日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

当時から読売新聞の持つ力に絶対的自信を持っていた。「われわれの力をもってすれば、たいがいの内閣は半年か1年で必ずつぶせる」、そう言って居並ぶ社員たちを睥睨した。(1)

 

『2050年のメディア』

読売、日経、ヤフーインターネット後の地殻変動を描く

下山進   文藝春秋  2019/10/25

 

 

 

「読売はこのままでは持たんぞ」

・2018年正月の読売賀詞交換会。いつも「経営は磐石」と太鼓判を押す渡邉恒雄がその年は違った。「紙の王国」に大きな危機が訪れていた。

分水嶺は2005年に訪れていた。

1995年には存在すらしていなかったヤフー・ジャパン。

そのヤフーは、読売からのニュース提供をうけて、月間224 億PVという巨大プラッットフォームに成長。

危機感を抱いた読売新聞の社長室次長山口寿一(後のグループ本社社長)は、ヤフーに対抗して新聞社が独自のプラットフォームを持つことを思いつく。

日経、朝日に声をかけ、ヤフー包囲網がしかれたかに見えたが・・・。

同じ時期、日本経済新聞社長の杉田亮毅は、無料サイトにみきりをつけ、電子有料版の準備をひそかに進めていた 。

 

読売はこのままでは持たんぞ

・何しろ「朝日を読むなら赤旗を読め!」という言葉で目がさめない学生が当時いただろうか。早稲田、慶應上智、津田塾といった有数の大学でマスコミを目指すものたちの中では、まず朝日が序列の一番に来る。社会主義に対する憧憬は、70年代にくらべれば、様々な現実が報道されることでずっと薄まってきていたが、しかし国内問題に関しては、左派的な視点からの記事を提供する「朝日ジャーナル」が、マスコミ志望の学生の間では「かっこいい」とされた時代だ。

 渡邊はそうした中で、はっきりと東西の戦いは西側の勝利に終ること、そうである以上日米同盟を基軸に様々な問題を考えることが必須であることを語った。

 

朝日は日米同盟に立脚しない

・86年2月7日に読売新聞本社9階の大会議室で行なわれる社員研修「読売新聞の社論について」。専務兼主筆であった渡邊が社員に語りかける会だったが、まず渡邊は朝日の社論を俎上にあげた。

――朝日の社論は、日米軍事同盟を軸とした現在の政策から非武装中立に日本を変えていくことだ。実際朝日は1972年の元旦の見開き2ページの「朝日新聞は考える」という社論特集の中でこうはっきり書いている。

日米間の軍事同盟を薄め、日米安保体制の解消に至る道筋を周到かつ冷静に対処することが望ましいと考える

 武装中立非武装中立も読売の立場としてはとらない。武装中立は、金がかかりすぎる。非武装中立は、敵が攻めてきたら「降伏」する「降伏論」と同じ。だから、読売は日米同盟を基軸に行く。

 といっても読売は、右ではない。国家主義とか全体主義はとらない――。

 実際、渡邊は戦前の全体主義の体制を馬鹿げたものと思っており、なぜそのような間違いを犯したのかを徹底的に追求する「検証・戦争責任」の名企画を立案。

 

当時から読売新聞の持つ力に絶対的自信を持っていた。

「われわれの力をもってすれば、たいがいの内閣は半年か1年で必ずつぶせる」、そう言って居並ぶ社員たちを睥睨した。

 実際社員たちは、その後90年代を通じて、多くのことが渡邊の言ったとおりになっていくのを目の当たりにした。東西冷戦は西側の勝利に終る。その後も中立的な外交政策をめざそうとした内閣はあったがうまくはいかなかった。民主党政権で中国に軸足を少しでもおこうとし、沖縄で無責任な約束をして迷走した鳩山内閣は潰れた。

 94歳まで読売で実権を振るい続けた「販売の神様」務台光雄の死によって、1991年に社長になってからは、渡邊は、販売に力を注ぎ、94年の下期には、初の1000万部台に部数をのせ、2001年の上期には前人未到 の1028万部を達成した。

 

読売の経営は盤石

・戦後、関東の弱小ローカル紙だった読売新聞が務台光雄という「販売の神様」によって1977年に朝日を抜き部数日本一になった歴史などをひきながら、最後にはかならず、現在の読売の経営が盤石であることを社員に保障するのだった。

