UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

“プロジェクト・セルポ”というそれは、1980年代に来訪したエイリアンとの交換留学プログラムとして、選抜された12人のアメリカ人が惑星セルポへ向かい、その後数人を除いて帰還したが、すでに全員死亡したという内容であった。(1)

 

『天空のミステリー』

一柳廣孝 、 吉田司雄  青弓社  2012/1/1

 

 

 

映画『未知との遭遇』はどこまで本当か  ――UFO映画の謀略史観 小中千昭

・映画は現実の出来事やムードを反映して作られてきたメディアである。しかし一方で、映画が現実に影響を及ぼすという逆の現象をも生じさせてきた側面があった。

 

いびつな映画の成立

スピルバーグにとってUFOやエイリアンという存在は、アマチュア映画作家の頃から強い関心の対象だった。自主映画時代に製作した映画で最大規模だった『ファイア・ライト』は、後の『宇宙戦争』(2005年)と同様、エイリアンによる侵略の恐怖を描いた作品だった、らしいのだが、フィルムのほとんどが失われており、断片しか我々は観ることはできない。

『JAWS/ジョーズ』(1975年)に取りかかる前から、スピルバーグはUFOを描く映画を構想し始めたと証言している。当初はそう大きなプロジェクトではなかったはずだが、『JAWS/ジョーズ』が空前のヒットとなったおかげで、スピルバーグは一気に巨大な予算を動かせる地位に昇ってしまう。

 

・構想を練るうちに、単純にエイリアンと遭遇する物語ではなく、“コズミック・ウォーターゲート”と呼べるものへ発想を膨らませる。これはある意味で当然の帰結であった。当時も、いまもそうだが、UFOをめぐるさまざまな事象は、軍や政府によって隠蔽されていると考えている人が多いからだ。これに限って言えば、決して謀略史観ではなく、1952年、CIAの後援によって開催された、科学者グループからなるロバートソン査問会で、現実に報告されてくるUFO現象をいかにくだらないものかと演出する手法が提案されており、UFO現象を隠蔽・工作しようとしう意図があったことだけは公的に確認されている(実際におこなわれたのかどうかは不明)。

 

スピルバーグの構想をもとに、シュレーダーは『キングダム・カム』という脚本を書き上げる。ウォーターゲート的な政治スリラーの要素も捨ててはいなかったが、UFOとの遭遇にシュレイダーは、まるで神と邂逅するかのような宗教的象徴性を強く打ち出した、らしい(実際に読めるわけではないので伝聞である)。シュレイダーはカルヴァン主義思想の強い家に生まれ、そうした思想に強い反発と執着を抱いていたようだ。

 スピルバーグもそうだが、ジュリア・フィリップスが特に強くその脚本を嫌悪し、シュレイダーは相応のギャラを受け取り、この映画についてのすべての創案と権利、クレジットを放棄した

 続いて5人の脚本家が関わった後、結局スピルバーグが自身で脚本を書き継ぐ、スピルバーグ作品で自身が単独脚本としてクレジットされているのはこの映画だけである。

 

・原題である『第3種接近遭遇』は、著名なUFO研究者J・アレン・ハイネック博士の用語からの引用である。本人もカメオ出演し、特別コンサルタントとしてクレジットされているので、あたかも初期からこの映画に関わってきたかのように思われがちだが、実際には無断で自分の造語をタイトルにした映画を作られ始めたことを知った博士が、クレームをつけたところからこの措置がとられたのだった。結果的に、映画公開時のPR活動で、ハイネックが大いに貢献したとは言える。

 

映画が先か、事件が先か

・『未知との遭遇』がSFではない、という感触を与えているのは、説明が親切ではないところにもある。ぼうっと観ていると映画の物語はロイとラコームらの行動が単一時間軸で流れているように感じるが、デビルズ・タワーのミーティング・ポイントが判明してから、ラコームたちがどこまでの情報を得ていたかは描写されておらず、主人公ロイの行動描写よりも早い時期で、宇宙人歓迎プロジェクトは入念に進められていたはずだ。いつのまにか、エイリアンとの交換留学に旅立とうとするグループ(そろいのユニフォーム、サングラスをかけて非人間的に描かれている)が組織されている。結局エイリアンはロイだけを選ぶのだが、この描写の異物感はかなりのものがあった。

