日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

イギリスでは今もなお、その土地や河川から、ルーンが刻まれた古い遺物が出土している。(1)

 

 

ルーン文字』 

古代ヨーロッパの魔術文字

ポール・ジョンソン  創元社  2009/4/18

 

 

 

イギリスでは今もなお、その土地や河川から、ルーンが刻まれた古い遺物が出土している

・1世紀から中世末期にかけて、古代の呪術文字であるルーン文字が碑文などに残され、ヨーロッパ大陸やその周辺地域で広く発見されている。その豊かな歴史のなかで、ルーン文字はさまざまな目的で用いられてきた。

 

ルーン文字の起源

・ルーンという非常に興味深い文字は、靄に包まれた古代ヨーロッパで誕生した。言葉というもの自体、いくつもの意味や派生語が生じるものであるように、ルーン文字の始まりもいまだ解明されておらず、神秘に包まれている。

 最初のルーン文字は、北イタリア文字やエトルスカン・ローマ字のような、地中海世界の古代文字が基になっているらしい。

 

アングロ=サクソンのルーン詩

暗黒時代の鍵

・ルーンは5世紀ごろに初めて、アングロ=サクソン人がイギリスにもちこんだ。それまでに彼らによって、エルダー・フサルクからアングロ=サクソン型フソルクへと改良されている。ルーン文字は発展を続け、やがて28文字になる。そして異教に関することの多くがそうであったように、ルーン文字は教会に受け入れられ、正式の文字としても使用されるようになった。

 

ルーン詩

新しい解釈

これらのルーン文字やルーン詩を創った初期のルーンマスターたちは、選び抜かれた少数の人々であり、口伝えによる伝統を持っていたことぐらいしかわかっていない

 このルーン詩の現代英語訳が、古代から伝えられたその見識によって、アングロ=サクソンの精神へと導いてくれるだろう。

 

ルーン文字:フソルク

ルーン文字への理解

・現代、イギリスで使われている言葉の多くが、その歴史や語源において、古代イギリスのルーン文字アングロ=サクソン型ルーン文字)に関連がある。このように、ルーン文字の影響は北ヨーロッパの現代語の多くに及んでいる。

 

イングランドの古くからの異教徒たちの土壌にキリスト教信仰が敷かれていくとき、ローマ支配の終焉(5世紀初め)以降、すたれていたラテン語がふたたび用いられるようになった。異教の神とキリスト教の二重の信仰の時代、まさに改宗の時代にかけて、ルーン文字はそれらと共存していた。最終的には教会によって、この異教の言葉は、現在使われているアルファベットに取って代わられることになる

 

・(ノーサンブリア王国):アングロ=サクソン人が築いた7王国のうち、最北に位置する。デイアラとバーニシアという2つの王国が対立と統一を繰り返しながら、ノーサンブリア王国に統一。のちに再び、分裂する。この2つの王家は、オーディン神の双生児ベルデーグとウェグデーグを始祖とする。現在のノーサンバーランド

 

ルースウェルの十字架

異教の詩 進化するルーン

・ルースウェルの十字架は、発見された地にほど近い、スコットランド南西部ダムフリース・アンド・ギャラウェイ州のルースウェル教会に所蔵されている。高さは5.2メートル以上。このルーン石碑は、おそらく、英国でもっとも印象的で精巧な8世紀のノーサンブリアの芸術だろう。

 

・現在、摩耗により、完全には判読できないが、このルーン銘文には、さまざまなノーサンブリア方言や古英詩『十字架の夢』のテーマがうかがえる。

 

・(オーディン):アース神族最高神。誌と戦いと死の神。ゲルマン神話では、世界樹ユグドラシルグングニルオーディンの魔法の槍)に突き刺されたまま、9日9夜吊るされて、ルーン文字の秘密を知る。9つの世界で起こる一切を見渡すことができる、恐るべき神。

 

・(バルドル):オーディン神とフリッグ女神の息子。神々のなかで、もっとも美しく、もっとも賢く、もっとも慈悲深い神。兄弟によって亡き者とされるが、ラグナレク(世界の終わり)のあと、蘇る。

 

