日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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多次元同時存在の法則をひと言でいえば、神道の神々は、すべて唯一神に収斂する。神話に登場する神々の名前は唯一の「大元神」の別名であり、いうなれば八百万の神々は唯一絶対神の分身にすぎないという秘義だ。(1)

 

『失われた暗黒星神「スサノオ」の謎』

飛鳥昭雄 三神たける   Gakken   2020/1/30

 

 

 

英雄にして大魔王であるスサノオ

・日本最古の書物『古事記』は預言書だった‼ 古代日本にやってきた失われたイスラエル人たちは、ユダヤ教神秘主義カッバーラによって、神道や日本という国家に様々な呪術を仕掛けてきた。漢波羅秘密組織「八咫烏」が語る、日本神話に隠された終末預言の真実。英雄にして大魔王であるスサノオ命のもうひとつの顔、それは太陽系に潜む恐るべき暗黒天体だった‼

 

祭司レビ族と賀茂氏

ユダヤ教はもちろん、原始キリスト教において、祭祀を行うのはレビ族のイスラエル人であり、いわゆるレビ人に限られる。日本にやってきたイスラエル人の信仰は現在、神道という名で呼ばれている神道祭祀を行う神職は現在、だれでもなれるが、かつては違う。古代から続く祭祀氏族でなければならなかった。祭祀氏族には卜部氏や中臣氏などが知られるが、もっとも古いのが忌部氏である。彼らこそ、レビ人である

 イスラエル人のいるところにレビ人がいる。古代イスラエル王国が分裂したときも、北朝イスラエル王国南朝ユダ王国の両方にいた。アッシリア捕囚やバビロン捕囚、さらにはディアスボラの憂き目にあってなお、イスラエル人の集団には、必ずレビ人がいた日本にやってきたイスラエル人たちにはそれぞれのレビ人がいて、彼らは律令制の時代、みな忌部氏と呼ばれた。

 神道祭祀を行うにあたって、さまざまなものが必要になる。祭具や神殿、供物、服飾など、すべてを調達するのが忌部氏である。そのために、彼らには広大な土地が与えられた。それが四国であり、中心地が阿波である。阿波忌部氏から天皇の祭祀のために大和へ派遣されたのが中央忌部氏である。そのほか、阿波を拠点として、熊野や伊勢、伊豆、房総、常陸、吉備、筑紫、出雲、丹後、越に至るまで、およそ古代から続く神社のあるところ、すべてに忌部氏は派遣され、神道祭祀が今日まで継承されてきたのだ。

 

・当然ながら、賀茂氏忌部氏である。ただし、ふつうの忌部氏ではない。忌部氏は主に祭祀のほか、儀式に関わるモノをすべて手がけるのに対して、賀茂氏は儀式のみを執り行う。神道祭祀を行う賀茂氏たちは、自らのことを鴨族と呼ぶ

 繰り返しになるが、忌部氏はレビ人である。レビ人は祭祀に関わるモノをすべて手がける。これに対して、祭礼や儀式のみを行うレビ人がいる。祭司の中の祭司、すなわち大祭司である。大祭司は聖別され、大預言者モーセの兄アロン直系のレビ人だけがなることができ、特別にコーヘンと呼ばれる。まさに、鴨族は大祭司コーヘンなのである

 鴨族は呪術師集団でもある。彼らは日本でいえば神道祭祀の呪法、陰陽道の使い手、陰陽師である。陰陽道では、この世は森羅万象、すべからく陰と陽から成り立っていると考える。

 

表が陰陽道なら、裏は迦波羅である。裏の陰陽師は漢波羅と称す。いずれも、ユダヤ教神秘主義カッバーラ(カバラ)が語源である。

 鴨族の呪術集団は、まさに裏の陰陽師集団、つまりは漢波羅秘密組織であり、その名を「八咫烏」という。現在、八咫烏を構成する鴨族は約70人、「烏天狗」とも呼ばれる。その上に12人から成る「十二烏」が存在し、彼らは「大烏」と称す。さらに、十二烏のうち上位の3人が「金鵄」という称号を持つ。金鵄は「三羽烏」でひとりの「裏天皇」を構成する。

