日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

イギリスでは今もなお、その土地や河川から、ルーンが刻まれた古い遺物が出土している。(2)

 

 

『世界を支配する秘密結社』  (謎と真相-別冊歴史読本

新人物往来社) 2003/5

 

 

 

サンカを秘密結社として描いた三角寛今井照容

三角寛がサンカ小説を通じて活写する“サンカの社会”はサンカを秘密結社として描いている。1932年~1940年までの間にサンカ小説は集中的に発表されることになる。

 

サンカの起源を国津罪にもとめた三角寛

・三角は、「サンカの社会」でサンカ文字の存在を明らかにする。田中勝也氏の「サンカ研究」によれば、このサンカ文字は《上記(うえつふみ)》で用いられている象形文字の系統にあるという。

 三角の「サンカの社会」によれば、サンカでも一般社会にその存在を秘密にしている“隠密族(シノガラ)”を一種の秘密結社であると解説しているわけだが、別にシノガラでなくても三角の描くサンカは、小説においても研究においても秘密結社の要件を満たしているといっても良いだろう。三角は、民俗としてのサンカを粗描するのではなく、サンカの起源を念頭に置きつつサンカ像を構築している。すなわち、三角はサンカの起源を天皇の歴史に連なる天津罪(あまつつみ)ではなく、土着性の濃厚な先住民の歴史を示唆する国津罪(くにつつみ)に求めようとしている

 

 

 

『漂白の民 山窩(さんか)の謎』  日本のジプシー

 忍者カムイと出雲阿国(いずものおくに) 

(佐治芳彦) (新国民社)1982/6

 

 

 

サンカの持つ異人性

役小角(えんのおづぬ)の登場。役行者(えんのぎょうじゃ)。

彼の出身地から見て、国栖(くず)と称された異民(異族)に属しており、吉野の国栖(くず)が先住民であり、それが後世のサンカに統合される部族であった。

 

サンカ、シノガラの持っている特異性は、秘密結社ということだ。似たものとしてフリーメーソンがある。なぜフリーメーソンが恐れられているかというと、組織のメンバーが外部から判らないように助け合うからだ。

 

サンカ文字をめぐって

・サンカが固有の文字を持っていることを明らかにしたのは、三角寛であろう。

 

サンカ文字といわれる文字は、神代文字それも「上記」に出てくる豊国文字や「竹内文書」に出てくる象形仮名文字という種類に酷似している。

 

鹿島昇氏は、ウガヤ文字、サンカ文字、越文字、豊国文字を研究して、それらが、インドのカロシティ文字とブラフミー文字の系統に属していることをつきとめた。

 

・ サンカ文字のルーツを考えると、サンカの原郷は、インドに求められることになり、したがって、サンカ=ジプシー同根説は、より具体性を帯びることになる。

 

越文字とは、かって「越(こし)」の国と呼ばれていた北陸地方から山形県南部にかけての日本海沿岸部において使用されていたとされる古代文字である。

 

・ ジプシーは、インドを原郷とする漂白の人々。ジプシーの起源は、近代に入るまで知られていなかった。だが、近代に入って言語学が発達して、ジプシー語をサンスクリット語の類似点が次第に明らかになり、彼らの原郷がインド北西部だということをつきとめるのに成功した。

 

山の民のルーツ

・ 多くの先住民だが、「古事記」や「日本書紀」では、それらの人々を天津神(あまつかみ)系の天孫民族に対する国津神(くにつかみ)系―その諸民族との代表的なものとして出雲族があるーとして一括している。そして、朝廷に服さなかった人々として「古事記」や「日本書紀」は、隼人(はやと)、熊襲(くまそ)、肥人(くまひと)、土蜘蛛・ (つちぐも)、国栖(くず)、古志(こし)(越人)、粛慎(みちはせ)、毛人(もうじん)、蝦夷(えぞ)などをいわゆる「まつろわぬ」異族(異民)として挙げている

