日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

コーボルトはその家で早くに亡くなった子どもを敷地内に埋葬するというドイツ語圏の風習から生まれた伝承であるが、この発生起源と内容は、日本の逸話に見られるザシキワラシ伝承を彷彿とさせる。(1)

 

 

『『ドイツ伝説集』のコスモロジー

――配列・エレメント・モティーフ――

植朗子    鳥影社   2013/7/12

 

 

 

『ドイツ伝説集』

・19世紀初頭に発表されたグリム兄弟の『ドイツ伝説集』は、ドイツ語圏をはじめとするヨーロッパ各地において、民間伝承集のさきがけとして高い評価を得た。グリム兄弟の『ドイツ伝説集』、『グリム童話集』と、兄のヤーコブ・グリムが著した『ドイツ神話(学)』の三作品は、ドイツ民俗学の礎石として位置づけられている。

 しかし、その後『ドイツ伝説集』は『グリム童話集』のように、系統的な研究が充分になされることはなかった。『ドイツ伝説集』は、20世紀以降にグリム以外の手によって公刊された他の伝説集らとともに、数ある民間伝承の資料の中に埋没しているというのが現状である。グリム研究の分野においては、『グリム童話集』が文学以外にも、社会学、心理学、思想学など、あらゆる分野から研究対象とされている一方で、『ドイツ伝説集』は童話集の補助資料程度の扱いに留まっている。今なお『ドイツ伝説集』の内面的実相は、箱の中にしまいこまれたままである。

 

小さな人型の怪異体

・われわれが日本語で「こびと」と呼ぶものは、どういう姿・性質のものを指すのか。他国の伝承におけるこびとと同種とは言いがたいにもかかわらず、「小さい」という共通の外見のために、さも同じ種類の怪異体のように、各国の小さい怪異体を「こびと」と呼ぶ。

 先行研究を整理すると、「小さな人型の怪異体」という外見的特長によって、「こびと」と呼ばれることになった怪異体は、少なくとも二つに大別される。まずは肉体構造を持つもの、そして視覚的には認知されるものの肉体を持たないものである。こびとは種類によってその起源も能力も異なる。これらが混同されるようになったのは、それぞれの伝承が語り継がれる中で、類似の部分が記憶の中で融合したことが原因である。

 

・『ドイツ伝説集』に出現するこびとたちには、融合が進んで他の種別の怪異体と混同されている伝承も見られるが、おおむねそれぞれの特色ごとに分類され、数話ずつのまとまりをもって『ドイツ伝説集』の中に配置されている。

  • 鉱山に住むこびと
  • 水の精霊であるこびと
  • 森に住む苔族のこびと
  • 家に棲むこびと

 

 

・数と種類の多様さにおいて、「小さな人型の怪異体」の伝説は『ドイツ伝説集』の中で突出している。巨人族は過去のものとされているが、こびとに関しては未だその存在が真実のように語られることがある。こびとや幽霊は、その小ささや実体の有無から、全ての人に見えることが難しい存在として認知されている。そのため、見えないことがすなわち「実存しない」とはならない。目撃されにくいことが当然のことと思われるタイプの怪異体は、長い時を経てもその存在が信じ続けられやすい傾向にある。仮に巨人が存在しているとすれば、その姿の大きさと能力のために、発見されないわけがない。

 

・「小さな人型の怪異体」をその起源にさかのぼって分類すると、人間と違う別種族の民であるものと、山や鉱石などの自然体から派生した妖精、人間の死霊が転化した精霊、の三種類に分かれる。「小さな人型の怪異体」はその役割に応じて、さまざまな居住区に区分されているが、伝説のグループ化には居住域以外に、その精霊としての派生起源も影響を与えている。

 

ハイネが『精霊物語』の冒頭部分で示唆した他の精霊は、「ヴィヒテルメナー(小妖精たち)」、「グノーメン(地の精霊たち)」、「ツヴェルク(こびと)」、「コーボルト(家の精霊)」などである。これらの怪異体は、いずれも身体が小さく、こびととしてひとくくりに紹介されてはいるものの、その違いについて解説がなされている。

 

それによると、グノームは小さな姿をしている自然界の精霊である。ツヴェルクとは小さな姿というところは共通しており、彼らは山や地下に生息するデモーニッシュな存在だという。コーボルトは家に棲みつく霊で子どもの姿をしている。つまり、これらの怪異体たちの性質が異なることは明らかである。少なくともコーボルトは死者の霊である。コーボルトの語源は金属のコバルトで、自然界の精霊の領域にあるものとも考えられている。このように、小さな怪異体の多くは、「土」と関連している。

