日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

「僕たちのマスターであるザイだよ。様々な地球人に宿ってきた。そのうちの一人が、イエス・キリストなんだよ」(3)

 

 

『深宇宙探訪記』  

(オスカー・マゴッチ)(加速学園) (発売 星雲社)1992/11

 

 

 

葉巻型の宇宙船は世界各地で目撃談が多い大型の宇宙船

・中型船内宇宙研究室(連盟登録番号 SLA8701)

宇宙研究用の移動研究室。12の異なる世界を展示。多種族の乗組員と科学者が搭乗。総搭乗員数3000『人』

全長2400m。直径約400m(厚さ約188mの単独航行可能モジュール18基で構成)

 

宇宙研究室の外観

・各モジュールは、居住者の便宜を考え、それぞれの貫通路に沿って観測窓が、一つずつ付いている(実際には大型の展望用球体で、拡大機能および夜間赤外線利用暗視機能がある。)

 

種々のUFO

・『帝国同盟』の三角形をした地球外の戦闘機。『悪魔機』として知られている。

 

・7機の円盤を収容できる中型円盤型母船。直径100m。高さ40m。

 

・偵察型の円盤(直径25m。高さ10m)

 

・幽霊船(およそ、長さ40m、幅10m)  本船が生きている存在で、固体の固い金属構造物ではない。準バイオニック船である。

 

・ダイヤモンド型エーテル船(高さ12m、幅12m)

 

『深宇宙探訪記』に書かれてある中型船内宇宙研究室は、葉巻型UFO

宇宙研究用の移動研究室は、搭乗員が3000人で、全長2400メートル、直径400メートルで長さ122メートルの単独航行可能なモジュール18基で構成されているようです。そして、バミューダ三角海域の次元間移行ゾーンを利用しています。これが、有名な葉巻型のUFOのように思われますが、大きさから考えると世界中で見られているのとは違うかもしれません。

 

・「シリウスは連盟の送信センターである。暗黒の勢力とその地球の光明派の召使達はシリウスから来た善玉になりすましている。暗黒の勢力は、自分達の基地は、オリオン大星雲にあると、私達に思い込ませようとしている。しかし、彼らはそこからやって来たにすぎない。オリオン座は、光の主たちの故郷であり、銀河系委員会の故郷であるのだ。そしてアルクトゥルスを中継基地に使っている。暗黒の勢力と彼らが支配する悪の帝国の本拠地は、大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。宇宙連合の宇宙人は、友好的な善意の宇宙人であるが、惑星連合や地底連合の宇宙人は、邪悪な宇宙人である」

 

アメリカ政府と宇宙人の契約

・1947年7月2日ニューメキシコ州ロズウェルでUFO墜落事件が起きた。だが、米軍は、気球の墜落だと発表し、事実を偽装した。奇妙なことに1949年1月30日同じロズゥエルで、UFO墜落事件がおき、その際、偶然にも地球外生命体が1名生存しており、ロスアラモス研究所に送られた。その地球外生命体は、「イーバ」と名づけられ、1952年6月18日まで生きた。その間の調査では、イーバは自らの母星が、地球から55光年離れたところにあると告げたという。

 

・彼の身体的外観は、現在多くの人に知られるところとなった「グレイ」に似ており、爬虫類と昆虫の特徴を持っていた。そして、1954年1月、アメリカは、後に「ラージ・ノーズ・グレイ」と呼ばれるようになる地球外生命体と初コンタクトを行なう。この地球外生命体の出自は、オリオン座のペテルギウスを巡る一つの惑星だった。これは、500光年離れた赤色巨星を巡る惑星からやってきた事になる。

 

・1954年2月。ラージ・ノーズ・グレイの代理として、イーバそっくりの「クリル」と名づけられた地球外生命体が再度地球人とのコンタクトのため送り込まれ、この時、アイゼンハワー大統領が統括していたアメリカ政府は、この「クリル」を全権大使とした「オリオン座領域から来訪した」地球外生命体と何らかの契約を結んだと言われている。「それから50年、国家最高機密は、厳重に守られている」。

