日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

スサノヲ神話に登場する神々の名も、どうやら彼らが蛇体をもっていたことを強く示唆している。ことほど左様に日本の神話は、まさに蛇づくしだったわけである。(5)

 

降りてくる山の神

・山の神は女性だと言われている。嫉妬深く、若い男のイチモツを好む少しスケベな面も持ち合わせているらしい。古のマタギは初猟の時に最年少の男を裸にして山の神にご機嫌を伺った。そうすると獲物が捕れるというのである。現在でもこれは有効なのかもしれない。

 

・獲物が捕れますように、怪我をしませんようにとありふれたお参りである。それから猟が始まり、山の中で一日を過ごすと夕方には全員無事に帰路に着いた。

「帰りに3人で車に乗って厚木市内に向かったんです。私は後部座席に乗って2人が前にいました」

 街中に入ると家が立て込んだ住宅地の中を進んだ。後部座席から何気なく前を見ていた服部さんは、不思議な人物に目が留まった。

「あれ?何か変な人が来るなあって見てたんです。少し長めのおかっぱ頭で白い服を着ているんですよ?その服が凄く変なんです」

 彼女が着ている服はやたらと袖が長かった。いや、尋常ではないくらい長い。それは手の長さの2倍以上はあるのだ。2メートル近くはあろうかという長い袖をひらひらさせながら、不思議な女性はこちらに向かってくる。

 

・3人が同じ方向を見ていたにも関わらず、見えたのは服部さんだけだった。後日その話を知り合いにすると………。

「それは山の神だって言われました。何でも山の神の着ている物はひらひらしているらしいんです。私が山の祠に手を合わせたから、きっと一緒に降りてきたんじゃないかって」

 山の神もたまには街で息抜きをしたかったのかも知れない。お茶目な女性神である。

 

幻の巨大石塔

五箇山の酒井眞照さんが古い新聞記事のコピーを見せてくれた。日付は明治27年である。その記事は岐阜、富山、石川三県に跨る笈ヶ岳近辺に巨大な石塔が存在することを伝えている。

 内容はこうだ。ある一人猟師が熊を追って山深く入り込んだ。いつの間にか熊を見失い、どこにいるのかさえ分からない状態で彷徨っていると。突然目の前に巨大な建築物が現れたというのである。その規模が尋常ではない。5層の構造で3階までは螺旋階段があり、登れるようになっている。中にはたくさんの仏像が安置してあった。何より石塔の高さが27メートルもあることに驚く。誰もその存在を知らなかった巨大建築物の話に、新聞記者が取材に訪れて記事にしたのだ。

 

“天然石造り希代の塔”の見出しが、その驚きをよく表している。これが公になると巨大石塔を探しに多くの人が山に入ったが、未だに見つかっていない。NHKが番組の企画として探したこともあったが、わざわざヘリコプターを飛ばしてそれらしき場所を調査した人もいるが、結局現在まで何も分からなかったのである。

 

・石塔の謎については現在でも諸説入り乱れているが、最近でも見たという人はいる。

 

白川で煎餅を作っているお爺さんがいるんですよ。その人は石造りじゃないけど大きな建物を見つけたと言うとりますね

 そのご老人も山奥に入り込んだ時に立派な建物に遭遇している。こんな山奥になぜあるんだろうと不思議に思い、中へ入ってみると、広間には荘厳な仏像が6体安置されていた。ご老人はしばらくそこで休憩をして、無事に家路についている。もちろん二度と彼はその場所に行くことは出来なかった。

「いやあ、あの辺りの衆もやっぱり言うことがでかいから………」

 酒井さんはそう言うが、これもホラ話なのだろうか。私は彼らが実際にその建物に遭遇したのだと思う。山の中には二度と行けない場所があり、そこへたまたま迷い込んだのだろう。そのような経験者の話は日本国中どこにでもあるのだ。

 