 

 サンカの始祖伝承

サンカは、古代天皇家につながる天孫民族の渡来以前から、この日本列島に居住していた先住民族―「山の民」-の後裔であるというのが佐治氏の基本的仮説である

 

 

 

『超常科学 謎学 事典』

―最新科学と秘教科学が謎と不思議を完全解明

秘教科学研究会        小学館  1992/12

 

 

 

カタカムナノウタヒ

楢崎皐月(ならさきこうげつ)という男が、平十字(ひらとうじ)と名乗る謎の老人の巻物を書き写したものといわれる超古代の科学書。書写は1949年(昭和24年)に兵庫県の六甲山系金鳥山の洞穴で行われた。

 その内容は明白に古代の科学書である製鉄法から稲作農業技法、石器・木器製造法、衣織技法、医療法などさまざまの内容が書かれ、それはすべて自然の力を利用して驚異的な効果をあげるようになっている。たとえば刀ひとつをとってみても、日本刀は古代に遡れば遡るほど性能がよい。上古刀がカタカムナノウタヒに描かれている、たたら製鉄以前の独特な技法(カタシフキミチとハニドロマブシ)で製作されたことは科学的研究からも明らかである。さらにここには、現代科学がいまだ到達していない原子転換を「生体内原子転換」あるいは「ミトロカエシ」という解読不明の技法で行うこと、ピラミッドパワーを利用したとしか思えない農業法なども書かれている。

 カタカムナノウタヒは、特殊な文字で書かれており、現在では秘教団体『相似象学会』がこれを保持研究している

 

荒覇吐(あらはばき)

異端史書『東日流(つがる)外三郡誌』に登場する一族、王、神の名前。

 

 『東日流外三郡誌』によると、古代東北にはまず阿蘇辺(あそべ)族が居住していたという。そこに大陸から津保化(つぼけ)族がやってきて合流し、さらに幾内から安日彦(あびひこ)、長髄彦(ながすねひこ)の邪馬台国一族が落ちのびてくるそこに、中国の晋の一族も加わり、強大な荒覇吐(あらはばき)王国が誕生するのである。荒覇吐の初代の王は安日彦(安日王)だったという。

 

 荒覇吐という名は、「『東日流外三郡誌』系の史書以外の歴史書には登場しない。しかし、秋田県金峯神社等に「荒羽々岐」「阿良波々岐」「荒羽波岐」といった名が見えるところから、東北土着の神アラハバキが存在したことは確実だと思われる。

 『東日流外三郡誌』には荒覇吐の日神、月神の絵が描かれているが、これが東北一帯から出土される遮光器土偶にそっくりなのだ。

 

 大和朝廷が長らく東北を制圧できないでいたのは事実である。こうしたことから古代東北に、アラハバキを神と祀る民族がいて、それが幾内大和勢力と争っていたことは確実性が高い。

 東日流外三郡誌』によると、荒覇吐の国は幾内日向族をたびたび苦しめ、ときには大和王朝を制圧したこともあるとしている。こうした記述はいくらなんでも鵜呑みにはできない。が同時に、古事記日本書紀が絶対真実というわけでもない。古代東北については、改めて見直す必要があるのではないだろうか。

 

 

 

『謎のカタカムナ文明』   (秘教科学の最終黙示録)

(阿基米得)(廣済堂出版)   1981/5

 

 

 

数万年前の科学を伝える書

カタカムナ人は根本人種だった

・古代中国以外にも、古代ユダヤ神話には世界最大の巨人「アダム」がいて、全ての人類は最初からアダムに含まれているとされた。また古代インドの神話には原人「プルシャ」、古代ペルシャでは「ガヨマート」、バビロニアでは「ティアマート」、北欧神話では「ユミル」等々、宇宙的巨人の消息は広く、アントロポス神話として知られている。アントロポスとは、主に古代末期の秘教学派であるグノーシス派の体系に見出される原人間であり、「全ての人間でもある一人の人間」を意味する。今は物質の中に多様に分散されているが、やがて再び一つの原人間にまとめ上げなければならないとされている。

そして、広義のカタカムナ人はこれらの宇宙的巨人の原型、すなわち根本人のようなものであるともいえよう。狭義とあわせて、カタカムナ人は、いわば根本人―根本人種という視座から改めて見直さなければならないだろう。

 

超古代日本に現れた『カタカムナ文明』とは?