 

これらの怪異体を論じるにあたって、検討が必要となるのは、デーモンと呼ばれる怪異体の総称についてである。ペッツォルトによると、「デーモンは人間と神々とのちょうど中間の位置にある超自然的な存在だという。この記述はハイネの自然界の精霊に関する叙述をもとにしており、性質的には類似のものである。ペッツォルトの説では、自然界の精霊の枠組みの外にある<魂をもたない超自然的な存在>をデーモンと定義づけている。

 

・また『図説ドイツ民俗学小辞典』によると、コーボルトの解説は、「デーモン」の項目に含まれている。デーモンは、「徘徊する霊」、「植物の成長を助ける霊」、「自然現象、自然現象を操る霊」、「病気の霊」の四種類に分類されており、コーボルトはこの中で「徘徊する霊」のひとつとして挙げられている。

 

魂の有無・肉体の有無

種村季弘は、『薔薇十字の魔法』の中で、「17世紀末から18世紀にかけて、四大精霊の存在が汎ヨーロッパ的な規模で熱烈に論議されたことがある。」と述べた。四大精霊は魂を持たない人間で、体質的に人間に比べてかなり長命であるにもかかわらず、死ぬと存在自体が消滅してしまうため、不死に対する願望を持っている。

 コーボルトは死霊から転じたものであり、魂を持たない。ならば、コーボルトとツヴェルクは本質的に全く異なる怪異体であることは明白である。

 

小さな人型の怪異体

・(コーボルト)子どもの死霊、霊体構造である。歳はとらない。生殖機能は持たない。憑いている人間と共生。建物に憑かない。=幽霊

 

・(土の属性 こびと)(小妖精) 肉体構造(骨・肉)を持っている。生殖機能がある。子どもを作る。寿命がある。(比較的長い)。透明になる。壁をすり抜けるなどの特殊能力がある。自分たちが生活しやすい居住場所を選ぶ。=デモーニッシュな存在

 

・ではグリム兄弟による小さな怪異体に対する分類上の規則は、配列の上でどのように示されているのか「家霊が配置されているのは、DS71からDS77までの7話、DS83・84の2話である。そして、家霊とこびとに関する伝説群は、近くに配置されていない。この配列上の距離は、グリム兄弟がこびとと家霊をまったく異なる種類の怪異体として認識していたことを示している。

 

ハイネはコーボルトを人間とトイツェル(悪魔)の「混合体」であるとも述べている。「混合体」は、人間とあくまの両方の性質を備えたデモーニッシュな存在という意味である。コーボルトの伝承は、『ドイツ伝説集』における、祖霊信仰を具体的に示すものである。これは自然の事物に精神性が宿るという発想とは異なるもので、死後の魂が精霊へと転化するという民間信仰の例のひとつである。

 

コーボルトはその家で早くに亡くなった子どもを敷地内に埋葬するというドイツ語圏の風習から生まれた伝承であるが、この発生起源と内容は、日本の逸話に見られるザシキワラシ伝承を彷彿とさせる柳田國男の『妖怪談義』には、ザシキワラシと子どもを祀った「赤子塚」との関係が示されており、またザシキワラシが火事から家屋を守る点においても類似がみられる。しかし、かといってコーボルトの日本語訳をザシキワラシと混同させると、また新たな誤解や異なる伝承の融合が起きることを助長してしまう家霊であるコーボルトは、こびとという訳で統一することも問題があり、「コーボルト」という表記のままがふさわしい。

 

後世における「こびと」と「家霊」「家精」の混同は、この二つの怪異体が「家系を守護する」「家を災害から守る」という能力の類似性もその理由にあげられる。モティーフとしての「家」は、家系の繁栄という意味を持っている。『ドイツ伝説集』において、ツヴェルクもコーボルトも人間に宝を授け、幸せを運ぶ」ものとして描かれているが、その性質にも決定的な違いがある。家から家を徘徊し、そこを住居としながら家を守護するのは、ツヴェルクをはじめとする「小さい民」の仕業で、コーボルトはひとつの家系に憑き、その家族が転居する場合を除いて、ひとつの建物から移動することはなく、その家だけを守護する。

