日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

その惑星は本当にすばらしい桃源郷のようなところであった。現地での滞在は丸2日間(約48時間)であったが、地球に帰ると2、3時間しか経過していなかった。(7)

 

 

 『神仙道の本』(秘教玄学と幽冥界への参入)

(学研)2007/3

 

 

 

<神仙界の構造>

神仙が住まう天の霊界と地の霊界

世界には目に見える物質的世界(顕界)と目に見えない霊的な世界(幽冥界・幽界)があると説いている。

 

・極陽に近い部分が天の霊界(天の幽界・天の顕界)、極陰に近い世界が地の霊界(地の幽界・地の顕界)ということになる。

 

<地の霊界の首都「神集岳神界」>

神仙道の場合、まずトップに来るのが天の霊界、筆頭の大都(だいと)、「紫微宮(しびきゅう)」で、天地宇宙の根元神の宮であるという。

 

この紫微宮の次にくる「大都」は、天照大神の神界である「日界」(太陽神界)で、ここが太陽系全体の首都ということになる。

 

神仙道ではこの日界の次にくる大都以下を地球の霊界とし、その首都を「神集岳神界」と呼んでいる。

 

・神集岳は地の霊界全体を管理運営する神界で、地の霊界の立法府・行政府・司法府の最高官庁が、この都に置かれているという。

 

・首都・神集岳神界に対する副都を「万霊神岳神界」という。

 

・神界では、年に1回、現世の人間、霊界に入った人霊および仙人など一切の霊の“人事考課”を行い、寿命も含めた運命の書き換えが行われるという。この作業の中心が万霊神岳だそうなのである。

 

 

 

『「あの世」と「この世」の散歩道』

天外伺朗)(経済界)2001/5

 

 

 

<宇宙の「明在系」と「暗在系」>

・―宇宙は、目に見える物質的な宇宙、「明在系」と目に見えないもう一つの宇宙「暗在系」により成り立っている。「明在系」のすべて、人間、時間、あるいは人間の想念でさえ、「暗在系」に全体としてたたみこまれているー

 

・周知のように、テレビの画面は放送局から飛んできた電波が元になっています。電波は広大な空間に分布しており、その広がりを「電磁界」といいます。今、「明在系」、つまり、目に見える物質的な宇宙をテレビの画面に、「暗在系」を電磁界にたとえてみます。実際の宇宙空間は3次元で、テレビの画面は2次元ですが、その違いは無視します。

 

・まず、最初に、電磁界がなければ、テレビの画面には何も映らないのは明らかでしょう。同じように、「暗在系」がなければ、「明在系」は存在できません。両者をひっくるめてひとつの宇宙が構成されています。

 

・次に、テレビ画面上の人物や物体は、電磁界のどこかに特定の位置に対応している、ということはなく、全体としてたたみ込まれています。従って、電磁界のどんな小さな部分にも、テレビ画面全体の情報が含まれています。

 

・私達が肉体を持って生まれてくるというのは、ちょうどテレビのスイッチをつけるようなものでしょう。逆に死ぬことは、スイッチを切るのに似ています。画面は消えますが、だからといって電磁界がなくなるわけではありません。「暗在系」というのは、生死と無関係で、時間を超越した、絶対的な存在なのです。

 

 

 

『戦争とオカルトの歴史』

 (W・アダム・コンデルバウム)(原書房)2005/2

 

 

 

ヒトラー親衛隊

テロリズムを好んだ夢見る神秘主義者たちの団体からナチズムが生まれた。そしてそれが、“大量殺戮”という言葉に新たな様相を付け加えた。第三帝国全体を特徴付けるのが、この神秘主義と魔術である。ナチスの部隊と言うと、伸ばした脚を高く上げて機械のように行進する様子が思い浮かぶかもしれない。SSには、ダース・ベイダーの衣装のような黒い制服と髑髏の記章が用意され、他のドイツ軍部隊と区別された。

 

もともとは、ヒトラーの護衛部隊として作られたSSだったが、やがて帝国の悪魔崇拝者となっていった。SSの志願者は、1750年までさかのぼって民族的に純血であることを“アーリア人の血筋”を証明しなくてはならなかった。要求される身体的条件は非常に厳しかった。ルーベンスボルン政策(スーパー北方種族を創出するための交接・出産・養育施設のこと)のための繁殖所では、金髪・青い目の子供の父親として、新アーリア超人からなる支配者民族の中核となる役割をになうからである。

