UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした見方のあることはおもしろいことです。(1)

 

『河童・天狗・神かくし』   現代民話考1

松谷みよ子   立風書房    1995/7

 

 

 

日本民話の会

・1978年、私どもの「日本民話の会」は『民話の手帖』という全国誌を発刊した。そのとき私は天啓のようにこの雑誌に依って現代の民話を集めようと、思いたった。

 

(原文修正;当ブログ)

天狗考

・天狗話の次の出合いは我家に来ていた山形県及位(のぞき)の娘さんから聞いた話で、大正の末頃、新庄の娘が行方知らずとなったが、数年後、新庄の祭りに蓑を着て現われた。天狗のかか(母)になっていたといい、その顔立ちのあまりにも若く美しいのに驚くと、天狗に年一度脇の下から血を吸われるからだ、こんなことをしていると天狗に叱られるとて逃げ去った。娘たちは親の家の炉端に詰めかけて報告したという。

 

・そして昭和54年、長野市で天狗のオーケストラなる話を聞き、ついで小さな瓢箪(ひょうたん)を持って酒買いに来た天狗の話を聞く。いくら注いでも酒はこぼれることなく瓢箪に入っていく。そのさまを酒屋の幼い娘はまじまじと見ていたのである。古峯原や御嶽の天狗の不思議は昨年聞いた。

 私の出合った天狗話だけでも、明治からつい近頃、昭和という時代に生きた人びとが、真実あったることとして、天狗の話をしてくれる。そして今あげたいくつかの話からでも、天狗の持つさまざまな側面を見る心持がするのである。

 では、天狗とはいったい何者なのであろうか。自ずから問いかけが生じるわけだけれども、いまここでその歴史や性格を述べつくすことができようはずもなく、ほんの概要を記すことでお許しを得たい。

 

・いずれにしても深山で音もなく打ち上げられる花火、山々をゆるがす笑い声は体験をした者をして深い怖れを抱かせ、神霊の存在を思わせずにはいられなかったのであろう。

 次に山人の存在があった。山人とは山で生活する者をいい、普通の農民とは生活が異なるだけに、村人らはある恐れをいだいた。しかし異民族とはいい難いというのが通念である。昔は各地方に鬼のような山人がいたとされ、役行者に従った前鬼・後鬼もそうだという。

 

・いたずら好きといえば井口文秀画伯の生家である富山県の光栄寺の天狗は有名で、7年間姿を見せぬままに寺の者を脅かし、ほうき、皿、小鉢を踊らせ、戸障子をばたばた倒し、火をめらめらと走らせ、畳までもしまいに躍らせた。こちらの話は筒抜けで返事の手紙が降ってくる。大変ないたずら者であったという。

 しかし一方では天狗の八つ裂きの例話に見られるように、訳なく首を引き抜き手足をもぎとる。天狗という者は、かなり残酷な妖怪なのであろうか。

 

神かくし考

・私が神かくしの話を初めて聞いたのは昭和28年頃だったか、結核で入院しているときであった。同室の江藤鈴子さんが小学校6年のとき、修学旅行の帰りに友達の姿が見えなくなった。神かくしにあったといって探し回ったが見つからず、翌日川向こうのお宮にいたという。冬のさなか川を渡り歩き回ったのに風邪一つひかず、何かにとり憑かれた様子だった。人びとは狐の仕業かといったという。

 この鈴子さんという人は生来の語り手で幼い日をよく記憶しており、大分でのさまざまの出来事の中にこの話はあった。

 

捜索隊の体を縄で全員繋ぎ、これ以上神かくしに遭うことのないよう、点呼をしながら進むというのである。神かくしを怖れる村人の鼓動が聞こえてくるではないか。このたびの話の中にも近い例はあって、千葉の九十九里では晒一本に手をかけて離れぬよう並んで探し歩いたという。

 他の地方の例を見ても、捜索には似た風習が多い。鉦と太鼓をたたく、一升瓶をたたく、茶碗をたたくなどが多く、呼ぶ声も太郎かやせ子かやせ、次郎太郎かやせ、オラバオ、オラバオ、山の神様、〇〇さんを出したもれ、また単にかやせかやせなどであるが、全国にこうした風習があることも、考えなくてはならない点である。

 

・木樵りの幼女が行方不明になり、探す声をこれも友人の小沢清子さんが聞いている。新潟の出来事で父母は狂気のように探しまわり、狐の穴に赤飯を供えて歩いた。やがて探しつくした頃幼女は眠ったような姿で発見されたが少しもやつれた様子もなくまるまるとしていて、ただ体中にかき傷があったという。既にくり返し探しつくした所に横たわっていた幼女が、行方不明になってから何日も経つのに、何故ふっくらと肥って肌もつやつやとした顔で死んでいたのか。町の人は「子をなくした狐が、あんまりその子が可愛げで、さらっていって養っていたんかねえ」と言いあったという。

