日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

このとき日本にやってきた龍神を「国常立尊」という。また国常立尊を守護して渡来したインドの最高神が「ヴィシュヌ」である。(2)

 

日本の山姥

山の妖怪山姥

・単に姥といえば辞書を引くまでもなく、年を取った女の意味ですが、山姥というと、ニュアンスが少し違うとみなさなければなりません。日本の場合でも、まだ色香の失せない中年の女性に当たる妖怪です。しかし、山の精という感覚からすると、さらに若々しい女性として登場するのが深山の雰囲気に似つかわしいといえましょう。これは西洋の場合も同様で、何々嬢という敬称で呼ぶこともありますから、うら若い未婚の女性に当たる山姥もあるとみてよい訳です。

 

狩人異女に逢う

・市ヶ谷の自證院に西応房という道心坊主がいた。彼は尾張国中島郡の生まれで、少年時代に狩を好み、飛騨の国へ入って狩人となり、信州はもちろん、美濃、加賀、越前、越中等までも山続きに歩いて狩猟暮らしをしていた。

 

・或る時余り獲物がないので、里へも帰らず、御嶽山のふもとの方へ深く分け入って、そこで夜を明かし、東の空が白みかかった頃、高い峰へ上がって、獣が来るかと四方を見回していると、はるか、向こうの御嶽山の方から、篠竹を分けて近づいて来る者があった。

 

・彼女は次第に篠を分けて近寄って来たので、いざ撃とうとすると、彼女は急に、「まず鉄砲を止めなされ、妾は決して災いをなす者ではありませぬ。そこまでまいりますが、そのように狙い給うては妾の申すことも聞こえませぬ。」と、その声はしとやかで、常の人に変わらなかったので、狩人は少し心もゆるみ、女の言うことも聞いてみようと思い、近づく女をよく見れば、容貌美麗な十六、七の少女にもみえるほどであった。狩人は「この女はあのようなことを言いながら油断させて、どんな目にか逢わせる手段かもしれない。何分実の人間の来る所ではない。そうだ!こちらからも騙し討ちにしてやろう。」と思っていると、女が「妾をまだ撃とうと思っていられるようですが、たとえどんな手練にしても妾を鉄砲で撃つことはできませぬ。心を静めて言うことを聞きなされ。」と言ったので、狩人はまた心もゆるみ、「それではその訳を聞こう。」と言うと、女は「妾は飯田領の何村何某の娘です。今から十三年前の七月の事でしたが、付近の川へ物洗いに行きましたところ、のがれられない因縁のため、そのまま山に入って山の神となりましたので、この次第を故郷に知らせることができませぬ。父母はこれを知らず、その日を妾の命日として、常にねんごろに供養していますが、これがかえって妨げとなり、妾来年鈴鹿山の神として昇進することになっていますが、それが叶いませぬ。何とぞ妾の故郷に行き、父母に対面して、以来妾のための仏事は一切せぬように伝えて下はれ、お頼みいたしまする。」と言うと、たちまち姿が消え失せた。

 

西洋の山姥

・西洋の山姥も山岳地帯の神秘に満ちた深い森に住む妖怪で、彼女たちは日本の山姥のように山めぐりをすることがなく、テリトリー(支配領域)を設けて、平生はそこでひっそりと住んでいる点に特色があります。

 しかし、時には進んで人間社会に現れて、日本の山姥にみられるように、何か人の為に役立つことを望む側面もあって、それは両者の一致するところです。

 たとえば、畑仕事の手伝いとか、機を織ったり炊事をしたり、そんな山姥が農家の嫁に迎えられても不思議ではない訳です。

 ところが、心やさしい山姥とは別に、狂暴な山姥もあって、次に挙げるオーストリアチロル地方の伝説のように、人を襲う山姥伝説もあります。

 

産婦を誘拐する山姥

・或る農家のおかみさんが、産褥中同伴者もなく、ただひとりで教会へ出かけました。これはこの地方の習慣で、神の前で十字を切り、夫を欺かなかったことを証言するためでした。ところがその道中で、この地方でいう「ファンガ」と称する山姥に捕らえられて、誘拐されてしまいました。