ビューカッスルの十字架

世界の中心で

スコットランドの険しく、荒れた国境、ハドリアヌスの城壁のほど近くにビューカッスルの小村はある。この8世紀初頭の十字架にはルーン文字が刻まれ、もとは教会の敷地内に位置していた。ルースウェルの十字架と同じく、キリスト教と異教の二重の信仰の時代に創られたものである。高さは4.3メートル以上あった。

 

・記念碑の反対側には精巧な彫刻で、さまざまな動植物でいっぱいの樹が描かれている。これは異教の宇宙観を表す世界樹、つまりユグドラシルである。

 

・(二重の信仰の時代):ユダヤの一新興宗教としてキリスト教は迫害されてきたが、313年のコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令によって公認の宗教となる。それに伴い、多神教だった古代の宗教から、唯一神としてのキリストを信仰する宗教への転向が始まった。

 

アンドレアス3世の石碑

異教の神々の神話

アイリッシュ海の中央に位置するマン島は、小さくても、とても重要な島だ。そこには10世紀から12世紀に造られたヴァイキングのルーン十字架が30基以上もある。それは古代スカンジナビアケルト社会における、独自の作品でもある。

 

・石碑に描かれているのは、ゲルマン神話において、神々の運命という意の「ラグナレク」神々の黄昏、世界最後の日)について書かれたエピソードである。そこでは、ゲルマン神話における最高神オーディンがカラスとともに、猛り狂うフェンリル狼の口に剣を突き刺している。ラグナレクを異教崇拝終焉の宗教的メタファーとみなしていたのかもしれない。伝説によると、オーディンは熟練のシャーマンであって、魔術師でもある。そして世界樹ユグドラシルに9夜吊るされたのち、ルーン文字を発見したという。それらの発見によって、オーディンは雄弁と言葉、叡智の神となった。

 石片のもう一対には、釜を持つトール神が刻まれ、海を泳ぐ世界蛇ヨルムンガンドを捕えようとしている

 

・(ラグナレク(神々の運命)):ゲルマン神話の最終章、終末の予言詩。9つの世界は滅び、神々は死に絶える。しかし二人の人間、リーヴとリーヴスラシルが世界樹ユグドラシルの影に生き延び、あらたな世界への希望となる。死と再生の物語。

 

・(トール神):アース神族に属し、オーディン神と大地(フィヨルギュン)の息子。最高位に次ぐ神。雷神、戦神、豊穣の神。ミッドガルド(人間の世界)においては、法と秩序の神。ワグナーの歌劇などでは、ドンナーという名で登場する。

 

・(9つの世界):ゲルマン人の宇宙観による、三重構造の世界。第一層にはアースガルドアース神族の世界)、ヴァナヘイム(ヴァン神族の世界)、アールヴヘイム(妖精の世界)、第二層にはミッドガルド(人間の世界)、ヨーツンヘイム(巨人の世界)、ニダヴェリール(小人の世界)、スヴァルトアールヴヘイム(黒妖精の世界)、そして第三層にはヘル(死者の世界)、ニヴルヘイム(凍れる霧と闇の世界)がある。すべての中軸となるのが世界樹ユグドラシルだ。

 

イギリスにおける民族の移動

・ブリテン島には、先史時代から、さまざまな民族が到来していた

 前7世紀にケルト人の民族移動が始まり、ブリテン島には前2世紀後半から本格的に定住する。古代ギリシア人には「ケルトイ」、ローマ人には「ガリ」と呼ばれたケルト人は、戦いを繰り返しつつ、国を持たずして西ヨーロッパ全域に定着していった。

 

ガリア遠征中のローマ帝国は、ブリテン島にも侵攻した。激しく抵抗するブリトン人(ケルト人)を倒し、1世紀末には大半を占領する。だが3世紀になると、アングロ=サクソン人、つまりゲルマン諸民族の侵攻により、ローマ支配も勢いを失っていく。そして410年、西ローマ皇帝ホノリウスはブリテン島の支配を放棄する。

 ブリテン人の土俗信仰(ドルイド教を除く)とローマ人の多神教は共存し、ローマ人によってもたらされたキリスト教も信仰されていた。

 

・ローマ支配が終焉を迎えると、ゲルマン諸民族が本格的に侵攻してくるようになった。そしてブリトン人を周辺地域に追いやり、「イングランド」を形成していく。(そのためウェールズコーンウォールスコットランドにはケルト文化が色濃く残っている)ローマ支配のころは、キリスト教が普及しつつあったが、ふたたびゲルマン的自然信仰の異教の地となる。

