<稲盛会長の就任挨拶に漂う冷たい空気>
・JALに行く前後で私たちは再建計画の説明を受けていた。当然の話だが、再建計画というのは「その通りに実行すれば成功する」という案である。その計画では、給与の2、3割カット、社員約1万6千人の削減、約40%の路線縮小、多くの大型機の売却などが示されていた。一方、目標とする営業利益は1年目が641億円、2年目が757億円となっていた。
この再建計画は稲盛さんの会長就任と同時に公表もされたのだが、マスコミはこぞって「JAL再建計画に信憑性なし」と徹底的に批判した。
・稲盛さん自身は、航空業界には全くの素人であり、JALの内部事情にも疎い。だから、この再建計画が果たして妥当なものかどうかもわからなかった。しかし、管財人の方々は、今回の計画はJALの若手幹部も入って作ったものなので、これを確実に実行すれば必ず再建できると説明していた。また、会社更生法適用会社なのだから、再建計画を着実に実行する以外方法はなかったのである。
・そのような極限的な中で、稲盛さんの話をにわかに信じられる人がいないのは当然だったかもしれない。「自分たちプロでもうまくできないのに、何もわかっていない年寄りが突然やって来て精神論だけで再建しようとしている。困ったもんだ」と聞えよがしに話をする人もいた。
・また、先に紹介したカネボウの伊藤淳二会長のこともトラウマのようになっていた。伊藤さんは政府の要請を受けてJAL会長に就任したが、組合対策に注力し、独断で経営判断をすることも多く、結果として社内を混乱させたという。その後の苦労を知っている幹部も多い。同じように政府から派遣され、航空業界に素人の稲盛さんも、社内を混乱させるだけではないかと心配していたのである。
<「全従業員の幸せを追求」は組合迎合と反発した幹部>
・会長着任後、稲盛さんは「経営の目的は全従業員の物心両面の幸せの追求である」という話をよくされた。しかし、これについても反発があった。
ある幹部は私に「この発言をすぐに撤回するよう稲盛さんに伝えてほしい」と言ってきた。彼は稲盛さんがカネボウの伊藤さんと同じように組合に迎合していると受け取り、「稲盛さんに同じ失敗をさせたくない」という言い方をした。「そんなことはできません」と私が断ると、直接稲盛さんに「すぐに撤回してください。あんな言葉を組合が聞いたら、喜んでまた社内をめちゃくちゃにしてしまいます」と申し入れた。
<社内に充満する根深い相互不信>
・彼らには明らかなエリート意識があって、一般社員に対して優越感を抱き、現場の苦労を知らないのに、現場を見下すことがあった。逆に社員のほうは「本社の幹部がいい加減な経営をするから倒産した」と批判した。一体感どころか、相互に根深い不信感があったのである。
・それは、稲盛さんが会長に就任しても変わらなかった。例えば、稲盛さんは、経営数字をできるだけオープンにして全員参加の経営をしたいと話した。それに対しても幹部たちは「経営数字を知っているのは幹部だけでいいのではないですか」と抵抗をした。なぜかといえば、社員を信用して、経営数字を見せると他社に漏らすかもしれない、そうなると大変な問題になるというのである。
・それは、社員を単なる労働力と考えていたからだろう。極端に言えば、社員を、自分たち管理職と立場が全く違う労働力、つまりコストとしか見ていなかった。だから、いろいろな工夫をして労働力コスト、つまり人件費を下げ、生き残りを図るのが自分たちの役割だと考えていたのである。そのためJALでは、非正規雇用の派遣社員などを増やしていくと同時に多くの事業を子会社化していた。
<「JALは黒字を出してはいけない」という理屈>
・JALに着任して驚いたことの一つに、「我々は公共交通機関だから利益が出ないのが当たり前で、むしろ利益を目指さないほうがいい」との考え方が染みついていたことがある。何人かの幹部から「稲盛さんや大田さんは、収益性を上げろ、黒字にしろといつも言うが、それは基本的に間違っている」と真面目な顔で言われた時は耳を疑った。
しかしよく話を聞いてみると、そこにも彼らなりの理屈が存在することがわかった。つまり、黒字になって利益が出るようになれば国土交通省は「運賃を下げろ」と言ってくる。組合は「賃金を上げろ」と要求してくる。政治家は採算を度外視して「新しい路線を開設しろ」と求めてくる。だから、できるだけ利益を出さないのがよい――これが彼らの理屈だった。
そのような発想だから、利益目標に対する執着心はもっていなかった。公表された会社全体の利益目標はあっても、部門ごとの利益目標はない。
<旧JALに受け継がれていた不思議な文化>