 実はこの設定にはもとになった話がある。1973年、映画プロデューサーだったボブ(ロバート)・エメネガーという人物が、UFOをテーマにしたドキュメンタリーを作ろうとしていたとき、ノートン空軍基地に招かれ、幹部軍人からあるフィルムを見せられたという。それは、71年、かねて予告されていたニューメキシコ州ホロマン空軍基地で軍が待ち構えるなか、UFOが着陸して会見をした記録だったという。軍人らはそのフィルムを公表することに期待をもたせながらついにその機会はなく、エメネガーは再現映像で補填して、74年に『UFO――過去・現在・未来』というテレビ番組を放送した。

 

・この話には続きがある。1983年、リンダ・モールトン・ハウというプロデューサー/UFO研究者(キャトルミューテレーション=エイリアンの関与が疑われた連続家畜殺害事件を最初に大きく報道した)は、カートランド空軍基地のAFOSI(空軍特別調査部)に属する2等曹長リチャード・ドーティに招かれ、同じようなストーリーを聞かされ、同じようなオファーを受ける(やはりフィルム公開はうやむやにされた)。ただ違うのは、ホロマン基地事件が起きたのは71年ではなく62年だということであった。

 ドーティが軍の情報部に籍を置く人物なのは間違いない。しかし下士官の立場で軍の基地のなかで機密情報を開示できるはずもなく、身分も詐称である可能性もある。1980年代にUFO界を真っ二つに割ったMJ-12文書の事件でも、ドーティは大きな役割を担っていた。90年代には矢追純一演出のUFO番組に出演したこともある。ドーティはこの時期のUFO界で、最大のトリックスターを演じていた。

 しかしこうした構図は1980年代以降、複数の報告者の話を総合してはじめて浮かんだことであり、77年の時制では一般にあまり知られていなかった。ホロマン基地事件の話を映画に盛り込んだのがスピルバーグなのかシュレイダーなのかは不明である。

 

・あの映画の話は、実は事実をもとにしているのだ――という囁きには魔力がある。まるでM資金詐欺のように、「とうていありえない」という疑いと「意外とあるのかもしれない」という期待が拮抗するのである。

 ことにUFOという現代神話と映画は、UFO事件発生当初から密接に関係していたレイ・ハリーハウゼンがコマ撮りの技法で飛ばせた『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956年)は、ティピカルな円盤型UFO像を定着させた映画だが、この映画はドナルド・キーホーの本をもとに作られていた。キーホーは元軍人だったが、軍が情報を隠蔽していると声高に喧伝した研究者だった。

 

・ハイネックを始めとする研究者らが受け容れることを断固として拒否していたのが、ジョージ・アダムスキーに代表される、人間そっくりの(キリストに似た)エイリアンとのコンタクト・ケースだが、彼らが会ったという金星人らの衣装は『地球が静止する日』(1951年)に登場するクラートゥのそれを模したかのように報告された。その頃までには、エイリアンの姿は図鑑が作られるほど多種多様に報告されたものだが、ある時期からはいわゆる“グレイ”の姿に統一されてしまう

 

・1970年代の終わりに、チャールズ・バーリッツがビル・ムーアの手を借りて掘り返した、47年のロズウェル事件で、小さな人間の死体が回収されたというエピソードが広まって以来、小柄な来訪者の姿というイメージが強まっていったのだと思う。宇宙人を揶揄する言い方で、“リトル・グリーンマン”というものがある。これは38年、オーソン・ウェルズが演出したラジオドラマ『宇宙戦争』における呼称だった。この疑似ドキュメンタリ形式のラジオドラマが大きなパニックを引き起こしたことはあまりにも有名だが、緑色の小型ヒューマノイドといったエイリアンの目撃例は、実際にはほとんど報告されていない。やはり、灰色なのだ。