 

・そのアングロ=サクソン人は多くの部族国家を形成し、それが徐々に統合されていった。8、9世紀ころにはノーサンブリアイースト・アンブリア、エセックス、ケント、マーシアサセックスウェセックスの7つの王国が建てられる。

 

829年、ウィセックス王国のエグバートがイングランドを統一するそれまでも、デーン人と呼ばれるヴァイキングの襲撃がたびたびあったが、9世紀には土地を目当てに侵攻してくるようになる。エグバートの孫であるアルフレッド大王は、デーン人にイングランドのほぼ2分の1の地域を与えて、平和的に解決する。それがデーンロウ地方である。(のちに、ふたたび統一国家となる)

 

10世紀末にはデーン人の襲撃がふたたび始まったが、国王エゼルレッド2世は戦う代わりに、平和金で解決した。王の死後、イングランドに渡来していたデンマークのクヌート王子が賢人会議の承認を得て、イングランド王となる。クヌートはデンマークノルウェーの王も兼任し、北海帝国を築き上げた。クヌート亡き後、ウェセックス王家が復興する。そしてエドワード王には嫡子がなかったため、3人の候補者のあいだで、激しい王位継承争いが起こった。勝利を収めたのは、ノルマンディー公ギョーム。

この「ノルマン・コンクエスト」(1066年)以降、民族の大きな移動は見られなくなった。

 

 

 

『ルーンの教科書』

ラーシュ・マーグナル・エーノクセン  アルマット   2012/3

 

 

 

本書はルーン文字の歴史を扱っているが、その大半は研究史に割かれている

スウェーデンには膨大な数のルーン石碑があるが、本書が扱う事例はそれにとどまらない。著者はデンマークの石碑も数多く取り上げることで北欧におけるルーン文字の普及状況を浮き彫りにし、地域によって異なる字体やそれらが示しうる音価にまで目を向けている。

 

アウス神族の主神オウズィン

スウェーデンの歴史と文化の特異性に対する国民の関心が高まる中、北欧最古の文字ルーンへの関心も広まってきた。

 

文字体系をもたなかった民族にとって、ルーン文字は天からの贈り物と受けとられたにちがいない。より正確に言うなら、古北欧神話ではルーン文字の起源は神聖なものとされていたそこには、アウス神族の主神オウズインが、9夜にわたって世界樹のイックドゥラスィットゥルで首を吊り、より高い知恵を獲得した、と記されている。9夜にわたりそこで首を吊り、槍が身体を貫通し、「自らに自らを捧げる」など、生死の境をさ迷う忘我状態のなかでルーン文字を手にしたのである。

 

・神の教えに従って、このあとオウズィンはその知識をアウス神族、小妖精、小人そして巨人族に分け与え、ミズカルズルの人間にまでルーンに隠された秘密を教えた。こうしてルーン文字は先祖の筆記文字となった

 

ルーン文字について、とりわけルーン呪術に関する膨大な数の著作に欠如しているのが、ルーン文字の使途や用法に加えて、その歴史と発展に関する基本的知識なのである

 死の神で呪術師でもあるオウズィンがルーン文字を用いたのは、死者に語らせるためであった。同様にして、我々もルーン文字を活用することができるールーンの力を仰げば先史時代の人々と直接交渉をもち、我々に向かって死者に「語ら」せることができるのである。オウズィンがルーン文字を用いて未来を予言したように、現代の我々もルーン文字を通して先史時代の世界を一瞥することが可能なのである。

 

ルーン文字を研究する上で知っておくべきは、ゲルマン語派に属する言葉を話す北方諸族、すなわち北欧人、イングランド人、オランダ人、ドイツ人、それに絶滅したゴート人には言語上の類似性があるという点で、それは、ルーン文字の使用がこれら諸族に限定されていたからである。ルーン文字が成立した時期と地域は依然不明だが、銘文は紀元後200年頃から300年頃の考古遺物に現れている。古い時代(紀元後200年頃~800年頃)のルーンはゲルマン諸族の居住地域で広範囲に普及していたが、紀元後400年頃にはほぼ北欧地域に限定されるようになり、この事実から成立地は北欧であったことが示唆される。

 

