UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

朝日が水平線の彼方から昇り始める頃、二つの赤い光がガジュマルから現れた。その火の玉はそのまま天に昇ると、凄い速度で北の空に消えていってしまったという。(1)

 

『不思議な子どもたち』 ほんとうにあった怖い話

琉球怪談百絵巻   

小原猛、三木静  ボーダーインク 2013/3

 

 

 

琉球怪談」シリーズ

・この本は、琉球新報の小中学生新聞『りゅうPON』で「琉球怪談百物語 ほんとうにあった怖い話」として連載された作品をまとめたものです。毎週一話ずつ、私が沖縄中から集めた恐怖の物語を、三木静さんのイラストとともに紹介していくという本格的な怪談もので、日曜日の朝、沖縄の小中学生たちを恐怖で震え上がらせました。

 そもそも「琉球怪談」シリーズは、(沖縄にまつわる人々が実際体験した、摩訶不思議な綺談を取材し、まとめた)怪談実話です。

 

・連載開始と同時に、県内の小中学生からはもちろん、世代をこえて、子どもたちのオジイ、オバアからも「自分もこんな体験がある」というメールや手紙をいくつも頂戴しました。

 

それこそ、沖縄には百の人がいれば、百の怪が存在するのだ、と思った次第です。

 

原文修正;当ブログ

兵隊さんのいる美容室

・アキコさんが勤めている美容室の鏡には、時折おかしな影が映るそうだ。

 それまで幽霊など一度も見た事がないし、関心もなかったアキコさんだが、美容師としてそこに勤めてから1週間後に、おかしなものを見てしまった。

 お客さんが顔を洗うシャワー台の前の鏡にブーツをはいたカーキ色の兵隊が一人、恐ろしい形相で立っている。だが鏡の前には誰もいない。鏡の中にだけ、その兵隊は映っているのだ。

「キヤッ!」アキコさんがびっくりして声を出したので、すぐに店長が飛んで来た。

「あ、無視して、無視」店長がそっけなくアキコさんに言った。

 あとで話を聞くと、その兵隊は以前からこの美容室の中に出るという。

 

・ある時、店長のお母さんがユタを連れてやってきた。

 そのユタは「本土出身の兵隊がいる」と言い、日本酒と日本地図を買ってこさせ、小1時間ほど、その霊と話をしたという。その結果、どうやら四国出身の兵隊の霊がいたようで、ユタは霊に話をしながら、店の中から連れ出して、兵隊の霊を天国へと上げたという。

 それからしばらくは何事もなかったのだが、1ヶ月もすると、またおかしな影が鏡の中に映るようになった。

 店長が神棚を作り、そこに定期的に日本酒をお供えするようにしたところ、おかしな影は、ぱたりと見えなくなった。

 

不思議な子どもたち

・日曜日の午後、ユミさんが実家で一人、テレビを見ていると玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、赤い人形を抱えた小学生くらいの男の子が立っていた。「はい、何かご用ですか」

 ユミさんは男の子に声をかけたが、ニヤニヤと笑うばかりで何も言わない。

 と、ユミさんは男の子の顔がどこかおかしなことに気が付いた。目と耳が異様に大きく、目の端は耳のところまであって、口の中に生えている歯は全部黒かった。

 そんな子が目の前でニヤニヤしながら、じっとユキさんの方を見つめている。

 ユキさんはとっさに寒気を感じて、ドアを閉めて家の中に入った。だがすぐにチャイムがピンポンピンポンと連打された。

 あまりにうるさいので、ユミさんはもう一度ドアを開けた。

「やめなさい!」思わず叫んでしまったものの、ユミさんは玄関にいるものを見て、思わず悲鳴を上げてしまった。

 さっきと同じ顔、同じ服装の男の子が5人も、玄関の格子の向こうに立って、こちらをニヤニヤしながら眺めていた。その姿はまるで同じで、人間の姿とは思えなかった。

 

