『90歳を生きること』
生涯現役の人生学
竜門冬二 東洋経済新報社 2018/10/19
<90歳になっても、背筋をピンと保って生きている>
<生涯行うべき一文字>
・長いしキザなので、いまは(色紙の文句)たった一文字。
「恕(じょ)」
これはほとんど講演のテーマ(歴史に見る経営術、歴史に見るリーダーシップなど)にかかわりを持つので、会場でも説明する。色紙をもらった人が「何と読むんだ、この字は」と多く眉を寄せると思うので、説明は必須だ。
・恕というのは「相手の身になってものを考える優しさや思いやりのこと」だ。これを孟子は“忍びざるの心”と訳した。「客のニーズは見るに忍びない心のことです」と説明する。(孔子の弟子の)子貢は納得し、諸国遊説のモチーフにこれを掲げた。この一文字は人間の生活全般に活用できる。
<井戸水のように生きる>
・水道水は、夏は生ぬるく、冬は手の切れるような冷たさを感ずる。それに引き換え井戸水は、夏は冷たく、冬は温かく感じることがある。これは井戸水が恒温を保っているせいだろう。
人間も同じだ。社会が熱くなったり冷たくなったりするのに合わせて、自分が熱くなったり冷たくなったりする人がいる。そして、ならない人を「なぜ体温を変えないのだ」となじる人さえいる。
私はどんな時代でも体温を変えずに行き抜いている人を、“井戸水のような人”あるいは“恒温の人”と呼んで尊敬している。
<呻きの中にも喜びあり>
・15歳の時に私は小学校の先生になりたいと思っていましたが、戦争のために果たせず海軍の少年飛行兵を志願しました。特攻を希望しましたが果たさぬうちに敗戦になりました。それでも空への夢が消えず民間の航空学校へ通いましたが、高い月謝が払い切れず断念しました。
言ってみれば“挫折”続きで、とても志学どころではなかったのです。
東京都庁に入り(はじめは目黒区役所)“面立”できないままに不完全燃焼状況で、地方公務員生活を送りました。
<質問に応えるコツ>
・「交通や情報伝達システムが違うのに、歴史上の人物の言動が現代にどう役立つのか」
歴史の話をした講演先で、時にこういう質問を受けることがある。私はマトモに受けて立たない。少し身をよじらせて応ずる。
・昔、先輩作家の伊藤桂一さんから「時代物を書くコツ」を教えられたことがある。読者が知らない人物の知らない出来事をいきなり書いてもダメだからといって、知っている人物の知っている出来事を書くのも能がない。いちばんいいのは、知っている人物の知らない出来事を書くこと。この時はその前提として(読者が)知っている出来事について5割から6割、面倒くさらずに書くことだという。
・だから私は「歴史が現代にどう役立つのか」という質問には、こう答える。「不便な時代であっただけに、チエだけは絞ったようです」
これも相手を立てながら、1~2割の範囲で応答している。
<ワクワク感との決着>
・脚力がはっきりわかるほど弱ってきた。道を歩く時も道路が斜面になっているとよろめく。慌ててかかとに重心を置いて支えるが、必ずしもうまくいかない。
いままで他人から健康法を聞かれると「朝5時から散歩しています」と答えてきたが、もはやこれはうそだ。外に出ようという気力がなえた。
かといって散歩をやめたわけではない。実行している。ただし朝ではなく夕暮れだ。飲み屋に行く時の歩行だ。
・いずれにしても脚力の回復に努力しなければならない。勤めを辞める時に若い仕事仲間が竹の一片を贈ってくれた。踏むためのものだ。ベッドの下に放り込んだままにしておいたのを、急きょ取り出した。根気よく踏む。テレビを見ながら心の中で踏む回数を数える。300回以上500回止まりとする。
・高齢者の年齢別のありようを提起したのは孔子だ。60歳を耳順、70歳を従心と告げた。耳順というのは、ほかからの意見を素直に受け止められるように自身の人格が完成している、ということだろう。だからこそその延長線上にある「従心」が可能になるのだ。