北欧の古い文献に現れたルーン文字の情報

ルーン文字に関する情報を北欧の文字資料に求めるなら、ルーン碑銘がルーン文字の形成とその多様な使途について最高の証拠を提供してくれている。多数のルーン碑銘や『古エッダ』に収められた北欧神話は、北欧の人々はルーン文字を神々の贈り物と見ていた、と語っている。

 

現代のルーン研究とその将来

・今日、北欧におけるルーン研究は好ましい方向に進んでいる。国境を越えた共同研究も頻繁に行なわれ、起源や発展に関する学説にナショナリズムが持ち込まれることもあまりない。しかし、かつてはルーン文字類型の呼称にナショナリズムが首をもたげていた。

 

ナチ党に歪曲されたルーン文字

ゲルマン文化の歴史的連続性を既成事実化することがナチ党のイデオロギープロパガンダの中心テーマであった。

 

ナチ党の連続性理論は、第三帝国は古代ゲルマン文化の継承者であり、キリスト教やラテン文化の低劣な影響とは無縁であることが前提となっていた。この独善的空論を証明する目的で、ルーン文字も「幾つかの象徴」として利用されてしまった。つまり、象徴的価値の捏造である。

 

・ドイツには数えるほどのルーン碑銘しかなかったが、ナチ党のイデオローグは自国の家屋の梁の形は実はルーン文字だと表明させたのである。その結果、ドイツではいたるところで忽然とルーン文字が出現することになった。

 

そこで、ルーン文字は単なる筆記文字と解すべきではなく、ゲルマン民族の魂を宿す太古の象徴と見るべきものだとされたのである。

 ナチ党は、オーストリアのルーンの神秘家グイド・フォン・リストゥが提唱する「原18文字型ルーン列」理論を利用した。フォン・リストゥに依れば、ルーン文字の特殊な意味を理解するには、特定のルーンに絞って瞑想に入る以外に方法はなかった。彼は古北欧期とヴィーキング時代のルーン文字に独特な形状の数文字を混在させ、18文字のルーン列を独自に考案し、歴史的根拠のないフサルクを新たに創り上げたのである。

 

ナチ党のイデオローグは真摯なルーン研究を隅に押しやり、ルーン文字の起源を他のアルファベットに求める学説を否定し、ルーンを最古にして至純な文字へと仕立て上げたのである。こうして、16世紀半ばにスウェーデンから亡命した大司教オーラウス・マーグヌスの、ルーン文字の起源をノアの洪水前後とする見解のみか、17世紀末に老ウーロフ・ルードゥベックが唱えた文明の発祥地を北欧とする空論さえも息を吹き返すことになった。

 1930年代初期にナチ党が権力を握ると、多くのルーン文字がシンボルとして利用されたが、そのうち最も有名なのが、ハインリッヒ・ヒムラー[1900-1945]率いるナチ親衛隊のSS記章でこれは古北欧期末期のs-ルーンを2つ並べたものである。

 

ナチ党員によるルーンの利用法

ナチ党員は古代のシンボルを識別記号や固定記号として使ったが、その最たるものが、1920年代から使われ始めたハーケンクロイツ(鉤十字章)である。(だが、ナチスの鉤十字は斜めに傾いており、歴史上のどの鉤十字とも違えてある。)さらに彼らは、早くからルーン文字の力強い象徴性に目をつけ、1930年代にナチ党の教条に取り入れ、その喧伝に利用したのである。

 

ナチ支配下のドイツでは、ルーン文字を歴史時代の筆記文字とする真摯な学者らは活動を制限され、反逆者と見なされた。これに対し、率先してルーンの研究成果をナチズムに役立てた学者らは、研究費を存分に得ることができた。最終的に国家主義的性格を帯びたドイツのルーン研究は、式典のシンボルとしてのルーン文字の活用法を志向するようになり、やがて1942年にルーン文字ドイツ国家の正式な式典のシンボルとして承認されたのである。

 

ルーン文字はグイド・フォン・リストゥを祖とするルーンの神秘主義者らによってドイツとオーストリアで歪曲されてしまい、ナチ党もそこから着想を得たのであった。フォン・リストゥとその信奉者らが20世紀初期に唱えたこの不埒な教条は、今日のニューエイジ運動における呪術愛好家らに受け継がれている。

 