 

・その家に代々伝えられる守護者の「家霊」は、家のお守りと同じ働きをする。「家霊」は、家を守護する力を擬人化したものであると思われる。「マンドラゴラ」と呼ばれる人型の根っこを持つ「アルラウネ」という想像上の植物には、富をもたらし、家財を増やすという言い伝えがある。アルニムやフケーなどが文学作品で取り上げているが、『ドイツ伝説集』においても登場している。アルラウネ伝承は、DS70からDS90までの家と関係の強いグループに含まれている。

 

・DS83――人がアルラウネに質問すると、アルラウネは本来の出来事や秘密について教えてくれるので、その人は財産や栄光を手に入れることができる。その人は無敵となり、貧しさから逃れ、子どもがいない人は子宝に恵まれる。夜に一枚の貨幣をアルラウネの側に置いておくと、朝には二枚になっている。

 

アルラウネは「首吊り台の小さな人」という別名があるが、それは絞首刑に処せられた若者の精液や小水が大地に落ちることによって、アルラウネが生まれると言われているからである。アルラウネ伝説の直後に配置されているDS84の家精は、蜘蛛や蠍のような外見をしたやはり小さな精霊で、小瓶に入れて持ち主が持ち歩く。この二話が配置されている伝説グループは、前後に取替えっ子などの精霊たちの悪戯に関する伝説がある場所で、これらの家霊は子どもの祖霊から派生したコーボルトよりも不気味な存在として描かれている。

 土地伝説集においては特に、グリム兄弟は、怪異体の特色である発生起源に由来した配列とグループ分けを明瞭に行っている。『ドイツ伝説集』において、家精や、小さな人、など同一の名称を持つ怪異体がひとつの伝説グループにまとめられていないのは、『ドイツ伝説集』の構成におけるグリム兄弟の周到な配慮のあらわれである。

 

・ドイツの伝説に限らず、外見的特長から名づけられた同一名称の怪異体は、時代の変化とともに混同されやすい。しかし、グリム兄弟は、伝説の内容をひとつひとつ精査し、たとえ同じ名称の怪異体であっても、発生起源と怪異体としての性質の違いによって、配置する場所をはっきりと分けた。民間に伝わる古い伝承を可能な限り、原型のまま採取し保存することを目指したグリム兄弟の細かな配慮によって、ドイツの伝説に登場する怪異体の違いを知ることができる。

 

ローエングリン」と「異教徒ラートボート」

・『ドイツ伝説集』の歴史伝説集には、DS446に「洗礼を拒否するラートボート」という伝説がおさめられている。ラートボートはドイツの伝説において、偏強な異教徒として語り継がれ、ワーグナー作品にも魔術を使う人物として描かれている。史実においては、719年に没したと伝えられているラートボートは、フリーセン族の首長として自らの帝国をおさめていたが、カール大帝との戦に破れる。敗北の後もキリスト教への改宗を拒否し続け、ラートボートにまつわる英雄的ともいえるエピソードは、数々の伝承の中に残されている。

 

『ドイツ伝説集』のコスモロジー

・『ドイツ神話(学)』において、ヤーコブは天を司る神々が男性中心であるのに対して、大地の神々は全て女性であることを指摘している。ヤーコブは『ドイツ神話(学)』の第20章「エレメント」において、「大地」の項目の中で「女神と女神の呼称」を示した上で、「大地の女神の古い呼称が、それらの女神の呼称の中に含有されている。」と述べた。『ドイツ伝説集』にみられるかつての信仰の痕跡は、絶対神である天空神に対するものよりも、大地母神や大地の精霊を対象としたものが中心を成している。よって、『ドイツ伝説集』におけるエレメントは、「土」に特化したものが必然的に増えている。

 

 

 

「幸運力が高まる生き方」

ウィリアム・レーネン   中経文庫    2011/9/25

 

 

 

シャスタ山にすむさまざまな存在

アメリカ先住民たちの聖地「シャスタ山」

アメリカ先住民たちは、太古よりシャスタ山をパワースポットとして考えていたのです。シャスタン族、モドック族、アチュマウィ族、アツァガウィ族、ウィントゥ族には、この山にすむ神々や女神たちの物語が伝えられています。ここでは、シャスタ山周辺にいる存在のお話をしたいと思います。

 

