UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

円盤が着陸してから15、6分たった頃、母船に到着した。母船内部の円盤発着場から降り、廊下へ出ると、再び地上に降りたのではないかと錯覚するほどであった。渋谷か新宿の大通りのようであったという。(2)

 

韮澤潤一郎  1945年~>

実際は目撃事例のうち、本物は10~15%くらい

新潟県生まれ。たま出版代表取締役社長。UFO研究家。UFOを研究するきっかけは、1954年、小学校3年生の夏休みに初めてUFOを目撃したとき。以来、UFOに興味を持ち、ジョージ・アダムスキーの『空飛ぶ円盤実見記』や『空飛ぶ円盤同乗記』をはじめとするUFO本を読み込み、自宅の屋根に観測台をつくって観測会を開くなどした。

 中学から高校にかけては、自ら『未確認飛行物体実見記録』と題した研究ファイルを作成。写真つきで詳しい観測結果を残している。

 

・大学卒業後は現在のたま出版に入社。当時、社長の瓜谷侑広氏と2人だけという状態からのスタートで経済的には苦しかったため、日本テレビ矢追純一氏が担当していた深夜番組「11PM」などで資料提供するなどして生活を支えた。

 

<南山宏  1936年~>

・超常現象研究家。翻訳家。東京外国語大学ドイツ語学科時代にSFにハマり、早川書房へ入社。当時、SFをやるとつぶれるというジンクスがあったが、それをはねのけ、「SFマガジン」の2代目編集長として、数々のSF作品を世に送りだした。

 超常現象に興味を持ったきっかけはSF同人誌「宇宙塵」。同誌の関係者が日本空飛ぶ円盤研究会に参加していたことから、UFOを入口に興味を持っていったという。

 

・1960年代から70年代にかけては、『少年マガジン』をはじめとした少年誌などで、定期的にオカルト特集記事を執筆。早川書房を退社してフリーに転身後も、精力的に活動を続け、UFO本をはじめとする数多くの著書や翻訳本を出版した。英語が堪能で、翻訳した本では、訳者あとがきが非常に詳しい解説記事になっているのが特徴。

 

・海外の超常現象研究家とも交流が深く、10以上の研究団体に所属。イギリスの老舗オカルト雑誌『フォーティアン・タイムズ』の特別通信員も務める。また日本のオカルト雑誌『ムー』にも創刊当時から関わり、現在も同誌の顧問を務めながら、記事を執筆している。

 日本ですっかり定着した「UMA」(謎の未確認動物)という用語の考案者でもあり、超常現象全般に造詣が深い。

 かつては矢追純一氏のUFO番組などで情報提供を行ったり、自ら出演したりすることもあったが、現在は見世物的になることを嫌い、テレビの出演依頼は断っている。

 

矢追純一  1935年~>

・TV番組ディレクター。1935年、満州新京生まれ。1960年、日本テレビ入社。

 UFOを特集した番組を手がけ、80年代から90年代の日本におけるUFO文化を、事実上牽引した立役者の一人である。

 まだTV黎明期の日本テレビに入社後、様々な番組の現場を転々としたが、なかなか自分に会う番組に出会えず腐っていたところ、深夜の情報番組「11PM」が始まると聞き、プロデューサーに頼んで参加させてもらう。当時の深夜番組はメジャーな存在ではなく、スポンサーもあまりつかなかったが、逆に自由に番組を作っても文句を言われにくい土壌があった。

 もともと矢追氏はUFOに興味があったわけではなかったが、日本人が脇目も振らずに働いて心に余裕も持てない現状を憂い、ふと立ち止まって空を見ることができるような番組を作りたいと考え、当時ブームでもあった「UFO」という、空を見たくなる素材で番組を作り始めたと本人は語っている。

 