 そしてその、グレイの姿を最も強烈に広めたのは『未知との遭遇』に間違いない。

 

この映画以降、目撃報告されたエイリアンの姿が固定化されてしまう。

 実際に報告された1955年のホプキンスビル事件では、耳のとがった異形の侏儒が、田舎の農家を襲撃したというものだったが、それをベースに作られたと思われるM・ナイト・シャマラン監督の『サイン』(2002年)では、大きな人間サイズの“グレイ”にしてしまっていた。

 

一方で、1990年代から急速に広まった陰謀論の一種に、権力をもつ政治家や資本家のなかには、人間の皮を被った爬虫類異星人レプティリアンなるものが紛れているという説があるが、私が知る限り、80年代のテレビシリーズ『V』(近年リメイクされた)が、そういう設定を盛り込むまで、そのような話を“事実”として語る者はいなかったはずである。

 

・これ以外では、初期アブダクション事件として知られたトラヴィスウォルトン事件を映画化した『ファイア・イン・ザ・スカイ/未知からの生還』(1993年)、1990年代以降にアブダクション事件を一挙に広める役割を担った、ホイットリー・ストリーバー(作家で被害当事者)原作の『コミュニオン・遭遇』(1988年)、バド・ホプキンス(本来が画家だが一連の被害者ネットワークを組織した)原作によるテレビムービー『イントルーダーズ/第4の遭遇』(1994年)といった作品群が挙げられる。

 アブダクション・ケースは、従来のUFO研究家だけでなく、人類学者のディヴィット・M・ジェイコブズや心理学者であるジョン・E・マックらが、本格的なフィールド調査をおこなっており、作話や錯誤以外による原因の可能性がある、という見解を提示したことでいっそうの関心を集めた。しかし、マックの著作を読み返してみると、インタビューイーの大多数が体験前後にテレビで放映された『イントルーダーズ』を見ており、あの番組が与えた無意識の影響をどうしても疑わざるをえない。

 

退化していく映画

・個人的に、『E.T.』には乗れなかった。理由はさまざまあるが、SFの匂いを払拭しようとして逆に濃厚なSF性をもっていると感じられた『未知との遭遇』と違って、ジャンル映画に収まってしまった感覚が大きかったのだと思う。いや『E.T.』以降、スピルバーグが描くエイリアンやUFOはすべて、ただの“キャラクター”でしかなくなった。

 余談になるが、この映画はホワイトハウスでも試写がおこなわれ、ロナルド・レーガン大統領はスピルバーグに「この映画がどこまで真実を描いているのか知る者は少ないだろうね」と言った――という都市伝説がある。その“真実”というのはまさか、猫を模式化したエイリアンのキャラクター性にあるのではないだろう。

『E.T.』の企画は本来、恐ろしいエイリアンの襲撃を描くホラー映画だったというのもあまり知られていない。

 

・UFO現象のルーツは諸説あるが、基本的には1947年のケネス・アーノルド事件が端緒と見るのが中庸だろう。80年代までにはさまざまな事象がクローズアップされてきた。これらの謎を一元的に解決するものがあるとすれば、それは『未知との遭遇』のようなファースト・コンタクト・イベントしかない。

 

・違うアプローチもある。UFOの遭遇史と、この50年ほどの間に起きた実際の出来事・史実とを絡め、何世代にもわたって描こうとしたのが、スピルバーグ総指揮によるテレビシリーズ『TAKENテイクン』(2002年)だった。しかし、このシリーズは実質的にレスリー・ボームという脚本家の創案によるものである。またこのアプローチには前例があった。『Xファイル』(1993――2002年)ヒットの影響下で作られた『ダークスカイDark Skies 』(1996年)というシリーズで、物語は1960年代からは始まり、MJ-12話を主軸に現代までを描こうとした作品だったが、視聴率不振のため、70年代で終了してしまった

 

・『未知との遭遇』に話を戻すと、1980年に『特別編』が製作・公開された。最初の公開版に不満があったスピルバーグは、UFO母船内部のシーンを撮るという条件で製作費をコロンビアから出させたと述べているが、素直に受け取れない。追加撮影で予算がかかっていそうなのは砂漠で船が発見される場面だが、あれがどうしても必要な場面だったとは思えない。