 

・彼らは、生まれたときから信じてきたキリスト教を捨て、寄せ集めの異教精神を詰め込まれ、クリスマスを古来から続く、ただの祝い日とし、古代ルーン文字の象徴的な意味を学ばされた。SSのシンボル・マークも、ルーン文字で作られ、親衛隊は、ナチスの“信仰”を守るテンプル騎士団となった。

 

・皮肉なことに金髪・青い目の超人をまとめる組織の指導者は、細いあごをして眼鏡をかけた養鶏農家出身の勇者にふさわしい体つきとはとてもいえない男だった。男の名は、ハインリヒ・ヒムラーという。

 

 <金髪のアーリア人種出身の超人など歴史的に全く存在しなかった>

アーリア人であるという以外にSS隊員の配偶者には、出産能力がなければならなかったナチスは嫡出・非嫡出を問わず妊娠を奨励し、妊娠・出産を望むものには報奨金を出す一方で、遺伝的障害を持つ“劣った種“を生まないように不妊手術と中絶手術を広く行った。ナチスは、”血こそ生である“という無意味なオカルト的信仰を持つ豊穣崇拝カルトだった。

 

・既成の教会に反対するSSによって、反教会権力のプロパガンダが広められた。キリスト教の教義は、ナチ“教”とはかみあわなかった。金髪の超人ばかりという架空の民族を発展させようというときに、柔和なるものが地位を継げるわけがない。もう片方のほおを差し出すことは、世界支配の夢とは全く相反し、ヒトラーの支配する暗い帝国で、イエスの説いた道は阻まれた。ある観点から見れば、ナチスとは、本質的には軍事と政治を一体化した大事業が、いかにして既成の宗教と対立するミュトスとオカルト活動を独自に生み出したという20世紀最大の例かもしれない。

 

 

 

『図解近代魔術』  

(羽仁礼) (新紀元社)  2005/10/6

 

 

 

ナチス

・ドイツの政党で、政権取得後は国家と一体となって活動、第2次世界大戦により解体。その思想にはゲルマン系神秘思想がとりいれられている。

 

<神秘主義的政治結社

・ドイツの政党、「国家社会主義ドイツ労働者党」のことで、1919年にミュンヘンで結成された「ドイツ労働者党」が1920年に改称したもの。

1926年、アドルフ・ヒトラーが党の総裁に就任して以来勢力を拡張し、1933年1月にヒトラーが首相に就任すると次第に国家との一体化が進み、「第三帝国」と呼ばれる体制化でその崩壊までドイツを支配した。

 ナチス・ドイツは、共産主義者フリーメイスンとともに魔術師や占星術師、秘密結社を迫害したが、ナチス自体魔術的世界観を背景に持つオカルト結社であったとの主張もある。また、ヒトラー自身魔術師であったとの説もある。

 

 

 

『図解近代魔術』  

(羽仁礼) (新紀元社)  2005/10/6

 

 

 

マスター

・神智学において、人類を密かに導く超人的存在。歴史上の偉人の多くがマスターであったとされる。グレート・ホワイト・ブラザーフッドなる団体を結成。

 

神智学における人類の指導者

ブラヴァツキーの神智学では、世界のどこかに住む「マスター」、あるいは「マハトマ」「イスキン」と呼ばれる超人的存在を想定している。マスターたちの姿は限られた人間にしか見えず、密かに人類の魂を高めるために働いているのだという。

 

・過去に出現した優秀な宗教指導者や心霊術の導師は皆マスターでブラヴァツキーによれば、釈迦、孔子、ソロモン王、老子、さらにはフランシス・ベーコン、サン・ジェルマン伯爵などもマスターだという。

ブラヴァツキーが出会ったクートフーミというマスターは、以前ピタゴラスに姿を変えていたこともあるが、今は青い目をし、美形のカンミール人でバラモン(僧)の姿をしているという。

 

ブラヴァツキーのみならず、ヘンリー・スティール・オルコットやクリシュナムルティなども、実際にマスターたちの訪問を受けたことがあるという。そしてこのマスターたちが構成するのが「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」と呼ばれるグループである。

 