ルーン文字と現代

現代のルーン呪術師とニューエイジ運動

我国でルーン文字に関心が向けられたのは、ニューエイジ文化がこれに注目したからである。1970年代末から、ニューエイジ文化がこれに注目したからである。1970年代末から、ルーン文字の神秘を探ろうとする世界各地で多くの団体が結成され、自己の精神を涵養し、人生において一層の飛躍を遂げる手段として活用してきている。

 

彼らは入門者を安心させようと、ルーン文字の予備知識など不要だと述べ、それはルーンの世界の感得法は瞑想以外にないからだと説くのである。偽りの教義を糊塗しようと彼らは占星術やヨガで味付けし、目を引きやすい現象をさり気なく「ルーンの教え」と絡ませて、そこに歴史的連続性があるかのような話をする。

 

ニューエイジ関連の書籍コーナーには、空想的なルーン本の類が所狭しと並べられている。だが、こうした不埒な著者たちは、説示する知識もないために(自著の中で)自らルーンの霊媒であるとかの呪術師だと言ってみたり、信頼性を増幅さえようと、いかにもアイスランド人風の筆名を使いたがるのである。

 

訳者あとがき

・「ルーン文字」は古北欧期からヴィーキング時代、そして北欧中世などを経て、スカンディナヴィア半島の内陸部ではつい19世紀まで生き延びた歴史的文字である。この「ルーン」という言葉は、今日のわが国でも若者層を中心に広く知られるようになったが、それは、ゲームや占いもそうだが、やはり数年前にイギリスのファンタジー作家J.R.R.トールキンの作品をもとに制作され、大ヒットを飛ばした映画『ロード・オブ・ザ・リング』に負うところが大ではないだろうか。

 

・例えば、北欧神話の中の話で、アウス神のソウルが住者を引き連れて呪術師であるウートゥガルズルのロキのもとを訪ねたときのことである。このときウートゥガルズルのロキがソウルの力量を試そうとして、老女エットゥリと角力(すもう)をとらせる場面がある。力自慢のソウルであったが、この老女を倒せずに恥をかいてしまう。ザッと読み流してしまいそうなこの場面を格闘技グリーマだと指摘できるのは、著者自らがその実践者だからこそである。また本書では、さらに格闘技グリーマと神話で示されるルーン文字との呪術性との関係についてもかつてなく詳細に描いている。

 

・(当ブログ註);ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典) グリマ(Glima、グリーマ)はアイスランドレスリング。

 

近年のヴィーキング史研究は、北欧内外の史料はわずかであるとして、むしろ考古遺物に重点がおかれ、その分析結果を史料と関連づける方向で進んできた。そうした研究者の多くはアイスランドの歴史的サガについて、ヴィーキング時代から伝承されてきた事象をその数世紀後に書き記したもので史料価値はあまりないとし、またスウェーデンだけで3000基を超えるルーン石碑にしても、碑銘内容は短く定型化されたものにすぎないとし、ほとんど顧慮することはなかった。しかし、北欧にあっても大半の研究者は古アイスランド語の難解さからサガの原典にはふれず、一部の翻訳作品に頼っているだけであり、またルーン石碑にしても膨大な事例に目を通し、分析しているわけでもない。

 

 

 

『世界の神話伝説図鑑』

フィリップ・ウィルキンソン    原書房   2013/3

 

 

 

北ヨーロッパ

デンマークノルウェースウェーデンヴァイキングの侵略者

・彼ら古代スカンジナヴィア人は、ルーン文字と呼ばれる角ばった記号を使う筆記システムを発展させたものの、当初は文書の形にした価値ある文学は作り上げなかった。しかし、彼らには豊かな口承の伝統があり、それが世界でもまれにみる魅力的な物語を作り上げた。

 

北方の神々と英雄たち

・偉大なる北欧神話は壮大なテーマを扱っている。宇宙の創造と神々の戦いと愛、そして世界の終焉だ。彼らは巨人からドワーフまで、さまざまな神話的存在を想像した。われわれの世界と並立する異世界、ミズカルズで暮らす者たちだ。神々の文化は好戦的かつ壮大で、主神オーディンの館ヴァルハラで現実世界と神話世界は交わり、死せる英雄の魂が天界での褒美をここで受け取る。

 