 

私自身について言うと、UFO現象にはとにかく心惹かれてはきたけれど、純粋に信じられたことはなかった。自身でちゃんと目撃していないのだから。

 

・ここ十年ほどの間に、UFOの存在はまったく輝きを失ってしまった。ネットで容易に動画が投稿・視聴されるいま、映像の信憑性がゼロ以下になっているあれだけ騒がれたアブダクション事件も、熱病が去ったかのように誰も“体験”しなくなった。

 

・2005年、アメリカのネットに匿名の諜報関係者による機密情報暴露メールなるものが公開され、一部で話題になった。“プロジェクト・セルポ”というそれは、1980年代に来訪したエイリアンとの交換留学プログラムとして、選抜された12人のアメリカ人が惑星セルポへ向かい、その後数人を除いて帰還したが、すでに全員死亡したという内容であった(日本語に翻訳されたサイトもあるので詳細は検索されたい)。

 この話がネットに現れるより前に、前出のリンダ・ハウが、交換留学者は3人で、1人は惑星で死亡、2人帰還したが1人は正気を失っており、もう1人は厳重な警備環境のなか孤独に生活していたが現在は死亡している――という。

未知との遭遇が、“大人の分別”で変質されていったのとは対照的に、ホロマン空軍基地事件のサーガは、いまなお成長し続けている。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。

プロジェクト・セルポ(Project Serpo)は、1960年代にアメリカ合衆国政府が秘密裏に行ったとUFO研究家らが嫌疑を掛けている極秘計画の名称で、レティクル座ゼータ連星系の惑星セルポへ、アメリカ軍人12名を交換留学に出したというプロジェクトの事を指す。開始当初は、「プロジェクト・クリスタルナイト」と呼ばれていたとも伝えられている。

 

概要

この情報は、「アメリカ国防情報局(DIA)の元職員」と称する匿名の人物が2005年11月からUFO研究家らへ公開し始めたEメールにより一般に知られるところとなった。

 

この情報に因れば、一般に「ロズウェル事件」として知られている、1947年7月頃にアメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル近郊で発生した2機の宇宙船(UFO)の墜落事件で、宇宙船と共に回収された一人の生きた宇宙人の協力によりこのプロジェクトが実現したと云う。

 

この宇宙人は、「イーブ(EBE = Extraterrestrial Biological Entity / 地球外生命体すなわち宇宙人)」と呼ばれ、1952年に死亡するまでアメリカ合衆国内の秘密施設で生存したと云われている。イーブは宇宙船から回収された通信機器を始めとする各種機器の使用法を地球人に説明した結果、惑星セルポとの通信に成功し交換留学事業が開始される事となったとされる。

 

交換留学事業は、1965年から13年間、10人の男性と2名の女性から成る特別チームを、アメリカ合衆国から惑星セルポの宇宙船で惑星セルポに送ったと伝えられる。情報によれば、留学チームの内1名は惑星セルポに到着前に宇宙船の中で死亡、そして1名が留学中に事故で死亡、2名は惑星セルポに残留を希望し居残り、8名が地球に帰還したと云う。帰還した8名は惑星セルポの2つの太陽の強力な紫外線によって既に全員が死亡しているという。

 

2007年6月14日に日本テレビより放送された「ガリレオの遺伝子」によれば、惑星セルポには約65万人のイーブ人がいる。惑星セルポには2つの太陽があり、そのうちの一つは地球を照らす太陽よりもはるかに大きいものらしく、この二つの太陽は同時に沈まず夜はないという。

 

原文

公開されたEメールの原文(英語)は、http://www.serpo.org/ にて誤字も含めた全文が公開されている。日本語に翻訳したものは、 http://serpo.dip.jp/ にて公開されている。

 

