江口克彦 WAVE出版 2010/6/20
<個性・持ち味を生かす>
・結論を申せば、松下幸之助は職種を増やすことを考慮した政治をおこなうことであり、「お互いの欲望が適正に満たされる社会」が政治の目指す姿だと考えていたようだ。
<赤字国債の発行に危機感>
・それでなくとも国費が膨大に膨れあがっている。戦前と比べるとそれは一目瞭然であり、物価は約1000倍、賃金は1300倍であるのに対し、国費だけが13000倍になっており、一桁違っている。「おかしい」というのが松下幸之助の直感である。
<なぜ政府に政治研究所がないのか>
・今政治は何といっても一番大事です。しかし、それだけ大事なのに政府に政治を研究している機関がないのです。
・しかし、政府直轄の政治研究所はないのです。これが元々間違っています。自民党にしても与党として30年近く政権を担当し、あれだけの活動をしているのですから、専属の研究所があってもいいと思うのです。各議員の方々の体験からくるところの感覚で政治をやっておられるわけです。そういうところに一つの弱さがあると思います。
・このかってない非常時をかってない絶好のチャンスとするには、一にかかってお互いが「国難こそ絶好のチャンスだ」とはっきりと認識するかどうかである。
<政治が日本の繁栄をつぶす>
<政治の要諦とは何か>
・農業にたずさわる多くの人たちが食べることだけが精一杯の貧しい生活状態にあると仄聞している。農民自身も生産方法の改善に努めねばならないが、それ以上になぜ蓄積できないのか、また貧困に甘んじなければならないのかを追及し、その原因を糾していくのが、政治家の責任ではなかろうか。こうした政治の点に政治の貧困を感じていた。
<政経塾設立への5つの理念>
1、「百花繚乱の社会」を実現する政治をおこなうべきであるというものである。
2、「人間重視の社会」を実現する政治をすべきだということである。
3、「政治の生産性の高い社会」の実現を考え求めていた。
4、「道義道徳の高い社会」を実現する政治である。
5、最後に一つだけ加えれば「志の社会」の実現ということになるだろう。
<採用基準は運と愛嬌>
<研修の基本方針>
1、「自修自得」
2、「切磋琢磨」
3、「万差億別」
4、「徳知体の三位一体研修」
・政治がしっかりしなければ、国民は路頭に迷いかねない。国民の生活を支え、国民の幸不幸を左右する政治が今の姿ではとても安心しておれない。
<当面の実現10目標>
・新党の組織、党則を構築する一方、活動方針として「当面の実現10目標」を掲げた。
1、 所得税一律5割減税の実施
2、 建設国債の発行
3、 無税国家、収益分配国家の実現
4、 新国土創成事業
5、 政治の生産性の向上
6、 日本的民主主義の確立
7、 多様な人間教育の実施
8、 政治家及び官吏の優遇
9、 生きがいを高める社会の実現
10、 国際社会への真の寄与貢献
『反デフレ不況論』 それでも日本企業が勝つ理由
日下公人、長谷川慶太朗 PHP 2010/7/2
<百年デフレは日本の時代>(長谷川慶太朗)
<インフレは戦争の産物、デフレは平和の産物>
・日本の政治と経済における問題は、政財界のトップが、デフレとはどんな性格のものであるか、デフレがなぜ起こり、どの程度続くかと言う見通しを持っていないことである。
・世界の歴史を見れば、戦争の時代はことごとくインフレであり、平和な時代はことごとくデフレである。世界の安定がたもたれるならば、デフレはこれからも続く。これは争うかたなき事実である。景気の変動や資本主義や社会主義といった体制の問題ではない。
<百年デフレの時代>
・人類は歴史上、何回かインフレを経験している。人々は戦乱と物価の高騰した昔は、その対応を模索した。インフレを抑制するための最終的な手段はデノミネーションであるが、かってのソ連や東ヨーロッパ諸国、中国などの社会主義国は、ほぼ例外なく第2次世界大戦の戦後にデノミを行っている。
・旧ソ連は、1948年に100分の1のデノミを実施し、中国では中華人民共和国の建国間もない1950年に100分の1のデノミを行った。ハンガリーは第2次世界大戦の終戦を経て、ハイパーインフレに見舞われ、10京(京=1兆円の1万倍)分の1を超えるという、想像を絶する規模のデノミを実施している。