 そのため、この古い習慣はそれ以来住民の間で中止されました。

 また当時この辺の或る農家の娘が、産褥で伏せているとき、水を飲むため台所へ行ったかと思うと、突然大声をあげて出てきました。「お父さん!台所へ行ってみてちょうだい!お母さんに大きな髭が生えたよ!」という声に、父親が台所へ行ってみて驚きました。

 また子供たちもその声を聞き、台所へ入って仰天しました。台所には母親ではなく、何とも醜い顔をした女が座っていました。

 それは顔中もじゃもじゃと長いひげを生やしたファンガだったのです。

 彼女は目をすえて一同を見回していましたが、やがて立ち上がると、急いでその場から戸外へ消えました。この家のおかみさんは、すぐ後ろから家の周りやその外の所を捜しましたが、ファンガの姿はどこにも見えませんでした。

 

マルテル村の山姥たち

・この村の山姥たちは黒い肌着を着ていましたので、修道院の女のようでした。

 彼女たちは平生谷間の奥の方に住んでいて、夏になると人々に姿を見せることがありました。この村の農民たちは冬になると、山の牧草地から乾草を運びますが、その頃になると、山には雪がありますので、橇を使いました。そんな時は必ず山姥たちがやってきて、一人二人と橇の後ろに腰をかけるのでした。

 それは橇が急に重くなるのですぐ気付きました。そのうち橇がだんだん重くなってくるのは、大勢の山姥が皆橇に腰をかけてしまうからでした。

 

家畜の世話が得意な山姥

・チロルではスイスの国境に近いマルスという集落にも山姥の話が伝わっています。昔この山姥の里には、当時どこの地方にもあったように、飢饉の年があって、そんなとき物好きな農家では、丈夫で若い山姥をお手伝いさんに雇ったことがありました。山姥を雇った農家では家の中が急に陽気になり、仕事ははかどり、平和で喧嘩口論もなく、福をもたらす娘といったところ。特に彼女は家畜の世話が得意で、肉牛はよく育ち、乳牛は乳をよく出すようになりましたから、主人は大満足で、うれしい事づくめでした。

 

山姥の結婚

・チロルのオーバーイン谷の或る大農家の主人は、山姥を一人雇っていましたが、一緒に住んでいるうち、この山姥がすっかり気に入ってしまって、とうとう妻に迎えました。

 そして二人の間に十三人の子供が生まれました。ところで夫は、妻の素性を決して尋ねないという約束をして結婚したのです。そうして一家は平穏無事に暮らしていましたが、或る時夫が戯れ半分に妻に向かってうっかり「いったいお前の生まれはどこなんだ?」とたずねると、妻は「子供の泉の生まれですよ。」と答え、次の瞬間、狂ったようにするどい声で「あなたは尋ねたね! 無情なあなた!」と叫ぶと、十三人の子供を残らず連れて家を出て行きました。そしてそれっきり帰って来ませんでした。

 愚かな夫は、ただ一人になって、その後自暴自棄の暮らしをしたということです。

 

天狗と魔女

・天狗と魔女を比べるなど、まったく異質の取り合わせのように思われるかもしれませんが、両者に共通な何があるか、またどんな違いがあるかなど、考えてみるのも一興かと思い、古来の伝説その他の資料を挙げて、両者を見比べようという訳です。

 それではまず、どんな共通点が考えられるでしょうか?①超人的な力を発揮すること。②人の面前で姿を消したり、人や動物に化身すること。③気象を支配すること、空中を自由に飛行すること、⑤人を誘拐すること。

 では違う点は何でしょうか?天狗が男性であることは誰でも認めるところですが、古来天狗が宿ったといわれる山の天狗名は、皆男性名です。

 

・また天狗は宗教とのかかわりでは好意的であって、山では修験者との交わりに特徴があります。これに対して魔女は、宗教(キリスト教)とのかかわりでは異端者でしたから、これも両者が著しく異なるところでしょう。そしてさらに異なる点は、天狗はいうまでもなく山岳が行動の拠点であるのに対して、魔女は常人の住む市井の中に隠れ住み、天狗のようなテリトリーをつくりません。

 

天狗滝

・十三の滝は、弱い滝に打たれてから強い滝にのぼるのが順で、次第に大滝へ移って行くのである。或る人が毎夜第一の滝に通っている間に、一人の老僧が、これも同じ時刻に出て出会い、互いに熱湯の大滝にかかって四方山の話など交わしているうち親しくなったが、この男は加州金沢の者で、故郷に心掛かりなことが一つあって、そのためここに落ちついて逗留することができない。そこでひとまず故郷へ帰りたいというと、彼の僧がこれを聞いて、男の手紙を取ると、「さあ急ぎなされ。」と言いながら男を促して、どこへともなく連れ出してしまった

