日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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人が死ぬたびにつくり直すのを手間に感じた女媧は、人間に生殖機能をつけて婚姻制度を整えさせたといい、そのため女媧は今でも婚姻の女神として崇められている。(1)

 

 

『ゼロからわかる中国神話・伝説』

かみゆ歴史編集部   イースト・プレス   2019/8/23

 

 

 

中国の神話

・日本では中国には神話がないというイメージをもつ人が多い。日本神話やギリシャ神話のような系統だった物語がなく、多くの神話が散逸しているためだ。

 

・かつては中国にも、原始的で荒唐無稽な神話や多様な姿をもつ神々が存在しており、豊かな神話があったと思われる。ところが、それら多くの神話は時代が下るとともに失われ、異形の神々は忽然と姿を消してしまったのだ。

 

・しかし、すべての神話が完全に消えてしまったわけではない。古くより伝わる詩や、思想書、地理書など多くの書物には神々の名やエピソードが残された。また、中国の三教と呼ばれる儒教道教、仏教のうち、民間で爆発的な人気を得た道教では、人が生きたまま超人的な力を得て天にのぼる「仙人」という存在を信奉した西王母など古くからの神々の一部は道教に取り入れられ、仙人として現代まで信仰の対象となっている。

 こうして中国の神話は神と人間が混じり合う複雑怪奇なものとなっていった。世界の多くの神話とは逆に、神は人らしく、人が神のようになっていくのが中国神話のユニークな点であり、魅力的な特徴といえるだろう。

 

道教の発展と仙人信仰

中国に根強く残る道教の教え

古今東西、人間の願いといえば、「病気をせず長生きすること」これに尽きる。死後の世界を恐れた各宗教では、よい行いをすれば死後は極楽へ行ける、輪廻転生でうまれ変わるなどの考えで救いを求めるのだが、中国では死なず老いない肉体の超人的な存在となって天界へのぼる「仙人」がブームとなった。

 ブームの火つけ役は道教だ。

 

道教の神々はほかの国で語られる神よりも身近な存在といえる。なぜなら道教では、人間が修行によって自ら天にのぼり仙人となれるからだ、現代でも、道教儒教、仏教と並ぶ中国三大宗教のひとつであり、さらに世界で数千万人の信者を誇るなど2000年近い時を超えていまだに人々に愛されている。

 

天地開闢と人類誕生神話

天地は暗闇から、人は泥からうまれる

・「この世界がどうしてうまれたのか」「人間はどうやってうまれたのか」は古代から続く永遠の謎だ。多くの神話が天地開闢や人類創世をそれぞれの解釈で説明しようとするのと同じように、中国神話にもいくつかの天地開闢の神話、人類創世の神話が存在する。

 中でも有名なのは原始の神とされる盤古の伝説だろう。まだ天も地も分かれていない時代、宇宙は真っ暗で混沌としていた。すべてが混ざり合う卵の中のような宇宙に、あるとき誕生したのが盤古と呼ばれる神だ。

 

では人間はどこからうまれてきたのか。これも諸説あるが、よく語られるのは伏羲と女媧という男女神の神話だ。彼らはまるで蛇のような体に人間の顔をもち、蛇の体を絡ませた姿で描かれる、兄妹とも夫婦ともされる村の神である。このふたりを人間の祖とする説もあるが、女媧がたったひとりで人間をつくったという神話も知られている。この神話では、世界にただ女媧のみが存在し、孤独に思った彼女が泥から人間をうみだした。しかし人が死ぬたびにつくり直すのを手間に感じた彼女は、人間に生殖機能をつけて婚姻制度を整えさせたといい、そのため女媧は今でも婚姻の女神として崇められている。

 

神格化された歴史上の人物

非業の死を遂げた英雄たちは神となる

・チャイナタウンなどでみられる、黄色や赤で彩られた派手な廟。その中で神としてまつられているヒゲの大男は、歴史書三国志』の登場人物でもある武将の関羽が神となった「関帝」である。

 関羽はもともと人間の英雄であり、歴史上では武将のひとりで、君主でもない。そんな彼がなぜ神格化されたかというと、その非業の死がきっかけだといえる。関羽は『三国志』をベースにつくられた物語『三国志演技』によって人気が高まった人物。

 

神と人の境界線が曖昧な中国神話

・神としてまつられることはないものの、周の時代をつくりあげた太公望三国時代の軍師、諸葛亮もまた、長い間に語り継がれるうちに神秘的なエピソードが追加されるようになった。小説『封神演義』や『三国志演技』では、彼らは仙術のような技を使い、人間離れした働きをみせる。このように物語の中で超人的な力を与えられた歴史上の人物は数多い。それは唐代以降に、演劇、講釈、小説などの物語文化が根づき、より派手な物語として語られるようになったためだ。彼らは刺激的な話を求める民衆を呼び込むため、史実を脚色し、英雄たちを大いなる存在として扱ったのだ。

 

盤古(ばんこ)