・また、倒産するほど経営が悪化しているのに、会社の予算を1円でも多く獲得し、獲得した予算は全部使い切るという文化が残っていたことにも驚いた。
・だから、倒産してしまうかもしれないという時期でも、予算を使い切るために必要のないものまでも買っていた。
・また、安全に対する考え方も偏ったものがあった。御巣鷹山での大惨事のトラウマになっていたのかもしれないが、安全を守るための予算は聖域となっており、そのコストは減らせないという暗黙の了解があった。「安全のための投資なら仕方がない」とそこで思考が停止するのである。
<数字で経営するという発想の欠如>
・ただ、一番驚いたのは、JALでは数字で経営するという発想がなかったことだ。会議を開いても、実績数字も目標数字も出てこない。倒産直後なので混乱しているのだから仕方がないと思って聞いてみると、これまでもそうだったという。月次の実績が出るのには数か月かかり、それも概算のようなもので、しかもその数字を知っているのは経理部門を除けば一部の幹部だけだという。
それでは、経営が悪化してもタイムリーな対策が打てるはずはない。
・JALに着任して、JALの幹部の人たちと話した時は、このように普通の民間企業では考えられない話ばかりで本当に驚いた。
・結局は、彼らはJALという特殊な文化の中で純粋培養されていた人たちであり、航空業界という狭い世界でステレオタイプの考え方に凝り固まっていただけなのだ。
<意識改革>
・翌週から、「稲盛経営12か条」について稲盛さんに4回にわたって講義をしてもらった。「経営12か条」とは稲盛さんの経営の要諦を12の項目にまとめたもので、次のような内容となっている。
- 「事業の目的、意義を明確にする 公明正大で大義名分のある高い目的を立てる」
- 「具体的な目標を立てる 立てた目標は常に社員と共有する」
- 「強烈な願望を心に抱く 潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと」
- 「誰にも負けない努力をする 地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける」
- 「売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える 入るを量って、出ずるを制する 利益を追うのではない 利益は後からついてくる」
- 「値決めは経営、値決めはトップの仕事 お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である」
- 「経営は強い意志で決まる 経営には岩をもうがつ強い意志が必要」
- 「燃える闘魂 経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい競争心が必要」
- 「勇気をもって事に当たる 卑怯な振る舞いがあってはならない」
- 「常に創造的な仕事をする 今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に改良改善を絶え間なく続ける 創意工夫を重ねる」
- 「思いやりの心で誠実に 商いには相手がある 相手を含めて、ハッピーであること 皆が喜ぶこと」
- 「常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で」
・成功した人の体験談ほど、興味をひくものはない。だから、私たちは、歴史上の成功者の著書や伝記をよく読む。そして、もし現役であれば、直接話を聞きたい、そこから何かを吸収したいと願う。それが普通であろう。
<数字で経営するという意識をもたせる>
・すべて基本的なことばかりであるが、経営幹部が数字をベースとして経営していくためには、この当たり前のことを理解している必要があると考え、カリキュラムに入れたのである。この「7つの会計原則」の概要は次の通りである。
- 一対一対応の原則
日々の事業活動の中ではモノとお金がたえず動いている。会計処理では常にモノ(お金)と伝票を一対一で対応させることが必要であり、このことを「一対一対応の原則」と呼ぶ。
- ダブルチェックの原則
すべての業務プロセスで常にダブルチェックが徹底されるシステムをつくりあげることで、経営数字に対する信頼性を高めることができる。
- 完璧主義の原則
「完璧主義」とは、いかなる曖昧さや妥協も許さず、細部にわたって完璧に仕上げることを目指すものであり、全社員が仕事に取り組むにあたってとるべき基本的な態度である。
