日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

約800例ある、世界中の子どもの「過去生の記憶」データというものが存在し、それらの真実性が数値化されている。(1)

 

 

『もっとヘンな論文』

サンキュータツオ  角川書店   2017/5/29

 

 

 

論文は、笑えるものほど素晴らしい!

論文、という言葉を聞くと、なにかものすごく難しくて、自分では理解できないものだと思っている人がいるかもしれない

 しかし、決してそんなことはない。とくに私がこの本で紹介する論文たちは、「人を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」を表彰する「イグノーベル賞」などにも入選しない、それでいて書いた人たちの膨大な時間と情報が詰まった、「残念な論文」かもしれないが、一度目を通してもらえれば、だれでも理解できる書き方と内容で、最終的には研究者ってすごい人たちなのだと再認識してもらえる内容だと思っている。

 自分の研究領域の論文を読むのに疲れて、図書館でほかの人たちはどんな研究をしているんだろうとふと思って読み始めたら止まらなくなった趣味「ヘンな論文収集」

 

前世の記憶をもつ子ども

「前世の記憶」はオカルト?

・前世の記憶がある方はいらっしゃるだろうか。あるいは、自分の子どものころに前世のことをしゃべっていたらしいとか、自分の子どもに前世のことを聞いたらしゃべったという経験をした人はいるのだろうか。

 今回の論文は、そんな前世、これは学術的には「過去生」というらしいのだが、その過去生を持つ子どもを学術的に調査してみた、という論文だ。

 

・いきなりオカルトかよと思う人もいるかもしれない。しかし、極言すれば研究とはすべてオカルトである。「よくわからないもの」をわかろうとするいとなみだ。その対象が、宇宙であっても人体であっても、わからないことはこの世に山ほどある。

 考えてみてほしい。UFOも幽霊も、前世も来世も、「ある」ということが証明されているわけでもないし、「ない」ということも証明されていない、「よくわからないもの」なのだ。そんなバカなと思われていたことが、学問の成果によって覆されてきた例は山ほどある。天体が動いていると思われていた時代に地球が動いているなんていう人はオカルト信仰者だったし、重力なんていう力が私たちの体に常に働いているなんて考える必要がなかった時代に生まれていたら重力の存在なんてオカルトだろう。そもそもオカルトが「目に見えないもの」という意味だったので、目に見えないものが「ある」か「ない」かの研究は、人類の歴史にとってみたらまだ歴史の浅い研究なのである。だから、これから書くことはひとまず「常識」という名の眼鏡を置いて、フラットな感覚で読んでいただきたい。スピリチュアルを支持せよというものではない。信じるか信じないかを決める前に、検討材料を整理せよということ。それが研究する人たちの姿勢だからだ。善悪や常識的にどうかということはひとまず横に置いて、目の前の「現象」を追う。

 

・掲載されている雑誌は『人体科学』。おなじ号に掲載されている論文は『脳梗塞後遺症によるシビレを主訴とした患者に対する始原東洋医学に基づく鍼灸治療の有効性の検討』とかである。マトモそうでしょ? 一方で「人体近傍のヒーリングパワーのポテンシャル分布」とか「非人称的視点――スピリチュアリティを記述するためのメタ方法論――」とか「おや?」というものもあるのがすごいんだけど、この玉石混交感が常識という名の固定観念を脇に置いている感じをよりリアルに伝えてくれるではないか。

 

日本の意外な先人たち

・筆者の大門先生の論文によると、そもそも、生まれ変わりの研究に関しては、イギリスをはじめ世界中の子どもたちを調査対象として研究されてきたらしい。しかし、日本がこの一連の研究にとって重要な研究の発信地であったことをみなさんはご存じだろうか平田篤胤という江戸時代の学者が、勝五郎さんという人の生まれ変わり体験記を、『勝五郎再生記聞』としてまとめています。この勝五郎の話をラフカディオ・ハーンが海外に紹介したのが、世界で学術的に過去生を研究することになった端緒といってもいいそうなのだこの平田篤胤、調べてみると、没後の本居宣長が自分の夢に出てきて師弟関係を結んだ、と宣長の息子の春庭に手紙を出しているくらい当時からそっち系の大学者。そうか、だとしたら、平田の蒔いた種はこの日本でも実を結ばせたいよね。

 

