日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

伝説によると、振り上げられた頼綱の刀に、江ノ島のほうから飛来した「光り」が当たって、刀が三つに折れました。「光り」はなおも飛んできて、北条時宗の屋敷まで届きました。(2)

 

 

『シリーズ日蓮4   近現代の法華運動と在家教団』

西山茂 責任編集    春秋社   2014/7/20

 

 

石原莞爾と「世界最終戦争」・「東亜連盟運動」  仁科悟朗』

 

 

終戦争論

・最終戦論が世に出たのは、1925年、ドイツから帰国の途中のハルピンでの国柱会の講演会であった。その後、1940年9月発表の『世界最終戦論』で、広く知られるようになる。

  過去の歴史をいろんな分野で探って見ても、今や人類の前史は終わろうとしている。そして絶対平和の第一歩になる、人類の最後の大戦争が目前に迫る、と将来を予想する壮大な理論であった。

 

 それは「Ⅰ.真に徹底する決戦戦争なり。Ⅱ.吾人は体以上のものを理解する能わず。Ⅲ.全国民は直接戦争に参加し、且つ戦闘員は個人を単位とす。即ち各人の能力を最大限に発揚し、しかも全国民の全力を用う」とされる。そしてこの戦争が起こる時期は、「Ⅰ.東亜諸民族の団結、即ち東亜連盟の結成。Ⅱ.米国が完全に西洋の中心たる位置を占むること。Ⅲ.決戦用兵器が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ること」で、間もなくやってくる、と考える。過去の戦争から何を学び、何を為すべきかの実践的な対処、決断を要請する理論でもあったのだ。

 

・「私の世界最終戦争に対する考えはかくて、1.日蓮聖人によって示された世界統一のための大戦争。2.戦争性質の二傾向が交互作用をなすこと。3.戦闘隊形は点から線に、さらに面に進んだ。次に体となること。の三つが重要な因子となって進み、ベルリン留学中には全く確信を得たのであった」

 

・石原の信仰への動機は、兵に、「国体に関する信念感激をたたき込むか」にあった、という。そこでその答えを神道に、または本多日生に求めたりして、模索を続け、遂に1919年に入信を決意する。日蓮の『撰時抄』中の「前代未聞に大闘諍一閻浮提に起こるべし」は、軍事研究に「不動の目標」を与えた、という。

 

国柱会創始者の田中智学(1861-1939)は在家で、日蓮信仰の改革、高揚を目指すと共に、「八紘一宇」の旗の下、日本国体を強調して明治・大正・昭和時代に、仏教関係者に限らず、多方面に大きな影響を持ち、一つの枠に入りきれぬ人物であった。高山樗牛宮沢賢治の師としても知られている。

 

1938年、石原は舞鶴要塞司令官時代に、信仰上の危機に襲われる。その衝撃は日記にも残っていた。「仏滅年代に関する大疑問!人類の大事なり」、「本年は仏滅2426?70年以内に世界統一???」。

  石原は大集経による正法の時代、仏滅後1000年、次いで像法の時代、1000年、これら二つの時代の後に末法の500年が来る、という信仰を持っていた。石原は信じる。日蓮は自分こそ、この最後の500年、つまり末法の最初の500年に釈尊から派遣された使者、本化上行なのだ、と自覚する。そして日本を中心に世界に未曾有の大戦争が必ず起こるが、そこに本化上行が再び出現し、本門の戒壇を日本に建て、日本の国体を中心とした世界統一を実現する、と予言したのだ、と。同時に石原は確信する。だがしかし時はまだ来ていない。その末法500年まで、つまり仏滅後2500年までに実現する、いやさせなければならない。それをこの日までの石原は疑っていなかった。

 

・それが仏滅の年代が後年にずれた結果、日蓮誕生が今まで自分が信じて疑わなかった末法の時代ではなく、像法の時代であることになる。それで信仰が根底から揺らぐ衝撃をうけたのだ。