・機動性を重視した少人数の取材班で実際に現地取材を行い、目撃者などの当事者にインタビューを敢行する行動力、スピード感のある編集、番組の合間合間に挟まれる特撮のUFO映像となぜか「ピギー ―」と鳴く宇宙人のアップ、何より冒頭の「ちゃらら~ちゃららら~♪」というテーマ曲は当時のUFO大好き少年たちに強烈な印象を残している。

 

<ジョージ・アダムスキー  1891~1965>

アメリカの自称コンタクティー。世界で最初に異星人とのコンタクトを公表した人物。

 ポーランドに生まれ、2歳の時に両親ともにアメリカに移住した。貧困のため高等教育は受けられなかった模様であるが、13年から16年までメキシコ国境で第13騎兵連隊に所属、17年に結婚するとイエローストーン国立公園職員やオレゴンの製粉工場などで働き、26年頃よりカリフォルニアで神秘哲学を教え始めた。30年頃にはカリフォルニア州ラグナビーチで「チベット騎士団」なる団体を設立、神秘哲学の教室を開いていた。40年にはカリフォルニア州パロマー天文台近くに移住し、44年からは弟子のアリス・ウェルズが所有する土地をパロマー・ガーデンと名づけ、そこに建てられたパロマー・ガーデン・カフェで働きながら神秘主義哲学を教えていた。

 

アダムスキーの名が知られるようになったのは、53年にデズモンド・レスリーとの共著という形で出版された『空飛ぶ円盤実見記』が世界的なベストセラーになったことによる。この中でアダムスキーは、51年3月5日に葉巻型母船を撮影し、52年11月20日に、カリフォルニアのモハーベ砂漠で金星人オーソンに会ったと主張している。続く『空飛ぶ円盤同乗記』では、1953年2月18日にロサンゼルスのホテルで火星人ファルコンと土星人ラムーに会い、一緒に円盤に乗った経緯を語っている。

 

・この2書が世界的ベストセラーになると、59年1月から6月にかけて、各国のアダムスキー支持者が集めた資金でニュージーランド、オーストラリア、イギリス、オランダ、スイスなどを旅行し、オランダではユリアナ女王とも会見した。このとき久保田八郎にも訪日の打診が行われたが、十分な資金が集まらず断念したという。

 

その後、アダムスキーの主張はますます肥大し、62年3月には土星に行ったと主張し、ケネディ大統領やローマ法王に会ったと主張するようにもなった。さらに各種の講演会の場や、弟子たちとの非公式の場では8歳からチベットのラサに送られたとか、父親はポーランドの王族で母親はエジプトの王女などとも述べるようになった。

 

 

 

『光速の壁を越えて』

今、地球人に最も伝えた[銀河の重大な真実]

ケンタウルス座メトン星の【宇宙人エイコン】との超DEEPコンタクト

エリザベス・クラーラー      ヒカルランド 2016/4/30

 

 

 

宇宙人エイコン】の子供を産み、メトン星で4か月の時を過ごしたエリザベス・クラーラーの衝撃の体験

 

<別世界から現れた一人の男性が運命を変えた>

・大きな宇宙船は、優雅に無音で空中を滑りながら、丘の上に向かって素早く移動し、雲の下で滞空し、姿を消した。それは、再び数百メートル上空に浮上して、丘の頂上の南側に向かった。そして、ゆっくりと高度を落とし、地上約1メートルにとどまった。

 脈動するハム音が空気を満たし、私の鼓膜を打った。巨大な宇宙船によって突然空気が変異したためだった円形の船体は少なくとも直径18メートルはあり、中央に丸いドームがあった三つの大きな丸窓が私の方に面してあり、その窓から一人の人物の姿を見ることができた。

 

<彼らの祖先は金星人だった>

つまり、地球の科学者らが理解しているように、地球からケンタウルス座アルファ星まで宇宙飛行士が光速で宇宙旅行できるとすれば、4年を要します。しかし、私たちの宇宙船では、この距離は即座にゼロになります。

 