天地開闢神話に関わる巨大な神

・中国神話における原初の神で、ひとつの固まりだった天地を分けたとされる。力尽きて地面に倒れた盤古の体から、世界のさまざまな物質がうまれたという神話も残る。道教最高神である元始天尊と同一視されることもある。また、中国の少数民族の神話には、「盤瓠」と呼ばれる獣の神が人間の娘と結ばれるものも存在する。

 

混沌たる闇の中からうまれた巨人

・天がどのようにうまれたかというのは古くからの謎だったようだ。ギリシャ神話では「混沌」から大地や夜、闇、愛などの神が誕生したともされ、日本神話では闇から多くの神が生まれたとする。もちろん中国にも天地開闢神話が存在する。三国時代、呉の徐整がまとめた『三五歴紀』に登場する、盤古という原初の神のエピソードだ。

 盤古の行った天地開闢神話は、まず宇宙からはじまる。

 

伏羲(ふっき) 女媧(じょか)

蛇の下半身で描かれる不思議な対の神

・歴史書史記』で「三皇」として記載されている神、そのうちのふたりが伏羲と女媧だ。夫婦神、兄弟神として知られ、それぞれ人類誕生譚に深く関わる神でもあるが、単独で活躍する神話も伝わっている。ふたりとも蛇の体に人間の頭をもつ異形とされており、壁画などではふたりが蛇の尾を絡ませる交合の図で描かれることも多い。

 

人も生活道具も……さまざまにうみだした

・この2神の神話には非常にさまざまな説が絡み合い複雑だ。『史記』によると、伏羲の母は雷神の巨大な足跡を踏んで伏羲を孕んだという。伏羲は八卦や網のつくり方などを人間に教え、火をもたらし、婚姻制度を定めたと伝わる

 続いて女媧。実はこの神は『史記』では伏羲のあとにうまれ、そのあとを継いだものとされている。しかし『史記』だけでなく古い書物にもその名前が登場することから、女媧は伏羲より古い神と考えられている。地理書『山海経(せんがいきょう)』に登場する女媧は多くの神をうみ、後漢時代の書物『風俗通義』では泥をこねて人間をうんだとされているなど、人や神の創生に深く関わる女神でもある。

 

・もともと伏羲と女媧はミャオ族などの中国の少数民族が信奉していた神だったという。ふたりは兄妹(姉弟とも)として大洪水を生き残り、結婚して子孫を残したという洪水伝説が残されている。

 

夫婦神か、それとも単独神か

・夫婦神、兄妹神の側面が強いふたりだが、前述のとおり『史記』では単独の神として描かれ、古い書物でも別々の神話が描かれている。さらに前漢時代につくられた陸墓の発掘品には、蛇の体をもつ女媧だけが描かれているなど、かつてこの2神は単独神として扱われていたと考えられる。しかし前漢代以降、ふたりが蛇の体を絡ませる図が増えていく。陰陽説の高まりとともに、陰の女性と陽の男性が一対という考えになったためかもしれない。人類を創生しさまざまなものをうんだふたりは、婚姻の神として今でも信奉を受けている。

 

神農(しんのう)>

伏羲のあとを継いだ医薬の神

・伏羲、女媧に続いて帝王となったのが神農だ。人類に農業や物々交換の抱負を教えたのはこの神といわれている。また、数多の草を自らの舌で試し、さまざまな薬を考案したことから、医薬の祖となった。一説によると牛頭人身という異形であったが、これは農業で牛が重要視されていたためと思われる。炎帝と同一視されることもある。

 

人類への慈愛に溢れた三皇のひとり

・神農は牛の頭をもつ異形ながら、人間に穀物の植え方を教えた神だ。炎帝(神農)が五穀を植えはじめると天から五穀が降り落ちてきて、人間の腹を満たした。その穀物を食べたものは、老いても死ななかったという伝説がある。ここから彼は「神農」と呼ばれるようになった。

 生食のため体を壊す人間に、神農が火を使って食事をつくる方法を教えたという神話も残されているが、伏羲や黄帝にも同じようなエピソードがみられるため、誰が火をもたらしたかには定説がないようだ

 人々に農業を教えたあと、神農は市場をつくらせて物々交換をさせる商売を提案。さらに自らすべての植物を口にして毒草と薬草を見極め、多くの薬を考案した。

 

西王母(せいおうぼ)

不老不死の桃を守る最高位の女仙

・玉山もしくは崑崙山に住んでいるとされる女仙。不老不死の女仙として人気が高く、信仰され続けてきた。西王母が住む宮殿の敷地には桃園があり、3千年に1度実る桃を食べると歳を取らなくなるという。

 

災厄の神から不老不死の女神へと転身

西王母は非常に有名な女仙であり、道教ではすべての女仙を束ねる最高位の存在であるとされる。また、崑崙の桃園を管理するとされていることから不老不死であると信じられ、今なお多くの信仰を集めている。しかし、実は古代においては、現在のような母性と慈愛に満ちた女神という好意的なイメージとは真逆な、殺気漂う恐ろしい異形の神だった。