・が、この論文が単なるオカルト雑誌の噂話と違うのは、親たちや大人の作り話ではない、という点が確かなところにある。もともと、調査対象になった子どもの親が、自分の子どもがよくわからないことをいうのを心配して医者に相談に行き、その医者が雑誌論文として報告したり、その後この子どもの発言を詳細に記録したところからはじまっているからだ。つまり、まわりの大人は「子どものいうことを信じたい」というところから入っているのではなくて、「病気なんじゃないのか」とむしろ疑っちゃう側だったというところに信用がおけるのだ。

 

Tomoくんの話

・さて、この論文で取り上げられているのは、ひとりの男の子。多くの「過去生」を持つ子どもを集めたわけではなく、ひとりの子の調査結果の報告なので、データの分母というよりは「質」を重視した論文である。

 彼は2000年1月生まれ、関西在住の通称「Tomo」くん。で、この大門先生が、2010年6月にTomoくんとその母親、7月にTomoくんとその父親と面談したところから、過去の医者の記録や発言記録、ビデオなどの記録メディアをたどっていくんだけど、先生と面会した時点では、すでに本人は幼少時に語っていた過去生の記憶はほとんど覚えていなかったということである。

 この手の研究は、本人が大人になると忘れていってしまうため、困難だし信憑性も疑われるところになってしまうのだが、それにしてもこの論文は面白い! 先生がたどった情報を読者のみなさんにも一緒にたどってもらおう。

 

・このTomoくん、1歳ころから過去生に関するふるまいを示すようになった。テレビCMに出てきた「AJINOMOTO」や「COSMO」といったアルファベットに大変な興味を示したそうである。左から右に読めてよかったね。

 2歳頃から、お母さんの胎内にいたときの記憶を語りだし、2歳9ヶ月のとき、

 

・Tomoくんはこうもいった。「Tomoくんって呼ばれる前はイギリスのお料理屋さんの子供やった」「1988年8月9日に生まれて、ゲイリースって呼ばれてた。7階建ての建物に住んでた」「45度くらいの熱が出て死んでしまった」

 おいおいおい。妙に具体的じゃないか。あまりに衝撃を受けた両親が、試しにTomoくんの要望を叶えようとTomoくんに、にんにくを見せた。すると剥き方などを教えたこともないのにおもむろに剥き始めたそうだ。そのときの様子の映像が残っているのであるが、なぜか普段右利きのTomoくんが、にんにくを剥いたときに左利きになっていたのである。

 

・こうして、Tomoくんの話を信じるとしたら、彼の前世は、どうやらイギリス人らしい、ということがわかったのであった。これイギリスでよかったよね。アフリカの少数民族とか、マレー語とかで話されても全然わからないし、行けないし確認しようがない。

 

・だが、空想壁のある子どもの空想とは違って、とにかくTomoくんの発言は一貫していて、いつ聞いても記憶にブレがなく、また何度もおなじことをいうので、両親はついにTomoくんが病気なのではないかと思って医者につれていった。つまり、両親がひくほどTomoくんのしゃべることは具体的で、およそ4歳児の空想で片づけてしまうのは無理があるほど信憑性があったということである。そして、Tomoくんが決まって口にする希望は、「イギリスのお母さんに会いたい」だった。この発言を聞いたときのお母さんの心境を察するとやりきれないのであるが、その後Tomoくんの発言はお医者さんの手によって記録されていくことになる。

 そんなTomoくんの発言集がこの論文では25エピソードほど紹介されているのだが、いくつかの衝撃のものを紹介したい。

 

まだ続く驚愕の出来事

・3歳11ヶ月の時の発言。ホームセンターに出かけた際、地球儀を見つけると、「Tomoくん、この辺に住んでいた」と語り、イギリスの上方を指していた。そこで、イギリスの地図を見せたところ、スコットランドエジンバラを指しながら、「エディンビア」と発音した。

 

・4歳になったばかりの時の発言。イギリスのTomoくんが死んだ日について語っている。「1997年10月24~25日の間」「イギリスのお母さんが困った顔をしてた。5人になってしまったねぇとか言ってた。」「Tomoくん、土に埋めてはった」

 悲しい顔を「困った顔」と表現しているのは子どもらしい。土に埋められた、ということのようだ。イギリスにはまだ土葬の文化が残っている。なくはない。88年に生まれて97年に亡くなったということは、9歳で亡くなっている、ということなのだろうか。