<太陽という灼熱地獄の脅威>

金星は太陽の膨張サイクルの最後の時に、恒星からの放射線によってすべての植物と動物が死滅して、滅びました。

 

<初めて目にしたメトン星>

ケンタウルス座α星の私たちの恒星系は7つの惑星から構成されています。そのすべての惑星に私たちの文明がおよんでいて、人々が暮らしています。この美しい恒星系の3番目の構成要素はプロキシマ・ケンタウリとして知られており、そのまわりを7つの惑星が軌道を描いて回っています。

 

美しく豊かな自然に満ちた未知の文明

・白と銀色に輝く都市が湾曲した入り江を取り囲んでいた。濃いサファイア色の水は、鮮やかでエキゾチックな色彩で満たされた木と花で生み出された豊かな古典的な美を反射していた。

 

<南極に存在する地下基地とは?>

私たちの領域(次元)は宇宙空間と惑星表面にあって、決して惑星内部ではありません。地下の都市と通路は過去の遺物です。私たちは温かい湖のある南極の地下基地を維持しています。これは私たちの先祖が暮らしていた地下都市のエリアで、当時、氷冠はありませんでした。

 

 

 

『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』

衝撃写真493点 エイリアンと人類の恐怖の真実

悪魔の協定か?ダルシー人体実験、エリア51のエイリアン、ピラミッド型のUFO登場、地球内部の異星人基地、フリーメーソンとNASAの陰謀

南山宏   双葉社   2010/7/14

 

 

 

<惑星セルポとの極秘交換留学>

アメリカ政府は、選り抜きの軍人12人を惑星セルポへと交換留学に送り出していた・・・。

 

・このイーブ1号が宇宙船の残骸から見つかった通信装置で故郷と交信し、相互理解を深めるための交換留学生計画が進んだという。その故郷がレティクル座ゼータ連星系の惑星セルポだ。

 

・留学メンバーを乗せ、宇宙船が出発したのは、1965年、彼らは、表向き行方不明者とされ、身元や記録が抹消された。ネバダ実験場にセルポの宇宙船が到着し、地球に残るセルポの留学生と入れ替わりに旅立ったのだ。

 

ふたつの太陽が輝き、地平線下に沈むことはほとんどない星で、大気や気圧は地球とあまり変わらなかったという。メンバーはあたたかく迎え入れられ、平等で穏やかな社会生活をつぶさに観察、体験することができたらしい。

 

・8人が持ち帰ったデータや資料、高度科学技術を示す品々は、その後の米軍の科学技術の発展に寄与したようだが、彼らの肉体はセルポ滞在中に強い放射能にさらされていたため次々に病死したとされている。

 

<大統領が異星人と交わした密約>

・1954年のアイゼンハワー政権時代に、連邦政府憲法の抜け道を使ってエイリアンの一種族グレイと「グリーダ協定」と呼ばれる密約を交わしたというのだ。協定の内容は、エイリアンの先進科学テクノロジーを学ぶのと引き換えに、エイリアンが牛馬を捕獲し、人間にインプラント技術を試す実験を許可するという恐ろしいものだ。アメリカが標榜する人道的行為とは正反対の内容である。

 

・反人道的な密約に至った理由は、米政府の力ではエイリアンと戦っても勝てないため、相手の条件をのむ内容になったと告白している。

 

・実際、その後のアメリカ国内では、家畜類が不可解な死を遂げるキャトルミューテーションや人間が誘拐されるアブダクション事件も頻発した。

 

元海軍の情報部員だったクーパーは、MJ12がアイゼンハワーによって創設されたこと、生きたエイリアンの写真が添付された資料に目を通した経験などを赤裸々に告白。

 

密約を交わしたのは、大きな鼻が特徴のラージノーズ・グレイであることまで暴露した。

 

・MJ12絡みで爆弾発言を連発したクーパーだが、2001年納税拒否の逮捕時に撃ち合いになり警察に射殺されてこの世を去ってしまった。政府の巧妙な口封じだったのだろうか?