「この精神力と体力があれば、これからの一定のパイの中の争いで、絶対に勝ち抜けると確信」(2007年)

読売の経営があらゆる指標からみて最も健全」(2012年)

「とにかく読売新聞は盤石です。何も心配ありません。何をやっても必ず勝ちます。いかなる戦でも勝ちます。その自信があります」(2012年)

思いきった政策を実現させ、景気を向上させ、広告収入が回復すれば、読売は絶対安全、安泰です」(2013年)

 読売の社員もその渡邊の話を聞いて安心をする。それが1年に一度の行事だった。

 

何かが違う

いつもだったらば、正月のしめは、読売は無借金経営で経営は万全という話で終わる

・「読売はこのままではもたんぞ

 その言葉になんとも言えない不安を感じた社員もいた。

 2001年には1028万人部を誇った部数も2011年に1000万部を切ってから加速度をつけて減少してきており、873万部まで後退していた。7年で130万部を失ったのだ。

130万部という部数は北海道新聞熊本日日新聞の部数を足した数に匹敵していた。つまりブロック紙一紙と県紙一紙分の部数がこの7年で消えてしまっていたのだった。

 70年代の朝日が「不健全な理想主義」に立脚しているとしたら、渡邊は徹底した現実主義で世の中を見通していた。東西冷戦の崩壊を見通し、政界を動かせるキングメーカーとして君臨をし、行政改革憲法改正論議を主導する。

 が、その現実主義者の渡邊がたったひとつ見通せなかったことがあった。

 それは、グーテンベルグ活版印刷を発明して、紙のマスメディアが勃興し、今日の大衆民主主義の基礎ができたのに匹敵するほどの革命が、ある技術革新によって不可逆的に進行していることだった。

 インターネット。この出現によってあらゆる産業が変革を余儀なくされた。新聞もそのひとつであったが、渡邊はそれに抗っていたのである。

 

最初の異変

<「新聞の切り抜きを使った授業はもうできないんです。新聞をとる家庭がもうないから」そう言われて北区で複数の読売の新聞専売店を経営する副田義隆は衝撃をうける

・その副校長は社会科が専門の教師でもある。社会の授業においてかつてあたり前のように使っていたのが、新聞だった。たとえば、ある社会事象について生徒に「新聞の切り抜きをつくって、感想を書いてもってきなさい」といった指導は定番のことだった。

その「新聞の切り抜き」ができなくなっているのだという。だから新聞を学校にただで配ってくれるのはありがたいというのだ。なぜ、「新聞の切り抜き」ができなくなっているのか。それは、そもそも新聞をとっている家庭が極端に減っているからだと訴えた。

生徒が10人いたら新聞をとっている家は3人くらいです。だから『新聞の切り抜き』はもうできません

 

・その質問項目の中に「1日15分以上新聞をよむか」という設問があった。2005年の数字を見てみると、30代で「はい」と答えたのは、男女との29パーセントになっていた。1995年の調査を見てみると、95年当時の30代の50パーセント以上は、まだ新聞を毎日読んでいた。

 

生活保護家庭が週払いで新聞をとる国

副田の家は、三代続いた読売の専売店である。専売店というのは、読売新聞とだけ契約し読売新聞だけを売る店のことを言う

 1943年、戦中に始まった副田の家の家業である読売の販売店。ラジオが出てきた時も、テレビが出てきた時も「新聞がなくなる」と言われながら魔法のような言葉が、その悪夢を退散させた。

「新聞に書いてあるから」

 それは「だから真実なんだ」と同義の魔法の言葉だった。「テレビでやってたから」とはニュースの場合言わない。あくまで「新聞に書いてあること」。それが真実だった。そのことを副田は昨日のことのように思い出す。

 だから、どんなひとでも新聞をとった。

 学生時代の鮮烈な思い出がある。

 北区は生活保護受給率が高い。が、その生活保護世帯でもまずは、新聞をとるのだと販売店を経営する父親は言った。貧しいために一括では払えない。家のポストに毎週200円の金をいれ、週ごとに集金する。朝夕刊セットの料金が750円だった1970年代のことだ。