 

・一方で、なんでこんなことを知ってるの? という発言もある。「2階建てバスに乗ったことある。お金は「円」ではなく「ポンド」やった。」すでにイギリスの通貨単位を知っているのである。2階建てバスの存在も当たり前のように口にしている衝撃。4歳6ヶ月のときには、「イギリスの家の向かいに「特別商店街」があり、日本の「醤油」を売ってた。」といった。醤油が日本だけのものとは4歳と半年のTomoくんは知らないはずなので、イギリスのTomoくんとしての発言かもしれない。とにかく前世の人格と現在のTomoくんが同居しているかのような発言なのだ。

イギリスでミルク風呂に入ってた」という謎の発言や、「washbasin」

(洗面器)という語を連発。「pleasure」(プレジャー)と発音したりと、もうこれはアタリ! って発言ばかりが続くようになる。

 もっともびっくりしたのは、先述の土葬発言のあとに、Tomoくんがまさに死んだときの「感覚」を言語化している部分である。

母「それからTomoくん、どうしたんだ?

 Tomo「滑り台みたいな25階のエレベーターに乗ってるみたいな感じの事してた

え⁉ 死ぬときってそういう感じなの⁉ なにか肉体から魂が抜け落ちる的な⁉

 4歳6ヶ月のときの発言は入院していたときの記憶がすごく鮮明に語られている。「イギリスのTomoくんは、ムギンバパレス病院に入院してた。最初、部屋が空いてなくって13階の4号室が空いたから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんと3人で、車に乗って行った。家から北へ115キロかかった。普通の道だと遠いし、高速で行った。お兄ちゃんは5才上だし、14才だった。病院では、お風呂みたいな所で粉のお薬を溶かし、マッサージしてくれる先生が居た。それでも治らなくて手術したけど、40度以上の高い熱が出て死んだ。」

 こわいこわい! 「北」とか「115キロ」という距離感が(前世の人格である)9歳児にあるのだろうか? 40歳児の私にはいまだにないのだが、こんなことが4歳のTomo少年の口から出てきたらこれはもう確定って思っちゃうんじゃないだろうか。

 

・決定打は4歳7ヶ月のときの発言である。Tomoくんが(JRの列車事故を見て、)「イギリスでもサウスウォールで、列車事故があった。TVで「事故です、事故ですと言って、列車同士がぶつかって、火も出た。8名が死んだ。

 時系列と関西在住のことを照らし合わせる。おそらくJRの列車事故とはJR福知山線脱線事故である。その報道を見て、イギリスでも事故があったといっているのだ。この発言、ニュースキャスターだったら調べられると思って父親が調べたところ、実際に1997年9月19日にイギリスで起こった列車事故のことを指しているものだった(サウスオール事故、というらしい。衝突事故で実際には死者は7名だった模様)。Tomoくんの証言を信じるとするならば、イギリスのTomoくんが亡くなる1ヶ月前の出来事であった。このニュースを、イギリスのTomoくんは病院のベッドで見ていたのだろうか。

 そのほかには、友達の名前をいったり、お兄さんが5歳差で存在するといったり、製薬会社の名前を答えたり、当時イギリスのその場所にいないと言えないであろうことを次々にいった。

「イギリスのTomoくんはB型やった。弱くて運動とかできひんかって、やりたい事がいっぱいあった」「イギリスのお母さんにあいたい」(涙ぐむ)

 

発言は信頼できるのか?

・こういう証言ばかりを集めたのならこれはレポートであって論文ではない。

 この論文が学術論文であるポイントは、このように集めた当時のTomoくんの発言集を、「記憶の強さを測る尺度」で測ろうじゃないかという試みをしているところだ。

 約800例ある、世界中の子どもの「過去生の記憶」データというものが存在し、それらの真実性が数値化されている。このデータでの分析を通して、どれくらい信頼に足るデータなのかを測る22の項目でTomoくんの発言をチェックしたのである。たとえば、死亡した人物と現在の人物の母斑・先天性欠損だとか(Tomoくんの場合は死亡した人物は見つかっていないのでわからないが)、過去生に関する言及、過去生と関係するふるまいの有無、死亡した人物との共通点や関係など。

 全体平均10.4のところ、Tomoくんの数値は「12」というやや高い数字を示したので、信頼に足るデータだそうだ。そんなことってあるのだろうか。こうなれば、いよいよ裏を取るしかあるまい。こうして、家族はついにイギリスに行くことになる。

 

・Tomoくんの希望は「イギリスのお母さんに会いたい」ということであった。そして、Tomoくんに記憶が残っているのはこの一念ゆえであろうということで、父親は調査も兼ねてイギリスにTomoくんを連れて、イギリスのTomoくんの家を探しにいった!

