日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

私が天狗を研究しているというのはむろん虚名である。ただ昔の人の生活を知るために、いろいろの方面から考えている間に、自然少しくそんな点にも心ついたのである。従って天狗に関し何らの結論をも持っておらぬ。(2)

 

 

『「強い日本」を取り戻すためいま必要なこと』

日下公人、田久保中衛、ロナルド・モース  PHP研究所 2013/6/10

 

<「戦後レジームの総決算」>

 憲法改正基地問題歴史認識………日本では、経済(アベノミクス)の変化に加えて民意と社会の大変化が起こるだろう。安倍首相の唱える「戦後レジームの総決算」をやるなら今しかない!やばいアメリカ、瓦解する中国を横目に、いかに強国・日本を取り戻すか?3人のストロング・ジャパン派による緊急鼎談。

 アベノミクスを論じるよりも、強い日本を取り戻そう 日下公人

・このことを心あるアメリカの経済学者は反省して、「われわれはこの何十年間、単にフィッシャーの貨幣数量説の周りを回っていただけだ」と言っている。とくに、アベノミクスと称されるものに欠けているのは、三番目の成長戦略である。

 ・しかし、いままでの「絶対反対!」や「補償金よこせ!」ではなく、形勢観望に変わったとすれば、農政改革はすでに半分成功したと言ってよい。

“攻めの農業”が実現すれば、アメリカは自動車産業保護で受け身に変わるから、安倍首相が得意とする“攻めの外交”に転じる準備が整う。

 そもそも安倍首相の政策は、第1次政権発足時から続く「戦後レジーム(体制)の総決算」の一部なのである。

 京都はユートピアだった

・(日下)ところが、日本は平安時代には、その理想に到達していた。天皇は軍隊も警察ももたないのに、平安時代は4百年近く平安のまま続いたのです。

 ・その間、支配者側の天皇や公家たちは何をしていたかというと、文化をつくっていました。歌を詠んだり、物語を書いたり、絵を描いたりして、それらを娘に仕込んでいた。その娘が、他国(地方豪族)への輸出商品となった。京都の流行の文化を娘に教えて、その娘を地方豪族に嫁がせる。地方豪族はありがたがって進物をして娘たちをもらい受け、文化を学びました。

 ・(モース)日下さんが教えてくれた安倍首相のルーツ、アイデンティティによると、2千年、縄文まで遡れば1万年という日本の歴史が、彼の受け継いできたものにすべて組み込まれているわけですよね。

 ・たとえばハンチントンは『文明の衝突』のなかで、世界の文明は宗教で衝突するようになるだろうと書いています。でも日本は多神教八百万の神です。それも先祖崇拝だけではないんですよ。土着信仰、原始的なシャーマニズムがあるし、キリスト教や仏教以前のアニミズムまで残っています。

 日本にはそういう特別で複雑な多重精神構造がある国です。安倍氏がそれを理解してくれていればいいのですが、おそらく明治の指導層はわかっていなかった。その抵抗の意味も込めて、柳田國男は『遠野物語』を書いたのです。

 柳田國男とグリム兄弟

・(モース)なぜ柳田は『遠野物語』を書いたのでしょうか。ヒントは序文のなかにあります。「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり」という書き出しがグリム童話と同じなのです。明治時代の日本ですでに翻訳が出ていました。柳田は遠野出身の佐々木鏡石と会って話を聞き、それを文語体にして文学作品にまとめて発表しました。これもグリム童話と同じ手法です。

 1812年にグリム兄弟が、なぜグリム童話を書いたのかというと、ヨーロッパはキリスト教が広まると、それまであった地域や文化が衰退していきます。カトリックという言葉は「普遍的」という意味です。カトリックが宗教的にも文化的にも支配的になると、民族固有の文化は伝説のなかであるとか、古い宗教というかアニミズム、民間宗教のなかにかろうじて残されることになった。

 当時のドイツはプロシアを中心に、ドイツ語を話す人たちによるドイツ帝国ができかけていた頃で、グリム兄弟はいまのうちに伝説のなかに残っているアニミズムを記録しておかないと、民俗の歴史や記憶が完全に消えうせてしまうと考えたのです。そこで彼らは伝説、童話の収集に乗り出しました。

 ・(日下)そうして出てきた学問がfolklore(民俗学)とethnology(民族学)の二つですね。民族学は人類学に近い。自分の国のものを研究するのではなく、文明国の研究者が他所の国へ行って、未開の人種について研究する。自分の国の伝承文化を研究するのが民俗学という考え方です。

