込みました。おかみさんがその前掛けを振ると、一人の小さい妖精が目の前へぴょんと飛び下りました。

 この妖精は立派な髭を生やしていて、顔はしわだらけでした。

 

小窓の妖精

・これは北ドイツ、シュレースヴィヒ・ホルシュタインの伝説です。

 ヴィーデングハルデ村の或る大農家では、時々妖精を住み込ませましたが、家の雇い人たちともよく付き合っていました。

 

妖精を喧嘩腰で追い出す

・ホイルベルクという村の或る農家で、妖精のいたずらが余り激しいので、主人が追いだそうとしましたが、どうしても成功しませんでした。そこでとうとう追い出しをあきらめて、自分が引っ越す決心をしました。

 

勤勉な妖精

・ヴァルタースという村の或る山家で、たいへん奇妙な妖精を養っていました。彼はどんな仕事も、家の雇い人に対して忠実に、そして勤勉に手助けをしました。

 

バター造りの邪魔をする妖精

・これは南部チロル(現在イタリア領)のアイザック地方のウンターインという山村の伝説です。

 

・家の中の妖精は何でも人のやろうとすることを邪魔することがある。

 

・これもきっと妖精の仕業に違いないと、口惜しさいっぱいのおかみさんは、その後も何とかして妖精を家から追い出そうとしましたが、いつもそれは徒労に終わるのでした。

 

主人を騙す妖精

・ブークという妖精が宿っている家は、決して生活に困ることがありませんでした。それは主人のために、どこからどう都合してくるのか、沢山のお金を持って来るからです。ところが時々主人を騙すことがあって、たとえばお金の代わりに吐き気を催すような汚れ物を持って来ることがありました。

 ところで彼が外で略奪行為をする時は、猫に化けたり蛇に化けたりして人目をかすめるのですが、どんな小さな透き間でも自由にすり抜けることができました。

 家の中で彼の姿を見た人の話では、赤い上着かチョッキを着て、ベレー帽のような帽子をかぶった小さい男の子だったといいます。

 

船を守る妖精

・新しい船が出来上がって、船員が乗船すると同時に妖精が乗り込むことがありました。船員たちはこの妖精を「修理屋さん」とか「たたき屋さん」などという名前をつけて呼びました。ふだん彼の姿は見ることができませんが、彼が船の中にいることは、ときどき物音で分かるのです。

 

船を見捨てた妖精

・「私はもうこの船に居たくありません。船長や乗員たちは、彼らだけで

無事に航海したように航海日誌に書いて、私のことをまったく忘れているのですから、だから今夜限りで私はこの船を見捨てます」という、二人の妖精の会話を聞いたこの船員は「この船は危ないぞ、すぐ下りた方がいい。」と、心に決めて、翌朝下船してしまいました。そして間もなく船は出帆しましたが、それっきりこの船は、次の寄港先へ入港しなかったということです。

 

座敷童子と妖精の相違点は?

・さてこのように、座敷童子と西洋の妖精を比べてみますと、よく似た点がある一方、似ていない点があることが分かります。

 その大きく異なる点といえば、座敷童子は人との対話がほとんどなく、座敷童子を主人公とした、或る筋をもって構成された物語がないことです。これは西洋の妖精伝説に比べてたいへん淋しい感じがします。

 

・しかし、物語化した伝説が皆無とは言い切れないと思います。青森の八戸には次のような物語風の伝説がありました。

 

 陸奥の国三戸郡の八戸。ある夕暮れのこと、不夜城の大門をくぐった佐助という伊達男が、なじみの花魁のいる伊勢屋へ登楼した。紅燈が怪しく遊治郎どもの心をそそり、弦歌嬌声のさんざめく刻も移って、佐助は花魁の部屋にはいり、閨の睦言も嬉しくしっぽり濡れる。佐助が登仙の夢から醒め、蒲団に腹這いになって、花魁が差し出す煙管を口に紫煙の輪を描いた時、襖を開けて入ってきたのがかわいらしい袖なしを着た4、5歳ばかりの男の子。側に寄ってきてささやいた。「おじさん、腕角力しようや。」男と女のこんなきわどい時刻をはからうように現れて遊ぼうとするなど、遊郭の子供は心得たもんだと苦笑しながら、「お前なんかにゃ負けないぜ。おじさんは強いんだから。」と片腕を伸ばす。子供も佐助にならって腹這いになり、小さな腕を絡ませたが、なんと子供の力の強いこと、金剛力とはこのことか。佐助は唸ってしまった。

