日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

そこで、私は体の外に出て、津波の現場の泥の中に飛び込みました。そして、そこに埋もれていた魂を一つひとつ泥の中から外へと救い出したのです。(1)

 

 

『あの世の歩き方』

辛酸なめ子 寺井広樹 マキノ出版  2017/3/15

 

 

 

この世からあの世に上手に旅立つコツや、あの世で幸せに暮らす極意はあるのか。>

この世での時間に関係なく「完成した人」は天国へ行き今生を生きるほど天国ライフも充実 自然療法医 小林健先生

天国は無数の粒々が漂い瞬間的に具現化する世界

・そちらの方向へ歩いていくと、モナリザに似た雰囲気の人がいて、「君はまだ来るべきときじゃない」といわれたそうです。

「当時の私は、神様は男だと思い込んでいましたが、実はそれが神様で、そこが天国だったのです」

 

・「天国は最高に平和な場所で、退屈と感じる人もいるでしょう。しかし、思ったことはなんでも即、形になって実現できるので、クリエイティブな人にとっては楽しく刺激的にも過ごせると思います。私は毎回の滞在時間が短くて、そんなふうには過ごせませんでしたが」

 

・「しかし、神様から『地獄というのはないんだよ、人間が戒めに想念でつくったもので、実際はない』といわれました。だから、怖がらなくて大丈夫です。この世での充実した生活が、天国でのすてきな暮らしにつながるので、好きなことや輝ける時間を大切に生きてくださいね」

 

子供時代の3度の臨死体験で得た不思議な力であの世と交信して先祖の声を聞く 山本印店天主  山本桃仙さん

観音様が待っている川から母の声で引き戻された

・「不思議なハンコ屋さん」として有名な山本印店店主の山本桃仙さん。現在使っているハンコを見るだけで、その人自身のことやご先祖がその人に伝えようとしているメッセージ、いま抱えている問題、解決のヒントなどがわかるという力をお持ちです。さらに、山本印店でハンコを作るときは運勢が変わるといわれ、そのことがクチコミで広がって大人気です。

 

ハンコにふれた瞬間に先祖のことがわかる

・取材のとき、そばで聞いていらした奥様がおっしゃいました。

「多分、お母さんの力だと思います。ずっと、この人のことを心配していましたから」。

 

「野心や欲を持て」という先祖のメッセージ

・それにしても、母親の実家の事情から呼吸器のこと、私の仕事の課題まで、バチッといい当てられたのにはビックリです。

「不思議なハンコ屋さん」で、評判どおりの不思議体験をさせていただきました。

 

すべての人は生死によってあちらの世界とこちらの世界を行き来している  弁護士/医学博士 秋山佳胤先生

・司法試験に3回落ちて精神も肉体も疲労の極みに達していました。

 

・地獄を体験してから、悩みが消えて毎日幸せです。

 

「銀河宇宙連合」の主催による在日宇宙人・在日天使の会に出席

・「愛と不食の弁護士」として有名な秋山佳胤先生、2008年以降、家族や友人とコミュニケーションをとるため、必要に迫られて少量の食事をとることはあっても、基本的には一切の飲食が必要ないそうです。秋山先生は、あらゆるところにあるプラーナ(目に見えないエネルギー=気のようなもの)をとって生きていらっしゃるのです。大自然の中や太陽の光がそそがれるときほど、良質なプラーナが豊富なので、らくに過ごせて元気になれるといいます。

 

・「先生、もう宇宙人なのでは?」と、辛酸なめ子さんから直球の質問が……。

「それはなんともいえませんが、ちょうど先日、『在日宇宙人、在日天使たちによる地球サミット』というイベントに参加しました」と秋山先生。「知らなかった、行きたかったです!」と辛酸なめ子さんが身を乗り出しました。

 

・「銀河宇宙連合は、映画『スター・ウォーズ』でいうと「ジェダイ評議会」のようなもので、いろいろなマスターがいます。メンバーは、みなさんご存じのイエス様やマリア様、ブッダやクリシュナ(ヒンドゥー教の神様)といった方々で、日本の倭姫(やまとひめ)様もそうです」。

 

