『フランスの神話と伝承』
篠田知和基 勉誠出版 2018/5/31
<フランス神話>
<隠された神々の恐ろしさ>
・ゲルマンの一支族フランク族がフランク王国をたてたとき、そこにはケルト系のガリア人がすみついていた。ローマの駐屯軍の兵士たちもいた。
ガリアには大陸ケルトの神話があり、その後やってきたフランク族にはゲルマン神話が、ローマ人にはローマ神話があった。フランク王国はやがてフランスになり、ガリアとゲルマンとローマの融合したフランスの神話をうちたて、いまに伝えている。融合文化である。といってもそこでいう「フランス神話」などというものがあるのだろうかと思う人は少なくない。
神話をもたない民族はない。フランスにだって神話がある。
・フランス神話は美しい女神の世界である。メリュジーヌをはじめとする女神や妖精たちが、フランスほど活躍するところはない。女神は本当はおそろしい。
・しかし、おそろしい女神こそ神の真のすがただったのではあるまいか。神一般がおそろしい存在であり、敬虔なおもいをもって厳格な儀礼をふまえて祀らなければ祟りをなすものだった。フランスでも民俗の世界の巨人や怪物は、魔女や妖精とおなじく、おそろしい神の文化的なすがただった。
神のもたらす畏怖の感情をフランス人はうつくしい女神、滑稽な巨人、あるいはトリックスターとしての狐などにうつしかえて「フランス神話」を構築したのである。
<古いフランスの神々>
・クローヴィスがキリスト教に改宗するまではドルイド教とオリエントの神々をまじえたローマの神々の信仰が中心だった。ドルイド教にはふつう神殿はなかった。
トゥタテス……マルスに相当、軍神
エズス………豊穣の神、
ディス・パテール……冥界神、祖霊神
スケルスス……鍛冶神
リガニ……アテナ=ミネルヴァに相当
エポナ……馬女神
ケルヌンノス……鹿神、動物たちの主
これら大陸ケルトの神々についてはデンマークのゴネストルップから出土した儀礼用の大鍋のレリーフをいかに読みとくかがカギになる。
<蛇神を抑えるユピテル>
・ガリアの神々についてはカエサルの『ガリア戦記』、ルカノスの『ファルサロス』、ズイッカー『ケルトの宗教の歴史』などに断片的な記述がみられる。アットの『ガリアの神々』に紹介されたそれらのテクストによるとガリア人はみなディス・パテール(祖神)の子孫であるといい、メルクリウスをもっとも信奉しており、それに続いてはアポロン、マルス、ユピテル、ミネルヴァを崇拝する。アポロンは病気を遠ざける神として、ミネルヴァは各種の職人的技芸の神として信奉している。トゥタテスやエズスには人見御供をささげる。トゥタテスはメルクリウスと同一視され、これにささげる人身御供は水をたたえた桶の中に頭をつっこんで殺す。
・アットによれば、「ガリア人は主としてメルクリウスを信奉する」といったカエサルは、その情報をイタリア人商人からえたに違いないという。それに対してルカノスの情報源は当時のローマ支配に抵抗していたガリアの支配層だったとする。
タラニスはディス・パテールとして地獄の神であるとともにマルスとしての戦神であり、ユピテルとしての至高神でもある。神話学者ランブレヒトなどの考えでは、ガリア人はこのタラニスを唯一神として信奉していたのが、だんだんと神々のあいだに機能分化をしていったということになる。
一方アットは比較神話学者デュメジルの三機能説にしたがって、タラニス、トゥタテス、エズスの三格がそれぞれ主権、軍事、生産を表わしていたと考える。そのほかの光の神ルーク(ベレノス)、鍛冶の神スケルルス、あるいは鹿神ケルヌンノスなどはそれぞれの機能に分与していったものと思われる。
そこに入らなかった女神のうち、ミネルヴァはガリアではリガニとよばれた。そのリガニがでてくる神話をアットは前述のようにゴネストルップの鍋から説き起こしている。
・なお光の神ルークをブレキリアンは「万能の神」とし、太陽神はベレノスとしている。またエズスを「破壊の神」としている。人によって解釈がさまざまなようである。
<ガロ・ローマの神々>