 やがて子供は立ち上がり、力を出しきってへばっている佐助を見おろしながらにやりと笑い、部屋の外へ去っていく。

「あんな子供見たことない。まるで鬼子だ。化け物だ。花魁、あれはここの子かい?」「いいや、どこの子か知りませんよ。」二人は不思議そうに顔を見合わせた。

 

そんなことが度重なり、伊勢屋には座敷童子が出るという風評が郭中にひろまった。客足もだんだん遠のいていく。

 ある夕方、家人や使用人たちが勝手で食事をしていると、まだ客もないはずなのに二階から人の足音が聞こえてくる。そのうちに、赤い襷を掛けて手拭いを被り、手に長柄の箒を持った女が階段を下りてきて、そのまま外へ出て行った。女郎でも下女でもない。食事をしている誰もその顔を知らなかった。

 伊勢屋がすっかり寂れ果ててしまったのは、それからまもなくである。

 

日本の山姥

山の妖怪山姥

・単に姥といえば辞書を引くまでもなく、年を取った女の意味ですが、山姥というと、ニュアンスが少し違うとみなさなければなりません。日本の場合でも、まだ色香の失せない中年の女性に当たる妖怪です。しかし、山の精という感覚からすると、さらに若々しい女性として登場するのが深山の雰囲気に似つかわしいといえましょう。これは西洋の場合も同様で、何々嬢という敬称で呼ぶこともありますから、うら若い未婚の女性に当たる山姥もあるとみてよい訳です。

 

狩人異女に逢う

・市ヶ谷の自證院に西応房という道心坊主がいた。彼は尾張国中島郡の生まれで、少年時代に狩を好み、飛騨の国へ入って狩人となり、信州はもちろん、美濃、加賀、越前、越中等までも山続きに歩いて狩猟暮らしをしていた。

 

・或る時余り獲物がないので、里へも帰らず、御嶽山のふもとの方へ深く分け入って、そこで夜を明かし、東の空が白みかかった頃、高い峰へ上がって、獣が来るかと四方を見回していると、はるか、向こうの御嶽山の方から、篠竹を分けて近づいて来る者があった。

 

・彼女は次第に篠を分けて近寄って来たので、いざ撃とうとすると、彼女は急に、「まず鉄砲を止めなされ、妾は決して災いをなす者ではありませぬ。そこまでまいりますが、そのように狙い給うては妾の申すことも聞こえませぬ。」と、その声はしとやかで、常の人に変わらなかったので、狩人は少し心もゆるみ、女の言うことも聞いてみようと思い、近づく女をよく見れば、容貌美麗な十六、七の少女にもみえるほどであった。狩人は「この女はあのようなことを言いながら油断させて、どんな目にか逢わせる手段かもしれない。何分実の人間の来る所ではない。そうだ!こちらからも騙し討ちにしてやろう。」と思っていると、女が「妾をまだ撃とうと思っていられるようですが、たとえどんな手練にしても妾を鉄砲で撃つことはできませぬ。心を静めて言うことを聞きなされ。」と言ったので、狩人はまた心もゆるみ、「それではその訳を聞こう。」と言うと、女は「妾は飯田領の何村何某の娘です。今から十三年前の七月の事でしたが、付近の川へ物洗いに行きましたところ、のがれられない因縁のため、そのまま山に入って山の神となりましたので、この次第を故郷に知らせることができませぬ。父母はこれを知らず、その日を妾の命日として、常にねんごろに供養していますが、これがかえって妨げとなり、妾来年鈴鹿山の神として昇進することになっていますが、それが叶いませぬ。何とぞ妾の故郷に行き、父母に対面して、以来妾のための仏事は一切せぬように伝えて下はれ、お頼みいたしまする。」と言うと、たちまち姿が消え失せた。

 

西洋の山姥

・西洋の山姥も山岳地帯の神秘に満ちた深い森に住む妖怪で、彼女たちは日本の山姥のように山めぐりをすることがなく、テリトリー(支配領域)を設けて、平生はそこでひっそりと住んでいる点に特色があります。