 どんなに貧しくとも、いや貧しいからこそ、必死の思いで新聞をとるんだ。

 新聞はライフラインと同じだった。その知識を得たうえで初めて仕事につくことができる。だから生活保護世帯も、家計をやりくりして、新聞を宅配してもらっているのだった。日本の国力が高い理由もそこにあると副田は考えた。国民全体の知力が高い。世界的にみても文盲率はほぼゼロに近い。その基本となっているのが、国民が新聞をとって毎日読んでいるからなのだ。ニュースに接して様々なことを考える習慣によるものだ。

 

部数を追って

・「改廃されてしまう」

「強制改廃」のことだった。成績の悪い販売店は、読売本社からその地区の営業権を強制的に他者に振り替えられてしまうのだった。新聞は伸び盛りの産業だった。だから新聞販売店を始めて一儲けしたいという人物は大勢いた。

 副田は乳飲み子を抱えたまま、会社を辞め店をつぐことになった。

 営業力のなかった父親に比べ副田は新聞販売店を伸ばす才能があった。地域のロータリークラブに積極的にかかわり顔役になる。ちょっとした用事でも骨をおしまず町内会でも協力をする。

 70年代、80年代は、新聞各社は部数を拡張するために必死だった。部数が増えればまず、本紙の広告料金のレートがあげられる。それで本社は潤う。

 販売店にも折り込み広告があった。折り込み広告は、文字通り新聞に折り込む広告のことだ。地域のスーパーや塾などのちらし広告が大きな収入になった。

 一部あたり48円の折り込み広告の収入があるとする。そうすると、3000部で1日当たり14万4000円の真水の収入になる。1年で5256万円。3店経営していれば、1年で1億5768万円もの売上になる。

 本社からどばっと拡販費用が注入された。その拡販費用で洗濯機や冷蔵庫を仕入れ、新しい読者への景品とした。

 

中心のないネットワーク

・「後に「日本のインターネットの父」と呼ばれるようになる村井純は、この技術が、産業のあらゆる分野で変革を起こすようになるとは夢にも思っていなかった」。

 

未来をデジタルにかける

・「かつて午前1時の降版の時間にむけて全社がまわっていた日経は、電子版の普及とともに変わった。午後10時には編集局にはほとんど人がいない。報道の中身も変わっていく

 

日本経済新聞社は未来をデジタルにかけている

・紙の新聞の部数は、2009年から2019年にかけて71万部おちたが、誰も進出して行かなかった市場、有料デジタル版に2010年に進出していったことによって、2019年6月までに72万の契約者数を日経電子版でとり、2009年以降も、売上を維持している唯一の新聞社であることはすでに書いた。

 が、紙にこだわることをやめ、デジタルにシフトしていく過程で当然代償もある。

 

フィナンシャル・タイムズ買収

・こうした惨事をくぐりぬけながら、日本経済新聞は変わりつづけている。

2015年11月にはピアソン傘下にあったフィナンシャル・タイムズ(FT)を1600億円で買収する。

 日経の報道がはっきりと変わってきたのは、先にデジタル版で成功していたフィナンシャル・タイムズを買収してからだ。

 

「テクノロジー・メディア」を目指す

・FTの買収以降、社長の岡田直敏は日経を「テクノロジー・メディア」に変えようとしている。

 2018年度の日本経済新聞に占めるデジタル売上高は27パーセント、これを2025年には50パーセントを占めるように変える。

 そのためには、紙の部門のリストラ、効率化をはかり、デジタル・グローバル分野に集中投資する。

 日本経済新聞は、このテクノロジーの変化の主役、エンジニアを他の新聞社に先駆ける形で積極採用している。

 

翌日の朝刊のスクープを前日の電子版に出す

・FTに習い、個人が立った記事を積極的に掲載するように日経が変わったことはすでに書いたが、日経がもうひとつ力をいれているのがデータ・ジャーナリズムだ。このデータ・ジャーナリズムは、たとえば官公庁、自治体からデータを入手し、その膨大なデータを解析することで、大きな変化を掴む、というもので、すでに東京大学の越塚登研究室と協力しながらいくつかの成果を出している。

 

・そして日経は、2月16日の朝刊一面に出したこの記事を、前日の午後6時には、日経電子版には流してしまっているのである

 これは日経電子版の「イブニングスクープ」と呼ばれるもので、ビジネスマンが帰宅時間にスマートフォンなどで、もっとも電子版を見る午後6時という時間帯に、翌日の朝刊の一面の調査記事を出してしまうのである。