<最新科学と交差する謎>

岐阜県の旧神岡町は古くから鉱山の町として栄え、今はスーパーカミオカンデが有名だ。再現された神岡城から眺める四方を山に囲まれた地域である。交通の要衝でもある神岡町で180年続く旅館の主、茂利昌彦さんに聞いた話。

 

・誰もいないはずの本堂から、子供が楽しそうに走り回り、大人たちが賑やかな話をする様子がはっきり伝わってきたのである。不思議なこともあるものだと、翌日和尚にそのことを話すと……。

「寺には亡者が集まってくるもんだと言われましたね。そういう場所なんだと。それは決して怖いもんじゃなくて、落ち着く安心出来る場所なんだと言われました。自分もそこに最後は入る訳だから、恐ろしい所じゃないんでしょうねえ」

 本堂ではこんなこともあった。それはある夜のこと、茂利さんが本堂で和尚と一杯やっていると、玄関の戸がカラカラと開く音が聞こえた。

「誰か来たんか? こんな時間に」

「ほお、あれが聞こえたか、それは良い経験じゃあ。そろそろ〇〇さんが来る頃だからなあ」

 和尚が言うには、今日明日の命と言われている檀家さんがいて、その人が今し方亡くなったらしい。

「寺はこうしてみんなが帰る場所だから怖くも何ともない。良い所なんじゃあ」和尚に言われて茂利さんは寺がますます好きになったそうだ。

 

神岡町は四方を山に囲まれている。朝日が当たる山(西側)には天狗が棲み、夕日が当たる山(東側)は仏の場所であり、南側の山は観音様、そして北側の山は修験の地だと言われている。特に北の山には入ると出られないところがあるので気をつけないと危ないそうだ。

「この西側の山にはUFOがよく出るんですよ。私は何回も見ております」

 茂利さんが初めてUFOを見たのは随分と前のことである。それ以来、空を注視する癖が付き、その結果頻繁に見るようになった。ある時は娘さんと2人で、またある時は家の裏で複数の人たちと見ている。オレンジ色のUFOだったり、銀色で不可思議な動きを繰り返すUFOなど、さまざまな形態があるそうだ。

「この辺りじゃ小学校でたくさんの生徒がUFOを見ているんですよ。ああいうモノは何かは分からんけど当たり前にあるんでしょうねえ。見たことの無い人は信じませんけどね、あるんですよ、間違いなく」

 

不気味な声

岡山県の北部、鳥取との県境に蒜山高原は位置する。ここは名峰大山を望む高原リゾートとして有名で、夏場は大勢の観光客で賑わう場所である。

 

・そんな蒜山で長年農林業に従事してきた筒井蒸さんが狐の話をしてくれた。「昔ね、夕方まで野良仕事をしとったんですよ。山のほうの畑で大根を収穫しよった。だいぶ辺りが薄暗うなってきよったんやけど、そいでも荷車に大根を積んでおったら、すぐそばで気持ちの悪い変な声がしよるんですわ

 その気持ちの悪い声を再現してもらったが、どう表記してよいか見当もつかない不思議な音である。

「“:¥~%#><$∄∓∢”(表記不能)って山の中からね、聞こえてくるんです。それが気持ち悪くてね

「それは何ですか?」

「狐なんですよ。あれはよう人の話を聞いとるもんなんですよ。それで話が分かるようになっとるんでしょうねえ。昼間は近くには出てこんですよ。でも夕方になるともう自分たちの時間じゃ、天下じゃ思うんでしょうねえ。そいで“お前ら人間はもう帰れ”言うちょるんや思いますよ」

 その表記不能の不気味な声を出す狐の姿は確認したのだろうか?

