日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

日本の河童は、丸い目をした毛のない猿のような薄気味悪い生き物で、手と足に水かきがついている。河童は河川や池の隠れ場所から跳び出し、獲物の尻の穴から血を吸うというぞっとするような習性をもつ。(6)

 

 

『図解近代魔術』 

(羽仁礼) (新紀元社)2005/10/6

 

 

 

地下世界アガルタ

<サンティーヴ=ダルヴェードル(1842-1909)>

・独自の政治体制を構想、古代アトランティスの先進文明や地下世界アガルタの存在を主張した。

 

・彼が構想したシナーキズムは、当時流行していたアナーキズムに対抗するために考えだされたもので、世界の秘密の指導者とテレパシーでコンタクトできる人間たちの秘密結社が国家を支配する体制のことである。彼によれば、薔薇十字団やテンプル騎士団もそうした秘密結社であった。このシナーキズムを構想する過程で、彼は古代アトランティスの先進文明や地下世界アガルタに住む世界の王者といった観念を取り入れている。さらに根源人種の存在やアーリア人至上主義など、ブラヴァツキーの神智学やナチス・ドイツに引き継がれた概念も含まれている。

 

地下世界アガルタと首都シャンバラ

中央アジアの地下に存在するという王国。首都シャンバラには、幾人もの副王と幾千人もの高僧を従えた世界の王ブライトマが住み、地表の人類とは比較にならない高度な科学技術を持つ。地上の世界とはいくつもの地下通路で連結され、チベットポタラ宮の地下にも入り口があると伝えられる。

 

 

 

『神仙道の本』  秘教玄学と幽冥界への参入

学研マーケティング   2007/3

 

 

 

<宮地堅盤(かきわ)〔水位〕(1852~1904) 自在に仙境に出入りした近代神仙道の大先達>

魂を飛ばして異界へ往来

・「仙人というものは、いわば人間界の変り種で、昔からめったに世にでない稀有の存在であるにもかかわらず、常磐・堅盤の父子二代相ついで、神仙の位を生前において得たことは、人類史上ほとんどその例を見ないであろう」

 

まさに宮地堅盤こそは、その実父常磐から教導された宮地神仙道の大成者であるだけでなく、近現代の神仙道史上、最大の巨星といっても過言ではない。

 10歳で父の指導のもと、肉体はそのままで魂だけで飛行するという脱魂法(後年は肉体も伴ったとされる)を修得し、高知の手箱山の神界に出入りしたのを手はじめに、神界の諸相をつぶさに見聞し、同時に人間界でも文武両道に励み、修行を積んだ。

 

・つまり、堅盤は脱魂法、あるいは肉身のままで数百回も幽真界に出入りしていたというのだ。

 堅盤の記録によれば、大山祗神のとりもちにより少彦名神(青真小童君)に面会を許され、さらに川丹先生こと玄丹大霊寿真(年齢は明治元年時に「2016歳」)と称する朝鮮の神仙界の大長老を紹介され、この両師を中心に、神界の秘事などの教示を受けたとしている。

 

・また堅盤の道号である水位という名も、22歳のころに少彦名神から名づけられたものだという。そもそも、堅盤は「謫仙」、つまり、神より特別な使命を受けて、本籍地の神仙界から人間界に流謫した仙人であったというのだ。

 

<神界の最高機密の大都へ>

・堅盤が自ら探求した幽冥界の様相を書きとめたものが、神仙道最高の書とされる『異境備忘録』である。神界・神仙界・天狗界など幽真界の情報がはしばしに織り込まれており、堅盤最大の功績はこの書を残したことだといわれるほどだ。

 

・堅盤は仙童寅吉ともいっしょに岩間山の杉山僧正に会い、各種の仙界へも飛行して出入りしたと書き残しているが、神仙界では寅吉より堅盤のほうが位が上であったという。

 