 民族学が発達したのは植民地経営の手法に使えたからで、ヨーロッパの列強はこうして海外侵略に出て、略奪した資本で近代化を成し遂げました。産業革命で資本を蓄積したのではありません。植民地から奪ったのです。

 遠野物語』の異議申し立て

・(モース)日本も台湾などの植民地経営をするようになって、列強の仲間入りを果たそうとします。外向けに日本を説明しようという新渡戸の『武士道』に対して、地方の日本の精神構造は「違う」と異議を申し立てるために、柳田は『遠野物語』を書こうと決めたのではないかと私は思っています。

 ・『遠野物語』の序文に、「この書のごときは陳勝呉広のみ」という一文があります。この陳勝呉広というのは、紀元前209年に、中国で反乱を起こした二人のことで、彼らは中国史上初めて農民革命を指揮した人たちです。

 柳田國男は『遠野物語』を明治政府に対する革命的な本と考えていたんですよ。彼は、農民や社会の底辺にいる日本人を「常民」と呼んで、支配階層ではない名誉も肩書きも権力もない普通の日本人の意味で使っています。

 粘菌を研究した南方熊楠とも交流があり、二人は明治政府のやり方にかなり反発しています。常民の日本精神を政府は軽視しているということです。

 明治憲法日本国憲法との関係で言えば、柳田は天皇制に反対でした。『遠野物語』のなかに天皇は登場しません。

 ・柳田は日本国憲法象徴天皇制に賛成し、教育勅語についても、日本人の考え方ではないと反対しています。

 それと宗教の自由を喜んでいます。彼は明治政府の宗教政策、とくに神社の整理合併政策である神社合祀令に大反対でした。村々にある神社を整理合併して、国家神道天皇組織をつくると、共同体の結びつき、普通の日本人の精神構造が崩れてしまうと考えたからです。

 

もう一つは農地改革です。柳田は農商務省の役人で、常民である小作人のことを思って地主制度に反対でしたから、戦後の農地改革を評価していました。柳田は戦後の日本が、明治以前の昔の日本、日本人に戻ると考えていたようです。

 柳田は常民の目から、戦後の日本を高く評価していた

・柳田の考え方は、日本には明治時代よりずっと昔から、多層な精神構造があるというものでした。伝承文化や地方文化を学んでいくと、縄文時代から生き残っているものが見つかるのです。さらに平安時代からのものが、その上に積み重なっている。

 日本の近代化がいつ始まったのかは明確に区切れません。少なくとも明治ではない。鎌倉時代か江戸時代、ひょっとしたらすべてが連続して境目自体がないかもしれない。そう考えていたと思います。

 そうすると明治・大正・昭和というふうに歴史を分けることに、たいした意味はないということになります。日本の大学で教えている歴史学は間違っています。

 危険水域に入った格差大国

ジニ係数が0.4になると、不満が爆発する危険な水域と言われています。

 2012年、中国の新聞各社が「中国のジニ係数は0.61」と書きました。これも昔の中国ではありえなかったことです。一党独裁といえども、中間層に耳を傾けなければならない状況が進行しつつあるのではないかと思います。

 NICが描く4つのシナリオ

・(田久保)アメリカのNIC(米国国家情報会議)では、さまざまな国の10年か20年後を予測した報告書を出していますが、今回、中国について4つのシナリオが出ていました。

 現状が続くというのが、第1のシナリオです。中国の現状は、四面楚歌で、周辺国から完全に孤立しています。このような状況下で、指導部が13億人をまとめていくためには、生活水準を下げるわけにはいかない、ということが大前提になります。つまり、経済規模は小さくできません。しかもナショナリズムをさんざん煽ってきましたから、外に対して強く出ないと自分たちの立場が保てないのです。

 

アジア全域から米軍が撤退した場合、中国の力が圧倒的に強くなり、アジアで支配的な勢力になるというのが第2のシナリオです。

 第3のシナリオはアメリカだけでなく、ほとんどの国が希望しているシナリオです。中国が中産階級の人々の声に耳を傾けるようになると、次にこうした新しい階層を代弁する党ができて、共産党一党支配ではなくなり、複数政党になるかもしれない。そうなれば独裁政権が一気に崩壊するハードランディングは避けられ、ソフトランディング(軟着陸)して民主化へ向かうというシナリオです。

 第4のシナリオは危険なシナリオです。先ほど述べたように、中国は国内の不満を解消するために外に対して強く出ざるをえません。ところが、アメリカのような国は、「何を!」と反撃します日本は、安倍首相以外は、殴られっぱなしで、お詫びをし、お金を出し、譲歩に譲歩を重ねて、まるでサンドバック状態でした。相手が図に乗ってくるのは当然です。