・つまり70歳にもなったら、ほかに害を及ぼすような過ちは絶対に犯さないはずだという断定である。ところが私の場合はそうはいかない。
・そのまま加齢を続けてきたから、まだワクワクの決着がついていない。日常の思考は麻のごとく乱れている。その収拾の奮闘努力中に、脚力がガクンガクンときたから、狼狽の極みに達したのである。
しかしだからといって無為につまずいたり、つんのめっているわけではない。確かにいまの私が“従心”からは程遠く、一挙一投足の中にかなり反省したり、夜中自己嫌悪で七転八倒する行いが多いのは確かだ。
「これも耳順をキチンと行ってこなかったからだ」と一応は反省する。が、ほかからの意見の聞き方にも、私は基準(モノサシ)を持っている。聞くべき意見、聞いたほうがいい意見、聞かないほうがいい意見、聞いてはならない意見、である。
孔子はおそらく「ほかからの意見はすべて聞きなさい」と、無限定無定量の受け入れを求めたわけではあるまい。
<真実はそんなもの>
・前は顔色がよくて講演会の時におばあさんから「パックは何をお使いですか」と聞かれたことがある。この間白内障の手術をしたら、片方の目が視力を回復し、眼鏡なしで対象がはっきり見えるようになった。特に白と青が鮮やかに目に映る。
驚いたのは自分の顔だ。シミだらけだ。情けなくなった。顔の実情に情けなくなったのではない。おばあさんの質問をそのまま信じてきた自分の愚かさに対してである。おばあさんがそういう質問をする以上、私の顔はシミ一つなく、年齢不相応なほどつやつやしている、と信じてきた。
が、これは私の思い込みで、おそらくそのころも視力のよい人から見れば、私の顔はシミだらけだったに違いない。私だけがそうじゃないと思い込んできただけなのだ。
・さて、だからといってこの顔をどうしようかなどとは思わない。簡単な手術で取ってくれるお医者さんはいる。が、私の顔をきれいにするため(顔だけでなく手にもある)には数十万から100万円がかかるのではなかろうか。
・現状をそのまま受け入れよう、とたちまち心のギアチェンジを可能にするのは、私に若い時からすぐそうさせる古い映画があるからだ。『舞踏会の手帖』というジュリアン・デュヴィヴィエのフランス映画だ。
マリー・ベル主演の夫に死なれた金持ちのクリスティーヌが、古い手帖を開く。娘の時代に接触のあった男たちの名が書かれている。
「いまどうしているかしら」
女性は男たちへの元への遍歴旅行に出る。
・ジュリスティーヌは大きなカン違いをしている。
それは娘時代に大きな広間で、天井にはシャンデリアが輝き、自分もすばらしい衣装を着て、訪ねる男たちに抱かれて踊ったと記憶していることだ。男性も 素敵な青年だった。
それが訪ねてみると、雪山のスキーの指導員、官憲に追われる犯罪者、麻薬中毒者、小さな教会の神父、理髪店の親父などなのだ。最後に訪ねた理髪店の親父が言う。
「あんたが踊っていたのはこの店だよ。シャンデリアだと思っているのは店の古電灯さ。昔とちっとも変わらないよ」
・デュヴィヴィエはペシミズムの大家だ。私が観たのは20代だが、理髪店の親父の事実暴露には驚かなかった。(世の中の真実なんてそんなもんさ)と当時思ったし、いまでもそう思っている。だからシミだらけの顔の事実にも明るく対応できるのだ。
<神・か仏か運命か>
・先日、恐れていたことが起こった。
水戸で講演があって上野から電車に乗った。特急で1時間半だ。発車するとすぐ眠ってしまった。
水戸駅に近づくと付き人として同行している娘に起こされた。眠気はまだ去らない。そして駅の階段を1、2段下りた時、「これ以上我慢できない」という自覚が睡魔に身を預け、私の体は止めようもなく転落した。
・そして所定の時間に所定の場所で仕事を済ませた。
「来る前に駅の段階で落ちまして」などということは一言も言わない。すべてさりげなく何げなく日程を済ませた。