 

ハリウッド映画で有名なグレイは、人類に比べ科学力で優に5万年を先んじている

・Tシャツのプリントになるほど、スター化した地球外生命体の「グレイ」のルーツは、琴座である。約50年前、かって琴座領域にあったアペックスと呼ばれる惑星で核戦争が起き、生き残ったアペックスの人々は地下生活を余儀なくされた。核戦争を引き起こした2つの勢力は、ポジティブ派が、主として、レチクル座の2重星(ゼータ)付近を拠点としているが、ネガティブ派のほうは、その多くがオリオン座のペテルギウス領域や大犬座のシリウス領域に移住した。

 ネガティブ派の中で特にオリオンに拠点を置く者たちは、リゲリアンという種族だが、地球でグレイと呼ばれる存在は、このリゲリアンを指している。リゲリアンという呼称そのものは、ケンタウルス座のα星であるリギル・ケンタウルスにも隠れたつながりがあるが、彼らのルーツには、判然としない部分がある。現在、地球には、惑星アペックスに出自を持つ地球外生命体が、時空を超え、過去、現在、未来の次元から同時に訪れている。

 

ウォーク・インとワンダラー(スターピープル、スターシード、スターライト)

・地球人に生まれ変わったワンダラーや、人生の途中で地球外の魂と劇的なソウル・チェンジ(魂の変換)を起こしたウォーク・インなどを地球外生命体(ET)の魂を持つという意味で、ETソウルと呼んでいる。ウォーク・インやワンダラーは、白色同胞団でも活躍している白色同胞団(ホワイト・ブラザーズ・フッド)のルーツは、プレアデスと同じ牡牛座のアルデバランという説と、火星でアルデバランの人々と共存していたさそり座のアンタレスからの人々だという説がある。

 

・また、チャネリングは、日常ではない別次元の意識やいわゆる地球外生命体と意識のレベルで交信することを言います。シリウス経由のチャネリングによりますと、地球に介入した2種類の生命体があると語ります。約2600万年前、地球に2種類の非人間的生命体が入植した。それらは、射手座星系からやって来た爬虫類的存在とオリオンのベラトリックス星系からの恐竜的存在だったという。

 

・ここで言う爬虫類と恐竜は生物学的に分類されるそれらの意味とは異なる。そして、地球ではこの2種類の生命体が入り込んだ後に、人間の祖となる哺乳類的生命体が現れる。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 

Niftyニュース2017/09/16」

アラスカ上空でパイロットが「UFOに追いかけられた」との報告…国が乗務停止処分に

 

 私は講演会などで「パイロットは世界中を飛んでいるので、UFOを見かけるのでは?」という質問を受けることがある。そういうときは、「大半のパイロットは見たことはないが、なかには見たというパイロットもいる」と答えている。

 かつて私の知り合いでもある先輩機長がヨーロッパからアラスカのアンカレッジ空港に進入着陸しようとしていたときに、UFOに追いかけられたと報告した事例があった。機長の証言によると、最終進入中にUFOと思われるいくつもの光の集団が自機につきまとって離れなかったというのである。

 

 しかし、この報告を受けた国土交通省の対応は予想を超えるものであった。早速、同省が管轄するパイロットの身体検査証を発行する航空医学研究センターの精神科の医師に診断させ、結果、精神異常として乗務を停止する処分としたのである。

 この判断の元には、UFOなんてこの世には存在しないもので、それを見たというのは頭がおかしいとする考え方があったと思われるが、当時はUFOの存在に関する政府の考え方は存在しなかった。ちなみに政府はこの一件からかなり年を経た2007年12月18日、UFOについて「その存在を検討しない」のが日本政府の立場であると表明した。

 