大きな影響

・北欧の神話と文化は何世紀もの間、その影響力の大きさを証明した。5世紀にヨーロッパ本土からイングランドに定住したアングロ=サクソン人は北欧に由来する物語を伝え、そのなかには舞台まで北欧という物語もあった。もっとも有名な例は、デネ族とゲーアト族の間に繰り広げられる英雄と怪物退治の空想的な物語である。ゲーアト族はおそらくスウェーデン人のことだ。中世になると北欧神話は南のドイツにまで広まり、北欧の英雄シグルドを下敷きにしたジークフリートのような英雄物語が、非常に多くの詩人や劇作家に影響を与えた。

 

北欧の起源

創造神たち

北欧神話の創造神オーディン、ヴイリ、ヴェーは、最初のアース神族、つまり空の神々だった。彼らは宇宙のもっとも高い場所にあった。彼らは一丸となって、大地の神々もしくは豊穣の神々であるヴァン神族と長い戦いを続けた。彼らは海神ニョルズとそのふたりの子供フレイとフレイヤに率いられていた。戦いは膠着状態に陥り、両陣営は人質の交換で停戦に同意した。アース神族はふたりの神々、頭の鈍いヘーニルと賢いミーミルを人質として送った。不幸なことに、この交換でヴァン神族はミーミルの首を切り落とし、彼の首をアース神族に送り返した。常に知恵を追及するオーディンが首を保存して呪文をかけたところ、それ以後ミーミルの首は彼に助言を与えてくれるようになった。

 

オーディンは誰よりも賢かった。他の者たちは皆、彼から学んだ。>

アスクとエムブラ

・ほとんどの創世神話は、人類の祖先となる最初の男女の起源について語っている。北欧神話によれば、オーディン、ヴイリ、ヴェーが海岸を歩いていると、2本の木に行き当たった。彼らはトネリコの木からアスクを、ニレの木からエムブラを作った。神々はそれぞれ彼らに贈り物をした。オーディンが命を吹き込み、ヴイリが思考力と感情を与え、ヴェーが視力と聴力を与えた。ふたりは全人類の祖先となった。彼らはミズカルズ(中央の大地)で暮らし、神々が彼らのために作った家は、ユミルの眉毛から作った砦に守られていた。

 

終戦

北欧神話のなかで最終戦争の物語が特別なのは、それがまだ起こっていないできごとの予言だからである。ラグナロク、あるいは神々の黄昏とよばれるこの戦いは大規模で、すべてが破棄され、世界は終焉を迎える。ラグナロクが終わると、生き残ったわずかな生物が新世界を興し、創造のサイクルが再び始まる。

 

伝説

・最終戦争のもともとの原因は、ロキの悪意だった。彼はバルデルを死なせたあと、拘束された。蛇がロキの顔に毒を滴らせるので、とうとう彼を気の毒に思った妻のシギュンが蛇の口の下に皿を置き、毒液を受け止めた。一方、地上では何もかもが邪悪に変わり始めていた。世界の善と美の大いなる源であったバルデルが死んでしまったからだ。これが週末の始まりであり、ラグナロクの前触れであった。

 

世界の破滅

・ある日、ロキはとうとう鎖から抜け出す。他の多くの執念深い者たちとともに、彼は神々に挑戦し、戦う。ロキの怪物の子供たち、つまり狼のフェンリル、世界蛇のヨルムンガンド、冥界の女神ヘルらが彼の味方につく。ヘルは冥界から怪物の軍を率い、霜の巨人と炎の巨人も攻撃に加わる。まもなく巨人、ドワーフ、神々、人間、怪物と、事実上すべての生物が戦いに巻き込まれる。

 

・残忍な戦いが繰り広げられるが勝者はいない。善も悪も破壊される。最終的に全世界には累々たる死体の山が築かれる。どうにか生き残れるのは、炎の巨人スルトと、世界樹ユグドラシルの枝の間になんとか隠れたひと組の人間と数頭の動物だけである。スルトは死者の体で大きなかがり火を焚き、死者の間にほかに生き残ったものがないことを確かめ、宇宙から永久に怪物や悪魔や妖精を取り除く。破壊の炎は何年にもわたって燃え続け、大地は海に没する。

 

新たな始まり

・最終的に大地は再び姿を現し、もう一度緑豊かになる。リーヴ(ライフ)という男とリーフズラシルという女の人間のカップルが、ユグドラシルの枝の間から歩み出す。ふたりは新たな家族となり、大地に再び人々を増やす仕事に着手する。冥界で衰弱していた美の神バルデルは、盲目の兄弟ヘズとともに復活する。バルデルは新たな宇宙の支配者となる。生命は悪に汚染されることなく新たに始まる。