失われた大陸

まずは、シャスタ山の地下にある大都市のお話です。これは、失われた大陸レムリアの一部のことです(じつは今もなお、多くの山にはレムリア大陸が存在しているのです)。ここにすんでいるレムリア人たちは身長が高くおよそ220センチの背丈があります。

 男性、女性ともに、さまざまなスタイルの洋服を着ています。ヘアスタイルは長髪で、それぞれが異なる色をしているのも特徴です。

 彼らを目撃したという記録は、過去にも現在にも数多く存在しています。その目撃報告の中には、恐怖を感じたという人たちもいれば、大きな喜びを表現している人たちもいます

 以前、シャスタ山で数日間も遭難した人々がいました。彼らは、生還した時「こんなに長い間、遭難していたとは思わなかった。自分達は、たった数時間だけ道に迷っていただけだと思っていた」と口にしています。

 聖なる山での時間は、私たちが、認識しているような時間の流れとは違うようです。また、彼らは、レムリア人たちが安全な道を教えてくれたとも話していました。

 レーニア山、シャスタ山、富士山、チベットカイラス山はトンネルでつながっているといわれています。

 レムリアのマスターたちは、このトンネルを使ってさまざまな場所に短時間で移動することができます。彼らは、私たちのように時間や距離に制限されていないのです。

 

多くの見えない存在が暮らす山

・レムリア人以外にもさまざまな存在が、シャスタ山にすんでいます。アメリカ先住民たちの伝説の中にはシャスタ山の山頂にすむビッグフットやサスクワッチと呼ばれている存在の話があります。この存在は、毛で覆われているのが特徴です。

 アメリカ先住民以外にヨーロッパからアメリカ大陸へ移住してきた人たちも、ビッグフットやサスクワッチの物語を伝えています。

  ヨーロッパやアジアで目撃されているのは、マピンクエイ、スカンク・エイプ、ヨウィアー、ミゴイといった名前で呼ばれているものも、シャスタ山に存在しています。また、シャスタ山の森にはリトル・ピープル(小さい人々)と呼ばれるものたちもすんでいます。

 エルフ、妖精、スティック・ピープル(手足や体が小枝でできているように見える存在)もこのリトル・ピープルに含まれます。

 エルフや妖精は人の形をしていますが、とても小さな存在です。多くの人たちはこのようなリトル・ピープルが見えない存在だといいますが、リトル・ピープルは人間の脳を操作して自分たちの姿を見せたいと思った人達にのみ、その姿を見せるのです。

 

異次元につながるポータル

・シャスタ山周辺には多くの人が空中で動いている「光」を目撃したと話しています。このような現象は、宇宙船が地球の大気を通過するときに放出している光の可能性が高いでしょう。

 シャスタ山は地球外、地球内のUFO発着基地でもあるのです。アメリカ先住民たちは、宇宙船や宇宙人たちをシャスタ山で目撃したと、話しています。

白人達がこの地域に入植したあとも、宇宙船や宇宙人たちの目撃情報があとを絶ちません。

 

・シャスタ山には異次元空間とつながっているポータル(扉)があるのです(シャスタ山だけでなくレーニア山(ワシントン州を代表する火山)、富士山、カイラス山(チベット)にも、このポータルがあります)。

 別の次元の宇宙船や存在達がこのポータルから入ってくると、空中に発光物を目撃したり、大気中での振動を感じることがあります。

 

・これからの時代、人々に求められているのは、古い考えを解放し、新しい考え、異なる考えにオープンになることです。そして、奇跡や見えない存在たちが実在していることを信じることなのです。

 

 

 

『日本怪異妖怪大事典』

小松和彦 監修   東京堂出版  2013/7/12

 

 

 

UFO

・空飛ぶ円盤、未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)の略語。英米ではユー・エフ・オーと発音されるが、日本ではユーフォーという読み方が一般的である。本来は空中を飛行する正体未確認の物体をすべてさすが、現在では宇宙より地球に飛来した地球外知的生命体の乗り物(エイリアン・クラフト)だという理解が大勢を占める。世界中で目撃報告があり、アマチュア研究家も多い。

・近代以前より空飛ぶ船・人間等の怪異の目撃はあった。「空飛ぶ円盤」の出現は1947年、アメリカのケネス・アーノルドの目撃証言に端を発する。アーノルドは自家用機で飛行中、「投げた皿か円盤が水面を跳ねるように」高速で飛行する9機の奇妙な物体を目撃、マスメディアがその物体を「空飛ぶ円盤(Flying Saucer)」と名付けて大々的に報道した。以降、円盤型のUFOが世界中で目撃されるようになる。