 苦悩の末、日蓮の『観心本尊抄』の一節、「当に知るべし。この四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧と成りて、正法を弘持す」を支えにすることで、この危機を脱したのである。

 石原の言葉を引用しよう。「本化上行が二度出現せらるべき中の僧としての出現が、教法上のことであり観念のことであり、賢王としての出現は現実の問題であり、仏は末法の五百年を神通力を以て二種に使い分けられたとの見解に到達した」のであった。

 

・「五五百歳二重の信仰」である。この考えは以来、国柱会を始め、先学の批判にあっても、生涯変えようとはしなかった。石原の堅い信仰になる。西山茂氏が指摘する通り、アドベンティストの予言である。明確な年代表示に拠る信仰は、厳しい現実に直面することになる。日記にあった、仏滅年代が西暦前の486年とする。『衆聖點記』に従えば、没後2500年は間もなく到来する。中村元説に拠れば、釈尊入寂は、西暦前383年なので、現時点では必ずしも破綻したとは言えないのだが。

 

 

『最終戦争論  戦争史大観』

石原莞爾    中央公論社  1993/7/10

 

 

<最終戦争論>

昭和15年5月29日京都義方会に於ける講演速記。

 

戦争史の大観

決戦戦争と持久戦争

・戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。つまりアメリカは、かれらの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ戦争ではありません。

 

・戦争本来の真面目は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じ時代でも、ある場合には決戦戦争が行なわれ、ある場合には持久戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因は時代的影響でありまして、軍事上から見た世界歴史は、決戦戦争の時代と持久戦争の時代を交互に現出して参りました。

 

・戦争のこととなりますと、あの喧嘩好きの西洋の方が本場らしいのでございます。殊に西洋では似た力を持つ強国が多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、決戦・持久両戦争の時代的変遷がよく現われております。日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やスポーツやら分からぬ。

 

終戦

・単位は個人で量は全国民ということは、国民の持っている戦争力を全部最大限に使うことです。そうして、その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心にしたものでありましょう。われわれは体以上のもの、即ち4次元の世界は分からないのです。そういうものがあるならば、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。われわれ普通の人間には分からないことです。要するに、この次の決戦戦争は戦争発達の極限に達するのであります。

 

・戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる――即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。

 これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私は理論的に正しいものであることを確信いたします。戦争発達の極限が戦争を不可能にする。

 

・この次の、すごい決戦戦争で、人類はもうとても戦争をやることはできないということになる。そこで初めて世界の人類が長くあこがれていた本当の平和に到着するのであります。

  要するに世界の一地方を根拠とする武力が、全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを屈伏し得るようになれば、世界は自然に統一することとなります。

 

・一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最期の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません。

 

飛行機は無着陸で世界をグルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう…。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終わる。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降るとみて笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。

 

・もう一つは建設方面であります。破壊も単純な破壊ではありません。最後の大決勝戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。

 

・そこで真の世界の統一、即ち八紘一宇が初めて実現するであろうと考える次第であります。もう病気はなくなります。今の医術はまだ極めて能力が低いのですが、本当の科学の進歩は病気をなくして不老不死の夢を実現するでしょう。

 

・それで東亜連盟協会の「昭和維新論」には、昭和維新の目標として、約30年内外に決勝戦が起きる予想の下に、20年を目標にして東亜連盟の生産能力を西洋文明を代表するものに匹敵するものにしなければならないと言って、これを経済建設の目標にしているのであります。その見地から、ある権威者が米州の20年後の生産能力の検討をして見たところによりますと、それは驚くべき数量に達するのであります。詳しい数は記憶しておりませんが、大体の見当は鋼や油は年額数億トン、石炭に至っては数十憶トンを必要とすることとなり、とても今のような地下資源を使ってやるところの文明の方式では、20年後には完全に行き詰まります。この見地からも産業革命は間もなく不可避であり、「人類の前史将に終わらんとす」るという観察は極めて合理的であると思われるのであります。

 