- 筋肉質経営の原則
業績をよく見せたいがために、売れない商品を在庫として計上したり、不良債権を処理しないまま放置していることがある。それでは「筋肉質経営」を実践しているとはいえない。
- 採算向上の原則
そのためには、全社員が経営者意識をもち、創意工夫を重ね、一致団結して、「売上最大、経費最小」を実践し、採算を向上させ強い企業体質をつくらなければならない。
- キャッシュベースの経営の原則
経営で最も重要となる「キャッシュ」に注目し、実際の「キャッシュの動き」と「利益」が直結する経営を行うためにも「キャッシュベース経営の原則」の考え方が大切になる。
- ガラス張り経営の原則
「全員参加経営」を目指すためには、全社員が自部門や会社全体の経営状況、経営方針を知ることが欠かせない。
<六つの精進>
・リーダー教育のカリキュラムの中に、私はどうしても入れたいと考えていたものがあった。それは、稲盛さんの「六つの精進」である。
・この「六つの精進」の項目だけを紹介したい。
- 誰にも負けない努力をする
- 謙虚にして驕らず
- 反省のある毎日を送る
- 生きていることに感謝する
- 善行、利他行を積む
- 感性的な悩みをしない
<幹部の一体感が一気に高まった「伝説の合宿」>
・リーダー教育の終盤、6月26日土曜日には合宿を予定したのだが、これも最初は大反対された。「幹部がみんな集まって合宿すると安全上のリスクもあるし、お客様サービスもできない」「予算がついていない」「休みがなくなるのは困る」等と言われた。
・それでも、なかなか文章を完成させることはできなかったので、最後は私も意識改革のメンバーと一緒になり、文章の修正や整理を手伝い、どうにか計画通り11月には40項目あるJALフィロソフィの最終案を作成することができた。
<JALフィロソフィの構成と完成>
・稲盛さんがいつも話していることだが、フィロソフィを学ぶのは決して会社の業績を上げるためではなく、社員にすばらしい人生を送ってほしいからである。
・それまでのJALの大きな問題は、批評家や傍観者的な人が多く、自分もJALの重要な構成員であり、自分にも経営責任があるという思いをもっている社員が少ないということだった。
<新しい経営理念を策定する>
・社員の一体感を高めるために最も重要なことは、経営の根本となる経営理念を定めることであり、稲盛さんは会長就任後すぐに、「全社員の物心両面の幸福を追求すること」が経営の目的であると明言されていたので、それをベースに経営理念を作り変えることは決まっていた。しかし、その作業はなかなか進んでいなかった。
<共通経費や固定費を分解して無駄のチェックをする>
・その共通経費を見て、稲盛さんは「これはなんや」と質問された。「細かい経費がまとめてあります」と答えると、「それでは無駄の削減はできない。共通経費はできるだけ分解しなさい」と指示を出した。その中で削減できるものはないか常にチェックできるようにするべきだというのである。
・これは固定費も同じである。普通は「固定費なので削減できません」で終わってしまうが、考え方によっては固定費も変動費の塊なのだというのが稲盛さんの発想である。例えば公租公課でも、一件一件適用される税法をあらためてチェックしたら、適応される税法を変えることができ、減額できるかもしれない。だから「固定費もできるだけ分解しなさい」と言われた。
<会議は教育の場>
・JALには業績報告会だけでなく、経営会議などいろいろな会議があったが、もともと半官半民の企業だったので、官僚的な経営風土があり、それは会議の進め方にも現れていた。特に会長、社長が参加するような重要な会議では、事務方が事前に根回しを済ませていた。トップやキーパーソンには事前の了解を得ているというのが前提になっているので、誰も意見は言えないし、もし言ったとしてもすぐに否定される。その結果、会議は時間通り進めることができる。それが事務方の腕の見せ所だった。
<営業利益率10%以上を目指す>
・JALの幹部は、まず営業利益率の目標が最低でも10%だという発言に驚き、反発した。過去JALが黒字のときでも数パーセントの利益しか出ていなかった。
<コンサルタント会社の売り込みをすべて断る>
・稲盛さんにしてみれば、コンサルティングファームの提案は、赤字部門をすべて売却し、黒字部門だけを残すといったリストラがメインであり、さらに多くの社員に辞めてもらうことになる。それは、社員を大切にするという自分の経営哲学と全く合わないと思われたのだろう。
<謙虚にして驕らず、さらに努力を>