<●●インターネット情報から●●>

ウェブサイト「トカナ」から引用

「惑星セルポは地球から37光年も離れているということは、光の速度で飛行しても、たどり着くのは37年かかるということであり、往復すれば74年もかかってしまう。ところがセルポ星人の宇宙船は、片道9カ月程度で行き来できるらしいただ、メールで公開された留学生のメンバーの日誌によれば、航海中は時間の感覚が失われ、実際にどの位の期間で惑星セルポまで辿りついたのかは判らなかったという。

 この交換留学事業は、地球側からは1度行われただけだった。12人の交換留学生のうち、1人は惑星セルポに向かう途中、何らかの感染症にかかって死亡。惑星セルポに到着した後、事故で死亡した者も1名。そして、2名が地球へは帰らず惑星セルポに住むこと希望し、結局地球に帰ってきたのは8名だった。しかしこの8名も惑星セルポに滞在中、高い放射線を浴びてしまった事が原因で、2003までに全員が死亡しているという。またリクエスト・アノニマスの知る限り、1985年以降、セルポ星人は地球を訪れてはおらず、留学生交換事業は中断している」との記事です。

 

 

 

『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』

衝撃写真493点 エイリアンと人類の恐怖の真実

悪魔の協定か?ダルシー人体実験、エリア51のエイリアン、ピラミッド型のUFO登場、地球内部の異星人基地、フリーメーソンとNASAの陰謀

南山宏   双葉社  2010/7/14

 

 

 

惑星セルポとの極秘交換留学

アメリカ政府は、選り抜きの軍人12人を惑星セルポへと交換留学に送り出していた・・・。

 

・このイーブ1号が宇宙船の残骸から見つかった通信装置で故郷と交信し、相互理解を深めるための交換留学生計画が進んだという。その故郷がレティクル座ゼータ連星系の惑星セルポだ。

 

・留学メンバーを乗せ、宇宙船が出発したのは、1965年、彼らは、表向き行方不明者とされ、身元や記録が抹消された。ネバダ実験場にセルポの宇宙船が到着し、地球に残るセルポの留学生と入れ替わりに旅立ったのだ。

 

ふたつの太陽が輝き、地平線下に沈むことはほとんどない星で、大気や気圧は地球とあまり変わらなかったという。メンバーはあたたかく迎え入れられ、平等で穏やかな社会生活をつぶさに観察、体験することができたらしい。

 

8人が持ち帰ったデータや資料、高度科学技術を示す品々は、その後の米軍の科学技術の発展に寄与したようだが、彼らの肉体はセルポ滞在中に強い放射能にさらされていたため次々に病死したとされている。

 

大統領が異星人と交わした密約

・1954年のアイゼンハワー政権時代に、連邦政府憲法の抜け道を使ってエイリアンの一種族グレイと「グリーダ協定」と呼ばれる密約を交わしたというのだ。協定の内容は、エイリアンの先進科学テクノロジーを学ぶのと引き換えに、エイリアンが牛馬を捕獲し、人間にインプラント技術を試す実験を許可するという恐ろしいものだ。アメリカが標榜する人道的行為とは正反対の内容である。

 

・反人道的な密約に至った理由は、米政府の力ではエイリアンと戦っても勝てないため、相手の条件をのむ内容になったと告白している。

 

・実際、その後のアメリカ国内では、家畜類が不可解な死を遂げるキャトルミューテーションや人間が誘拐されるアブダクション事件も頻発した。

 

・元海軍の情報部員だったクーパーは、MJ12がアイゼンハワーによって創設されたこと、生きたエイリアンの写真が添付された資料に目を通した経験などを赤裸々に告白。

 

・密約を交わしたのは、大きな鼻が特徴のラージノーズ・グレイであることまで暴露した。

 

・MJ12絡みで爆弾発言を連発したクーパーだが、2001年納税拒否の逮捕時に撃ち合いになり警察に射殺されてこの世を去ってしまった。政府の巧妙な口封じだったのだろうか?

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウェブサイト「トカナ」から引用。

出口王仁三郎が予言した「火の雨」の正体がついに判明!! ロシアの最強核兵器「サルマト」による対日核攻撃の恐怖!

■ロシアの最新核兵器とピタリと一致! 予言的にも日月神示と一致!