 しかし、当時の町村信孝官房長官が「こういうものは絶対にいると思っている」と発言したかと思えば、石破茂防衛大臣もUFOが襲来したときに自衛隊の出動が法律上可能かどうかを個人的に検討する考えを示した。そして、「UFOは外国の航空機でもなく、領空侵犯への対応は厳しい」と自衛隊法では対応が難しいとの認識を披露。さらに「ゴジラが来たら天変地異だから自衛隊災害派遣は可能で、モスラでも同様」との持論を展開したのである。

 政府首脳が個人的に発言するのであれば何を言っても構わないと思うが、日本政府はUFOはいると考えているのか、それともいないと考えているのかは現在でも明らかにしていない。であれば、アラスカでUFOを見たといった機長を処分できる根拠はない。

 

  • 本来は報告すべき

 私は今からでも、当該機長に政府は謝罪して当時の処分を撤回すべきであると考えているそもそもUFOとは「未確認飛行物体」の略で、宇宙人が乗り物に乗って地球にやってくることだけを意味するものではない。なにか不思議な形をしたものなら、どんなものでもUFOなのである。パイロットはそのような物体を見たとき、たとえば演習中の戦闘機が太陽やほかの光との反射などの影響によって変わった形の物体に見えても、本来は報告すべきであろう。それは、場合によってはニアミス事故にもなりかねないからだ。

 

 しかし、現在の航空法にはそのような規定もないどころか、報告すると精神異常とみなされかねない。これでは今後、誰も実際に見ても報告するわけがない。実際、この一件以来、少なくとも日本航空JAL)のパイロットの間では、「仮にUFOらしきものを見ても絶対に口に出してはならない」とのコンセンサス(合意)がある。言ったら最後、乗務停止になるかもしれないからだ。

 ちなみにアラスカでの一件は、のちにある民放のテレビ特番として放映され、科学の専門家たちによる検証も行われた。その結果、当時の気象状態、太陽の位置、それに飛行経路やほかの飛行機の運行状況などを併せて分析すれば、当該JAL機の影が乱反射して、あたかも明るい飛行物体がまとわりついてくるように見えることが判明した。

 

 だが、この特番でテレビ局の出した推定原因も、ひとつの仮説にすぎない。真相は今もって謎のままである。

(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)

 

 

  

『すべては宇宙の采配』

木村秋則   東邦出版 2013/5/24

 

 

 

この世界で、人間が理解できること、理解していることなんて、ほんのわずかに過ぎないと

・わたしは、不可能だといわれた無農薬・無肥料のりんごの栽培をなんとか成功させました。そのときに、世間で理解されているものほど当てにならないことを知りました。

 

・わたしの畑に1立方センチメートルあたり30億個いるといわれるバクテリアは、顕微鏡を使ってもその全貌を知ることは不可能です。

 

マンダラ

・会場から外に出て、主催者のひとりに早速尋ねてみました。

 すると、わたしが扉を開けて宴会場に入ってくると同時に、白くて大きな発行体が一緒にぷわーっと入ってきたらしいのです。そして、わたしが歩く速度でついていったというのです。

 その関係者は「見えた」といいましたが、すぐ隣りに座っていたもうひとりの関係者は「見えなかった」といいました。やはりだれにでも見えたわけではなかったようですが、「見えた」人が何人もいたのは、会場の至るところでばらばらと同時多発的にざわつきはじめたことから明らかです。

 

・果たして、現像から戻ってきた写真はしっかりと白い発行体が写っていました。最初は「人魂じゃないのかな」と思いましたが、スキャニングしてデータをパソコンに取り込み、その部分を拡大していくと、白いなかに、なにかぼんやりと見えてきたのです。

 それはなんと……曼荼羅でした。

 胡坐をかいて手を下で組んでいる仏像のようなものが6体ほど、丸く配置されている様子がおぼろげながらに見えたのです。

 調べてみると、曼荼羅とは、「仏教(特に密教)の経典の内容を仏画に置き換えたもの」もしくは、「宇宙における根本原理を具体的にしたもの」

 なぜこんなものがわたしの側で浮いていたのか、いまでもわかりませんが、わたしはこういった不思議な現象と非常に縁のある人生を歩んできたのです。

 