 地理書『山海経』の「西山経」ではヒョウの尾とトラのような歯をもち、乱れ髪にかんざしを刺した姿をしている。うそぶくのが上手で、五刑などを管理すると記され、災害を司るものとされていた。そののち徐々にその描かれ方は、優雅な夫人へと変化していく。

 

西王母の描かれ方と日本での受け入れ

西王母を描いた多くの絵は美しい女性の姿をしており、三青鳥とともに優美で麗しい西王母の姿を描いた画像石や画像磚(建物に使われる中国のれんが)が残っている。

 

・日本では説話集『唐物語』で登場して以降、能の題材とされるなど人々に受け入れられた。桃の節句を祝う3月3日は、西王母の誕生日である。近年のアニメやゲームでもキャラクターモチーフとして活躍している。

 

元始天尊(げんしてんそん)

道教三清でも最重要の神

道教最高神である3神の中でも最も重要な神とされる。歴史書『髄書』

では自然の気を受けて、物事が起こる前の状態である太源の先にうまれた。常に不滅であり、天地が壊れたとしても存在し続ける。天地がつくられると、人々に教えを授ける。これを「開劫度人(かいごうどじん)」というと記されている。また、原初の神、盤古と同一の存在とされることも。

 

一般知名度に差がある最高神たち

道教において、諸説あるが多くは「三清」が最高神であると考えられている。三清とは元始天尊霊宝天尊道徳天尊の3神霊宝天尊太上道君道徳天尊太上老君という別名の方が通りがよいだろう。三清の中でも、最も重要な神とされているのが元始天尊である。人々に道を説き、多くの仙人たちも元始天尊の教えを受けたとされる。

 

補佐役の四御三清の身近な活躍

三清をサポートし、天界の仕事にあたる神を「四御(しぎょ)」という。四御は玉皇大帝、北極紫微大帝天皇大帝、后土の4神。その中心は玉皇大帝。事実上の最高神とも考えられ、五帝のひとり黄帝と同一視されることも。北極紫微大帝北極星の神格化で、天皇大帝北極紫微大帝と対になる星の神。后土は大地神で後世には女神とされ、黄帝を補佐する五佐にも数えられる。

 

泰山府君(たいざんふくん)

死者と地獄を管理する冥界の神

道教では東獄大帝と同一視されている、泰山を支配する神だ。泰山とは山東省に実在する山で、道教の聖地とされる。泰山は死者の魂が帰るところといわれていることから、冥界があると考えられた。ここから、泰山府君も冥界と結びつけられている。

 

碧霞元君(へきかげんくん)

心広く多くの人びとを救う優しき女神

泰山の神々の中でも、特に人気が高く信仰が厚い女神。金運、出世、豊作、勝負事、良縁、子宝、男の子の出産祈願、病の治癒、旅先での安全と、そのご利益は多く、まさに万能の神といえる。

 

嫦娥(じょうが)

不老不死の薬のため夫を裏切りカエルになった月精

・たいへん美しい女性であった嫦娥は、夫が西王母から譲り受けた不老不死の薬を盗んでしまった。小説集『捜神記』には、逃げる際に神巫に占いをしてもらい「吉。恐れることなく先へと進めば、やがて栄えるであろう」という回答を得て、月へと向かったとある。こうして月仙、もしくは月精となってかつて失った不老不死を取り戻した嫦娥であったが、美しい容姿を失ってヒキガエルの姿になったという。

 この話は「嫦娥奔月」という故事として語り継がれており、中国では月にはウサギのほかに、ヒキガエルがいると考えられている。

 

南斗暴君(なんとせいくん)

生を司る南斗六星の神

道教には「五斗星君」という、星を神格化した5神(東斗星君、西斗星君、南斗星君、北斗星君、中斗星君)が存在する。東斗星君は計算、西斗星君は護身、中斗星君は保命を司るといわれ、寿命や爵禄を司る南斗星君は特に信仰を集めており、今なお厚く信仰されている。

 

媽祖(まそ)

海難から人々を守る航海の女神

媽祖は台湾や福建省広東省などの海に近い地域で特に信仰されている女神で、航海の安全や子宝を司る。その出世については、福建省でうまれた民間の少女が媽祖になったといわれている。

 

・媽祖は、「千里眼」と「順風耳」というふたりの鬼神を従えている。媽祖を描いた絵には、中央に媽祖がおり、千里眼と順風耳が左右に控えているという構図で描かれているものがみられる。

 

鐘馗(しょうき)

顔は怖いが心優しく鬼から人々を守る

・鐘馗は鬼や厄を払うものとされており、大きな目と繁々しい髭、黒い服が特徴だ。中国では家の門に鐘馗の絵を飾って、家の中に厄が入らないようにしているという。日本でも五月人形や厄除けの像として飾られている。

 

太公望(たいこうぼう)