<全神界を包括する奇書『異境備忘録』>

・『異境備忘録』は、基本的には、先行文献としてあった平田篤胤の『仙境異聞』をふまえたうえで、道教的な神仙思想と日本の神道古神道などを有機的に結合する比類のない世界観を確立した根本原典となっている。堅盤の開示した神仙道は、神仙思想の本場中国の影響圏内から脱して、逆にそれを傘下に組み入れ、さらにインドに本拠がある仏仙界や西洋の神界などまでを従属させた画期的なものであった。

 つまり、堅盤ならではの《神国日本》ならぬ《神仙道日本》の宣言書だったのである。

 

・堅盤は、大病の時期を除き、ほぼ生涯にわたって健筆をふるった。その全著作は百数十冊とも二百冊ともいう。これを高さに概算すれば、10等身におよぶほどだったらしい。

 

・ちなみに、堅盤の著述や蔵書の多くは、戦前に、近代神道史学の先駆者・宮地直一東大教授を経由して高知県立図書館に寄贈された。その後、昭和20年に空襲で同図書館が被災したときに烏有に帰している。

 

 

 

『日本神仙伝』

不二龍彦)(学研) 2001/5

 

 

 

<宮地水位>

日本初の本格的「霊界探訪記」『異境備忘録』を著した宮地水位

シャンバラも含む幽界の多様性

・また、チベット密教で言う「シャンバラ」とおぼしき幽区についての記述もある。

シャンバラというのは、代々一人の王によって統治されてきたとされるヒマラヤ奥地の理想郷で、永遠の光の下、賢者だけの理想国家を築いていると伝承されている。この霊的な王国には、未来のいつの日か、邪悪な勢力を最終戦争によって打ち滅ぼすという神聖な使命があり、今もそのための活動を密かに行っているというのである。

 

今でこそ、広く知られるようになったシャンバラだが、水位の時代には、ごく一部の学者以外、その存在を知っているひとは皆無といってよかった。

 

ところが水位は、「西洋国のヒマラヤ山」に「中凹(なかぼこ)」の「支那上代」の神仙界があり、「山上は闇夜でも昼の如く」輝いていると、ちゃんと記述している。

しかも、この「支那上代の神仙界」がある山は、神仙界では「地軸」と呼ばれているらしく伝説の西王母(せいおうぼ)が住んでいるというのも、シャンバラ伝説と通いあうところがあって面白い。

 

 

 

『術』

綿谷雪   青蛙房  1964

 

 

 

<天狗飛切りの術と軽身の習練>

・仙界に出入りしたという紀州のモグリ医者島田幸庵の報告によれば、仙人界と天狗界は同じ系列の特別世界で、その階級は仙人界のほうは神仙、山人(やまびと)、異人(霊人)、山霊(やまのかみ)、山精(こだま)、木精(すだま)、鬼仙(おに)、山鬼(たかがみ)、境鳥(たかとり)、麒麟(ましか)、鳳凰(ながなきどり)、霊亀(おうかめ)と順次し、狗賓(くひん)のほうは大天狗、小天狗、木葉天狗、魔天狗、邪鬼の順であるが、両界通じていえば、大天狗は仙界で山人の階級に相当するという(-『幸庵仙界物語』)。

 

・もとより架空の観念的構成にすぎないが、しかし古来、仙人も天狗もいろいろと変わった型のものがあって、綜合的に考慮するとすれば、結局右のような組み立ては常識的といえるかも知れない。

 さすれば仙界・天狗界とも、上級者には超自然的な神仙型の飛翔を想像し、下級の者に鳥獣型の飛翔を想像するのは当然のことで、下ッ端の天狗は翼をもって飛ぶと考えられていました。

 

・では翼のない上等の天狗は、どのように飛翔したのか?私どもが、子供のころ聞いた話では、天狗は羽団扇をもっていて、それであおいでふわりふわりと翔ぶということでした。じつは羽団扇は飛ぶときの目標を定めるレーダー式のもので、下降するときには、方向舵の用をすると仙童寅吉は語っています。