初めて見たUFO

・その場にはわたしを入れて9人いましたが、全員見ています。幽霊は見られる人と見られない人がいますが、UFOはそうではないようで、全員が全員、目撃しているのです。

 UFOはゆっくりと、うちの屋根の上を横切るようにして通りすぎ、やがてどこともなくフッと消えてしまいました。

 

・これを皮切りに、わたしたち家族は何度もUFOを目撃することになりました。毎回目撃場所は一緒です。うちはUFOの航路上にあるようです。目撃が続く時期は、「晴れた日の午後7時前後には必ず見る」というくらいでした。

 

・当時は「岩木山からUFOらしき物体が飛んでいるのを見た」という目撃情報が相次ぎ、新聞にも載るほど話題になっていました。

 わたしにとってUFOは、「信じるか、信じないか」という存在ではありません。「絶対にいる」としかいいようがないのです。それは女房もわかっています。

 そもそも津軽は神秘的な土地柄で、日本最古の文字といわれる『津軽草文字=つがるくさもじ』、幻の中世都市である『十三湊=とさみなと』、奇書といわれる『東日流外三郡誌=つがるそとさんぐんし』など、興味の尽きない地域なのです。

 

運転手

・もうひとつのトラブルは、ちょっと不思議な出来事です。

 大型トラックは真夜中にひとりで走ることが多いためか、運転手のあいだでは常識では考えられない話……たとえば幽霊を見たという類の話は日常茶飯事、当たり前のように話されていました。

 霊感などないわたしですが、「いて当たり前」の世界に翻弄されたことがあります。

 

・「だったら、ほら、お前の車、ここから見てみろよ」

 そういわれて自分の車を振り返って、思わず声が出ました。「わッ………なんだ。あれ!」

 助手席には、なにやら得体の知れない、青白い巨大な三角おにぎりのようなものが座っていました。見間違いかと思って何度か目をしばたかせて確認しましたが、三角おにぎりは消えることはありません。怖いというより、ワケがわからないという感じです。運ちゃんとて知るはずもありませんが、ふたりの目にヘンなものが映っていることは間違いないのです。

「なんにしてもよ、この先にドライブインがあるから、そこで降ろしたほうがいいよ」

 

・わたしには先ほど見た青白い三角おにぎり以外のものは見えませんでしたが、もしかしたら、最初に教えてくれた運転手さんも、ドライブインの店員さんも、それがちゃんとした幽霊のかたちに見えたようです

「実はきょうの午後8時ごろ、この先のバスのUターン所で、バスガイドさんがひかれて亡くなる事故があったんだ。あんた、そこ通らなかった?」

 

拉致

・深夜2時くらいだったでしょうか。2階でひとりで寝ていると、いつもは朝が来るまで起きないのに、なぜか目が覚めてしまいました。「あぁ、生放送のテレビ出演に緊張しているのかな?」などと思っていたときでした。背後の部屋の窓が突然パーッと開いたのです。

 ちゃんとロックしてあるアルミサッシでしたが、壊されることもなく、まるで気で操られたかのごとく、自動的に開いたのです。

 

・2階の窓の外は3メートル空中です。彼らはからだのどこを動かすでもなく、わたしを抱えたまま空中を移動して上空へと上がっていきました。

 だんだん小さくなる自宅を眺めていました。自分の家の屋根を見たのは初めてです。抱えられたまま高く上がっていくと、やがて夜の闇のなかに縦状の光が見えました。オレンジとも黄色とも違う暖かい色の光が縞模様になっていました。

「あぁ、あの光源に向かっているんだな」直感的に思いました。

「きっとそこにはUFOがあるんだろうなぁ………」 

次の瞬間、気がつくとベンチのようなものに座らされ、まぶしい光に包まれていました。再び気がついたときは、UFOであろうものの室内にいました。

 