 漢波羅秘密組織八咫烏は実在する。戸籍をもたず、名がない。表の天皇の補佐を行い、あらゆる神道儀式を執り行う。ちなみに、本書は飛鳥昭雄を通じてもたらされた八咫烏の極秘情報をもとに書かれている。

 

預言者モーセ天皇

ユダヤ教の祭祀を行うのは祭司レビ人であり、神殿において儀式を執行するのが大祭司コーヘンである。コーヘンは預言者アロン直系の子孫である。が、この日本には、もうひとつ知らざる大祭司がいる。天皇だ。天皇はレビ人であるが、コーヘンではない。ある意味、コーヘン以上の大祭司といってもいいだろう。天皇はアロンの直径ではなく、その弟にして大預言者モーセ直系の大祭司なのである。ここでは仮に裏大祭司と呼ぼう。

 

・鍵となるのが竹内宿祢である。第12代・景行天皇から第16代・仁徳天皇にまで仕えた伝説の人物である。竹内宿祢こそ、モーセ直系のレビ人、裏大祭司であった。継体天皇には竹内宿祢と同じ血が入っている。

 これに対して、アロン直系のレビ人、大祭司コーヘンの血統は倭宿祢である。倭宿祢は海部氏の祖とされる人物だ。物部氏と同族であることからわかるように、徐福とともにコーヘンらはやってきた。

 もちろん、秦氏及び騎馬民族である失われたイスラエル10支族らのなかにも大祭司コーヘンはいたが、同時にモーセ直系の裏大祭司もいたのだ。裏大祭司の存在は秘密とされ、ほかのコーヘンたちとともに、漢波羅秘密組織八咫烏を構成してきた。

 

イスラエル三種の神器

・神器とは象徴である。契約の聖櫃アークは絶対神を表現している。よって、中に入っている3つの神器は3人の神を意味する。ユダヤ教は唯一絶対神ヤハウェを崇拝する一神教として知られるが、裏の密教であるユダヤ教神秘主義カッバーラにおいては三神教である密教の絶対三神を明らかにしたのがイエス・キリストであった。原始キリスト教でいう「御父と御子と聖霊」がカッバーラの「絶対三神」である。

 

・「御父=エル・エルヨーン=エロヒム

「御子=ヤハウェイエス・キリスト

聖霊=コクマー=ルーハ」

 イスラエルの「三種の神器」は「絶対三神」に対応し、「契約の聖櫃アーク」は「唯一神会」を表現しているのである。具体的に、十戒石板は契約の主である絶対神ヤハウェであり、霊的な存在と受肉したイエス・キリストが同一神であることを2枚の石板で象徴し、神権を示すアロンの杖は至高の絶対神であるエル・エルヨーン、そしてマナの壺は叡智の絶対神であるコクマーを象徴している。

 

「御父=エル・エルヨーン=エロヒム:アロンの杖」

「御子=ヤハウェイエス・キリスト十戒石板」

聖霊=コクマー=ルーハ:マナの壺」

 

・日本においてユダヤ教と原始キリスト教神道となる。神道八百万の神々を信仰する多神教とされるが、裏神道造化三神を祀る三神教である造化三神とは『古事記』の冒頭に記された神々で、この世に最初に現れた3人の神々「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」である。まさに、これらの造化三神が御父と御子と聖霊なのだ。

天之御中主神=御父=エル・エルヨーン=エロヒム

高御産巣日神=御子=ヤハウェイエス・キリスト

神産巣日神聖霊=コクマー=ルーハ」

 