 

 

 

『カルト・陰謀 秘密結社 大事典』

アーサー・ゴールドワグ  河出書房新社  2010/10/9

 

 

 

エリア21、ステルス飛行物体、マジェスティック12、異星人による誘拐、神の宣託

エリア51はさまざまな名称で知られている。グルーム湖、ドリームランド、居心地の良い空港、ネリス試験訓練場、パラダイス・ランチ、ザ・ファーム、ウォータータウン・ストリップ、レッド・スクエア、「ザ・ボックス」、そしてもっとも味もそっけもない名称は空軍飛行検査センター第3派遣隊である。エリア51ネヴァダラスヴェガスの北約200キロにある極秘の軍事基地で、ここからもっとも近い街は約40キロ離れたところにあるネヴァダ州レイチェルだ。

 

エリア51には、宇宙人の死体を解剖した医療施設や、生きている宇宙人を尋問する取調室がある。UFO研究者のなかには、施設を実際に運営しているのは宇宙人だとほのめかしているものさえいる。グレイ、ノルディック、インセクトイドなどと呼ばれている生命体(異星人)が、実質的に支配しているこの地球を搾取し、人間からDNAを採取していたとしても、私たちの政府はなす術なく、見て見ぬ振りをしている、と彼らは主張しているのだ。

 

『蒼ざめた馬を見よ』(1991)の著書で、超陰謀理論家のミルトン・ウィリアム・クーパー(1943-2001)は、UFO、外交問題評議会『シオンの長老の議定書』エリア51はすべて同じものの一面だと述べている。彼は国防長官ジェームズ・フォレスタル(1892-1949)はベセスダ海軍病院の16階の窓から突き落とされた死亡した、と語っている。彼は、仲間であるマジェスティック12(宇宙人に関する調査、および接触・交渉を秘密裏に行ってきたアメリカ合衆国政府内の委員会)のメンバーが異星人の侵入者と結んだとんでもない取引に反対した後、「退行期うつ病」で病院に監禁されたのだという(クーパー自身、大勢の人が納得できない理由で、アリゾナ州アパッチ郡の警察に殺されてしまう)。

 

・話をクーパーに戻そう。彼によると、ジョン・F・ケネディを暗殺したのはリー・ハーヴェイ・オズワルドではなく、(なんと)大統領のリムジンの運転手だった――なぜなら、運転手が実はゼータ・レティキュラ星からやって来た宇宙人であることをばらすと脅されたからである。宇宙競争がインチキだというのは、すでに月には基地があったからである(それが1970年代以来月に人間が行かなくなった理由だ――テレビで月面を歩く光景を放映すれば、宇宙人の存在が暴かれてしまうだろう)。また数多くの火星探査機がうまく作動しなかったのは、火星がすでに南フロリダくらい発展していて、そこに住んでいる住民たちが自分たちの存在をずっと隠しておきたいと願っているからだ。三極委員会が設立された目的は、アジア、ヨーロッパ、北アメリカの関係を改善することではなく、宇宙人と交流するためだった。

 

では、ゼータ・レティキュラ星人に内通した、地球の反逆者とはいったい誰なのか?今までに陰謀理論家について多少読んだことがおありの方なら、答えを聞いても驚きはしないだろう。それはイリュミナティ、フリーメイソンキリスト教の敵である大富豪(世俗主義者とユダヤ人)などといった、極秘裏にロシアのボルシェヴィキを援助したり、アメリカの憎むべき連邦所得税をごまかしたり、2001年9月にツインタワーを倒壊させ、ペンタゴンを攻撃してひとつの世界を樹立しようとしたりしてきたグループである。晩年のクーパーは、自らが数多くの書物で取り上げ、暴露してきた宇宙人の侵入は実際には起きておらず、それは故意に流されたニセ情報の格好の見本だ、と考えるようになった。イリュミナティが、まず陰謀理論家を利用して、地球外生命に関する嘘の噂をばらまき、宇宙人よりはるかに恐ろしい自分たちの正体を一般人の関心から逸らしていたというのだ。