意識のチャンネルを合わせれば天国にも地獄にもなる

・「いま、私たちは肉体を持って地上にいますが、こちらで死を迎えると向こうの世界に戻ります。向こうでは、こちらの世界に生まれることを『死』といい、戻ることを『生まれる』といいます。そして、向こうの世界にいるときは、みんな天使なんです」

 

秋山先生は、辛酸なめ子さんの漫画にあるとおり、司法試験の受験勉強で疲れ果てた時期に、しばらく地獄に住んでいらっしゃいました。

 

・「意識のチャンネルを合わせれば、いまいるところが天国にも地獄にもなります。私も、あの時期は“地獄チャンネル”に合っていたのだとつくづく思います」

 

大切なことを広く知らせる「ライトワーカー」として地球に来た

・秋山先生は弁護士であるとともに医学博士であり、ホメオパスある病気に近い症状が現れるものを投与し自然治癒力を引き出す療法「ホメオパシー」の専門家)でもあります」

 

・「ライトワーカー(地球人を助けるために生まれたとされる光の仕事人)であり、肉体はまだ若いですが、スピリットはベテランで、この地上に来たのも、いろいろなメッセージを伝え、人を導くリーダー的な役割をするためです」

 

・「名前は自分自身が選んで生まれます。魂の青写真であり、人生の設計図です」とのこと。この機会に読者のみなさんも、ご自分の名前について、ぜひじっくり考えてみてはいかがでしょうか。

 

・もう、地球が滅亡する心配はないそうです。「地球が惑星レベルでアセンション(次元上昇)することは宇宙の決定事項で、失敗しようがない」とのことです。

 いまも戦争をしているところがあるのは、「最後の掃除」だといいます。

「そんなに遠くない将来にこの地上も、争いが一切ない平和な楽園になるというビジョンを私は見ています。私たちの住む場所そのものが天国になるのです」

 それがいつかは、私たちの集合意識で決まるとのこと。

 

死は肉体という「地球服」を脱ぐだけで学びのために次の課題を持って生まれ変わる ヒーリング・アーティスト 松尾みどり先生

部屋に差し込んだ光に包まれて宇宙に飛翔

・幼少時から数多くの不思議体験をされてきた松尾みどり先生。子供のころは、太陽の中に文字が見えたり、空気中にプラーナが飛んでいるのが見えたり、木々がさまざまな色に見えたりしたそうです。

 その後も体外離脱などの体験をされ、高次元の意識体とコンタクトできるようになり、宇宙、地球、人体などの真理にふれて、「意識の科学」を研究するようになりました。現在は、その成果を生かしてヒーリング・アーティストや健康アドバイザーとしてご活躍中です。

 

「地球の常識は宇宙の非常識」

・16歳のときに体外離脱をし、26歳のときに巨大UFOを目撃して、宇宙からのコンタクトに応じて交信するようになり、49歳のときに臨死体験……。ほかにも、27歳のとき、突然、宇宙に連れていかれるという体験をされています。

 

・ともあれ、すごいスピードで時間も距離もわからないほど飛翔を続けた松尾先生は、やがて楕円形をしたサッカー競技場のような巨大な会議場の真ん中に降り立ちます。観客席にあたるところには、おおぜいの宇宙人が座っていました。

 松尾先生が見たのは、すべてヒューマノイド型(人型)の宇宙人で、地球人に似ていたものの、肌はゼリーのようなきれいな半透明だったそうです。

 

昔より生まれ変わるサイクルが早くなっている

・その後も、松尾先生は折りにふれて宇宙と交信されています。

 

・「肉体は、いわば『地球服』で単なる器です。体を抜けたら痛みも恐怖も何もなく、おだやかなる静寂があるのみです」

 

・地球は、さまざまな宇宙人にとっての実験場であるそうです。

「高次の宇宙人には、病気もケガも老化もありません。ヒューマノイド型であれば、みんな20歳代くらいの美しい体をしていて何の苦痛もないのです。だからこそ、あえて病気やケガや老化のある地球に、さまざまな体験をしに来るのです」

 

・同時に、生まれ変わりを待つ霊体+光体でできた人々もそばにいるのかもしれないと思うと、この地球は、私たちが認識している何倍もの存在で満ちていることになります。

 