 

・年代はよくわかりませんが、和歌山藩の餌差役で某という者が、鷹の餌にする小鳥をもとめて深山へ分け入り、小鳥網を張りました。知らず知らず殺生禁断の高野山の一部へ入りこんだらしく、おもしろいほど小鳥がかかる。

 と、どこからか一人の異様な老人が立ち現れました。某をにらみつけながら、小鳥を次ぎ次ぎと網からはずして逃がしてやり、ここは殺生禁断だから、あきらめて帰れという。

 某は何だか怖くなって帰ることにしたが、異人は気のどくに思ったのか、せっかくの機会だから跳ぶ術を教えてやると云い、某を高く突き出した岩石のうえへつれてゆきました。

 

・「さあ、谷底へ飛び下りてみろ。おれが下へ行って受け止めてやるから」という。しかし、怖くて、どうしても飛べない。ちゅうちょしていると異人は、うしろからいきなり某を突き落しておいて、すぐに谷底へあらわれてズシンと受け止めました。

 

「どうだ怖くないだろう。もういちどやってみろ」

こうして何回も飛び下りて受けてもらっているうちに、どうやら身のこなしなども会得して、平気で跳べるようになりました。

 

・某は礼をのべて和歌山へ帰り、高い屋根へ飛び上がったり飛び下りたりして人々をおどろかせるようになったが、その後三年ほどして、ふと飛ぶことに恐怖をおぼえ、急にそれっきり飛べなくなったという(-『積翠雑話』)。

 

・積極的な精神力が或る程度の危険を克服する事実は、この一話からも汲み取れるでしょう。跳躍は、昔は“軽身の術”とか“軽業”とかいいました。

 

 

 

 『神仙道の本』

(秘教玄学と幽冥界への参入)   (学研)2007/3

 

 

 

<山人界(天狗界)>

<多種多様な天狗らの仕事と生活の実際>

<高級山人が住まう壮麗な宮殿>

・山人とは山の神のことだが、天狗の異名として用いられることもある。「お山には善美を尽くした広大結構な御殿があり、三尺坊は平生には、そこに居られますが、亦、空中にも大なる御殿があってここにも多くの方々が居られます。

 

ひと口に山人界といっても階級は実に多い。そこで、空中の御殿に住む鬼類・境鳥まで、暮らし向きも千差万別なのである

 仙童寅吉以降、山人界の情報はずいぶんと数多くもたらされてきたが山人界の階級等についてもっともまとまった情報を伝えているのは島田幸安だ。

 

山人界の天狗の風体とは

・島田によると、山人界の階級は①神仙、②仙人、③山人、④異人、⑤休仙、⑥愚賓(ぐひん)に大別される。この愚賓というのがいわゆる天狗のことだが、天狗は人間が命名した俗称であって、山人界では使わないという。

 

・天狗というと鼻高・赤面の異形に描かれるのが通常だが、実際の姿は人と変わらず、頭巾をかぶり、白衣を着し、足には木沓(きぐつ)を履いている(裸足の愚賓(ぐひん)もいるという)。「人界にて云如き鼻高く翼ある者は無御座候」と、島田は断言している。

 愚賓は神仙から数えて6番目の下級官吏だが、そのなかにもまたこまかい階級がある。①山霊(大愚賓)、②山精(小愚賓)、③木仙、④鬼仙、⑤山鬼、⑥境鳥、⑦彩麟(ましか)がそれだ。

 

・⑥の境鳥が、いわゆる木の葉天狗・木っ端天狗と呼ばれる類で、嘴と翼をもつ鳥類の化身である。

 

・最後に天狗は日本独自のものとの話があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。

 