仏教の予言

・仏教、特に日蓮聖人の宗教が、予言の点から見て最も雄大で精密を極めたものであろうと考えます。

 

・しかしお釈迦様は未来永劫この世界を支配するのではありません。次の後継者をちゃんと予定している。弥勒菩薩という御方が出て来るのだそうです。そうして仏様の時代を正法・像法・末法の三つに分けます。正法と申しますのは仏の教えが最も純粋に行われる時代で、像法は大体それに似通った時代です。末法というのは読んで字の通りであります。それで、お釈迦様の年代は、いろいろ異論もあるそうでございますが、多く信ぜられているのは正法千年、像法千年、末法万年、合計1万2千年であります。

 ところが大集経というお経には更にその最初の2500年の詳細な予言があるのです。

 

・そして日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。

 

結び

・今までお話しして来たことを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終わろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのであります。今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期であります。

 

《解説  五百旗頭 真》

原体験としての日露戦争

・多感な十代半ばの時期に、軍人の卵たる仙台幼年学校の生徒として目撃し体験した日露戦争こそは、石原の生涯のメインテーマを決定した。

 

・石原にとって日露戦争は、国家の存立と偉大さのために身命を捨て一丸となって戦うナショナリズム原体験だったのである。

だが、それは何という悲惨さだったことであろうか。

 「銃後の生活は日一日と苦しさの度を加え、至る所に働き手の不足と物資の欠乏とがめだってきていた。仙幼校においても、もはや炊事夫や小使までが次々と招集されてゆき、……兵舎内はもう老兵ばかりだ。……そして教練には銃はもちろん木銃さえが少ない。軍服も靴も少なく、全く人も物も一切が瀬戸際に立っていた」。

 

この追いつめられた第2師団の銃後体験のなかで、石原は「負けるのではないか」と思わずにはおれなかった。軍人石原も、軍事理論家石原も、国防政策家石原も、実はこの危機認識から出発するのである。本書収録の石原軍事学の自伝ともいえる「戦争史大観の序説(由来記)」の冒頭の一文がかくて生まれる。

 「私が、やや軍事学の理解がつき始めてから、殊に陸大入校後、最も頭を悩ました一問題は、日露戦争に対する疑惑であった。日露戦争は、たしかに日本の大勝利であった。しかし、いかに考究しても、その勝利が僥倖の上に立っていたように感ぜられる。もしロシアが、もう少しがんばって抗戦を持続したなら、日本の勝利は危なかったのではなかろうか」。

 

戦争進化・終末論

・石原の「最終戦争論」は、マルクスの共産革命史観やヒットラーの人種淘汰史観などとともに、現代史が生んだ世俗的終末論である。

  キリスト教の母胎となったユダヤ教は、典型的に終末論の構造を示す。原初の楽園における人類の幸福な生活が原罪によって失われ、苦難の歴史を歩むが、やがてメシアが現れて救いを示す。「改心せよ、神の国は近づいた」との終末論的呼びかけがなされるのである。この宗教上の終末論の構造が、マルクス主義においては現実の歴史に適用され、原始共産主義階級闘争と収奪→共産革命による国家権力の死滅、という世俗的終末論が説かれるのである。弁証法的ダイナミズムを内蔵したユダヤ教の進歩・終末史観が、マルクス主義ヒットラー主義をはじめ様々な人類史の局面についての歴史観として姿を現わし、それぞれに現実世界の救いを語りそのための改心と決断を迫る。

 

石原莞爾の「最終戦争論」は、まさに軍事を言語とした世俗的終末論の一つといえよう。彼がドイツ留学中にこの史観を形成したことを想起すれば、ユダヤ教を原型とする西洋終末史観の影響が推測されるかもしれない。事実はそうではない。石原の場合、歴史観の基本構造が、ユダヤキリスト教=西洋思想からではなく、日蓮=仏教思想から与えられた点で注目される。正法→像法→末法→妙法という転落と逆転再生の歴史観が、通常は輪廻史観において理解されがちな仏教にも存するのであり、石原はその信奉者である。日蓮『撰時鈔』の「『前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし』は私の軍事研究に不動の目標を与えたのである」と本人が語る通りである。