・アメリカやイギリスはデノミを行う必要がなかったがフランスとイタリアを始めとする第2次世界大戦の参加国のほとんどがデノミを実施している。
・逆に人類がデフレを経験したのは今回が2度目である。
・正確に言えば、ヨーロッパ大国間の戦争がなかった1873年から1896年までの24年間に世界初のデフレが起きている。こうした平和な時期にイギリスで産業革命が起こり、それが世界全体に広がり、工業生産および農業生産が飛躍的に拡大したからである。
・「これまでの百年はインフレの時代、これからの百年はデフレの時代になる」と述べた。繰り返すが、その理由は戦争の不在である。
・「インフレは戦争の産物、デフレは平和の産物」である。インフレやデフレは、金融政策を緩めるか、引き締めるかによって生じるものではない。金融をどんなに引き締めてもインフレは治まらず、同様に金融をどれほど緩めてもデフレを収束させることはない。
・なおかつ、現代では貿易自由化の時代である。いくら金融を緩めても国際取引が自由に行われることが保障されている限り、海外から安い商品がどんどん入ってくるから物価は必然的に下落する。
・こうした客観情勢の力はきわめて強く、一国がどんな政策を講じても、デフレを抑制したり転換することはできないだろう。
・ところが、この点を政府も日銀も勘違いしており、日本がただ一国だけ単独で存在しているかのごとく考え、インフレやデフレを判断している。だが、そうした誤った判断の下に行われる政策は、失敗に終わるだろう。
『新しい時代への啓示』 マシュー・ブック2
スザンヌ・ワード ナチュラル・スピリット 2009/12/3
<高次元の高等知性体の存在>
<メンタ>
・私たちは、十億ほどの集合魂(グループ・ソウル)からなる巨大でパワフルな力の場(エネルギー・フィールド)です。私達が、肉体化するときは、リラ星座を超えたある銀河系のレトルノという惑星に住んでいます。
<プロテロ>
・私は、あなた達が天国と呼ぶ領域の住人だ。マシューがあなたに言ったように、その正しい名前はニルヴァーナだ。私は、前世のほとんどを地球で暮らしたが、全てではない。シリウスと呼ばれる宇宙領域での経験もある。そこでは人類の起源を持つ他の文化を知るようになった。
・レプティリアンは宇宙人達や超人間とは違って、地位や身分などはどうでもよく、戦闘力を大事にする。彼らの考えでは軍隊や軍事技術に裏打ちされない権威はパワーがないとされる。
・彼らは、あなた達の想像を超えるほど知能が高い、彼らの脳は人類の脳よりもはるかに大きく、僕が見たところ、彼らはその能力をフルに使っている。
・僕が会ったのは、普通の成人の人間より背が低く細かった。けれど弱々しい感じはなかった。皮膚はグレーで、頭には髪の毛がないけれど体型は魅力的だ。目は黒で鋭い感じで、誰もその目を見て心を読むことはできない。女性の体格は男性よりもなめらかで丸みがあると言われる。
・それがここにいる彼らの姿だけれども、他の者たちもそうなのかは言えない。彼らの具現化能力は非常に高いので同様なレベルの能力がある他の文明人たちのように、どのような形の魂の住まいでも好きなように創造できる。もちろん、好きな時に姿を変えることができるんだ。
<小さなグレイ人>
・当初は、戦闘が目的ではなかったので、軍隊というのは正確ではありませんが、はい、数の上での大軍と言えます。地球の地底に広大な居住空間があることを、もし地球市民たちが知ったら信じられないでしょう。
同様に、もし地球人ではない存在がこの惑星にずっと住んでいることを知ったらびっくりするでしょう。
あなた達が“小さなグレイ人”と呼ぶこれらの存在たちは、地球人類よりも身長がかなり小さく、医学実験と複製の目的で拉致された人間達が描いたものにそっくりです。
・地球に閉じ込められたわけですから、拉致者たちはもう“地球外生命体”ではありません。彼らの宇宙船は地底に沈んでしまい、宇宙には戻れません。
『新しい時代への啓示』 マシュー・ブック2
スザンヌ・ワード ナチュラル・スピリット 2009/12/3
<ラザラス>
・ラザラス;我々の宇宙船にはいくつかのタイプがある。快適な8人乗りの小型偵察船がある。あなたたちの付近にいる最大のものは、我々の母船で大きさは、ニューヨーク市ほどあり、その人口をすべて収容できる。
我々の小型宇宙船が着陸する地域は大まかに選ばれているが、まだ地点は特定されていない。