多次元同時存在の法則とカッバーラ

元伊勢のひとつ、丹後の籠神社には神道の奥義が伝わっている。内宮と外宮、両方の元伊勢であり、ときに本伊勢と称す籠神社の超秘伝「多次元同時存在の法則」である。多次元同時存在の法則をひと言でいえば、神道の神々は、すべて唯一神に収斂する。神話に登場する神々の名前は唯一の「大元神」の別名であり、いうなれば八百万の神々は唯一絶対神の分身にすぎないという秘義だ。

 根底にあるのは物部氏ユダヤ教である。ユダヤ教密教であるカッバーラでは、絶対神ヤハウェには多くの名前があるとされる。「エル・シャダイ」や「エル・オーラム」など、『旧約聖書』に登場する神名は、すべてヤハウェのこととされる。

 もともとヤハウェとは「ありてある者」というヘブライ語の三人称で、本来の固有名詞ではない。ために、みだりに口にしてはならないと十戒にあり、あえて呼ぶときはヤハウェの四文字を「アドナイ」と発音する。アドナイは普通名詞だが、ユダヤ教の教義においてヤハウェを指すことは暗黙の了解である。

 言葉を換えるなら、究極的には名前が絶対神であるといってもいい。ヘブライ語で名前のことをシェムといい、これに定冠詞をつけた「ハ・シェム」とは、まさに絶対神ヤハウェを意味するのだ。

 神道では、これらの名前が独立した神として物語をつむぐことになる。神話において、神名が自我をもち、キャラクターとしてストーリーを展開していく。ひとりの神が親子や兄弟、夫婦となり、八百万の神々を生む。死んだ人間も神として祀ることにより、多神教曼荼羅の中に溶け込み、名前という唯一神へと回帰する。森羅万象すべては唯一神の顕現だとする汎神論において、一神教多神教は構造的に表裏一体なのである。

 

大元神と造化三神

ユダヤ教は表の顕教一神教で、裏の密教として多神教だが、日本にやってきた徐福集団の末裔である物部氏神道、すなわち「物部神道」では、これが表裏逆転している。物部神道顕教八百万の神々を祀る多神教であるが、密教は大元神を信仰する一神教なのである。

 さて、ここで問題となるのが大元神である。ユダヤ教ではヤハウェが唯一絶対神とされた。神道における唯一絶対神ともいうべき大元神は何者なのか。

 大元神という名称は中世において命名された用語で、固有名詞というわけではない。この世に最初に顕現したという意味では、『古事記』における天之御中主神であり、『日本書紀』における国常立尊(くにのとこたちのみこと)を指すと一般には考えられている。

 

・もちろん、多次元同時存在の法則からすれば、大元神=天之御中主神国常立尊は間違ってはいない。が、カッバーラの奥義からすると、もう一段階ある。絶対三神と造化三神の対応からすれば、ヤハウェに対応するのは高御産巣日神である。実際、記紀神話における高御産巣日神天津神が住まう高天原において、ほかの神々に指令を下す最高神の位置づけとなっている。

 一方、『旧約聖書』における御父エル・エルヨーン=エロヒムの影は薄い。『新約聖書』においても、すべての御子イエス・キリストに一任しており、地上における具体的な神業は驚くほど少ない。ために、本来ならば御父の名であるはずのエル・エルヨーンやエロヒムも、カッバーラにおいてはヤハウェの別名と見なされるほどである。

 これは記紀における天之御中主神も、まったく同じである。世の初めにひとりでに現れて幽玄に姿を消した後、ほとんど登場しない造化三神のなかで最高神として活躍するのは高御産巣日神なのだ。まさに、これは御父エル・エルヨーンと御子ヤハウェイエス・キリストとの関係に等しい。よって、整理すると、こうなる。

大元神=高御産巣日神=御子=ヤハウェイエス・キリスト=唯一絶対神

 先に三種の神器は絶対三神及び造化三神に対応すると述べたが、この世における働きという意味では、すべてが絶対神ヤハウェ高御産巣日神の象徴でもある。

 