 

・夕方カクレンボしているうちに一人の女の子がいなくなり、探しつかれた頃お堂の下で泣声がした。そこは囲ってあって床下も低く人の入れるはずもない。周りをぐるぐるまわって叫んで、ひょいとみたら泥だらけのその子が泣いていた。どこから出てたか判らない………。

 この話を語ってくれたのは群馬県藤原郷の浜名マサさんである。

 

・江戸時代の記録では、讃岐高松藩の目黒下屋敷のお庭番が午後二時頃、天狗に連れられて飛行、その夜の八時に高松の父の許に帰された。国と江戸との照会文書ではっきりしているという。江戸と四国では歩くにも歩きようのない距離である。これなども一笑に附せば附せられるかもしれないが、青梅の話などを聞いた私には、作りごとと思われない不思議を感じるのである。

 このように私の聞いた神かくしだけでもさまざまな形があるのだが、もう一つ看過できない神かくしの一面に、山人、または天狗との婚姻があって、これは柳田国男の『山の人生』に詳かである。

 

・陸中南部の農家の娘が栗を拾いに山へ入って帰らず、親は死んだものとあきらめて枕を形代に葬式をする。2、3年過ぎてから村の猟師が五葉山の中腹で此の女に行逢って驚いた。女の言うには自分は山で怖しい人にさらわれ、一緒に住んでいる。そういう中にもここへ来るかもしれぬ。眼の色が怖しくて背が高く、子供も何人か産んだけれども似ていないとて殺すのか棄てるのか皆持っていってしまうと語ったという。

 また同じく五葉山で同じような話を語り、猟師にすぐ帰ってくれというのに、猟師はここで逢ったからには連れて帰ると手を取って山を降りかかったところを、いきなり後から恐ろしい男が飛んできて女を奪い返し山へ入ったと語る者もいて、これは維新前後の出来事であったらしく娘の父は生存していると家の名まで明らかにした。これは喜善の報告という。

 

天狗による神かくし

〇昭和47年の旧7月25日、盂蘭盆の日、この日は地獄の釜のフタのあく日で、「山川に入ったらいけないよ」というのに子どもは暑いので、前の谷川でボシャボシャはしゃいでいた。家の孫も六つで豊というのが行こう行こうというので連れていった。なかなか遊びをやめんので田の水加減を見に一寸そこを離れたすきに、豊の姿は見えなくなり、部落中の騒動になった。次の日の昼すぎ、佐賀町ごしの峠の近くで見つかった。

 

・背負って帰ってくる道々「ひだる(ひもじい・空腹だ)かった」といい、誰と来たかときくと「天狗のおんちゃん(おじさん)と来た」と言うたそうだ。   (高知県

 

福島県南会津郡。星盛氏という人の親類の人が神隠しにあったので山々を捜し歩いたが見付からない。4、5日して親類の者が一人古峯神社へ詣って許される事を願った。ちょうど代参の者が古峯山へ着いたと思われる頃、村近くの山に蒼ざめて立っているのを発見された。その人の後の話に、夜は村の山にいたが夜明け頃になると小鳥のようなものが現れて、俺と一緒に来いというので、これについて行くと隣村の山へ入った。その小鳥のようなものは尻ぺただけ見えて他はわからなかったが、発見される日に天狗様が現れ、汝はここに居ては悪いから村へ帰れと掴まれて投げられ、しばらく飛ぶうちに人々に見付けられた所に落ちたという。

 

群馬県甘楽郡甘楽町秋畑。明治のこと。少々頭脳の弱い子が、ある秋の夕方突然家から姿を消した。村中で近くの山や町を尋ねたが、全然見つからない。次の日も次の日も、と捜したが、矢張り見つからなかった。約半月すぎて、ひょっこり村の辻の所へ着物が少しボロになって立っていた。家へつれて帰って「今迄どこへ行っていたか」と尋ねると、「天狗に突然連れて行かれて、大きな都市のあっちこっちの名所を回ってきた」といったと言う。妙義山の天狗とも、白倉神社の天狗ともいった。

 

群馬県多野郡。昭和のこと。山村のある人が突然行方不明になって神かくしではないかとされていたら、天狗にだまされて山の中で発見された。

 