戻ってからも病院に行かない。ヤセガマンしているのではなく、体に異常がないからである。
・「運命は従う者を潮に乗せ、拒む者を曳いていく」というのがある。
「運命は自分で切り開くもの」という頑固な信条を持つ私は、決して運命論ではない。それでも「俺は始終運命に引きずられている」と思っている。それもかなり幸運にだ。とりわけ「健康」には恵まれている。
・しかし時に風邪をひくことはあっても、いままで医者の世話になったのは眼と泌尿(前立腺肥大)の一度きりだ。健康保険料は毎月最高額だそうだが、これは他人の役に立つ。足も達者で逃げ足も速い。工事現場のそばを歩く時は、ちょうど出会ったおじいさん、おばあさんを危ないほうに押して、私は安全な側を歩く。
健康保持にはこういう細かい努力と非情さが必要なのだ。
<目の中を鳥が飛び回る>
・前立腺の加療中に別方面から追撃が来た。目だ。いま眼鏡を掛けて仕事をしている。老眼と斜視だ。かなり度は強い。最近はさらに拡大鏡を併用する。
・「白内障が進んでいます。右の目は以前出血した箇所に血がたまっているんです。それでちらちら鳥が飛び回っているんです」
・「医は仁術だ」という。前立腺の先生もそうだが、この女医さんも“仁”の実践者だ。病気になってよかったと思う。“生きた聖職者”が街にはたくさんいるという発見があった。まるで野仏のように。
<各駅停車のススメ>
・白内障の手術を2回に分けてお願いした。左目は30分、右目は20分だった。左目の視力は0.8に戻り、さらに眼鏡を調整してもらった。
・主として飲み屋からの口コミで、私が患ったという情報がけっこう流れたらしい。見舞いの手紙やファックスをもらった。親切な人は“身近な健康法”として、自分のやっている健康法を教えてくれた。かなり活用できるのでご披露する。
・歩く時によろめいたりつんのめったりするのを防ぐには、まず靴のかかとから地面に着けること。竹を割って切った物(市販されている)を家の中で300回くらい踏むこと。
・電車の駅やバス停で待つ時はベンチに腰掛けて両足をまっすぐ前に伸ばす。そしてできれば両手を尻の下に入れ、自分で自分の体を持ち上げる。30秒できれば健康、1分支えられれば大健康。
・立ってかかとを上げつま先を体重にかける。その姿勢で両手を前に出し、水平状態から上に振り上げる。最低100回繰り返す。
・寝ている時に足の指でじゃんけんのグーとパーを繰り返す。グーの時もパーの時も思い切り力を入れ、すねに響くようにする。さらに足の指と指との間に手の指を挟んでグイグイ締め付ける。
・息は鼻で吸い、口を細めに開けて一挙に吐き出す。これを繰り返す。
・こうして挙げた以外に「木刀で素振りを300本やれ」というのもあった。さらに、水を絶やさずに飲むこと、必ず散歩すること、寝る時は部屋の電気を消すことなど、文字通りかゆい所に手の届く助言の数々だ。
・今年も小学校の同窓会の誘いがあった。出席しても体調の話やゴルフの自慢が多いので、出たり出なかったりしてきたが、今年は私自身の体調の話になりそうなので、意地を張って欠席した。
後日幹事から当日の状況と、わかるかぎりの生存者の住所録が送られてきた。幹事の誠実さとその労苦にはいつも感謝しているのだが、この1年のうちにまた2人があの世へ旅立ち、今回の出席者は8人だったという。
しかし米寿を過ぎた後期高齢者たちが毎年集まって交歓を続けているのも、黙って幹事役を務めているIさんの功徳だと私は思う。
今回思ってしみじみと知ったのは、こういう地道な“徳”の存在だ。
<新宿の母の予言>
・ついに補聴器を装着することになった。他人の話を聞く時に必ず2度以上聞き返すので、その非礼さを指摘され屈服したためだ。本意ではない。不承不承である。
私は「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という古語を信奉している。注射が嫌いで(というよりは怖くて)、打たれる時は緊張してコチンコチンになる。