三神構造の法則と三貴神

・日本に伝来したのはユダヤ教だけではない。原始キリスト教も伝わっている。原始キリスト教の教義はカッバーラである。ユダヤ教顕教一神教で、密教多神教であるのと同様、原始キリスト教の場合、顕教が三神教で、密教多神教となる。日本においてユダヤ教の教義が物部神道として表裏逆転しているように、原始キリスト教もまた秦氏神道、すなわち「秦神道」において表と裏がひっくり返っている。神道顕教多神教であり、密教は三神教なのである。

 

物部神道と秦神道は、ともに顕教においては八百万の神々を崇拝する多神教であるが、密教においては一神教と三神教の違いがある。まさに、ユダヤ教と原始キリスト教の関係にあるのだが、神道の神髄は、ここにある。一神教多神教は、イスラエル人にとってテーゼとアンチテーゼであるが、三神教は、これらのアウフヘーベンたりえるのだ。

 

神道をカッバーラで読み解くにあたって、重要な鍵となるのが籠神社の極秘伝であった多次元同時存在の法則である。八百万の神々は「名」において、唯一の大元神へと収斂する。これが物部神道の奥義である。

 神道は大元神をひとつの「神会」と見なす。神会はひとりの神ではなく、3人の神で構成される。大元神の本質は造化三神であり、重要なのは構造である。神々の自我=ペルソナではない。八百万の神々がすべて大元神の顕現であり、その大元神が造化三神ならば、八百万の神々にも造化三神を見出すことができる。

 たとえるなら物質である。この世の物質は、すべて原子からできている。原子は陽子と中性子と電子から構成される。すべての物質が八百万の神々で、原子は大元神。中性子天之御中主神で、陽子が高御産巣日神にして、電子が神産巣日神である。

 造化三神を絶対三神に置き換えると、中性子が御父エル・エルヨーンで、陽子が御子ヤハウェイエス・キリストにして、電子が聖霊コクマー=ルーハだ。御父と御子は肉体をもつが、聖霊にはない。中性子と陽子の質量に比べて、電子の質量は2000分の1である。電子に質量があるということは、霊は物質であることを示している。

 少し、くどいいいまわしになってしまったが、ごく簡単にいえば、神道における八百万の神々には、三神構造が見出せる。自己相似=フラクタル構造のように、造化三神のごとく、八百万の神々が三神でひとつの神会をつくりだしている、あえて名づけるなら「三神構造の法則」とでもいおうか。

 具体的に、記紀神話において住吉三神や海神三神など、3人の神がワンセットになっているケースがままある。これらは三神構造の法則により、すべて造化三神であり、大元神という神会を象徴しているのだ。なかでも重要なのがイザナギ命が生んだ「三貴子」、すなわち「三貴神」である。

 

スサノオ命と大天使ミカエル

スサノオ命の八岐大蛇退治と同様の神話は世界中にある。比較神話学では、ペルセウスアンドロメダ型神話として知られる。英雄スサノオ命は生贄とされたクシナダ姫を救うため、龍神である八岐大蛇を退治するが、ギリシア神話では英雄ペルセウスが生贄とされた王女アンドロメダを救うため、怪物ケートスを退治する。

 同様に、ヨーロッパでは聖ゲオルギウス、いわゆる聖ジョージ神話が知られる。聖ジョージが生贄とされた王女を救うためドラゴンを退治する。特にキリスト教圏では、しばしば聖ジョージが大天使ミカエルと同一視される。というのも、『新約聖書』に大天使ミカエルが大魔王サタンの化身である赤い龍と戦う場面が記されているからだ。

 「ヨハネの黙示録」によると、その赤龍は7つの頭をもつとされ、配下の堕天使たちとともに、絶対神ヤハウェに戦いを挑む。が、大天使ミカエルの軍勢に大魔王サタンの軍勢は敗れ、ついには天界から地上へと投げ落とされてしまう。