群馬県利根郡水上町湯原。明治39年8月の話。湯原の須藤長松さんが寝ていた。ところが突然消えてしまい、家の人をはじめ近所から村中の騒ぎとなり、手分で川、沢、山から橋の下まで探した。5日間みてまわったが見付からずついにあきらめた。(省略)その後本人に聞いてみると茶の間に寝ており、起き出して家と倉の間までは覚えているが、その後の記憶は全然ないと言っており、夏の暑い日に5日間も飲まず食べずにいることは考えられない。よく問いただすと食べた覚えはないが、おもゆのようなものを飲まされ、谷を飛べ飛べと言われたようだったと言っており、体には見たこともない毛が何本もついていた。そこで人々は、長松さんは天狗にさらわれたんだろうということになった。その後1ヵ月ぐらいで死んでしまったが、死んだその晩は非常に大きな雷鳴があり、村人は天狗の仕業だと恐れたという。

 

群馬県。明治の頃の話。埼玉県与野市の者が榛名神社へ参詣に行ったが、ある者が急にいなくなってしまった。山中いたる所探したけど見つからず、仕方なくみな帰ってきた、何日かして、うすのろのような状態になってその人は帰って来た。どうしたのかと尋ねると、天狗さんにつれて行かれたという。(中略)それでその人は天狗さんの面を彫って榛名神社に奉納した。今もその面は残っている。

 

〇埼玉県入間郡。明治のこと、日向和田山の隣りの富士山で知られる小瀬名部落の若者が、ある日突然見えなくなってしまいました。これは天狗がくしにあったのだと、部落中総出で鐘太鼓をたたいて付近の山野をくまなく捜しましたが、どうしても見つかりません。ところがそれから半月もたって、その若者はボロボロの着物で気が抜けたようにひょっこりと戻ってきました。どうしていたのかと尋ねますと、夜は天狗に連れられて山中を歩きまわり、昼は木の上に寝ていて食事は天狗がどこからか草や木の実をもってきてくれたと話したそうです。昔小床(こいか)の人で、子ノ山で茶店を出していたおかみさんも、水汲みに行って天狗がくしにあい、気違いになってしまったといいます。

 

〇埼玉県入間郡。名栗の森河原の浅見常次郎さんは、実家の青場戸へ行った帰り、夜道になって豆口峠の上にきました。すると見上げるような大きな坊さんがいて、ついて来いと言うので行くと、岩上に立って向こうの山まで飛んでみろと命令するのです。浅見さんは、もし飛ばなくてもどうせ殺されるかも知れないので、死んだ気になって飛んでみるとアラ不思議、鳥のように軽軽と飛べるのです。そうして彼は大坊主と一緒に一晩中あちこちの山を飛び歩き、夜が明けて気がついた時はぐったりと疲れて、もとの豆口峠の上にいたそうです。これも短時間の天狗がくしなのでしょう。

 

〇千葉県木更津市鎌足の人なんですけど、子供がいなくなっちゃったんです。探していたんですが、なんか近所の人が寄って探してもですね、分からないと。しばらく日数をおいてたのですが、その間も探していたのですが、そうしたら、あるとき、その子が裏口から入ってきた。それで、その子に「お前はどこへ、行っていたんだ」って聞いたら、お父さんお母さんによく似た人がきて「じゃあ、背中に乗れ」ということで、そして乗ったらね、連れて行かれた。考えてみると、天狗様と同じものだと思えるのですが。

 

〇東京都西多摩郡奥多摩町。大正の始め山から下駄ばきの子供がぽこっと出てきた。おじさんに連れられて恐い所へきたら目隠しをして歩いたという。身元を調べて青森から家族が引き取りに来た。おじさんというのが天狗だか、なんだか。

 

新潟県東頚城郡松代町池尻。明治初期の話。池尻の「万之助」という屋号の家にオモという若い嫁さんがあった。色白で肉付きがよく働き者であった。ある冬の吹雪の夜、夜なべの藁仕事をして遅くなってから風呂に入り、上って腰巻をつけただけで玄関の近くにある便所へ小用を足しにいった。それっきりオモの姿は忽然消えてしまった。オモは天狗にさらわれたのだということになった。村人の探索にもかかわらず遂に行方が知れなかった。その同じ頃、池尻の隣部落の千年という所の普門庵という尼堂の庵主さんが、寝る前に戸締りをしようと吹雪の戸口に出てみると、庭の大欅(けやき)の上に黒雲が飛んできて一時止まった。その雲の中から「庵主さま!」と助けを求める女の声がしたが、雲はまた東の方へと飛び去った、ということである。天狗が湯上りの半裸体のオモに色情し、さらっていったものと思われた。