様々な情報を総合すると、このグレート・ホワイト・ブラザーフッドは144人のマスターからなり、シャンバラ(チベット仏教におけるユートピア)にいる世界の王を頂点としている。この世界の王の祖先は、ヴィーナス(ローマ神話の愛と美の女神)で、手足となる数人の者を従えて、16歳の少年に変身しており、この世界の王の手足となっているものが釈迦、マヌ(インド神話における最初の人間)、マイトレーヤ(インド仏教の伝説的人物)たちである。

 

 

 

『図解近代魔術』 

(羽仁礼) (新紀元社)2005/10/6

 

 

 

<地下世界アガルタ>

サンティーヴ=ダルヴェードル(1842-1909)

独自の政治体制を構想、古代アトランティスの先進文明や地下世界アガルタの存在を主張した。

 

・彼が構想したシナーキズムは、当時流行していたアナーキズムに対抗するために考えだされたもので、世界の秘密の指導者とテレパシーでコンタクトできる人間たちの秘密結社が国家を支配する体制のことである。彼によれば、薔薇十字団やテンプル騎士団もそうした秘密結社であった。このシナーキズムを構想する過程で、彼は古代アトランティスの先進文明や地下世界アガルタに住む世界の王者といった観念を取り入れている。さらに根源人種の存在やアーリア人至上主義など、ブラヴァツキーの神智学やナチス・ドイツに引き継がれた概念も含まれている。

 

<地下世界アガルタと首都シャンバラ>

中央アジアの地下に存在するという王国。首都シャンバラには、幾人もの副王と幾千人もの高僧を従えた世界の王ブライトマが住み、地表の人類とは比較にならない高度な科学技術を持つ。地上の世界とはいくつもの地下通路で連結され、チベットポタラ宮の地下にも入り口があると伝えられる。

 

 

 

『神仙道の本』  秘教玄学と幽冥界への参入

学研マーケティング   2007/3

 

 

 

宮地堅盤(かきわ)〔水位〕(1852~1904) 自在に仙境に出入りした近代神仙道の大先達

魂を飛ばして異界へ往来

・「仙人というものは、いわば人間界の変り種で、昔からめったに世にでない稀有の存在であるにもかかわらず、常磐・堅盤の父子二代相ついで、神仙の位を生前において得たことは、人類史上ほとんどその例を見ないであろう」

 

・まさに宮地堅盤こそは、その実父常磐から教導された宮地神仙道の大成者であるだけでなく、近現代の神仙道史上、最大の巨星といっても過言ではない。

 10歳で父の指導のもと、肉体はそのままで魂だけで飛行するという脱魂法(後年は肉体も伴ったとされる)を修得し、高知の手箱山の神界に出入りしたのを手はじめに、神界の諸相をつぶさに見聞し、同時に人間界でも文武両道に励み、修行を積んだ。

 

・つまり、堅盤は脱魂法、あるいは肉身のままで数百回も幽真界に出入りしていたというのだ。

 堅盤の記録によれば、大山祗神のとりもちにより少彦名神(青真小童君)に面会を許され、さらに川丹先生こと玄丹大霊寿真(年齢は明治元年時に「2016歳」)と称する朝鮮の神仙界の大長老を紹介され、この両師を中心に、神界の秘事などの教示を受けたとしている。

 

・また堅盤の道号である水位という名も、22歳のころに少彦名神から名づけられたものだという。そもそも、堅盤は「謫仙」、つまり、神より特別な使命を受けて、本籍地の神仙界から人間界に流謫した仙人であったというのだ。

 

<神界の最高機密の大都へ>

・堅盤が自ら探求した幽冥界の様相を書きとめたものが、神仙道最高の書とされる『異境備忘録』である。神界・神仙界・天狗界など幽真界の情報がはしばしに織り込まれており、堅盤最大の功績はこの書を残したことだといわれるほどだ。

 

・堅盤は仙童寅吉ともいっしょに岩間山の杉山僧正に会い、各種の仙界へも飛行して出入りしたと書き残しているが、神仙界では寅吉より堅盤のほうが位が上であったという。

 

<全神界を包括する奇書『異境備忘録』>

・『異境備忘録』は、基本的には、先行文献としてあった平田篤胤の『仙境異聞』をふまえたうえで、道教的な神仙思想と日本の神道古神道などを有機的に結合する比類のない世界観を確立した根本原典となっている。堅盤の開示した神仙道は、神仙思想の本場中国の影響圏内から脱して、逆にそれを傘下に組み入れ、さらにインドに本拠がある仏仙界や西洋の神界などまでを従属させた画期的なものであった。

