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イェイツが降霊会や自動筆記の会に参加したのは数え切れなかった。(1)

 

『祖国と詩   W・B・イェイツ』

杉山寿美子  国書刊行会  2019/8/8

 

 

 

最も偉大な詩人

・イェイツが天才詩人だったことは論を俟たない。彼は20世紀の英語圏で最も偉大な詩人の「一人」というより「最も偉大な詩人」が、今や定着した評価である。その彼は詩的天才であると同時に、「劇作家、ジャーナリスト、オカルティスト、見習い政治家、革命家、劇場のマネージャー、社交家、彼の時代の最も興味深い何人かの友人、親友、愛人だった」――詩人の伝記の決定版を著わしたロイ・フォスターが挙げるリストである。

 

・18世紀末、ヨーロッパを覆った自由平等の波は西の果ての島国にも達し始める。1798年政治結社「ユナイテッド・アイリッシュマン」が引き起こした武装蜂起は、本格的な独立闘争開始を告げると同時に、彼らが身を挺して示した支配者からの「分離・独立」、武装闘争路線は後の世代に受け継がれ、この島国の伝統となっていった。

 

1840年代後半、島国は大飢饉に見舞われた。100万の人々が命を落とし、もう100万が国外へ流出、人口の4分の1を失った大惨事から立ち直り始めた1870年代、民族自立の機運は、アイルランドの「自治」権回復を図る議会運動となって現われる。

 

・時代の風潮の中で「子供の頃の純真な宗教を奪われた」彼は、それに替わるあの「殆ど不可謬の詩の伝統の教会」を作った。自ら打ち建てた教会と教義の正当性を裏づけ補強すべく、彼は憑かれたようにオカルト世界にのめり込む。ブラヴァツキ夫人の神智学に始まり、秘教集団「黄金の夜明け」の会員となり、スウェーデンボリベーメの神秘思想、新プラトン哲学に関する文献を読み漁り、アイルランドの田舎人の間に土俗信仰を探し、果ては霊媒や自動筆記の会へ足繁く通った。世の常識から外れた、多分にいかがわしい水域に足を踏み入れる詩人に胡散臭い影が憑きまとい、不信を超えて嘲笑の目が向けられ続けた。

 

・イェイツの生涯を跡づける資料は、ほぼ出尽くした感がある。イェイツは一種の文通マニア、生涯を通し、おびただしい数の手紙を友人、知人に書き送った。現存する7000通に近い書簡が公開され、彼の動静――何時、何処で、何――を辿り、作品が書かれた日付と背景を特定し、時々の彼の心情に分け入ることを可能にした。

 

・またイェイツの死から半世紀余を経て、詩人の伝記の決定版がオックスフォードの歴史家ロイ・フォスターによって完成した。合わせて1300ページを超える2巻の書は、詩人の足跡を殆ど日を追って克明に詳細に跡づける。

 

本書は、特に彼のオカルト世界探求は、彼が足を運んだ霊媒や自動筆記の会に詳細に立ち入って、逐一言及することは控えた。

 

黄金の夜明け」とライマーズ・クラブ

・1980年代はイェイツの生涯の中で、特に彼がオカルト世界へ深くのめり込んだ10年間である。1887年春、ロンドンへ移った直後、彼は神智学協会ブラヴァツキ・ロッジへ赴き、夫人に面会、協会会員となった。「彼女はユーモアと豪胆なパワーを秘めた一種のアイルランドの老女」の印象。

 

ブラヴァツキ夫人の伝記作家の一人が伝える彼女は――「他より体重があり、より食し、よりたばこを吸い、より罵り」、「45歳にして2人の夫、限りない数の愛人と1人の子供、にもかかわらず彼女は、私はヴァージンだと厳かに誓った」。夫人は「周りの青年たちが働き過ぎないよう、どれほど注意を払ったか覚えている」とイェイツは言い、彼女は側近の弟子たちを「ガレー船の奴隷のように」こき使ったと伝記作家は言う。ブラヴァツキ夫人の周りに群がる人々は、イェイツの目に「何人かはインテリ、教養人が一人か二人、他は新しいものに群がる有象無象」と映る。

 