王者交代を導く老軍師

・紀元前11世紀建国とされる周の文王と武王に仕えた伝説的な軍師。遅咲きタイプで、文王と出会ったときすでに高齢だったという。蓄えた知識と知恵を武器に、周の建国を助け、その伝説は明代成立の小説『封神演義』で想像力豊かに描かれた。

 

哪吒(なた)

周王朝に味方する無敵の少年神

・小説『封神演義』や『西遊記』で無頼の強さを発揮する、少年の姿の神。インド神話の神ナラクーバラが、仏教や道教に取り入れられて哪吒へ発展したと考えられている。高速で空を飛ぶ風火輪や火を放つ武器、火尖鎗など、たくさんの宝貝を持つ。それらを駆使して敵将を次々と倒す姿の痛快さは、中国国民からひときわ愛されている。

 

2度うまれ直し最終形態は「三頭八臂」

・哪吒のルーツは仏法の守護神である毘沙門天(インドの富の神クヴェーラ)の子とされる。『封神演義』では、毘沙門天と同定される李靖将軍(托塔李天王)の子、李哪吒として登場。

 

ドラマや映画の哪吒役は子役の登竜門に⁉

・『封神演義』は大衆エンターテインメントとして今も楽しまれている。実写作品での哪吒役といえば、子役かまたは若手俳優が演じるのがお決まり。蓮の花の化身というイメージからか、美少女が扮したこともある。哪吒役からスターへ成長していくのは、中国俳優の王道ルートなのだマカオには世界遺産にも登録されているナーチャ廟(哪吒廟)があり、人民の哪吒信仰の篤さがうかがえる。一介の神怪小説の登場人物の枠を飛び出した神童の人気は凄まじい。

 

龍(りゅう)

水をもたらし水難から守る水の主

・中国において、おもに雨や海を司る神とされている。空想上の生き物。その代表は四神の青龍、東西南北を統治する四神の龍神である四海龍王四海龍王に中央の黄龍を足した五龍などである。水に関することはすべて龍王が管理すると考えられており、さらに階級の低い小龍王や、土地神としての龍王もいるとされている。

 

霊獣の代表格となった龍信仰の広まり

・中国の神獣の代表格ともいえる龍。その存在は古くから伝えられてきたが、盛んに信仰されるきっかけは、インド神話の蛇神ナーガが中国に伝わった際に「龍」と翻訳され、元来の龍信仰と結びついたものだと考えられている

 

大海から井戸まで、あらゆる水を守護する龍王たち

龍王とは、海や川、アメリカなど水に関するあらゆることを司るとされている水神。                                    

 

四凶(しきょう)

四凶とは渾沌(こんとん)、饕餮(とうてつ)、窮奇(きゅうき)、檮杌(とうこつ)という4神の総称である。人に災いをもたらす悪神、怪物であるとされている。

 渾沌には、目、耳、鼻、口の7つの穴がないという。地理書『山海経』にも、のっぺらぼうと記されており、同じ特徴をもつ帝江が渾沌の本来の姿だと考えることができる。また、古書『神異経』には腹があるが五臓がなく、足が4本あり、毛が長い犬のような姿であると記されている。 

 

饕餮の姿は、頭に豚を乗せ、体には毛が多いとされる。

 

窮奇は、人喰いであるとされる。容姿については複数の説が伝わっており、『山海経』には「牛のようで、ハリネズミのようなするどい毛があり、犬のような鳴き声である」と、「虎のような姿で翼がある」というまるで異なる描写がある。

 

・檮杌は、五帝のひとり黄帝のひ孫である顓頊(せんぎょく)の子であるとするものと、獣であるとするふたつの説がある。

 

・また、『神異経』に人の顔、犬の毛、虎の足、豚の歯、1丈8尺(約4.4メートル)の尾をもった檮杌という西方の獣がいると書かれている。

 

四罪(しざい)

悪行や反乱を断罪された4神

四罪とは、災いをもたらす4神の悪神の総称である。その性質が似ていることから四凶と混同されることもあるが、四罪共工(きょうこう)、驩兜(かんとう)、鯀(こん)、三苗(さんびょう)であり、四凶とは明らかに別の神が属している。

 

蚩尤(しゆう)

伝説の激戦と名高い涿鹿(たくろく)の戦いの仕掛け役

蚩尤は三皇のひとり炎帝の子孫で、五帝のひとり黄帝に戦いを仕掛けた荒々しい神である。黄帝の統治に反発した巨人族を束ねる頭目であったともいわれている。類書(参考図書)『初学記』は蚩尤の容姿について、頭が大きく腕と足が8本ずつあったとしている。小説集『述異記』には、頭に角があり、するどい毛をもち、ひづめは牛のもので、目が4つ、腕が6本あったと記されている。また、石や鉄を喰ったとも書かれている。兄弟が72もしくは81おり、姿は怪物のようであるが、言葉は話せるとされる。

 

太歳星君(たいさいせいくん)