 すると、本人の名前は実在するものの。エジンバラにはその名前での死亡記録はなかった。

 また、名前と子どもがにんにくをむくのを手伝っていたということから、実家はメキシコ系か、メキシコ料理屋だろうということで、何軒かあるメキシコ料理屋は見つかったが、どれかに特定することはできなかった。飲んでいた薬(EMD)などはあったが、「ムギンバパレス病院」という病院は確認できなかった。

 

・しかも、もっともびっくりすることに、このTomoくん、エジンバラに到着した翌日に「お母さんに会いたい」という気持ちに一区切りつき、過去生の記憶をなくしていったのであった。直接会うとかそういう物理的なことの前に、存在を感じちゃったのである。

 かくしてTomoくんの前世を確認する動機もなくなり、またTomoくんも発言しなくなっていく。こうして彼のいってきたことは真実だったのかどうなのか、世間的には「子どもの空想」と片づけられてしまうかもしれないものになっていく。

 

・しかし、だからといってこの一連の出来事を、このような論文という形で報告しなかったならば、将来的に解明されるかもしれない真実を導き出すヒントも世に出ないことになる。真偽はともかく、検討材料を提供するのも論文の価値である。

 執筆者の大門先生によると、現在、自閉症アスペルガー症候群として診断されている子たちのなかには、こうした「過去生」で達成できなかった願望を口にすることで「空想癖」と診断されてしまう子たちもいるそうだ。しかし、このTomoくんのように過去の記憶をひきずる要因がわかれば、なんらかの方法で症状を緩和することなどができるかもしれない。

 

・3歳くらいから、胎内の記憶のことを語りだす子がいるというのは、よく聞いたことがあるが、前世=過去生の記憶も、聞きだすとあるかもしれないのでお年頃のお子さんがいる方は聞いてみてはいかがでしょう。

 研究にタブーはない。「現象」を記述し、それがなぜ起きているのかという理由を、さまざまな角度から偏見なしで検討する。検討するのは、材料となるデータが必要である。

 それから善悪や真偽を議論すればよい。まさに、ここまでやってはじめて「信じるか信じないかはあなた次第です」といえるのだ。

 それにしても不思議な気持ちになる。高校生になったTomoくん、いまは左手でにんにくをむくのだろうか。

 

<偉大な街の研究者>

誰でも研究者

・研究は、なにも大学院に進学し、修士論文や博士論文を書いてどこかの組織に所属しなければできない、というものではない。

 雑誌に掲載されるのは、所属がどうであれどこかの学会には所属しないと書く資格は得られないが、それだけが研究発表の場ではない。自分で世に問うために、いまはネットや、同人誌即売会に出店してみたほうが、研究論文よりも多くの人の目にとまる可能性が高い。

 

「追いかけてくるもの」研究

「追いかけてくるもの」とは

・この研究、現代の「世間話」のなかから「追いかけてくるもの」に関するものについて考えたということが書いてありましたよね、最初に。「世間話」というのは、実はこの『ヘンな論文』の1作目にも『世間話研究』というしびれるタイトルの雑誌があることをご紹介しましたが、文学の一ジャンルなのです。口承文芸「民話」のひとつで、基本的には語り手が実際に見聞きしたことをしゃべるというスタイルのもので、目撃談みたいなものです。

 そしてこの論文は、「現代伝説」とか「都市伝説」のなかから、とにかく後ろから「追いかけてくるもの」についての話を集めて、分析したという研究なのであった。この論文の存在自体が都市伝説になっちゃうよというタイトルだけに、惹きつけられるパワーがハンパない。果たしてそんな論文が本当にあるのか⁉ 信じるか信じないかは、あなた次第です。

 たとえばどんな話が後ろから「追いかけてくるもの」なのか。採集した話にはこんなものがあったので紹介しよう。

 