・ガリアに導入されたローマの神々をガロ・ローマ、あるいはガロ・ロマンの神々という。ただし、ローマの神々がすべて受け入れられたわけではなく、つぎにあげるようなおもな神々に限られており、それぞれの性格はかさなっていた。交易の神であるメルクリウスにも戦争の神の性格があたえられるといった具合であった。
ローマの神々
ユピテル……主神
マルス………軍神
アポロン……光の神 ベレノス
メルクリウス……交易神 トウタテスと習合 エズスとも習合
ディアーナ……月女神
ミネルヴァ……技芸神
・ローマの神々はガリアへはいって土地の女神たちとむすびあわされた。アポロンはシロナと、メルクリウスはロスメルタと、などである。女神信仰が強固に根づいていて、男神の絶対的権威をみとめなかったのである。これはキリスト教の導入においてもみられることだった。キリスト教の正規のおしえとは裏腹に、聖母マリア信仰がフランスでは盛行したのである。
ガリアの地でもっとも信仰されていたローマの神はメルクリウスだが、ローマの主神ユピテルもないがしろにされていたわけではなかった。ユピテルは鎧をきた軍神としてあらわされることが多く、馬にのって、地下の蛇神をふみつぶしている姿で柱頭の彫像にほられることが多かった。鎧を着た姿にしろ、騎馬のすがたにしろ、ギリシャでは考えられなかったが、ローマではすでに軍神化していたのだろう。地下の蛇神は下半身が蛇になった巨人で、ギガントマキア(巨人との戦い)の像としてもなじみのものだが、大地女神ガイアがうみだした怪物たちはみな蛇の下半身をもっていた。それが地下の神の性格をあらわしていたのである。
<ピレネの神々>
・ピレネにはピレーヌという乙女がいて、ヘラクレスが誘惑して捨てて行った。ピレーヌは蛇を生んだともいうし、ピレネ山脈を生んだともいう。
・バスクの主神はジャインコアといい、天空はオルツィ、太陽はエグツキ、大地はリール、月はアルギだった。そのうち太陽は「神の目」ともよばれた。太陽と月の母であるルールは地下にすんで死者の魂をうけいれている。そこにはまた地上の人間たちの行動をみまもっている精霊たちも住んでいる。タントゥグはスケルルスに似た存在である。
そのほかにピレネには一つ目の巨人タルタロや森の神バサ・ジョージがいる。バサ・ジョージが洞穴に宝物をかくしているという伝承がある。
・またフィエラ・マルヴァタというドラゴンもいる。ピレネの妖精はラムナとよばれた。そのほか、子鬼ではラミナックというものがいる。フランス各地にみられるガルガンチュアの痕跡がピレネにはみあたらない。そのかわりヘラクレスが通って行ったことになっているし、「ロランの歌」のロランが巨人伝説を形成している。
<スイス神話>
・スイスはケルト文明の揺籃の地であるが、ケルト神話はスイスには残っていない。ボルジョーとクリスタンジェによれば、最古の神話はおそらくベルンで発見された熊女神アルティオに関するものだろうという。
<白鳥の騎士(ゲルマン神話)>
・『六羽の白鳥』はグリムで名高い。6人兄弟が首の鎖をはずして水浴しているあいだに鎖をうばわれ、人間に戻れなくなった末娘がシャツをおりあげ、あるいは鎖を掛けてやって人間に戻す。ただそのうち一羽が、首の銀の鎖をとかされてしまったために白鳥のままとどまる。この白鳥が、兄の騎士をのせた舟をひくことになる話もグリムの『ドイツ伝説集』の『白鳥の騎士』に描かれる。しかしこれはフランスのブイヨン家の伝承でもある。
<巨人たち>
・いまの「フランス人」がどうやって形成されたのかはわからない。ケルト人とゲルマン系のフランク人、ローマ人および地中海人がまざりあっていたのだろう。
・コルシカから」やってきたナポレオンは短躯で有名だった。そのせいか、フランスの神話には巨人伝承が少なくない。小柄なフランス人が大柄な北欧人をうちまかす。あるいは巨人の横暴にいためつけられる。ピレネのバスク人は小柄ではないが、ここにも大男伝承がある。それに対しドイツでは小人伝承が多く、山の中で鉱物をほりだしているのが小人である。北欧でも小人がたくみな工芸の技術にひいでている。小人あるいは「小さな人」はフランス神話にも登場するが、かならずしも鉱山ではたらいていたり、金属加工にひいでているわけではない。