・最初の着陸は軍や他の政府軍による即時対応行動が予期される地域から離れた地球全体の辺鄙な地域に約100機の小型船が同時に着陸すると思う。着陸隊には、成人の男性と女性の両方がいるだろう。我々は、ほとんどのあなたたちより、背が高いが、それと我々のユニフォームを除けば、我々は、地球人と極めて同じように見える。
・我々は、シリウス文明から始まった。集団で進化することを望んだが、メンバーの中に知的能力の低い者たちがいたために制限されてしまった。
・我々のエネルギーが全体で肉体を持ったことはまったくないが、そのエネルギーの流れで具現化するものは、その姿と容貌があなたたちの白人種に似ている。
・その集中力のお陰で、我々の惑星軌道を安定化できて、我々の肉体を救うことが、出来た。その数は、50億人を超えたが、シリウス人全体のわずかなパーセンテージにすぎない。我々は、天使たちから我々のために直接吹き込まれた音楽を持ち続けている。その音楽は、我々のエネルギーの中核をなす最も本質的な部分だ。我々の故郷の一部はシリウス星にある。
・我々は、兵士ではない。むしろもっと技術的な専門知識を持っている存在だ。
・あなた達が言う、“自然災害”の影響を抑える、または“ちらす”ことで、起こりうる広範囲な破壊を防いでいる。
・我々だけではない。宇宙旗艦船や母艦に集まった他の者たちがあなた達の時間で言う半世紀前からあなた達の空に現れている。
<オリオンのプロメテウス>
・プロメテウス;私たちは、これらの光の存在たちの仲間です。そして、あなた達人類の一部の祖先です。私たちは、オリオンという名の星座の中のある惑星系から来ています。私たちの社会には個人という存在はありません。でも私たちが、光に向かう道を絶えず求めて律動運動する内には完全な調和があります。私たちは、進化する中で肉体を必要としなくなりました。知的進化とスピリチュアルな啓示によって私たちは、集合魂のエッセンスと何十億の魂たちの心を表わす薄い層でできた形状に物質化できるようになりました。
<ニルヴァーナは我々が天国と呼ぶ霊界の正式名称>
<ニルヴァーナと地球との間のテレパシー通信>
・1998年、マシューはニルヴァーナ100人評議会のメンバーになるか、高度に進化した文明人として転生するか、肉体を持つ文明社会の招待を受けて、彼らのスピリチュアルな領域のレベルを向上させる手伝いをするか、という選択が与えられた。彼は最後の道を選び、それ以来、この銀河系やそれ以外の宇宙をアストラル体、あるいは宇宙船で旅行している。彼が訪れる際は、その文明社会に相応しい体に肉体化する。
<イカルス>
・私たちが浄化と保護プロジェクトを知らされたのは、最近のことで、同じく地球/ガイア/テラ/シャンの救出に来ている多くの人達よりも遅れて、シリウス星近くの私たちの故郷のドンドーレからやって来ました。
・私たちは、想像したり真似しようと思えば、ちょうどあなた達のような姿になるように、どのような形にでも正確に肉体化することができます。
・私たちは、地球人の姿になってあなた達の中に存在している地球外生命体のグループの一部です。
『ガイアその愛その光』 地球シフトアップ計画
アマーリエ 徳間書店 2009/12/31
<モーゼの母星>
・私の母星は、蟹座の方向にある惑星である。その惑星の人間達は今のあなた方から見ると、巨大な鬼のような姿をしている。皮膚の色も赤や青といろいろである。あなた方には、とても野蛮な者たちに見えるかもしれない。しかし、生命力にあふれ、豊かな創造力を持つ者たちである。
・地球人類をつくる過程で、私の母星の者たちの肉体を地球に持ってくる必要があった。
・私は、母星に連絡し、「できるだけ強靭な肉体を持ち、生命の溢れた者たちを集めて、地球に派遣してほしい」と依頼した。そして、約2百万人がやってきてくれた。
・私の母星は、もちろんベーエルダのように科学技術が発達していたわけではない。それでも、霊能力を駆使して宇宙船を航行させ、肉体を持って地球にやって来られるだけの能力を有していたということなのだ。それも神の子の持つ創造力の一部である。
・彼らにとっては、当時の地球であっても母星に比べたらとても住みやすく、まるで楽園のように感じられたことであろう。私の予想通り、当時の地球でつくられた初期の爬虫類型人間たちともうまく混じり合ってくれた。