 比較神話学的にいえば、大天使ミカエルがスサノオ命であり、赤龍サタンが八岐大蛇である。大天使ミカエルは赤龍を退治するにあたって、手に剣をもっている。さしずめ、これはスサノオ命が八岐大蛇を斬った「十握剣」であろう。

 

英雄にして大魔王スサノオ命は星神だった‼ 

消された星神

日本神話には星神がほとんど登場しない。天之御中主神北極星になぞらえたり、住吉三神をオリオン座の三つ星に比定することはあっても、直接「星」という名をもった神は皆無といっていい。唯一の例外を除けば。

 その名は「天津甕星(あまつみかぼし)」。またの名を「天香香背男」「星神天香香背男」という。天津とあるように、本来、天津甕星天津神である。

 

記紀神話において、天津甕星は邪悪な神として位置づけられている。高天原に住むほかの天津神に反抗する神で、討つべき存在だといわれている。

 

・しかしながら、なぜ天津甕星は悪神なのか。そもそも、なぜ星神なのか。太陽神は天照大神のほか、饒速日命高御産巣日神稚日女尊など、数多くいる。月神月読命のほか、都久豆美命や白兎大神などが知られるが、星神は天津甕星のみ。

 

・では、天津甕星は、いったい何の星の神様なのだろうか。これについては、すでに研究がある。国学者平田篤胤天津甕星は金星を象徴していると考えた。明け方にひときわ大きく輝く明けの明星、そして夕方に最初に光り輝く宵の明星を神格化したものが天津甕星であるというわけだ。

 確かに、その通りだろう。夜空に広がる星々のなかで、もっとも明るく、ひときわ目立つ星といえば、金星である。一番星である金星は太陽と月に次ぐ天体である。唯一、星の名を背負った天津甕星は金星と考えて間違いないだろう。

 だが、実はもうひとり、記紀神話には金星とおぼしき神がいる。三貴神のひとり、スサノオ命である。星神と目されるスサノオ命もまた、八岐大蛇を退治した英雄神とは別に、やはり悪神としての側面がある。

 

星神スサノオ

造化三神の投影である三貴神は、ともに絶対三神の象徴である。ただし、そのまま御父と御子と聖霊だけを意味していると思ったら、大間違いである。カッバーラが恐ろしいのは、まさにここだ。

 三貴神天照大神月読命スサノオ命である天照大神は太陽神で、月読命月神、そしてスサノオ命は星神である。記紀神話には、直接、スサノオ命が星神とは記されていない。

 海を支配し、気象を操るという意味では、ギリシア神話のポセイドン、あるいはローマ神話ネプチューンに近い。長い船旅をする海人族にとって、もっとも頼りになるのは夜空の星である。星の位置と動きで、自分たちの船がどこにいるのかを知る。海神である住吉三神がオリオン座の三つ星になぞらえるのも、そのためだ。

 星を忌み嫌う『古事記』や『日本書紀』の編纂者にとって、英雄神スサノオ命を語るにあたっては、大海原を支配する神として位置づけたのも無理のない話である。星神とした途端、鬼神としての性格が前面に出てしまうからだ。

 

金星を神格化した明星天子

スサノオ命は星神であり、正体は金星神なのだ。スサノオ命が金星神ならば、その神格はふたつ。明けの明星と宵の明星だ。スサノオ命は陰陽、ふたつの顔がある。そもそもスサノオ命はイザナギ命が鼻を洗ったときに誕生した。鼻にはふたつの穴から生まれたゆえ、スサノオ命には二面性があるのだ。

 

明けの明星

天照大神イエス・キリストである。造化三神のうち、高御産巣日神の神格に対応する。造化三神の大元神は高御産巣日神であり、神道最高神天照大神。両者は、ともに御子であり絶対神ヤハウェイエス・キリストを示す。

 先述したように、三貴神の大元神は明星神である。カッバーラにおける明星には、やはりふたつの意味がある。ヨハネの黙示録」の最後、すなわち金星はイエス・キリストの象徴でもあるのだ。