 ここで私が思い起こしたのがロシアの最新鋭ICBM「RS-28」(別名サルマト)である。これに関しては、トカナでも過去に記事にしている。

 

※参考記事:宇宙から核弾頭の雨を降らせる“無敵”核兵器「サルマト」をロシアが開発! 迎撃は絶対不可、全地球を滅ぼせる… プーチンも大興奮!

 

サルマトは16個もの核弾頭を搭載し、その威力は40メガトン級という。つまり、広島型原爆の数千倍の破壊力である。2018年3月のロシア大統領選のキャンペーンにおいて、再選を狙うプーチン大統領は、西側のミサイル防衛システムを突破する「RS-28」を誇示し、あろうことか米フロリダ州を攻撃するCG映像まで演説会場で披露した。

サルマトは確かに異常なくらい巨大な核ミサイルである。

 しかも、西側のコードネームが「サタン2」。つまり「悪魔」なのだ!

 王仁三郎が70年以上前に「悪魔は今の原爆の何千倍もある奴や」と語ったことを思い出してほしい。ここまで的中していると、出来すぎていて、言葉も失う。

 そういえば、あの「日月神示」も「火の雨」に関してこんな予言をしていた。

「山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神住めんぞ、神なき所愈々ざぞ、ひどい事あるぞ、神がするのではないぞ、人間自分でするのざぞ」

 つまり、火の雨は人間の仕業だと語っている。

 明らかに王仁三郎の予言を補完している。私は「日月神示」が聖書にある「預言」(≒神から授かった言葉)と同質のものとして重視しているだけに、不吉極まる。

この予言は火の雨が降る「場所」まで言及している。何でも「山の谷」の(霊的に)曇ったところだとか……。日本の大都市はどこもそういう場所に思えなくもないが……。

いずれにしても、この先、どんな災厄が予測されていようが、私たちにできることは、大難を小難に変えるべく最善を尽くすことだけである。「先ず自分の心を立て替えよ」という王仁三郎の言葉を肝に銘じたい。

参考文献:出口和明『出口なお王仁三郎の予言・確言』(光書房)

(超常分野研究家・山田高明 個人サイト「新世界より」「フリー座」 )

 

 

 

『封印された日本古代史ミステリー』

日本史の通説がくつがえされる50の真説

久慈力   学習研究社    2008/12/30

 

 

 

歴史ミステリーの主役たち

英雄伝説、聖人伝説、復活伝説、身代わり伝説、すり替え伝説、影武者伝説など、歴史ミステリーには、さまざまな共通項があり、それぞれがつながっているようにみえる。なぜだろうか。

  歴史ミステリーの主役たち、そして、その主役を作り上げた人々は、騎馬遊牧民族、海洋航海民族、建築工人民族である。彼らは常に新たな放牧地、開拓地、植民地を欲していた。彼らは馬やラクダによる隊商を組み、帆船や漕船による船隊を組んで、季節風や海流を利用、われわれが想像するよりもはるか遠くまで移動した。彼らは自由に国境を越え、植民し、侵攻し、交易し、布教した。陸のシルクロード、海のシルクロードを開拓したのも、彼らである。日本列島に大きな影響を与えた古代のシュメール人ヒッタイト人、カッシート人、イスラエル人、スキタイ・サカ族、月氏族などが、これらの性質を持っていた。

 

・歴史ミステリーの主役たちは、シルクロードに植民ネットワーク、交易ネットワーク、宗教ネットワークを築いていた。したがって、彼らによって作られた歴史ミステリーもつながっていた。だから歴史ミステリーには共通項がある。お互いに関連しあっている。

 

法道渡来ミステリー

シルクロード混合宗教を一心に体現した法道仙人の伝説

・法道(ほうどう)といっても、あまりなじみがないが、日本の宗教、祭祀に大きな影響を与えている。法道仙人とは、どのような人物なのか。法道伝説というのは、どのようなものなのか。