避けなければならない災厄の天体

太歳とは木星と対になる仮想の天体であり、太歳星君はその太歳を神格化した存在である太歳星君は歳神であるが祟り神でもあり、人々は太歳の方角を避けるようにする。太歳の方角は毎年異なり、その年の十二支の方角と同じであるとされている。術書『欽定協紀弁方書』には「太歳は君主の象徴。神を率い、方位を正して季節の変化を司り、歳の動きを管理する」「天子が民を探りに出たり、敵地に攻め入ったり、宮殿の門をつくったり、未開地の開拓を行ったりするとき、太歳にしてはならない。また、民が家を建てるときも、太歳は避けるべきである」とある。つまり、大きなことを起こすときや家を建てるときには、太歳の方角を避けなければならないとしている。

 

この話にみられるように、古代の小説では怖いもの知らずな人物を描く際、わざわざ太歳に工事をする描写がみられる

 また、太歳は肉の塊の形をとり、地中に埋まっているともされ、木星の動きに反応して地中を動くので、その年の太歳の場所を掘ると出てくるという。

 

 

 

『中国の鬼神』

著 實吉達郎 、画 不二本蒼生  新紀元社 2005/10

 

 

 

玃猿(かくえん)

人間に子を生ませる妖猿

その中で玃猿(かくえん)は、人を、ことに女性をかどわかして行っては犯す、淫なるものとされている。『抱朴子』の著者・葛洪は、み猴が八百年生きると猨(えん)になり、猨が五百年生きると玃(かく)となる、と述べている。人が化して玃(かく)になることもあるというから、普通の山猿が年取って化けただけの妖猿(ばけざる)よりも位格が高いわけである。

 古くは漢の焦延寿の愛妾を盗んでいった玃猿の話がある。洪邁の『夷堅志』には、邵武の谷川の渡しで人間の男に変じて、人を背負って渡す玃猿というのが語られる。

 玃猿が非常に特徴的なのは、人間の女をさらう目的が「子を生ませる」ことにあるらしいこと、生めば母子もろともその家まで返してくれることであるその人、“サルのハーフ”はたいてい楊(よう)という姓になる。今、蜀の西南地方に楊という人が多いのは、みな玃猿の子孫だからである、と『捜神記』に書かれているもし、さらわれて玃猿の女房にされてしまっても、子供を生まないと人間世界へ返してはもらえない。玃猿は人間世界に自分たちの子孫を残すことを望んでいるらしい。

 

<蜃(しん)>

<蜃気楼を起こす元凶>

・町や城の一つや二つは、雑作なくその腹の中へ入ってしまう超大物怪物だそうである。一説に蛤のでかい奴だともいい、龍ともカメともつかない怪物であるともいう。

 日本では魚津の蜃気楼が有名だが、中国では山にあらわれる蜃気楼を山市。海上にあらわれる蜃気楼を海市と称する。日本の近江八景のように、中国にも淄邑(しゆう)八景というのがある。その中に煥山(かんざん)山市というのがあると蒲松齢(ほしょうれい)はいっている。

 その煥山では何年かに一回、塔が見え、数十の宮殿があらわれる。6~7里も連なる城と町がありありと見えるのだそうである。ほかに鬼市(きし)(亡者の町)というのが見えることもあると蒲松齢が恐いことを言っている。

 『後西遊記』には、三蔵法師に相当する大顛法師半偈(たいてんほうしはんげ)の一行が旅の途中、城楼あり宝閣ありのたいへんにぎやかな市街にさしかかる。ところが、それが蜃気楼で、気がついてみると一行は蜃の腹の中にいた、という奇想天外な条がある。それによれば、途方もなく大きな蜃が時々、気を吐く。それが蜃気楼となる。その時あらわれる城や町は、以前、蜃が気を吐いては吸い込んでしまった城や町の幻影だ、というのである。

 

夜叉(やしゃ) 自然の精霊といわれるインド三大鬼神の一つ

・元来インドの鬼神でヤクシャ、ヤッカ、女性ならヤクシニーといい、薬叉とも書かれる。アスラ(阿修羅)、ラークシャサ(羅刹)と並んで、インドの三大鬼神といってもよい。夜叉はその三大鬼神の中でも最も起源が古く、もとはインドの原始時代の“自然の精霊”といっていい存在だった。それがアーリヤ民族がインドに入って来てから、悪鬼とされるようになった。さらに後世、大乗仏教が興ってから、夜叉には善夜叉(法行夜叉)、悪夜叉(非法行夜叉)の二種があるとされるようになった。

 大乗教徒はブッダを奉ずるだけでなく、夜叉や羅刹からシヴァ大神にいたるまでなんでもかんでも引っぱり込んで護法神にしたからである。ブッダにしたがい、護法の役を務める夜叉族は法行夜叉。いぜんとして敵対する者は非法行夜叉というわけである。

 