 

・実際に、空飛ぶ円盤のファンが、エリア51――具体的にいえば、ハイウェイ375の南西に置かれた距離標識29から30の間にある、伝説の黒い郵便箱に群がり始めた。その場所には、グルーム湖に向かって伸びる舗装されていない道路があるボブ・ラザーという名の男性がここで目撃できるかもしれない信じられないものについて人々に語り始めたときから、見物客が現れるようになった1989年11月、ラザーはラスヴェガスのテレビのトーク番組に出演し、極秘施設S-4で自分が携わっていた仕事について話し始めた。その施設は、干上がったパプース湖の近く、エリア51の南約15キロにあり、彼はそこで山腹にある格納庫に収容された7機の空飛ぶ円盤を目撃したのだ。話はそれで終わりではなかった。彼はその空飛ぶ円盤の1機の推進システムの構造を解析する作業を手伝っていたのだ(彼が「スポーツ・モデル」と呼んでいる宇宙船は、反重力エンジンで動いていて、燃料にはかなり不安定なエレメント115と呼ばれる物質が使われていることがわかった。後に、ラザーはこの宇宙船の模型を売り出した)。

 

彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)やカリフォルニア工科大学で研究していたと話しているが、どちらの大学の記録にも彼の名前は残っていない。ラスヴェガスに来る前、彼はロスアラモスで働いていたが、上級科学者ではなく技術者で、S-4格納庫やエリア51で働いていたと確証できる記録は何もない。ラザーは、政府が自分の信用を傷つけるため、在職していた痕跡を消したのだ、と反論した。1990年には、悪事に手を貸した罪を認めた(彼は売春宿の経理を手伝っていて、盗撮するためのカメラをそこに取り付けていたのだ)。1993年には、映画界に自分の伝記――まず映画化される見込みのない話――を売り込もうとしたりしたが、現在は、ニューメキシコで隠居生活に近い暮らしをしているが、会社も経営し、車を水素燃料で動かす装置の開発にもいそしんでいるという噂もある。

 

<フィリップ・コーソー>

フィリップ・コーソー(1915――1998)は、勲章も幾度か授与されたことのある元陸軍情報将校だったが、晩年には、ロズウェルに関する体験について驚くべき事実を詳しく語り始めた彼は1947年にカンザス州フォートライリーで勤務していた、という。そのとき、彼はロズウェルからオハイオ州ライト・パターソン空軍基地に運送する積荷を検査する機会があった。そのなかに、ゼラチン状の液体中に防腐処置を施された異星人の死体が入っていたのだ。「異星人は4つ足で、人間のような姿をしていた……奇妙な顔つきをしていて、指は4本……頭は電球のような形をしていた」と彼は述懐している。後に、ペンタゴンの海外先端技術部勤務を任命されたとき、彼はロズウェルで回収された人工物を検査するよう命じられた。その任務の驚くべき意味に気づいた彼は、人工物の構造を分析するために、防衛関連企業の研究開発部門にその物質を「まいた」と書いている。現在、使われている光ファイバー集積回路、レーザー、暗視ゴーグル、そしてケプラー(芳香族ポリアミド系樹脂)はこの残骸から開発された技術のほんの一部だ―――分子ビーム電送機、(思考を機械に伝える)サイコトロニック装置は相変わらず機密扱いになっている。

 

 

 

NASAアポロ計画の巨大真相』 

月はすでにE.T.の基地である

コンノケンイチ  徳間書店   2002/12

 

 

 

アメリカはUFOテクノロジーをすでに手にしている

・「UFOの推進テクノロジーを、ついに人類―アメリカ合衆国が手に入れることができた」

 

・考えてもみてほしい。この技術こそ世界の歴史のなかで、もっとも懸命に探し求められてきたテクノロジーなのである。こうみれば、この開発のために費やされてきた資金には制限などあろうはずはない。UFO情報が政府によって『超極秘』とされ、固く秘守されてきた最大の理由の一つが、今回の『重力制御テクノロジーの完成』という大成果につながったのである」

 

ペンタゴン上級将校による暴露本!