 法道伝説には、生没の年がわからないとか、紫雲に乗って来臨するとか、天龍や鬼神を従えているとか、鉢を飛ばして供物を受けたとか、文字どおり伝説的な要素が多い。だからといって、法道伝説を全面的に否定しさることはできない。

 

・伝説に彩られているが、法道はインドにおいて、仏教、密教、呪術、仙道、ヒンドゥ教、牛頭天王信仰、東洋化したユダヤ教を修めた神仏混合の権化のような超能力者であり、日本の陰陽道修験道に強い影響を与えた実在の国際的な宗教家であった、と筆者は考える。

 

法道はインドから祇園信仰祇園祭を伝えた

祇園社感神院の縁起では、法道がインドから新羅を経由して、日本に渡来したと伝えている。そのためにスサノオ牛頭天王新羅からの渡来伝説が結びつくのである。新羅の商人もインドと東南アジアの交易に活躍していた。

 

・法道が生まれたとされるインドの王舎城は、マガダ国の首都で、釈迦が長く滞在して説法をしたところである。そこには法道の本拠地の聖なる山、霊鷲山という霊山もある。どちらも仏教の黎明の地であり、興隆の地であった。

 

斑鳩京ミステリー

シリウスを礼拝する方向が聖方位だ

驚くべきことに、すでに飛鳥時代ミトラ教シリウス信仰からくる聖方位が、日本に深く浸透していたのであるミトラ教とは何か、シリウス信仰とは何か、聖方位とは何かをまず、簡単に説明しておこう。

  シリウスとは、いわば「夜の太陽」である。地球からみれば、夜間に輝く星のうちで、最も明るく、最も大きな恒星である。太陽系から8.7光年という遠くに位置しているにもかかわらず、「太陽」といわれるくらい、大きく青白く輝いている。

 シリウスは、たとえば、ペルシアの首都ペルセポリスであれば、新年を迎える真夜中に真南から東に20度傾いたところに輝き、その光が差し込むのである。この傾きが聖方位といわれるものである。そして、この日にミトラが誕生したと考えられていた。

 

ミトラ教というのは、アーリア人の間に生まれた史上初の世界宗教である。かつてミトラ教を国教とした国々、ミトラ教が盛んであった国々の首都、主要な都市、たとえばギリシア、ローマ、ヘレニズム、メソポタミア(たとえばバビロン、デュラ・エウロポスなどの都市)、ペルシア(ペルセポリスなどの都市)等の宮殿、神殿、墓地、古墳、遺跡などの多くが、聖方位、すなわちシリウスの方向を向いているという事実がある。これは偶然といって無視することができるであろうか。

 

斑鳩京は聖方位の都だった

斑鳩京が聖方位の都である、と述べると、また、「信じられない」と叫ぶ人が多いだろう。まず、斑鳩京の弥勒信仰の寺院と考えられる斑鳩寺、中宮寺(原中宮寺)、法起寺法輪寺聖方位、ないしはそれに近い傾きを示し、斑鳩京の主な宮殿、斑鳩京、中宮岡本宮などが聖方位を示している。

 

斑鳩の地は、飛鳥京とでもいいうるような宮都として存在したのである。弥勒信仰(ミトラ教)に基づく宮都であったと考えられる。道路、水路、建物がいずれも聖方位、すなわち真北から西に20度、真南から東に20度傾いて造られているのである。

 

・しかも聖徳太子と関係があったと考えられる地域、関係があったと思われる寺社がある地域、たとえば田原元町や川西町、三宅町や安堵町の太子道は、はっきりと一直線に聖方位を示しており、それを意識した道路と考えられ、聖徳太子にちなんだいい伝えや遺跡が残っている。太子自身が、ミトラ信仰、弥勒信仰、シリウス信仰を持っていたと考えられるのである。

 

源氏ミステリー>

 新羅花郎の起源はインドの騎士階級クシャトリア

源氏のルーツは新羅花郎戦士団からインドのクシャトリア騎士団、さらにはメソポタミアのアーリア系戦士団にたどりつくというのが、筆者の見解である。

 