・イェイツはオカルト世界にとめどなく引き込まれ、同時に、超自然界・現象に懐疑の目を向け続けた。神霊研究協会の調査報告書を「つぶさに」読んだ彼は、ブラヴァツキ夫人から「説明を待ったが、説明は来なかった」。彼は、神智学協会の会員に課されるブラヴァツキ夫人に対する絶対服従を問い、彼女の「マスター」なる、チベットの秘境に生きるという聖者たちが夫人の「欺瞞」である可能性も排除しなかった。それにもかかわらず、彼女の哲学に「内在する重み」は否定できない。ブラヴァツキ夫人の周辺で起こるオカルト現象の一つは、彼女の「マスター」たちから送られる「神秘的鈴の音」。夫人の忠実な弟子の一人は、真夜中にしばしば鈴の音を聞いたとイェイツに語った。

 

イェイツの一貫した姿勢のもう一つは、抽象的教義に飽き足らず、超自然界・現象の「証」を求めて「実験」に固執したことであるブラヴァツキ夫人の神智学協会に熟練会員から成る「エソテリック・セクション」が作られ、実験が許可されるようになった。花を燃やし、その灰を月光に当て、鐘の形をしたガラスの下に置いておくと、花の幻が現われる――実験を試みたが、「奇蹟」は起こらなかった。「証」を求め、「実験」に固執するイェイツに、ブラヴァツキ夫人の忍耐は限界に達し、協会を辞するよう勧告を受けた彼は、1890年10月、協会を去った

 

・その数か月前から、彼はオカルト教団黄金の夜明け」の会員となっていた。1888年ブラヴァツキ・ロッジが立ち上げられた翌年に設立された「黄金の夜明け」の中心的支柱はリデル・メイザース彼は「ケルト」を自称し、「マグレガー・メイザーズ」と名を改め、更に、単に「マグレガー」と名乗った。イェイツもメイザーズも大映博物・図書館に通う常連で、イェイツがそこでよく見かけた「36歳か37歳の茶色のヴェルヴェットのコート、痩身、決然とした顔、運動選手のような身体」のこの人物は、名前も何者かも分からない「ロマンスの人」

 

ブラヴァツキ夫人の神智学が登用の宗教哲学に拠る一方、「黄金の夜明け」は、カバラ錬金術、星占術、タロット等の膨大な資料から、メイザーズが中心となってまとめ上げた体系に基づくカバラは中世以来、オカルティストの間で「一種の秘密のバイブル」と見なされたユダヤの神秘思想である。その中心的シンボル「生命の木」――無限の「光」源から発する10の「セフィロス」と、それらを繋ぐ22の「枝」から成る木――は、宇宙の中で、「人が来たり、帰り行く道を標した地図」。10の「セフィロス」は光源から遠く隔たるほど物質世界へ降り下り、人は22の「枝」即ち「道」を旅しながら、再び「光」の領域へ帰り行く。

 

黄金の夜明け」がその神話と儀式の拠り所とした一つは「薔薇十字団」、17世紀初期ドイツに起こった、クリスチャン・ローゼンクロイツを伝説の教祖とする秘密集団である。その中心的シンボル「薔薇」は、「正確な意味は決し難いが、犠牲の十字架の上に咲く愛の花を意味」するという。

1890年3月7日、「黄金の夜明け」の会員名簿の78番目に、W・B・イェイツの名が記された。

 

カルト集団には「型破りな女性会員の比率が高く」、「ニュー・ウーマン」の彼女たちは、イェイツの「アート」に寄与する重要な役割を演じることになる。

黄金の夜明け」の際立った特徴は、メイザーズが中心となって作り上げた複雑かつ厳格な位階制度と、「ファースト・オーダー」と「セカンド・オーダー」の区分である。秘密集団を「ヘルメス大学」と呼び、二つの「オーダー」を大学の学部と大学院に準える人もいる。会員には学習と鍛錬が課され、厳しい試練を受けて位階を一つひとつ昇り、「ファースト・オーダー」から「セカンド・オーダー」へ達する。

 

・「アデプト」(「エキスパート」の意)と呼ばれるエリート会員のみから成る「セカンド・オーダー」への昇格は特に煩雑な手順を踏む儀式が伴った。1893年1月20日、「セカンド・オーダー」に達したイェイツは昇格の儀式に臨んだ。