「狐を見たか?いや見とらんですよ。もう暗くて姿は見えませんから。ええ、でもそれは狐に間違いありませんね」

 

<拝み屋と憑きもの封じ>

・体の不調が続いたり家族に不幸が重なると拝み屋の出番となる。以前は各地区に存在した拝み屋も、今ではほとんどいなくなった。とはいえ絶滅した訳ではないのである。東城地区で最高齢の猟師黒川始さんに聞いた。

「災いが続くと拝み屋さんを呼んだもんですわ。大体言うことは同じなんですけえね。家の周りをぐるっと回って水神さんを直せ、竈のろっくうさんを直せ言うくらいですかねえ」

 この場合の水神さんとは家への水の取り口に祀ってある神のこと。ろっくうさんとは水の神のことである。その他には“墓が汚れている”が定番の台詞だったようだ。

 

・「いや、真っ暗の山の中ですけんなあ、何も見えはしませんよ。でもあれは狐なんです。狐はこうやって人を威かすんですよ。それで驚いて本当は右に行くべき所を左に行ったりして迷うんですなあ。それが狐に化かされたということなんじゃないでしょうか

 狐の姿は見えないが狐に違いないと思う理由はよく分からない。筒井さんの祖父の時代にはもっと多くの狐話があったそうだが、今はほとんど聞かないようである。

 

ヒバゴンの里>

広島県庄原市の西城地区は、ヒバゴンの里として知られている。地区にはヒバゴン饅頭、ヒバゴン煎餅とあらゆる所にヒバゴンが溢れている。ヒバゴン騒動が起こったのは40年以上前の話なので、元祖ご当地ゆるキャラと言えるかもしれない。

 

・「小学校6年生の時でしたかねえ、ヒバゴンを見たことがありますよ」

 西条支所に勤める加藤隆さんは、地区猟友会の若手である。加藤さんが生まれた頃はちょうどヒバゴン騒動の全盛期である。

「家の近所の川にゴギ釣りに行っとったんです。あれは夏休みの午後でしたね」

 真夏の日差しの中で釣り糸を垂れながら輝く水面を見ていると、上流部に何か動く気配を感じた。加藤さんは顔をゆっくりとそちらのほうに向けて息が止まる。

猿のでかいのがいたんです。こう立ち上がってね、かなり長い毛で全身を覆われとるんですよ。ちょうど、そう、そんな頭の感じでね

 加藤さんが指したのは私の頭である。少し長めの白髪頭はよく似ているそうだ。

 

この頃には新たなヒバゴンの目撃談もほとんど無く、話題にもならなくなっている。しかし加藤少年は、これがヒバゴンじゃないのかとすぐに思ったそうだ。ただ話を詳しく聞くと、ヒバゴンとはかなり形態が違うようでもある。もしかしたら、最初の頃に目撃されたヒバゴンが歳を取って老人(老猿?)となった姿だったのかも知れない。

 

<神船>

島根県の奥出雲町は旧横田町と旧仁田町が合併して出来た町である。その名の通り出雲地方の奥座敷のような佇まいで、有名な奥出雲おろちループを超えると広島県に通ずる。

 御年取って80歳になる恩田愛吉さんの話。

「もう60年くらい前の話ですね。私が仕事を終わって家に帰りよると途中でした。三所川の上のほうにある中村地区を歩いておったんです。夕方でね、まだ明るい空を見上げたら何か飛んどるんですわ。最初はあれは飛行機かいなと思いましたね」

 

・ところが行き過ぎたはずのその物体は、すぐに山蔭から姿を現し、戻るように移動する。

「あれ?これはやっぱり飛行機じゃねえの思いましたよ。今じゃUFOなんて言葉もありますけど、その頃は無いですけんねぇ」

 奥出雲町には船通山という山がある。古事記によると、この麓にスサノオノミコトが降臨して八岐大蛇を退治した。古来より神の通り道だと信じる人も多い場所なのである。実際に船通山の頂上はほぼ平地で樹木も無い。恰好の離発着場のようにも見えるが、それが自然の姿なのか人為的なものなのかはよく分からない。

 ちなみに、恩田さんが謎の飛行物体を見たのはこれ一度きりである。

 

<犬神家>

四国で憑きモノといえば犬神が一般的だ。いわゆる狐憑きと同じような現象かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。どこから来るのか分からない狐とは違い、その存在する場所(家)を誰もが知っているのだ。この点は秩父地方などのオサキ(オザキ、オサキ狐)と似ている。