 その夜は宿へ帰らなかったので、家来の者たちは驚いて、彼方此方と捜しているうち、夜もまだ明けないうち軒場にたたずんでいたところを介抱してみれば、物にさそわれたものとみえて、正体もなく倒れ伏してしまった。

 ようよう正気にもどったところで問い質してみると、彼の僧が滝の所から本国の金沢へ連れて行き、心掛かりの事をよく述べて、また連れ帰ったとのこと。さてはその老僧こそ鼻の高い人であろうと、聞く人は皆恐れて、天狗滝の名に違いはなかった。

 このように時間・空間を超越していることは、天狗談の大きな特徴でしょう。

 

天狗にさらわれた少年

・ところが、7日後、少年がまた大師堂の辺りに茫然と立っているのが発見された。連れ帰ってどうしたのかと尋ねると、初め江戸の事をいうかと思うと、たちまち京のことを語り、東西取り乱して前後も定かでなかったが、1日ほど過ぎて、ようやく正気を取り戻していうのは、自分は初め大師堂の前で四方をながめていて、何となく谷の方へ行ったところ、大きい山伏が来て「今日はお前の故郷の祭りである。さあ行こう。」と言ったかと思うと、たちまち大空へ上がり、翻るように飛んで、すぐ氏神の社にやって来た。森の梢に座席があって、その座席に座って祭りを見た。嵐が吹いて冷ややかだったので「火に当たりたいか。」と問われたので、当たりたいと答えると、山伏が団扇を持って扇ぎ、たちまち火が燃えた。しばらく当たって立ち去る時、「今燃えたのはお前の伯父の家だぞ。」と言われた。

 

それからまた諸国を連れ回された後、元の大師堂の辺りに来たところで、山伏の姿は見えなくなってしまった。

 大体日本国中見ない所はないといってもよく、さてその7日の間すべて飲食することがなく、しかも飢えと乾きの苦しみがまったくなかったと語ったのである。

 

これは天狗さらいの代表的な物語のようですが、能では世阿弥作の花月という曲が有名です。シテは花月と名のる九州彦山の麓の美少年で、7歳のとき天狗にさらわれ、まず彦山に登り、伯耆の大山、そして京に近い愛宕の山、さらに富士の高峰にも登って雲に起き伏す時もあり、また里々も廻り廻って、最後に京の清水寺の庭で、出家して我が子の行方を探し求めて行脚中の父親と、めでたく再会するという筋ですが、天狗はどうして年少者を主に狙うのか、またその目的は何とかなると、いよいよ分からなくなってしまいます。しかし、一説には悪僧たちが徒党を組んで、人をさらったり強盗をしたりした時代、彼らは天狗と称して里人を脅かしたのではないかというのです。

 

・天和の初め、高野山に畳屋忠兵衛という者がいた。12月27日に、腰に帳面をつけて掛け取りに出た。或る所で知り合いの僧に出会ったところ、彼の僧が、「これから伊勢へ参詣しようと思うが、お前も連れて行こう。」と言い、忠兵衛はきわめて正直者だったので、すぐ応じて、帳面を近くの寺へ預け、27日に巳の時(午前10時)に彼の僧と共に高野山を出て、その日の午の時(正午)に伊勢へ参り、また近江の石山、三井寺、京の清水、愛宕などを経て、竹生島へ参り、それより富士山を経て、28日の午の時に日本橋に茫然として立っていた。

 そのとき、高野山から小石川へ使いに行った知人が見つけ、お前はいったいどういう訳でここに居るのかと尋ねたが、何も答えなかった。ところが高野のことをよく知っていたので、これは天狗の所為であることがわかり、芝の寺へ連れて行ったところ、ようやく正気になって、正月23日に高野へ帰った。彼が後で語ったところによると、富士を通る時は、山を足下に見たといい、高野山にはこのような例が多いという。

 ところで、天狗は身を隠す術をもっていて、あたかも透明人間のようなこともします。たとえば人の面前にある物を掠めとることができるのです。西洋の悪魔もこれが得意で、ゲーテ作の『ファウスト』にもそのようなことが載っています。