 儀式の場は、「薔薇十字団」の伝説の始祖クリスチャン・ローゼンクロイツの墓を模した七角形の丸天井の部屋、儀式は「黄金の夜明け」の教義の中心を成す「神秘的な死と復活」の神話に基づいて、進行した。部屋の天井の真中に「22枚の花弁の薔薇」が象られ、「薔薇と十字架のテーマは部屋の装飾のいたるところに再現された」。部屋の中央に円形の祭壇があり、その下に棺(ローゼンクロイツのそれ)置かれている。

 

・儀式に臨む会員は、黒のロープを纏い、首に鎖、手を後手に縛られて部屋へ導き入れられ、手、足、腰、全身をロープで縛られ、大きな木の十字架に括りつけられる――象徴的磔刑。ここで「義務の誓い」、教団に関する一切を口外しない秘密の誓いを立てた後――私は、神の許しを得て、この日から、大いなる仕事――私の霊性純化し高め、神の助けをもって、ついに人間を超え、かくして、徐々に私のより高い神聖な天性へと高め、それと合一することを約束、誓います。

 

・誓いを済ませた会員は「苦の十字架」から解かれ、部屋の外へ退出する。再度中へ導き入れられると、棺の中からローゼンクロイツ(彼に扮した教団のチーフ)が立ち上がり、「神秘的死と復活」の神話をなぞった儀式は完了する。これは、煩雑きわまりのない儀式の手順、進行のごく大まかな概略である。

 

・個の再生からより大きな世界の再生を目指す「黄金の夜明け」の会員は個を超えて「世界の再生のための完璧な手段」となることを求められた。時は世紀末、カルト集団の間で、終末を予言する声が充満していた頃である。

 

ブラヴァツキ夫人とメイザーズを隔てる最大の違いは、メイザーズはマジシャン――「マジック」、即ち超自然界に宿る神秘的魔力を行使する魔術師――であり、メイザーズは会員に絶えず実験やデモンストレションの機会と方法を与えた点である。

 

・この頃、イェイツの敵は物質偏重の世界、彼にとって、「知性」は、ダーウィンの進化論や「科学」を生んだ「不純物」である。「知性に対する魂の反逆」は、1890年代、イェイツの一大命題となる。

 オレアリへの手紙の中の「ブレイクの本」とは、『ウィリアム・ブレイク作品集』全三巻、イェイツとエドウィン・エリスの共著である。

 

・イギリス・ロマン派の中で、ウィリアム・ブレイクはきわめて特異な位置を占める。『無垢と経験の唄』の作者である彼は、一見、童謡のような素朴な詩を書く詩人に見え、実際は神秘思想やヴィジョンを象徴的言語で表現する深遠な詩人の顔を持つ。特にブレイク独自の「神話」を現わした「預言書」と呼ばれる一連の作品は、不可解で意味不明。詩人の死後、彼に「狂気」の汚名がつき纏った。イェイツとエリスの共著は「預言書」の「神話」を解き明かし、その象徴体系を解明する試みである

 4年に及んだ2人の共同作業の過程から得た最大の成果の一つは、それまで殆ど存在が知られていなかった預言書の一つ『ヴァラ、或いは四つのゾーア』の発見に繋がったこと。

 

・イェイツは詩人には稀な、優れた組織力の持ち主、1890年初め、ライスと共に文学クラブを立ち上げた。「ライマーズ・クラブ」と命名される会は、イェイツと同世代の若い詩人から成る一種の文学互助会。

 

・ライマーズ・クラブが文学互助会としてとりわけ有効に機能したのは主に書評で、「ライマーズ」は「書評マフィア」を成し、互いが互いの作品を書評し合った。世の人々の目に、彼らは「仲間同士の褒め合い」集団とも映った。『ライマーズ・クラブ第一書』(1892)が出版され、イェイツは「イニスフリー」と「妖精の国を夢見た男」を寄せた。「詩選集の中で最も優れた詩」とシモンズの伝記作家は評す。ジョンソンとシモンズの目に映る彼は「アヒルの中の一羽の白鳥の子」。「ライマーズ」は「芸術のための芸術」を標榜する唯美・耽美主義者たちである。イェイツの詩は、オカルト、世紀末の唯美主義、アイルランドの民話・神話・伝説、象徴的言語が混然一体となった独特の世界へと向かってゆく。