 

・僅かに英仏海峡を挟んでの決戦戦争すらほとんど不可能の有様で、太平洋を挟んでの決戦戦争はまるで夢のようであるが、既に驚くべき科学の発明が芽を出しつつあるではないか。原子核破壊による驚異すべきエネルギーの発生が、巧みに人間により活用せらるるようになったらどうであろうか。これにより航空機は長時間素晴らしい速度をもって飛ぶことが出来、世界は全く狭くなる事が出来るであろう。またそのエネルギーを用うる破壊力は瞬間に戦争の決を与える力ともなるであろう。

 

・飛行機は無着陸で世界をグルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代わり大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。

 

・さて、「世界最終戦争」の起る時期について石原は様々に述べている。関東大震災の報をドイツで聞いた時には、終末的情景の現実化を想像し、妻への私信では「2、30年」でその時が来るかもしれないと書いている。それだと第2次世界大戦末期から10年ほどの時期ということになる。核兵器開発の時期はまさにその通りであった。

 

・他方、本書が書かれた1940~42年の時期には、以後30年ないし数十年としており、それで見れば1970年頃から冷戦の終結する90年頃ということになる。一応の基準として、第1次世界大戦開始後50年と戦争史の進化動向から算定しているのに従えば、1964年、キューバ危機の頃となる。石原の示した条件のうち、互いの首都が一瞬のうちに灰になる破壊兵器の登場と、飛行機が地球を無着陸でグルグル回る時期ということになれば、およそ妥当するであろう。

  つまり、石原の軍事手段の発展の展望は意外に正確なのである。そして、そのような兵器の登場が全面戦争を不可能にするという基本状況の認識についても誤ってはいないのである。それなりの分析と研究をもって、このような洞察をなしえた石原は、やはり天才的と言うべきであろう。

 

・誰も石原以外にこのような展望を示しえなかったのであるから、石原が誤っていた、もしくは不十分であった側面を、歴史の後知恵をもって批判するのは詮なき所業と言うべきであろう。しかし、問題点と評価を過不足なく示すことは、同時代および後代の識者の尊い務めであるから、やはりふれねばなるまい。

 

・石原の想定が見落としている点は、「全面戦争の不可能」という状況と「世界の統一」・「絶対平和」の到来との間に、巨大なグレイゾーンの存在することである。石原が正しく指摘した「戦争の不可能」状況は、世界統一を20年ほどでもたらすのではなく、冷たい平和(冷戦)、限定戦争あるいは地域紛争を持続させ、戦国時代の日本が統一され刀狩りが行なわれたように行かない。共通の歴史的・文化的基盤を持たない世界の諸民族は、全面戦争が不可能になったからといって、一つになりはしないのである。ヨーロッパ文明の共有があってすら、EC市場統合がやっとのことで、共通単一通貨も政治統合もまだ先のことである。

 

アジア主義・国体論

・最終戦争が日米間で行われるとした点には、微妙なねじれが感じられる。第1次世界大戦後のヨーロッパでは、次の戦争が日米間で行われるという議論が流行しており、石原もそのことを記している。石原にもともとあった反米論が、ヨーロッパの侮米論もしくは日米離間論と共鳴した面があるかもしれない。

 

・石原は対米戦略計画の不成立を認めず、日本国体論者の使命感を優先させる。昭和3年に志願して関東軍参謀となり、対米最終戦争の準備戦として満州事変を開始するのである。

  それでいて、本書の随所に見るように、昭和16(1941)年時点での日米開戦に石原は明瞭かつ合理的理由をもって反対するのである。核兵器はもとより、地球を無着陸でめぐる航空機も持たず、生産力拡充計画も東亜連盟も愚かな対中戦争によって頓挫した状況での対米戦争は、石原の説いてきた最終戦争とは無関係であり、敗北確実な早漏的戦争でしかないのである。