・北海道の摩周湖で、夜の12時すぎに車で走っていると、うしろから年老いた女の人が走って追いかけてくるという話がある。その老女は人間なのに、車より早いスピ―ドで追いついてくるという。これをふりきるには、時速百キロ以上ださないと逃げきれない。これが俗にいう、「百キロババァ」。もし追いつかれると、事故ってしまうとか。ウワサでは、摩周湖のマリモを投げつけると逃げるらしい。

 

・しかし、北海道に限らず、全国各地でこの「百キロババァ」のようにうしろから「追いかけてくるもの」が出てくるという似たような話がたくさんある、という。

 

・そういった話を集めまくって、類型を調べる。パターンを分析する、というヒマとしか言いようのないこの論文を追いかけたのは、日本でも私しかいないかもしれない。でも、ちょっとおもしろそうでしょう?

 

追いかけてくるものを6つに分類

こういう「追いかけてくるもの」の話を日本全国から書籍などを参考に、拾ってくるのである。

 話の内容は単純なもので、展開はどれも大同小異であることがわかる。車やバイクの運転手が、後方から信じがたい速度で接近してくる異形の存在に気付く。どの話もここまでは同様だが、追い越されると事故に遭うとか、追い越す際にニヤッと笑うといった事例も多い。

 

と、最大公約数の話の展開はこんな感じだそうだ。つまり、怪談みたいなちょっと怖い話のなかで「追いかけてくるもの」がけっこう出てくるのだそうだ。

この三柴先生は、こういった話を分析した結果、「追いかけてくるもの」には、6種類の類型があることがわかった、という。

 

では、6種類がどんなものかというと、

A 老人型

 これは、ほぼババアなんだけども。おばあさんなのに速いのかよ! というパターン。「おばあさま」ではなく「ババァ」っていうところが、愛されていない漢字のネーミングで切ない。

 

B 脚部欠如型

 足がない。すんごい速いのに足がないというパターン。

 三柴先生によると、いわゆる「学校の怪談」に出てくる「テケテケ」「パタパタ」「ァシマレイコ」などと呼ばれるものに出てくる「追いかけてくる」連中も脚部欠如型らしい。

 

C よつんばい型

 よつんばいなのに速いのかよ! というパターン。

 

D 獣+人型

 「よつんばい」になった人間がどこか獣をイメージした格好をしたものだとすると、それと連続的に牛と女とか、人面犬とか、人面猫とか。

 

E 乗り物型

 カブに乗ったそば屋の出前とかがここに分類されるようだ。なにそれ、もはやこわくない。

 

F 首なしライダー型

 バイクに人が乗っているけど、首がない、というパターン。

 

・出現場所を、多かった順に並べると、「トンネル」「山道」「高速道路」「峠」「カーブ」だそうだ。

 

・分析によると、「現実的に危険な場所が妖怪の出現場所として採択される場合があるのでではないか」ということである。わざわざ細心の注意を払わなければいけない危険な場所に、「追いかけてくるもの」は出る、というのである。

 

妖怪にもトレンドがあった

・ここからである。なぜこうした現代に伝わる「追いかけてくるもの」の話を集めて分析してきたのか。

 先生は、昔の「追いかけてくるもの」と現代のそれが少し趣がちがうことに目をつけていたのだ。

 たとえば、柳田國男の『妖怪名彙』で「追いかけてくるもの」の性格の妖怪は、「オクリスズメ」「オクリイヌ」「オクリイタチ」「ベトベトサン」「ビシャガツク」など、夜道で追いかけてきて、気配や鳴き声はするが、姿が見えないものが主流だったという。

 しかし、こうしてみると、三柴先生は古来の妖怪が、現代では現代風にアレンジされて「追いかけてくるもの」が、音や気配から「すごく速いおばあさん」「首なしライダー」のように、「視覚的なもの」になってきている、ということを述べている。おもしろい考察である。ただ、これを知ったからなにか得になるのかというと、ぐうの音もでないのであるが、それでもこういうことがわかるのって楽しいことである。妖怪にもトレンドがあるのだ。時代に対応して姿を変えている。妖怪2.0みたいな。

 

「追いかけてくるもの」の形体が主として女性形であることも指摘しておく必要がある。これを「追いかけてくるもの」が「口裂け女」などと同様に「『イザナミ』や『山姥』などが現代にふさわしいように「衣がえして再生してきたもの」とみなすべきなのか、あるいはもう少し心理的なアプローチを試みるべきなのか、予断を許さない。