・人類文化は10万年前から数万年前にかけて、一つの頂点に達した。だが、それも人類が国家形成の道をたどり始めるにつれて、退化した。カタカムナ文明は、当時の日本列島の住民(カタカムナ人)が生み出した、その頂点的なものである。それは、また日本民族と日本文化の原型というべきものだった。

 

 

 

超古代文明の謎』   甦った神々の記憶

―人類の祖先“神々”の指紋と足跡を求めて

 (佐治芳彦) (日本文芸社)  1997/1

 

 

 

カタカムナ人、彼らはいずこから来たり、いずこに去ったのだろうか?

 超古代日本にあった先進文明の謎

 超古代日本に現れた「カタカムナ文明」とは?

・日本の超古代文明について語る際、最も有力な手がかりの一つに「カタカムナのウタイ」がある。これは、「古史古伝」の先達である吾郷清彦氏は、「図形神理学(かたかむな)の展開(うたい)」としたが、ここで一般化されている「カタカムナ文献」と呼ぶことにする。この文献は、楢崎皐月(ならさきこうげつ)という異能の科学者が昭和24年頃、兵庫県の六甲山系の金鳥山の頂である芦屋道満(平安朝の伝説的陰陽師(おんみょうじ))の墓と伝えられる狐塚の近くで、たまたま出会った平十字(ひらとうじ)と名乗る老人(サンカのような人物)からカタカムナ御神体として示された巻物の写本とされている。

 

・解読に取り組んだ結果、彼はその巻物の内容が、かって超古代日本に居住し、高度な文明を持った人類(カタカムナ人ともいうべきか)の宇宙観と哲理(さとり)を述べた科学書であることを知った。彼は、その宇宙観と哲理をもとに「相似象学」という独自の学問体系を築いたのである。

 

・独自の人類文明観。人類文化は、10万年前から数万年前にかけて、一つの頂点に達した。だが、それも人類が「国家」形成のみをたどりはじめるにつれて退化した。カタカムナ文献は、当時の日本列島の住民(カタカムナ人)が生み出した、その頂点的なものである。それはまた日本語と日本文化の原型ともいうべきものだった。

 

直観文明

・自然や宇宙は根源的存在ではない、それの背後(内外、環境)のは「天然(アマ)」がある。直観とは、人間の細胞内にあるアマの身代わりであるアマナがカムナ(環境の潜象)に感応することによって生じる。

 

カタカムナ人は、宇宙(森羅万象)に潜むモトガタ(相似象現象)が、アマとカムとの複合系の潜象(ナ=ヌシ=主)であることを直観していた。

彼らは、あらゆる現象の根源にあるアマ(天然=始元量)の存在を直観し、現代の自然科学では別系の「直観物理」を生み、それにもとづいて独自の高度文明を展開した。

 

・だがこのカタカムナ文明も人間の直観力の衰退と共に衰退し、やがて、その一部を劣等の後期旧石器人やその後裔である縄文文化の生活規範や生活技術に残して消滅した。そしては、世界各地の超古代文明を衰退、壊滅させた大異変の影響があったのではないかと考えられる。

カタカムナ人、彼らはいずこから来たり、いずこに去ったのだろうか?