 それゆえ、あの日米戦争の推進者ではなく反対者であった石原に責を問うことはできないと考えられよう。

 

・すべての世俗的終末論が例外なく事実によって裏切られるように、「最終戦争論」についても、その予言の通りにその後の歴史が運んだわけではなかった。しかし、戦争術の極度の発展が戦争を不可能にするという根本認識は、きわめて正確な洞察であり、近代史におけるもっとも独創的にして刺激的な史論の一つであることは疑えないのである。

 

石原莞爾明治22年(1889)山形県に生まれる。陸軍中将。関東軍参謀時代には満州事変を主導、昭和陸軍の異端児として頭角を現す参謀本部作戦部長時代には日中戦争不拡大を主張。舞鶴要塞司令官を経て京都第16師団長を最後に東条陸相との衝突により昭和16年予備役となる。日蓮信仰にもとづく独特な国防・歴史観と人格的魅力があいまち賛仰者が多い。

 

 

 

『超常科学謎学事典』

―最新科学と秘教科学が謎と不思議を完全解明―

編者 秘教科学研究会   小学館  1993/1/10

 

 

ディクソン(ジーン・)

・1918年生まれのアメリカの水晶占い師。現代最高の予言者といわれている。

 彼女は8歳のときに、街で出会ったジプシー老婆から水晶球とその占い法を伝授されたといわれている。第2次世界大戦中にはアメリカ政界に出入りしてさまざまな予言を行なった。その当時、ルーズベルト大統領に初めて会ったとき、半年後の大統領の死を告げたことで有名となる。しかし、彼女をほんとうに有名にしたのは、1952年に予言したケネディ大統領の暗殺だろう。「1960年の大統領選挙で選ばれるのは民主党の若いリーダーであり、この大統領は在職中に暗殺されるだろう。その犯人の名はOSで始まりDで終わる」。

 

・この予言どおり、1960年に選ばれたケネディは43歳という若い民主党のリーダーだった。そして1963年に暗殺されたのだが、その犯人とされているのは、OSで始まりDで終わるオズワルドという男だった。

 彼女の予言で的中した主なものは、ハマーショルド国連事務総長の事故死、ロバート・ケネディの暗殺、キング牧師の暗殺、アポロ4号の事故、ソ連軍のアフガン侵攻など。ニクソン大統領に対してウォーターゲート事件を予告したこともあった。

 

・今後の未来について、彼女は次のような予言を行なっている。1995年に中東で大事件勃発。米英仏や日本等、10か国が連合軍を結成。

 1999年に連合軍が中東に侵攻。それに対してソ連が核戦争を仕掛け、全人類の生存が危ぶまれる大戦争が開始される。

 2005年には、両陣営が力を失ったとき、中国が世界制覇に乗り出す。これに対して連合国も応戦し、2020年にはハルマゲドンで最後の戦闘が行われる。

 2020年から2037年の間に、ユダヤ人は真のキリストの再臨を迎える。その後世界は真に光り輝く時代に向かう。

 

・彼女の予言は、米ソ対立、米中対立という古い構図から作られており、何より全体像はユダヤキリスト教系予言の枠組みから一歩も出ていない。したがってこうした予言にはほとんど意味がないと考えてよいだろう。いっぽう、個人的な出来事については、的中例が多い。これはいわゆる霊能者的予言の特徴と合致する。水晶球を使用した波動による予言の域を一歩も出ていない占い師が、ユダヤキリスト教予言体系を学んだが、あるいはその波動とアストラルのレベルで感応した結果、こうした予言が生まれたものと思われる。

 

 

 

『図解雑学 日蓮

藤井寛清     ナツメ社  2005/6

 

 

 

伊勢神宮の御厨

日蓮又、彼国に生まれたり、第一の果報なり

日蓮が生まれた故郷、房州安房の国は、伊勢神宮の御厨と言われ、尊ばれていた。

 