・JALが再上場した時の話である。2012年9月19日、事業会社としては戦後最大の倒産であり、再建不可能、二次破綻必至だと言われていたJALが、1年目には1800億円、2年目には2千億円を超える営業利益を生み出し、2年8か月という短期間で、また、想像できないような高収益企業として、復活し、再上場を果たした。
<再建が早く進んだ理由>
・それにしても、JALのスピードは速かった。なぜか。それは稲盛さんに途方もなく大きな愛、利他の心、つまり善き思いがあったからだと私は確信している。
『生き方』 人間として一番大切なこと
<人間として正しいことを追求する>
・私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことかもしれません。つまり私には才能は不足していたかもしれないが、人間として正しいことを追求するという単純な、しかし力強い指針があったということです。
<知足利他の社会へ至る道程>
<宇宙の流れと調和する>
<人生をつかさどる見えざる大きな二つの力>
・人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。しかもそれは二つあると私は考えています。
一つは、運命です。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きて行く。異論のある方もおられるでしょうが、私はこの運命の存在は厳然たる事実であると考えています。
・では、人間は運命の前でまったく無力なのか、そうではないと思います。もう一つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。それが、「因果応報の法則」です。
つまり、よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。
・ここで大事なのは、因果応報の法則のほうが運命よりも若干強いということです。
<因果応報の法則を知れば運命も変えられる>
・もちろんいまの科学水準では、その見えざる手の存在を証明する手だてもない。
<結果を焦るな、因果の帳尻はきちんと合う>
・しかし、それも20年、30年といった長い単位で見れば、きちんと因果の帳尻は合っているものです。
<森羅万象を絶え間なく成長させる宇宙の流れ>
・つまり宇宙には、一瞬たりとも停滞することなく、すべてのものを生成発展させてやまない意志と力、もしくは気やエネルギーの流れのようなものが存在する。しかもそれは「善意」によるものであり、人間をはじめとする生物から無生物に至るまで、いっさいを「善き方向」へ向かわせようとしている。
・ですから、宇宙の意志と同じ考え方、同じ生き方をすれば、かならず仕事も人生もうまくいくのです。
<偉大な力がすべてに生命を吹き込んでいる>
・生命は偶然の重なりではなく、宇宙の意志による必然の所産である。こういう考えは格別珍しいものではありません。前述した筑波大学名誉教授の村上和雄先生は「サムシング・グレート」という言葉で、大いなる創造主の存在を明言されています。
・本書のタイトルとして掲げた「生き方」とは、一個の人間としての生き方のみならず、企業や国家、さらには文明あるいは人類全体までを視野に入れています。
なぜなら、それらはいずれも1人ひとりの人間の集合体なのだから、そのあるべき「生き方」に、何ら差異はないはずだ。私はそう考えているからです。
・労働とは、経済的価値を生み出すのみならず、まさに人間としての価値をも高めてくれるものであるといってもいいでしょう。
したがって何も俗世を離れなくても、仕事の現場が一番の精神修養の場であり、働くこと自体がすなわち修行なのです。日々の仕事にしっかりと励むことによって、高邁な人格とともに、すばらしい人生を手に入れることができるということを、ぜひ心にとめていただきたいと思います。
<「考え方」を変えれば人生は180度変わる>
・人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは、次のようなものです。
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
<心に描いたものが実現するという宇宙の法則>
・仏教には、「思念が業をつくる」という考えがあります。業とはカルマともいい、現象を生み出す原因となるものです。つまり思ったことが原因となり、その結果が現実となって表れてくる。