あの世で問われるのは「私が私に何をしたか」だけ

・あの世では人に何をしたか、悪いことをしたか、善行を施したかが問われるとよくいわれますが、そうではなく、「自分が自分にしたこと」こそ大切だというのです。

 そこで重要なのは、自分の「直感・言葉・行動」を一致させることだそうです。つまり、「自分の感じるありのままを言葉にし、さらに行動にも移す」ということです。

「すると、恐れがゼロになってバケツの底が抜けたみたいに気持ちよく、スコーンと抜けますよ。それが自分を大切にするということであり、あの世でのステップアップにもつながります」と松尾先生。

 

<人にはおおぜいの守護霊団がついていて究極の親心で見守っている  アカシックレコードリーダー  如月マヤ先生>

守護霊団と自分はエネルギーの傾向が共通した「一族」

・「アカシックレコード」。言葉は知っていましたが、どんなものかは漠然としか知りませんでした。過去から未来までの宇宙の全情報が記録される「意識界のデータバンク」のようなものだそうです。

 地球だけでもすごいのに、宇宙のすべてとは、とてつもない情報量です。そこから、必要なときに必要な情報を読み取れる人が「アカシックレコードリーダー」で、如月マヤ先生はその第一人者です。

 

如月先生のお話でビックリしたのは、守護霊は1人や2人ではなく、無数の存在でできた「守護霊団」だということです。あらゆる時代・あらゆる地球の人間に加え、動物や宇宙人なども含まれているそうです。「自分の後ろに延々と続く行列をなしているイメージでとらえればわかりやすいでしょう」

 

・「守護霊ワークをしたときに、よくいうのですが、自分と自分の守護霊団とは、エネルギーの傾向が共通した一つの『族』、いっしょの材料でできているヨウカンみたいなものだと思ってください。でっかいヨウカンですね。その先頭にいるのが自分です」と如月先生。

 

メインの守護霊は大陸に生きたアジアの文人

・守護霊団のなかから、そのときどきでふさわしい人がメインになり、自分のすぐ後ろに来て見守ってくれているそうです。

 

本書のプロジェクトも守護霊によって見守られている

あの世を考えることはこの世の生き方を考えること

・「この体のこの人間でいられるのは今回だけ。そう思うと、生きるエネルギーの1滴1滴、ときの一瞬一瞬が愛おしくなりませんか」という言葉も胸に響きました。

 

「あの世」と「この世」を自在に行き来する人たち

死後の世界には誘導瞑想で誰でも行けて迷っている魂の救出もできる  死後探索メソッド開発者 ブルース・モーエン さん

人間の死後に強い好奇心も抱いて探究を始めた

・モーエンさんは、「死後、人間はどうなるのか」ということに強い好奇心を抱き、探究を始めました。アメリカのヴァージニア州にあるモンロー研究所で、ヘミシングの滞在型プログラムにも参加しました。

 

ヘミシンクとは、変性意識状態(通常の経済意識とは違う意識状態)をつくり、体外離脱や死後の世界への移動を可能にする技術です。

 

ヘミシンクの探索を続けるうち、モーエンさんは、死の世界の探索や魂の救済(リトリーバル)など、誘導瞑想によってもできるということを突き止めました。誘導瞑想とは、リラックスして瞑想しながら、誘導に従って、死後の世界に入っていく方法です。

 

・魂の進出とは、死後の世界を探索し、いるべきでない場所にいる人を見つけて、ヘルパーとともにいるべき場所に連れていくことです。

 ヘミシンクで名づけられたフォーカスレベル(意識領域)でいうと、孤立した世界にとらわれているフォーカス23や、特定のこだわりを持つ信念体系領域であるフォーカス24~26などにいる人(魂)を見つけて、自由度の高いフォーカス27に連れていきます。

 

亡くなった人から情報をもらって検証

・ほかにも死後探索で、第2次世界大戦中に特攻隊のパイロットとして亡くなった人と出会い、名前や生まれ育った町の名前がわかったので調べてみたところ、まさしく実在の人物だとわかったケースもあるそうです。

 

生きている間に魂が引き継がれることもある

・「どうか、死に対する恐れが取れますように、死に対する恐れを持たないように、とても大切なことです」

 

ヘミシンクで対外離脱やあの世への旅ができ亡くなった人との交流も可能になる モンロー研究所公認レジデンシャル・ファシリテーター 坂本政道さん>

あの世とのコンタクト法はいろいろある

ヘミシンクは、左右の耳で異なる周波数の音を聴くことで、意識を変容させ、それによって体外離脱や死後の世界の探索などができる技術です。

 

亡くなったフォーカス27をめざせ!