・ユミさんは怖さに震えながらドアの鍵を閉め、仏間に走っていって、死んだオジイに1日中助けを求めて泣いていたという。

 夕方、母親が帰ってくると、母親も、真っ赤な藁人形を持って部落内を走っている子どもの姿を目撃していた。

 それから近所ですぐに火事があり、4人が亡くなってしまう事故が起こった。

 あの子どもは火事が起こる前に現れるといわれているマジムンだと、その近所では今もうわさされている。

 

セキネと名乗った兵士

・戦時中の話である。

 佐久川さんは当時15歳だった。両親とも親戚ともはぐれてしまった佐久川さんは、右も左もわからぬ戦場の中を、とぼとぼと歩いていたのだという。

 そんな南部をさまよっている時、たまたま大きな壕が見つかったので、入ってみた。

 すると内部は、おそらく手榴弾で自殺したような、爆発して飛び散った民間人と兵隊の死体で溢れかえっていた。

 だが行く場所もなく、アメリカ軍に捕まると殺されると思ったので、佐久川さんはその壕の奥深くに隠れることにした。

 その夜のこと、である。洞窟の入り口が何やら騒がしい。人の話し声がするのである。

 おそるおそる起き上がってみると、昼間は死体がうずたかく積まれていた場所に、何人もの人間がかたまって、石像のように突っ立っているのが見えた。

 佐久川さんは声をかけてみたが、誰も返事をしない。

 と、一人の兵隊が話しかけてきた。

 兵隊は、自分は青森出身のセキネという者だと名乗った。

 佐久川さんは、その兵士としばらく話をしたのだという。

 そして彼から水を貰ったり、親切に言葉をかけてもらったりした。

 だが、朝になって起き上がってみると、もはや生きている人間は誰もおらず、セキネさんは、入り口近くに死体となって見つかった。

 セキネさんは、元から死んでいたのだ。

 佐久川さんの、忘れられない戦時中の体験談である。

 

見知らぬ少女

・小学校5年生のミドリちゃんが体験した、不思議なお話である。

 那覇市内のとある公園でミドリちゃんは、友達と遊んでいた。滑り台が付いているジャングルジムの上から砂場を眺めていると、知らない少女が一人、こちらを見つめてぽつんと立っているのが見えた。

 そのうちミドリちゃんは、滑り台を滑り下りて、その子に近づいて尋ねてみた。「ね、どこの小学校?」

 ところが少女は何も答えようとしない。

「ね、遊ぶ?」と聞くと、今度は「うん」とでもいう風にうなずいた。

 それからしばらくその少女は、ミドリちゃんたちと一緒になってジャングルジムで遊んだ。やがて夕方になり、一人、また一人と子どもたちは家に帰っていった。

 

・ミドリちゃんは両親が共働きだったせいで、あまり早く家に帰っても誰もいない。そのため6時を過ぎても公園にいると、とうとう見知らぬ少女と二人きりになってしまった。

「ね、家はどこなの?」

 ミドリちゃんが尋ねた時、その少女はいきなり「バイバイ」と手を振ると、凄い勢いで公園の真ん中にあるガジュマルの樹の上へと登りはじめた。

 その登り方というのが、とても人間わざとは思えない方法で、手を全く使わず、足だけでリスのように登っていったという。

 そしてミドリちゃんの目の前で、パッと消えてしまったのだ。

 

次の日、一緒にいた友達にそのことを話すと、誰もその少女を見たことがなかったのだということが分かった

「あれは……もしかしたらキジムナーだったのかも」

 ミドリちゃんは今でもそう思って、ガジュマルの樹の下で女の子に呼びかけてみるのだが、今のところ返事はないという。

 

 

出たっ、アカガンター

・大宜味さんの実家には、アカガンダーが出るという、昔からのうわさがあった。

 アカガンターとは、真っ赤な子どもの姿をした沖縄の妖怪である。キジムナーのようだが、家の中に出ることから、どうやらキジムナーとは違う妖怪のようだ。

 大宜味さんは子どもの頃からオジイ、オバアがアカガンターを見たという話を耳にタコが出来るくらい聞いていた。

 だが大宜味さんが、実際にアカガンターと遭遇したのは、今から20年前、10歳の頃だったという。

 