 

富山県魚津市89歳の頃(明治14、5年)と覚ゆ、越中魚津に住んでいた時、1年に1人や2人は天狗に捕まって行かれたものがあった。此の時組内の人々7、8人も寄って、夜10時過ぎより、天狗の棲めると伝わるる火の宮や愛宕の大杉の下へ、迷子の名を語尾長く呼びつつ、太鼓と一升桝の底を敲いて捜しに行った。丁度作次郎と云う子供が無くなったのであろう。或る冬の夜半であった。私は母から呼び起こされて床の上に座った。すると遥か7、8町先の火宮辺へ「作次郎やあーい」デンデンデンと、哀れな恐ろしい声がするのが聞え、彼は天狗に捕まった子を捜しに来たのだと説明された記憶がある。斯くすること7日終に見当たらざるに至って止む。彼の太鼓を敲くのは暗夜の物凄さを忘れる為の附け元気であろうが、桝の底を敲くと、天狗の耳が破れそうになるので、捕った子供を樹上から解放するからだと信じられて居る。今日でも天狗に関する迷信は消えないが、太鼓や桝を敲いて捜しに出る風習は、30年前から廃んで終った。

 

〇石川県能美郡遊泉寺村。今から20年ほど前に伊右衛門という老人が神隠しに遭った。村中が手分けをして捜しまわった果、隣部落と地境の小山の中腹、土地で神様松と謂う傘の形をした松の樹の下に、青い顔をして坐って居るのを見つけたと謂う。然るに村の人たちが此の老人を探し歩いた時には、鯖食った伊右衛門やいと、口々に唱えたと云う話が、是は何時でもそう言う習わしで、神様殊に天狗は、最も鯖が嫌いだから、かく謂えば必ず隠した者を出すものと信じて居たのである。

 

福井県三方郡美治町佐田。大正の頃のこと。隣家の辻治良八家のおじいさんが家を出たきり何日も帰って来なかった。ほうぼう探したが所在がわからず、家人が嘆き悲しんでいるとひょっこり帰って来た。おじいさんの話では家の前の正覚寺の庭に松の木があり、天狗がいて連れ去られ、何日も山中をさ迷い歩いたとのことであった。

 

山梨県南都留軍道志村。50年ほど前になるが川原畑の金次郎という人が雨の中を蓑笠姿で出たまま行方不明となった。2日目に谷村で村民が見付けたが、何でも川を一またぎに渡ったら、大男から眼をつむれと云われたが、その後はどこをどう歩いたかさっぱり判らぬと答えたまま、宙を歩く気持で家まで連れ帰られた。

 

〇長野県諏訪市昭和13年の秋、塩尻峠へ遠足に行った。帰途3年の生徒が1人いなくなり村の人や消防団、警察と八方探したがいない。夕方8時、至急便が学校から届いて伊那の本通りに、ぽかんとうずくまっていたという。塩尻から伊那まで4、50キロ、4時間たらずで行けるはずもなく、担任が迎えに行っても何もしゃべらなかった。ただ下にあかりがチラチラ見えたとか、風がビュービュー吹いたということ位をやっと聞き出した。いい小梨を見つけておいたので、それを採って帰ろうと列から離れたという。ただそれを見た者もなく、神かくしか天狗にさらわれたのかと当時話し合ったものだった。

 

〇長野県上伊那郡三峰川谷には幼児・少年の天狗にさらわれた類話はたくさんあります。浦の伝吉という52歳(昭和18年当時)くらいになる人ですが、7、8歳の頃、家の庭先に遊んでいるところを天狗様に連れられて行きました。村中で、「伝やあい。」と呼んで探したことが今でも記憶されていますが、一里ばかりはいった山中で、ことなく発見されました。子供がかどわかされるのは、多くは黄昏時に起こる現象でした。上村中根の45歳の(昭和33年当時)くらいの男ですが、子供のころ、隣家の子供の守りをしていました。夕方、赤子をかえしてわが家に帰る道で、行方不明になってしまいました。グリン様に連れ去られたといわれました。村中で探して歩きましたが、3日後、少年は自宅で寝ているところを発見されました。3日間は、山ばかりを歩いていたそうです。中根や上村の下栗辺で、夕方のかくれん坊遊び、が固くいましめられているのは、こうした災いの故でした。

 

〇長野県北安曇郡八坂村八坂村上籠部落の北沢某の家で3歳になる男の子がいなくなった。3日目の朝、家の人が戸を開けてみると、その子が、ぼんやり立っていた。「遠くの山へ行って来た」というばかりだった。天狗にさらわれたのだろうという。