伊勢神宮御厨とは

日蓮の出生地安房の国は、思想的に特別な意味があった。それは、その地が伊勢神宮の御厨(みくりや)であったからである。御厨とは、神の供物を収める建物や、神宮や神社に付属する土地をいう。寿永3年(1184)源頼朝が、この安房東条の地を伊勢神宮外宮に寄進し、東条御厨(神の住み給う地域)とした。

 

まさに首切られんと 龍ノ口首の座

日蓮は刑場龍ノ口の首の座にあった。命は風前の灯であった。しかし、奇跡は起こった。

 

四条金吾、殉死を誓う

・龍ノ口への道中、日蓮は連行する役人に、「このことを知らせたい人物がいる」と言い、四条金吾頼基のもとへ使いを走らせた。四条金吾日蓮斬首の知らせに大変驚き、「法華経に殉じ、師に殉ずる覚悟」と死装束で駆けつけた。

 

四条金吾ら兄弟4人は、日蓮を乗せた馬の手綱を引いて龍ノ口まで同行した。

 

日蓮首の座に

文永8年(1271)9月13日丑の刻(午前2時頃)、片瀬龍ノ口、日蓮は首の座にあった。太刀取りの依智三郎直重は名刀蛇胴丸の鞘を払う。「南無妙法蓮華経」と唱える日蓮。「いよいよ最後です」と言って泣き伏せる四条金吾

 まさに日蓮の首をはねようとしたその時、不思議が起こった。『種々御振舞御書』には次のように書かれている。

 「江の島の方角から月のように輝く鞠のようなものが、辰巳の方(東南)から戌亥の方(北西)へ渡った。夜はまだ明けておらず、人の顔も見えないほどだったが、その光で月夜のように、人の顔がはっきり見えた。太刀取りは目がくらんで倒れ伏し、兵士は恐れ、1町(約109m)程も逃げ去った者や、馬から下りて怯える者、馬の上でうずくまる者もいた」。斬首は中止となった。

 

日蓮は「夜が明ければ見苦しいから、早く首を切れ」と言い放つが、役人たちは恐れおののき、日蓮に近寄ることができず、とうとう日蓮の首を切ることはできなかった。

 

数々の奇瑞 星下り

日蓮の斬首は中止となり、日蓮の身柄は依智本間邸へ一時あずかりとなった。そこでも星が下るという奇瑞が現われた。

 

星下りの奇瑞

・9月13日夜、日蓮は庭に出て自我偈を読誦し、月に向かい、「月天子は法華経宝塔品や嘱累品で、末法法華経の行者を守護するとお釈迦様に誓ったではないか!それを忘れてしまわれたのか!その験を表さないのに、そのようにうれし顔に澄み渡っているのは何事だろう」(『種々御振舞御書』)と月天子を責めた。

 しばらくすると奇跡が起こった。天から明星のような大きな星が降り、庭の梅の木にかかり、美しい光を放ったので、皆が驚いたという。これを「星下りの奇瑞」といい、その伝承を伝える寺院が厚木市に3ヶ寺ある。妙純寺、蓮生寺、妙伝寺がそれである

 

龍口法難時に出現した光り物は?

日蓮の首の座の法難を救った、江の島方面より飛来した「光り物」は、一体何であろうか!古来、そのような奇跡はないという説もあったが、『種々御振舞御書』などの記録から、その事実はあったとする見方が今では大勢をしめている。彗星、流星、火球、電光、球電、オーロラ、UFOなどの自然発光現象は誰が見ても一瞬驚く。それらを克明に探った研究がある。それを紹介し、日蓮の龍口法難事件の真相の資料としたい。

 

○エンケ彗星が、その軌道上にまき散らした一片が大流星になって落ちた。太陽暦10日頃にその流星群は、しばしば明るい流星を出現させるという。それが龍ノ口の日蓮の命を救ったという説。

 

○「球電」「プラズマ渦」「ライト・ボール」は「雷時が雷警報下に多く発生するもので、球形をしており、数センチから数メートルの大きさの火の玉で、持続時間は短く、数秒間内に静かに消滅したり爆発したりする」と『星の古記録』の紹介されている。