 

ヴァルハラ

・死者の館という意味のヴァルハラは、オーディンの宮殿である。オーディンは地上で戦死した北欧の戦士をここに集め、彼らに豪華な宝石や武器の褒美を与えた。甲冑が並ぶこの広間で、英雄たちは猪肉をふるまわれ、ヴァルキューリに給仕される蜂蜜酒を飲んだ。戦士たちはここで訓練を行い、ラグナロクに備えた。

 

ラグナロクと黙示録

・初期のアイスランドの作家たちは、ラグナロクを宇宙の終焉をもたらす戦いとして描いた。学者たちは、キリスト教の作家たちが描いた黙示録とラグナロクとの間に多くの類似点を見出している。ラグナロクの前には冬が3年続き、人は親類を殺し、狼は月を呑み込み、森は倒され、大嵐が猛威をふるい、創世記に存在したカオスが戻ってくる。ラグナロクのあとに生命が再び始まる。このようなテーマは聖書にしたものであり、それが北欧の作家たちに影響を与えたのかもしれない。

 

黙示録の騎士

キリスト教の黙示録では善と悪が宇宙規模の戦いを繰り広げる。戦いに参じる四騎士は、疫病、戦争、飢饉、死の象徴だと信じられている。

 

 

 

『図解 北欧神話

池上良太  新紀元社  2007/7/3

 

 

 

北欧神話の宇宙観

北欧神話の宇宙は、それぞれの種族の住む九つの世界によって構成されていた。

 

神々や巨人たちの住まう世界

 

1、(ニヴルヘイム)―世界のうち最も北方に位置するのが極寒の世界。

2、(ニヴルヘル(ヘル))―ニブルヘイムの地下には死者の女王ヘルが支配する。

3、(ムスペッルスヘイム)―南方に位置しているのが灼熱の国。最終戦ラグナロクの際に神々と争うムスペッルたちが住んでいる。

4、(アースガルズ)-アース神族の住む世界で、その外側にある人間の世界ミズガルズと虹の橋ビクレストで結ばれていた。

5、(ヨトウンヘイム)ー囲いの外の北側、もしくは東側の海岸線に巨人が住む世界。

6、(ヴァナヘイム)-ヴァン神族の住む世界。もはやどのような世界であったかを類推することすら難しい。最終戦ラグナロクの影響を受けない位置にある。

7、(アールヴヘイム)―リョースアールブ(白妖精)の住む世界。

8、(スヴアルトアールヴヘイム)―デックアールヴ(黒妖精)が住む。

9、(ミズガルズ)―人間が住む場所に区分された土地。

 

1世紀前後にゲルマン文化圏で信仰された神々

・メルクリウス(オーディン)、マルス(デュール)、ヘルクレス(トール)

 

・イシス(ネルトウス?)。上記3神とは別系統

 

 

 

偽史と奇書の日本史』

佐伯修  現代書館  2007/4

 

 

  

全人類は天皇家の子孫である!「竹内文書」とその支持者たち

・いわゆる「超古代史」の文献と総称されるものだが、もとより正当な歴史学からは、フィクション、ファンタジーとして一笑に付され、無視されてきた。しかし、一方でそんな「歴史」を真面目に信じる人々が常にあり、たび重なる否定にあいながら、この手の「歴史」が再生産されてきたことも事実である。

 

・さて、数ある「超古代史」の中でも過去へのさかのぼり方という点から群を抜いているのは、「竹内文書」(竹内文献)であろう。編集公表されたものが『神代の万国史』と名づけられているように、その記述は、実に3176億年近い昔という、気の遠くなるような過去に始まっている。

 

・「竹内文書」は、このとき、「天地身一大神(あめつちひとつのおおかみ)」によって全宇宙は創られた、と説くのである。そして、約2000億年前に、日本で生まれた神の子が世界に散らばって世界の各人種になった、というのだが、天地を創造した「天神」、初代の「天地身一大神」は天皇家の遠い祖先ということになっている。すなわち、全人類は天皇家の子孫であり、地球上には最初から天皇の統治する日本があり、日本こそ本来の世界の中心だった、というとんでもないことになる。