大宜味さんの実家は何もない北部の山の中にある。夏休み、することがあまりなかった大宜味さんは、実家で一人、マンガを読みながらゴロゴロしていた。実家の人たちは全員、菊栽培の畑に行っていて、家の中には10歳の大宜味さん1人だった。

 すると、誰かが木の廊下を「どんどん」と足を踏み鳴らして歩いてくる音がする。家のものが帰って来たと思い、与那嶺さんはぼんやり廊下に視線を向けた、その時。 廊下を、背丈は子どもくらいの全身真っ赤なものが、両手を上でぶらぶらさせながら、ゆっくりと歩いてきた。

 髪の毛も顔も全身赤かったのだが、顔には目も鼻もなく、ただ赤いのっぺらぼうのようだったという

 大宜味さんはそれを見た瞬間、アカガンターだと即座にピンと来たという。

 怖いという気持ちはなく、友達になろうと思い、すぐさま後を追いかけたが、アカガンターはそのまま廊下の突き当たりの壁の中に消えたという。

 

<お迎え>

・比嘉さんが肝臓の病気で入院していた時に、たまたま隣のベッドにいた佐久田さんというオジイと友達になった。

 佐久田さんの病名はわからなかったが、日中から咳がひどく、発作のような症状も時たま起こしていたが、二人は趣味の釣りの話で盛り上がり、退院したら一緒に離島に釣りに行きましょうとか、そんな話ばかりして毎日を過ごしていた。

 そんなある朝、佐久田さんの調子が悪くなり、いきなり看護婦詰め所の横のICUに収容されてしまった。その夜、比嘉さんが自分の部屋でテレビを見ていると、いきなりカーテンが開いて、ICUにいる佐久田さんがいつもの恥ずかしそうな笑顔で現れた。

明日、退院が決まったよ」とモゴモゴ言いながら、佐久田さんはすぐにいなくなった。

「えー、そうなんだ。良かったですね!」比嘉さんもベッドから起き上がって、すぐさま廊下に出てみたが、そこには誰もいない。

 

・おかしいな、と思いつつ部屋に戻ったが、その後深夜の3時くらいになってから、廊下がないやら騒がしい。

 そうっと廊下を見てみると、琉装姿の男女や見慣れない親族らしい老人が数人、佐久田さんのICUにぞろぞろと入っていくのが見えた。

 

・朝になってから比嘉さんは、看護婦さんから、佐久田さんが昨夜亡くなったということを、ボソリと聞かされた。

「昨夜、ご親族がいっぱい来ていましたよね」と比嘉さんが言うと、看護婦はおかしな表情で「いいえ」ときっぱり否定した。

 あの人々は佐久田さんを迎えに来た先祖たちだったのではないかと、今でも比嘉さんはそんな風に思っているという。

 

<城岳のキジムナー  其の一>

・これは祥子さんと、そのオバアが体験した、キジムナーにまつわる貴重な話である。

 那覇市楚辺には城岳のガジュマルという、それは大きな樹がでんとそびえている。

 祥子さんのオバアはその昔、この近所に住んでいて、オバアの、そのまたオバアから、この樹にはキジムナーが棲んでいるから、悪さをしては駄目だぞと言い聞かされてきた。

 ある日、まだ子どもだった祥子さんのオバアは、友達数人と一緒になってキジムナーを呼び出す術というものを、樹に対して行った。

 それはキジムナーの棲む樹の下に、小さな砂山を一つ造り、そこにミツマタになった枯れ枝をひとつ立てかける。その上にキジムナーの大好物の魚の目玉を置く、というものだが、当時のオバアは魚の目玉を手に入れることができなかったので、米粒をぱらぱらと砂山に何粒か置いた。

 