戦争に出陣する愚賓(下級天狗)たち

ただし、人間のように肉を食うのではなく、気だけを食うのだと島田が注釈している。生きている魚を海などから招き寄せ、「味の気」だけを取って食べ、食後は生きたまま海に帰すというのだ。

 

・仕事は、より上級の神界の下命に従って戦争に従軍したり、霊界や人間界をパトロールしたり、冥罰を下したりと、そうとう忙しい。大小の愚賓は、元来が武官だから、戦争になると鬼類などを従えて直ちに出陣する。

 

加納郁夫という名の天狗の弟子となった「天狗の初さん」こと外川初次郎は、加納天狗の供をして満州事変に従軍したと言っているし、幕末の戦乱時に活動した才一郎は明治元年から2年にかけての戊辰戦争に冥界から参戦し、三尺坊の命令で、自分の出身国である尾張藩の隊長“千賀八郎”を守護していたと語っている。

 

<天狗が下す恐怖の冥罰>

・天狗の仕事で最も怖いのは、人間界に罰を下すという仕事だ。火事による処罰が多いようで、情け容赦がない。たとえば、杉山僧正が東京の平川町(平河町)を焼いたことがある。

 

過酷をきわめる天狗界の修行

・寅吉や才一郎は仙縁があって山に招かれたものだがら否応はないが、凡人が天狗の「神通自在」にあこがれて山中修行に入っても、ろくなことにはならないらしいから、注意が必要だ。

  最後に、天狗は日本独自のものとの説があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。

 

 

  

『妖怪の本』  異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説

 学研    1999/3

 

 

 

<神々の領域からはみ出した者たち>

・妖怪とは何者か。日本民俗学の祖・柳田国男は「神々が零落した存在」と定義した。以来、学問的にはそういう説明になっている。

 では、ここでいう”神”とはどんな存在か、注目すべき説として、「姿を隠す」という意味の<かくれみ>からきているというのがある。

 

妖怪が訪れる

おい、オレはここにいるぞと、彼らは山から海からやって来る

・ヤマワロという妖怪がいる。「山童」と書くことからもわかるように、名もない民俗の山の神だが、熊本などでは、このヤマワロが春の彼岸になると、何千匹もの隊列をなして山から下り、人家の屋根づたいに賑やかに川に降りてガラッパ(河童)に変身し、秋の彼岸になると、今度は川から山に帰って、またヤマワロに戻るのだという。

 ワイワイガヤガヤと騒ぎながら、わが家の屋根の上をヤマワロたちが通過していく気分は、いったいどんなものだろう。次々と川に飛び込み、ガラッパに変身するときのさまは、どれほど壮観なのだろう。そのさまを思い描くと、心がはずむ。

 

妖怪から授かる

秘薬から長寿の秘訣まで――山の神に通じる不思議な力と知恵

・妖怪から薬の調合法を教わったり、秘伝書を授かったり、未来を教えられたりといった話は、実に昭和の代まで語りつがれている。

 数えるのは、山神や水神が妖怪化したという天狗・狐・河童が断然多い。

明治42年生まれの岩手の多田忠助さんは、河童から薬の調合法を教えられた。喉の腫れに効く薬だという。九州には、河童から魚釣りの秘伝書と河童相撲の秘伝書をもらった話がある。

 

妖怪と結婚する

<産まれた子が不可思議な能力を……妖怪婚姻譚の世界>

・妖怪との結婚では、まず、妖怪のご機嫌をとり結ぶために、娘を差し出すというパターンがある。人身御供型の神話伝承で、これは古い。ヤマタノオロチ伝説がそれであり、大江山酒呑童子が完成形といえる。民話では猿の化け物のエンコウが、よく人間の娘を所望する。猿は山神であり、地方によっては、同時に河童の化け物でもある。

 