 

少女の怪異

・寛政年間のこと、越後の国蒲原郡大田村の百姓の娘で、12、3歳の少女が、或る祭りの日に見物に行ったところ、連れの人々とはぐれてしまって困っていると、赤い顔の僧が現れて、娘を案内してくれるので、僧について行くと、不思議なことに何か食べたいと思うだけで、僧はすぐ茶店で食べさせ、また何か欲しいと思う物があると、何でも店の物が娘の手に与えられた。

 

天狗から鉄砲の術を教わった話

・文化三年のこと、美濃の国郡上郡大豆村に重五郎という者がいた。14、5歳の頃、家で風呂に入っていた時天狗にさらわれ、まず自分の家の入口にある三かかえほどの松の梢に登った。この松は鴨枝があるというので枝打ちもせず。日頃天狗が来ると言い伝えられていた木であった。この辺では木の枝が鴨のような形をした木と、帚のような形になった木は、切れば祟るといって、一切手をつけないということである。

 さてその天狗は、鼻が高く絵に描いたようであったという。

 それから四十里ほど行って、十畳敷きほどの松の木の上へ行くと、種々の天狗が大勢集まって酒宴をしていた。それからなお、所々に連れられて行ったが、或る時は大名の祝儀の所へ行って、ご馳走を食べたが誰もとがめる者がなかった。そして三年経った後、鉄砲の術を教えてもらい、帰って来てから飛ぶ鳥を撃っても、決して外れることがなく、また何を撃っても百発百中になったので、それから猟師となって稼ぐうち、誤って或る村の雁の池の大蛇を撃って祟りを恐れ、書き置きを残して行方知れずになったという。

 

魔女の食事がマカロニ

天狗が人をさらう場合は、人を連れて空中を飛行します。それは翼をもった天狗ということになるでしょう。

 しかし魔女には翼がなく、そのため箒か肥料熊手の柄、或いは暖炉の火掻き棒などにまたがって空を飛ぶのですオーストリアのホーエタウエルン地方の伝説をここで引いてみましょう。

 ラウリス地区の或る下男が、夜遅く彼の娘の家へ行く途中、小さな家の前を通りかかると、キッチンにまだ明かりが点いていました。彼が近づいて窓から部屋の中を覗くと、二人の若い女がいて、その内の一人は小さい箱を片手に持って、香油を盛んに髪に塗っていました。やがて彼女らは小箱を戸棚にしまうと、一人は暖炉の火掻き棒を持ち、一人は箒を持って、暖炉の煙出し口から煙突を通って外へ出て行きました。

 その時彼女らは「どこへでも勝手気ままに行きましょう。」と言い捨てて、空へ飛び去ったのです。これを見た下男は、不審でたまらず、家の外を歩き回ってみると、山でも森でも家の近くでも、至る所で彼女らに出会うのでした。

 ところが、教会の鐘が一時を告げると、彼女らのお勝手に再び明かりが点いて、彼女らは食事をとっていました。下男は好奇心から、彼女らの家に入って行って、食事を分けてもらえまいかと頼みました。すると彼女らは快く応じてくれました。帰宅後、朝その食事を食べようとみれば、ただのマカロニでした。

 

 

 

『金髪碧眼の鬼達』

中村昻 日本デザインクリエータズカンパニー  2015/9

鬼・天狗・山姥は白人的特徴を持っていた

 

 

 

過去の伝統的存在、鬼・天狗・山姥達は金髪・碧眼(黒以外の目)などの「白人的特徴」を持っていた……再発見の数多くの資料や新しい科学的データも交えながら、彼らの正体に迫る!

 

鬼・天狗が白人!?

鬼の絵と天狗のお面を見ると……そして驚くべき人類学の研究と

・まず、鬼の絵を見て頂きたい。これは江戸時代に描かれた鬼の絵巻物だが、絵の中央で首を切られている大男がその鬼だ。名を酒呑童子という。この絵では鬼の首は宙に浮き上り、また、左方の武人の頭に噛みつく、という図にもなっている。しかし、ここでこの鬼の髪の毛を良く見てみよう。あれ、……これは金髪ではないか?そして、目の色も良く見れば金色になっている。これはどういう事なのだろうか?