「ライマーズ」の中で、イェイツが初めから親しく交わったのはリアオネル・ジョンソン、「2、3年の間、最も親しい友人」となる。イェイツより2歳年下で、オックスフォードでベイターに師事し、恐ろしく博学な彼は「イェイツ、君は図書館で100年、僕は荒野で100年が必要だ」と言ったという。

 

・モード・ゴンは「明らかに病み」、降霊会やヴィジョンに救いを求めた。彼女は「サキキック」と呼ばれる一人、透視能力を自認し、幼い頃から「灰色のヴェールを被った女」が彼女に憑きまという、姿を現わすのを見た。

11月2日、イェイツに説得され、彼女は「黄金の夜明け」に入会した。イェイツを魅了した教団の儀式は彼女には興醒めで、かつ教団のメンバーも、殆どは「英国中流階級の愚鈍のエッセンス」と映った。1894年12月、彼女は教団を去った。イェイツの落胆は大きかった。しかし、オカルトは二人が共有する世界であり、二人を結ぶ絆となり続ける。

 

オカルト・マリエッジ   1917-1918

・「2日前」、即ち10月27日、アッシュダウン・フォレスト・ホテルで起きた「奇蹟的介入」なる出来事について、後に、イェイツ夫人はイェイツ研究家のリチャード・エルマンに次のように語った。

 彼女は彼の元を去ろうと考えた。心を紛らわす方法を何か思案し、自動筆記を試みようと思った。[……] 彼女の考えは、イズールトと彼女自身に対するイェイツの不安を払うセンテンスを一つか二つフェイクすることだった。[……] 突然、彼女の手が動き始め、[……]鉛筆が、彼女が意図も考えもしないセンテンスを書き始めた。

 

新妻がフェイクした自動書記は崩壊の淵に立っていた結婚を救った。それだけではない。「別の手に掴まれた彼女の手」――と、イェイツは言う――から繰り出される「途切れ途切れのセンテンスや殆ど判読できない文」に夫は興奮、「毎日、1時間か2時間、[自動筆記に]当てるよう彼女を説得した」という。

 イェイツにもジョージ・イェイツにも、自動筆記の方法や潜在的可能性は目新しいものではなかった。イェイツが降霊会や自動筆記の会に参加したのは数え切れず、メイベル・ディッキンソンの妊娠騒動でその「虚偽」を見破ったエリザベス・ラドクリフに寄せる彼の信頼は厚い。他方、ジョージ・イェイツは――

 

 ラドクリフを介した[自動筆記録の]或る箇所を、彼[イェイツ]と共にチェックする作業に関わり、[……]少なくとも1915年から、霊媒に助言を求める広い経験を積んでいた。彼女は心霊研究に関する文献に深く通じ、特にウィリアム・ジェイムズの作品を称賛した。彼女の伝記作家は、すでに1913年、彼女が自動筆記に親しんでいたと言う。彼女はまた、占星術の驚異的知識を持ち、何年もの間、未来の夫の星占いに協力していた。

 

ネムーンでジョージ・イェイツが企てた自動筆記はラドクリフを範にしたものだろうと、或るイェイツ研究者は推測する。

 

筆記録が始まるのは11月5日から。恐らくそれまで数日間、試行錯誤が繰り返されたのであろう。この日、「ドーロウィッチのトマス」と名乗る「コントロール」――霊媒の言動を支配する霊――からメッセジが、ジョージ・イェイツの自動筆記を介して送られて来た。「あなたに悪しき影響を及ぼす敵対感情の終わり/それが理由[……]」と始まる断片的メッセジが何を意味するのか、第三者には判然としない。11月9日、イェイツは知人に、「私の妻と私は私の関心事全てを共に研究する仲間で、私たちはうまくゆくと思います」と書き送っている。最悪のコンディションの中で始まった結婚は、「奇蹟的介入」によって急速に立ち直り、ジョージ・イェイツは霊界をとり告ぐ「霊媒」として、夫に不可欠なパートナーとなっていった。

 