 

・ところで「竹内文書」は、それにとりつかれた人々を介して新たな妄想を生み出している。例えば、酒井は昭和9年(1934)に吉備(岡山県)の葦岳山が「ピラミッド」だと主張してセンセーションを起こしたし、一部では今も信じられている「青森県にキリストとその弟の墓がある」という説に火を点けたのは、竹内と画家の鳥山幡山である。また「竹内文書」には「ヒヒイロガネ」という”謎の金属”が登場するが、かの「オウム真理教」の麻原彰晃(松本千津夫)は、この金属を本気で入手すべく躍起になったという。その他、「ベントラベントラ」という”空飛ぶ円盤を呼ぶ呪文”でマスコミをにぎわせた高坂剋魅も、「竹内文書」の中の「天ノ浮船」(あめのうきふね)をもとに「UFO」実在論を展開したという

 

警察予算獲得の「サンカ」と「島根県邏卒(らそつ)文書」

・かって、日本の各地には、「サンカ」と呼ばれる独特の暮らし方をする人々がいた。人里近くの河原や林の中などに、仮設住居をいとなむなどして、野営に近い住まい方をし、川魚などを捕ったり、箕など竹細工製品を作ったり、修繕して生活を立てることが多かった。また、季節や、その折々の事情に応じて、しばしば生活拠点(セブリ)を移動させるため、「漂泊民」の一種に数えられてきた。

 

・その起源はつまびらかではないが、確かな記録が残っているのは江戸末期からで、第2次世界大戦後の昭和30年代頃までに、ほとんどが一般的な定住生活を送るようになり、姿を消したようである。

 

・むしろ、世間一般に「サンカ」の名が広く知られたのは、昭和10年代に爆発的に流行した三角寛(1903~71)による「山窩小説」のためで、由来不明の「山窩」の表記とともに、ヨーロッパの「ジプシー」(ロマニー民族)になぞらえるような、伝奇ロマン的な「サンカ」像が広められた。

 このような「サンカ」の実像は、民俗学なども正面から取り上げられることがないまま放置される一方、警察関係者らは早くから「サンカ」を、「犯罪予備集団」と見做して警戒してきた。

 

島根県邏卒文書」は「サンカ集団を『略奪』『強姦』『殺人』『放火』を行う凶悪な犯罪者集団と断定した初めての資料」

 

「艮(うしとら)の金神の託宣を「伝える!大本教出口なおの「お筆先」

・子だくさんの大工の女房だったが、夫に先立たれた、京都府綾部在住の出口なおが、最初に神がかりになったのは、明治25年(1892)の節分、なおが数えで57歳のときだった。

 

・幼くして実父を失い、奉公に出て、出口家の養女となった彼女は、夫の浪費、発病、そして破産、長男の自殺未遂、夫の死、次男の出奔、長女の不和など苦労の半生を耐えてきた。そんな彼女はまた、三女の乱心や長女の発狂を機に、金光教や能勢(大阪府)の妙見菩薩、稲荷明神などへの信仰にはまりつつあった。

 

・さて、神がかりとなったなおは、男声でおごそかに「艮の金神」の託宣を告げ、きちんと座った姿勢のまま身体を上下に揺らしながら腹中に宿った神との対話に入ったという。最初の神がかりのとき、彼女は2月の寒さの中、水ごりをしながら13日間断食を続けた。

 

神代文字」で書かれた本文!『秀真伝(ほつまつたえ)』の五七調の奇妙

・『古事記』や『日本書紀』に記された以前の”歴史”を綴った、いわゆる「超古代史」文書には、太古の成立を謳いながらも、実際の出現は近代になってからのものが多い。そんな中で、今回紹介する『秀真伝』は、その全貌が明らかにされたのは、戦後のこととはいえ、一応江戸時代の安永年間(1772~81)まで、その出現年代をさかのぼることができるとされる。

 

・その後、弓削道教(?~772)との抗争に敗れ、近江へ逃れた大三輪一族によって持ち出された『秀真伝』は、滋賀県高島郡にあった三尾神社の「神宝」となっていたが、安永四年(1775)になって、地元の井保勇之進(和仁估安聡)が宮中に献上を試み、にわかに注目をあびる井保は、「秀真」なる「神代文字」で書かれていた本文のそばに漢字で訳を附している。