・ところで、ヘミシンクでは、死後の世界はどこにあるととらえているのでしょうか。「私はよく、わかりやすい表現として『死後の世界は地球のまわりにある』といっています。空間的にまわりにあるわけではなく、周波数が違うので簡単には見えません。しかし、同じところにあって地球に不随している世界です」

 

・「フォーカス23は、場所に依存している意識状態。その部屋やその場所に幽霊が出るときは、フォーカス23の状態です。いわゆる地縛霊はこの状態といえます」

 

・「フォーカス24~26は、信念体系領域と呼ばれ、特定の信念を持つ人が集まっている領域です。数人から数万人など、さまざまな人数のグループになっていますが、なかには1人でいることもあります」

 

・仏教でいう「修羅界(争いを好む世界)」や「餓鬼界(満たされず苦しむ世界)」「地獄」なども、フォーカス24~26に入っているそうです。

 

・「フォーカス27は自由度が高く、ここから次の生に転生することができます」フォーカス27には、地上さながらのさまざまな施設があるそうです。

 

私たちは夢で頻繁に死後の世界を訪れている

・「まずは亡くなったとき、お迎えに来ているガイドに気づくことが大切。死ぬ直前には、必ずそばにいますから、それに気がつきさえすれば、あとはガイドがフォーカス27に連れにいってくれます」

 

・「最近は便利になって、乗るとフォーカス27に直行できるエスカレーターやエレベーターもあります」と坂本先生。

 

・「私たちが寝ているときに見る『夢』は、あの世の一部ととらえて差し支えありません。夢の中でフォーカス27にある施設に行ったり、亡くなった人に会ったりしています。顕在意識では覚えていませんが、行ったり来たりしているんです」

 

意識とハートを広げればハイヤーセルフが見つかり過去生の自分とも会える  ヒーラー  クレッグ・ジュンジュラスさん

過去生を訪ねる旅で現在の自分も癒される

・クレッグ・ジュンジュラスさんは、アメリカ、アリゾナ州セドナ在住の形而上学教師で著述家。「ハイアーセルフディスカバリー」という手法で、人々の魂の成長を助けるヒーラーでもあります。

 

セミナーやCDによるクレッグさんの誘導によって、その練習をしていけば、自由に自分の過去生(過去世)を訪ねることができるようになるそうです。

 

草原の肝っ玉母さんやエジプト時代の科学者

・30分以上クレッグさんと見つめ合っていた私は、だんだんクレッグさんがエネルギー体のように感じられてきました。

 

光を見失ってもお迎えが来て教えてくれる

・「2011年、日本が津波に襲われたとき、私は1週間前に東京から戻ったばかりでした。すぐにでも日本に戻りたかったのですが、私のガイドから『ホテルの部屋にただ座っているだけでは何の助けにもならない』といわれました。

 そこで、私は体の外に出て、津波の現場の泥の中に飛び込みました。そして、そこに埋もれていた魂を一つひとつ泥の中から外へと救い出したのです。

 同じように魂を救おうと、海に飛び込んでいるトラベラーもいましたが、私は泥の層の中にそういう魂が多くいると感じたのです。困惑した状態で体の中にとらわれていると感じました」

 クレッグさんは泥の中にいる魂をどんどん救い出して、ほかにもトラベラーたちが助けに来ていたので、彼らに渡したそうです。

 

・最後に、クレッグさんから教わった「自分自身の救済法」を紹介します。「クライアントや生徒さんによくいうのは、『鏡で自分の顔を見て、鏡の中の人を助けてあげないさい』ということです。そんな気持ちで、鏡の中のご自身を見てみてください」