・こうして始まった「文学史上、最も怪奇な」共同作業はイェイツ夫婦の新婚生活の中心を占め、その間、居住地を転々と移動しながら、二人のあるところ――アメリカ講演旅行中は、列車の中でさえ――自動筆記のセッションは続いた。普通、セッションは夕刻から夜分に始まり、「霊媒」のエネルギーが尽きると、その日は終了する。イェイツが問いを発し、コントロールからの答えが、妻の自動筆記を介して送られて来た。コントロール――やがて呼び名を変え「インストラクター」――は、トマスを筆頭に、アメリタス、マーカスなど多数、リーフ、ローズ、フィッシュ、アップルなどの「ガイド」も現われる。初め手探り状態だった筆記録は、やがて問いを記録したノートブックにペアの番号を振ったフォーマットが確立する。1919年6月から、問いも答えも妻が記録した。筆記録を整理し、カード・ファイルやノートブックも作られた。

 

自動筆記は、普通、第三者のオブザーヴァーが参加して行われる。しかし、詩人夫婦の場合、当事者以外がセッションに立ち会うことは一度もなかった。最初から、コントロールは秘密厳守を課した。イェイツは第三者の立ち会いを提案することもあったが、妻は断固として拒否。

 

・自動筆記は1920年3月まで続けられ、それまでにセッションはおよそ450回、筆記録は3600ページ超に及んだ。オカルト実験が始まったかなり早い段階で、イェイツは「奇蹟」によって明かににされた「神秘哲学」を書に著わす構想を立て始める。そうして、3600ページ超の筆記録とそれを整理したカード・ファイル、ノートブックから、「20世紀の奇書」と呼ばれる『ヴィジョン』(1925)、それを改訂した『ヴィジョン』(1937)が誕生する。

 

・イェイツは結婚に至るまで、妻となる女性と二人だけで会話した機会は一度きりだったと言う。自動筆記は、互いによく知らないまま結婚した夫婦のスーパーナチュラルな形を取った会話・対話の様相を帯び、その過程で、二人は互いについて多くを知ることになる。イェイツは自動筆記に憑かれたようにのめり込み、ジョージ・イェイツにとって自動筆記は「結婚を操縦するレヴァー」、夫の関心・注意を彼女自身に振り向け、向け続けるパワフルナ手段であると同時に、スピリットからのメッセジの形を取った――或いは、借りた――夫を操縦すると言わないまでも、望ましい方向へ仕向け、日常生活の指示やアドヴァイスを送る便利な回路だったことも否めない。

 

『ヴィジョン』は、中世の歴史家ジラルダスの書とアラブの一宗派が砂に描いた図形に基づき、それを解読・解説した書なる「架空」の設定

 

・スーパーナチュラルな世界はイェイツの想像・創造力を刺激し、解放するのが常。11月初めに書き始められた「能劇」の第3作『エマーの唯一の嫉妬』が、1月半ばに完成した。能の曲目「羽衣」と「葵上」が着想のヒントになったこの詩劇も「クフーリン劇」の一つ。クフーリンのスピリットはシィーの女ファンドによって妖精界へ連れ去られ、囚われの身。魂の抜けた彼の亡骸が残された人間世界では、妻エマーと若い愛人エスナ・イングバが彼を取り戻そうと奮闘する。妖精が人間を妖精界へさらってゆくというアイルランドの土俗信仰が劇の枠組みを成す。

 

・イェイツの作品の多くは伝記的要素を含み、この劇にも例外ではない。翻って、劇は『ヴィジョン』の「体系」と緊密な関係を有する。クフーリンはイェイツ自身のペルソナであり、妖精の女ファンド(=シンボリックな次元のモード・ゴン)が満月の十五夜を支配する天上のミューズであるなら、エスナ(=イズールト)は地上のミューズ。『エマーの唯一の嫉妬』は実在する女性たちが絡んだ、詩人とミューズの関係を寓話に仕立てた作品であり、劇の制作と並行して、自動筆記は劇の象徴性、創造的天才の本質、四人の登場人物とそれぞれのモデルとなった実在の四人を巡って推移した。クフーリン劇一つひとつは、それが書かれた時の作者の「人生の状況と関係している」とスピリットは告げた。スーパーナチュラルなお告げを待たずとも、それが、イェイツが「クフーリン劇」を書き始めた動機である。

 

・9月半ば、イェイツは妻をスライゴーへ伴った。その産物として詩「土星の下で」が書かれた。スライゴー訪問後、自動筆記録に驚くべきメッセジが現われる。生まれ来る子は新しい時代を導くマスター――「アヴァター」――だというのである。