・思ったことがすぐに結果に出るわけではないので、わかりづらいかもしれませんが、20年や30年といった長いスパンで見ていくと、たいていの人の人生は、その人自身が思い描いたとおりになっているものです。
・私は長くモノづくりにかかわってきて、そのような「偉大なもの」の存在を実感することが少なくありませんでした。その大きな叡智にふれ、それに導かれるようにして、さまざまな新製品の開発に成功し、人生を歩んできたといっても過言ではないのです。
<人類に叡智をもたらしつづける「知恵の蔵」がある>
・その理由を私はこう考えています。それは偶然でもなければ、私の才能がもたらした結果でもない。この世界の、この宇宙のどこかに「知恵の蔵(真理の蔵)」ともいうべき場所があって、私たちは自分たちも気がつかないうちに、その蔵に蓄えられた「知」を、新しい発想やひらめき、あるいは創造力としてそのつど引き出したり、汲み上げたりしているのではないか。
<自己を厳しく律しつづける「王道」の生き方をせよ>
・「知恵の蔵」とは私の造語ですが、宇宙の節理、あるいは創造主の叡智などといいかえてもいいかもしれません。いずれにせよ、その大いなる知は、人類を絶えず成長発展の方向へ誘導してくれているのです。
<思いを実現させる>
<混迷の時代だからこそ「生き方」を問い直す>
<魂を磨いていくことが、この世を生きる意味>
・試練を「機会」としてとらえることができる人—―そういう人こそ、限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていけるのです。
現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。
<単純な原理原則が揺るぎない指針となる>
・世間には高い能力をもちながら、心が伴わないために道を誤る人が少なくありません。私が身を置く経営の世界にあっても、自分さえ儲かればいいという自己中心の考えから、不祥事を起こす人がいます。
・京セラは、私が27歳のときに周囲の方々につくっていただいた会社ですが、私は経営の素人で、その知識もないため、どうすれば経営というものがうまくいくのか、皆目見当がつきませんでした。困り果てた私は、とにかく人間として正しいままに貫いていこうと心に決めました。
<人生の真理は懸命に働くことで体得できる>
・ですから、日々の仕事を精魂込めて一生懸命に行っていくことがもっとも大切で、それこそが、魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」となるのです。
<病気になって学ばされた心の大原則>
・これまで、人生は心のありようでいかようにも変えられるという、人が生きるための大原則について述べてきましたが、実は私の人生は失敗と挫折の連続で、何度も痛い目にあいながら、その法則を「思いしらされた」というのが実情なのです。
・最初の挫折体験は中学受験の失敗でした。ついで、その直後に結核に侵されました。当時、結核は不治の病であり、さらに私の家系は叔父2人、叔母1人をともに結核で亡くすという“結核家系”でした。
・そのときに、隣の家のおばさんが不憫に思ったのでしょう。これでも読んでみなさいと、「生長の家」の創始者である谷口雅春さんの『生命の実相』という本を貸してくれました。
・「われわれの心のうちには災難を引き寄せる磁石がある。病気になったのは病気を引き寄せる弱い心をもっているからだ」というくだりを見出して、その言葉にくぎづけになりました。
・否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せたのだと思い知らされたのです。
<運命は自分の心次第という真理に気づく>
・幸い結核は治癒して、学校生活へ戻ることができたのですが、その後も失敗や挫折とは縁が切れませんでした。大学受験も第一志望は不合格。地元の大学へ進学し、成績はかなりよかったものの、世は朝鮮戦争の特需景気が一段落したところで不景気の最中。縁故もない私は、就職試験を受けて落ちるということのくり返しです。
・心はだんだんあらぬほうに傾いていき、先にも述べたように、空手をやっていて多少は腕に覚えもあったとので、いっそやくざにでもなってやろうかと、繁華街のとある組事務所の前をうろついたりしたこともありました。
・何とか大学の教授のお世話で京都の碍子製造メーカーにもぐり込むことができましたが、内実は明日つぶれてもおかしくないオンボロ会社で、給料の遅配は当たり前、おまけに経営者一族の内輪もめまで起こっていました。