 が、しかも『聖書』には、もうひとり、明けの明星と呼ばれる存在がいる。大魔王サタンである。悪魔の王サタンは、かつての天使だった。もっとも神に近い光の天使で、神学では「熾天使セラフィム」の位にあった。ラテン語で光を運ぶ者と呼ばれた天使サタンの名は「ルシファー」、堕落した天使の首領で、「堕天使ルシファー」と称す。

 ルシファーの「ルシ」とは光、「ファー」は運ぶという意味だ。しばしば天使は語尾に神を意味する「エル」をもつ。ミカエルやガブリエル、ラファエルのエルは英語でいえば「EL」。これに対してルシファーの語尾は「ER」だ。

 

イエス・キリストとサタンは陰と陽、カッバーラにおいては表裏一体である。蛇という言葉にはイエス・キリストとサタン、両方の意味がある。「生命の樹」にからみつく青銅の蛇がイエス・キリストであり、「死の樹」にからみつく赤い毒蛇がサタンを意味する。

 同様に「明けの明星」もまた、イエス・キリストと同様に、サタンを意味する

 

生命の樹」と「死の樹」

・光があれば、闇がある。光として証明された絶対神ヤハウェに対して、暗黒の大魔王サタンがある。陰陽の理である。神につくか、悪魔につくか。善悪二元論という世界観のもと、人は人生のあらゆる場面で選択を迫られる。

 

神道造化三神において、太極は天之御中主神である。陰陽は高御産巣日神神産巣日神である。ために、しばしば高御産巣日神は陽なるがゆえに男神神産巣日神は陰なるがゆえに女神と表現されることもある。

 絶対三神でいえば、御父エル・エルヨーンが太極であり、御子ヤハウェイエス・キリストが陽であり、聖霊コクマー=ルーハが陰である。絶対神ヤハウェ聖霊コクマーは陰陽の関係にあり、時に対立関係で語られることもある。

 カッバーラの奥義「生命の樹」の図形でいえば、三本柱のうち中央の柱が「均衡の柱」であり、向かって右が「慈悲の柱」で、左が「峻厳の柱」で、それぞれ御父と御子と聖霊を象徴する。聖霊に相当する峻厳の柱は厳しい。『新約聖書』には御父と御子はいいが、聖霊への冒涜は許されないと戒められている。

 

・絶対三神で肉体をもっているのは御父エル・エルヨーンと御子ヤハウェイエス・キリストで、霊のみの存在が聖霊コクマーだが、絶対三魔では、これが真逆になる。肉体をもっていないのがサタンであり、人間として肉体をもっているのが獣と偽預言者なのだ。獣と偽預言者が何者であるかは、機会をあらためて述べたいと思うが、ここではすべてが正反対になっていることに留意していただきたい。

 受肉する以前の御子ヤハウェは霊体である。もっといえば、天使だった。この世に生を受けて誕生した人間は、すべからく前世は天使だった。イエスもまた、前世は天使であり、その王であった。ヤハウェは天使長ともいうべき存在で、古代イスラエル守護天使だった

 

魔王スサノオ

記紀神話においては星は邪悪な存在と見なされる。その理由は、ほかでもない。天使の象徴だからだ、天界にいる天使なら、まだしも、地上に落とされた堕天使、大魔王サタンによって地上に叩き落された悪魔ゆえ、忌み嫌っているのだ。

 冒頭で紹介した天津甕星は、まさに堕天使ルシファーである。明けの明星であると同時に、地上の豊葦原中津国ではなく、本来は高天原にいる天津神だ。絶対神とともに天界にいる天使でありながら、反逆したがゆえに討たれ、結果として地上に落とされた堕天使ルシファーを象徴しているといっても過言ではない。