 

海の彼方にあるニライカナイという楽園で先祖は幸せに暮らし私たちを見守っている 琉球風水師 島袋千鶴子先生

沖縄の葬儀では棺桶にお土産のタオルを入れる

・高名なユタ(沖縄の霊能者)の末裔であり、著明な琉球風水師として活躍中の島袋千鶴子先生。四柱推命をベースにして開発された独自の「琉球推命」によって鑑定を行っています。

 

・「海の彼方に『ニライカナイ』と呼ばれる楽園があり、亡くなった人たちはそこで過ごしているといういい伝えです。ニライカナイでは、誰もが生前と同じような生活を送り、幸せに暮らしています。たとえば、先にお母さんが亡くなって、のちにお父さんが亡くなったら、そこで同じように夫婦として暮らすんですよ」。

 

沖縄の葬儀で独特なのは、亡くなったときの棺桶に、きれいなタオルをたくさん入れるということ

 

・私たちのそばに「ポワンと現れる」というのがかえってリアルです。あの世とこの世とは、次元が違うだけで、「どちらもいまここにある」ということなのでしょうか。

 

亡き人からのメッセージを受け取ることは誰でもできる

・島袋先生は、依頼者の求めに応じて亡くなった人を呼び出し、会話をしてメッセージを伝えることもされています。

 

・しかし、「ハッキリした姿は見えなくても、存在を感じたり、メッセージを受け取ったりすることは、一般の人でも右脳を開発すればできるようになりますよ」と島袋先生。

 

・「ふとしたときに、亡くなった人がそばにいる気がする、あるいは声が聞えた気がするということは、誰にでもあるでしょう」。

 

・すると、「沖縄では、生まれ変わりはないという考え方です」と島袋先生。

 

あの世を意識するよりいま生きていることを大切に

・「あの世を意識するより、いま生きていることを大切に、いつか訪れる死を思うことで、『好きな事をしておこう』と前向きにとらえるなら、それもいいでしょう。でも、死にとらわれて恐怖を感じないでください。あの世とは本当は身近なもので、そこにはいつも私たちを見守ってくれる人たちがいるのですから」

 

 

 

『わたしの中の阿修羅』

ひろさちや  佼成出版社  2005/4

 

 

 

古代インド神話

・古代のインド神話の二大神は、

――アスラとインドラ――

であった。アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神であった。彼らは互いに相手を尊敬しつつ、天界に君臨していた。

 ところで、アスラに美貌の娘がいた。名をスジャーといい、またシャチーとも呼ばれる。神々の世界で美人コンクールがあれば、間違いなく彼女は栄冠に輝くであろう。それほどの美人、いや美神であった。

 父親のアスラは、この娘をインドラの妃にしたいと考えていた。「力」の神のインドラと「正義」の神のアスラの娘とが結婚すれば、理想のカップルになるに違いない、と信じて。

 ところが、「力」の神であるインドラは傍若無人の性格で、直情径行タイプの神格である。彼はある日、街でシャチーを見るや否や、<これはいい女だ――>と思い、彼女を拉致して自分の宮殿に連れ込み、暴力でもって犯し、自分の「女」にしてしまった。

 さ、怒ったのは父親のアスラである。<絶対に許せぬ――>アスラはそう考え、武器を持って立ち上がり、インドラに挑む。

 だが、悲しいことに、アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神だ。「正義」が「力」に勝てるわけがなく、アスラは敗北する。

 しかし、アスラの怒りは激しい。たった一度の敗北でもって、彼はインドラを赦すことはできない。再度の挑戦。

 その再度の挑戦にもアスラは敗北するが、彼は三度、四度……と、執拗にインドラに挑みかかる。アスラは執念の鬼となる。

 

・それゆえ、わたしは大学は印度哲学科に籍を置いたが、印度哲学科は主として仏教を学ぶ学科であったのであるが、仏教が嫌いなわたしは仏教を忌避して現代インドの研究をテーマに選んだ。大学・大学院時代のわたしの研究テーマは、――植民地解放の哲学――

 