<ガルガンチュア>
・巨人王ガルガンチュアの物語としては、『巨人ガルガンチュアの偉大なる世にもすぐれた年代記』などと称する大衆本があり、1532年から33年にかけて8種類の刊本が残されているが、ということはおおもとの物語はそれをはるかにさかのぼる時代に民間伝承として語られていたものと思われる。
・それに対してこれに先行するその他の『年代記』では、まずガルガンチュアの誕生は魔術師メルランの仕事とされており、ガルガンチュアの前にはその両親グラングージエとガルメルをクジラの骨をくだいて作ったことになっている。
<ガルガンチュアとドラゴン>
・ラブレーではガルガンチュアの子パンタグリュエルも似たような巨人であるが、民衆本にも民間伝承にもパンタグリュエルはあらわれない。
<人食い鬼・青髭、小人>
・親指小僧の物語にでてくる人食い鬼は巨体である。さらに千里靴などをはいていて一足で千里をまたぐという。ただしどちらかというと大男、総身に知恵がまわりかねというところがあり、簡単に親指小僧にだまされてしまう。
ペローの親指小僧はその名前に反してかならずしも小人ではなかった。
・それに対して、青髭は体躯こそ人並みで、巨人ではないが、悪知恵の働き方は人並み以上だったようだ。彼が7人の女と結婚してつぎつぎに奥さんを殺して禁じられた部屋に吊るしていたのは、結婚に満足できなかったからだろう。
・巨人がいれば小人もいる。ゲルマン神話ほど顕著ではないが、妖精族のなかでも男の妖精はおおむね小柄で「小さな人」ともよばれる。ゲルマン世界のように鉱山ではたらいてはいないし、工芸にたくみだというわけでもないが、金貨をたくさんもっていて、年に一度虫干しをする。
<巨馬バヤール>
・エモンの4人兄弟は巨大な馬バヤールにのっていた。ガルガンチュアの乗馬も彼の体躯にあわせた巨大な馬だったが、バヤールも4人兄弟を同時にのせられるだけの寸法をもっていた。
・アンリ・ドンタンヴィルの『フランス神話学』はシチリアのディオドロスの説として、ヘラクレスがガリアへやってきてアレジアの町をたて、土地の女とまじわってガラテースという男子を産んだ。この男子がやがて長じて勇猛な戦士となり、国々を平定してガラティアの国をたてた、これがガリアの初めであるとしている。
<蛇女神>
・考古学者のギンブタスによれば、古ヨーロッパでは蛇や鳥の女神が信仰されていた。なかでもメリュジーヌはもっとも大いなる力をもった蛇女神であったと思われる。蛇女神としてはヴイーヴルというものもいるが、水の女神、海の女神としてはそれぞれ半人半魚の女神がいただろう。
ピレネのふもとのオオの村で発見された女神は陰部から蛇が這いだして乳房にすいついているが、蛇型の怪物をうむ大地女神ガイアの眷属のひとりと目される。蛇を生み出し、授乳している女神なのである。からだに蛇をまきつけた土偶も発見されている。なお今日でも蛇信仰の祭りが残っているのだが、イタリアの山中の村コクッロで、毎年5月の第1木曜に蛇まつりがおこなわれ、人々があらそって蛇を抱きしめたり、接吻したりしている。
<メリュジーヌ>
・メリュジーヌとリュジニ家の物語では1393年にジャン・ダラスが散文で書き、その後、クードレットが韻文になおしたものが、現存の資料としては最初である。
・ガルガンチュアもヴァージョンによってはアヴァロンにいったことになるが、彼もメリュジーヌもアーサー王伝説に関係づけることで真実性が主張されたのだろう。
・プレシーヌはアルバニア(スコットランド)の王エリナスと結ばれたが、子を産むときにその様子をのぞいてはいけなかった。しかし王が約束にそむいて産褥のプレシーヌをみたので、アヴァロンの島へ去ったのである。ここでいうアルバニアはバルカン半島のアルバニアではなく、スコットランドをさすと思われる。またアヴァロンもどこにあるかわからず、島であるか、山であるかもわからないが、クードレットは、メリュジーヌの息子のジョフロアが巨人退治をして、祖父の墓をみつけたノーザンバーランドの山を「アヴァロン」と言っている。