 

(原文修正;当ブログ)

〇長野県下伊那郡上村。上村と木沢部落との境に、中根という部落があるんだ。ある時、中根部落の息子がどっかへ行っちまって、おらなくなったことがあってなあ。近所の衆は心配して村中探したんだけれども、2日たっても、3日たっても1週間たっても見つからなんだな。とうとうその息子は、それっきり姿をあらわさなんだもんで、みんなは天狗様に連れていかれちまったんだって噂したんだ。

 

〇長野県下伊那郡上村。今から50年も前の話かなあ。わし(熊谷寛氏)と同い年で大沢某という人がおったんだ。この人が、ある夜、突然どっかへ行っちまったことがあるんだ。それで、2日たっても、3日たってもちっとも出てこないもんで、家の衆は勿論、村の衆も大そう心配して、あっちこっち探したんだけれど、ちっとも見つからなんだ。そうしとるうちに、1週間くらいたったら、その人は、どこからともなく真っ青な顔をして出てきたんだな。家の衆は「どこへ行っとったん。」って聞いたんだけで、本人は「どこへ行っとたのやら、さっぱり分からん」って言うだけだった。そうだもんで、みんなは、こりゃあ天狗様に騙されたに違いねえって大騒ぎしたもんだ。

 

〇長野県下伊那郡清内路村。明治の中頃、梅の実を採りに行った“おたき”という少女が天狗にさらわれ、7、8日して戻ってきたという話が伝わっている。「7、8日くらい経ってですか。“おたき”が帰ってきたんですね。でボーッとして立っていたから、どこへ行っとったんだ。なんとも受け答えもせずにボーッとしているってんですね。少し歩かせるとトコトコと歩くしまたスコッと立っているからね。あと押したりなんかして家へ連れて来て、で、いろいろと話してみて。どうやって行ったんだってったらね、吊し橋の岩の所へフッと目をつぶれって言うから、もう吊し橋のその恐ろしい山のね、百メーターのその上を登って行ったって言うんです。フッと目を開いたらね。でまた目をつぶせって言うから目をつぶしたら、コウ耳のところでね、風鳴りがさかんにしていて着いた所がね、男の人たちばかりいる山へ行ってきたってね。そして他にどんなとこ見たったらね、おそらく江戸あたりのことを考えれるような所をね、人がいっぱいおる、その所へ行って来たとかね。でまた目をつぶせっていうとね、コウ耳の後ろで風が鳴ってね。こういう話をしたそうです」。

 

滋賀県犬上郡多賀町。明治の中頃、多賀に神島政五郎という大工があった。少年の頃、天狗隠しに遭って以来、時々天狗に呼び出されたり、天狗が家に来て見えないながら三升飯を平らげていったりするのを妻子は見たり聞いたりもし、近所でも評判だった

 

岡山県上房郡北房町阿口。明治の話。乾から巽方向に見通せる所はキシオジンスジといって天狗の通路である。阿口のキシオジンスジには大きな老木がある。助四郎老人が子供の頃に部落の子供が夕方になっても帰らないので、部落の人が集って「返せー 戻せー、チンカンドン」といって探し歩いた。しかし、どうしてもいなかった。それから数日したらキシオジンスジの杉の枝にその子供のケシコがぶら下がっていた。オウマガトキ(夕刻の人の顔が定かに見分けにくい時刻は天狗や魔物の通る時間であり、その時刻をいう)にキシオジンスジを通ると天狗に掴まれるというが、実際にあった話である。備中地方では子供がいなくなると「返せー、戻せー」太鼓と鐘をチンドンという形が決っている。

 

徳島県小松島市櫛淵町。大正の頃、T家の次男が神かくしに遭った。部落の全家から1人ずつ出て山野を探索したが、3日たっても発見出来なかった。ところが夜が明けてふと家族が門先の柿の木を仰ぐと、14、5歳のその少年が木の上にいるではないか。皆で梯子でかつぎ下すと放心状態で、聞き直したところ、天狗にさらわれて山野を飛び回ったあげく、この柿の木の小枝に掛けたまま飛び去ったというのである。以来、その少年は魂を奪われたようで、学校へ行ってもろくろく口を誰ともきかなかった。そのうちに流行性感冒にかかってぽきと死んでしまった。神かくしにあってから半年足らずで若死にした。

 