 つまり、堅盤ならではの《神国日本》ならぬ《神仙道日本》の宣言書だったのである。

 

堅盤は、大病の時期を除き、ほぼ生涯にわたって健筆をふるった。その全著作は百数十冊とも二百冊ともいう。これを高さに概算すれば、10等身におよぶほどだったらしい。

 

・ちなみに、堅盤の著述や蔵書の多くは、戦前に、近代神道史学の先駆者・宮地直一東大教授を経由して高知県立図書館に寄贈された。その後、昭和20年に空襲で同図書館が被災したときに烏有に帰している。

 

 

 

『日本神仙伝』

不二龍彦)(学研) 2001/5

 

 

 

<宮地水位>

<日本初の本格的「霊界探訪記」『異境備忘録』を著した宮地水位>

シャンバラも含む幽界の多様性

・また、チベット密教で言う「シャンバラ」とおぼしき幽区についての記述もある。

シャンバラというのは、代々一人の王によって統治されてきたとされるヒマラヤ奥地の理想郷で、永遠の光の下、賢者だけの理想国家を築いていると伝承されている。この霊的な王国には、未来のいつの日か、邪悪な勢力を最終戦争によって打ち滅ぼすという神聖な使命があり、今もそのための活動を密かに行っているというのである。

 

・今でこそ、広く知られるようになったシャンバラだが、水位の時代には、ごく一部の学者以外、その存在を知っているひとは皆無といってよかった。

 

・ところが水位は、「西洋国のヒマラヤ山」に「中凹(なかぼこ)」の「支那上代」の神仙界があり、「山上は闇夜でも昼の如く」輝いていると、ちゃんと記述している。

しかも、この「支那上代の神仙界」がある山は、神仙界では「地軸」と呼ばれているらしく伝説の西王母(せいおうぼ)が住んでいるというのも、シャンバラ伝説と通いあうところがあって面白い。

 

 

 

『術』

綿谷雪   青蛙房  1964

 

 

 

天狗飛切りの術と軽身の習練

・仙界に出入りしたという紀州のモグリ医者島田幸庵の報告によれば、仙人界と天狗界は同じ系列の特別世界で、その階級は仙人界のほうは神仙、山人(やまびと)、異人(霊人)、山霊(やまのかみ)、山精(こだま)、木精(すだま)、鬼仙(おに)、山鬼(たかがみ)、境鳥(たかとり)、麒麟(ましか)、鳳凰(ながなきどり)、霊亀(おうかめ)と順次し、狗賓(くひん)のほうは大天狗、小天狗、木葉天狗、魔天狗、邪鬼の順であるが、両界通じていえば、大天狗は仙界で山人の階級に相当するという(-『幸庵仙界物語』)。

 

・もとより架空の観念的構成にすぎないが、しかし古来、仙人も天狗もいろいろと変わった型のものがあって、綜合的に考慮するとすれば、結局右のような組み立ては常識的といえるかも知れない。

 さすれば仙界・天狗界とも、上級者には超自然的な神仙型の飛翔を想像し、下級の者に鳥獣型の飛翔を想像するのは当然のことで、下ッ端の天狗は翼をもって飛ぶと考えられていました。

 

・では翼のない上等の天狗は、どのように飛翔したのか?私どもが、子供のころ聞いた話では、天狗は羽団扇をもっていて、それであおいでふわりふわりと翔ぶということでした。じつは羽団扇は飛ぶときの目標を定めるレーダー式のもので、下降するときには、方向舵の用をすると仙童寅吉は語っています。

 

・年代はよくわかりませんが、和歌山藩の餌差役で某という者が、鷹の餌にする小鳥をもとめて深山へ分け入り、小鳥網を張りました。知らず知らず殺生禁断の高野山の一部へ入りこんだらしく、おもしろいほど小鳥がかかる。

 と、どこからか一人の異様な老人が立ち現れました。某をにらみつけながら、小鳥を次ぎ次ぎと網からはずして逃がしてやり、ここは殺生禁断だから、あきらめて帰れという。

 某は何だか怖くなって帰ることにしたが、異人は気のどくに思ったのか、せっかくの機会だから跳ぶ術を教えてやると云い、某を高く突き出した岩石のうえへつれてゆきました。

 

・「さあ、谷底へ飛び下りてみろ。おれが下へ行って受け止めてやるから」という。しかし、怖くて、どうしても飛べない。ちゅうちょしていると異人は、うしろからいきなり某を突き落しておいて、すぐに谷底へあらわれてズシンと受け止めました。