 

 

 

『山怪』   山人が語る不思議な話

田中康弘   山と渓谷社   2015/6/16

 

 

 

<狐と神隠し>

秋山郷新潟県と長野県を跨ぐ古い集落だ。江戸末期から明治期にかけて阿仁マタギが数人住みついた山里でもある。中津川を挟んだ急峻な地形で、日本有数の豪雪地帯だ。それ故に稲作が始まったのは明治に入ってから。それもごくわずかな生産量で、つい近年まで焼き畑で雑穀類を作り、それと栃の実を混ぜ合わせた“あんぼ”を主食にしていた。そんな秋山郷で阿仁マタギの末裔という人に話を聞いた。

「私は特に不思議な体験をしたことなどねえすなあ……う〜ん子供がいなくなった話くらいかな」

 それは今から50年ほど前のことだ。ある夫婦が農作業のために山へと入っていった。前述したように、この辺りは焼き畑農法で耕地は山の斜面である。

 夫婦は4歳の一人娘をいつものように山の畑へと連れて行った。

 

今日中にここの畑を終わらせようと、午後はいつも以上に精を出して働いた。途中で娘の様子が気になり顔を上げたが、姿が見えない。辺りにいるはずだが、いくら名前を呼んでも返事はなかった

 集落が大騒ぎになったのは、血相変えて夫婦が山から降りてきて間もなくだった。母親は泣き叫び半狂乱状態、父親も顔色が失せていた。

「急にいなくなったか………神隠しでなきゃええが」

 急遽捜索隊が組まれ、畑に近い山を中心に多くの人が探し回ったのである。しかし、いくら探してもどこにもその姿が無かった。少しずつ傾く太陽に誰もが焦り始めていた。夜になると危ない。みんながそう感じ始めた時である。

「帰ってきた、帰ってきたぞ」

 その声に皆が駆け寄ってきた。真っ先に駆けつけた夫婦の喜びようは、それは凄いものだった。娘を見つけたのは奥山に木材の切り出しに入っていた男である。どこで娘を見つけたのかを話し始めると、全員が言葉を失った。

「いや、おらの作業場から帰る途中になあ、ちょっと開けた所があっただろう」

 誰もが知っている場所だった。奥山の入口だが、なぜか平地があって、狐が出るとか天狗が出るとか言われている場所だ。

「そこの大岩の上にちょこんって座ってニコニコしてたんだぁ」

 その大岩は大人でも登るのに骨が折れる大きさなのだ。その上に4歳の子が一人で上がれるとは思えない。いやそれ以前に、その平地まで子供が行ける訳がなかった。

 

道の向こうに

マタギや猟師たちは、山を縦横無尽に動き回りながら獲物を追いつめる。地元の山を知り尽くした達人であるが、やはり不思議な空間に時々迷い込むことがあるようだ。

 兵庫県朝来市の吉井あゆみさんは、確定申告の職業欄に猟師と書き込むくらいの実績の持ち主だ。小学生の頃から猟師である父と山に入り経験を積んできたベテランでもある。その吉井さんに聞いた話だ。

 

・「どうも抜けた(逃げられた)みたいでマチ解除いうことになったんですわ。それで、いったん集合して次をどうするか話をしようと言うんで、みんな戻ることになったんです」

 その時、山の上で待機していた一人の猟師が妙なことを言い出した。

「あれ?こんなところに道があるわ。こっちに行くと近いんちゃうか、俺こっちから行くわ」それを全員が無線で聞いていた。吉井さんもそれを聞いて首を捻った。

「道?あんな所に道なんかあったやろか」他の仲間も不審に思ったらしく尋ねる。

「道って?そこに道があんのか?」

「うん、あるよ。真っすぐで綺麗な道が出来とる。これ絶対近道や。白くて新しい道や」

 