 

・『種々御振舞御書』などの記録によると、流星のような直線的な動きではなく兵士が驚くような複雑な動きをしており、馬の首を超えたり使いの者を襲ったりしている。隕石・電光のようなものでなく雷発生時にたまたまおこる電子のかたまり、球電現象であると断定した本もある(『日蓮聖人の不可思議体験』)。

 

・「依智の星下り」は大金星が地平線上に輝き、あたかも梅の木に「光り物」が止まったように見えた現象という説(『星の古記録』)を『日蓮聖人の不可思議体験』では、時間的な事やその他前後の関係から否定し、やはり「球電」現象としている。

 

・天から明星の如き「大星」が下り、光り輝き、何か神様らしきものが見える。それを見た者が、その不思議さに「大庭にひれふし」ても不思議でなく、その音と光に逃げ出す者がいても不思議ではない。「明星天子」が降臨されたと思うような現象が起こったとしても不思議はない、と紹介している。

 

・しかしそれが何であれ、なぜその瞬間に起こったのかが問題である。T・P・Oが合致するということは、天の加護や霊力が働いたという見方をしても間違いはない。

 聖者、偉大な宗教家や歴史上の人物には伝説がつきものである。それは、後世のつくり話ではなく、その時、そういう奇跡が現実に起こったのである。そういう神秘を自己の身元に引き寄せる力があるからこそ、歴史に名を残す宗教家なのである。

 

・また同書は「帝釈天は雷神、八幡大菩薩は月光、江の島弁財天は水火雷雷神として動き、龍口明神、八大龍王は悪世を怒り、龍火を吐いた。『球電』『光り物』『龍火』と名は違えども、実在事実は一つであり、諸天善神がその神力を発し守護した」と述べ、また「龍口の光り物現象は、日蓮聖人の神通である」と示している。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

「UFO」町おこしの仕掛け人

元々は、町おこしのために「羽咋ギネスブック」というのを青年団と一緒に作っていたんです。その過程で羽咋の歴史を調べていると奇妙なことが書かれた古文書を見つけました。その昔、羽咋には「そうはちぼん」と呼ばれる謎の飛行物体が頻繁に目撃されていたと

 実は「そうはちぼん」とは、日蓮宗で使われるシンバルのような仏具のことなんです。その形はまるで鍋のフタのようなんですね。「これってUFOのことじゃないか!?」と、鳥肌が立ちましたよ。

 「これは町おこしに使える!」と思いまして、賛同してくれるメンバーを何人か集めて羽咋ミステリークラブ」というUFO町おこし団体を作ったのが始まりでした。

 

 

 

『やはり世界は預言で動いていた』 (光と闇の奥書、釈迦と日蓮

五島勉)  (青萠堂)   2004/7

 

 

 

人類は遠い未来、「仏陀類」「仏類」になる。

・それで、ブッダだがそれは、人間の知恵や人類が良い方向へ開き、知能も情操も100%以上に開けた状態をいう。いわゆる人間の脳の中に隠されていて、まだ開かれていない超能力すべてが全快した状態である。だからブッダの姿は今の人間とあまりかわらないが、内容はもう人類ではなくブッダ類、「仏類」になっている。

 

・人間は最終的にはそうなることをお釈迦様は、ここで言いたかったのだろう。それはそんな遥か未来までそうなれる人々が少数密かに存在し、次第に英知を高め親から子へ生き伝えて、いつの日か、人間より格段、知恵も情操も高い新生物に進化することを予言したということである。

 

・その人たちブッダたちは、過去・現在・未来を全て見通し、男女とも現在の数十倍美しく魅力的になり、しかし、動物的な衝動を持たない非常に高度な愛(というより慈悲)に生きる。それで何をするかというとなお一生懸命学び働き愛する一方、ブッダたちは宇宙全体に発展して「仏類」の新しい世界を創っていくのだ

 