・さて次の日、友達数人と砂山の元に戻ってみると、驚いたことに砂山は潰され、白い三本指の足跡が延々とガジュマルの上まで続いていた。

 三本指! これはキジムナーに違いない。子ども時代のオバアは喜んで家に帰ったが、それから三日三晩、高熱を出して寝込んでしまった

 ユタが呼ばれたが、ユタは「キジムナーのせいだ。キジムナーは遊びで呼ばれた上に好物のものがなかったので怒っている」と告げた。

 そこで次の日、両親がガジュマルの樹の根本に魚の目玉を置いたところ、熱はすぐに下がったという。

 

城岳のキジムナー   其の二

・「これは本当の話だよ」オバアは、何かあるたびに祥子さんにこの話をして聞かせた。

「あの呪文は、どういう意味なの?」

「あれはさ、『シンニンヌカマ』は、ガジュマルの石のような根っこのことを表して、その後の言葉はよ、うちに来なさい、砂糖があるからよって、おびき出すわけさ」

「それじキジムナーが家に来るわけ?」

そうさ。昔はよく来よったけど、今はキジムナー、どこにいったのかねー

 小学生だった祥子さんは、自分もキジムナーが見たいと思い、オバアがやったのと全く同じ事を、友達と一緒にガジュマルの樹の下で行った。

 まず足跡が良く見えるようにくすねてきた小麦粉をその場所に敷き、小さな砂山を作り、ミツマタになった枯れ枝を立てかけ、そこに家の冷蔵庫の魚から取り出してきた目玉を何個か置いた。そして「キジムナー、いるんだったら出て来て魚の目玉を食べておくれ」と呪文のように言ってから、教えられた方言でもガジュマルに対してお願いを行った。そして友達のオジイから教えてもらったという線香を焚く方法も試してみた。

 

・さて次の日、学校帰りに友人と現場に戻って見ると、砂山もミツマタもそのままだったが、魚の目玉だけがきれいに取り除かれていた。

「これ、どう思う?」祥子さんが言った。

「もしかしたら猫とかマングースのせいかもしれん」友達が言った。

「でも足跡がない」

 犬や猫やマングースなら、何かしらの跡が残るはずである。祥子さんは不思議なことがあるものだと、その場にしばし佇んで、子どもなりの答えを探していた。と、その時である。

 いきなりガジュマルの上から何かがどさっと落ちてきた。一体何が落ちてきたのかわからない。だが次々にどさっ、どさっと落ちてくる。身体に見えない何かが当たり、誰かが背中を押すので、子どもたちはパニックになり、叫びながら慌てて家に帰っていった。

 

城岳のキジムナー   其の三

・家に帰って母親にその話をすると、烈火のごとく怒られてしまった。

あんたフラーだね。そんなことをしてキジムナーに呪われたら、大変だよ。あんたをユタに連れて行くなんて、お母さんまっぴらごめんだからね

 母親はどうやらキジムナーを信じているというよりも、ユタにお祓いをしてもらい、お金を出すのが嫌なようだった。祥子さんは子ども心にも、それだけは痛いほどわかった。

 だが話を聞いたオバアだけはニッコリ笑ってこう言った。

「さすが私の孫だね。で、キジムナーは出てきたのかい?」

 

・母親と同じように怒られると思っていた祥子さんは、逆にオバアに褒められたので嬉しくなってしまった。

「オバア、怒らないの」

当たり前でー。だってあんたはさ、学んだんだよ。あそこにはキジムナーがいて、そういうことはやっちゃダメだって、わかったさーねー。それが、人生では大事なんだよー

「ありがとう。オバア」

 

<キジムナーの引越し>

・戦時中、南部に住んでいた新城(あらぐすく)さん一家の庭には、大きなガジュマルが生えていた。そこには二人のキジムナーが住んでいたという。

 新城さんもキジムナーを何度か見た事があった。背丈は子どもくらい、赤い髪は長く、皮膚は赤茶色をしていたという。

 戦争が始まる前には、毎日のようにオバアたちがガジュマルに水と塩をお供えし、まだ子どもだった新城さんも熱心にウートートーしていた。

 そんなある日、戦争が激化しそうだという情報が入ってきた。新城さん一家も名護あたりに親戚がいたので、そちらに移り住もうかと考えていた時、夜中になってオバアが家族と親戚一同をガジュマルの根本に集めた。