これを聞いて全員が思った。それは変だ、そんな所に真っすぐな道などあるはずがない。「おい、その道、絶対行ったらあかんぞ。おい、おい

 無線はそこで途切れてしまった。それ以上どうすることも出来ず、仲間たちは集合場所へと降りていった。

・最初のうちは笑い話で片づけていたが、その彼は一向に集合場所に現れない。1時間ほど待ったが、さすがにおかしいと誰もが思い始めた。

 

・姿を見せた彼はボロボロだった。帽子は無くなり顔中傷だらけ。全身泥だらけで、藪漕ぎしながらも何度も滑り落ちたのは誰の目にも明らかだった。

「お前どこ行っとったんや」みんなは怒り気味で聞いたが、彼は少し惚けたような顔でいった。

「それがよう分からんのや。何でわしここにおるんやろ」

 

・吉井さんはかなり不思議な体験をする体質らしい。そんな吉井さんの話を続ける。

山から帰る時のことなんです。ちょっと遅くなって、もう周りが暗くなっとったんですよ。そこで小人に遭ったんです

「小人?ですか、白雪姫に出てくるみたいな?」「そうです、あんな感じです」それは吉井さんが暗くなった林道を走っていた時のことだ。ぐねぐねと曲がりくねった道は、車のライトがあたる所だけが闇に浮かび上がる。そんな状況下で急なカーブを曲がると、明るく照らされた山際に何かが立っていた。

何やろ、思うてよう見たら小人なんです。5、60センチくらいでしたね。それがこっちをじーっと見てるんですわ

 思わずブレーキを踏むと運転席でしばらく小人と見つめ合った。ほんの数分か、はたまた数秒か定かではないが、睨めっこに飽きたのか小人はぴょいと山へ姿を消したのである。

 

・「いや凄いもんに遭ったなあ思うたんやけど、誰も信じひんのですよ」

 小人に遭った話は、誰にしても馬鹿にされるだけである。悔しくてしょうがない吉井さんは、助手席にカメラを常に置くことにした。これで小人の写真を撮ればみんな信じるはずだと考えたのである。それからしばらくは、夜の山で何ごとも起きなかった。しかしついにその日がやってきた。

「また夜林道を走ってたら出たんですわ、あれが」

 前回と同じく、暗闇の中にライトで照らされた小人の姿があった。吉井さんはかねての計画通りに車を止めると、静かに助手席のカメラに手を伸ばす。そしてドアを開けて外へ出ようとした瞬間、小人はぴょいと森へ姿を消したのである。残念がる吉井さん、しかしそれ以降、謎の小人が吉井さんの前に姿を現すことは無かった。

 

山塊に蠢くもの

山形県は南に飯豊連峰、北に朝日連峰という山塊を持つ。それぞれに阿仁マタギの文化が残る集落がある。小国町の小玉川地区と鶴岡市の旧朝日村地区だ。

 小玉川地区の前田俊治さんは最近Uターンで戻って来て、現在は地区のマタギ交流館などで働いている。前田さんのお父さんは地区を代表する名物マタギだった。

 

・小国の各集落は、飯豊連峰から流れ下る玉川に沿って点在する。藤田さんが住んでいる地区から下った所にある新田地区で、半世紀ほど前にあった話である。

 その日、山仕事を終えて父親が帰ってくると家の近所が騒がしかった。何ごとかと集まった人たちに尋ねると、4歳になる我が娘がいなくなったと言うではないか。畑仕事をしている母親のすぐそばにいたはずなのに、それが忽然と姿を消したのだ。

「そんな遠くに行ってねえ。空が明るいうちに探すべ」

涙に暮れる母親を待たせて集落の者が一斉に探し始めたが……。

 