 でも日本にも我慢の限界がありますからね。日本が強硬な姿勢に転じれば、中国の指導部は行き詰ってしまうでしょう。すると国内の不満を散らすために、たとえば尖閣のようなところで危ない冒険をするのではないか。その場合、中国は内部の崩壊に向かって進んでいくだろうというのが、第4のシナリオです。

 第3になるのか、第4なのか、私自身もまだよくわかりません。NICは次にまた新報告書を出すでしょう。次の報告書に注目したいと思います。

 

 『世界の中の柳田国男

REモース、赤坂憲雄 編     藤原書店  2012/11/20

 

遠野物語の表と裏―柳田国男井上ひさし (クリストファー・ロビンス)

民族の受容・抹消・回顧

・「遠野郷の民家の子女にして、異人にさらはれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり」

 ・「異人」という語は、文字通りには「異なった人」を意味するが、そのニュアンスには、幅があり、『遠野物語』においては、いくつかの特定の文脈において、それぞれ意味が限定される。上の引用では「異人」は「山男」の同義語である。山男は大まかに言って、西洋のブーギーマンのようなもので、残忍で人に似た形をしており、女や子供をさらって、二度と会うことも便りを聞くこともできない山奥に連れていってしまう。『遠野物語』の中で「異人」が登場する他の三例では、それぞれ天狗、外国人、山の神を意味する。この話がさまざまなニュアンスを持つのは、その文字通りの意味が、人間に似ていて、かつ(もしくは)見知らぬ存在すべてを包括するような、あいまいな範疇として機能し得るからである。

 ・「土淵村の柏崎にては両親とも正しく日本人にして白子(しらこ)二人ある家あり、髪も肌も眼も西洋の通りなり、今は二十六、七は同じからず、声細くして鋭し」

 ・このアルビノ(白子)の兄弟に対して「異人」の語は用いられていないが、その身体的特徴が「西洋の通り」である以上、彼らは観念上「異人」とみなされていることがわかる。声が変わっているだけでなく、話し方からも、彼らが、地域共同体の周縁の外から来たよそ者であることが示される。違いを示す烙印が付されるのは、人間に似てはいるが、奇形と言う異形の徴を示している者、あるいは認めがたいような差異を示している者である。

 周縁にいる山男山女

・「遠野郷より海岸の田ノ浜、吉利吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠といふ、山路あり。山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふより、誰も皆恐ろしがりてしだいに往来も稀になりしかば、つひに別の路を境木峠といふ方に開き、和山を馬次場として今はこちらばかりを超ゆるようになれり。二里以上の迂路なり」。

 ・実際には地元民の大半は山に住んでおらず、広大な遠野盆地において主に農業や畜産、商事に従事していたのだが。

 ・柳田はまず「山人」という語は古くより用いられており、しばしば天狗や仙人などと結び付けられてきたと断定したうえで、この語義は誤っているとして、自分の解釈を示す。「併し、之なども意味を誤って居るので本当の日本語としては、我々社会以外の住民、即ち吾々と異なった生活をして居る民族と云ふことに違いない」この観念に立てば、山人は近代日本社会の主たる構成員ではなく観念の上では古代以来の日本人の先祖と結びつく。あるいは日本文化の大勢と関連するが明確に区別し得る地方文化の構成員もしくは少数民とみなされる。

  

『秘密結社』

綾部恒雄  講談社  2010/10/13

 

『異人・河童・日本人』

住谷一彦・坪井洋文山口昌男・村武精一(新曜社)    87/11/25

 

(以下は上の2つの資料を合わしたもの)