 

 

 

『魔術の人類史』

スーザン・グリーンウッド   東洋書林    2015/9

 

 

 

ダイアン・フォーチュン

・同時代の先進的オカルティストのひとりと目されていたダイアン・フォーチュンは、心理学からの示唆、特にユングフロイトによるそれを受けて魔術とヘルメス学の思索を考察した、最初のオカルト作家に数えられるだろう。彼女の果たした役割は目覚ましく、残された文献は今日でも利用され、儀式に関する豊富な情報量や異教徒を扱うそのテーマ性にとりわけ価値が認められている。

 

・こうした信念のもと、フォーチュンの活動は続く。1923年、キリスト教の神智学的解釈と神智学のキリスト教的解釈とを目的とするロッジを《神智学協会》内に設置するのだが、1927年にはとうとう協会の思想を拒絶するまでになっている。既にその数年前から、自身の魔術結社の創設に取りかかっていたのである。

 フォーチュンは一方で、アトランティスにおいて初めて提唱されて以来、ホルス、ミトラ、ケツァルコアトル、そしてブッダを通じて世に問われてきたという「救い主の原理」を説いたオカルティスト、セオドア・モリアーティに私淑し、独自の魔術的な交流を形成し始めてもいた。1923年から翌24年にかけての冬、「秘密の首領(シークレット・チーフ)」と自らが仰ぐ人々との交信を行った彼女は、同年、《内光友愛会》を創設するのだった(同会はフォーチュンの死後も《内光協会》として存続している)。

 

フォーチュンが交信した「秘密の首領」の中には、サレムのメルキゼデク(旧約聖書に登場する大司祭。この場合神の代理とも解釈される)に起源を求める三位一体のマスター(大師)がいた。彼らは「哲学と儀式に関わるヘルメス学」、「御子の謎に関わる神秘の光線」、「地上の謎に身を捧げるオルペウスの、もしくは緑の光線」と定義される三条の明晰な叡智の「光線」を放つのだという。

 

調和的合一

ダイアン・フォーチュンは自身の魔術小説の中で、男性が女性性を、女性が男性性を各々発達させるための力として、ユングが提唱したアニマとアニムスの概念を活用した。

『海の女司祭』に登場する女司祭と司祭は神秘の島アトランティスから来訪し、魔術的伝承を伝えるための選抜育種の儀式に従事する。他のオカルティストと同様、フォーチュンにとってもこの島は聖なる知恵の故郷だった。

 

・そして海の女司祭は、自然と大地の肥沃を司る女神として、太陽神を魔術的合一へ引き入れるのだった。

 母なる自然としてのイシスは、彼女の太陽神を待つ。彼女は彼に呼びかける。あらゆるものが忘れ去られる死者の国、アメンティの王国から太陽神を呼び寄せるのだ。すると太陽神が「幾百万年」という名の小舟に乗って彼女の眼前に顕れ、大地は穀物の芽吹きと共に緑に覆われる。オシリスはその欲望をもって、イシスの呼びかけに応える。この出来事は、永遠に人心に留まり続ける。神々は、そのように人を創られたのだ。

 

・第2次大戦の初期、ダイアン・フォーチュンは数々の反ドイツ的な魔術の実践に関わるようになった。イギリスが邪なる力の脅威にさらされていると考えた彼女は、ヒトラー率いるナチス軍の悪に対抗するべく、《内光友愛会》の中で魔術を行使する瞑想集団を組織したのである。彼女は1939年から42年までの間、自身の弟子らに毎週手紙を書き、日曜昼の12時15分から12時30分にかけて、悪を滅ぼす善の力についての瞑想を促している。

 

魔術結社

・秘密結社に対する人々の関心は17世紀を通じて高まりを見せたが、薔薇十字思想とフリーメイソン思想が顕在化するようになったのもまた同じ時代のことである。

 

薔薇十字団

イエズス会になり代わり、神との契約で定められた楽園への回帰を錬金術カバラ、福音信仰の応用を通じて約束した《薔薇十字団》が目指すのは「世界の改革」であり、それはすなわち宗教と科学の刷新を意味していた。

 