 

・初期のUFO伝承においては、地球外生命体は人類を導きに来た長身で優美な金髪の白人男女の姿で描写されていたが、冷戦終結以降は軍や政府と密約を結んで人体実験を行う存在という伝承に置き換わり、目撃譚における宇宙人の容姿も、小柄で体毛がなく、吊りあがった大きな目の「グレイ」タイプが主流となった。現在のUFO伝承は、墜落したUFOをアメリカ政府が隠匿し、秘密を探る者には口封じにMIB(メン・イン・ブラック、黒スーツの男たち)が差し向けられるとするなど、陰謀論的性格を強く帯びている。

 

英米におけるUFO伝承には妖精伝承との共通性が指摘されている。宇宙人による誘拐(アブダクション)は妖精の隠れ里や取り換え子(チェンジリング)伝承と、UFOの着陸地に出現するというミステリーサークル(クロップサークル)は、妖精の踊った跡に出現するという妖精の輪(フェアリーリング)伝承と、UFOが実験のため牛を殺して血や臓器を抜くというキャトルミューティレーションは妖精が家畜を傷つけるという伝承と共通性を持つ。一方、日本におけるUFO目撃譚のほとんどは飛行する発行体の目撃例であり、火の玉やカネダマの伝承との共通性を持つと言える。

 

・UFO伝承は妖精・妖怪の遭遇譚・目撃譚の現代的変奏と言いえる特性を持ち、なおかつマスメディアによって伝播・変容・生成される、都市伝説の一領域ということができる。

 

・鬼とは、さまざまな災厄、邪悪な出来事の原因として生み出された想像上の存在・霊的存在である。

 

・鬼は、通常、次のような属性・特徴をもっているとされる。その姿は人間に似ているが、筋骨たくましく、顔は醜悪で、頭には角が生えており、肌の色は赤や青、黒といった原色であって、左右の口から鋭い牙がはみ出ている。虎の皮のふんどしを締め、山の奥や天上界、あるいは地下世界、地獄などに隠れ住んで、夜陰に紛れて人間界に出没し、悪事を働く。

 

・例えば、鎌倉時代の鬼と思われる画像をみると、見ただけではとうてい鬼とは判定できない、角がない鬼もいれば、牛や馬のかたちをした鬼もいる。それがだんだんと画一化されていって、江戸時代になって、角をもち虎の皮のふんどしをつけた姿が、鬼の典型的なイメージとなったのであった。逆にいえば、こうした属性をもたない鬼たちは、鬼とはみなされなくなっていったわけである。

 

・鬼は集合名詞であるので、たくさんの鬼がいるということでもある。そのなかで、もぅっとも有名な鬼が、大江山の「酒呑童子」である。酒呑童子は、南北時代製作の絵巻『大江山絵巻』のなかに初めて登場してきた、伝説上の鬼である。

 

・さらに興味深いのは、鬼が怖ろしい者・否定的なものを表す言葉でありながらも、その子孫と称する人びとが散見されることである。大峰山の麓の洞川は、修験道の祖・役の行者に従っていた前鬼・後鬼のうち、後鬼の子孫の集落であるという彼らは山で修行をする宗教者や信者の道先案内を勤めたという。また、比叡山の麓の八瀬も、鬼の子孫(八瀬童子)の集落であるといい、彼らは冥宮の従者である鬼の子孫で、天皇天台座主などの葬送の折に、その柩を担ぐ役を勤めることを特権としていた。

 さらにいうと、播磨の国・書写山円教寺の修正会で代々鬼役を務める家も、自ら寺を開いた性空上人に従っていた鬼(護法童子)の子孫であると伝えてきた。

 

あくろおう 【悪路王、阿黒王】

・里の人々を悪事で苦しめていた鬼、または蝦夷の首長を悪路王という。朝廷から派遣された坂上田村麻呂によって成敗された。悪路王の首は玉造郡の鬼頭まで、体は鬼死骸というところまで飛んだと伝えるところもある。悪路王の妻は鬼女である立烏帽子といわれており、鬼女伝説が残っている。

 