 「どうだ怖くないだろう。もういちどやってみろ」

こうして何回も飛び下りて受けてもらっているうちに、どうやら身のこなしなども会得して、平気で跳べるようになりました。

 

某は礼をのべて和歌山へ帰り、高い屋根へ飛び上がったり飛び下りたりして人々をおどろかせるようになったが、その後三年ほどして、ふと飛ぶことに恐怖をおぼえ、急にそれっきり飛べなくなったという(-『積翠雑話』)。

 

・積極的な精神力が或る程度の危険を克服する事実は、この一話からも汲み取れるでしょう。跳躍は、昔は“軽身の術”とか“軽業”とかいいました。

 

 

 

 『神仙道の本』

(秘教玄学と幽冥界への参入)   (学研)2007/3

 

 

 

山人界(天狗界)

多種多様な天狗らの仕事と生活の実際

<高級山人が住まう壮麗な宮殿>

・山人とは山の神のことだが、天狗の異名として用いられることもある。「お山には善美を尽くした広大結構な御殿があり、三尺坊は平生には、そこに居られますが、亦、空中にも大なる御殿があってここにも多くの方々が居られます。

 

・ひと口に山人界といっても階級は実に多い。そこで、空中の御殿に住む鬼類・境鳥まで、暮らし向きも千差万別なのである。

 仙童寅吉以降、山人界の情報はずいぶんと数多くもたらされてきたが山人界の階級等についてもっともまとまった情報を伝えているのは島田幸安だ。

 

<山人界の天狗の風体とは>

島田によると、山人界の階級は①神仙、②仙人、③山人、④異人、⑤休仙、⑥愚賓(ぐひん)に大別される。この愚賓というのがいわゆる天狗のことだが、天狗は人間が命名した俗称であって、山人界では使わないという。

 

・天狗というと鼻高・赤面の異形に描かれるのが通常だが、実際の姿は人と変わらず、頭巾をかぶり、白衣を着し、足には木沓(きぐつ)を履いている(裸足の愚賓(ぐひん)もいるという)。「人界にて云如き鼻高く翼ある者は無御座候」と、島田は断言している。

 愚賓は神仙から数えて6番目の下級官吏だが、そのなかにもまたこまかい階級がある。①山霊(大愚賓)、②山精(小愚賓)、③木仙、④鬼仙、⑤山鬼、⑥境鳥、⑦彩麟(ましか)がそれだ。

 

・⑥の境鳥が、いわゆる木の葉天狗・木っ端天狗と呼ばれる類で、嘴と翼をもつ鳥類の化身である。

 

・最後に天狗は日本独自のものとの話があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。

 

戦争に出陣する愚賓(下級天狗)たち

・ただし、人間のように肉を食うのではなく、気だけを食うのだと島田が注釈している。生きている魚を海などから招き寄せ、「味の気」だけを取って食べ、食後は生きたまま海に帰すというのだ。

 

・仕事は、より上級の神界の下命に従って戦争に従軍したり、霊界や人間界をパトロールしたり、冥罰を下したりと、そうとう忙しい。大小の愚賓は、元来が武官だから、戦争になると鬼類などを従えて直ちに出陣する。

 

加納郁夫という名の天狗の弟子となった「天狗の初さん」こと外川初次郎は、加納天狗の供をして満州事変に従軍したと言っているし、幕末の戦乱時に活動した才一郎は明治元年から2年にかけての戊辰戦争に冥界から参戦し、三尺坊の命令で、自分の出身国である尾張藩の隊長“千賀八郎”を守護していたと語っている。

 

<天狗が下す恐怖の冥罰>

・天狗の仕事で最も怖いのは、人間界に罰を下すという仕事だ。火事による処罰が多いようで、情け容赦がない。たとえば、杉山僧正が東京の平川町(平河町)を焼いたことがある。

 

過酷をきわめる天狗界の修行

・寅吉や才一郎は仙縁があって山に招かれたものだがら否応はないが、凡人が天狗の「神通自在」にあこがれて山中修行に入っても、ろくなことにはならないらしいから、注意が必要だ。

 

 最後に、天狗は日本独自のものとの説があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。

 

 

 

アイヌ文化の基礎知識』

アイヌ民族博物館、児島恭子 監修  草風館 1993/10/1

 