 異人と祭祀的秘密結社

メラネシア又はポリネシアの社会生活の概念となるものはいわゆる秘密結社である。

 ・そのようなメラネシアポリネシアの秘密結社の考察は、その様相、変型、フォークロア化の点で、日本文化史に与える暗示はきわめて深いと述べている。

 メラネシアの社会史より、民俗学で言う「異人」の特徴をまとめたもの。

  1. 異人が幾度にか、季節を定めて訪来したこと。
  2. 異人は先住民より亡魂、又は死者そのものと考えられたこと。
  3. 異人は海の彼方から、来るものと信じられたこと。後には、山中の叢林より来るとも信じられるに至ったこと。
  4. 異人は畏敬されつつも平和的に歓待されたこと。
  5. 異人は食物の饗応、殊に初成物を受けたこと。
  6. 異人は海岸地に住まずして山中の叢林に住みしこと。(インドネシアの神話でも大体支配民族は天空からやってくるのです。あるいは海の彼方からもやってきて、土地の娘と結婚するといわれています。)
  7. 異人はdual organization (二つの象徴的二元論の原理)の構成の原因となりしこと。
  8. 異人が土民の女と結婚する必要ありしこと。
  9. 異人とその女との間に出来た子供が特殊な社会的宗教的性質を有せしこと
  10. 異人は入社式、男子集会所の起源をなしたこと。
  11. 異人はその異人たることを表徴する杖、及び「音」を有せしこと。
  12. 仮面が男女二つあること。女異人が山中に住むということ。(山中というものは、人間の世界を超える原世界としてイメージされた。人間の世界と人間を超えた世界をつなぐ空間である。)
  13. 異人が訓戒、悪事摘発をなし、豊作をもたらし、又はもたらさしめんことを任務としたこと。
  14. 異人が季節殊に収穫季、冬至に関係したこと。 
  15. 異人は季節が来ると、その出現を期待されたこと。
  16. 異人若しくは神は常に村にとどまらないと信じられたこと。(「おどまぼんぎりぼんぼんからさきゃおらんど」というのは子守の歌と教えられていますが、外から訪れた「異人」の歌だ、という説があります。)
  17. 異人の出現の際は女子、子供は閉居したこと。
  18. 異人のタブーが財産の起源となったこと。
  19. 異人がフォークロア化して遊行歌舞伎団となったこと。(歌舞伎の成立の根源)
  20. 遊行人は異装し、杖と音とを有し、饗応を強制し、或は掠奪を敢えてし得ること。
  21. 遊行人が神話、神の系譜を語り、或は之を演技で表現すること。多く季節と関係して。
  22. 遊行歌謡団から伊達者(man―woman)が発生したこと。(歌舞伎の起源)
  23. 彼等は民間信仰に於いては、侮蔑されつつも亦高き階級に属すとされたこと。

 ・すでに触れたように、岡の考察はメラネシアの社会史を範例として行われたのであるが、これらの異人にまつわる表象、状況、発展について暗示された諸項目は、アフリカの祭祀的秘密結社の成立の事情を辿ることによっても、確認することができるのである。

                                                                                     

 『妖怪文化入門』

  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22

  

異人・生贄

「異人」とはなにか

・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。

  ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

 ① ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

 ② ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

 ③ ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

 こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

 異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。

  折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

 異人・生贄・村落共同体

すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

 旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

 「異人」と「家」の盛衰

・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

  旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。

 <●●インターネット情報から●●>

 柳田國男ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)でみますと、

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田勇人首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた。

「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、遠野物語で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。

 

 

『日本妖怪大事典』

画◎水木しげる  編者◎村上健司  角川書店 2005/7/20

 

 

 

犬神(いぬがみ)

・中国、四国、九州の農村地帯でいう憑き物。中国地方では犬外道、九州、沖縄ではインガメというように、名前や性質は地方ごとでさまざまに伝えられている。

 犬神には人の身体に突然憑く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑きとほぼ同じような特徴が語られる。

 犬神に憑かれると、さまざまな病気となり、発作を起こして犬の真似をするなどという。これは医者では治らず、呪術者に頼んで犬神を落としてもらう。

 

・犬神持ち、筋とは、犬神がついた家系のことをいう。愛媛県では、犬神持ちの家には常に家族の人数と同じ数の犬神がいるとし、家族が増えれば犬神の数も増えると思われている。

 

愛媛県周桑郡での犬神は鼠のようなもので、犬神筋の家族にはその姿が見えるが、他人にはまったく見えないという。

 

オサキ

埼玉県、東京都奥多摩群馬県、栃木県、茨城県新潟県、長野県などでいう憑き物。漢字ではお先、尾裂きなどと表記され、オーサキ、オサキ狐ともいう。

 憑かれた者は、発熱、異常な興奮状態、精神の異常、大食、おかしな行動をとるといった、いわゆる狐憑きと同じような状態になる。

 また、個人ではなく家に憑く場合もあり、この場合はオサキ持ち、オサキ屋、オサキ使いなどとよばれる。オサキが憑いた家は次第に裕福になるが、その反面、周囲の家には迷惑がかかるという。オサキ持ちの者が他家の物を欲しがったり、憎悪の念を抱いたりすると、オサキがそれを感じ取って物を奪ってきたり、憎く思っていた相手を病気にしたりすると信じられていたからである。

 オサキの家から嫁をもらうと、迎え入れた家もオサキ持ちになるというので、婚姻関係ではしばしば社会的緊張を生んだ。

 