・「それがなかなか見つからねえんだ。いなくなった時間からしても近くにはいるはずなんだ、川に流されでもしてなきゃ」

 時間が経てば経つほどに最悪の事態が皆の頭をよぎる。すっかり暗くなった集落は重苦しい空気に覆われていた。

「そうしたらよ、川さ探しにいった連中が子供を見つけたんだ。それがな信じられない所にいたんだと」

 彼女が見つかったのは向こう岸の森だった。そこに行くためには丸太を渡しただけの一本橋があるだけで、大人でも渡れない人がいたくらいの場所だ。そこへまだ足元のおぼつかない女の子が一人で行くとは到底考えられない。皆は口々にこう言った。

「ああ、こりゃあ狐に連れて行かれたんだべなあ」

 

上流部でもほぼ同じ時期に同様の出来事があった。新田で行方不明になった子と歳も近いその女の子は、少し変わったことを言う子供だった。

「私の後ろには狐がいるんだよ」

それを口癖のように言う女の子は両親が仕事で毎日忙しく、自身は寂しい想いをしていたようである。

 その子が突然集落から姿を消した。やはり集落中が大騒ぎになって山狩りまでしたが、女の子の姿はようとして見つからなかった。

「そこでな、法院様にお頼みして、その子の居場所を探してもらったんだぁ」

法院様とは山伏、修験者のことである。その法院様は印を結び呪文を唱え、女の子の行方を占った。

「法院様が言われたのは水辺だったんだ。その特徴から多分あそこだべって探しにいったら、いたんだよ、そこに」

 暗い森の沢筋で、その子が恐がりもせずに佇んでいた。両親が留守がちで寂しがっていたその子のために、きっと狐が相手をしたのだろうと集落の人は思った。これは50年ほど前の出来事である。

 

・小国の小玉川で最も有名な狐話を一つ。

ある人がゼンマイ採りに山へ入ったが、夕方になっても帰ってこない。心配した集落の人が山へ探しに行くと、その人は集落からさほど離れていない場所ですぐ見つかった。

「それがなあ、葉っぱさ山ほど集めていたのよ。本人はそれを布団にして、もう寝るつもりだったらしいんだ」

狐に化かされてどこかの家で布団に入ろうとしていたのかと思いきや、

「いやそうではねえ、とんでもない所さ迷い込んで、諦めて野宿しようと葉っぱを集めてたんだぁ。すぐそこの山でな。やっぱり狐に化かされたんだべ」

 

巨大すぎる狐火

福島県の只見町は、阿仁から移り住んだマタギたちが狩猟の技術を伝えた所である。そこで林業系の会社を経営する渡部民夫さんは、40年に及ぶ猟暦を誇るベテランである。その渡部さんに聞いた話。

「狐ですか?確かにそんな話はよく聞きますねえ。婆ちゃんがぐるぐる同じ所を歩き回って家に帰れなかった話はありますよ。山の中じゃないですよ、すぐそこです。集落の中でね。狐火は知らないなあ、見たこともないですねえ」

 渡部さんも一人でかなりの奥山まで入る人だが、怖いとか不思議だと感じることはあまりないという。

 

・先に狐火は見たことがないと言った渡部さんだが、実はもっととんでもないものに遭遇している。

「あれは入広瀬のほうから真夜中に戻ってくる時でしたねえ。午前2時頃に田子倉ダムの上のほうの峠があるでしょ。あそこの所を通りかかった時なんです」

 

 季節は真夏の頃である。すっかり帰りが遅くなって真っ黒な山道を走っていると、渡部さんは妙な光景に出くわした。

ちょうど左に大きな山が見えるんですが、そこに光が見えたんですよ。狐火?いやそんなもんじゃないんです。山の斜面が光ってるんですよ。大きさは2百メートル以上あったでしょうねえ

 

 バレーボール大の狐火とは桁違いの大きさだ。季節は真夏で蛍もいるが、それほどの広さで山に群れるとは思えない。

「あれは何だったんでしょうねえ?やっぱりUFOなのかな」

さすがの渡部さんも、これはまったく分からないらしい。

 只見町の猟師は現在危機的な状況にある。2011年の原発事故以降、熊肉の食用や流通が禁じられているからだ。

 