・昔の私の手のひらは“新宿の母”と呼ばれる占い師に見てもらった時に、生命線は異常に長いが、一度死に損なう、中指に発する運命線も強運、小指から伸びる財運線もクッキリしていて、といいことずくめのことを言われた。死に損ないは戦中の海軍の特攻不発だろう。乗る飛行機がなかった。財は当たらなかった。というより私の浪費癖を見抜かなかった。新宿の母のせいではない。
・補聴器はずっと進歩した。昔のように装着がハッキリ目立つ大きさではなくなった。しかもよく聞こえる。聞こえなくてもいいことまで聞こえる。そろそろこの世の持ち時間もおしまいかな、と思い始めていたのに、また新しい生命が加わった気がしている。もっと早く装着すればよかったと思う。
<果てしない旅路>
・新しく“なすべきこと”が二つ増えた。血圧測定と泌尿器用薬を飲むことだ。
・お医者さんにもらった「私の家庭血圧日記」によると、目標値が後期高齢者は診察室で「150(mmHg)、90」家庭で「145、85」と書いてあるので、まず安心圏内だ。もちろんこれはお医者さん処方の薬によってである。
・意外な発見があった、私は「休肝日」を持たない。夕暮れには必ず酒を飲む。生ビール中ジョッキ1杯プラス日本酒なら3合か4合、ウイスキーだとダブルの水割り3杯くらいが定量だ。
意外な発見というのは、就寝前の計測値が必ず120台であることだ。(酒を飲むと血圧が下がるのか)と不思議で仕方がない。お医者さんに聞いて「酒をやめなさい」と言われたら裏目に出るので黙っている。
・さて、この新しい“なすべきこと”に終了期限はない。死ぬまで継続することを義務づけられている。
この後どれだけ生きられるかわからないが、私にとってはフレッシュな、そしてどこか重い感じが伴う経験だ。“果てしない旅路”をたどる思いがする。
・血圧にしても、地方の後援会の壇上で急に頭にカッと血が上り、よろめいてテーブルにへばりつき突然休憩させてもらった。ミットモないあの経験は二度と繰り返したくない。
・私は二つの歴史的教訓を思い出している。一つは二宮金次郎の“積小為大(小を積んで大となす)”であり、もう一つは徳川家康の“人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くがごとし。必ず急ぐべからず”という言葉だ。家康が否定動詞の上に“必ず”と加えている用語法が面白いし、インパクトが強い。
<二匹のメダカ>
・死ぬまでやっておきたいことがある。目下休刊中の同人雑誌をぜひ再刊したいということだ。同人誌は『さ・え・ら』という。私が名付けた。同人は2人。私と生田直近だ。
・生田とは、小説雑誌の懸賞応募で知り合った。昔はこの方法でしか世に出る方法はなかった。いきおい応募の常連ができ、会ったことはないが一次予選の結果発表のたびに「またアイツがいる」と互いに「おぬしやるな」と一種の親愛感を持ったものである。世に出る前の同類意識のようなものだ。
・私も生田も次席や佳作にはなったが、絶対に入選はしなかった。私の経験では本当の実力(その後も書けるかどうか)は、入選者よりもこういう層にあるような気がする。
・生田の家は帯広の近くで小豆を作っていたが、冷害にひどくやられて生活に苦しんだ。生田は近くのペケレベツの郵便局でアルバイトを始めた。すぐ辞めて槐の木に裸で抱きついた。この木は樹液に毒が含まれているので「裸で抱きついていれば毒が回って夢のように死ねると思ったんだ」と言っていた。
しかし死ねずに東京に出てきた彼は、まず私を訪ねてきた。「かねて会いたいと思っていた」と言う。
・生田はある脚本家の内弟子となり、生活の基礎を固めた。小説への情熱を失わずに、ヒマを盗んでは私と議論した。
・やがて二人ともある大きな同人誌に入った。会誌を出していたが会員の数が多いので、掲載の番がなかなか回ってこない。それに会内の足の引っ張り合いや嫉妬心などの存在に気がついて、気分が重くなった。