夜叉は一般に羅刹と同じく、自在に空を飛ぶことが出来る。これを飛天夜叉といって、それが女夜叉ヤクシニーであると、あっちこっちで男と交わり、食い殺したり、疫病を流行らせたりするので、天の神々がそれらを捕えて処罰するらしい。

 

・安成三郎はその著『怪力乱神』の中に、善夜叉だがまあ平凡な男と思われる者と結婚した娘という奇話を書いている。汝州の農民王氏の娘が夜叉にさらわれてゆくのだが、彼女を引っかかえて空中を飛ぶ時は、「炎の赤髪、藍色の肌、耳は突き立ち、牙を咬み出している」のだが、地上に下り、王氏の娘の前にいる時は人間の男になる。

 

・人の姿をして町の中を歩いていることもあるが、人にはその夜叉の姿は見えないのだという。

 

王氏の娘は、約束通り2年後に、汝州の生家に帰された。庭にボヤーッと突っ立っていたそうだ。この種の奇談には、きっと娘がその異形の者の子を宿したかどうか、生家へ帰ってから別の男に再嫁したかどうかが語られるのが普通だが、安成三郎はそこまで語っておられぬ。『封神演義』に姿を見せる怪物、一気仙馬元は夜叉か羅刹だと考えられる。

 

・『聊斎志異』には「夜叉国」なる一篇がある。夜叉の国へ、広州の除という男が漂着すると、そこに住む夜叉たちは怪貌醜悪だが、骨や玉の首輪をしている。野獣の肉を裂いて生で食うことしか知らず、徐がその肉を煮て、料理して食べることを教えると大喜びするという、野蛮だが正直善良な種族のように描写される。玉の首環を夜叉らが分けてくれ、夜叉の仲間として扱い、その頭目の夜叉にも引きあわせる。徐はその地で一頭の牝夜叉を娶って二人の子を生ませるというふうに、こういう話でも決して怪奇な異郷冒険談にならないところが中国である。

 夜叉女房と二人の子を連れて故郷へ帰ると、二人の子は何しろ夜叉の血を引いているのだから、強いのなんの、まもなく起こった戦で功名を立て、軍人として出世する。その時は除夫人である牝夜叉も一緒に従軍したそうだから、敵味方とも、さぞ驚動したことだろう。その子たちは、父の除に似て生まれたと見えて、人間らしい姿形をしていたようである。

 

羅刹(らせつ)  獣の牙、鷹の爪を持つ地獄の鬼

インドの鬼神、ラークシャサ。女性ならラークシャシー。夜叉、阿修羅と並んで、インド原産の三大鬼神とされる。阿修羅は主として神々に敵対し、羅刹は主に人類に敵対する。みな漢字の名前で通用することでも明らかなように、中、韓、日各国にも仏教とともに流入し、それぞれの国にある伝説、物語の中に根づいている。

 日本でも、「人間とは思えない」ような凶行非行を働く時、「この世ながらの夜叉羅刹……」と形容する。悪いことをすると死後地獄へゆくとされ、そこにたくさんの鬼がいて亡者をさんざん懲らしめるというが、その“地獄の鬼”こそ阿旁房羅刹と呼ばれる羅刹なのだ。

『焔魔天曼荼羅』によると十八将官、八万獄卒とあって、八万人の鬼卒を十八人の将校が率いていて、盛んにその恐るべき業務を行なっているという。日本、中国の地獄に牛鬼、馬鬼と呼ばれる鬼たちがいると伝えられるもの、みな羅刹なのだ。

 中国の『文献通考』によれば、羅刹鬼は「醜陋で、朱い髪、黒い顔、獣の牙、鷹の爪」を持っているという。『聊斎志異』には「羅刹海市」という一篇があり、どこかの海上に羅刹の国があることになっている。そこでは、われわれのいう“醜い”ということが“美しい”に相当し、“臭い”ということが、“いい匂い”に相当する。

 中国人を見ると逆に「妖物だ」といって逃げる。そこには都もあり、王もいるのだが、身分が高いほど醜悪であった。国は中国から東へ二万六千里離れている。神々や鮫人(こうじん)たちと交易していて、金帛異宝の類を取り引きしていた。

 この「羅刹海市」では他国から来た者を、即座に取って食うようなことはしないようであるが、中国の内外に来ている(?)羅刹はもちろん人さえ見れば取って食らう。『聶小倩』という小説によると、羅刹は長寿だが、やはり死ぬこともあり、骨を残すこともあるらしい。ところがその骨の一片だけでも、そばにおいていると心肝が切り取られ死んでしまう。また、羅刹も夜叉もそうだが、男性は醜怪だが女性は妖艶な美女と決まっていて、その美色を用いて人間の男を誘惑し、交わり、そのあとで殺して食う。

 

 

張果老(ちょうかろう)  何百歳なのかわからなかったという老神仙

・その頃の老翁たちで張果老を知っている者は、「彼はいったいいくつじゃろう、わしらの祖父の頃から変わらないのじゃ」と噂していたという。色々な仙術を使うばかりか、奇仙中の奇跡であった。帝王たちに尊信され招かれると、うるさがって死ぬくせがあった。唐の太宗も、その次の高宗も、召し出そうとしたが死んだ。恒州の中条山に隠れたっきり、下りて来なかったこともあった。