 同じく三貴神において、明けの明星という宿命を背負ったスサノオ命も、しかり。造化三神の投影という意味では、八岐大蛇を退治した英雄である。「ヨハネの黙示録」でいえばサタンの化身、赤龍リヴァイアサンを討ち、地上に落とした大天使ミカエルだ。絶対神ヤハウェイエス・キリストの天使軍団を率いる総大将である。

 ところが、だ。「星神」になった途端、闇を背負う。明けの明星という象徴では、天照大神と同様、イエス・キリストなのだが、カッバーラの両義性から裏の顔をもつ。闇の明けの明星、すなわち堕天使ルシファーを神話という舞台で演じることになるのだ。

 記紀神話を読めば、スサノオ命は誕生のときから大変だった。

 

 

 

『死帰』

人は死んだら必ずここに帰ります

喜多良男 鳥影社   2015/4/11

 

 

 

死後の永遠の生を楽しみにしていただきたいのです

・四十数年、人間界と霊界を自由に行き来し誰もが知りえなかった経験をもとに書きおろされた驚愕の書

 

今は数千年の間に十数回の再生

・これまで地球に誕生した大半の人間が、必要最低限の霊的成長を全うすることができないでいます。だから何度も人間として再生しなければならないのです。

 最低限の霊的成長を果たせないために、仕方なく再生を繰り返しているのです。

 数千年前には数回で再生の目的を果たせていたのに、今は数千年の間に十数回もの再生をしなくては目的を果たせないようになってしまいました。

 

・霊界の存在を信じている人は、自らが死んだ後には霊界に行って、人間の時とはまったく違う人生を歩むことを知っています。

 私たち人間は、肉体と霊体の二重構造から成り立っていますが、その中にある霊的意識は、今この時点でも、霊界とつながっているのです。

 肉体は物資界、霊体は霊界と、二つの世界にまたがって存在しているのです。不思議に思われるかもしれませんが、これは真実なのです。

 

精霊界というところ

・シルバーコードが切れて本当の死に至れば、お迎えの霊と共にいよいよ霊の世界に入っていきますが、最初に行くところは、精霊界という霊界の最下層です。ここに着いた時点で、守護霊は役目を終え、本来の場所に帰っていきます。

 死んで肉体を脱ぎ捨てた人間は、霊的身体で生活することになります。霊体には手も足もあり外見は人間と何ひとつ変わりません。

 しかし、人間でいた時、身体的に不具合があった人は、ここでは五体満足となります。

 肉体はなくなっても、心はそのまま精霊界に持ち越されます。人間の心はすぐには変わりません。徐々に本来の自分である霊に変わっていきますが、しばらくは人間であった時とまったく同じ人格を保ちます。

 

精霊界では、すべての物が地球よりも数段美しく明るく輝いています。景色は素晴らしく、小鳥のさえずりや蝉の声なども聞こえます。

 確かに地球は美しくかけがえのない星です。しかし同時に物質であることの限界を常に背負っています。物質である生命は、食べるものであり食べられるものであるという矛盾を基本的に抱えています。傷つきやすく病や苦しみを抱えています。このような限界が霊界にはないのです。無限の調和と可能性が広がった世界なのです。

 空はいつも澄み切って明るく輝いています。花々は宝石のように輝きを放ち、枯れることはありません。

 地球のなかでも美しいところばかりを集めたところです

 

・地球のように太陽もありますが、それがとても神々しく、この太陽から直接エネルギーを受け取り、それが霊界の人々のエネルギーとなります。

 場所の移動も自由自在で、どこまでも行きたいところに一瞬で移動できます。

 誰かに会いたいと思えば、すぐに会えます。歩くことも空を飛ぶことも自由にできます。心で願ったことがそのまま実現するようになっています。

 自分の願いが、その人を取り巻く環境を作り出します。

 例えば、外国に行ったことのない人が、ああ、行ってみたかったと思えば、その人の想像どおりの環境が自然にできあがります。

 人間界にいた時のような体の不調など、一切ありません。身体的には常に軽く、いつもシャワーを浴びた後のようにすがすがしくて快適に過ごせます。

 