いぶきどうじ【伊吹童子

酒呑童子の前半生を、近江国伊吹山に生まれた伊吹童子とするもの。お伽草子『伊吹童子』では、酒呑童子大江山に移るまでが描かれており、異類婚姻や捨子、異常児、伝教大師の験力譚などを含みながら、童子伊吹山の麓、比叡山の北谷、西坂、そして丹波大江山へと移していく。

 

・また、源親光が伊吹童子を切った太刀は「童子切丸」と呼ばれ、所持者に次々と悲劇をもたらす呪いの太刀として知られている。

 

かくれざと【隠れ里】

山奥、洞窟、岩穴、塚穴の奥、海底、淵、池、沼などの先にあると思われている理想郷、桃源郷、仙郷をいう。猟師や樵が偶然に紛れ込んでしまった人里離れた別天地そこは心地よい気候の土地で住む人びとは争いごともなく平和でゆったりと暮らしを営んでいた。異境を訪問した者は歓待され、生まれて初めての心地よい日々を過ごす。日常の生活にもどり、もう一度訪ねてみようと試みるが不可能であった、と多くは伝承されている。

 山中で米をつく音や機を織る音が聞こえてきたり、川上から椀や箸が流れ着いたりする話もある。全国各地に分布している隠れ里伝説は、村人が椀貸し穴・椀貸し塚・椀貸し淵などから椀や膳を貸してもらったという椀貸し淵伝説、竜宮淵伝説、平家谷・平家の落人伝説とも共通している点が多い。江戸時代初期の『御伽草子』には「隠れ里」という作品がある。また、柳田國男の『遠野物語』63.64の「マヨイガ」に隠れ里の話が記されている。

 

・(秋田県)昔、秋田の田代沢の農民一人が深山に入り木を伐っていると、見知らぬ老翁が現れた。面白い所へ案内してやろうと奥地へ入ったところ、幽蒼な林の中に村があった。鶏や犬も飼われ、麻を栽培し、村人は豊かに見えた。二人はある家へ入り、ご馳走になった。酒はうまく、ヤナで取った魚は美味だった。村人はかわるがわる現れては接待した。どこからか「麦つき歌」が聞こえてきた。この村は麦を作っていた。村から帰った二人は、木切の現場まで来て別れた。その際、農民は「なんという村か」「その道の方向は」と老翁に聞いてみた。老翁は笑いながら「隠れ里だから」とのみ教えて姿を消したという。農民はその後も隠れ里への道を探して出かけたが、その村へ行くことはできなかった。

 

・(栃木県茂木町)夜、ドシンドシンと米搗きの音が聞こえる。この音を聞く人は長者の暮らしをすると言っている。この音は「カクレザトノコメツキ」の音である。

 

・(長野県松本市)カクレサト。信濃国松本領の猟人が谷底に落ちたところ、武田信玄のために滅ぼされた小笠原長時の一族が籠もる場所に迷い込んだという。人に知られると殺されるというので猟人は逃げて帰った。

 

 

 

『口語訳 遠野物語』  

柳田国男) (河出書房新社)1992/7

 

  

 

山田の蜃気楼

海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。

それは、見たこともない都会のようすで、道路をりっぱな馬車がひっきりなしにとおり、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など、毎年少しも違いがないということです。

 

マヨイガ(三浦家の話)

小国の三浦某という家は、村一番の金持ちです。

しかし、いまから二、三代前の主人のころは、まだ家は貧乏で、妻は少し鈍い人でした。

この妻がある日、カド(門前)を流れる小川に沿って、蕗をとりに山へ入りました。が、よいものが少なく、いつの間にか、谷の奥深くまでさかのぼってしまいました。

 ふと気がついてみますと、目の前にりっぱな黒い門の家がありました。(おかしいな)とは思いましたが、門の中へそうっと入ってみました。広い庭には紅白の美しい花が一面に咲きほこり、よい香りがしてきます。鶏のたくさん遊んでいるかたわらをとおり、裏庭へ回ってみますと、そこには牛小屋があって、数多くの牛がおりました。また、厩には、なん頭ものみごとな馬がおり秣を食べていました。

 女はとうとう、玄関から家の中へ上がってみることにしました。一歩踏み込むと、開け放した次の間には、朱と黒のりっぱなお膳とお椀がたくさん用意されてありました。また、奥の座敷には火鉢があって、鉄びんの湯がチンチンとたぎっています。それなのに、どこまで行っても人影がありません。 ここまで来ますと、この気のよい女も(もしかして、ここは山男の家ではないか)などと思うようになりました。そう思い込むと、女は急におそろしくなり、谷川ぞいの道を、けつまずきながら、一目散に走って家へ帰り着きました。