 新羅では花郎弥勒の化身とする花郎信仰が盛ん

弥勒信仰は朝鮮半島にも中国の北朝経由で新羅へ、南朝経由で百済へ広がった。新羅では戦士団の貴族(クシャトリア)出身の美男リーダーを花郎と呼び、彼らは弥勒の生まれかわりと考えられ、弥勒信仰が急激に浸透した。朝鮮半島では、新羅の真興王が、弥勒の世の実現をめざして、貴族出身の青年たちを花郎集団に組織したのである。

 

 新羅花郎集団が日本に亡命して源氏武士団になった。>

・908年に唐が滅亡し、唐貿易に頼っていた新羅も、高麗に攻められて滅亡した。このため新羅花郎集団は、日本に亡命して源氏武士団になり、その出自を隠すために、清和源氏の系譜を創作していくのである。

 

平氏ミステリー

平氏はインド・クシャトリアのマラ族が起源か

平氏の起源もまた、インドのクシャトリアが主流であるが、源氏とは系統が異なる。彼らの主力はアーリア人ドラヴィダ人の混血のマラ族である。さらにペルシア系の秦氏平氏を名乗っているようだ。平氏=Heishiは月氏と対応する日氏=Hishiからきているというのが岩田明氏の見解である。平氏赤旗はペルシアの国旗の赤旗と似ている平氏は主として海のシルクロードを通って日本列島に上陸、関西に拠点を築き、日本における百済系の平安王朝の傭兵になった。彼らは平姓を名乗り、桓武平氏などの系譜を作り上げた。

 

 平氏もインドのクシャトリアのいくつかの流れ

インド・クシャトリアの平氏にも、いくつかの流れがある。平将門は、カッシート系(アーリア系のカッシュ人)、藤原純友は、ヤードゥ系(カッシート人とカルディア人との混血で人種的には源氏に近い)、織田信長は、マラ族系(アーリア人ドラヴィダ人との混血)と見てよいだろう。関東の足利幕府の足利氏、鎌倉幕府の後ろ盾になった北条氏もまた、平氏の流れである。いずれもメソポタミアアーリア人がルーツなのである。

 

 武家の家紋はメソポタミア起源でインド経由

・以上の理由から源氏、平氏、さらには皇族、豪族などの家紋は、インドのクシャトリア騎士団、メソポタミアのアーリア系王侯貴族の家紋、紋章が多い。

 

・菊家紋は、天皇家菅原道真の流れをくむ諸氏の家紋で、インドの蓮華紋、輪宝紋に似ているが、もともとはメソポタミアの太陽紋が起源である。これはもともとシュメールの王家の文様であり、メソポタミアの諸王家もこの紋章を用いた。

 

渡来宗教ミステリー

 ミトラ教アーリア人の古宗教がルーツ

・本書では、聖徳太子斑鳩京、広隆寺上杉謙信などの章で、何度かミトラ教について触れている。ミトラ教は、正義、契約、盟約、真実などをつかさどる一神教であり、創造神信仰、太陽信仰、光明信仰、救済信仰、軍神信仰などの要素を含む。ユダヤ教キリスト教、仏教、ゾロアスター教イスラム教など、さまざまな宗教の土台になっている。

 にもかかわらず、ミトラ教がほとんど歴史的に評価されなかったのは、特に、ユダヤキリスト教世界によって、徹底的に黙殺されてきたからである。しかし、ミトラ教を理解することなしに、世界史の、そして日本史の真実を語ることはできないのである。

 

ミトラ教の起源は、先史時代のユーラシア大陸・東ヨーロッパに居住していたインド・ヨーロッパ語族、すなわち、アーリア系遊牧民であったヒッタイト、ミタンニ、カッシートなどの間に起こった宗教で、紀元前20世紀以前にまでさかのぼる。彼らの南下によって、ミトラ神がイラン、メソポタミア小アジア、インドなどに持ち込まれ、紀元前15世紀のインドの聖典リグ・ヴェーダ』、さらにはゾロアスター教聖典『アヴェスタ』にも盛り込まれたのである。メソポタミアでは、バビロンの主神マルドゥクと集合し、また、太陽神シャマシュと同一視された。