山の神などによる神かくし

〇東京都八丈町。昭和の初め頃のこと。八丈島ではテンジ、テッジメという山の怪が、神かくしをするといわれている。中之郷では、テンジが人を神かくしにしたという。ある時、子供が行方不明になって大さわぎになった。いくら探しても判らなかったのに、翌朝、集落の近くの山のふもとに立っていた。子供の話では、一晩中誰かに歩きまわされたという。この話は、赴任していた昭和45年頃、当時70歳のおばあさんから聞いた。

 

新潟県東頚城郡松代町。あのね、今月(5月)8日が松苧神社の礼祭なんですよ。そこへみんな、ホラ、1人で歩けるようになると御参りにいくんですよ。そうすると、その子が、あのしんれいの大工さんっていう家のお父さんの子供の時分でしょうね。なんか迷子してしまって山中へ、奥へはいっちゃって、もう父と一緒に帰らなかったそうです。そしてみんな大騒ぎしたんです。昔のホラガイ、ポッポー、カンカンってね、鉦念仏カンカンってたたいた。私の子供の頃だからポッポー、カンカンってそれだけよく覚えてます。三日三晩も松苧山の山を探したけれども見つからなかった。四日目だったかね、やっとこさ、道でて来たそうです。てつたろうがね。そして「お前どうして三日三晩も何食べてた」て言ったら「女のきれいな人がね、膝枕して、しっぱつ(いがほおずき)っていう、おいしいものを食べさせてくれた」そう言ったそうです。そして無事に家へ帰ったそうです。女の人は白い着物着ていて、それは近くに祀ってあるヌナガワヒメではないかということです。

 

〇長野県上伊那郡浦の新三郎猟師といえば、山の神様となれ親しんだ逸話の持ち主として知られています。明治の初年のこと、新三郎は金子勢五郎猟師と連れだって仙丈岳へ猟に出かけましたが、二人は途中の小屋で単独行動をとることにきめ、別れ別れになりました。それから1週間、新三郎猟師は、杳として消息を絶ってしまいました。村人に依頼して山中を捜索してもらいましたところ、勢五郎と別れた小屋に戻っているところを発見されました。新三郎の話では、小屋を出てしばらく行くと、立派な婦人が現われて手招きするのに出会いました。誘われるままについて行くと、苺などの実る場所へ連れて行かれ、たらふくごちそうになりました。こんなわけで、山にいる間は、ついぞ空腹を感じなかったという話でした村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした観方のあることはおもしろいことです。

 

和歌山県西牟婁郡上三栖。紀州西牟婁郡上三栖の米作という人は、神に隠されて二昼夜してから還って来たが、その間に神に連れられ空中を飛行し、諸処の山谷を経廻って居たと語った。食事はどうしたかと問うと、握り飯や餅菓子などを食べた。まだ袂に残って居ると謂うので、出させて見るに皆柴の葉であった。今から90年ほど前の事である。又同じ郡岩田の万蔵という者も、三日目に宮の山の笹原の中で寝て居るのを発見したが、甚だしく酒臭かった。神に連れられて摂津の西ノ宮に行き、盆の十三日の晩、大勢の集まって酒を飲む席にまじって飲んだと謂った。是は60何年前のことで、共に宇井可道翁の璞屋随筆の中に載せられてあるという。

 

何ものとも知れぬ神かくし

話 一

・昭和20年頃の話。私の家の近くの男の子(小六年)が昼間、にわとりをいじめたら神かくしにあって大騒ぎとなりました。井戸のそばにしゃがんでいたそうなのに、家人にはその姿が見えず、子供には家人の姿が見えるけど声が出なかったそうです。二昼夜、その状態だったそうですから、神かくしに違いないと、父母が言っていました。 (青森県

 

 

 

信濃の民話』  [新版]日本の民話1

瀬川拓男、松谷みよ子  未来社  2015/4/22

 

 

 

仙人の碁うち(上高井郡) (原文;当ブログ修正)>

昔、菅平のふもとの仙仁という部落に太平さんという木樵りが住んでいました。今日も一日、山で木を切って、さあ帰ろうと、荷股に丁度いい木がぼやの中にあったので、一本引き抜いて杖にし、すたすた下ってきました。

 ふとみると、眼の前をいつ現われたのか1人のおじいさんが歩いて行きます。長い杖をつき、真っ白な髪と長いひげ、着ているものは何やらゆったりしたもので、ただの人とは思われません。

「はて、どこの人だろう。」とついて行くと、仙人岩の辺りでふっと姿を消しました。

「ははあ、ありゃ、仙人かもしれぬ。」

 太平さんはひとりうなずいて岩をそろそろ回りました。仙人岩は中が洞窟になっていて仙人が住んでいるといわれているのです。

 太平さんが覗いて見るとどうでしょう。今しがた眼の前を歩いていた老人と岩窟の主人らしい老人が碁を打ち始めるところでした。どちらも品のよい姿でのんびりと石を置いていきます。静かな山の空気の中にぱちりぱちりという音が澄んでひびきました。