キジムナーが、戦争が始まるから北に行くと言っている。だからここで待とうや

新城さんたちはその夜、明け方近くまで庭にいて、屋敷の軒に座りながら、じっとその時が来るのを待った。

 

やがて、朝日が水平線の彼方から昇り始める頃、二つの赤い光がガジュマルから現れた。イニンビ(遺念火・人魂)だという者もいれば、あれはキジムナーだという者もいた。その火の玉はそのまま天に昇ると、凄い速度で北の空に消えていってしまったという。

 

これをキジムナーのお告げだと解釈した一家は、そのまま名護の親戚の下を目指して避難した。そのおかげで新城さんは命拾いをしたのだという

 戦後、家のあった敷地に戻ってみると、家もガジュマルも破壊されて、何も残っていなかった。

 

 

 

『グソー(あの世)からの伝言』

比嘉淳子   双葉社    2014/7/30

 

 

  

<ユタ――人の厄を引き受ける霊能者>

沖縄には今なお活躍する「ユタ」と呼ばれる霊能者たちがいる。遺伝ないしは突然に現れた霊能力「セジ」によって、フツーに見えたり聞こえたりしない神に導かれる職業霊能者だ女性が多いとされるが、性差はなく、現在も生業としている人は数千人いるといわれる。2千円~1万円程度の相談料でハンダン(託宣)を行い、その内容によっては必要な場所まで出向いてさまざまな祈願を行う。

 沖縄には「医者半分、ユタ半分」という言葉がある。病気をした場合、医者に行くと同時に、ユタのところにも駆け込む。病気になった原因はなにかを問い、治癒の祈願をしてもらいためだ。

 

・ユタになるのは簡単なことではない。というより、できれば避けたいことだという。望んだわけでもなく、神々からの用事を代行するために選ばれてしまった、平たくいえば「神様のパシリのようなもの」とあるユタが語っていた。普通に暮らしていたのに、ある日を境に神々の声に先導され、理解不能な行動を起こしはじめる。この状態は「神ダーリ」と呼ばれている。周囲には理解されず、家庭不和や離魂、社会からの孤立といった苦労を背負わされる。ユタは他人の人生を左右する立場にあることから、その能力を与えられる前に、見えない世界から強制的に人間修行をさせられるという。神ダーリの状態から脱するには、霊的職能者の道を開くしかない。が、自力では困難で、ほとんどは先輩ユタに大金を支払って道を開けてもらうことになる。

 

・ユタにもそれぞれ「千里眼(占い)」「先祖供養」「神様とつながっての除災」「家相・風水」などの専門分野がある。その専門は、個々のユタの守護神や指導神から渡される能力別「帳簿」によって分かれているという。帳簿といっても、実体のあるものではない。ほとんどは夢のような形で託される。

 

・ユタになるというのは、ある意味、他人の厄を一切合切引き受けることでもある。事実、そのために命を落としたユタの話も聞く。似非ユタという行為で無責任にハンダンし、お金をむさぼり取れば、自らを取り返しのつかぬほどに陥れることになるのだ。

 いずれにせよユタに力を借りる時は、語られることに柔軟に耳を傾ける一方で、最終的には自分で道を決める、依存しない力が必要なのだ。

 

<「お知らせ」――先祖は祟らない>

沖縄では大なり小なり、不穏な事や不幸事が起こると、それを目に見えないものからの「お知らせ」だとする考え方がある。

 ひと言で「お知らせ」といっても、そのかたちはいろいろだ。夢見が悪いといった軽症から、体調不良や仕事の不振、事故やケガ、子どもの非行、離婚など、普通に生活していれば誰にでも起こりうる災難が「お知らせ」と称される。

 