 このイブニングスクープに選ばれる記事は「スクープ」というよりも、時間の変化に耐えうる大きな変化をつかんだ調査記事が多い。

 

・紙の新聞は午前1時前後の降版にむけて、すべての予定が組まれていく。 日経でも、10年前は、結婚して子どもを産んだ女性記者が編集局の現場で働くことは無理だった。

 チェック用の記事のゲラ刷りが出てくるのは21時。これからチェックをしてということになると、とてもではないが、公立の保育園で延長保育をしても、18時までというところだと家庭が回っていかない。

 しかし2019年6月の現在では、朝刊の紙面は夕方4時か5時にはある程度できているようになった。そこからチェックしてということであれば、子どもがいても記者として仕事を続けることができる。

 これも、電子版のアクセスが多い、午前6時から7時30分、昼休みである12時から13時、そして帰宅時の18時、ここにあわせて、朝刊用の締め切りも以前よりずっと早く設定しているために起こった変化だった。夜回りも極力少なくするよう、記者たちは指示され、独自の見方の記事を出すことが奨励されている。

 現在の日経は、午後10時ともなると編集局には、ほとんど人がいない。皆電子版に合わせた締め切りで記事を出して帰ってしまっている。

 

・紙の新聞だけだった時代、編集局に人がいるピークは午後11時台だった。騒がしく、そこかしこで、怒鳴り声がしていた。翌日の朝刊の紙面をうめるために、記者も校閲者も編集者も、午前1時にむけて必死に、時に陽気に行進していたのだった。

 その時代はすぎさってしまったことを、午後10時の日本経済新聞の森閑とした編集局は伝えている。

 

2050年のメディア

・「読売の山口が郵送してくれた一遍の論文。そこには、新聞の今後を考える意味で重要な示唆があった。新聞社の強固な防衛力となる日刊新聞法。が、それは、変化を縛っていないか?

 

つまり日刊新聞法は、日本の新聞社が従業員による強固なオーナーシップを持つことのできる世界でも例外的な法律ということで、それにしたがって読売グループは水も漏らさぬ鉄壁のグループ体制を保っているということだ。

 紙の新聞が伸び続けた2000年代初頭までは、それでうまくいった。

 が、紙の新聞の市場に大きなガラがきている今日ではどうだろうか?

 

上場していたからこそ変化に対応できたのではないか?

・例えばニューヨーク・タイムズにしても、あれだけ強固な紙の新聞の一面至上主義を捨てデジタルファーストに社を転換できたのも、株を上場しているがゆえに、市場からの強烈な風圧があったからこそなのではないか?

 ワシントン・ポストも株を上場していた。2000年代の半ばの新聞の苦境の中、様々な手をうつがまくいかず、彼らがとった手段はアマゾンのジェフ・ベゾスに社を買収してもらうことだった。そのことで、ワシントン・ポストもテク・カンパニーに生まれかわり、100万を超す有料デジタル版の読者を抱えるようになった。

 かりに、米国で日本のような日刊新聞法があったとしたら、ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストもマネージメントは変わらなかったということになる。2000年代半ばの趨勢のまま、有料デジタル版への移行がうまくいかず、シュリンクしたまま終わっただろう。

 

 

 

『新聞社崩壊』

元朝日新聞販売局の部長が、全国43紙の経営を徹底分析。

畑尾一知   新潮社  2018/2/15

 

 

 

2030年代の新聞の姿

そのように再生した2030年代の新聞の姿を以下のように想定したい。

・今より部数はずっと少ないが、安定した購読者層を維持している。

・月決めの購読料は今より安く、ページ数も少ない。

・紙のサイズも今より一回り小さいタブロイドに。

・紙面は政治・経済・社会面を中心にほとんどストレートニュースで埋める。

人々がニュースに接する手段はデジタルデバイスが主流だが、プラットフォームのニュースサイトに新聞社が配信している

・紙の新聞の購読者が新聞発行を支え、その経営基盤を背景に信用できる記事をウェブニュースサイトに提供する。

・紙の新聞の発行部数は少ないが、ニュースサイトへの自社記事の配信により、社会へのプレゼンスはゆるぎない。

 はたして、新聞の未来はいかに――。

 

復活のための改革案

新聞を読む理由

日本の金融や産業界のビジネス・パーソンの多くは、日経を読んでいる。たいてい定時に紙の新聞を読み、デジタル版はリアルタイムのニュースや過去の記事の検索に使う。

 