 太平さんは木樵りながら碁好きでした。石の数が増えていくにつれて、すっかり夢中になりました。

「あそこの石はこうしたらいいに。」と思ったり、「さすがに仙人の碁はおら達と違う。」と感心したりしているうちに、どの位たったのでしょうか。はっと気がつきました。

「はて、もうどの位たったろう、家へ帰らねば。」

と我にかえってついていた杖をとり直そうとしたとたん、太平さんはよろよろとよろめいて倒れました、杖の木はいつの間にか朽ちておりました。いいえ太平さんもすっかり年をとって白髪のおじいさんになっておりました。

 ようよう起き上って仙人岩をのぞくと、もう仙人達の姿はなく、しずかな夕暮れの風があたりに吹きわたっていただけだと申します。

 

早太郎犬と人身御供 [上伊那郡]

昔、正和の頃といいますから六百年余りも前の事です上伊那郡の宮田の駅にさしかかった一人の旅人がありました。旅人は何か落ち着かない様子であたりを眺めておりましたが、道端の茶店が眼にとまるとつかつかと中へ入っていきました。

「ばあさんや、このあたりに早太郎という人はいないかな。」

「そうでありますなあ、早太郎という人はききませんなあ。」

 茶店のばあさんは茶を汲んでだしながら首をかたむけました。

 

・すると、端の方で茶を飲んでいた百姓が独り言のようにつぶやきました。

光前寺に早太郎という犬がおりますが、犬ではお話になりますまい。」「犬? 早太郎という犬……。」

何を思ったか旅人はひざをのりだすと、「それはそんな犬かご存知かな。」

と、真剣に問い詰めました。

「どういう犬というても、わしはようは知らんが、何しろ駒ガ岳に住んでいる山犬が、光前寺の縁の下へきて5匹、子犬を産んだそうでありますよ。(中略)ると、子犬が大分大きくなったある日、1匹だけ子犬を残して山へ帰ったそうで、山犬っちゅうもんは人間の言葉が判るといいますでなあ、その子犬がはあ、でかくなりましてな、早太郎といいますに。」

「山犬の子ならさぞ強いだろうな。」

強いの何のってあの犬ならイノシシでもかみ殺しますに。それでいて普段は温和しい利口な犬ですだ。和尚様はそれは可愛がっていなさるのだ。」

「うむ、その犬だ、その犬の事だ。」

旅人はひざをたたいて立ち上ると、すぐその足で光前寺を訪れました。

「私は遠江国、府中の天満宮の社僧でございます。和尚様にお目にかかりたくて参上いたしました。」

「はて、天満宮の衆が何しに。」

和尚様が出てみなすと旅にやつれた社僧は手をつかえ、

御当寺には早太郎という犬がいるとの事でございますが、どうかその犬をしばらくお貸し下さいませんでしょうか。」と申します。

「一体それは何事ですか。」「実は――。」

天満宮の社僧が話したのは次のような事でした。

いつの頃からか誰も知りませんが、天満宮には毎年の秋祭りに娘を人身御供にさしあげるという悪いならわしがありましたもしそのならわしを破ると一夜のうちに田畑は荒され、幼い子供などがさらわれたりするというのです。そういうわけで秋になるとどこの家でも生きた心地もなく、ひたすら娘がおみくじに当たらぬように祈っているのでした。

 この年もいけにえの娘が決められました。娘は唐びつに入れられ、しずしずと社前にささげられました。かがり火があかあかとたかれる中で村人たちは何遍もひれ伏しては、作物の実りが良いように、悪い病が流行らぬように祈り続けるのでした。社僧も村人に混じってひれ伏しておりました。毎年毎年繰り返されるこの光景が、たまらなく不思議になったのです。どんな神様か知らないが、人を獲って喰う神様がいるとは思えないのです。そう思うと矢も盾も耐らなくなり、社僧は村人が立去るとすぐに傍の大木によじのぼり、どんな神様が娘をとってくうのか、みきわめようとしました。

 やがてあたりはしーんと、しずまり返って丑密時になりました。闇の中にかがり火だけが不気味に燃え残っています。と、俄かに一陣の生臭い風が吹き渡り、天満宮の廟がギ、ギイと開かれました。さっと躍り出した怪物の影は三つでした。おきのような眼が真赤に燃えて、長い毛を打ちふり打ちふり唐びつの周りを嬉し気に踊り狂うのでした。