・これは、空想だろうか。2500年前に「屋宇の崩壊」を当て、「劫の尽きた衆生が大火で焼かれるように見える」の表現で核や高温化の危機を当て、それを英知で逆転する方向もお釈迦様は示した。

 

・だからこそ、この「受記」の予言も大筋で当たるように私は思える。そしてもしそうなら、人類の一部は今日本人の一部は今、「前代未聞の大斗諍」をそれから強い意志と知恵で乗り切って今、までの人類が新しい「仏類」へと進化していく遠い遥かな、しかし、輝かしい途上にあるのだ。

 

 

 

『UFOの真実』  みんな騙された

森脇十九男   環健出版社      2008/4/10

 

 

 

UFO後進国

・斯様の思いを踏まえ、「UFOの真相探究」認識の序として、私が依拠して参りました、尊い仏典、聖典、その他文献中に記され、残されております、驚天動地とも言うべき事実をお伝えしておきましょう。同時に、皆様方の今後の「UFO探究」の一助となることを念じつつ、誠に勝手のことながら、幾つかの参考資料をお送りさせていただくことと致しました。

 

その一、釈尊が金星人に会っていたという事実が存在すること(2500年頃前)

 

その二、金星人は存在するという事実があること。その金星人とは、仏典中で明星天子(明星ともいう)と称されている人のこと。

 

その三中世の我が国民に大きな影響を及ぼした勝道、空海親鸞日蓮らの御聖人方が、金星人、すなわち明星天子と会っているという事実があること(1200年前)

 

その四、イエス・キリスト(参考ヨハネ黙示録、「私は輝く明けの明星である。」、2000年前)の、現在に生まれ変わったという金星人が、UFOに乗って、飛来したという文献「第二惑星からの訪問者」のあること。

 

・繰り返しますと、往古、かの尊い釈尊が、明星天子にあったという事実、また、イエス・キリストと金星との関わり、その記録が歴然と存在しております。時空を超え、我国においても、前記各御聖人方が、明星天子に会ったという厳然とした記録が残されており、それら典拠によれば、明星天子(明星)は、金星を宮殿としてその中に住居するものとあり、いわゆる「金星人」の実在を著わしているのであります。

 

ペテン扱いされたアダムスキーの、金星人「オーソン」UFO真相

・日光輪王寺を開山した勝道上人の神道体系によると、明星天子(金星人)が来て、日光開山を助けたとあります。また「星の信仰」では勝道上人が明星天子(金星人)が虚空蔵として開山を助け星の宮神社として残っている。

 

・『続真言宗全書引用』心中に(虚空菩薩像を)観想したとき、(虚空蔵の象徴<三昧耶形>である)明星が、(修行の成就の証として)口中にはいった。そして、虚空蔵菩薩から発せられる光明の輝きは、菩薩の威力を顕わし、仏の教えの比類のないことを示した。

 

中村元著、佛教語大事典にも親鸞が明星上人と会ったと記述されている。

 (みょうじょうてんし【明星天子】)普光天子・黄白大士ともいう。帝釈の従者で、太陽に先立って世界を照らし、世界の闇を破ることを仕事にしている。インド文学では太陽の御者とされる。〔下野国の高田専修寺にある般舟石の上で親鸞が53歳の時、正月八日に明星天子から柳と菩提樹とを授けられて、高谷念仏の道場を建てたという伝説がある。〕

 

聖書「核」現代の予言

・キリストは新約聖書黙示録の中で、輝く明けの明星(=金星人)であると述べ、またマタイによる福音書でも、天雲(UFO)に乗って来ると述べているなど数々の予言予告が記載されています。

 

・(ペテン扱いされたアダムスキーの、金星人「オーソン」UFO真相)

なぜ、アダムスキーはペテン扱いされたのか?何といっても、金星人と話をしたから。

金星人、オーソンとは?真理という意味実は仏教では明星天子キリスト教ではイエス・キリストであり、アダムスキー全集では「オーソン」と呼ばれていることになる。