・多くの会社員はマクロの政治・経済、ミクロの産業・企業の動きを押さえておく必要があるので、紙かデジタルかにかかわらず、日経のコンテンツは手放せない。将来、日経が紙の新聞の発行をやめることになっても、購読者の多数はデジタル版へ移行するだろう。

 日経に比べると朝日や読売などの一般紙は、「世の中の動きが知りたいから」読んでいる人が多く、定型的な必要情報が載っているわけではないのが弱点だ。コンテンツが必需ではないため、購読者を紙からデジタルへ誘導するのは容易ではないと思う。

 

<急増するデジタル版>

・ここでは、一般紙でもデジタル戦略で成功しつつあるニューヨーク・タイムズ(以下、NYT)の現状を見てみよう。NYTのデジタル戦略の成否は、日本の一般紙のためのメルクマールになるだろう。

 NYTの紙の購読者数(月~土曜日)は、2011年の103万部から2016年には57万部とほぼ半減した。ちなみに、日曜日の新聞(サンデーNYT)は100万部強発行されている。

 一方のデジタル版は、この5年間で60万部から185万部へと3倍になった。とくに2016年は大統領選挙の影響もあって、1年で46パーセントも増えている。2017年に入っても増勢が続き、9月には213万部を記録した。

 

・あくまで単純な計算に基づいたものだが、将来NYTがデジタルだけで生きていくのが並大抵のことではないことがおわかりいただけただろうか。

 それでも、世界中に熱烈な愛読者を抱えているNYTは、そのブランド力を活かして活路を見出す可能性がある。それに比べると、日本の一般紙はそこまでの競争力があるとは思えない。

 

紙の新聞がない社会

・私は、紙の新聞がない時代には、以下のようなことが起こると予想している。

  1. 世に出るべき情報が埋もれる。
  2. フェイク・ニュースが出回る
  3. 常識的な世論が形成されない
  4. ニュースの重要度が均衡を欠く
  5. 興味深い記事がなくなる

 

(1)世に出るべき情報が埋もれる

・現在の主なニュースの供給元は、新聞やテレビに代表される旧メディアと、グーグルやフェイスブック(以下、FB)などの新メディアに大別される。旧メディアのシェアが瞬く間に新メディアに浸食されたのは周知に通りである。FBは1人のユーザー当たりのローカル紙サイトの30倍のページビューがあるし、Yahoo!ニュースは2016年1月の月間ページビューは128憶に達し抜群の存在感を誇っている。

 

・権力側にとって不都合な情報を公開されたくないのは、ごく自然なことである。情報の公開度は権力側と大衆との力関係で決まり、大衆の支持を背景にジャーナリズムがどれだけ頑張るかにかかっている。

 その公開度を測る1つの指標に、パリに本部を置く「国境なき記者団」の報道の自由度ランキングがある。2016年の1~3位は、フィンランド、オランダ、ノルウェイで、日本は72位だった。日本は2010年には11位だったが、年々ランクを下げ、先進諸国のなかでは最低に位置している。日本の評価が下がったのは、特定秘密保護法による取材の自由の制約や、放送法改正によるインターネットを含むテレビ放送への政治的公平の要求が原因と見られている。

 

その後各新聞社は、全国の地方議会における議員の政務活動費の使途について調査し、多くの県会議員の不正が発覚した。大多数の地方議会は、「活動費の内容は請求があった場合に開示する」としている。

 このような調査は、莫大なマンパワーを使い、時間と費用がかかる。そのうえで集計作業や問題の洗い出しなど専門的な知識も必要になる。そういう体系的な調査報道は、新聞社のような経営基盤が確立した独立の組織体でないととてもできない。

 

(2)フェイク・ニュースが出回る

2016年の米大統領選の最中に、ドナルド・トランプ候補(当時)が連呼したこともあり、「フェイク・ニュース」という言葉が大ブレークした。

 

・なかでも衝撃を与えたのが、「クリントン陣営の選対本部長がピザ店で児童売春」というデマだった。デマが拡散されすぐ、ライフルを持った男が、そのピザ店に押し入り発砲した。男はその話の真偽を確かめにきたという。ピザ店の関係者が異変に気づいたのは大統領選直前で、ネット上には「皆殺しにしてやる」などの言葉が並んでいた。投票日前後には、店への嫌がらせがピークに達し、従業員の家族の写真までネットでさらされた。