たまたま女流作家の平林たい子さんがこう言った。
「とかくメダカは群れたがる」
そこで私は生田にこう言った。
「メダカはやめよう、群れるにしてもおまえと二人だ」
生田も同じことを考えていた。二人だけで同人誌を出すことにした。
・同人誌は30号ほど続いた。
生田はずいぶん前に死んだ。いつ死んだか忘れた。私は彼が死んだとは思っていないからだ。
とにかく彼のために、そして私のためにもう一度『さ・え・ら』を出して死にたい。
<血液型のせい?>
・私の医療被保険者証には「後期高齢者」と書いてある。へえ、高齢者には前期と後期があるのか、と気づいたのは最近のことだが、前期であった時もいまも、自分が高齢者だと意識したことはほとんどない。
しかし、他人には言わないが、実際には老化が始まっている。道を歩く時にも足がよろめく。意志による制御も無効だ。
・下着の着替えがうまくいかない。特に、脚を入れる時に引っ掛かってよろめく。壁や柱にもたれてようやく脚が入る。これにも腹が立つ。というより、哀しい。しかしここで踏ん張らなければ、名実共に後期高齢者になってしまうぞ、と自分を叱咤する。
具合が悪いのは、講演中に出てくる人名や地名を忘れてしまうことだ。
・故・日野原重明先生によれば。「講演も健康法の一つ」なのだという。「講演は人前で恥をかく行為であり、恥をかくまいとする努力が血流をよくする」という意味のことをどこかでおっしゃっていた。私はこの言葉を金科玉条にして話を続けている。
・にもかかわらず、すぐその恥を忘れて、異なる地域に出掛けていって講演を続けているのは、俗に言う「旅の恥はかき捨て」などというふてぶてしい考えが私にあるからではない。
・「自分の不具合には頬かむりせよ」という人生訓を、知らないうちに実践している。そして、これが自身の経験から身に付けたのではなく、自然に備わっているところだが、甚だ申し訳ない次第だ。人から「それがB型の特性だよ」とよく言われる。
<90歳で道を知る>
<寝たい時に寝る>
・もう一つは、もはや私自身は自転車に乗らない(乗れない)こと。どう力もうが、意識はあっても手足のほうが司令塔の指揮どおりには動かず、たちまち転倒することは明らかだ。(自転車にも乗れなくなったか)などという嘆きは、私の場合にはなかった。ごく自然にこの喪失を受け止めた。「老いとはそういうものだ」とずいぶん前から覚悟していた。
・次々と失うものの増える日々だが、“新しく得るもの”がまったくないわけではない。最近得たものは「寝たい時に寝る」という考え方だ。
いままでは状況はそれを認めていたのだが、私自身に「午後11時前に寝るのは世間に申し訳ない。世間ではまだ働いている人がいる」という自己規制があった。この規制を外した。午後8時でも9時でも寝てしまう。
かつてなかった解放感を覚え、思わず足をバタバタさせるほどうれしい。が、これには報復が伴う。午前1時ぐらいには必ず目が覚めてしまうことだ。そうなると身の置き所がなくなる。朝までの時間の過ごし方に工夫がいる。
『治すヨガ!』 沖正弘がのこしてくれた
船瀬俊介 三五館 2015/9/22
<丈夫になるのに重要なことは、いかに少なく食べるかの工夫である。>
<あらゆる健康法はみなヨガの中にある。あらゆる自然療法がある。>
<運命のつくり主は自分です。自分を励ますものは自分以外にありません。>
<呼吸こそ、心身コントロールのカギである。呼吸法はヨガ行法の中心である。>
<ヨガでは「生命が神である」と考える。すべての中に神が存在する。>
<食べないほど幸せである。食べる工夫ではなく、食べない工夫をしろ。>
<腹が減るほど調子が出るのが本当の健康体>
・沖先生の第一声は、忘れがたい。若い私にとって、まさに目からウロコでした。
だれでも、人並みに食べたい。そうすれば幸せ。そう信じて、額に汗して働いているのですから。それを、ヨガでは「食べるな!」というのです。天と地がひっくり返るとはこのことです。