・普通ならUFOに連れてこられただけでも失禁もので、不気味な宇宙人に観察されるなど卒倒ものですが、不思議と「逃げたい」とか「怖い」といった感情は湧いてきませんでした。

 

宇宙船の操縦席のようでした。そこでUFOの動力について教えてもらったのです「これは動力物質のスペアです。ほとんど取り替えることはないのですが、予備で用意しています」厚さ1センチ、一辺が20センチほどの三角形の黒くて硬い金属を渡してくれました。

 

・「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際につかわれているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」

「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。

 反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。

「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」

 こうもいっていました。

「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」

 

・彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。

 もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということだけです。

 

・見えたのは、たくさんの明かりでした。

 高層マンションや高層ホテルが作り出す夜景を、ビルごと横に倒したような景色でした。たくさんの明かりが横いっぱいに広がっているのが見えたのです。

 連れてこられた道のりを考えれば、UFOは弘前市の上空にあるはずですが、青森県にそのような夜景はありません。

 そもそもわたし以外の人間ふたりは白人です。窓の外の明かりを眺めながら、「地球外の土地」に思いを馳せていました。

 

・帰りは、来たときと同様に断片的な記憶しかありません。気がついたら宇宙人のふたり組に両脇を抱えられ、自宅2階の窓の外にいました。部屋には彼らと一緒にスーッと入りましたが、気がつくといなくなっていました。

 

・『ズームイン朝』の中継はわたしの畑から行われ、生放送は無事終わり、無農薬栽培のアドバイザーとしての役目を果たすことができました。

 ホッとしていると、生中継が終ってすぐに『日本UFO研究会』と名乗る人たちが畑にやってきました。別にわたしの身に起こったことを調査しにきたわけではありません。

 彼らの情報網がどうなっているのかはわかりませんが、わたしの畑の周辺が観測に適していると思ったのでしょう。「2日間くらいの予定で調査を始める」といい、パラボラアンテナを載せた車、電源車、普通車と、合計3代を畑の横の小高い場所に停めました。

 

共鳴

・去年、畑の見学ツアーに50人くらいの団体さんが来ました。なかに背の低い外国人女性がいました。通訳の人がいるわけではないので、「英語で話しかけられたらどうしようか」と思っていると、近づいてきて、おもむろに日本語で話しはじめました。「わたしもUFOを見ました」

「はい?」

 白人女性からいきなり日本語でUFOの話をされるなど思ってもみませんでしたので目を丸くしていると、彼女はわたしの驚きを気にすることもなく話しつづけました。

「『奇跡のりんご』を読んで来たのです。UFOのことが書いてありましたよね。著者の石川さんは幻想を見たんだろうと書かれていますが、それは違うと思うんです」

彼女はりんご畑を見に来たんだろうと書かれていますが、それは違うと思うんです」

 

・「(白人女性の)母はヒュンヒュ~ンという音と、パシッパシッという音に気づいて、以前のわたしと同じように、『うるさいわねぇ』とばかりに、リビングのカーテンを開けて音の正体を確かめにいきました。止める間はありませんでした。そこで見たのは、やはり窓の外に浮いているUFOと、玄関前に立っている宇宙人の姿です。母は腰を抜かしそうになり、『こんな怖いところは早く売って引っ越しなさい!』といいました。

 そういえば……と気づきました。たしかに怖いのですが、よく考えたら一切危害を加えてこないのです。何度も来ているのに、玄関の戸を破って家に侵入してきたり、窓を壊して入ってくるわけでもありません。一体なんの目的で来るのでしょう?わたしが怖れをなくすのを待っているのか、それともほかに想像もつかないような目的があるのでしょうか………」

 

 

 

奇跡のリンゴ』 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

石川拓治 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」

幻冬舎    2011/4/12

 

 

 

宇宙人に会った話

・木村が酔って気分が良くなると、決まってする不思議な話がある。

宇宙人に会った話だ。

 