・ブルゴーニュ地方の話では、メリュジーヌが姿を隠すのは週一回ではなく、年一回となっている。その日に蛇の姿をみられたメリュジーヌは井戸にとびこんで死んでしまう。しかし彼女の復讐はそのあとにやってくる。夫は「おそろしい罰をうけた」。
<ヴイーヴル>
・蛇女の民間伝承版はヴイーヴルという。額にザクロ石の冠をかぶっており、湖で水浴するときにはそれを岸辺においてゆく。これをとってゆくものがあると森中のマムシがたちあがってその泥棒を責め殺す。マムシの女王のほうはその間、ゆっくりと裸になって水浴をしている。もちろん美しい女の姿である。
・フランスの蛇妖精ではサンドが報告しているコカトリックスがある。ドラゴンと鶏のあいの子のバジリクスと同じような蛇型の妖怪で、子蛇としてあらわれるが、ちょっと目をはなすと巨大なドラゴンになる。
グリムの『ドイツ伝説集』にある「蛇の女王」は、病気でぐったりしている蛇に牛乳を飲ませたところ元気になり、のちにその娘が結婚したとき、やってきて、金の冠をあたえて去って行った。
<水の精>
・ドイツには水の精ローレライやニックス、そしてウンディーネがいる。これはフランスではオンディーヌという。ドイツのウンディーヌはフランスの水の精と同じく、夫に罵倒されてはならない。また、夫がほかの女を愛したら殺さなければならない。
<イスの町>
・ブルターニュの海辺に海面よりひくいイスの町があった。町は沖をゆく船を遭難させてその財宝をうばうといった邪な行いによって富み栄えた。それとともに人々の性格もゆがみ、風俗は奢侈にながれ、悪徳がはびこった。神がそれを罰しようとして洪水を送った。あるいは王女を悪魔が誘惑して堤防の水門の鍵をうばって町を水没させた。
・村や町がひとつ、そっくりなくなるとか、人っ子ひとりいない廃村になるということは、ヨーロッパでは珍しくなかった。あるときは全国の人口の3分の1が死んだというペストの大流行もあった。火山の近くでは噴火でほろびた村もあった。戦火のたえまない時代には村民がひとり残らず虐殺され、財産が略奪されたこともあった。洪水で水の底に沈んだ村もあれば、地震で崩壊した村もあった。
コルシカの内陸部をあるいたときは、じりじりとてりつける炎天下、猫の子一匹いない廃村を通りぬけたこともあった。
<異類婚説話>
・中世文学者のロランス・アルフ=ランクネールはメリュジーヌをトヨタマヒメと比較しているが、ピエール・ガレーは日本の昔話でも、鶴女房、魚女房など、異類婚説話一般と比較する。いずれも問題で、トヨタマヒメと比較するよりミャンマーのクン=アイ説話や、朝鮮の作帝建の妃の話と比較したほうがいいし、鶴女房は報恩譚で、メリュジーヌは女神が騎士を助ける話だから、妖精、あるいは異類女房がやってくるための動機がことなる。しかし、「見るな」の禁についてみれば、いずれも同類だし、大きくわければ異類婚説話であることはまちがいない。また一族の始祖を神といえども蛇という異類にもとめる話はたとえばイギリスではあまりきかないようで、日本の類話がメリュジーヌ譚と比較されるのはあるていど理解できないことはない。日本では蛇女房も蛇婿も珍しくない。リュジニャン家は蛇女神を迎えて、異能の子どもたちを得、栄枯盛衰をくりかえしながらもそれなりに栄えた。日本でいえば竜宮の龍女をむかえて皇統を確立したことに相当し、あるいは緒方、小泉、五十嵐など熊本、長野や新潟の豪族が蛇との婚姻で武勇にすぐれた子孫をえた話ともつながっている。
フランスではほかに蛇息子や犬息子に嫁をもらう話があり、また鹿になった王女、白猫、蛙王子、「美女と野獣」など異類との婚姻を物語る話が少なくない。
・日本でも狐になってさってゆく女に狐でもいいから一緒にいてくれとたのむ話が、異類と分かった以上、一緒に暮らせないという話とともに存在する。猫が伊勢参りをして女になって戻ってきて、しあわせな夫婦になったという話もあり、数としては異類を排除するほうが多いとしても、本質的に人間と異類の境がはっきりしない文化が日本にあったことが想定されるのに対し、ヨーロッパでは異教徒や異端を排除する思想が堅固で異類としりながらしあわせな婚姻を続けることは例外のようにも思える。そのなかでは、魔法によって動物になっていた王子、王女を献身的な愛情で人間に戻してやって、すえながく一緒に暮らすというタイプが「美女と野獣」「鹿になった王女」のようにかなりな率であらわれるフランスはヨーロッパでは例外なのかもしれない。これは異教徒であれば、改宗させてから結婚することに相当する。