フリーメイソン

1717年にグランド・ロッジが組織されると、そうした西洋従来の神秘主義概念と共に「腕自慢の石工」らの社会を基調にした象徴的な位階やシンボルマークが用いられた。

 

神智学協会

ブラヴァツキーは、自らの宇宙観を《大いなる白色同胞団》と呼ばれるヒマラヤのマスター(大師)たちの同胞からそもそも授かったとしているこのマスターたちが、宇宙を支配する聖なる位階制度の長たちと人類とを結ぶ宇宙無線電信とでも言える「網」構造を創ったのである。

 1888年ブラヴァツキーは、『シークレット・ドクトリン』を執筆した。宇宙の創造を、不顕の聖存在である原初の統一体が恣意的な進化を果たす諸存在へと浸透する計画として説き明かそうと目論んだのである。精霊は、一連の再生と宇宙における惑星間の移動を通じて、堕罪の状態から神の恩寵のもとへと回帰しようと試みている。ブラヴァツキーの見解によれば、世界の王は数名の従者を伴って金星から来訪したのだという。その従者らを権威ある順に並べると、ブッダ、マハコハン、マヌ(補佐役はマスター・モリヤこと「M」)、そしてマイトレーヤ(補佐役はマスター・クートフーミこと「KH」)となる。マスター・モリヤとマスター・クートフーミというふたりの補佐役はブラヴァツキーのマスターであり、《神智学協会》の創設に際して大きな役割を果たしたものと思われる。

 

・1909年、神智学の牽引者チャールズ・レッドベターが、マイトレーヤの物質的アヴァター、つまり地球における聖意識の化身で、新たな救世主にして「世界教師」と彼が考える、ジッドゥ・クリシュナムルティという名のインド人少年を発見した。女権の提唱者で有力な自由思想家、社会主義者であるアニー・ベサントがクリシュナムルティの母親役を務めたが、彼は最終的に神智学から距離を置き、裡なる真理の発見と組織的宗教からの解放についての霊的な教えを発展させていくことになる。

 

黄金の夜明け団

・ところが1891年、アンナ・シュプレンゲルとの文通が途絶してしまう。ウェストコットのもとに届いたドイツからの連絡によると、シュプレンゲルが亡くなったためこれ以上イングランドの「学徒ら」に情報を提供することができないのだという。団が「秘密の首領」(世界のどこかの物質界を超越した次元に棲まうとされる、結社の認可を指示する超人)とのつながりを確立しようというのならば、これからは独力で行わなければならなくなったのである。

 

メイザーズとウェストコットはいずれもマダム・ブラヴァツキーの友人であったため、彼女の存命中、《神智学協会》と《黄金の夜明け団》の間には友好的な協力関係が存在した。両結社の根は深く結ばれ合っており、どちらも自らをヒューマニティの進化に向けて秘密裡に活動する選良と捉えていたのである。1892年にブラヴァツキーが亡くなると、メイザース「秘密の首領」とのつながりを確立したと主張し、《黄金の夜明け団》の第二団となるクリスティアンローゼンクロイツの伝説に基づく《ルビーの薔薇と金の十字架団》に儀式の数々を提供した。

 

 

 

『世界不思議百科』

コリン・ウィルソン + ダモン・ウイルソン 青土社 2007/2

 

 

 

歴史と文化の黒幕 神秘の人びと

ブラヴァツキー夫人の奇跡

・1883年の初頭、ロンドンで『密教』と題する本が出た。たちまち評判になり第二版に入った。著者はアルフレッド・パーシー・シネット。髪の毛が後退しかけた痩身小柄な人物で、インドでもっとも影響力のある新聞「パイオニア」の編集長である。まずセンセーションの対象となったのは、第一ページに麗々しく出ているシネットの序文である。同書の内容は、チベットの山中深く住みほとんど永遠の長寿の「隠れた聖者たち」から得たものという断り書きだ。インドにおける大英帝国の代弁者とみなされる新聞の編集長が出した本だ。そこいらの「オカルト」狂いと無視するわけにはいかない。

 

1880年の10月、シネット夫妻は評判のブラヴァツキー夫人を自宅に招待した。夫人は自分の知識の大部分は、ヒマラヤに住んでいる「隠れた聖者たち(隠れた首領)」から得たものだと彼に語った。

 