・私の母星の者たちは、我々の期待に応え、うまくやってくれたと思っている。彼らがいなかったら、現在の地球人類は生まれてなかったであろう。今のあなた方は想像できないかもしれないが、彼らが地球で当時の爬虫類型人間たちと混血していなかったなら、今のような地球人はできていなかったと、私は、確信している。
『アセンションの時代』
バーバラ・マーシニアック 風雲舎 2006/8
<2012年12月21日>
・2012年12月21日は、マヤ暦の最後の日でもあるので、これを援用して、地球の終末の日であるかのようにセンセーショナルなとらえ方をするとは正しくありません。
・そして、新たなサイクルに向けての「出発点」でもあります。人類は過去にも、同じ「通過点」を通って今日に至っているわけです。
<DNAを修復する>
・それに関連して、人類の歴史の大半が、ネガティブな勢力による恐怖をベースにした支配構造において、蹂躙されてきたという事実があります。人々の精神が安定した平和な時代はほとんどなかったのです。
・さらに地球外からやって来た「支配階級(アヌンナキ)」の遺伝子技術によってDNAが「間引かれて」、いわば「奴隷種族」に仕立て上げられたという歴史もあるようです。
<いったい誰が地球を支配しているのかー支配構造の由来と現状>
・重要な古代の知識を守るために、いくつかの秘密結社が組織された時期があります。
・様々な秘密結社が密かな陰謀によって糾合し、世界文明のあらゆる領域に手を広げ、進歩のパターンに隠された影響を与えるようになりました。
・偽りが彼らの規範となるにつれ、彼らは、人知れずに心を操ることに長けた非物質界のエネルギーを引き寄せ、それらが秘密結社を操作するようになったのです。
・そして、現代につながる状況としては、「様々な秘密結社が密かな陰謀によって糾合し、世界文明のあらゆる領域に手を広げ、進歩のパターンに隠された影響を与える」ようになったことです。これが、表面から見える民主主義政治の背後にある「陰の政府」とか、「裏の支配構造」などと言われている構造です。困ったことに、宇宙の非物質領域には、「あなた方の恐れの波動を常食して、そのエネルギーをあなた方をコントロールするのに利用しているものたち」がいて、隠然たる勢力を持っていることです。権力欲に飢えた者ほど、こうした存在に(自分では気づかずに)簡単に「憑依」されて、彼らに巧みに操られるようになります。
・表面から見える支配者や権力者は、実際には秘密結社に懐柔されており、さらにその上に、秘密結社を巧みに操る存在たちがいるという、二重三重の支配構造になっているわけです。この構造に加えて、上記の「この世界をコントロールするものたち(アヌンナキ)」が絡んで、「手下たち(秘密結社)」を自在に操っていた永い時代がありますが、その影響に関しては、ほぼ十年前に彼らが転向してポジティブな宇宙派団の側についたことによって、現時点では消えています。-これは「人類の前途」の項に「悪の役者」たちが、「自己啓示によって役割から降りることさえあります」とありますが、その一部をなす出来事です。
・あなたは、一見、単独の存在のように見えるかもしれませんが、実際はあなたの知覚の現界を超えて存在する多くの現実と永遠に結びついているのです。
『ザ・グレート・フライト』
JALを飛んだ42年――太陽は西からも昇る
<人の3倍やればできるはず>
・「小林君はダメだ」
若い頃、訓練中に何度この言葉を聞いたか知れない。
訓練生のとき、ソロ・フライト(単独飛行)に出られたのもビリから何番目。帰国してからの訓練でも教官からはよく怒られた。B727のセカンド・オフィサーになり、DC-8でコーパイにはなったが、操縦そのものをほめられた記憶はほとんどない。
・私は、操縦がけっして上手ではなかった。特にコーパイになりたての頃は下手だった。だが「人の3倍くらいやれば必ずできるはず」だと思い、毎日コツコツと努力をした。
・飛行機は速度と高度を自由自在に変えられる。これをヒントに、「量は質に変換できる」ということを実感した私は、DC-10キャプテンからB747-400キャプテンへの機種移行訓練中も他の人の3倍は準備して、毎日の訓練に臨んだ。そのおかげで、訓練自体を楽しみながらできたと思う。