<フランスの妖精>
・メリュジーヌも蛇妖精だが、それよりは蛇女神とよぶのがふさわしい。鵞鳥女神はむしろ鵞鳥妖精というほうがふさわしい。女神であれ妖精であれ、どんな姿にも自由になれるはずである。しかし家々をまわってあるく豊穣の妖精はまずしい乞食に扮する以外は動物にはならない。また、中世の騎士物語の妖精たちは美しい姿であらわれるだけで、蛇にも鵞鳥にも変わらない。むしろ昔話で王女が鹿や猫や蛙になってあらわれる。魔法使いによって動物に変えられるのだ。こういった話を『妖精物語』という。
<鵞鳥妖精>
・民間伝承では「鵞鳥妖精」の話が語られる。山中の洞穴に迷い込んだ牧童がそこで美しい妖精にあい、愛をめぐまれる。しかし、彼女が寝ているところを見てはいけなかった。ある日、妖精が昼寝をしているところを見ると、裾からでた脚が鵞鳥だった。見られたことを知った妖精は牧童をおいはらった。彼はその後、二度とそのしあわせな洞穴にたどりつくことはできなかった。
・鵞鳥妖精については、シバの女王も鵞鳥足だったといい、ディジョンの聖堂の聖人列像などに鵞鳥足のシバの女王像が残されていた。あるいは山羊の足だとか猿の足だったともいう。ソロモン王が床を鏡ではりつめてそこへ女王をまねいたのは女王の足を見るためだったという。
<妖怪>
<人狼>
・人間が獣に変身する話は、ゲルマン世界ではベルセルクル(熊男)である。日本では鍛冶屋の婆あるいは化け猫である。
<ドラック タラスク>
・ローヌ川に住んでいる妖怪をドラックという。川の妖怪だから河童のようなものである。一方、龍(ドラゴン)も住んでいる。この両者は名前からしてもわかるように様子は違っているにもかかわらず、近縁の妖怪である。スラブではドラゴンといっても「竜人(ズメイ)」と訳したりする妖怪で、人間の様子をしたものがいる。ほとんど「悪魔」と言ってもいいが、本性はドラゴンでもある。
・川底にドラックのすまいがある。海の底にも水妖の住まいがあるが、同じようなもので、一種の竜宮である。生活には何不自由もない。しかし一日中、日がささず、つめたい世界である。ドラックは親切にしてくれる。しかしそのあおざめた顔を見るとぞっとする。
<だいだら法師>
・ガルガンチュアといってもただの大男の話で、日本でもだいだら法師の話がある。メリュジーヌはトヨタマヒメの話だ。人狼の話はそもそもすでに一書にまとめたが、日本の鍛冶屋の婆の話だ。昔話が世界中で同じような話ばかりであるように、神話伝承でも似た話がいくらでもある。
・本書中でもなんども言ったように、となりのゲルマン族の伝承とはかなりに異なっているのである。あるいは反対の側のとなりであるイギリスにはドンタンヴィルも言うようにガルガンチュアもメリュジーヌもいない。イタリアもスペインも近いようで遠い。むしろ地球の反対側の日本あたりに似たような話があり、近いはずのゲルマンやアングロ・サクソンにはあまり同じ話がないともいえる。
『魔法使いの教科書』 神話と伝説と物語
オーブリー・シャーマン 原書房 2019/10/25
<魔法使い>
・魅惑的な物語や神話、不思議な話の中心には必ず魔法使いがいる。光と影のはざまで魔法使いはその不思議な力を発揮し、自身の周囲に真実を作り上げる。遠い昔、わたしたちの祖先が火のまわりに腰をおろして語り合っていた頃も、コンピュータで特殊効果を作り出す現代においても、魔法使いがわたしたちを魅惑する点は変わらない。
本書は魔法使いと魔法の世界を探求する。不思議と善と悪に満ちた世界。マーリンやニコラ・フラメル、ハリー・ドレスデンといった偉大な英雄が存在し、またサルマンやキルケー、バーバ・ヤガーなど恐ろしい悪者がいる世界だ。