 

新聞やテレビなど従来のメディアは、裏づけがとれた事実だけを報道することを厳守しており、それがFBなどと根本的に違うところだ近年の例では、朝日の従軍慰安婦についての誤報に対し世間から厳しい批判があったが、これは裏を返せば新聞記事への信頼度が高いことから起こった反響でもある。もちろん新聞にも一定の確率で誤報は載る。しかし、その誤報率は、現在でもその他のネット・メディアより低いと感じる。

 

(3)常識的な世論が形成されない

・マスメディアにはそれぞれのカラーがあり、保守色やリベラルな色が強かったり、時の政府に対するスタンスに違いがあったりする。しかし、民主政治を守るとか、人権を擁護するなど基本的な価値観は共通している。それが広い意味で冷静で常識的な世論を形成し、すぐ炎上するネット社会とは異なる。それぞれのメディアが中心になってコミュニティを形成しており、視聴者や購読者の多くはメディアの価値観に賛同する人たちであろう。

 もともと人間には、「自分と異なる意見は聞きたくない」という傾向がある。

 

・ネットの特色は“選択的接触”であり、新聞の“一覧性”と対照的である。また、現在のメディア環境は心理的に同調化が求められる傾向を強くし、異論に耳を傾け議論することを難しくしている。

 

新聞がなくなると投票率が下がる

・まず、選挙では軒並み投票者の数が減った。新聞がなくなったことで、住民の地方政治への関心が低下したと考えられる。

 

この例で見るように、紙の新聞がコミュニティを形成し、常識的な世論を形成するために大きな役割を果たしていたことは、新聞がなくなって初めて理解されるようである。

 

(4)ニュースの重要度が均衡を欠く

・新聞やテレビはその日のニュースを重要度が高い順に報道する。国際ニュースや科学ニュースなど、一般受けしないものを含めて、書きたい記事と読みたい記事のバランスを考えて整理されている。受け手側も、それを承知して読みたくない記事も含めて報道されることを是としてきた。

 昔から政治関連の記事は人気がない。しかし読み飛ばすにしても、紙の新聞ならばその見出しぐらいは目に入る。政治スキャンダルがあれば、それがどのようなものであるか、世論に影響が出る程度に多くの人が知っていた。しかしデジタル版には階層性がなく、読みたくない記事をジャンルごとスキップすることができる。

 

(5)興味深い記事がなくなる

従来型メディアの時代はすでに終わりを迎え、すべての人がニュースを発信する「誰でもがメディアになれる」時代になったとよく言われる。さらに「読み・書き・そらばん」のようなスキルセットとして、ジャーナリズムの作法も義務教育で教えるべきだ、という意見も聞かれる。

 しかし、ソーシャルネットワークでもてはやされる面白いニュースと、政治・経済・社会などのニュースが本質的に異なることは、言うまでもない。

 

もし「値下げ」すれば………

2025年には、2015年に比べ購読者が30パーセント減少する。それに伴い、販売収入・広告収入が減るのは必至である。一方、費用は用紙費・資材費・輸送費・販売費などを変動費とみなし、販売収入減のうち30パーセントは費用も減ると仮定した。その結果、2025年には営業利益率がマイナス20パーセントとなり、多くの新聞社が経営危機に陥ることになると予測した。

 

・これは91社の平均像なので、相対的に業績が悪い新聞社はもっと早くに経営破綻が訪れるだろう。それを避けるには、売上を伸ばすか費用を抑えるしかない。

 売上の減少幅を縮めるために考えられるのは、以下の3点である。

  1. デジタル版の購読者を増やす
  2. 新規事業を成功させる
  3. 購読料を値下げして購読者を増やす

 

・もちろん、この試算で仮定した「購読料を20パーセント下げたら、部数減のペースは半分になる」というのは、筆者の勝手な思い込みである。だが、値下げにより部数減の右肩下がりのカーブがなだらかになるのは自明なので、「1人でも多くの読者に読んでもらいたい」という新聞の本来的な望みに沿っていることは疑いないのである。

 

人件費が4分の1になれば……

・新聞社の経営において人件費の占めるウエイトがいかに大きいかが一目瞭然である。このように、従業員の人数と年収を減らすことができれば、経営が好転することは明らかであろう。