・つまり、「お知らせ」は先祖の祟りではなく、信号。その信号がわかりやすいように、非日常的なことが起こるというわけである。また、そうした信号が送られてくる根本には、子孫たち、つまり自分たちの「不遜な行い」があることにも気づかなければいけない。

 

・「線香どぅ孝行――線香をあげる気持ちこそが孝行

 この黄金言葉が教える通りに、たった一本の線香でも、それが真心込めてあげられたものならば、御願が不足するということはないのだ。老ユタはこんなことも言っていた。

「亡くなった人を想う純粋な心は、あの世のご馳走や光になる」

 そしてもうひとつ、先祖が喜び、その孝行度が高まるのが、「家族・一族の和」である。年忌やお盆の時に親族が集まり、みんな笑顔で、それぞれに線香を手向ける。こうした家族に「お知らせ」や「御願不足」の気掛かりはない。

 

ノロ――琉球王府の公職神女>

・「ユタ」と混同されがちなものとして「ノロ」という言葉を聞いたことがあるだろう。ユタは民間の職業霊能者なのに対して、ノロは公職神女琉球がまだ統一される前、各地を按司あじ)と呼ばれる支配者が治めていた時代から存在する。ノロ制度が確立するのは琉球王朝時代に入ってからだが、祭政一致政策を要とした琉球王府において重要な役職だった。

 ノロに任命されるのは女性のみ。あくまでも世襲が原則だ。ノロ制度のトップとなるのは、王家の女性が就任する「聞得大君(きこえのおおきみ)」で、その下にノロとなった各地の士族の娘たちが、ピラミッド型で組織されている。国や配属された間切(地域)で祭祀や来賓の接待、しきたりを伝授する役目を担っていた。言い換えると、ノロは信仰によって地域をまとめ、文化を承継する役職だったのだ。

 世襲制ということからもわかるように、必ずしも霊能力を有するとは限らない。しかし超自然的な存在と交信し、託宣を受け取るというシャーマン的な役割は附随している。琉球王朝終焉後、公職としての神女制度は消滅したが、その後もノロは存在し、その役割を担っていた。現在では後継者不足から活動の場も失われ、「ノロ」は形骸化している。

 

<本書の「言の葉」>

・(チジメー)漢字では「霊前」などと書かれる。守護霊のことだが、単に守護するというのではなく、ノロやユタといった霊能者を教え導く特定の神や先祖の霊のことをいう。

 

・(マブイ拾いの儀式)方言では「マブイグミ」という。マブイを落としたと思われる現場に、供物や線香、マブイを落とした人の下着を持参し、マブイを拾い上げる祈祷を行う。落とした場所がわからない場合は、家の中の神様のうち最強といわれる神様が守るトイレで行う。

 

・(キジムナー)樹齢百年近いガジュマルなどの古木に宿るキーヌシィ(木の精)。3歳から5歳ぐらいの子どもと同じ身長で、赤銅色の肌に赤い髪をしている。人間が大好きで、いたずらや相撲が好き。魚の目玉が好物で、タコが苦手。

 

・(マジムン「妖怪」を表す方言。キジムナーもマジムンの一種。そのほかに赤い毛むくじゃらのカッパのようなケンムン、妖術を使って女性をたぶらかす蛇の妖怪アカマターなど、沖縄にはたくさんのマジムンがいる。

 

・(火の神)方言では「ヒヌカン」。台所に祀られる神。その家の家族を護る神様で、沖縄では昔から「ヒヌカンとトートーメー(先祖・仏壇)は一対」といわれ、この両方が大事にされてきた。

 

・(今帰仁城琉球王国以前、三山王時代の北山王統の居城。15世紀前半に第一尚氏王統二代目の国王・尚巴志(しょうはし)に滅ぼされる。本島北部の本部半島・今帰仁村に城跡があり、世界遺産となっている。

 

・(アマミキヨ琉球神話の開闢神。アマミク、アマミキュ、アマミチューなどとも呼ばれる女神。アマミキヨにまつわる開闢神話はさまざまにある。男神シネリキュとともに国及び人々の祖を生んだとする話や、アマミキヨひとりで開闢したとする話も伝わる。