・人間であった時の習慣をまだ引きずっている人もいます。肉が好きだった人は思う存分に肉を食べ、酒が好きだった人は欲しいだけ酒を飲み、セックスが好きだった人は延々とセックスをしていますが、肉体がないため何を食べてもおいしくなく、何をしても実感がなく、やがて飽きてきて欲求がなくなります。

 お金も必要ない、食べる必要もない、何でもすぐに手に入り、欲望は何でも叶います。

 人間界では、人は生活のため、食べるために必死で働いてお金を稼いでいました。毎日辛い思いをして、人生の大半を食べるため、お金のために費やしてきました。多くの人々は、お金が最も大切で必要なものだと考えていました。そのためお互いに富を奪いあったり、犯罪や戦争が起こりました。しかし精霊界ではそういうことは一切ありません。

 奪いあったりする必要がないので、争いごとがありません。お互いの心はテレパシーで通じ合いますから、誰とでも即座に心が通じます。

 最初の頃は精霊界でも言葉を話しますが、やがてテレパシーでわかるようになります。心の中身が周りの人々にすべてわかるようになっていますから、隠しごとや嘘をつくことなどは一切できません。

 

地獄界へ自分の方から行くようになります

・偽善者や嘘つきなどは恥ずかしくなって住めなくなり、自然に人々との交わりを避けて暗いところに行くようになります。そこには同じような人が集まり、その人たちはやがて地獄界へ自分の方から行くようになります。

 何度も言いますが、人間界の時の行いが最も重要なのです。精霊界では一人ひとりが人生の総括をさせられます。

 

自殺は大きな罪となります

・せっかく与えられた修行の場を、自分勝手に放棄したことになるからです。

 自殺した人は、霊界で暗黒の中に置かれて苦しみを味わうことになりますが、多くの場合そうした人たちも強制的に人間界へ再生させられます。

 

どうして精霊界はあるのか

・霊界に行く前にどうして精霊界があるのかというと、死後、人間が永遠に暮らすことになる霊界にその人が適応できるか、テストをするためです。それをしないと霊的世界に順応するのはとても難しいことになります。

 精霊界のテスト結果で霊界のどこに行くかが決まり、スムーズに移行が行われるのです。真の反省なくして、真の成長はありません

 

<「人生は死後が最も大切なのです」>

・家族や身内にお金や物を与えることは利他愛ではありません。自己愛です。単なる本能です。

 まったくの他人のために何かをすることこそが、霊的成長を遂げるために求められているのです。

 

死の間際への旅

・16歳の時、私はオートバイ事故を起こし、10日ほど意識が戻らなかったことがありました。その時、なんとも奇妙な体験をしました。大怪我をしてベッドに横たわっている自分自身の姿を、自分で真上から見下ろしていたのです。

 

・45年前の出来事でした。この経験がきっかけで、その後の私の人生はすっかり変わってしまいました。

 2日後にまた幽体離脱をしてしまい、今度もやはり周りの声は聞こえても、こちらの声は届きませんでした。

 するとその時、以前どこかで会ったような気がする人が私のところにやって来て、ついて来なさいというのです。

 

・意識を集中しその山頂を想像してみると、突如身体が浮き上がり、そのまま山の頂に向かってものすごいスピードで飛んで行きました。あっという間でした。するとそこには大きな石造りの宮殿のような建物があったのです。とても広くて、この世では見たことのないような光景でした。

 あとで知ったのですが、そこが精霊界というところでした。

 

・それ以来、私は霊界と人間界とを40年以上に亘り何度も行き来し、その時に見聞きしたこと、あるいは人間界と霊界とのつながり、現世と来世とのかかわり方、どのような人生を送ればいいかということを、自分の体験をもとに拙いながらここに綴ってみました。

 そして、天使長マリーチィエルと霊界の助けも借りながら、この本をまとめたのです