・小説や映画といったポップカルチャーに目を向ければ、人々がいかに魔法使いに胸躍らせているかがよくわかる。J・K・ローリングの作品が刊行されたときには、何千万人もの人々が書店へと急いだ。ハリー・ポッターという名の少年が自分が魔法使いであることを知り、当惑しながらもホグワーツ魔法魔術学校で学ぶ物語だ。映画もそうだ。サウロンや「ひとつの指輪」の力と戦う「灰色のガンダルフ」が登場する、ピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』。このシリーズを観ようと映画館へと足を運んだ観客は何百万人にものぼった。
<魔法使いとは?>
<魔法使いには、おせっかいをやくな、変貌自在でよくおこる>
・長くゆったりとした服を着て、先がとがった長い帽子をかぶった不思議な人物の絵があるとしよう。この人物は長杖や、短めの杖を手にしているかもしれない。長くて白いあごひげをたくわえ、年はとっているが力にあふれている。たいていの人は、この不思議な人物が魔法使いであることがすぐにわかるだろう。『ハリー・ポッター』シリーズでホグワーツ魔法魔術学校に入学する魔法使いたちは、魔法使いのローブと杖(先のとがった帽子については触れていないが、あとで購入するのだろう)を買う必要がある。またホグワーツの校長であるアルバス・ダンブルドアは、ここに書いた姿にまさにぴったりとあてはまる。
だが、魔法使いがみなこうした外見だというわけではない。背丈も体型も、年齢もさまざまだ。男性もいれば女性もいる。長いローブをまとっていることもあれば、ジーンズにTシャツの魔法使いもいる。
魔法使いについて重要なのは「外見」ではなく、その魔法使いが「なにをするか」だ。基本的に、魔法を使って現実を操作する者を魔法使いと呼ぶ。それが、魔法使いすべてに言えることである。
もちろん魔法使いといってもみな同じタイプというわけではなく、その能力のレベルも異なる。たとえば次のようなタイプの魔法使いがいる。
◆アデプト(魔術の達人) ◆神秘主義者
◆シャーマン ◆見習い魔術師
◆死霊術師(ネクロマンサー) ◆ソーサラー
◆占い師 ◆マグス
◆ヘッジ・ウィザード(魔法使いくずれ、似非魔術師)
◆アオーマタージスト(秘術師)
ここに錬金術師をくわえる人もいる。中世とルネサンス期において広く研究されていた錬金術は、卑金属を黄金に変える方法を求めるものだ。
<魔法使いの役割>
・さて、魔法使いはどのようなことをするのか?
それは、魔法使いのおかれた社会状況によって千差万別だ。原始社会における魔法使いとは、自分の体を介して――多くはトランス状態になって――不思議な力を発現させることのできる人物のことだった。
・こうした大昔の魔法使い(シャーマン)は、部族の人々が安定した生活を送るうえで大きな役割を担っていた。その魔術が十分な力をもつものであれば狩りはうまくいき、食料を確保できたのだ。シャーマンがトランス状態に入ってから壁画を描き、「別世界」の精霊と交信した、という説を唱える学者もいる。狩りの成功と獲物を授けてくれる精霊の言葉を、シャーマンが人々に伝えたというのだ。
◆魔法使いは不可思議な知恵を備え、その知恵の多くは呪文の本に書かれたり、何代にもわたって口伝えにされたりしている。このため、その時々の支配者に相談役として仕えている場合も多い。マーリンはアーサー王に伝え、ジョン・ディーはエリザベス1世の宮廷の相談役だった。またディヴィッド・エディングスの小説に登場する魔術師ベルガラスは、国の一大事にさいして多くの王や王子に助言を行なった。
◆魔法使いは強い能力をもつ英雄であり、弱者に襲いかかる敵と戦う場合にはとくに力を発揮する。『指輪物語 旅の仲間』では、カザド=ドゥームの橋の上で怪物バルログと対峙する力をもつのはガンダルフだけだ。「これはあんたたちがかないっこない敵だ」とガンダルフは旅の仲間に言う。