 

こんな時間の使い方している人がいると思うと、最高にたまらない。

 三柴先生はこのあと、2012年に、「身体伝承の研究:「路傍の怪」にみる足元・背後」という論文をお書きになっていて、「背後」というテーマに挑んでいるので、さらなる進化をした模様だ。

 こういたったことに時間を費やしている人がいる。大変勇気づけられた論文だ。

 

 

 

『超常現象』 科学者たちの挑戦

梅原勇樹  苅田章   NHK出版   2014/3/20

 

 

 

さまよえる魂の行方~心霊現象~

生まれ変わりの子どもたち

前世の記憶を口にする子ども

・江戸の昔、「勝五郎」という少年がいた。現在の東京・多摩地区に暮らし、生まれ変わりの記憶を話したそうだ、それによると、前世は「藤蔵」という名前で、一里半ほど離れ別の村に暮らしていたが、6歳の時に病気で死んでしまったという。勝五郎は、夜ごとに、「前の両親に会いたい」と訴えたが、両親は本気で取り合おうとはしなかった。しかし、ある時、勝五郎の祖母が村の集まりでそのことを話してみたところ、勝五郎の話に一致しそうな子どもがいたことが分かった。そこで祖母は、勝五郎を前世で暮らしていたという村へ連れていってみた。そればかりか、「以前、あの屋根はなかった、あの木もなかった」と、家の変化を正確に指摘した。その様子に驚いた家の人たちは、勝五郎のことを藤蔵の生まれ変わりであると認めたという。

 

・まるでおとぎ話のようだが、勝五郎は実在した人物だ。国学者平田篤胤が詳しい調査を行い、『勝五郎再生記聞』という記録を残している。明治2年に亡くなった勝五郎の墓は、現在の八王子市に、勝五郎の前世だったという藤蔵の墓は日野市に残る。

 

生まれ変わりの研究に生涯を捧げた科学者

・大門博士は、「そもそもスティ-ブンソン博士が生まれ変わりの研究を始めた大きなきっかけの一つは日本人の事例なんですよ」と言う。スティーブンソン博士が本格的に生まれ変わりの研究に進むきっかけとなったのは、1958年にアメリカ心霊研究協会(ASPR)が募集した懸賞論文への応募だった。博士は、世界中の前世の記憶を持つ子どもたちの記録を分類して見事に入選。その中で紹介された事例の一つが、江戸時代の「勝五郎」の記録だったのだ。実は、勝五郎の記録は、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)によって海外に紹介されていた。それがスティーブンソン博士の目に留まり生まれ変わり研究が行われる端緒となったのだ。

 

・タッカー博士は、亡くなったスティーブンソン博士の研究を引き継いだ研究者である。それは、50年にわたる研究で蓄積された、2500を超える膨大な事例を引き継いだということである。

 

未来へ――意識の科学

・博士は、生まれ変わりや臨死体験について、ある仮説を唱えている。脳で生まれる意識は、この世界の最も小さな物質よりさらに小さな存在だという。その意識は、重力や時間、空間にとらわれない性質を持ち、人間の脳を出入りすることがあるとハメロフ博士は言うのだ。

 

・「人が普通に生きている状態では“意識”は脳の中に納まっています。しかし、心臓が止まると、意識は宇宙に拡散します。患者が蘇生した場合、それは体の中に戻り、臨死体験をしたと言うでしょう。しかし、患者が蘇生しなければ、その情報は宇宙の中にあり続けるか、別の生命体と結びついて、生まれ変わるのかもしれません。証明できてはいませんが、ありえるメカニズムだと思います。私たちはみんなつながっていると考えられるのです」

全く荒唐無稽な説に聞こえる。実際、今はこの仮説に反対する科学者がほとんどだ。

 

「死後の世界」を垣間見た人々

・よく引用されるのが1982年にアメリカのギャラップ社が行った世論調査である。その結果、アメリカだけで約800万人が臨死体験をしたと結論づけた。これは、当時のアメリカの成人人口の、およそ5パーセントに相当する。随分多い印象を受ける。

 

臨死体験の不思議な共通性

・「意識を失うと、トンネルにいました。その奥には素晴らしい光がありました。とてもきれいで、暖かくて、幻想的でした。だから歩いてトンネルから出ました。すると、素晴らしい花、色、音楽・・・。見たことも聞いたこともないような世界を見ました」