<JAL初、63歳を超えた機長>
・コーパイ時代、パイロットは目の衰えが操縦技量の衰えに結びつく、ということを、先輩キャプテンの姿を見ていて気付いていた。40代半ばの頃、新聞を読もうとしたところ、紙面を遠ざけないと文字がぼけてしまい、このままだと老眼になってしまう、という危機感を抱いた私は、その日から毎日、目の焦点を遠近の対象物に合わせる訓練を続けた。
<教官なりキャプテンなりの個性>
・着陸時にフラップを降ろそうとして「早すぎる!」とキャプテンに怒られたコーパイは、後日のフライトで遅めにフラップを下げ、「それじゃ遅すぎですよ」と私から指摘された。彼は前日のキャプテンとなぜ違うタイミングなのかと怪訝な顔をする。そんなとき私は、「どうしてだろうね?」と逆に聞き返すことにしている。飛行機の操縦には、風向、風力、温度など、あらゆる条件が影響してくる。前日のキャプテンがどういう状況だったのか、そして今日はどうなのか。それを思い返せば、なぜタイミングが違うのか、理解しやすい。
しかしながら、それでも納得できない場合もある。私も訓練生、コーパイ時代と、教官やキャプテンによって言うこと、やることがまったく違い、どうすればいいものかと思いあぐねたことがある。しかし、これは教官なりキャプテンなりの個性なのだ。彼らだって人間である。そのやり方は微妙に違って当たり前、ある教官が「こうしなさい」と言えばそれに従い、別のキャプテンが「ああしなさい」と言えばそれにうなずく、そうやっているうちに自分自身のやり方なり方法論が導き出され、またオペレーションの幅ができるはずなのだ。
<怒って終わらせない>
・商船大学を休学し、パイロット訓練生としてアメリカに渡った時、その物量の豊富さとともに私が驚かされたのが教育の方法であった。商船大学の航海実習では、ちょっとでもミスを犯すと教官から怒号が飛んできた。小学校からの大学教育、そして家庭での親のしつけも含めて、「間違ったところを直す」が日本の教育の根底にある思想である。
一方アメリカは、「ほめて伸ばす」が基本、10のうち9がダメでも構わない、ひとつでもいいところがあれば、それをほめてくれる。日本よりアメリカが優れている、とまでは言わないが、やはり生身の人間であれば、ほめられれば気分がいいし、怒られたら意気消沈してしまうのは仕方がない。
日本ではまだまだ、悪いところを叩き潰すような教育が主流のようである。
<決められない風土>
・そのほか私が常々感じていたことは、「意思決定の遅さ」「組織の壁」「前例主義」「現場と本社管理部門との温度差」などである。日本の大企業においてこうしたことは大なり小なりあると思うが、経営が順調なときは表に出ることはない。その綻びは、危機的な状況になったときこそ顕在化する。それが2002年から始まったJALとJASの統合作業にも見られた。
JALとJASとの統合の背景には、国内線のシェア争いがある。
<経営破綻、そして再生への途上>
・2010年1月19日、JALは東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し、即日受理された。
会社更生法の申請は、一般には「破産」と理解されている。あくまで「破産」であって「倒産」ではないが、自力の経営の建て直しを断念したということでは同じである。
ナショナル・フラッグキャリアの破産はなぜ引き起こされたのか。私が40年以上ともに歩んできた、日本を代表するエアラインはなぜ破綻せざるを得なかったのか。
新聞、雑誌はこぞってその原因を書き立て、JALの“内情”というものを暴露したり批判したりした本が書店にうずたかく積まれている。テレビのスイッチを入れれば、コメンテイターたちがJALの経営責任や体質をこれまでもかと追及している。
元JALの社員として私は、これらの言論に正面から反論するつもりはない。また、経営に直接携わっていない現場のパイロットには意見を述べる資格もない。
・だが、今回の経営破綻でJALが得た教訓は、多くの日本企業にとっても他山の石となるのではないだろうか。
<マネーフローの滞り>
・これらの例を企業に置き換えてみると、飛行機のフーエルフロー、人体の血液の流れは「マネーフロー」である。すなわち、お金が常に流れていないと、どんなに組織が立派で優れた人材がいても、その企業の生命は途絶えてしまう。JAL破綻の一因は、このマネーフローの滞りだった。