 

 

 

『真創世記』

地球・人類を救う

喜多要光   近代文芸社  2011/1/20

 

 

 

「超航空機」で全世界ご巡行の地球の天皇

・(田中)この「竹内文書」でもおわかりのように、惑星地球の統治を宇宙の創造主より使命づけられた天皇は、全世界を「天空浮船」すなわち、高度な科学的知識でもって製造された超航空機に乗られて、地球の万国を巡行されているのですね。そうすると、今、地球上の現代において、超科学と称されるところの4次元、5次元、さらにもっと高度な次元を理解した科学が十分発達していたとも考えられますね。

 

・「竹内文書」の「天空浮船」については、インド、エジプト、ヨーロッパ、アメリカを廻って日本にもどってくるという高性能の飛行する船であり、天皇は、世界各国の人々に天文学、歴学、文学やその他の文化を教えておられるのですよ。

 

インドの『ラマヤナ』や『マハーバーラタ』等の古代の記録は、あらゆる型の大小とりまぜた航空機の記述でも判明

・現代の飛行機のように燃料を使わずに、空気中よりエネルギーをとり、完全に利用していたことは、相当高度な技術を持っていたのであり、これは高次元の地球外文明人の使用している「UFO」に似ていますね。UFOが宇宙に偏満している空中より「宇宙エネルギー」を取り出すことに成功しているのと同じことを、古代の地球でもやっていたということですね。

 

・(トシ)この「天空浮船」も、やはり色々の種類があったようですね。大きく分けると、地球の最高の統治者のアメノスメラミコト(天皇)が外宇宙へお出かけになられる時の「宇宙船」と、もう一つは、地球上をご巡行されるための「宇宙船」(「天空浮船」)に分けられますよ。その地球上に天皇がご使用になる宇宙船(「天空浮船」)は、数種類のものがありますね。

 

 

 

「超科学書カタカムナの謎」

(深野一幸) (廣済堂出版)1993/4/1

 

 

 

カタカムナ文献

・1万年以上前の上古代の日本人が、宇宙の構造を書き残した科学書

 

カタカムナ文字は、カタカナの起源の文字である。

 

・ 当時、発表すると異端科学としてたたかれるとして、発表しなかった。

 

宇宙と人間の真理

1、 宇宙は二重構造になっている

2、 潜象世界は超微粒子で構成された世界である。

3、 潜象世界は、界層構造になっている。

4、 宇宙は一種類の材料からできている。

5、 宇宙には意識がある。

 6、 人間は肉体に「種生命体」が宿った構造をしている

7、 動物、植物、鉱物にも本質生命体が宿っている。

8、 宇宙では本質生命体の学習進化システムがある。

9、 宇宙にはアカシック・レコードがある

10、 宇宙においては、時間と空間は一体である。

 

 

 

『超科学書カタカムナ”の謎』

神代文字に秘められた宇宙と生命、驚愕の真相)

  (深野一幸) (廣済堂出版)1993/4/1

 

 

 

アマ始元量

・ 現代科学は、真空中には何も存在しないと考えている。本当は、真空中には、潜象世界が存在し、アマ始元量という超ミクロな粒子と、その複合体である宇宙エネルギーが充満している。

 

 カタカムナ人が捉えた「物質」「生命体」「時間」「空間」

・ 我々の住む宇宙は球型で有限の大きさである。宇宙球の外側に「カム」という無限世界があり、そこにはたくさんの宇宙球が存在する。結局、宇宙は、無限ということになる。

 

「カム」の無限世界には「カムナ」というヌシがおり、宇宙球にはこれを支配する「アマナ」というヌシがいる。

 

・ 宇宙は、現象の物質世界と潜象世界からなる。物質世界の背後に潜象世界がある。

 

物質世界は、潜象世界から作られている。現象世界は、カムとアマの重合の状態で存在する

 

・ 物質世界のあらゆるものの始まりの材料が「アマ始元量」である。物質世界も潜象世界も全て「アマ始元量」からできている。なお、アマ始元量は、さらに根源の「カム無限量」からできている。したがって、「カム無限量」が真の究極材料ということになる。

 

・ 「アマ始元量」の究極粒子を「マリ」と呼ぶ。なお、私は、この究極粒子「マリ」の大きさは、およそ10のマイナス80乗センチメートルと推定している。

 

 カタカムナ

超古代とは、1万年以上前、旧石器時代の後期に書かれた超科学書

 日本の上古代に、アシア族という種族が存在し、八鏡の文字を使い、特殊な鉄を作り、高度な文明を持っていた。それが神農氏らによって伝えられ、シナの文化の元にもなったと、密かに伝承されている?