 

・「たどりついた場所は、黄色の世界です。そこに、大きな緑の草原がありました。草原には、花が一面に咲いていました。この世にはない色で、とても洗練されていて、うまく描けません。そこには私を待っている人がいたのです。それは、私が12歳の時に亡くなった父でした。父は、私の手を握ってくれました。言葉もなく、話さなくても理解できるようで、そのまま一緒に連れていってくれました。天国・・・、天国としか言えないような情景で、光に満ちて、ただ美しく、無条件で受け入れてくれる世界です。無条件の愛に包まれた感じです」

 

・「父と光の中を歩いていきました。すると、足を踏み外して、つないでいた手が離れました。トンネルに戻されて、気がつくと、看護師さんが私のほおを強くたたいていました。あなたは戻ってきたわ、幸運よ。もう駄目かと思ったよ、って」

 

・「知らず知らず私の意識は、ある美しい別の世界へと流れていきました。家族や医師など周りにいる人たちから見たら、私は単に昏睡状態だったわけですが、実際は全く別の世界を旅していたのです。深い海の底のような場所でした。さまざまな色合いのブルーとか、生き生きとした色彩に囲まれていました。これまでに見たことがないような色です。美しくて、美しくて・・・・」

 

 

 

・「私はそこで浮遊していました。形は保っていますが、水をはじめ、自分の周りのものとつながっていました。自分がすごく軽くなっていた感覚をはっきりと覚えています。それまでずっと抱えてきた苦しみや、恐怖、失望、怒り、不満、悲しみ・・・・、人生の重荷がなくなったような気持ちです。それまでの過ちも全て消えたのです。自分が羽根のように軽くなったのを感じました」

 

日本の事例

・交通事故に遭い、すい臓を損傷して危篤に陥った。

「私、死んじゃうと思った瞬間に映像が途切れました。真っ暗なトンネルの中に場面がきり替わったんです」

鈴木さんは、その時に歩いたトンネルのことを今も明確に覚えているという。

「暗いんだけど、広く感じます。足で歩いているような、床がある感じで、ずっと歩いていると、徐々に空間が狭まっているような気がしました。いつの間にか、右手を壁につきながら歩いていました」

 

・自らが死に直面していることには気づいていた。いつまでトンネルが続くのか不安だった、と鈴木さんは話す。

 

「その時、遠くにこう、小さく光が見えたんです。曇りガラスの向こうに太陽がある感じ。あ、あそこに行けばいいんだって思った瞬間に、そのトンネルがなくなって、一瞬にして真っ白い世界に変わったんですね。暗闇が光に変わったんです。あ、すごい、こんなきれいな光があるんだって思ったら、だんだんそれが光の粒になっていって、その粒が、自分の寝ている病室のベッドの柵になったり、窓になったり、窓の向こうの木になったり、傍らに立っていた父親になったり・・・。その景色を見ながら、ああ、全部光でできているんだな、って思ったんですね」

 

・この他にも、取材班は、数多くの臨死体験者に話を聞き、膨大な事例の記録に目を通した。臨死体験者の全てが、一様に、全く同じ体験をしているわけでもない。中には、この世のものとは思えないような苦しい「地獄体験」をした、という事例もある。人生を走馬灯のように振り返る「ライフレビュー」を経験した人も多い。

 

・しかし全体として、3000例の臨死体験データベースを運営するロング博士が指摘したとおり、臨死体験者に通じる共通性が確かに見いだせた。臨死体験で見た世界について、花を見たと言う人、何百万のチョウを見たという人、深い海底に流されたと言う人、何もかもが輝く壮大なドームだったと言う人。個人差はあるけれど、「トンネルに入った」「見たこともないような美しい世界だった」など、共通する要素が確かに見いだせた。ちなみに、インド出身のヒンドゥー教徒の男性は、臨死体験キリスト教の天使を見て戸惑ったと言っている。

 

・体験者たちの証言を基に整理した、臨死体験に共通するイメージである。

 

  • 気がつくと、暗いトンネルにいる。その先は、明るい光。

 

  • 光の中には、見たことのない美しい景色。聞いたことのない、心地よい音楽。

 

  • 決して会えない大切な人が待っていることもある

 

  • 無上の愛や、大きな幸せを感じる。