しかし――。今、私は確信します。人は、食べないほど、幸せなのです。
「空腹を楽しめ!」
この沖先生の言葉も、ヨガの神髄を表しています。
「腹が減るほど調子が出るのが本当の健康体だ!」
私は断食や一日一食を実践して、まさにそのとおりと確信します。
ファスティング(断食・少食・一日一食)は、万病を治す妙法であるーー。
これは、ヨガの奥義です。5000年以上の歴史を誇る実践科学、それがヨガです。その到達した結論が、ファスティングなのです。
人生の幸福も治病も“食べない”ことで、達成されるのです。
現代医学も、現代栄養学も、声を揃えてこう叫びます。
「餓死しますヨッ!」
医師たちは誤った西洋医学を学び、栄養士たちは誤った栄養学を学んできたのです。
<命が喜ぶ“至上の幸福”>
・ヨガの究極の目的は「生命が喜ぶ」ことです。ヨガが「食べない工夫」を説くのは、それが「生命が喜ぶ」ことに通じるからです。
具体的に「食べない智慧」の恩恵をあげてみます。
(1) 万病が治る:これは、万病の原因が“体毒”だからです。それは代謝能力を超えるほど食べたことで、身体に留まります。断食すれば、“体毒”はすみやかに排泄され、身体はクリーンに自己浄化されます。病気の原因の毒素が排出されれば、病気が治るのは当たり前です。
(2) 生命力が高まる:“体毒”が排泄され、自己浄化されれば、身体は宇宙からいただいた理想状態に戻ります。すると、自然治癒力、免疫力、身体能力、精神力、直感力、生殖力……あらゆる生命力が最高レベルに高まるのも当然です。
(3) 精神が安定する:断食や一日一食の人たちに共通するのは、“怒らなくなった”“落ち込まなくなった”“許せるようになった”という心の変化です。
(4) 仕事がはかどる:「たべなきゃ仕事にならんだろう」と思うかもしれません。しかし、逆なのです。心身能力が高まり、身体も頭も冴えて驚くほど仕事が進むのです。
(5) 睡眠時間が短くなる:一日三食なら9時間、二食なら6時間、一食なら3時間の睡眠ですむようになります。食事、睡眠は3分の1、仕事、人生は3倍楽しめるのです。
(6) 食費がかからない:これは、いうまでもないことです。
(7) 子宝に恵まれる:ファスティングは男女ともSEX能力を高めます。
(8) 若返る:長寿遺伝子(サーチュイン)の発見で証明されました。「食べないから若い」、「食べるから老ける」のです。
(9) 感性が豊かに:直感力、創造力が高まるため、学問、芸術、創作活動などの能力が花開きます。
(10)社会が平和に:「食べない」と心が平和になります。
<身体が教えてくれる食べ間違い>
<丈夫になるのに重要なことは、いかに少なく食べるかの工夫である>
<症状からわかる適した食べ方、栄養素>
▼異常な食欲:やたら食べたい、甘いものが欲しいなどは、運動不足や心の乱れの現れ。
・栄養素は、多すぎても少なすぎても体調に影響します。
沖先生はこれらの対処法として断食を勧めています。身体がクリ-ンアップし、真に必要な食物が直感的にわかるようになります。
<ファスティング(少食・断食・一日一食)は、万病を治す妙法である――。 >
・沖正弘導師――沖ヨガの開祖であり、ヨガの指導者として、国際的に有名です。沖先生との出会いが、私のその後の人生を決定づけました。
・ヨガは約5000年以上前にインド地方で生まれたと伝えられます。
それは、心身の調和を理想とする哲学であり科学です。その目的は「自分で自分の肉体や精神をコントロールする」ことです。言い換えれば「どんな過酷な環境に置かれたときでも、それに耐えられる肉体と精神をつくる」ことです。つまり「人間という生物の持つ能力を最大限に発揮する方法」なのです。
ヨガという言葉は、古代サンスクリット語で「つなぐ」という意味です。いったい何と何をつなぐのでしょう?