・「あれはさ、まだ軽トラックを売る前だから、無農薬栽培を始めて2年とか3年目くらいのことだ。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。夕方、何時頃かな、もうあたりは薄暗くなっていた。畑仕事が終わって、家に帰ろうと思って、軽トラの運転席に座ったの。そしたら、目の前に人が立っている。妙な人だった。全身が銀色に光っていて目も鼻も見えないのな。その銀色の人が、フロントガラス越しに、じっとこっちを覗き込んでいる。私、動けなくなってしまってな。目だけ動かして、何をするつもりだろうと思って見ていたら、なんと私のリンゴ畑に入っていくんだ。葉っぱが落ちて、荒れ放題の畑にな。それでさ、ものすごいスピードで畑の中を走り回っているんだよ。それから、ふっと消えたのな。いったい今のは何だったんだと、その時は首を傾げるばかりであったんだけどな。

 

・しばらくして、今度は夜中だ。夜中に起き出して、布団の横に座って、考え事をしていたときのことだ。寝床は二階にあるんだけどもな、カーテンが揺れて窓が開いたのな。そこから、人が二人入ってきた。小さくて、影のように真っ黒な人であった。その二人が私の両腕をつかんでさ、その開いた窓から外に出るの。気がついたら、空中に浮かんでいるのよ。下を見たら、家の屋根が見えた。黒い人たちは、何も言わない。私は二人に腕をつかまれたまま、どんどん上昇していった。空のかなり高いところに、ものすごく大きな宇宙船のようなものが浮かんでいてな、私はその中に連れ込まれたの。連れ込まれたのは、私だけじゃなかった。先客が二人いたのな。一人は若い白人の女の人、もう一人は白人の男だった。頭は角刈りでさ、なんか軍人のような感じであったな。しばらくそこに座らされていたんだけれど、そのうち一人ずつどこかへ連れていかれた。最初は女の人、それから軍人風の男、最後が私であった。

 

・歩いていくと、二人は平らな台のようなものにそれぞれ寝かされているのな。裸にされてよ。どういうわけか、逃げようとか、抵抗しようという気は起きなかった。ただ、私も裸にされるんだなと思いながら歩いていったの。ところが私は服を脱がされなかった。宇宙船の操縦室のようなところに連れていかれたの。操縦室といっても、計器のようなものは見あたらなかったな。そこで、どういう風にしてこの宇宙船が飛んでいるかを教えてくれてな。宇宙船の動力源だという、黒っぽい物質を見せてくれた。これで、空中に浮かぶんだとな。

 

・それから別の部屋に連れていかれた。そこには黒い人ではなくて、昔のギリシャの哲学者の……ソクラテスみたいな人がいた。大きな板が何枚もあってさ、それをこっちからこっちへ移動させろと言うんだ。よく見たら、地球のカレンダーなのな。一枚が一年。過去のカレンダーではないよ、未来のカレンダー。何枚あるんだろうと思って、数えてみたんだけどもよ……」

 何枚あったかは、いつも教えてくれない。そうたくさんはなかったと言う。

 

ユングに言わせれば、空飛ぶ円盤は全体性の象徴ということになる。大きな困難に陥って自分を取り戻そうともがいているときに、現代人が見る典型的な幻視のひとつだ。中世の人々なら神を見た。神を信じられなくなった現代人は、そのかわりに空飛ぶ円盤を見るというわけだ。地上は現実の象徴であり、宇宙からやって来る何者かはその現実からの救いを意味する。ある意味では現実逃避なのだろうけれど、その何者かが円盤であることに重要な意味がある。困難に突き当たって分裂した自我は、再びひとつの完全な姿に戻ろうとする。円形や球体はその統一された完全な自我の象徴なのだ。何年もリンゴ栽培に失敗し続け、追い詰められて脳味噌が二つに割れそうなくらい混乱していた木村が、空飛ぶ円盤の幻を見たとしてもそれほど不思議ではない。

 

 もっとも、酔っている木村は、そういう現実的な解釈で自分の話が片付けられそうになると、とっておきのオチを持ち出して対抗する。

 