・次に、山の神と巫女との霊的婚姻というパターンがある。神の言葉を取り次ぐ巫女は、神の嫁だ。三輪山の蛇神・大物主は、櫛箱に入って子蛇に化け、ヤマトトトヒモモソ姫のもとに通った。神話では、姫は神示に使う箸で秘所を突いて死んでしまうが、これは巫女が我が身を神に捧げて、神霊の住む異界に籍を移すという意味なのである。

 

異類と結婚して不思議な力を授かるという結婚パターンもある。たとえば、天皇の祖先は、龍女から生まれたことになっている天皇の神聖性の由来の一つがこれだが、やんごとなき人々とは違って、民間では狐と結婚して不思議な力をもつ子を授かるというパターンが多い。

 これで真っ先に思い出すのが、白狐の母から生まれた安倍晴明の伝説だ。清明がよく鬼神を駆使できるのは、この白狐の母に負うところがきわめて大きい。

 千葉には女化原という伝説の地があり、そこでも人間と白狐が結婚したことになっていた。

 

小倉藩主の中屋敷の卯乃という下女が、寛政7年(1794)8月ごろから行方不明になり、その年の11月、屋敷の縁の下で発見された。腑抜けのようになった卯乃の言うには、「若い男3人と、縁の下でおもしろおかしく暮らしていました。食べ物は男たちが代わる代わる運んできてくれるので、毎日おいしいものばかり食べていました」と。

 卯乃はすぐ親元に引き取られたが、ほどなく死んだ。彼女が一緒に暮らしたという3人の男とは、屋敷に住みついていた3匹の狸で、卯乃はその狸に化かされ、縁の下で狸の女房が妾のように暮らしていたのだろうと人々は語りあった。

 

・平均的であることが何より大切な昔の共同体の中では、突出した才能や能力をもつ人間、特異な容貌や気質の持ち主などは、はみ出し者だった。

 そこで彼らは、しばしば化生の者と噂され、差別を受けて育つことになった。傑出した僧侶の誕生譚の多くに神仏との間の子という伝説がついて回るのも同じ発想だが、名もない庶民の場合には、神仏の子ではあまりにおこがましいと考えられたらしい。

 したがって、狐狸や牛馬、蛇、猿、犬、猫、果てはクモやカニ、タコ、ガマなどとの結婚で、彼らは我慢したのであった。

 

妖怪と遊ぶ

<その行動や感情は……いたずら好きで気まぐれ者>

・沖縄にも、ザシキワラシと似た性格の精霊がいる。キジムナーとかキジムン、ケンムンなどと呼ばれる連中で、樹木の精霊だが、家の守護神である。

 沖縄宜野湾市新城に巨木のある屋敷があり、その木にキジムンが住んでいた。屋敷の主の中泊老人と友達になり、毎晩、老人を海に連れていっては魚をとって遊んだ。魚をとるのはキジムンで、自分は左の目だけを食べ、残りは老人にくれてやった。最初は老人も喜んでいたが、毎晩のことなのでしまいに嫌気がさし、キジムンの住む木に火をかけた。すると、キジムンは「熱田比嘉へ、熱田比嘉へ」と言って、隣村の熱田地区の熱田比嘉に飛び去った。比嘉家はたちまち金持ちになったが、中泊家は潰れてしまったと――。

 キジムン同様、ザシキワラシが離れた家も潰れるという。江戸や京・大阪などの都会では、ザシキワラシなどの役割を稲荷狐が果たしていた。屋敷に稲荷の祠を祭った家は、数えきれない。

 

・狐は不気味なやつだと思われているが、気のいい狐は人間とよく遊んだ。徳川家康駿府城には姿の見えない「うば狐」という名物狐がいて、城の者から手拭を借りては頭にかぶり、踊りをおどった。見えるのはヒラヒラと舞う手拭だけで、声のみが聞こえたという。

 

岩手県九戸郡大川目村(現・久慈市)の白狐は、村の子どもたちと遊ぶのが大好きだった。遊ぶだけではなく、跳びはねることや、学校の勉強まで教えたりした。本物の煎餅をもっていて、それを子どもたちの弁当と取り替えることもしたが、その煎餅は、白狐が大人たちを化かして盗った銭で買ったという。