◆魔法使いは予言を行なえる。T・H・ホワイトの『永遠の王 アーサーの書』では、マーリンには未来が見える。彼は時をさかのぼって生きているからだ(つまりマーリンの過去が我々の未来だ)。メアリー・スチュアートの小説『水晶の洞窟』では、マーリンは「旧神」たちと交信することでロウソクの炎のなかに将来のできごとが見える。魔法使いがみなこれをできるわけではなく、また限定的なことしか予言できないものもいる。たとえば灰色のガンダルフは、中つ国のさまざまな場所で起こることが見え、できごとをある程度まで予言できるが、詳細にわかるわけではない。
◆魔法使いは呪文を唱えて、なにかを出現させることができる。CSルイスの『朝びらき丸東の海へ』では、魔法使いのコリアキンが魔法の力で、「朝びらき丸」の乗員に心のこもったごちそうを出す。アルバス・ダンブルドアも、ホグワーツの大広間で開かれた新入生の歓迎会で、生徒たちのために同じようなことをやってのけた。
こうした術はなにかと役に立つものばかりであるため、魔法使いはしばしば旅の先頭に立つことになる。
<魔法の暗黒面>
・魔法使いは、その力ゆえに暗黒面ももちあわせている。『指輪物語 旅の仲間』では、ガンダルフがフロド・バギンズに指輪の危険性を警告する場面がある。指輪をもてばガンダルフでさえも「冥王その人のようになる」と言うのだ。最初は善行のために指輪を手にしても、指輪がそれを捻じ曲げて、悪に変えてしまうことを知っているのだ。
・魔法使いにとって暗黒面に立つことの魅力とは、力――このため傲慢になることもある――を得て、つねに光と影のはざまに身をおくことにある。忘れてならないのは、当の魔法使いからすれば、自身は「悪ではない」という点だ。マーリンの強大な敵である魔術師モーガン・ル・フェイは、自分の母を操ってウーサー・ペンドラゴンと床をともにさせた――このためアーサーを宿した――魔法使いのマーリンを憎んでいる。彼女は異父弟であるアーサーと交わり、モードレッドを産み、モードレッドがアーサー王を殺すことになるのだが、彼女に言わせればそれは復讐なのだ。
ブォルデモートはハリー・ポッターの両親の命を奪った悪の魔法使いであり、シリーズ全巻を通して不気味な存在だが、それでも正義は我にありと思っている。魔法使いはふつうの人間であるマグルよりもすぐれていて、このため純血の魔法使いがマグルを治めるべきだというのがヴォルデモートの言い分だ。ヴォルデモート自身がマグルとの混血という事実は無視しているようだ。彼は、自分にはほかのどの魔法使いよりも才能があるということしか頭にない。だからもちろん、魔法界を治めるのは自分以外にないのである。
<マーリン 過去と未来の魔法使い>
・マーリンは穏やかに微笑した。
「………わしは、すべての人間が知恵を己のみに見出さんと努力し、他には求めんようにするのが神のご意志だと存じております。赤子は乳母から柔らかく噛んだ食べ物を与えられることがあっても、大人は自分のために知恵を飲んだり食べたりできると」
・もっとも有名な魔法使いと言えば、それはおそらくマーリンだ。彼の伝説をたどることで、わたしたちは多くの魔法使いに関するさまざまな物語に触れ、魔法使いの伝説がどのようにして生まれたかを知るのだ。
もちろんマーリンは、「アーサー王と円卓の騎士」という壮大な物語の一登場人物にすぎない。「ブリテンの話材」と言われることもあるこの伝説は、イギリスの国民的神話となっている。この伝説にかかわるとされる場所もいくつか実在する。コーンウォール州のティンタジェルはアーサー王の出生の地であり、サマセット州のグラストンベリーにはアーサー王とグィネヴィア妃が埋葬されていると言われる。グラストンベリーは、謎に包まれたアヴァロンの島だともされている。
<ジェフリー・オブ・モンマス>
・マーリンの物語は、1136年にジェフリー・オブ・モンマスが書いた『ブリタニア列王史』に登場するのがはじまりだ。印刷技術が誕生する以前の時代には、書物はすべて手で写し装飾を行なわなければならなかった。そうした時代の書である『ブリタニア列王史』が非常に多数――200冊を超える――現存していたことから、この書の人気の高さがうかがえる。