 

 

<神に対する考え方――信仰観――>

<神に対する基本的な考え方>

・広大な大地、果てしなく広がる海原、流れ行く川、豊かな自然の中を大小様々な動物たちが往来し、山野には各種の植物が群生していたでしょう。そのなかにはコタン(集落)があり、コタンのなかには生活の用具が置かれています。そういうステージの上で人間が日々の生活を営むわけです。日々の生活のなかにはまた、地震、カミナリ、火事、津波、洪水、病気など、各種の自然現象が去来するでしょう。

 アイヌの人々によれば、そのような人間のまわりに存在する数限りない事象にはすべて「魂」が宿っているものだといいます。

 

・「天上の神の国からある使命を担って舞い降りてきて、姿かたちを変えながらこの地上に住んでいる証なのだ」ということです。つまり、天上の世界で神の姿をしているものが、この世にくると動物なり植物なりといった事象に化身するという考えです。使命を帯びてくるわけですから、この世での役割すなわち存在感のないものなどあろうはずがない、というのが人々の基本的な考えなのです。 

 

・ここで「魂」と書きましたが、これは生命体として人間的な生命力を有するという意味で解釈してください。「霊」「霊力」という言葉を用いてもよいのですが、一般の人々にはどうも「ゆうれい」のイメージがつきまといがちにおもわれますし、適当な言葉がないので「魂」と記すことを理解してください。

 

・しかしながら、こうした「魂」といわゆる「神」とはまた違った次元で考えなければなりません。この世にある種の役割を担って存在こそすれ、その実、人間の生活にはあまり関わりのないものもあります。反対に、これがないと生活ができない、というものもありましょう。よく例にあげて説明するのですが、伝染病という好ましくない一つの現象があります。これは、人間にとってはどうしようもなく、素手で戦えるものではありませんでした。アイヌの人々は、伝染病をとても魂の強いものと考え、神の称号を与えてパコㇿカムイ(年を支配する神)と呼んでいました。

 

・それとは反対に、魂があることは認めつつも、人間が作り出す日常の雑器の類、あるいは生活にあまり必要とされない植物などを、普通は神として意識することはありません。

 こうしてみると、人間の生活に貢献するもの、なくてはならないもの、あるいは人間の力ではいかんともしがたい魂の強いものが、総じてアイヌの人々に神として意識されているといってよいでしょう。

 ついでに極論をいうと、魂が強いか、弱いかという人間の認識の度合いで、神のランク(位の高い、低い)もまた決まってくるといえるのです。

 

氏神と悪神>

・いっぽう、神の中には、人間の欲望を充たすような良い神ばかりいるわけではありません。前述した伝染病をはじめ、天災、人間をまどわす悪い心、それらもすべて神として意識はしますが、決して良いとはいえません。こう説明するとすでにおわかりのように、人間生活に貢献するのが良い神、それをおびやかすのが悪い神なのです。

 

沙流川筋の古老によれば、こうした観点から神を分ける呼び方が3通りあるといいます。①ペケㇾカムイ ②パセカムイ ③ウェンカムイ というような呼称があるといい、①は「普通のよい神」(ペケㇾは明るい・澄んでいる、という意味)、②は「重々しい、尊い神」、③は「悪い神」なのだというのです。ただ、悪い神だといっても、いつも悪いことだけをするわけではないのです。話がこんがらがってしまいそうですが、人間に「もう来ないでください。私たちのコタンからすみやかに去ってください」と祈られると、それを素直に聞いてさっといなくなる神もいれば、たまに人を助けるようなことをする神だっているというのです。また良い神だといっても、人間と同じく、ときには悪さをしたくなったり、嫉妬したりするのだといいます。つまり、人間と同じような感情があるのだというのです。

 

<人間的な神>

・神は人間とかけ離れたものではなく、きわめて人間的であることをもう少し述べてみましょう。神であっても人間の若い女性に惚れたり、人間の女性に自らの子を生ませたという物語だって伝承されています。

 さらに、神の国に帰れば、人間と同じ容姿にもどり、そこには妻や子も、仲間もいて、人間と同じように平和に暮らしているのだといいます。とても人間的です。嗜好品を例にとってみても、酒やタバコ、お菓子などは多くの人間が好むものですが、神も人間以上に好きでたまらないのだそうです。

 