・また、原理原則を実行できるかどうかは、トップのリーダーシップにもかかっている。経営トップの強い意志こそが滑らかなマネーフローを生み出し、企業を健全な方向に導いていく、さまざまな内因と外因がこの原理原則の遂行を阻害し続けたことが、JALを経営破綻へと追い込んだ一因だろう。
<チャンスは2回あった>
・JALが大きく変わるチャンスは2回あった。私はそう思っている。1回目は1987年の民営化、そして2回目は1991年の東西冷戦終結である。
民営化は、「国営企業」とも揶揄された経営体質をドラスティックに変えるまたとない機会だったはずだ。だが現実は単純ではない。JAL特有の生い立ちやしがらみから一気に解放されたわけではなかったのだ。
<見逃したコスト平均化の波>
・共産主義ブロックの崩壊による東西冷戦の終結は、「コストの平均化」をもたらした。“ベルリンの壁”によって維持されてきた価格やコストの差が縮小していくことは、経済学者でなくても容易に予想がつく。旧東ヨーロッパの労働者が流れ込んだ西ヨーロッパのみならず、中国や東南アジアなどの低コスト国に囲まれているという日本は、コスト競争面においてさらに厳しい条件を突きつけられる格好になった。
・だが本当の驚愕は、ウラジオストックに着陸してから見た光景だった。使われなくなった無数の戦闘機や爆撃機の群れ、国家予算が底をついたのか、飛行機を飛ばす燃料をも手当てすることができなかったのだろう。これを見て私は、間もなくソ連が崩壊するのではないか、と予感した。東側を牛耳るソ連が崩壊すれば、西側との経済活動は自由になり、価格やコストの平均化も起こるだろう。その予感は的中した。
このグローバルな平均化の波をJALは見逃してしまった。
・民営化、東西冷戦の終結を機に、もっと外にも目を向けて、やがて起こりうる大競争時代に対応し得るための社内体制、風土改革を実施すべきだったのではないか。そのひとつの表れが「アライアンス」への乗り遅れだと思う。
<ローマ駐在パイロット>
・1975年8月、私はローマ駐在のパイロットを拝命する。妻、そして生まれたばかりの長男を連れてイタリアに旅立った。長期にわたり、しかも家族と一緒の海外生活は、私にとってこれが最初、そして最後の経験となった。
・私たちは日本でいうマンションのような集合住宅に住んでいたのだが、妻が昼過ぎに洗濯機を回していたら、階下の住人が「いま何時だと思ってるんだい!? こっちはまだ寝てるっていうのにさ!」と怒鳴り込んできたことがある。イタリアは昼休みが2時間あるので、外で仕事をしている男たちは帰宅して昼食を取る。ウソかホントか知らないが、ランチ後のお昼寝は彼らの子作りタイムであるという。大切な家族計画を新参者の東洋人に邪魔されては彼らはかなわなかったのだろう。
・役所の手続きは午前中に終わらせないとらちが明かない。昼食はワインを飲みながらゆっくりと、それからまた昼寝、眠い目をこすりながらの午後の業務に期待するほうが無理というものだ。
犯罪が多いのも悩ましい。ローマでは、殺人や傷害などの凶悪犯罪はほとんど聞かれないが、スリ、詐欺、ひったくりなどは日常茶飯事だ。私も車上荒らしには何度も遭ったし、妻はハンドバッグをひったくられ、その拍子に顔をしこたま打ちつけて、血だらけになって帰宅したことがある。
仕事でイタリア流を見せつけられたのは、管制官や空港消防署。彼らがストライキをしょっちゅうやるものだから、飛行機が飛ばない。私たち乗務員もそうだが、後の予定が詰まっている乗客はさぞかし頭に来たはずだ。
こんなひどい目に何度も遭わされておきながら、結局最後までイタリア人を憎む気持ちになれなかったのはなぜだろうか。
・イタリア人の資質の基本は「マンジャーレ」「カンターレ」「アモーレ」、つまり「食べる」「歌う」「恋をする」。昼間は全然仕事が進まないが、日が落ちると家族や友人みんなと食卓を囲み、夜遅くまで食べ続ける。我が家のあるマンションの部屋からも、毎晩のように歌声が響いてきた。女性に対しては、未婚か既婚かにかかわらず、とりあえずお誘いをかけないと相手に失礼に当たる。日々の仕事や将来の心配で夜も眠れないような生活を送っている私たち日本人には、まさに目からうろこが落ちるような人生哲学を彼らは持っていた。