・ジェフリーの物語では、サクソン人と手を組もうとするブリテン王ヴォーティガンが塔を建てようとするが、何度建てても壁が崩壊する。ヴォーティガンは宮廷魔術師から、父親のいない少年を生贄にしなければ崩壊を止められないと教えられる。ヴォーティガンの兵士が見つけたその少年こそマーリンであり、彼らはマーリンを王のもとに連れてくる。しかしマーリンは、壁の土台の下では2匹のドラゴンが戦っており、それが壁が崩壊する原因なのだと王に言う。そしてその場でマーリンは、ブリテン島の先住民であるブリトン人が、侵略者のサクソン人に勝利するという予言を行なうのだ。
その直後、ローマ兵のアンブロシウス・アウレリアヌスとその弟のウーサーがイギリス海峡を越え、ヴォーティガンを戦闘で倒す。マーリンは
アンブロシウスの宮廷に仕え、その力を役立てた。アンブロシウス・アウレリアヌスがサクソン人に殺害された人々を悼む碑を建てたいと言うと、マーリンは、それにふさわしいのはアイルランドにある巨大な立石群だけだと助言する。強力な魔術を使ってマーリンはこの石をアイルランドから運び、積みなおして記念の碑とした。それが今日、ストーンヘンジと呼ぶものだ。
アンブロシウスが亡くなると、そのあとをウーサーが継ぐ。これ以降は、わたしたちにはなじみのある話だ。ウーサー王が、コーンウォール公の妻であるイグレインに恋をする。そして王の求めに応じ、マーリンはウーサーの姿をコーンウォール公に変え、イグレインはアーサーを宿すのだ。
ジェフリーの物語ではこの時点でマーリンについての記述はなくなり、石に突き刺さった剣や、のちにマーリンがアーサー王の統治にかかわることは一切でてこない。しかしジェフリーは『ブリタニア列王史』の1章分をすべてマーリンの予言にあて、この章がひとり歩きして、マーリンは予言者であるとの評価は確立したのである。
ジェフリーのラテン語による作品はウァースによってアングロ=ノルマン語に翻訳され、それからラヤモンによって中英語に訳された。この中英語版には、マーリンが宮廷に戻ってきてウーサー王に助言する場面があるのだが、それでも石に刺さった剣の記述はない。
<ロベール・ド・ボロン>
・フランスの詩人、ロベール・ド・ボロンが1200年頃に著した『メルラン』では、宮廷に仕える以前の、夢魔を父にもつというマーリンの生まれについて語られている。この作品では、マーリンの予言の能力は、母親が敬虔なキリスト教徒であったため神から賜ったものとされている。ボロン版のマーリンは、「巨人の舞踏」(ストーンヘンジ)をアイルランドからイングランドへと運ぶことにくわえ、カーライルに「円卓」を設置する(のちの伝説とは違い、ボロン版ではアーサー王ではなくウーサー王の統治期に円卓がおかれる)。
そしてようやく、石に突き刺さった剣の話が登場する。アーサーが王の子であり、王座の正統な継承者であることを証明するものだ。ド・ボロンは、マーリンをこうしたできごとの立役者として登場させている。
アーサーが王座についたあと、マーリンはアーサー王にエクスカリバーの剣を与え、アーサー王とその騎士たちの死を予言する。また、「聖杯」の探索や、トリスタンとイゾルデの恋愛といったできごと、さらには自身の死についても予見するのだ。マーリンの死はニネヴェという名の不実な若い女性がもたらすもので、ニネヴェは老魔法使いマーリンを誘惑して魔術を教わり、それを使ってマーリンを洞窟に閉じ込めて、巨石で入り口をふさいでしまう。
<トマス・マロリー>
・ボロンのマーリンから300年近くのち、ほぼ同じような物語が書かれた。英国人騎士のサー・トマス・マロリーによる『アーサー王の死』だ。この作品の人気が高いのは、ひとつには(15世紀には伝説の王についての物語が大きな人気を博していたのとは別に)、イングランドで、「活版印刷」という新しい技術で製作された書のひとつだったからだ。
マロリー作品のマーリンはド・ボロンのマーリンと似ているが、予言者という面はそれほど強調されていない。マロリーはニネヴェの名もニムエに変更した。マロリーはおもに、フランス語で書かれた5巻からなるロマンス『流布本サイクル』と、現代の学者が『頭韻詩アーサー王の死』、『八行連詩アーサー王の死』と呼ぶ英語の2作品を典拠とした。