天川村の事件

奈良県天川村吉野町から少しばかり南下した山村である。すぐそばに2千メートル近い山があり、冬場はかなりの積雪地帯だ。歴史は古く、役行者役小角)が修験道を開いた地として知られている。その中心地である大峰山登山道の入口には未だに女人結界門があり、ここが修行の場であることを物語る。霊場でもあり、日本のみならず世界中からもスピリチュアル系の人々が多々訪れるそうだ。

 

近所で遊んでいた男の子がふいに姿を消したこともある。集落は当然大騒ぎになり、近辺をくまなくさがしたが二人の姿は見つからない。夜になっても帰ってこず、誰もが不安を抱えたまま夜明けを持った。翌日はさらに大がかりに捜索をしたが結局見つからず、諦めの気持ちすら漂い始めた。

「2日2晩戻ってこんで、3日目にかなりの山奥で見つかったんです。信じられんような所ですよ。なぜにあないなところまで行きよったんか………あれも狐やろ思いますねえ」

 

山菜採りに出掛けた爺ちゃんが行方不明になることも珍しくはない。単なる迷子だとは思うが、やはり地元の人は狐のせいだと感じるようだ。探す時の叫び声が何とも興味深い。

「かやせ〜、かやせ〜」

 かやせ、つまり返せと集落の人々に叫びながら探すのだ。いったい誰に向かって、何に向かってかやせと言っているのだろうか。

 

妖怪と山怪

山の不思議な出来事で一番多かったのは、やはり狐に関してだ。全国すべてを緻密に取材した訳ではないが、西に行くほど狐の影響力は薄れる感じがする。それに反して、雪深い北東北が狐話は格段に多い。定番の池沼にはまり込む話から何かを盗まれる話、果ては死に至る話までのほとんどに狐が絡む。

 

怪異探しは“砂漠の井戸掘り”

この本で探し求めたのは、決して怖い話や怪談の類いではない。言い伝えや昔話。そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である。または不思議であるという出来事だ

 これが何とも説明しづらい内容で、取材依頼が実は最も大変な作業となったのである。知り合いの猟師やマタギ、またはその関係者に話を聞くのはさほど難しいことではない。しかし、まったく無縁の地域で取材するのは骨が折れた。

 猟師関係には役所の農林課から猟友会に話を通してもらったり、または地域振興班や教育委員会から地元の方を紹介してもらう。この時に細かく説明をしても分かってもらえず、企画書を送っても結局民話の語り部を紹介されたりと、ちぐはぐな対応は珍しくなかった。対策としてなるべく地元の民宿に泊まって話を聞いたり、そこから人を紹介してもらったりと、ジタバタを繰り返しながらの取材である。それでも動けば動くほどに何らかの話は聞けたから、行動としてはあながち間違っていなかったのだろう。

 

 

 

 『死後の生』 (死者は何を見たか)

(ジェフリー・アイバーソン) (NHK出版)1993/9/1

 

  

 

<憑依>

・1985年7月19日、北部インドの僻地の村シャルフプーラで、スミトラという名の若い既婚女性が死んだ。ところが家族が葬式の手順を相談しているとき、スミトラは突然、生き返った。そして、自分はスミトラではない、周りの人間は誰一人知らない、と言い出した。自分はシバだと言い、シバのことを色々と語った。シバは、1985年5月17日、つまりその二ヶ月前に死んでいた。スミトラはどうやらシバの霊に取りつかれたらしい。

 

暗いトンネル

・ その次に気がついたときは、僕は、ふわふわ漂っていて、僕の体がずっと下に見えるんです。それから自然に暗いトンネルの中へ引き寄せられていって、中をハイハイして登っていきました。トンネルを登っている間は、時間の感覚はまったくないんです。でもとうとうてっぺんまで、上りつめたんです。そこはものすごく、明るいんです。

 