・「何年か経ってから、家でテレビを見ていたのよ。よくあるでしょう、『空飛ぶ円盤は実在する』みたいなよ、UFOの特集番組だ。その中に、宇宙人に連れ去られたという人が出てきた。それがさ、あの白人の女の人だったの。女房も一緒に見ていたんだけれど、驚いていたよ。私と同じ話をするんだもの。円盤の中には自分以外にも二人の地球人がいた、一人は軍人のような男で、もう一人は眼鏡をかけた東洋人だったって。それ、私のことでないかってな。あははは、あの時はさすがの私もびっくりしたよ」

 

・妻の美千子に、その話を確かめたことはない。困らせることになるのは、わかりきっているからだ。木村にしても、その話をするのは、酒を飲んだときに決まっている。

 だから、もちろんそれは木村のファンタジーなのだ。

 

・円盤とリンゴは何の関係もないようだけれど、木村の無意識の中ではおそらく深いつながりがある。円盤も無農薬のリンゴも、不可能の象徴なのだ。誰もがそんなものは幻だと言う。その円盤に乗ったということは、木村が不可能を克服するということだ。無農薬のリンゴは完成し、そして木村は完全な自己を取り戻す。

不可能を可能性にすること。

無農薬でリンゴを栽培することに、木村の全存在がかかっていたのだ。

 

りんご農家が病害虫の駆除に膨大な手間と時間をかけている

・しかし、その農家・木村さんの作るりんごは、農薬どころか有機肥料も一切使わず、そして「腐らない」といいます。いったいどんな秘密があるというのでしょうか。

 

・木村さんの無農薬でのりんご作りには、8年にも及ぶ試行錯誤の末に辿り着いた、独自のノウハウがありました。それでも木村さんは、相変わらずこう言いました。

 

「私、バカだからさ、いつかはできるんじゃないかって、ただイノシシみたいに突き進んだのさ」

 

奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

・リンゴ農家の人々にとって、美しい畑を作ることは、豊かな実りを得るために欠かせないというだけでなく、おそらくはある種の道徳ですらあるのだ。

 そういう意味でも、そのリンゴの畑の主が、カマドケシという津軽弁の最悪の渾名で呼ばれているのは、仕方のないことだったかもしれない。

 

・なぜ、そんなに荒れているのか。

近所の農家で、理由を知らぬ者はいない。

農薬を散布しないからだ。

この6年間というもの、畑の主はリンゴ畑に一滴の農薬も散布していない。当然のことながら、リンゴの木は病気と害虫に冒され、春先に芽吹いた葉の大半が、夏になる前に落ちてしまう。おかげで、この何年かは花も咲かなくなった。

 

・今日は朝からずっとリンゴの木の下で、腕枕をして寝ていた。

カマドケシは、竈消しだ。一家の生活の中心である竈を消すとは、つまり家を潰し家族を路頭に迷わせるということ。農家にとってこれ以上の侮蔑はないのだが、その男にはいかにも相応しい悪口だった。

 いや、男が畑に座り込んだり寝たりして、ほんとうは何をしているか知ったら、カマドケシどころか、ついに頭がおかしくなったと思ったかもしれない。

 男は眠っていたわけではない。夏の強い日差しの下で、生い繁った雑草から立ち上がる青臭い匂いに包まれながら、リンゴの葉を食べる害虫を見ていた。

 

・リンゴの木を荒らす害虫を数え上げればきりがない。

春先の新葉や花芽を喰うトビハマキやミダレカクモンハマキなどのいわゆるハマキムシ類に始まって、葉を食べるシャクトリムシに、アブラムシ、ハダニ、果実を冒すシンクイムシにカイガラムシ……。代表的な種に限っても、30種類は下らないと言われている。

 

・農薬を使わずにリンゴを育てる。簡単に言えば、それが男の夢だった。少なくともその時代、実現は100%不可能と考えられていた夢である。

 

・リンゴの無農薬栽培などという難題に取り組んだおかげで、木村の一家が長年にわたってひどい窮乏生活を強いられたという話は聞いていた。けれど、それはもう10年以上も昔のことだ。