 河童や天狗も相撲が大好きで、大人から子どもまでを相手に相撲をとって遊んだ話が日本中に残されている。妖怪=自然霊と遊ぶことは、彼らの姿が見えた少し前までは、そう珍しいことではなかったのである。

 

 

 

『アストラル界』

C・W・リードビーター、神智学協会ニッポンロッヂ 1984/5

 

 

 

<住者>

ごく僅かであるが、アストラル界の背景を描いて来たので、これからはアストラル界の住者を描いて、アストラル界の光景を満たして行こうアストラル界の住者は非常に多種多様なので、それらを整理したり、分類することは大変むずかしい。おそらく最も便利な方法は人間、非人間、人工霊の3大クラスに分けることだろう。

 

<人間>

・アストラル界の人間住民は当然2つにわけられる。即ち生きている者と死者、もっと正確に言えば、まだ肉体をもっている者と、持っていない者とである。

 

・住者として「人間」「生きている者」(①アデプトとその弟子達、②サイキック的に進歩している人、③普通の人、④黒魔術師とその弟子)

 

・「死者」(①ニルマナカカーヤ、②輪廻を待つ弟子、③死後の一般人、④亡霊、⑤魂殻、⑥活気づけられた魂殻、⑦自殺者及び不慮の死の犠牲者、⑧吸血鬼と狼人間、⑨灰色の世界の人間、⑩黒魔術師とその弟子)

 

人間でないもの

・「人間でないもの」(①我々の進化に属しているエレメンタル・エッセンス、②動物のアストラル体、③凡ゆる種類の自然霊、④デヴァ――カマデヴァ――ルーパデヴァ――アルーパデヴァ――デヴァラヂャ)

 

人工的なもの

・「人工的なもの」(①無意識につくられた四大霊――守護の天使――②意識的につくられたエレメンタル――③人的人工霊)

 

 

 

『沖縄の神と食の文化』

赤嶺政信    青春出版社  2003/4

 

 

 

<小童の妖怪「キジムナー」>

キジムナーは、一般に沖縄本島全域で広く語られる子どもの姿をした妖怪の一種である。赤い顔と髪が特徴で、大きなガジュマルなどの古木を住処としている。好物である魚の左目だけを食べ、蛸を嫌う。寝ている人の胸を押さえつけるといったいたずらをすることがあるが、漁を得意として漁師の漁を手伝ったりする説話も残っている。一般には木の精霊といわれている。

 山から木を運ぶ話もあり、『琉球神道記』のなかでは、沖縄本島北部の国頭で船板を山から伐採するときに、「次郎・五郎」という小僕を使って曳かせるという記事があり、これはキジムナーの系譜に連なると考えられる。

 また、宮古諸島においても「マズムシ」あるいは「インガラマラヤブ」と呼ばれる妖怪が人を手伝って山から木を運ぶ話がある。さらに、奄美大島には「ケンムン」と呼ばれる小童がいたとされ、ガジュマルの木を住処とし、かつてはきこりに従い木を担いで仕事を手伝ったという。

 これらはいずれも別の呼称であるが、沖縄本島において伝承されているキジムナーと同様の性格を持つ説話になっている。

 キジムナーは親しくなった人間に富をもたらすといわれている。ある老人がキジムナーと親しくなり一緒に漁に出かけるようになるが、キジムナーのおかげで毎晩大漁となり、その老人は金持ちになった。しかし後に、老人はキジムナーとの付き合いに嫌気がさしキジムナーの住処であった木を焼いてしまう。やがて老人の家は没落するのであるが、キジムナーが移り住んだ家は裕福になったという。つまり、キジムナーによって富を得た家は、キジムナーと縁を切ると没落するということが語られているのである。キジムナーが「富を司る」存在だとするこの類の話は少なくない。