・驚かされたことは、米国防総省の上級将校フィリップ・J・コーソーが、ロズウェル墜落UFOの国家的な研究を暴露した本を1998年に出版したことだった。 

 本書はロズウェル事件の真偽どころではない、コーソーの職務体験を基にした「墜落UFOの収獲」の方法を述べているからである。

 アメリカではベストセラーの上位を続け、『サンデータイムズ』も「ロズウェルの墜落がUFOであることを証言した、もっとも位の高い人物の本」と絶賛している(邦訳『ペンタゴンの陰謀』中村三千恵訳 二見書房)。

 

・フィリップ・コーソーは21年間にわたり米陸軍の情報将校を務め、アイゼンハワー政権時代には国家安全保障会議スタッフなどの要職を歴任、常日ごろから国防に関わる機密に接し、そのため極秘のUFO情報も握っていた。

 

・つまり、UFOの極秘情報に関わる者でも「54-12」から命じられた範囲だけしか知らず、全体は分からないようになっている。それにコーソーの本の内容も準じているからである。コーソーの本も、アポロ計画NASAには何も触れていない。

 

<暴露本に見る恐るべき真実>

・「軍は二つの戦争に巻き込まれることになった。ソ連と異星人との戦いである。異星人の方がソ連よりも、はるかに大きな脅威だった。そこで相手のテクノロジーを逆手に取り、軍需産業に恩恵を与え、宇宙関連の防衛システムを築き上げることだった」

 

・「これには異星人テクノロジーがふんだんに盛り込まれている。レーザー、加速粒子ビーム兵器、『ステルス』技術を搭載した戦闘機など、そのかげで冷戦終結をもたらすことができた

 

・「二番手に甘んじるのはイヤだとばかりに、どこも密かにロズウェルの兵器開発に明け暮れ、ペンタゴンでは異星人テクノロジーの開発戦争が繰り広げられていた」

 

・「検視報告書に述べられたEBE(墜落UFOから発見された生命体で、通称『グレイ』と呼ばれる)は、生物というよりも、長期の時空飛行専用に設計されたヒューマノイドと考えるべきかもしれない。察するところ、彼らは食料も排泄物処理施設も必要としない。肌を通して科学物質を処理し、排泄物を利用するロボットかアンドロイドにすぎない」(註・1980年代、アメリカで「キャトル・ミューティレーション」といわれる年間2万頭も上る牛の大量虐殺事件が起こった。牛の体内からすべての血が抜き取られ、切り口はレーザーで切り取ったように鮮やかだった。これはグレイの栄養素を得るためだった)

 

・「しかし、宇宙船本体はそのままノートンに残され、ノートン空軍基地はさながら空軍とCIAが管理する異星人テクノロジー博物館のようになった。宇宙船を複製する実験と推進システムの応用実験は今なお続けられている

 

・コーソーは出版後に心臓麻痺で突然死したが、UFOの真実を暴露することは身の危険さえ生じるのである。

 

実用化されたUFOテクノロジー

・コーソーが手掛けたという、UFOテクノロジーは次のようなものである。

▼映像倍増管・・・・・後の「暗視装置」になる

▼スーパーテナシィ・・・・後の「光ファイバー

▼レーザー切断装置・・異星人たちの2万頭に上る家畜虐殺に使用された

▼分子を圧縮した合金

集積回路および超小型ロジックボード

▼移動式原子力発電機・・・・・アポロ宇宙船に使用された

ガンマ線照射食品・・・・・どんな食品も常温保存できる

▼グレイのヘアバンド・・・・第3の脳・誘導システム

▼加速粒子ビーム兵器・・・電子を刺激する強力光線「SDI迎撃ミサイル」に応用。

▼電磁推進システム・・・・・ステルス機に使用。

劣化ウラン発射体・・・岩窟深くで爆発する弾頭、湾岸戦争で使用。

 