・そしてついに、当時普及しはじめていたテレビのブラウン管の電子銃に使用するファインセイラミックス材料を独自の方法で、日本で初めて合成、開発することに成功したのです。それによって周囲の評価もぐっと高まってきました。私は給料の遅れさえ気にならないほど仕事がおもしろく、生きがいさえ感じるようになっていきました。ちなみにそのとき身につけた技術の蓄積や実績がもとになって、のちに京セラを興すことになるのです。
・運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるものです。東洋思想では、それを「立命」という言葉で表現しています。思いという絵の具によって、人生のキャンパスにはその人だけの絵が描かれる。だからこそ、あなたの心の様相次第で、人生の色彩はいかほどにも変わっていくのです。
<あきらめずにやり通せば成功しかありえない>
・京セラが、IBMから初めて大量の部品製造の発注を受けたときのこと、その仕様は信じられないほど厳しいものでした。仕様書は図面一枚というのが通常であった時代に、IBMのそれは本1冊ぶんくらいあり、内容も詳細厳格を極めていました。そのため、何度試作しても、ダメだとはねられてしまう。やっと規格どおりの製品ができたと思っても、すべて不良品の烙印を押されて返品されてきました。
寸法精度が従来よりひとケタ厳しいうえ、その精度を測定する機器すら、わが社会にはないのです。正直、これはわれわれの技術では不可能だろうという思いが幾度も頭をよぎりました。
・しかし、これは私の常套手段でした。創業当時から、大手メーカーがむずかしいと断った仕事を、あえて引き受けることがよくありました。そうしないと、実績のない新興弱小企業では仕事がとれないという事情もありました。
もちろん大手が断った高度な技術水準の仕事を、私たちができるあてはない。それでも私はできませんとは絶対にいわない。できるかもしれませんとあいまいなことも口にしない。勇気を奮って「できます」と断言して、そのむずかしい仕事を引き受けてくるのです。そのたびに部下は困惑し、しり込みしてしまいます。
<努力を積み重ねれば平凡は非凡に変わる>
・ですからいたずらに明日を煩ったり、将来の見通しを立てることに汲々とするよりも、まずは今日一日を充実させることに力を注いだ方がいい。それが結局、夢を現実のものとする最善の道なのです。
<毎日の創意工夫が大きな飛躍を生み出す>
・昨日の努力に少しの工夫と改良を上乗せして、今日は昨日よりもわずかながらでも前進する。その、よりよくしようという姿勢を怠らないことが、のちに大きな差となって表れてくる。けっして通い慣れた同じ道は通らないということが、成功に近づく秘訣なのです。
<現場に宿る「神の声」が聞こえるか>
・「事件の鍵はすべて現場にあります。現場には神が宿っているのです」と答えられました。畑は違えども、もっとも大切な仕事のツボはやはり同じで、現場主義に徹してしっかりと現象を観察することが大切なのだと、あらためて納得しました。
<同じ歴史をくり返すな、新しい日本を築け>
・日本という国は近代に入って以降、約40年の周期で大きな節目を迎えてきました。
- 1868年—―それまでの封建社会から脱し、明治維新によって近代国家を樹立。
- 1905年—―日露戦争に勝利。以後、とりわけ「強兵」の方向に傾斜して、軍事大国の道をまっしぐらに突き進む。
- 1945年—―第2次世界大戦に敗戦。
- 1985年—―日本の莫大な貿易黒字に歯止めをかけるべく、円高誘導、輸入促進を目的にプラザ合意が結ばれる。このころ、日本は経済大国としてのピークを迎え、バブル崩壊後は、現在まで低迷期が続く。
この40年ごとの盛衰サイクルを見てみると、私たちの国はこれまで一貫して、つねに物質的な豊かさを追い求め、他国との競争をくり返してきたことがわかります。
・しかし、そのような価値観だけでは、もはやたちゆかなくなっていることは明白です。これまでのような経済成長の中に国のアイデンティティを見いだしていくやり方では、再びこの40年ごとの盛衰サイクルをいたずらにくり返すばかりで、敗戦に匹敵するほどの“次の大きなどん底”に向けて下降線を描いていく、その速度に歯止めをかけることはむずかしくなるはずです。
・つまりこのままでは、日本という国が破綻してしまうだけでなく、人間は自分たちの住処である地球そのものを自分たちの手で壊してしまうことになりかねない。それと知って、あるいはそれと気づかず、沈みゆく船の中で、なお奢侈を求め、飽食を楽しむ—―私たちはその行為のむなしさ、危うさに一刻も早く気づき、新しい哲学のもとに新しい海図を描く必要があるのです。