・ところが、三十代の半ばになって、わたしは仏教を勉強せざるを得なくなった。詳しい経緯は省くが、仏教嫌いの人間が仏教の勉強を始めて、たちまちその魅力の擒となった。仏教が大好きになったのだ。

 

・そういう状況で、わたしが直面した疑問が阿修羅であった。

――なぜ、正義の神である阿修羅が、仏教において魔類とされたのか?――この問いに答えることによって、わたしは仏教者になれるのだ。三十数年前のわたしはそう思った。

 

原初のアスラ

・阿修羅は、インド神話における特異な神である。阿修羅は、数奇なる運命を辿った存在である。

 じつは、かつて阿修羅は、栄光に輝ける神であった。魔神でも悪神でもない。正真正銘の神であった。それが時間の経過とともに転落を始め、ついに神的資格を剥奪されて地に堕とされたのであった。阿修羅はそんな悲しみの存在である。

 

アーリア人と言えば、広義にはインド・ヨーロッパ語族、つまりインド人と西洋人をひとつにした人種であるが、ふつうにはこのヨーロッパ語族の一支派で、インドとイランに定住した民族をさす。その原住地はカスピ海北西地域と推定され、紀元前17世紀のころ、人口の増加か飢饉か、なにかの理由によって彼らは原住地を離れ移住を開始した。

 このうち、西へ向かって移動した部族はヨーロッパに定住し、これがのちのヨーロッパ諸民族となったが、東へ移住した部族は、西トルキスタンの草原地帯に数世紀間定住していた。後者の部族、すなわち西トルキスタンに定住した部族を総称してインド・イラン人と呼ぶ。

 

・インド・イラン人は数世紀ののちに再び移動を開始し、一部は西南に進んでイランの地に入ってアーリヤ系イラン人となり、また一部は東南に進んでヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに入り、パンジャーブ地方を占拠した。これがインド・アーリヤ人と呼ばれる種族で、インド侵入の時期は紀元前13世紀の末ごろと推定されている。

 

西トルキスタンの草原地帯に定着していた狭義のアーリア人(インド・イラン人)が分裂して移住し、一方はインドに入ってそこでヴェーダの宗教(バラモン教)を生み出した。それが紀元前十世紀から前八世紀のころであり、このバラモン教に反発して仏教が成立したのは紀元前六世紀から前五世紀のころである。そして他方、イランの地に進んだイラン系アーリア人は、そこで伝統的な宗教を維持していたが、紀元前六世紀のころ、伝統宗教純化運動としてゾロアスター教が誕生した。そのゾロアスター教聖典が『アヴェスター』である。

 

・ところで、バラモン教聖典ヴェーダ』とゾロアスター教聖典『アヴェスター』とでは、その成立は前者が古く、後者が新しい。前者は紀元前十世紀から前八世紀。後者は紀元前六世紀というから、少なくとも三百年の差がある。にもかかわらず、奇妙なことに、ゾロアスター教のほうがバラモン教よりも古い信仰形態を残しているのである。

 

・なぜなら、バラモン教には、アーリア的な信仰形態のほかに、インド原住民の信仰と風習がかなりの程度に採り入れられているからである。それに比べるなら、ゾロアスター教のほうがより純粋なのである。

 かくて、ゾロアスター教バラモン教とを比較検討することによって、われわれはある一つの宗教信仰がどのように変化し、展開していったかを知ることができるのである。これはなんともありがたいことではいないか。というのも、われわれの阿修羅が、このゾロアスター教に起源を持っているからである。

 そう、阿修羅は、かつてゾロアスター教における輝ける神であったのだ

 

だとすれば、アスラの原初形態はゾロアスター教においてアフラと呼ばれる存在、すなわちアフラ・マズダーにある。これがアスラの原型である

 アフラ・マズダーゾロアスター教最高神である。「至賢なる神」を意味し、宇宙の創造者であるとともに世界の審判者でもあり、光明と火によって象徴される。人間世界を遠く離れた天の最高所にいますアフラ・マズダーは、にもかかわらず地上の出来事についてはすべて知悉し、表面に表われた些細なる罪行のほか、人間心理の奥底に潜在する邪念、よこしまなる思い、ねじけたる想念もきびしく摘発し、たちまちにして峻厳なる罰を下す。アフラ・マズダーはそんな畏怖すべき神であった。