 則天武后は特に執拗で、「どうあっても来い」と強制した。張果老はいやいやながら山から連れ出されたが、妬女廟のところまで来かかると死んだ。真夏の最中なので、遺骸はすぐに腐敗して蛆が発生した。則天武后もそれを聞いてやっとその死を信じた。

 ところがほどもなく、恒州で張果老が生きている姿を何人も見た人があった。唐の玄宗則天武后よりあとで帝位についた天子で、張果老が生きていることを知ると裴唔(はいご)という侍従を遣わし、「何がなんでも召し連れて来い」と命じた。裴唔が張果老に会うと、また悪いくせを出して死んでしまった。ざっとそんな具合であった。

 列仙伝などで仙人たちを紹介する文章には、必ず生地も、来歴も、字や称号も書いてあるのだが、この奇仙は張果と名乗り、何百年生きているのか分からないので、張果老と敬称がついているだけである。

 

・彼が汾州や晉州あたりまで出遊する時、乗っていくロバも、彼が奇仙であることの証明であった。それは“紙製のロバ”であった。見たところ、普通の白いロバなのだが、一日に数千里も踏破して疲れを知らない。目的地へ着くと、張果老はそのロバを折り畳んで、手箱の中へしまっておく。再び乗る必要が生じた時は、出して地面に広げて、口に含んだ水を吹きかけるとムクムクと立体化して白いロバになるので、またがって出発する。これなら、飲ませる水も食わせる飼葉も、つないでおく杭もいらないし、盗まれる恐れもないわけだ。

 玄宗皇帝の使者・裴唔が会った時、張果老はコロリと倒れて絶命してしまったのであるが、裴唔はこの老仙人がチョイチョイ死ぬくせがあることをわきまえていて、慌てず騒がなかった。死体に向かって恭しく香をたいて、お召しの旨を伝えた。すると張果老はヒョッコリ起き上がって礼を返した。人を馬鹿にした老爺。

 

張果老はやっと重い腰を上げ、今度は死にもしないで上京する。まったく厄介な老爺。

 玄宗張果老を宮中にとどめて厚遇を極めた。そうなると張果老は不愛想ではなく、よぼよぼ老人から忽ち黒髪皓歯の美男子に若返って見せたり、一斗入りの酒がめを人間に化けさせて皇帝の酒の相手をさせたり、けっこうご機嫌を取り結ぶようなこともするから、おもしろい。

 この宮中生活の間に張果老は、皇帝や曹皇后に大きな建物を移動させたり、花の咲いている木に息を吹きかけて、一瞬のうちに実をみのらせた、という話がある。

 

玄宗はますます張果老を尊び、通玄先生という号を授けたり、集賢殿にその肖像画を掲げたりした。それでいて張果老は自分の来歴、素姓は決して語らない。どんなもの知りの老臣に聞いてもわからない。ここに葉法善(しょうほうぜん)という道士があった。

 皇帝に向かって密かに申し上げるには、「拙道は彼が何者であるかを存じております。しかし、それを口外いたしますと即刻死なねばなりませぬ。その時、陛下が御自ら免冠跣足(めんかんせんそく)し給い、張果老に詫びて、拙道を生き返らせて下さいますのなら申し上げましょう」

 一言いうのに命がけである。むろん玄宗は「詫びてやる、生き返らせてつかわすから申せ」と迫った。葉法善は姿勢を正して、「しからば申し上げます。張果老はもとこれ人倫にあらせず、混沌初めて別れて天地成るの日、生まれ出でたる白蝙蝠の精……」といいかけて、バッタリ、床に倒れて息が絶えてしまった。

 

玄宗は、慌てて張果老に与えてある部屋に行き、免冠跣足、つまり王冠を脱ぎ、跣足(はだし)になって罪人の形を取り、「生き返らせてくれ」といった。

かの葉法善という小僧は口が軽すぎます。こらしめてやりませぬと天地の機密を破るでしょう」と張果老は頑固爺さんを決め込んでいる。玄宗は繰り返して、「あれは朕が強制して、むりやりしゃべらせたのだから、今度だけは許してやってくれ。頼む」と懇請した。

 仙人たりとも、天子に「頼む」とまでいわれては、拒むことが出来ない。張果老は、“紙ロバ”にするように口に含んだ水を吹きかけて、葉法善を生き返らせてやった。

 