 

 

 

リチャード・コシミズの未来の歴史教科書』

知らずに生きるのは悲しすぎる!本来は教科書が語るべき、真実の歴史

リチャード・コシミズ  成甲書房 2012/7/10

 

  

 

アドルフ・ヒトラーの正体>

・アドルフは、自分にユダヤ人の血が流れているとは分かった。だが、その事実は絶対に外に漏らすなと父から厳命をうけた。アドルフは、悶々としてユダヤの血統を恨んで成長した。

 

・それまでのアドルフの人生は、決して順風満帆ではなかった。1889年4月、アドルフは、税官吏のアロイスと3番目の妻のクララとの間に生まれた。アロイスは小学校しか出ていない無学な靴職人だったが、不思議なことに一般職では最上級の税関長まで登りつめている。アロイスは私生児で名家の出身でもないのになぜ出世したのか?そこにヒットラーの権力掌握の秘密も隠されているのだ(アロイスは1903年、66歳で死去)。

 

・アロイスの母、アンナ・マリア・シックルグルーバーは、ウィーンのロスチャイルド男爵の邸宅に家政婦として住み込んでいた。当主のソロモン・マイヤー・フォン・ロスチャイルド男爵は、ロスチャイルド財閥の創始者、フランクフルトのマイヤー・アムシェル・ロートシルトの次男であった。ソロモンの役割は、父の指令でウィーンに拠点を構え、オーストリアロスチャイルド財閥を形成することであった。ほかの兄弟たちは、ロンドン、ナポリ、パリに散り、それぞれの地でロスチャイルド財閥の興隆を図ったのだ。

 

・男爵は、奉公に来ている決して若くない家政婦に手を出した。いささか女癖の悪い貴族様であったようで、ほかにも女性問題を起こして警察沙汰になっているという。愛想を尽かした夫人と息子は、ウィーンの邸宅を離れていたという。家族の監視のない邸宅で、身近にいる家政婦に後ろから躍りかかったのだろうか?

 

最もありそうもないことは、オーストリア人の放浪者、街路清掃人、及びゲイの男娼がドイツ首相になり得たことではないだろうか見知らぬ者の手助けで一躍、世界の中でも傑出した人物となったヒットラーは、身分が低く、脅迫可能な状況にある者達の長いリストに、名を連ねていた。

 ハレットは、ヒットラーの祖父が、ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドであると記している。

 

・(引用者注:ヒットラーがゲイであった可能性は少なからずある。ヒットラーは零落れてウィーンの安宿に一時住んでいたが、そこには男娼の巣窟だった

 

ユダヤの血と私生児戦略

・ちなみにフランクフルトのマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの息子たちは、派遣先の欧州都市のどこでも、みながみな「男爵」位を買って手に入れている。もっと高位の爵位を手にいれようとはしなかったのか?平民でしかも異教徒が金で手に入れられる爵位は「男爵」だけだったのだ。亡くなった英国のダイアナ妃も貴族の血を引いているが、その血とは、「ロスチャイルド男爵」の血である。チャールズ皇太子とダイアナ妃との結婚は「英国王室にユダヤの血を入れる」という謀略の結果だったのである。

 