 

・(チジタカサン)漢字では「霊高い」などと書く。霊力が強い、力のある霊がついていることをいう。神々や先祖の想いが深い沖縄には、チジブン(霊の職務)、チジマサイングヮ(霊の勝る子)など、「チジ(霊)」の付く言葉が多い。

 

・(屋敷の御願)沖縄では家や敷地のさまざまな場所に神様が宿っているとされている。敷地の東西南北、門、玄関、家の中央、床の間、便所、そして台所のヒヌカンと、複数の神々が力を合わせて家屋敷を守る。

 

・(香炉)沖縄では香炉は、ただ線香を立てるためのものではなく、神や祖霊との通信媒体となると考えられている。

 

・(アメリカ世)第2次世界大戦に敗戦した1945年、沖縄はアメリカの施政権下に置かれ、それは1972年の本土復帰まで続いた。その時代をアメリカ世という。

 

・(十・十空襲)大戦中の1944年10月10日、沖縄本島をはじめ、南西諸島に向けて行われた米軍による大空襲。早朝から午後4時過ぎまで続いた。なかでも本島は主要な攻撃目標とされ、1日の間に5回もわたって攻撃がくり返された。5回目の攻撃は那覇市に集中して行われ、600人以上の死傷者を出し、市の90パーセントが灰燼に帰した。

 

マブイ――人には7つの魂がある

・沖縄では「生き物には複数の魂が宿っている」といわれ、魂を沖縄の方言で「マブイ」、「マブヤー」と呼ぶ。人に宿るマブイは7つ。犬や猫は3~5つ、植物にも1~2つのマブイがあるといわれる。死後、生体が失われた後もマブイは存在する。そして、未練を残したマブイはこの世を彷徨い、「マジムン(妖怪・幽霊)」になると考えられている。

 実はこのマブイ、生きている体からも案外簡単に落ちてしまうのだ。転んだり、驚いたり、怒る・傷つくなど激しく動揺したり、そんなことで抜け落ちてしまうことがある。特に子どものマブイは癒着が緩いので、落ちやすいといわれている。

 

・あるべきマブイが落ちてしまうと、当然のことながら不都合が起きる。脱落した状態が長く続くと、腑抜け状態、病気、不運などの症状が起こるとされている。元気だった子どもが突然、何日もボーッとしているので心配していたら、すっ転んだショックでマブイを落としていた、などの話もよく耳にする。マブイが落ちるというのはなにも沖縄だけの話ではない。本土に行って電車に乗った時など、人々を観察していると、正直、「マブイが落ちていそうだな」と思うような精気のない人々をよく見かける。

 落ちてしまったマブイは拾い戻さなければいけない。しかも、できるだけ早急に。なぜなら、マブイを再び定着させるためには、その鮮度が重要だからだ。そのために、沖縄にはマブイ収拾に欠かせないまじない言葉がある。

「マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー(魂、魂よ、追いかけて来なさい)」

 ビックリして「あっ、マブイが落ちたかも ⁉」と思った時に有効だ。地面からマブイを拾い上げ、自分の胸元に戻すような動作をくり返しながら、このまじないを3回唱えるのだ。子どもが落としてしまったようなら、大人がやってあげればいい。

 

・7つのうちひとつぐらい落ちてしまうことは、日常でもままあるようだが、事故など命にかかわるような衝撃を受けた場合、マブイが一度に複数脱落してしまうといわれている。こうなるとまじない言葉だけではすまされず、交通事故現場などではユタにおる「マブイ拾いの儀式」を見かけることがある。祈祷の専門職に頼んで、落ちてしまったマブイの数々を拾い上げてもらい、本人に戻すという儀式だ。

 

<土地――これもまた生き物である>

・沖縄には「人が住めない土地」と噂される場所がいたるところにある。こうした噂には「あの世のものが我が物顔で彷徨っている」という話が付きものだ。それは地上戦という不幸な歴史を背負った島であることが一因だろう。我が家も激戦地から至近距離にあるが、酔いざましにと丑三つ時に歩いて帰っても、恐ろしいものに遭遇したことはない。