・この道士が、何ゆえ張果老の本相を知っていたのかは、仙人伝でも語られない。張果老を加えて八人の仙人を「八仙」といい、それらの活躍する物語東遊記では、いたずら小僧仙人の藍采和(らんさいわ)が、張果老のことを「あの蝙蝠爺さん」と呼んでいる部分がある。八仙のうちで藍采和一人だけが少年で、何仙姑(かせんこ)だけが女性である。藍采和が張果老の“紙ロバ”を失敬して乗りまわし、戻って来ると、八仙の中の名物男・鉄拐仙人(てっかいせんにん)がふざけて何仙姑を口説いている。藍采和が「逢引きですか、いけませんねえ」とからかうと、「何をいうか、この小僧」と鉄拐仙人がロバを奪い取って自分が乗る。三人は顔を見合わせて大笑いをした、という一説もある。

 

張果老は、玄宗皇帝の宮廷にそう長いこと滞在していたわけではない。やがてふり切るようにして宮廷を去り、恒州の仙居に帰っていった。その後、今度という今度は本当に死んで人界から姿を消した、というのであるが、何しろ奇人の怪仙。本当に死んだのかどうか、誰も保証は出来ない。

 張果老は八仙の中でも長老格で、『東遊記』では泰山を動かして海へ放り込み、龍王たちを困らせるという大法力を示している呂洞賓(りょとうひん)が「これから八仙がみなで海を渡ろうではないか」といった時も、老人らしくそれを制している。龍王が水軍を興して攻めて来た時も、ほかの七仙は油断して寝ていたのに、張果老だけは耳ざとい。先に目を覚ましてみなを呼び起こすといった調子で、一味違った活躍ぶりである。

 

太上老君(たいじょうろうくん) 仙風法力におよぶものがいない天上界の元老>

民間信仰では仙人の中の第一人者。天界では三十三天の最上階、離恨天の兜率宮に住み、出仕する時は玉皇上帝の右に座している。地上では各地の道観の中心に祀られている主神格。

 

西王母(せいおうぼ) 天上界の瑤地仙府に住む女仙の祖

・瑤地金母、龍堂金母、王母娘娘、金星元君などと呼ばれ、天界へ来るほどのものは、玉帝の次には西王母に拝謁することになっている。『封神演義』によると西王母に、普通お目にかかることが出来る男性は、南極仙翁だけだという。

 だが、それは道教世界の完成された西王母であって、史前の古伝承時代には、西王母は美女どころか、仙女どころか、怪獣といってもよい姿に描かれていた。髪の毛は伸び放題に振り乱し、玉の勝という髪飾りをつけ、恐ろしい声で吠え、豹の尾、虎の牙、玉山の岩窟に住み、三本足の怪鳥にかしづかれている。正確には男女の区別もつかない。

 

神農 仁愛の心に富んだ名君、炎帝と呼ばれた太陽神

・女媧の次にあらわれた大神。南方の天帝と呼ばれ、中国の中央から南方へ一万二千里の区域を治めた。その時、神農炎帝の玄孫にあたる火神・祝融が共同統治者であったとも伝わっている。

 

盤古 原初の巨怪>

天地万物の発生源。それより前には何もない最古の神ともいえる。創世紀におけるただ一人の中心人物といってもいいが、“創業者”ではない。

 中国でも、「原初の状態は混沌として卵のごとく、天が地を包むこと、ちょうど卵黄が卵白の中にあるような状態であった」と語り出す。これは、日本神話でもインド神話でも同じである。そのうちに日本では神々が生まれ、インドでは、自存神が生まれたと説くのだが、中国の“世界のはじまり”では、盤古が生まれて一万八千年が経過する。それは巨大で、裸体で、額から扁平な角のようなものを二本生やしていた。盤古が意識というものを得て、行動しはじめた頃、天と地は分かれた。澄んで軽いものは上へ上へと昇って天となり、重い濁ったものは下へ下へと下って行って地となった。

 

<哪吒(なた)太子    痛快で暴れん坊の少年英雄神>

・『西遊記』でおおいに孫行者と渡りあい、『封神演義』でも大活躍する。『南遊記』でも虚々実々の乱闘を華光を相手に繰り広げる。今でも中国の三大スターの一人、孫悟空、二郎真君と並んで、漫画、劇画、テレビドラマ、映画などで暴れまわっている。

 台湾の国際空港には哪吒太子の見事な彫刻が飾られている。日本ではナタ、ナタク、トンツ太子、中国ではナーザ、ノージャ、ナージャと発音し、『無敵神童李哪吒』という連続テレビドラマもあった。

 

・それでは哪吒は天界にいるにせよ地上に住むにせよ“純血種の中国人”か?というと、そうでもないらしい。父の李天王は毘沙門天夜叉神なのだから、「哪吒はインドの神々の一人の名」という説も立派にある。

 哪吒は大羅仙の化身、風雲の神ではなく、ナータというインドの少年神か? マンジュナータだったら文殊菩薩、アチャラナータならば不動明王。哪吒は“六神仏哪吒不動尊”の像が祀られていたと書いてある。

 

二階堂善弘は、毘沙門天(インドではクベーラ神)には息子がいて、それがナラクーバラという名であった。これが中国では哪吒倶伐羅と書かれる。すなわち、哪吒のことだと述べている。