 

・次は、天狗を見てみよう。これらは天狗のお面だが、これらのお面は群馬県の迦葉山弥勒寺という、天狗の信仰で有名な寺に奉納されている大天狗面というものだ。この図では、中央と左方に大天狗面が、また右下に小さく、普通の大きさの天狗面も写っている。しかし、いずれの髪色も淡いが金髪に見える。また、図の大天狗面の髪も金髪だ。これらでは、目の色も金色になっている。

 しかし、鬼にしろ、天狗にしろ、この様に髪や目が金色なのは一体何故なのだろう?私達は金髪などというと……ヨーロッパ人のそれを想い出さないだろうか?また、ヨーロッパ人では金色の目の人も存在しているのだが……。

 

・実は驚くべき研究がある。今から十数年前に自然科学分野での専門論文として発表されたものなのだが、その中で「過去の日本列島に少数の白人系集団がやって来た可能性がある」という事が述べられているのだ。この研究は、東京大学医学部などの医学研究者達によって組まれたグループによる研究だった。

 その研究の事を次に、まず簡単に触れておこう。この研究グループでは。最初、人間の体内に寄生する「JCウイルス」というウイルスについて医学的な研究をしていた。すると、このJCウイルスのDNAの型(タイプ)が世界各地の人類集団によって少しずつ違っている事が分かって来たのだった。

 

・そこで、研究グループは、このウイルスのDNA型の違いを利用して世界各地の人類集団の「系統分け」を試みる事にしたのだ。こういう手法は、生物学(分子系統学)で良く用いられているものだ。

 そして、その結果、現代日本人の一部からも、ヨーロッパ人などの「白人」と対応している様に見えるJCウイルスの型が検出されたのだ(調査された日本人800余人の内の約2%)。

 

・そして、また、この研究グループが、日本人の中のこの白人対応と思えるウイルス型について、さらに詳しく調べてみると、このウイルス型が、ヨーロッパ人など白人の持つウイルス型と相似だが、少しだけ違いがある事も分かって来た。この事について、この研究グループは次の様に考えた。ヨーロッパ人など白人の持つウイルス型と日本人の持つ白人対応と思えるウイルス型とが「古い時代」に隔離したもの、と推測したのだった(この考え方は、この手の研究分野では、いわば情動的なものだ)。そして、この事をさらに進めて言えば、こういう事になった。白人対応のウイルス型を持っていた白人集団と、日本人の、白人対応らしきウイルス型を持っていた集団とが、古い時代に分れて別集団となった、という事だった。

 さて、この事から、この研究グループは以下の様な驚くべき推論を導いた。

少数の日本人の中から発見されたヨーロッパ人(白人)相似のウイルス型の存在は、古い過去の日本列島に少数の白人系集団が移住してきた事を示唆している

 つまり古い時代に、白人集団から分離した白人系集団が日本へ流入し、その後、この集団のウイルス型が、現代の日本人の中の白人型ウイルス型となった、とこの研究グループは考えたのだった。

 

・ところで、皆さんご承知の様に、この「白人」には、金髪、碧眼といった人達が大きい割合で含まれていた(碧眼とは青い目など、黒以外の色の付いた目の事)。という事は、過去の日本列島に、金髪、碧眼の集団が流入して来た可能性もあるという事に……なる筈だ。しかし、ここで思い出すのは、先の冒頭の、鬼、天狗の金髪、碧眼なのでは無いだろうか?

 

柳田国男氏の山人=異属説

・ところで過去、明治時代から昭和時代にかけて、民俗学者柳田国男という人がいた(1875-1962)。歴史の教科書にも載る位の大学者だったこの人が、実は、鬼、天狗などの問題に関係して、一つの注目すべき説を提唱していたのだ。柳田氏は、江戸時代を中心とした資料中に、「山中で一種異様な者に遭遇した」という話が多数残る事を見い出し、その集団を鬼、天狗、山姥の末裔と想像して、「山人(やまびと)」と名付けていた。そして、この「山人」について、「山人=異族説」とでも呼べる説を提唱していたのだ。

 この柳田氏と言えば、民俗分野でかつての大学者だったヒトラー総統で、しかもその人が自身の専門分野である民俗学で、山人や、また、鬼、天狗、山姥の資料を多数扱った上で、「山人=異族説」とでも言うべき説を唱えていた。これは見逃せない事ではないだろうか?