アメリカ(ユダヤ勢力)はロズウェルUFOテクノロジーを利用することによって、現在の世界一極支配を作り上げたのである。

 

 

 

ペンタゴンの陰謀』

(新兵器開発に隠された驚愕の事実)

(フイリップ・J・コーソー著)  (二見書房)  1998/2

 

 

 

ペンタゴン(米国防総省)とエイリアンとの交渉>

・ロズエル事件のファイルより開発可能なテクノロジーのリスト「暗視装置、光ファイバー、驚異の繊維、スーパーテナシティ・ファイバー、レーザー、分子を圧縮した合金、集積回路および超小型化したロジックボード、イオン小型原子炉、ガンマ線照射食品、第3の脳誘導システム、粒子ビーム兵器、電磁推進システム、ケプラー防弾チョッキとステルス機、劣化ウラン発射体等」である。

 

ロズウェル事件で回収されたシリコンウェーハーは、回路の小型化を可能にし、15年後には、初のマイクロ・コンピューターを生みパソコン革命をもたらした。パソコンもレーザーもUFOの超テクノロジーから生まれたといえる。

 

著者は、1960年代の2年間、中佐としてペンタゴンの陸軍研究開発局の海外技術部に籍を置いた。

 

・「私はそこで、二重生活を送っていた。普段は、兵器研究者として、そしてその裏では、私は情報将校として、トルードー中将の相談役を勤めていた。私に託されたファイルには、陸軍の最高機密がぎっしりと詰まっていた。1947年7月、ニューメキシコ州ロズウェル郊外で空飛ぶ円盤が墜落し、ロズウェル陸軍航空基地第509大隊が残骸の回収に当たった。ファイルにはそのときの残骸や情報が収められていた」。

 

・「大きさは子供と変わらない。といっても子供ではない。こんな大きな風船型の頭をした子供がどこにいる?容貌は人間と似ているがとても人間には見えない。両目は黒くて大きかった。鼻と口はことのほか小さく、切れ込みのようだといってよい。耳は顔の両側がへこんでいるにすぎない。皮膚は灰色がかった茶色で、髪は生えていなかった」。

 

・「異星人が食料や排泄施設を必要としなかったのは、ロボットかアンドロイドのような存在だったからだ。つまり、宇宙飛行や目的地での任務遂行のためにわざわざ作られたのだ!?」、「ロズウェル事件から50周年にも米空軍はあらためて事件を否定する発表を行なっている」。

 

<政府はさらなる隠蔽を行なう>

・「1962年に国防省補佐官は、報道陣を前にしてこう言った。『未確認飛行物体の情報が国家の安全保障にかかわることであれば政府は、国民はおろか、議会にも通告しない』」。

 

 

 

『たどりついたアイヌのモシㇼでウレシパモシリに生きる』

水谷和弘  はる書房    2018/10/12

 

  

<縄文・アイヌ文化を伝える土地に住む>

・10年ほど前に私は8年間借りていた荷負の家を買いました。その我が家の土地と家の周りの私が管理している畑から石器をはじめ多彩な物たちが出土します。

 磨石や石皿、削器(スクレーパー)、石斧、ナイフ型石器などの遺物が出てきた場所は山の中腹、周囲は畑と山林で小高い山も奥にあります。細

石器も数多く、石器の加工場があったことが分かります。アオトラ石や黒曜石の石器の完成美品も出てきました。

 この地域に現在3世帯しか暮らしていませんが、かつてはアイヌの世帯が53あったと聞きます。私の畑のあたりは、エカシ(長老のこと、ホピポイ部落長)が住んでいた所だとアイヌの古老の男性が教えてくれたことがあります。