 しかし、時には進んで人間社会に現れて、日本の山姥にみられるように、何か人の為に役立つことを望む側面もあって、それは両者の一致するところです。

 たとえば、畑仕事の手伝いとか、機を織ったり炊事をしたり、そんな山姥が農家の嫁に迎えられても不思議ではない訳です。

 ところが、心やさしい山姥とは別に、狂暴な山姥もあって、次に挙げるオーストリアチロル地方の伝説のように、人を襲う山姥伝説もあります。

 

産婦を誘拐する山姥

・或る農家のおかみさんが、産褥中同伴者もなく、ただひとりで教会へ出かけました。これはこの地方の習慣で、神の前で十字を切り、夫を欺かなかったことを証言するためでした。ところがその道中で、この地方でいう「ファンガ」と称する山姥に捕らえられて、誘拐されてしまいました。

 そのため、この古い習慣はそれ以来住民の間で中止されました。

 また当時この辺の或る農家の娘が、産褥で伏せているとき、水を飲むため台所へ行ったかと思うと、突然大声をあげて出てきました。「お父さん!台所へ行ってみてちょうだい!お母さんに大きな髭が生えたよ!」という声に、父親が台所へ行ってみて驚きました。

 また子供たちもその声を聞き、台所へ入って仰天しました。台所には母親ではなく、何とも醜い顔をした女が座っていました。

 それは顔中もじゃもじゃと長いひげを生やしたファンガだったのです。

 彼女は目をすえて一同を見回していましたが、やがて立ち上がると、急いでその場から戸外へ消えました。この家のおかみさんは、すぐ後ろから家の周りやその外の所を捜しましたが、ファンガの姿はどこにも見えませんでした。

 

マルテル村の山姥たち

・この村の山姥たちは黒い肌着を着ていましたので、修道院の女のようでした。

 彼女たちは平生谷間の奥の方に住んでいて、夏になると人々に姿を見せることがありました。この村の農民たちは冬になると、山の牧草地から乾草を運びますが、その頃になると、山には雪がありますので、橇を使いました。そんな時は必ず山姥たちがやってきて、一人二人と橇の後ろに腰をかけるのでした。

 それは橇が急に重くなるのですぐ気付きました。そのうち橇がだんだん重くなってくるのは、大勢の山姥が皆橇に腰をかけてしまうからでした。

 

家畜の世話が得意な山姥

・チロルではスイスの国境に近いマルスという集落にも山姥の話が伝わっています。昔この山姥の里には、当時どこの地方にもあったように、飢饉の年があって、そんなとき物好きな農家では、丈夫で若い山姥をお手伝いさんに雇ったことがありました。山姥を雇った農家では家の中が急に陽気になり、仕事ははかどり、平和で喧嘩口論もなく、福をもたらす娘といったところ。特に彼女は家畜の世話が得意で、肉牛はよく育ち、乳牛は乳をよく出すようになりましたから、主人は大満足で、うれしい事づくめでした。

 

山姥の結婚

・チロルのオーバーイン谷の或る大農家の主人は、山姥を一人雇っていましたが、一緒に住んでいるうち、この山姥がすっかり気に入ってしまって、とうとう妻に迎えました。

 そして二人の間に十三人の子供が生まれました。ところで夫は、妻の素性を決して尋ねないという約束をして結婚したのです。そうして一家は平穏無事に暮らしていましたが、或る時夫が戯れ半分に妻に向かってうっかり「いったいお前の生まれはどこなんだ?」とたずねると、妻は「子供の泉の生まれですよ。」と答え、次の瞬間、狂ったようにするどい声で「あなたは尋ねたね! 無情なあなた!」と叫ぶと、十三人の子供を残らず連れて家を出て行きました。そしてそれっきり帰って来ませんでした。

 愚かな夫は、ただ一人になって、その後自暴自棄の暮らしをしたということです。

 

天狗と魔女

・天狗と魔女を比べるなど、まったく異質の取り合わせのように思われるかもしれませんが、両者に共通な何があるか、またどんな違いがあるかなど、考えてみるのも一興かと思い、古来の伝説その他の資料を挙げて、両者を見比べようという訳です。

 それではまず、どんな共通点が考えられるでしょうか?①超人的な力を発揮すること。②人の面前で姿を消したり、人や動物に化身すること。③気象を支配すること、空中を自由に飛行すること、⑤人を誘拐すること。