 

その次は高い年収に手をつける。日本の労働法制では一気に給与を大幅にカットするのは困難なので、数年かけて半分にする。その結果、10年以内に社員数と年収の半減を実現することになる。

 

誰も新聞社を助けたがらない

・しかし現実には、日本の新聞界にマードックが出てくる可能性は限りなくゼロに近い。日本の新聞社の多くは、従業員持ち株会などの社内勢力が大株主になっている。その結果、「株主・取締役・労働組合」が一体的に社員で構成される「オール与党体制」ができ上った。社員の生活より会社経営を優先させる抵抗勢力がないに等しい。

 

再生の可能性

・そのときが、事業再生の専門家集団を擁する事業再生ファンドの出番である。前述のように紙の新聞の需要は根強いので、新聞社の構造を一変させてビジネスモデルを合理化すれば、再生は十分可能だからである。新聞社は20世紀の黄金時代に新聞代を極限まで高値に導き、自らを高コストにした。それを逆流させて、低価格、低コスト化すればいいのだ。

 

「未来の新聞」を提案する

・21世紀に入ってからの急激な新聞離れの原因は、高価格と紙面の品質低下、そして、その根底には読者軽視があると思う。

 

未来の新聞は、それらを反面教師として、低価格・高品質の紙面・購読者重視が成功の鍵になる。そのうえで、発行母体の持続性を重視し、新たなビジネスモデルを構築する必要がある。そこで実行すべきは、顧客の満足度を最大化することと費用を最小化することしかない。そのために以下の方策を採り入れたい。

  1. 値下げ
  2. 夕刊廃止
  3. 紙面のコンパクト化
  4. 顧客の集中管理
  5. 流通の合理化
  6. 人件費の抑制
  7. 売店の多角経営化

 

  1. 値下げ

・長い目で見て将来の売上を確保するために値下げをするわけだから、どの値段であればどのくらいの人が購読するのか、十分に研究する必要がある。また、購読料の設定については、長期契約をすれば割安になるなど、合理性が求められる。

 

  1. 夕刊廃止

・既存の新聞社は、設備や人件費など固定比率が高いので、夕刊をやめる選択肢はなかったが、制作にかかる費用を変動費化すれば、夕刊を発行する必要はなくなる。

 

  1. 紙面のコンパクト化

・紙面製作は東京だけで行う。全国の取材拠点も主要地にしぼる。

 ページ数はできるだけコンパクト化にする。最大20ページくらいで十分だと思う。

 

  1. 顧客の集中管理

・新聞社の集中管理の利点は、

    1. 記事に対する要望や意見を読者から直接聞ける
    2. 購読者の属性などを知ることにより掲載広告の効果を上げられる
    3. いつどの購読者に配達するかの情報が一元化し、委託先の販売店と共有できる
    4. 売店の業績が簡明になり、配達に集中できる

 

(5)流通の合理化

・新聞製作の根幹である、取材や編集業務以外の紙面伝送・印刷・輸送・営業・管理などはすべて外注化する。技術やデジタル部門も相当程度はアウトソーシングが可能だと思う。

 

(6)人件費の抑制

少部数のうえ安い新聞を作ろうとするのだから、当然人件費も抑える必要がある。新しい新聞社の従業員は記者が中心だが、従来のような高給は払えない。

 

(7)販売店の多角経営化

・今現在の本業を深化させるという方向で、他に考えられるのは、多角化である。ある読売の販売店は、この業界では大量の景品を使う点に目をつけ、倒産したメーカーなどから商品を超低価格で仕入れる「バッタ屋」を始めた。そこで扱う品物を販売店で拡材に使うほか、スーパーにも卸している。そのバッタ屋で扱う商品は産地直送の農産物にも及び、新聞店舗で販売する。宣伝は自店でチラシを印刷し、扱い紙に織り込むので費用を最小に抑えることができる。そのうえ、拡材や産直品の扱いを他の販売店にも呼びかけ、賛同した店が相当数参加している。

 販売店が転身する2番目の方向は、地元企業の販促活動を支援する道である。

 

・しかしながら、新聞ビジネスそのものが破綻しているのではない。新聞業は、やりようによっては十分に収益性が見込める事業だと思う。つまり、新聞社は亡んでも新聞は生き残り得る。