 

・キジムナーは、昔の子どもたちにとっては身近な存在であり、目撃談や遭遇したという話が多く残っていた。しかし、最近はその姿をみたという話はすっかり聞かれなくなった。なかには戦争のときの艦砲射撃によってキジムナーもほとんどやられてしまったために、それ以来見かけることはなくなった、などという噂もあった。

 

<身体に宿るマブイ(霊魂)>

・沖縄では一般に霊魂のことをマブイといい、人の身体には複数のマブイが入っていると考えられている。マブイは、人の生命活動を支えているもので、交通事故にあったり、溺れたりするなどの危険に遭遇したり、驚くなどのショックを受けたりすることで、身体から遊離することがあるという。そのような理由でマブイが身体から遊離してしまう状態をマブイオトシ(魂落とし)あるいはマブイヌギタン(魂が脱げた)と表現するが、無気力や食欲不振などの原因不明の精神的・身体的な不調などは、マブイが自然に抜け出したためにおこるとされる。また、マジムン(魔物)などによって身体からマブイが抜き取られたりすることもあるといわれる。

 マブイが落ちたり抜け出たりした場合には、マブイを身体に戻すための儀式を行う。これをマブイグミ(魂込め)という。

 

・生者のマブイをイチマブイ(生霊)といい、死者のマブイをシニマブイ(死霊)と呼んで区別する。死者のマブイは、亡くなってしばらくの間はイチミ(現世)とグショー(他界)との間をさまよっていると考えられている。

 死後3日目、21日目、35日目、49日目などに行われるマブイワカシ(魂分かし)と呼ばれる儀礼は、シニマブイを遺族のイチマブイと分離し、現世に執着するシニマブイをあの世に送るためのものである。

 

<民間の宗教者「ユタ」>

ユタの能力と役割

・村落の祭祀を担うノロやツカサなどの神女とは、別に、沖縄の民間宗教において重要な役割を担っているのがユタである。東北地方のイタコなどと比較されるが、その霊的能力によって人々の宗教生活に関わる、いわゆるシャーマンのことである。

 ユタのほとんどは女性であるが、ユタになるまではごく普通の人であり、カミダーリィという心身の異常を体験し、長年にわたり苦しみながらユタになっていくのがほとんどである。彼女たちは生まれつき霊力が高いとされ、カミダーリィはユタになるべき人に対する神からの知らせと受け取られている。つまり、ユタにとってみれば自らの意思によってユタになったのではなく、神からの思し召しによってしかたなくユタになるのである。

 

・ユタは、村落の公的な祭祀に関わることはなく、個人的な相談内容に対して占いや祈祷、アドバイスなどを行なう。例えば、運勢や吉凶の判断、家や墓の新改築の是非や日取りの判断、病気や災いが生じたときの超自然的な原因の追究、あるいは死者や祖霊からのメッセージを感受して、それを関係者に伝達するなどを行なう。

 

ユタの弾圧の歴史

首里王府の下で保護され公的な地位にあったノロとは対照的に、ユタはごく近年まで弾圧や規制による厳しい取り締まりを受けていた。

 

 

 

『沖縄の神と食の文化』

赤嶺政信    青春出版社  2003/4

 

 

 

沖縄人にとっての神とは

<沖縄の創世神話

・日本の国づくり神話は、『古事記』『日本書紀』などにみることができるが、沖縄の創世神話は、袋中という日本から来た僧侶によってまとめられた『琉球神道記』(1608年)、『おもろさうし』(1623完成)、琉球王朝の正史『中山世鑑』(1650年)などにみることができる。

 