それは、「宇宙」と「人間」をつなぐのです。自分が大宇宙の一部であると体得する。そこから感謝と愛が沸き起こってきます。
ヨガの基本の教えは2つあります。
「いつでも感謝し、いつでも笑える心を持ちなさい」
この教えを体得できれば、あなたの命もいききとよみがえってくるでしょう。
<慢性病の治し方>
<慢性病とは、人格病、生活病なり。生活を変えれば、体質も気質も変わり治ってしまう。>
・ところが、習慣だとか、癖だとか、一つの条件が固定すると、同一状態を続けます。同じ状態が続くから『慢性』という言葉を使うのです。異常が固定したということは、体質が異常な性質になっているということです。このように、慢性病は病気というより、異様な体質と気質が固定化している状態であると考えるべきです。
・「慢性病から救われる第一の方法は、停止している状態を変化させることです。同じ生活、同じような身体の養い方や使い方をしているから、慢性病になるのです。
だから、救われるには、生活を変えることが、そのカギです。生活を変えれば、体質も変わり、気質も変わります。これにより、慢性病は治ってしまうのです」
<クスリで治らぬなら、「医・食・住」を変えよ>
・「慢性病という言葉の『病』というイメージから、『薬』を連想させますから、治らないのです。薬を飲んで、習慣性が変わるはずがありません。いくら注射をしても、鍼を打っても、癖が治るはずはなく、考え方も変わるはずがありません」
<生活を変えるには、心を変える>
・「今まで、好きなものばかり食べていた人は、嫌いで食べたこともないものも食べてみます。今まで、こういうことばかりしていて、他のことをしなかったという人は、その『しなかった』ことをやってみるのです。生活を変えること、慢性病はなくなってしまうのです。生活を変えるには、心を変えることがそのカギです」
<ガンはこうすれば治る>
<私自身、ガンをわずらい、13年かけて治した。私の指導で筋腫やガンの治った人々が無数いる>
<ガンは血液浄化と延命装置である>
・森下博士は「ガンは血液浄化装置」と言います。ガンも他の病気と同じく、“体毒”から発病します。そして、その毒素が最大限に身体を侵した状態になったとき、発病するのです。そのとき、血液も“毒”で汚れています。放置しておくと敗血症を起こします。敗血症とは血液が腐敗する病気で、発症すると多くの場合1週間以内に死亡します。
・身体は、その最悪の事態を回避するために、自身の弱った部分で、その“毒”を引き受けるのです。早くいえば“ゴミ捨て場”を作るようなものです。すると血液中の“毒”は、そこに留まっていき、血液は浄化されるのです。そして敗血症で急死という最悪のケースを避けられます。「だから、ガンは延命装置でもあるのです」(森下博士)
つまり、ガンが命を救ってくれ、命を長らえさせてくれている。ガンにも存在する理由があるのです。
・私が敬愛するもう一人の医師、新潟大学名誉教授の安保徹博士の理論も明快です。
「ガンは低血流、低体温、低酸素の場所にできる」。だから、まずはこれらを改善することがガンを快方に向かわせる秘訣なのです。
<断食でガンは真っ先に消える>
・森下博士は、ガンを治すベストの方法はファスティングと断言します。
「身体を飢餓状態にすると、体細胞は血球細胞に戻ります。これを異化作用といいます。身体は、害を受けた組織を血球細胞に戻す働きがあります。だから、断食をすると、真っ先にガン細胞が血球細胞に戻り、排泄されていくのです」(森下博士)
私も実際に、わずか4カ月の断食療法によって直系10センチのガンが消滅した事例を知っています。
・断食が病気を治す根本原理は、その排毒作用です。ガンという毒素は、最優先で排毒されていくのです。ただし、ガンが育った背景には、誤った生活習慣があります。それも並行して正すことは、いうまでもありません。沖先生も同じ主張をしています。
「ガンは細胞の弱い所にできるものである。弱っている細胞は萎縮して、血行が悪く、栄養も酸素も不足している。断ち、捨て、離れることで、日常生活の習慣を一度、ブチこわして、違った角度から生活を見直すことが効果的である」
生活改善とは、当然、心の改善もともないます。
「ガンになりようのない血液と細胞と心を持てば、心配することはないのである」
・われわれは「ガンは治らない」と“洗脳”されています。だから、告知の瞬間から恐怖で落ち込む。すると、ガンと戦うナチュラルキラー(NK)細胞が急減します。
自らガンを完治させた沖先生は言い放ちます。
「私は病人面して寝ることをしなかった。かえって、意識的に、人も驚く超人的な生活を続けることを心がけた。これが治るコツである」
さて最後に沖先生が勧めるガンを治す食事をご紹介しておきましょう。
「酵素、カルシウム、ビタミンおよび植物酸を多くし、偏食のない少食にする。脂肪を少なく、玄米、海藻、生野菜をとる。手軽で一番良い方法は、生食、自然食、断食をくり返すことである」
<病はチャンスだ>
・ヨガは病や悩みを、自己改造進化の教師と考える。
・「このガンが、本格的にヨガの修行をやってみる決心をつくってくださった」(沖先生)
<胃弱な人の治療法>
・胃弱の人は、胃に無理をかける。姿勢が悪い。神経が苛立つ。この3つに対応する治し方をすればよい。