・人間は喜怒哀楽の感情を持つことが当たり前ですが、神だってそれ以上の感情があるものだと、昔の伝統を担った古老であれば異口同音にいうのです。

 アイヌの人々の「神」に対する考え方をつきつめていえば、それは「人間の能力や価値判断を基本とした考えかたを総合的に組みたてたもの」とでもいえるでしょう。

 

<どのような神がいるか>

この世での姿

・この世での姿は、人間が実際に目にすることができるものから目にみえないものまでいろいろあります。

 いずれも人間の身辺に存在するものばかりです。たとえば、動物神のうち比較的位が高いと考えられているものをいくつかあげてみましょう。

 シマフクロウ、これは今では道東の一部にしか生息していないとされていますが、かつてはかなり広域にわたって生息していたといいます。この鳥は動物神の中では最高の位にある偉い神と考えられ、コタンコㇿカムイ(コタンをつかさどる神)と呼んでいました。

 

・植物神としては、矢毒の成分をつくるトリカブトをはじめ、イケマ、毒キノコ、ヨモギなどを神として強く意識しています。

 このような生物に姿を変えている神のほかに、山、海、河口、水源、沼や湖などの地形や場所をそれぞれつかさどる神も多く存在します。

 

・自然のいたるところに「~をつかさどる神」がいるといってもよいでしょう。火や水、風、地震津波、カミナリといった自然現象そのものも強い魂をもった神として意識されています。

 そのほかに人間の目にみえるものとして、人間が用いる丸木舟や板綴り舟、臼や杵、食事に用いられる器、あるいは家や便所などの建造物にもそれぞれ神がついていると考えられているのです。

 

いっぽう、直接目では見ることができない悪心もあります。怠ける心や淫乱な気持ちだってあります。人々の考えによればそうした気持ちになるということは、その人間にそのような心をもつ神が憑くからだというのです。また、この世のあちこちを歩き廻り、人間に不幸をもたらす伝染病や飢餓、これらもそのための使命をもった神の仕業だといいます。この世での生命を絶った後、あの世にちゃんと行けないでいる人間や動物の霊、そういう浮遊の魂も神の範ちゅうに入るでしょう。

 

神の国での姿>

ところが、地上に舞い降りてくる以前、あるいは神の国に帰った際、神々はどんな姿、格好をしているのでしょうか。

 カムイモシㇼ(天上にある神の国)では、神も人間と同じように親、兄弟、仲間がいるのだとされています。とても人間的な考え方です。そして、そこでの姿かたちもまたきわめて人間的であると感じずにはいられません。

 古老たちに、「カムイモシㇼではどんな格好をしている?」と聞くと、ほとんどの古老は、五体がそろって感性に富んだ人間の姿そのものだ、といいます

 ただ、身にまとうものは立派なもので、人間が儀式の際にまとうもの以上のきらびやかなものを身につけている、というのです。

 火の神であれば、力強く燃え上がる火模様のついたコソンテ(絹製の小袖)、水の神であれば、陽春の中をキラキラと光り輝きながら流れる水面のような模様が入ったコソンテを、それぞれ幾重にもまとい、いつも立派なニンカリ(耳飾り)やタマサイ(玉飾り)、テクンカニ(腕輪)などの装飾品を身につけて暮らしているのだというのです

 こうしてみると、前にも述べたように、アイヌの人々が考える神というのはあくまで現世、つまりこの世の人間の感覚や認識が基準となって観念化されていることがおわかりになるでしょうか?

 

<神と人間の関係>

人間の祈り

・“神”というのは、「人間の生活にとって必要なもの、人間の能力以上のものをもったもの」ですから、人々が敬うことは当然です。豊かな自然のいたるところに、それぞれこの世でのつとめを担った神が姿を変えて住み、人間は、それから生きていくためのエネルギーを提供してもらうのです。つまり、神々の庇護と生活の糧の提供なくして、人々の安定した平和な生活はあり得ないと考えられていたのです。

 

・その平和な暮らしをいつまでも保証してくれることへの願いと、これまで人間の祈りを聞いて実践してくれたことへの感謝を捧げるために、人間は“祈り”という儀式を通して、それらの思いを言葉に託して神に捧げるのです。イナウ(木幣)やサケ(酒)、ハル(食料)を捧げながら神に祈ることを、カムイノミ(神への祈り)またはカムイコオンカミ(神に対する礼拝)といいます。たいていは、知識と経験の豊富な長老たちによっておこなわれます。