 

・柳田氏は、この山人達の、普通の日本人にはない様な「身体特徴」にも注目していた。彼の、この山人の身体特徴の指摘には、例えば次の様なものがあった。

 赤頭というのは髪の毛の色でそれが特に目に付いた場合もあろうが、顔の赤いというのも山人にはそれ以上に多かったのである或は平地人との遭遇の際に、興奮して赤くなったのかという事も一考せねばならぬが、事実は肌膚の色に別段の光があって、身長の異常とともに、それが一つの畏怖の種らしかった。地下の枯骨ばかりから古代人を想定しようとする人々に、ぜひとも知らせておきたい山人の性質である。

 

・柳田氏は上述の様に「山人」の身体特徴の指摘をしていたのだが、但し、この文では、その身体の特徴が「人種的特徴」だろうとか、山人が「人種的傾向」を持っているらしいなどという様な事は何も言っていない事がわかる。そして、彼の他の文献を見てもやはりそういう指摘は見つからない。しかし、それは彼の、自分は人類学の専門家ではないから、という学問的慎重さゆえだったのかもしれない。ただし、上述の様な山人の身体特徴の指摘は、それが人種的特徴であるかも知れない、と連想させるもので、それを暗に示唆していた、という言い方はできるのではないだろうか。

 

丹後大江山の鬼=外国人説

・ところで、柳田氏は、以上の説を突然、思い付いたものでもなかったのかも知れない。というのは実は、科学的には不完全なものとは思えても、鬼が外人ではないかや、白人では?或は天狗にもそういった説が柳田説以前から存在していたのである。それらは彼らの髪色や、そして、良くは分からないが、何らかの伝説などを元にか、そういう説が唱えられていた。そこで、以下、それらの説がどんなものだったのかを、いくつか見てみる事にしよう。

 まず、最初に見るのは、京都の丹後地方の大江山に昔住んでいたという伝説の残る鬼、この冒頭に出した「酒呑童子」という名の鬼なのだが、この鬼とその配下の鬼達が実は外国人ではなかったか、という説である。この説は、現在、この大江山周辺では比較的良く知られている説の様だ。ただ、説そのもののルーツはかなり古い様で、江戸時代に既にこの説を書いたものが見つかる。江戸時代の当地の地誌の中に、その鬼=外国人説が載っている。

 

・この様に、鬼とは「言葉が通じない」「衣服が人と異なる」(これは当時の普通の日本人のものと違ったという事か)者だったというのである。また、粗暴な性格だったともある。そして、こうした事から、鬼とは、日本人ではなく、外国より日本に上陸したいわゆる海賊だったのではないか、という説だ。

 ここで、鬼が海賊だったというのは、この著者(?)の想像の部分だろうが、しかし、「言語通じない」「衣服人に異なる」という部分はそうでもなく、少なく共「伝説」として書かれている様だ。その「伝説」の真実味は果たしてどうだったのだろう?

 

天狗の外国人説

・以上、鬼に関する外国人説を見た。しかし、鬼に少し似た存在としてか、日本には天狗という存在も伝えられて来た。そして実は、この天狗にも、鬼同様に外国人説があった。この天狗の外国人説は現在でも少しは知られている説だが、最初に唱えられたのは近い年の事ではなく、少し以前の事の様だ。筆者の知る、最も古い天狗=外国人説というのは、菊地晩香氏という人物が唱えたもので、これは、戦争よりも以前の時代に唱えられたものらしい。

 その菊地氏によると、天狗とは、昔、日本にやってきたユダヤ人だろうというユダヤ人は古くから中東やヨーロッパに居住していた民族だ。

 菊地氏が何故、天狗をユダヤ人だろうと言ったのかといえば、まず天狗が頭に付けている兜巾(ときん)と呼ばれる小さな黒い箱、これがユダヤ人の誓文筥というものと同じだという。そして、もう一つには、天狗は、棒状に突き出た鼻形だけでなく、いわゆる鉤鼻形の天狗も少なくないのだが、この鉤鼻がユダヤ人に見られる鼻形だというのだ。

 これらの理由から、菊地氏は天狗を日本にやって来たユダヤ人だと考えていた。そして、この天狗=ユダヤ人説は、現在では他にも証拠をいろいろと加えて、さらに日ユ同祖論者達によって唱えられている様だ。