おさん狐

・主に西日本でいう化け狐。とくに中国地方に多く伝わり、美しい女に化けて男を誑かす。鳥取県では、八上郡小河内(八頭郡河原町)から神馬に行く途中にガラガラという場所があり、そこにおさん狐が棲んでいたという。

 与惣平という農民が美女に化けたおさん狐を火で炙って正体を暴き、二度と悪さをせずにここから去ることを条件に逃がしてやった。

 数年後、小河内の者がお伊勢参りをしたとき、伊賀山中で出会った一人の娘が、「与惣平はまだ生きているか」と尋ねるので、生きていると答えたところ、その娘は「やれ、恐ろしや」といって逃げていったという。

 広島市中区江波のおさん狐は、皿山公園のあたりに棲んでいて、海路で京参りをしたり、伏見に位をもらいに行ったりと、風格のある狐だったという。おさん狐の子孫といわれる狐が、終戦頃まで町の人たちから食べ物をもらっていたそうで、現在は江波東2丁目の丸子山不動院で小さな祠に祀られている。

 大阪府北河内郡門真村(門真市)では、お三狐として、野川の石橋の下に棲んでいるものとしている。「お三門真の昼狐」ともよばれることがある。昼狐とは昼間に化ける狐で、執念深く、人を騙すものだという。

 

狐憑

・全国各地でいう憑き物。いわゆる一般的な狐の他、オサキ、管狐、人狐、野狐、野千といったものも狐と称され、それらの霊が人間に取り巻くことをいう。

 大別すると、1、個人に憑くもの、2、家に憑くもの、3、祈祷師などが宣託を行うために、自分あるいは依代に憑かせるものの3つに分けられる。

 1は狐の霊が何の予告もなく、あるいは狐に悪戯した場合に取り憑くもので、原因不明の病気、精神の異常、異常な行動をとるなど、個人や周辺に多大な迷惑をかけるやっかいなものとされた。

 2に挙げた、家に憑く狐は、家に代々受け継がれるもので、管狐、オサキ、人狐というのはこれである。繁栄をもたらす反面、粗末に扱うと祟りを及ぼし、家を滅ぼしてしまう。他家から狐が物を盗んできたり、家の者が憎く思う相手に憑いて病気にしたりするので、周辺から敬遠されてしまう。また、嫁ぎ先にも狐がついて行くと信じられたので、婚姻が忌避されるなどの差別を受けた。

 3は稲荷下しなどといって、祈祷師たちが狐の霊による宣託を行ったものである。

 

座敷わらし

岩手県を中心とした東北地方でいわれる妖怪。名前が示す通り、家の中にいる子供の妖怪で、3歳くらいから11歳、12歳くらいの男の子または女の子で、髪形はオカッパとされることが多い。

 

・座敷わらしにも階級のようなものがあるそうで、上位のチャーピラコは色が白く綺麗だとされ、階級の低いノタバリコや臼搗きわらしといったものは、内土間から這い出て座敷を這いまわったり、臼を搗くような音をたてたりと、なんとなく気味が悪いそうである。

 

・座敷わらしというよび方は東北地方でのことだが、この仲間というものはほぼ全国的に分布している。北は北海道のアイヌカイセイ、南は沖縄のアカガンターと、多少の性質の違いはあるが、家内での悪戯、例えば枕を返すとか、金縛りにするなどといったことが共通して語られ、家の衰運などにも関わることもある。韓国の済州島に伝わるトチェビなども、座敷わらしに似た性質を有しているという。

 

寒戸の婆(さむとのばば)

・『遠野物語』にある山姥の類。岩手県上閉伊郡松崎村の寒戸にいた娘が、ある日、梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方不明になった。

 それから30年後、親戚が集まっているところへ、すっかり年老いた娘が帰ってきた。老婆となった娘は、皆に会いたくて帰ってきたが、また山に帰らねばといって、再び去ってしまった。その日は風が激しい日だったので、それ以来、遠野の人々は、風が強く吹く日には「寒戸の婆が帰ってきた日だな」などといったという。

 『遠野物語』は柳田国男が遠野の佐々木喜善より聞いた話をまとめたものだが、遠野には寒戸という土地はなく、これを登戸の間違いではないかとされている。語り部役を務めた佐々木喜善は『東奥異聞』に登戸の茂助婆の話として記している。

 

オマク

岩手県遠野でいう怪異。生者や死者の思いが凝縮した結果、出て歩く姿が、幻になって人の目に見えることをいうもので、「遠野物語拾遺」には多数の類話が見える。