まず、白い服を着た人が大勢見えました怖い顔の人なんか一人もいなかった。ぼくには、死んだ家族なんてまだいなかったから、その人たちの中に知り合いがなかったんだと思います。それから金色の道が見えてきたので、そっちへ行くと、神様が現れて、テレパシーか何かで話しかけてくれました。するといきなりぼくと神様が一緒に金色の道を滑り出したんです。すごくいい気分でした。そのうち止まったとき、やはりテレパシーみたいにして、神様に家へ帰りたいかと聞かれました。帰りたくないって答えたんですが、お前にはまだ人生でやるべきことがあるから、帰りなさいと言われました。すると僕は病院に戻っていたんです。そのときは、三ヶ月間ずっと昏睡状態だったそうです。

 

・ モース医師がとりわけ大切にしている一枚の絵は、白血病で死んだコーリーという名の幼い男の子が描いたものだった。その子どもは、自分が死んだ後、どうなるのかを知っていた。自分は死んだら光の橋を渡って「水晶のお城」に入り、そこで暮らすのだといい、ピカピカの光に囲まれたディズニーのお城のような高い優雅な城を描いた水晶と明るい色とで、出来上がったそのお城には、神様と呼ばれるおじさんがいる。自分はそこへ何度も行ったことがあるのだと言った。

 

・ 4年間病気と闘って7歳になったとき、コーリーとその母親は、治療の続行を拒否する決心をした。「先生。心配しなくていいよ。ぼくは、水晶のお城へ行って神様と相談してきたんだからね」と少年は言った。

 

・ 三度目にプールの底に沈んだとき、意識がなくなりました。そして、私は、空中へ上がっていったんです。

 

・ その次に気づいたときは、黒い道があって、私は、そこを歩いていました。どういうわけだか、小さな鹿がいて私と一緒に歩いているんです。そのうち、とても美しい庭に出ました。すごい大木が一本あって、川が流れていて、木のそばに子供が遊んでいました。その子たちの衣装は、トーガを思わせるようなものでした。古代ローマの人が着たような、ゆったりとした服です。その子達が私を見て、こっちにおいでと呼んでくれました。私は、行こうとしたんです。でも途中まで来たとき、壁かあるいは何かの力にぶつかったような感じで・・・・どんなものかうまく説明できませんけど、次の瞬間には、私は、真空に吸い取られたように、引き戻されてしまったんです。気がついたら自分の体に戻っていました

 

・ 天使は、こう言ったんです。「もし私がいい人生を送るなら、死を恐れる必要はどこにもないって

 

・ 少女は、モース医師に臨死体験をこう語った。世界が暗くなりだんだん恐ろしくなった。向こうから金髪の女の人がやって来て、それからあたりが明るくなった。エリザベスという名のその人は、自分を助けに来てくれたのだと言い、天国みたいな場所へ連れて行ってくれた。そこには、ほかの子供も大人も大勢いた・・・・・・。

 

死んだばかりの人もいたし、生まれ変るのを待っている人もいた。彼女は、そこで、家族がどうしているかを見せてもらったそうです。

 

それからキリストじゃないかと思う人に会って、そこで一緒に暮らしたいかどうかをたずねられた。彼女はそこにいたいと答えたのだけれど、「おまえは、母親の手伝いをしなければならない身だから」と言われて、それで、自分の体に返されたのだそうです。

 

窓の下のテニスシューズ

・ 心臓発作で一時は死んだように見えた中年の女性が、その間、体外離脱をして病室の天井近くに浮かんで、医師や看護婦が彼女の命を救おうとして、必死で手当てをしている様子をながめていた。彼女は、それから窓の外へ出て病院の裏手へ回り、そこでおかしなものを見つけた。ある窓の外側の窓枠の下の小さな張り出しに、テニスシューズが片方だけ載っていたのである。

 

意識をとりもどした彼女は、すぐにそのことを病院の職員に告げた。テニスシューズは、実在し、拾われて、彼女のもとへ届けられた

 

臨死体験を報告する多くの人が、同時に体外離脱体験が起きたことを語っている。