 では、「人が住めない土地」とはどういうところだろう。

 昔から沖縄では、墓地や火事の跡地に家を建てると繁盛すると伝えられる。年配者に聞いた話だが、墓地の住人は元人間だから、話のつけようでは立ち退いてもらえるし、なかには家族が増える感覚でにぎわうことを喜んでくれることもあるという。火事の跡地はすべての厄も焼き尽くされている、つまり厄の「更地」状態であることから、縁起のいい土地になるのだそうだ。

 

・沖縄で人が住めない土地といえば、聖地の「御嶽(ウタキ)」である。人はどんなに逆立ちしても、神様に勝てない。神々がいらっしゃる御嶽は、地の底まで神のものであるといわれる。どんなに立ち退きを祈願しても、いつかどんでん返しがあるので、神の地は触らない。「触らぬ神に祟りなし」の言葉通りである。

 沖縄では、「土地は生き物である」とみられている。初めから意気投合する土地もあれば、反発し合う土地もある。たとえば、都市生活に慣れた人が憧れだけで田舎暮らしを始めたとしよう。住んでみてわかるその不便さに、愚痴が多くなり、その土地がキライになることだってあるだろう。そうなると土地のほうも黙ってはいられず、追い出しにかかる。これも、「見えない世界と人間界の包括的生活困難区域」誕生の一因である。

 

・この関係を知っていた沖縄の先人は、年に3回、旧正月明け・お盆の後、年の終わりに土地神に供物を捧げ、日々の感謝をし、周囲との和を祈願する。手を合せることで、平和に住む家があることのありがたさが再認識できるのだ。

 

<サーダカ――失われつつある力>

・沖縄には「サーダカ」と呼ばれる人たちがいる。「サー」は霊力、「ダカ」は高いという意味。つまり、「霊的能力が高い人」と解されている。

 サーダカにもいろいろランクがあるようで、「正夢をよく見る」といった多数派から、「視えないものと対話できる」「迷える人を助けるために、いつでもどこでも神様と交信できる」という少数派まで、さまざまだ。

 サーダカと呼ばれる人によると、死者(元人間)は生きていた時と同じ性格で、死んだからといって仏のように悟るわけではないとか。不平不満もあれば、焼きもちもやく。サーダカたちはその愚痴の聞き役になり、時には辟易させられるとボヤく、なかには表現がヘタな元人間もいて、置かれている苦境を示すために、あえて血みどろな姿で、いかにも「幽霊でござい」といった演出で登場することもあるそうだが、サーダカの人によると、「いちいちその姿におののくようではナメられるだけなので、強気で対峙するのがいちばん」だという。

 

・一方、神様とのやり取りがあるサーダカの人によれば、神々は語れる時も神々しく、ほどよい光を放ちながら、よい香りを漂わせているという。話す声はかの高貴な御一族の記者会見のような楚々としたトーンで、内容も上品でわかりやすく説明してくれるそうだ。

 こうしたサーダカなる体質は突然に起こることもあるが、遺伝的要素も大きいらしい。この科学万能主義の時代に、「サーダカ」というものをどう理解したものか、考えてみた。

 これは人間が本来持っていた能力であり、防衛本能なのではないだろうか。人間も自然界の一生き物でしかない。太古の先祖は自然を「神」と置き換え、荒れ狂う神々を畏れ、豊穣をもたらす神々に感謝し敬い、そして神々の声に耳を傾けてきた。太古の時代、こうした意識や力がなければ、ちっぽけな人間はその種を守り存続していくことなどできなかっただろう。つまり、自然=神の声に反応する研ぎ澄まされたアンテナは必要不可欠だったのである。

 文明の発展とともに、人はこの能力を手放していくことになる。ところが、一部に、その原始的ともいえる能力を残した人たちがいた。それが「サーダカ」といわれる人たちなのではないだろうか。