・妊娠したアンナ・マリア・シックルグルーバーは、すぐさま実家に帰され息子アロイスを産んだ。アロイスは私生児である。無学で家柄も良くない。これだけ悪条件のそろった人物が、税関長にまで出世できたのは、背後にアロイスを後援する有力者がいたからだ。つまり、父のソロモン・マイヤー・ロスチャイルド男爵が、姿を隠して息子を支援したのだ。ユダヤ財閥の総帥には課せられた「私生児」戦略がある。街の女に子供を産ませ、密かに後援しながら子供が成長した暁には、ユダヤ財閥の手先として使うのだ。

 

・アドルフの生い立ちは決して順風満帆ではなかった。父アロイスと仲違いしたアドルフは、父が入れたリンツの工業学校をさぼり暴れてみせた。1903年アロイスが亡くなると、工業学校はアドルフを退学させた。父の遺産と年金を原資にアドルフはウィーンの美術学校入学に挑む。だが、二度続けて試験に失敗するリンツの学校時代の内申書の評価が悪すぎたからだと学校を恨む。絵画の才能は……とても一流と言えるレベルではなかったようだ。

 

・その後、アドルフはオーストリア・ハンガリー帝国の兵役を逃れるべく住所を転々とする。1913年、ミュンヘンで発見されたアドルフはオーストリア本国に召還され徴兵検査を受けるが、栄養失調で不合格となり釈放される。ところが同年勃発した第1次世界大戦には志願して、ドイツ帝国の軍隊に入っている。伝令兵として前線で活躍し、二度受勲している。1914年の二級鉄十字賞、1918年の一級鉄十字賞である。特に後者は、階級の低い兵が受勲することはまずないもので、ヒットラーは総統になってからも好んでこの一級鉄十字賞を着用したという。

 戦後、ミュンヘンにあったアドルフは、ワイマール共和国軍の情報部に拾われる。このあたりから、アドルフ・ヒットラーを次の世界戦争の立役者に仕立てあげようと、ユダヤ裏社会、つまり、ロスチャイルド権力が動き始めたのである。

 

・アドルフは黒幕の手で弱小政党のひとつに過ぎない「ドイツ労働者党(DAP)」にスパイとして送り込まれる。だが、その政党の中には既に黒幕の手下が潜入し幹部として居座っている。アドルフ・ヒットラーは、手はず通りすぐさま党に入党し「党員番号55」を授与される

 

受け継がれた「世界征服の野望」

・ロックフェラー家はスぺインに源流を発するセファルディムユダヤの名家である。欧州ユダヤの元締め、ロスチャイルド家と婚姻関係を結んで以来、ロックフェラー家はロスチャイルド財閥のニューヨーク支店として機能し、新大陸におけるユダヤ支配に邁進していたのだ。

 

狂気の男によって大戦争に導かれた日本

ルーズベルトは米国が欧州の大戦に参戦できるように策略を講じた。当時、「ABCD包囲網」で物資の調達に苦労していた日本を戦争に引き込む計画だ。鉄くずや石油を禁輸して日本が戦争に打って出るしか方策がない状態に追い込む。そして、米国太平洋艦隊をわざわざ危険な真珠湾に移し、日本帝国海軍が攻撃しやすいように配置する。危険すぎると反対する米海軍高官は更迭する

 

ベルリン陥落と影武者の自殺

・1945年4月29日、ソ連軍と連合軍が迫るベルリンにおいて、ヒットラーは隠れユダヤ人、エバ・ブラウンと結婚式を挙げた。そして、翌日、ヒットラーの代わりに影武者が“自殺”させられた日に、エバとふたりは、総統官邸の近くに待機するハインケル輸送機に乗り込む行き先はスぺインだ。1945年5月8日、ドイツは降伏文書にサインし、欧州の戦争は終わりを告げる。

 

 

 

『ムー  2016年8月号 No.429』

 

 

 