・例えば、『中山世鑑』では、「天城に阿摩美久という神があり、天帝の命令によって、それまでは東海の波は西海に打ち越す状態だったところに、土石草木を天から賜って島をつくった。さらに、国頭の辺土の安須森をはじめとして島々国々の御嶽(うたき)をつくった。阿摩美久の願い出により、天帝がみずからの御子を地上に送り、やがて二人の間に子供ができる。長男は国の王、次男は諸侯、三男は百姓、長女は君々(高級神女)、次女は祝女ノロ)のはじめとなった。さらに阿摩美久は天から五穀をもらいうけ、島々に植えた」と記されている。

 

・このような御嶽の創造物語や五穀発祥の話など、創世神話の内容は琉球王国や民間におけるさまざまな祭祀に関連していく。

 また、『琉球神道記』では、「アマミキュ(阿摩美久)は女神で、そのつれあいの男神のシネリキュとともに天から降臨し、波に漂う島に草木を植えて国づくりを行い、さらに往来の風をたよりに三人の子供を産む。長子は領主、次子はノロ、三子は農民のはじまりになる」とあり、ここでのアマミキュ・シネリキュは、創世神であるとともに始祖神としても位置付けられている。

 また、文献に記された神話と別に、奄美諸島から八重山諸島まで民間で広く伝承された創世神話も存在する。

 

ニライカナイという他界

・神についての観念、人々の世界観が色濃く表れているのがニライカナイに対する信仰である。ニライカナイは、海のかなた、もしくは海の底にあるとされる理想郷あるいは異界で、日本の浦島伝説にみられる竜宮の観念と重なるところもある。

 

ニライカナイの語源を探っていくと、「ニ」は「根」を意味し、「ラ」は地理的空間を表す接尾語、「イ」は方向を示す接尾語、つまり「ニライ」とは「根のあるところ」「根の国」という意味であると考えるのが一般的になっている。「カナイ」については、琉球語によく使われる意味をともなわない対句表現とみられている。

 

・『おもろさうし』のオモロや、沖縄諸島の祭祀歌謡を集成した『南島歌謡大成』(1981年完成)に掲載されている神歌には、ニライカナイについての歌が多数存在する。それらによると、人間の住む世界に豊穣と幸福、平安をもたらすセジ(霊力)の源泉地とされ、人々の信仰と深く結びついていたことがうかがえる。

 

ニライカナイ信仰に関わる祭りの一つに、沖縄本島北部ウンジャミ(ウンガミ=海神がなまったもの)と呼ばれる祭りがあり、現在では海神祭と呼ばれることも多い。旧暦の7月に行われるこの祭りは、ニライカナイから1年に1度村落にやってくる来訪神を迎える祭りで、海神祭という名称であるにも関わらず主として農作物の豊作を祈願するものである。

 

ニライカナイからの来訪神は神女たちに憑依するとされ、神女たちの所作や歌われる神歌によって祭りの場における神々の存在や、ニライカナイへの帰還が表現される。

 

御嶽(うたき)の神

・先のウンジャミのように、1年のある時期に村落を訪れ、豊作を約束するなどして最終的に自分の属する世界(異界)に戻っていく神のことを来訪神と呼ぶとすれば、村落に滞在し村人の生活を守ると考えられている御嶽の神は常在神と呼ぶことができる。

 

・御嶽というのは、各村落に少なくとも一つは存在する聖地であり、村落の守護神が祀られ村落の祭祀が執り行われる祭場である。丘の上など高台の緑濃い森の中にある例が多く、クバ(ビロウ)やマーニ(クロツグ)といった聖木とされる樹木が生えていたり、巨岩があったりする。日本本土の村の神社とは異なり建築物などはなく、本殿に相当する場所はイビと呼ばれる空間である。そこのは御神体は存在せず、香炉や石などが、神がそこにおわすことの印として置かれているだけである。

 

・御嶽に祀られている「御嶽の神」は、沖縄の固有信仰の一つである祖霊神であるという説もあるが、御嶽の神の性格は多様であり、一律には規定できそうもない。現在でも人々にとって御嶽は聖域であり、日常生活に深く浸透した信仰の場所である。