 では違う点は何でしょうか?天狗が男性であることは誰でも認めるところですが、古来天狗が宿ったといわれる山の天狗名は、皆男性名です。

 

・また天狗は宗教とのかかわりでは好意的であって、山では修験者との交わりに特徴があります。これに対して魔女は、宗教(キリスト教)とのかかわりでは異端者でしたから、これも両者が著しく異なるところでしょう。そしてさらに異なる点は、天狗はいうまでもなく山岳が行動の拠点であるのに対して、魔女は常人の住む市井の中に隠れ住み、天狗のようなテリトリーをつくりません。

 

天狗滝

・十三の滝は、弱い滝に打たれてから強い滝にのぼるのが順で、次第に大滝へ移って行くのである。或る人が毎夜第一の滝に通っている間に、一人の老僧が、これも同じ時刻に出て出会い、互いに熱湯の大滝にかかって四方山の話など交わしているうち親しくなったが、この男は加州金沢の者で、故郷に心掛かりなことが一つあって、そのためここに落ちついて逗留することができない。そこでひとまず故郷へ帰りたいというと、彼の僧がこれを聞いて、男の手紙を取ると、「さあ急ぎなされ。」と言いながら男を促して、どこへともなく連れ出してしまった

 その夜は宿へ帰らなかったので、家来の者たちは驚いて、彼方此方と捜しているうち、夜もまだ明けないうち軒場にたたずんでいたところを介抱してみれば、物にさそわれたものとみえて、正体もなく倒れ伏してしまった。

 ようよう正気にもどったところで問い質してみると、彼の僧が滝の所から本国の金沢へ連れて行き、心掛かりの事をよく述べて、また連れ帰ったとのこと。さてはその老僧こそ鼻の高い人であろうと、聞く人は皆恐れて、天狗滝の名に違いはなかった。

 このように時間・空間を超越していることは、天狗談の大きな特徴でしょう。

 

<天狗にさらわれた少年>

・ところが、7日後、少年がまた大師堂の辺りに茫然と立っているのが発見された。連れ帰ってどうしたのかと尋ねると、初め江戸の事をいうかと思うと、たちまち京のことを語り、東西取り乱して前後も定かでなかったが、1日ほど過ぎて、ようやく正気を取り戻していうのは、自分は初め大師堂の前で四方をながめていて、何となく谷の方へ行ったところ、大きい山伏が来て「今日はお前の故郷の祭りである。さあ行こう。」と言ったかと思うと、たちまち大空へ上がり、翻るように飛んで、すぐ氏神の社にやって来た。森の梢に座席があって、その座席に座って祭りを見た。嵐が吹いて冷ややかだったので「火に当たりたいか。」と問われたので、当たりたいと答えると、山伏が団扇を持って扇ぎ、たちまち火が燃えた。しばらく当たって立ち去る時、「今燃えたのはお前の伯父の家だぞ。」と言われた。

 

それからまた諸国を連れ回された後、元の大師堂の辺りに来たところで、山伏の姿は見えなくなってしまった。

 大体日本国中見ない所はないといってもよく、さてその7日の間すべて飲食することがなく、しかも飢えと乾きの苦しみがまったくなかったと語ったのである。

 

これは天狗さらいの代表的な物語のようですが、能では世阿弥作の花月という曲が有名です。シテは花月と名のる九州彦山の麓の美少年で、7歳のとき天狗にさらわれ、まず彦山に登り、伯耆の大山、そして京に近い愛宕の山、さらに富士の高峰にも登って雲に起き伏す時もあり、また里々も廻り廻って、最後に京の清水寺の庭で、出家して我が子の行方を探し求めて行脚中の父親と、めでたく再会するという筋ですが、天狗はどうして年少者を主に狙うのか、またその目的は何とかなると、いよいよ分からなくなってしまいます。しかし、一説には悪僧たちが徒党を組んで、人をさらったり強盗をしたりした時代、彼らは天狗と称して里人を脅かしたのではないかというのです。

 