 

 

 

「神仙道の本」

(秘教玄学と幽冥界への参入)(学研)2007/3

 

 

 

地球大気圏の某所の映像

・宇宙の根本神は、いうまでもなく天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)の造化三神だ。

 

・玉京山から放たれている「三色の霊光」というのがまさにそれで、神の姿は見えず、ただ中央の「水色にして五色を含みたる光」と左の「水色の光」と右の「白光」が、まばゆいばかりにキラキラと放電されているさまが拝まされるのみだという。そして、この神秘的な景観も友清流に言えば、地球大気圏の某所の映像なのである。

 

北極星のような隔絶の神界と比べると日界は、指呼の間だが、あの猛烈な光熱で、どんな霊も燃えつくしてしまうように思われる。水位は、日界には入り難いが、下に見たことはあるといい、城郭のようなものが数十あったといっている。

 

・地球に最も近い月界だが、ここは「もろもろの穢(けがれ)の往留る」根の国、底の国に当たる。そのため、神仙から月球人にいたるまで、全て地球より「遥かに卑しく劣る」そうで、かぐや姫のようなロマンチックな世界ではないらしい。

 

さまざまな神仙界

36天と大羅天><本邦神仙道のモチーフか

道教の36天説(元始天尊の坐す大羅天を最高天とし以下、玉清境、上清境、太清境の三清天、四種民天、仏教から取り込んだ三界(無色界、色界、欲界)の28天を重ねたモデル。

 

・日本の神仙道では、36天は道士のつくりごとだとして、ほとんど相手にしていない。

 

五岳真形図と五岳神界>(地球霊界の軸柱となる神界)

石城島(しきしま)霊界>(友清歓真(10歳のとき神隠しにあったといわれる)が赴いた理想郷

 

友清歓真が訪問した当時で人々は14万人。3ないし4つの行政区に分かれており、東部は科学的な研究機関、学校・工場などのある近代的な地域でアメリカの最新の意匠による別邸のようなものも建っている。

・東部と比べると西部は、鄙びた地域で友清と石城島霊界に招いた物故者の田畑氏は、20坪ばかりの菜園の世話をしていた。もっとも、肥料も水もやらないのに美しく立派な野菜ができるというから、世話というほどのこともない。

 

 

 

『神仙道の本』  (秘教玄学と幽冥界への参入)

(学研)2007/3

 

 

 

<仏仙界><神仙界と対立する妖魔の巣窟か?

神仙家が敬遠する世界

・山人界でもないのに、愚賓がでてきているのは仏仙界にも僧侶のなりをした愚賓が住んでいるからだ。ただし、仏仙界の愚賓は「無官」だそうで、「理不尽に愚人を誑(たぶら)かすから「愚賓者」とも呼ばれるらしい。利仙君によれば、極楽も仏も、みな愚賓が見せる幻術だというのである。

 

・仙界に出入りした神仙家は多いが、不思議なことに仏仙界については誰も中に入って見聞しようとしない。敬遠しているのは明らかだが、それも道理で、彼らは、筋金入りの仏教嫌い、仏仙嫌いなのだ。仏教に対する嫌悪感を最も露骨に示しているものもいる。

 

魔界と魔王><極悪の魔が救う禁忌の領域とは>

・魔界だけは、全くといっていいほど、探訪情報がない。

死後「極悪の人霊」となった魔王

魔に堕した悪霊を掌る魔王

・ 魔王の筆頭は、造物大女王という女魔で、天地開闢の際、積もり積もった陰気の悪気が凝結して生まれたという。

これに次ぐのが無底海太陰女王だ。

 

<宇宙の神仙界>

大気圏の外にも広がる神仙の世界

・実は、遠方の星の世界の状況が、この地球の大気圏内の或るところに影を映したような状況になって、そこへ行って来たからだという。

 

・この玉京山が紫微宮の中心の神山で、そこに天帝の住まう玉京山鳳宮がある。さらに玉京山の南方の海中には、宮殿楼閣を空に聳えさせている紫蘭島(しらんとう)があり、紫微宮神界の重要な施設が立ち並んでいる。

 

・毎年元日には、全世界の神々がこの島の紫蘭大枢宮号真光遊門という門の前に集まり、宇宙の根本神に拝礼朝賀するというのである。