 そのうち一番大きい怪物がぴたりと立ち止まると、「信濃の国の早太郎は、今夜来る事はないか。」

とさけびました。すると他の二つの怪物が頭をさげ、「大丈夫。」とこたえました。聞くより怪物は、おどり上がって唐びつを打ち壊し、泣き叫ぶ生け贄の娘をさらって廟の中へ姿を消しました。ギギ、ギイッと扉は閉ざされました。

 恐ろしさに気を失わんばかりになりながらこの有様を見届けた社僧は、夜明けになるとようよう木をはい降りました。ともかくもこの怪物を退治するには怪物の恐れている信濃国の早太郎という人を捜しだし、その人の力にすがるより仕方がない。そう決心した社僧は、すぐその足で信濃路へ旅立ったのです。しかし、何といっても広い信州の事です。山を越え谷を越えて尋ね尋ねても早太郎というだけでは雲をつかむようで何の手がかりもありません。春もすぎ夏の終りになってもみつからず、途方にくれていたところなのでした。そこへ、「光前寺に早太郎という見事な犬がいる事を宮田で聞き、あの怪物の恐れていたのはその犬だと判り、参上したわけでございます。

 どうか早太郎をしばらくお貸し下され、もうほどなく村祭りの日がやって参ります。このまま戻ればまた、罪のない娘が一人怪物に喰い殺されるのでございます。」

 話終わった社僧の眼には涙が浮かんでいました。

 

・光前寺の和尚様も、あまりに不思議な話で驚きましたが、ともかく早太郎を庭に呼び寄せて、人間にものを言うように今の話をしてやりました。

「どうだ、お前、言ってやるか?」

 すると早太郎は耳をたれ、尾をふってじっと和尚様の顔を見つめました。それはまるで、「はい、参ります。」と言っているようでした。

 

・「早太郎が行くというているわ。お役に立つかは知らぬが、どうかお連れ下され。」

 社僧はおどり上がってよろこび、すぐに早太郎を連れて遠江国へと急ぎました。村の祭りはもう日がありません。社僧は眠る間もおしんで歩き続けました。こうしてようよう村へ帰り着いたのは今日が祭りという日の朝でした。生け贄の娘ももう決まって、家の者は娘を取り囲んで嘆き悲しんでいました。

「ああ危いところであった。」社僧は驚き怪しむ家の者に今までの事をすっかり話して聞かせました。

「これが怪物どもの恐れている早太郎じゃ。のう早太郎、しっかり頼んだぞ。」早太郎はりんとした眼でじっと社僧をみつめ、尾をふりました。やがて娘のかわりに早太郎を入れた唐びつが、社前にしずしずと運ばれました。そして社僧をはじめ村人達は木の上にひそみ息をこらして怪物を待ちました。

 丑満時、生臭い風と共に廟からおどり出した怪物は何もしらずにおどり狂っていましたが、足をとめ、「今夜、信濃国の早太郎は来ることないか。」と叫びました。すると愚かにも他の怪物が頭をさげて、「大丈夫。」

と答えたから耐りません。安心した怪物は歓びの声をあげて唐びつにとびかかりバリバリとひきあけました。その瞬間猛然とおどり出た早太郎はガッと怪物にかみつき、たちまち物凄い闘いが始まりました。叫び声は深山にこだまして、その恐ろしさはたとえようもありません。樹の上の人たちは手に汗を握り、ただ神仏を祈るばかりでした。

 やがて、ばったりと叫び声はとだえ、あたりはしーんと静かになりました。少しずつ、少しずつ、辺りが明るくなりました。夜が明けたのです。

 そこに倒れていたのは三匹の年へた大狒々でありました。銀の針をうえたような毛深い体には鉄のような鋭い爪がかくされ、真赤な口は耳まで裂けた恐ろしくも醜い怪物でした。

「こ、こやつがわしの娘を喰いおったのか。」

娘を前の年生け贄に出した村人が泣き崩れました。

「わしらはこの怪物を神とあがめてひれ伏しておったのじゃ。」

村人たちの驚きと憎しみはつきません。その時社僧が叫びました。

「早太郎がおらぬ、皆の衆、早太郎の姿をさがして下され。」

 しかし早太郎の姿はどこにも見えず、 ただ一筋の血のしたたりがまっすぐに、信濃へ向かう道に続いておりました。

 早太郎は傷つき、よろめきながら光前寺に戻ったのです。そして和尚様を見ると一声高く吠えてがっくりと息をひきとったのでした。