生来の「霊媒

・生来の霊媒が存在するという前提を認めるとしよう。特殊な「魔力」を所有するか、またそれに所有されている霊媒だ。その前提に立てば、ブラヴァツキー夫人がその種の人間であることはまず疑いようがない。

 

心霊は存在するのか

ブラヴァツキー夫人は、隠れた聖者たちという考え方の発明者ではない。これは、昔から「オカルト」に一貫した考え方である。

 

・オカルティストは、第一に比較的不完全な状態から、比較的高い肉体的および精神的状態へ進化の途中だという考え方を奉ずる。第二に、進化の過程のあらゆる段階は、この比較的高い状態へすでに達している「偉大なる知能者ヒエラルキー(階層)」により命令されるとオカルティストは考える。

 

超能力と進化

ブラヴァツキー夫人は1891年に世を去るが、高度知能と接触したと信ずる「オカルティスト」(超自然現象に興味を持つ人という意味の広義)はその後も跡を絶たない。アリス・ベイリーは、ブラヴァツキー夫人の没後に神智学協会の有力メンバーになるが、シネットが言う「マハトマ」(「偉大な魂」の意)クート・フーミと接触したと自認する。神智学協会内の主導権争いにいや気がさした彼女は、1919年に別のグループを組織し、「ザ・ティベタン」(チベット人)という存在から口授されたと称する多くの書物を世に出した。

 

洞察力あふれる哲学者の相貌

・心霊調査協会の初期のメンバーの牧師ステイントン・モーゼスは、「自動筆記」の手段で、大量の筆記文書を残した。これは本人の没後、『心霊の教義』として出版される。モーゼスはこの抜粋を生前に『光明』という小冊子にまとめているが、自分の鉛筆を動かした心霊のなかには、プラトンアリストテレス旧約聖書のなかの予言者などと称するものがあると困惑を隠していない。

 

・1963年のアメリカのことである。ジェイン・ロバーツと夫のロブはウィジャ盤で実験を始めた。「ペイシェンス・ワース」にある程度影響を受けた。さまざまな人格が身元を明かしてメッセージを伝えてきた。やがて身元を「セス」と明かした人格が登場し始める。

 

・「セス」は『セスの資料』、『セスは語る』などの題の多くの本を伝授し続けた。本はいずれも素晴らしい売れ行きを示した。ジョイン・ロバーツの無意識の心の一側面であれ、または本物の「心霊」であれ、セスが高いレベルの知能の所有者であることを、これらの書物はまぎれもなく示している。

 

<時代を越えて伝世されるオカルト教義>

・20世紀のもっとも独創的な認識者の一人ゲオルギー・グルジェフは、青年時代の大半を「サームング修道会」というものの研究に捧げるが、後に世に出て、その基本教養を北ヒマラヤ山中の僧侶修道会から授かったと唱えた。

 

・しかし、グルジェフの高弟P・D・ウスペンスキーは著書『奇跡を求めて』で次のように述べる。「グルジェフの『精神現象的』教義の背景にはきわめて複雑な宇宙体系がある。これは教義そのものには明確な関連性を欠くもので、グルジェフ自身の独創によるものではないと考えられる」。

 

・この宇宙論をさらに詳述したものに、もう一人の高弟J・G・ベネットの4巻本の『劇的宇宙』がある。同著は次のような確信から出発する。「宇宙にはデミウルゴスという1クラスの宇宙要素がある。これが宇宙秩序の維持を司る。このデミウルゴス知能は、人間の生涯をはるかに超えた時間スケールに対して作用を及ぼす」(訳注:デミウルゴスプラトンが世界の創造者と考えた概念で、キリスト教グノーシス派もこの神を認めている)。

 

デミウルゴスは、なにか新しくかつ生起原因のないものを世界のプロセスへ導き入れる点では、人間よりもはるかに大きな力を所有している。しかし、決して誤らないわけではない。デミウルゴスの主な仕事は「生命のない原初から世界の進化を導くこと」だが、「時には実験と試行を繰り返し、時には誤謬をおかして元に戻り、海から生命が発生して陸の動物が存在を開始すると前方への大跳躍を行なった」。ベネットは次のようにも付け加えている。「グルジェフ師はデミウルゴスを『天使』と呼んでいるが、この言葉には多くの連想があるので使用を避けることが望ましい」。