 だとすれば、この「至賢なる神」を意味する“アフラ・マズダー”の名称は、案外この神の渾名であって、本命は“ヴァルナ”であったかもしれない。

 

ゾロアスター教の教説によると、アフラ・マズダーに双子の息子があった。スペンタ・マイニュとアングラ・マイニュとである。

 二人は万物の創造に先立って造られたが、そこで彼らは善と悪との選択を行なった。前者は秩序を選び、後者は虚偽を選択した。それで前者は善霊、後者は悪霊となり、相対立したが、後世の教義では、善霊のスペンタ・マイニュはアフラ・マズダーに仕える大天使となり、悪霊=アングラ・マイニュは悪神=アーリマンとされている。つまり、当初は善神=スペンタ・マイニュと悪霊=アングラ・マイニュの対立であったものが、のちには光明神=アフラ・マズダーと悪神=アーリマンとの対立に転化したわけである。

 

そして、悪と闘うこのアフラ・マズダーの姿に、われわれはわれわれの阿修羅を垣間見るのである。

 

神々の栄枯盛衰

・インド人は徐々にヴァルナ神を忘れていった。蒼空のはるけき高みにましますこの神を敬し遠ざけ、その存在を無視するに至ったのである。

 ヴァルナ神は「天則」と「掟」の神であり、厳粛なる神である。人間界のあらゆる悪事を摘発し、微細なる罪を暴き出し、これに神罰を下す。そんな神が、どうして人々から敬愛されるであろうか……。

――触らぬ神に祟りなし――

人々の気持ちは、この神から遠ざかる。それはあまりにも当然の成り行きではなかったか。

 

その代わりに、インドラ神がいる

 その代わりに――というのは、変な言い方である。けれども、インド人はどうやらヴァルナ神を天空のはるけき彼方へ追いやった代償として、身近な神、親しみ深い神をつくりだし、これを崇めてたてまつったらしい。それがインドラ神である。

 インドラは雷霆神である。一瞬の閃光でもって天空と地上を結びつける雷。

 

・結果は言わずと知れたこと。インドラ神は神々の帝王であり、これに勝てる神ははじめから存在しない。スーリヤ(太陽神)は敗れ、インドラはこの太陽神の御す馬車の車輪を戦利品として奪い取ったという。インドラ神は粗暴なる神である。

 あるときインドラは、奥方の目を盗んで、道ならぬ恋の深間にはまり込んだ。相手は猿のヴリシャーカビ、猿猴と神々の三角関係は行き着くところまで行き、夫の浮気を知ったインドラ夫人は、自己の保持する権力と嫉妬の情とを結びつけて、ヴリシャーカビを追放してしまった。

 

・それと、もう一つ。じつはインドラが浮気をした相手の猿は男性なのである。

 

・それはともかく、インドラ神とは、そういった神である。磊落で、豪放でで、そしてときたま愚行を演じる神。インドラはそうした神であり、そうであるからこそ、『リグ・ヴェーダ』の詩人たちはこの神に無限の親しみを感じたようである。インドラは『リグ・ヴェーダ』賛歌全体の約四分の一を独占している。ヴァルナ神は、百分の一にもおよばない。この数字を比較するとき、インドラの人気とヴァルナ神の凋落ぶりがくっきりと浮かび出てくる。神々の世界にも、栄枯盛衰は厳としてあるのだ。

 なお、すでに明らかにしてあるが、インドラ神とは、のちに仏教において「帝釈天」と呼ばれる存在である。梵天帝釈天とは、仏教の二大護法神である。そしてアスラは、いうまでもなく阿修羅である。

 

・インドラ神とアスラは、のちに仏教においてそのように姿を変えてしまった。本来は、両者とも正真正銘の神であったにもかかわらず………。

 

・インド人はそう解釈した。そう解釈するとき、“ア”は否定詞になる。“スラ”は神または天の意である。したがって、“ア・スラ”は「神(天)でないもの」、すなわち「非神」「非天」とされた。ここでアスラの没落が決定的となったのである。