 現在は新聞やテレビでも取り上げられるくらい有名な人で、全国には彼の信奉者がたくさんいる。国内だけでなく、外国にまで農業を教えに行ったりもしているのだ。

 

・木村の人生がNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で紹介されたのが、その12月の初めのことだった。

 

木村が狂ったひとつのものとは、いうまでもなくリンゴの無農薬栽培だ。今現在ですら、それは不可能だという専門家は少なくない。農薬を使わなければ、リンゴを収穫することは出来ない。現実のリンゴ栽培を知る人にとって、それは常識以前の問題なのだ。

 

実を言えば、現在我々が食べているリンゴのほとんどすべてが、農薬が使われるようになってからから開発された品種だ。つまり、農薬を前提に品種改良された品種なのだ。

 

・リンゴという果物は、農薬に深く依存した、現代農業の象徴的存在なのだ。

 もっとも、そんな理屈を持ち出すまでもなく、リンゴを作っている農家なら誰でも、農薬の散布を怠れば畑がどれだけ簡単に病虫害の餌食になるか身をもって知っている。農薬を使っていても、その散布時期や方法を誤れば病害虫は発生するのだ。

 

・けれど、涙ぐましいまでの努力でなんとか持ちこたえた青森県のリンゴの畑も、明治40年代にはモニリア病と褐斑病というリンゴの病気の相次ぐ蔓延によって、今度こそ壊滅の危機に瀕することになる。とりわけ明治44年の褐斑病の激発ではリンゴの葉が早い時期に落葉したため、翌年の春先になってもリンゴの花が咲かず2年連続の大不作となった。

 

・この絶対絶命の危機を救ったのが、農薬だった。

記録によれば、日本のリンゴ栽培史上、初めて農薬が使われたのは明治44年。褐斑病の流行で、青森県のリンゴ畑が壊滅的害を受けた年のことだった。

 

・褐斑病で全滅しかけていたリンゴの木が息を吹き返すのを目の当たりにして、リンゴ農家は先を競って農薬を導入するようになる。ぺニシリンが結核という恐ろしい病を撲滅したように、手の施しようがなかったリンゴの病気を農薬が駆逐したのだ。

 

 病虫害という自然の脅威に対抗する手段を手に入れ、農家の人々はようやく安定したリンゴの栽培ができるようになったのだ。

 農薬がなければ、青森県でもリンゴ栽培が終息してしまっていたに違いない。

 

明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村と同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だった。

 

・1991年の秋に青森県を台風が直撃して、リンゴ農家が壊滅的な被害を受けたことがある。大半のリンゴが落果しただけでなく、リンゴの木そのものが嵐で倒れるという被害まで被った。県内のリンゴの被害額だけでも742億円にのぼる。ところが、木村の畑の被害はきわめて軽かった。他の畑からリンゴの木が吹き飛ばされて来たほど強い風を受けたのに、8割以上のリンゴの果実が枝に残っていたのだ。リンゴの木は揺るぎもしなかった。根が不通のリンゴの木の何倍も長く密に張っていたというだけでなく、木村のリンゴは実と枝をつなぐ軸が他のものよりずっと太くて丈夫に育っていたのだ。

 

・NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の収録のスタジオで、木村秋則さんにお目にかかったその日。住み慣れた「文明」というものを覆っていた厚い天蓋が外れ、どこまでも広がる深い青空が露わになった。

 

・あれから1年半。ノンフィクション・ライターの石川拓治さんが、木村秋則さんの人生を取材して1冊の本にまとめて下さった。頁をめくると、木村さんとお話しして得たすばらしい感触がよみがえってくるとともに、まだまだ知らなかった木村さんの側面をも知るよろこびに包まれる。

  不可能とも言われた無農薬、無肥料でのリンゴ栽培。その実現に向けて苦闘してきた木村秋則さんの人生は、まるで一篇のドラマを見るようである。