「とど、とど、おれ、たいへんなもの見で来たや」

 女はさっそく、山の中の不思議な家のことを語りました。が、夫をはじめ家の者は、だれ一人として本気にしませんでした。

 さて、ある日のこと。女が、わが家の門前で洗い物をしていますと、川上から、赤いみごとなお椀が一つ流れてきました。あんまり美しいので、女は思わず拾い上げてしまいました。しかし、これを食器として使えば、きっとまた「きたない」と、家の人たちに叱られるに違いありません。女は、どうしても欲しくなり、これを拾うと、ケセネギツの中に、そうっとかくしておきました。米や麦を計る入れ物にするつもりです。

 ところが、このお椀で米や麦を計りはじめてからは、いつまでたっても、

くなりません。そのうちに、家の人たちもやっと気がついたようでした。不思議に思って女にたずねましたので、女もはじめて、川から拾い上げたことを打ち明けました。家の人

の話がほんとうであることを知り、とてもびっくりしたのです。

 いずれ、この家は、このことがあってから好運に恵まれ、ついには、いまの三浦家のような大金持になりました。

 遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻の家を見せるからです。三浦家の妻に欲がなく。なにも取ってこなかったので、このお椀は、自分から流れてきたのだろうということです。

 

マヨイガ> 山の奥深くに突然のように現われる無人の豪家。一度見た者は、二度と見ることはできないといわれている。

 

門前> 家の内と外との境界。門の前を流れる小川に沿って歩いているうちに、いつの間にか、山深く入り込んでしまったという話の設定自体が、マヨイガへの伏線となっています。

川上から流れてきたお椀を拾い上げるのも、この門前のことです。

 78話にも、「門の前」で死者の霊魂に出会う話があります。いずれにしても村の人々にとって「門前」とは、生と死、日常と非日常が往還する空間であって、語りのなかでは、重要なキーワードであったわけです。

 

椀貸し伝説

山中を漂泊し、椀や盆、膳などを作って生計をたてていた木地師たちの手によって、全国に伝わっていった伝説。柳田国男は、このマヨイガから流れてきたお椀の話の源は、この椀貸し伝説にあると考えました。

 全国に分布する「椀貸し伝説」は、椀貸し淵など、川や池に流れてくることが多いのですが、それは竜宮信仰ともつながって、中国やインド、ドイツ、イギリスなどの話と比較されています。

 

 

 

『口語訳 遠野物語』  

柳田国男) (河出書房新社)1992/7

 

 

 

マヨイガヤマザキの話)

金沢村は、白望山の麓にあたり、上閉伊郡の中でもことに山奥で、人の往来のあまりないところです。六、七年ほど前、この金沢村から栃内村山崎の某かかの家では、娘の聟をもらいました。この聟が実家に行こうとして、山中で道に迷い、やはりこのマヨイガに行き当たりました。

 家のようす、牛・馬・鶏がたくさんいること、紅白の花が咲いていることなど、すべて前の話のとおりです。同じように玄関に入りますと、膳椀を用意している部屋があり、座敷には鉄びんの湯がたぎって、今ちょうど、茶を入れようとしているところのようにみえ、耳をすますと、どこか便所のあたりに、人が立っているような気配さえするように思いました。

 男ははじめ、ぼうぜんとしていました。が、後にはだんだん恐ろしくなり、栃内村へ引き返そうとして道をはずれ反対側の小国の里へ出てしまいました。

 小国村では、男からこの話を聞いても、だれ一人本気にする人はいませんでした。

しかし、遠野側の栃内村山崎のほうでは、

「それごそ、うわさに聞いたマヨイガだ」

「すぐ行って、膳椀でももらって来て、長者になるべす」

「さあ、聟殿、案内せじゃ」などと大さわぎになりました。

さっそく、聟を先頭に立て、大勢の人がマヨイガ探しに、山の奥へはいりました。

「このへんに、たしか門があったと思う」というあたりを、念入りに探しました。が、いくら探しても、そのような家はついに見つかりません。人々は、ただむなしく引き返すことになりました。

 その後、例の聟殿が金持になったという話は、いまだに聞こえてきません。