 

・石器以外にも土器も多数破片で出土していて、平取町立歴史博物館に預けてあります。その土器片は沖縄中期から擦文時代のもので、さらに収集した、もしくは収集しきれない陶器と石器のスクレーパーなどを造ったときに生じる細片が畑から出ます。

 近隣には「荷負2遺跡」と「荷負小学校遺跡」と「荷負ストーンサークル跡遺跡」がある平取町全体で100を超す遺跡があるという話です。我が家の周りに盛土が崩れないように設置された石も、元はストーンサークルの石だったと知人は言っています。さらに古老から、平取にストーンサークルは13ヶ所あったと聞かされました。

 

・また、我が家から200メートル離れた所に湧き水がありますが、その水は大切に利用されてきたと思います。元の家の持ち主曰く、家より25キロほど離れた岩志地という所にある鍾乳洞の絵が描いてあった岸壁は戦争中セメントを作るため壊したが、家の入口に置いてある石はそこの鍾乳石だと教えてくれました。絵は見ることができませんが、その鍾乳石はいまだに私の家にあります。

 縄文時代の生活道具――石器だけでなく土器(草創期から晩期)、また擦文土器、そしてかなり古い陶器の破片からビール瓶やガラス片までが出てくる。そんな大地に私たちは住んでいるのです。

 

・かつて、ここはホピポイ部落と呼ばれていました。でも、アイヌ語のホピポイの意味は私には判りません。しかし、アイヌ語地名を漢字にして当てはめるとき、ニオイを荷負(逆から読むと負荷)とするとは、なんて先住民族アイヌに対して失礼な卑劣なことでしょうか。こんなところにも、言葉が奪われ文化が奪われている。土地が盗られ、心が囚われていったことを私なりに知りました。

 

・ちなみに、ニオイとは樹木が多い所、あるいは木片がごちゃごちゃある所という意味があるとか、のようです。ニオイに限らず北海道の地名はアイヌ語由来が多く、市町村名のおよそ8割がアイヌ語から来ているそうです。

 私の畑から出てくる遺物はさまざまな時を刻んでいます。すなわち、この場所は縄文の草創期より近現代までの複合施設だということです。そして、縄文人アイヌであることを間違いなく証明できる遺跡なのです。

 なお、擦文土器というのは、北海道や東北北部で出土する土器のことで、木のヘラで擦った文様が多く見られたので名付けられたといいます。そして、この土器の使われた7~13世紀の文化を特に「擦文文化」というようです。13世紀後半からは「アイヌ文化」という名でくくられて、北海道全体がこの文化を共有することになったといわれています。

 

・17日の北海道新聞朝刊が、日高管内平取町沙流川水系額平川の支流で、縄文時代の石斧材料として重要な「アオトラ石(緑色片岩)」の露頭が確認されたことを報じていた。

 

・なお、このアオトラ石はアイヌ文化期にも丸木舟の製作に用いられていたという。いくらでも鉄器があった時代なのに、にわかに信じがたいが、何か丸木舟製作に特別な信仰との関わりがあったのであろうか。

 

<“民族”として根源に繋がっていればいい>

アラハバキ」を絆につながる民族、東北{蝦夷}も、三内丸山の時代――縄文時代前期にはすでにアイヌと交流があった。このことは北海道アイヌの大地から出た「宝物」=黒曜石・アオトラ石が、津軽海峡を渡り本州各地に旅をしていることで分かる。

 つまり、本州の遺跡から北海道産出と分かる黒曜石・アオトラ石が出土しているのだ。黒曜石・アオトラ石は狩りの道具や武器に加工でき、また穴開けや肉削ぎ等の各種道具になり、鉄器が一般に流通する室町時代以前、貴重な物であった。