・天和の初め、高野山に畳屋忠兵衛という者がいた。12月27日に、腰に帳面をつけて掛け取りに出た。或る所で知り合いの僧に出会ったところ、彼の僧が、「これから伊勢へ参詣しようと思うが、お前も連れて行こう。」と言い、忠兵衛はきわめて正直者だったので、すぐ応じて、帳面を近くの寺へ預け、27日に巳の時(午前10時)に彼の僧と共に高野山を出て、その日の午の時(正午)に伊勢へ参り、また近江の石山、三井寺、京の清水、愛宕などを経て、竹生島へ参り、それより富士山を経て、28日の午の時に日本橋に茫然として立っていた。

 そのとき、高野山から小石川へ使いに行った知人が見つけ、お前はいったいどういう訳でここに居るのかと尋ねたが、何も答えなかった。ところが高野のことをよく知っていたので、これは天狗の所為であることがわかり、芝の寺へ連れて行ったところ、ようやく正気になって、正月23日に高野へ帰った。彼が後で語ったところによると、富士を通る時は、山を足下に見たといい、高野山にはこのような例が多いという。

 ところで、天狗は身を隠す術をもっていて、あたかも透明人間のようなこともします。たとえば人の面前にある物を掠めとることができるのです。西洋の悪魔もこれが得意で、ゲーテ作の『ファウスト』にもそのようなことが載っています。

 

少女の怪異

・寛政年間のこと、越後の国蒲原郡大田村の百姓の娘で、12、3歳の少女が、或る祭りの日に見物に行ったところ、連れの人々とはぐれてしまって困っていると、赤い顔の僧が現れて、娘を案内してくれるので、僧について行くと、不思議なことに何か食べたいと思うだけで、僧はすぐ茶店で食べさせ、また何か欲しいと思う物があると、何でも店の物が娘の手に与えられた。

 

天狗から鉄砲の術を教わった話

・文化三年のこと、美濃の国郡上郡大豆村に重五郎という者がいた。14、5歳の頃、家で風呂に入っていた時天狗にさらわれ、まず自分の家の入口にある三かかえほどの松の梢に登った。この松は鴨枝があるというので枝打ちもせず。日頃天狗が来ると言い伝えられていた木であった。この辺では木の枝が鴨のような形をした木と、帚のような形になった木は、切れば祟るといって、一切手をつけないということである。

 さてその天狗は、鼻が高く絵に描いたようであったという。

 それから四十里ほど行って、十畳敷きほどの松の木の上へ行くと、種々の天狗が大勢集まって酒宴をしていた。それからなお、所々に連れられて行ったが、或る時は大名の祝儀の所へ行って、ご馳走を食べたが誰もとがめる者がなかった。そして三年経った後、鉄砲の術を教えてもらい、帰って来てから飛ぶ鳥を撃っても、決して外れることがなく、また何を撃っても百発百中になったので、それから猟師となって稼ぐうち、誤って或る村の雁の池の大蛇を撃って祟りを恐れ、書き置きを残して行方知れずになったという。

 

魔女の食事がマカロニ

天狗が人をさらう場合は、人を連れて空中を飛行します。それは翼をもった天狗ということになるでしょう。

 しかし魔女には翼がなく、そのため箒か肥料熊手の柄、或いは暖炉の火掻き棒などにまたがって空を飛ぶのですオーストリアのホーエタウエルン地方の伝説をここで引いてみましょう。

 ラウリス地区の或る下男が、夜遅く彼の娘の家へ行く途中、小さな家の前を通りかかると、キッチンにまだ明かりが点いていました。彼が近づいて窓から部屋の中を覗くと、二人の若い女がいて、その内の一人は小さい箱を片手に持って、香油を盛んに髪に塗っていました。やがて彼女らは小箱を戸棚にしまうと、一人は暖炉の火掻き棒を持ち、一人は箒を持って、暖炉の煙出し口から煙突を通って外へ出て行きました。

 その時彼女らは「どこへでも勝手気ままに行きましょう。」と言い捨てて、空へ飛び去ったのです。これを見た下男は、不審でたまらず、家の外を歩き回ってみると、山でも森でも家の近くでも、至る所で彼女らに出会うのでした。

 ところが、教会の鐘が一時を告げると、彼女らのお勝手に再び明かりが点いて、彼女らは食事をとっていました。下男は好奇心から、彼女らの家に入って行って、食事を分けてもらえまいかと頼みました。すると彼女らは快く応じてくれました。帰宅後、朝その食事を食べようとみれば、ただのマカロニでした。