ナチスUFO最高機密 アルデバラン星人の謎

ナチス・オカルティズムの淵源とヒトラー生存説

ヒトラーは死んでいなかった!世界を騙したフェイク心中の真相

・当時ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリンが、ヒトラーの遺体の検証後、アメリ国務長官ジェームズ・バーンズに対し、「ヒトラーはスペインかアルゼンチンに逃げのびたにちがいない」と語り、ドイツ国外逃亡説が、第2次大戦直後の世界を駆け巡ることとなったのだ。

 

・事実、ヒトラー生存説を裏づける証言がいくつもある。たとえば、4月30日の夕方、つまりヒトラーが自殺を遂げたあと、ベルリン近郊のテンペルホフ空港に姿を見せたヒトラーが兵士たちに目撃されている。そしてまた身内の証言もある。第2次世界大戦中、アンヘル・アルカサル・デ・ベラスコというトップクラスのスパイがいた。ナチス降伏の寸前まで、ヒトラー、そしてエヴァ・ブラウンとともに地下室で過ごしたベラスコが、マルチン・ボルマンから聞いた話を、こう明かしている。「ボルマンは、ヒトラー総統を総統府から連れだして、ひとまずドイツ南部のロタック・アム・エルヘンの要塞に移したヒトラー総統とエヴァの死体がガソリンをかけられて焼却されたという話は、彼の創作だ。世界中にニセの事実を信じ込ませることに成功したのだ。実際には、ボルマンが信用する部下数人を使い、要塞からドイツ領内を横断し、船でヒトラー総統をノルウェーに移した

 1945年5月の時点で、ヒトラーはまだ生きていたのである。

 

FBIも捜索したヒトラーの行方 ブラジルで95歳まで生きていた!?

・さらに、ヒトラー生存説を裏づける根拠がある。2009年に米コネチカット大学で行われた遺伝子鑑定の結果が、“それ”だ。ヒトラーが自殺したとされるベルリンの地下室で発見された頭蓋骨の破片が、実はヒトラー本人のものではなく、20~40歳の女性のものだったことが判明。つまり、ヒトラーの死体は発見されていないのである。

 

・2014年4月15日、英のニュースサイト「エクスプレス」が機密解除されたFBIの文書の一部を公開した。そこにはヒトラーの死亡が未確認で、Uボートで南米アルゼンチンに逃亡した可能性があり、FBIまでもがヒトラーの行方を追跡していた事実が記されていた。

 

そして今年、ヒトラー生存説に、また新たな“事実”が加わった。なんと、ヒトラーがブラジルで95歳まで生きていたというのだ!

 2016年3月、驚くべき情報がネット上に公開された。元ナチスの残党を追跡していたシモーニ・レニー・グエレイロ・ディアスによって、ヒトラーがブラジル人の愛人と95歳まで生きていたという証拠写真が公開されたのだ。写真は死の2年前、1984年に撮影されたもので、その男は、黒人のガールフレンドであるクティーニャと一緒に幸せそうにポーズをとっている。

 

シモーニの著書「ヒットラー、その生と死」によれば、ヒトラーがベルリンの地下室で死んだというのは真っ赤なウソで、アルゼンチンを経てパラグアイに飛び、ブラジルのマト・グロッソ州にある小さな町に落ち着いたという。そこで彼はアドルフ・レイプジクという変名を用いて暮らし、地元民には「年老いたドイツ人」として知られていた。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

<サイトの「カラパナア」(不思議と謎の大冒険)から引用

 

ヒトラーは生きていた!?ブラジル人の恋人と95歳まで生きていたという証拠の写真が発見される

 

ヒトラーは生きていた!?

現代においても未だその影響力が半端ないドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーヒトラーは1945年4月30日、総統地下壕の一室にて、妻であるエヴァ・ブラウンと共に自殺を遂げたというのが歴史上の認識であるが、実はブラジルに逃亡し、95歳まで生きていたという噂もあり、最近になってその可能性を示す写真が発見されたそうだ。

 

ヒトラーが死んでいなかったという話は諸説あるが、ある本によれば、彼はパラグアイに逃れ、アルゼンチン経由でブラジル、マットグロッソ州にあるノッサ・セニョーラ・ド・リブラメントという人口12,000人ほどの小さな町に移り住んだという。そこではアドルフ・ライプツィヒという偽名を名乗っており、住民からは”ドイツの老人”として知られていたらしい。

 問題の写真は、ヒトラーが亡くなる2年前の1984年に撮影されたと主張されるもので、そこには黒人の恋人クティンガとポーズをとる幸せそうな姿が映し出されている。

 

『Hitler in Brazil - His Life and His Death(ブラジルのヒトラー - その生と死)』の著者シモーニ・レネ・ゲレイロ・ディアス氏によれば、ヒトラーバチカンの友人から地図を入手し、そこに記されていた秘密の財宝を探していたらしい。恋人のクティンガは素性を隠すために利用していたようだ。ディアス氏はヒトラーの自殺が信じられず、ライプツィヒと称する人物の遺体を掘り起こし、DNA鑑定するべきだと主張している。

 

 ディアス氏はヒトラーが隠れ住んでいたという町を2年間調査してきたそうだ。ここはボリビアの国境に近い、18世紀のゴールドラッシュによって作られた町である。その付近の洞窟にはイエズス会の財宝が眠っているとされ、ヒトラーがここに住んだのも偶然ではないと彼女は睨んでいる。

  彼女がこのような考えに至ったのも、古い不鮮明な写真を加工して髭をつけたところ、ヒトラーそっくりな人物が現れたからである。ディアス氏によれば、80年代初頭にクイアバの病院で手術を受けたヒトラーを身元不明のポーランド人修道女が見つけ、そこから立ち去るよう命じたことがあったらしい。しかし、自分はバチカンの命令で来ているのだと逆に叱責されたという。

  陰謀論では、ヒトラーがドイツから南米へ逃れたと主張されることがある。この見解は、イギリスの2名の作家がアルゼンチンで盗作疑惑をかけられたことから、盛んに議論が交わされるようになった。

 

2011年に出版された『Grey Wolf: The Escape of Adolf Hitler(灰色の狼:アドルフ・ヒトラーの逃亡)』の著者ジェラード・ウィリアムズ氏とサイモン・ダンスタン氏は、ヒトラーエヴァ・ブラウンパタゴニアに逃れ、62年に73歳で死ぬまでに2人の娘をもうけたと主張している。この本は後に映像化されたが、アルゼンチン人のジャーナリストは著者らが自分の研究内容を許可なく使用していると訴えた。

 

 こうしたヒトラーがアルゼンチンで生きていたとする説を、歴史家のガイ・ウォルターズ氏は馬鹿げていると一蹴する。「まったく恥知らずで、そんな証拠はどこにもありません。陰謀論者の妄想に訴えかけているだけで、歴史的な研究とは言えませんね

   マットグロッソ連邦大学の歴史学者カンディード・モレイラ・ロドリゲス氏も「ヒトラーが南米に逃れていたと主張する歴史家と称する人物たちは皆似たようなものですよ」と、同じく否定的だ

 

 そうした説によれば、戦後、悪名高いアドルフ・アイヒマンヨーゼフ・メンゲレをはじめ、大勢のナチスが逃亡を果たしたという。ヒトラーの死を証明しようとする研究者にとって頭が痛いことに、その物理的な証拠は一切発見されていない。2009年には、地下壕付近で発見されたヒトラーのものとされる頭蓋骨の破片をDNA鑑定したが、女性のものであることが判明している。

   ヒトラーが生きている姿を最後に目撃したとされる元親衛隊曹長のローフス・ミシュは、2013年に96歳で亡くなった。生前彼は、閉じられたドアの向こう側で銃声を聞いた後に、頭からテーブルに倒れているヒトラーを見つけたと発言している。