日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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外交は実弾の飛び交わない戦だ。「相手が引いたら押す」「自分が引いたら押される」――。ひとたび互いの国益が衝突しようものなら、こうした押し合いが起こるのが外交なのだ。(1)

 

 

『外交戦』

日本を取り巻く「地理」と「貿易」と「安全保障」の真実

高橋洋一   あさ出版   2019/12/12

 

 

 

「自分が引いたら押される」

外交は実弾の飛び交わない戦だ。昨今の国際関係に目を向けてみても、各国が「外交=貿易と安全保障」をめぐってしのぎを削っている。

 片方が何か手を打てば、もう片方が別の手を打つ。お互いに国益がかかっているから簡単には引かないし、片方が少しでもスキや弱みを見せたら、もう片方はさらに畳み掛ける。「相手が引いたら押す」「自分が引いたら押される」――。ひとたび互いの国益が衝突しようものなら、こうした押し合いが起こるのが外交なのだ。

 

物事には「原理原則」というものがある。>

・物事には「原理原則」というものがある。原理原則に即して「事実」だけを見つめれば、たいていのことは、きわめてシンプルに説明できる。もし世の中で起こっていることが複雑に見えるとしたら、それは原理原則を理解していないうえに、個人的な感情や先入観によって、事実を見つめる目が曇っているからだ。

 

・しかし、きちんと自分の頭で考え、筋のいい答えを導くには、感情や先入観という不確かなものと、原理原則、事実という確かなものを、ごちゃ混ぜにしてはいけない。これらを、きっちり「切り分ける」ことが重要なのである。

 

・経済と外交は密接に関係しているため、必然的に同程度の比重で語ることになるのだ。

 さて、『バカな外交論』では、「外交=貿易と安全保障を話し合うこと」という定義のもとで当時の国際関係を論じた。『図解・地政学入門』では、国家の立地が安全保障を左右するという「地政学」の観点から、各地域の歴史的経緯にフォーカスを当てて安全保障を論じた。

 

外交は実弾の飛び交わない戦だ。昨今の国際関係に目を向けてみても、各国が「外交=貿易と安全保障」をめぐってしのぎを削っている。

 片方が何か手を打てば、もう片方が別の手を打つ。お互いに国益がかかっているから簡単には引かないし、片方が少しでもスキや弱みを見せたら、もう片方はさらに畳み掛ける。「相手が引いたら押す」「自分が引いたら押される」――。ひとたび互いの国益が衝突しようものなら、こうした押し合いが起こるのが外交なのだ。

 もちろん現代では、実弾が飛び交う戦はそうそう起こらない。少なくとも民主主義国同士では、戦争を極力回避するという力学が働いている。それでも、どうしたら貿易と安全保障を最大限、自国に有利に持っていけるだろうかと戦略を練り、つねに出方をうかがっている。

 そういう意味では「平時」などじつは存在せず、随時随所で外交という「戦」が繰り広げられているといってもいいだろう。

 

・毎度のことながら、本書の一番の目的は「答え」を示すことではない。

 今、世界で起こっていることをピックアップし解説はしているが、それは原理原則に即し事実だけを見て物事を考えるという具体例を示しているだけだ。

 その具体例を通じて、読者が感情や先入観を交えずに。物事の「本当のところ」を見抜けるようにすることが、本書の本当の目的である。

 

国民の利害に直結する「外交」

・「国際関係とは何か」と問われたら、読者は何と答えるだろうか。

 ひと言でいえば、国際関係とは国家間の「貿易」と「安全保障」のことである。貿易と安全保障は表裏一体であり、それを国家間でどうしていくのかを話し合うのが「外交」だ

 

・貿易と安全保障は密接につながっている。経済的結びつきが強ければ、軍事的結びつきも強くなるし、その反対もまたしかりだ。

 

・このように単純に考えても、貿易は戦争が起こる可能性がきわめて低い国、すなわち安全保障条約が結ばれており、軍事的結びつきが強い国と行うことが前提となる。

 

・いずれにせよ、貿易が盛んな国とは、必然的に安全保障上の関係も強まるし、安全保障上の関係が強ければ、貿易も盛んになる。お互いの利益を守るためには、軍事的な争いを避けることが一番だ。

 

・つまり、貿易の盛んな国とは一蓮托生、リスクを共有しているということだ。だから「経済同盟」と「軍事同盟」は一体になって当然なのだ

 

国際関係の基本プロセスは「合コン」と同じ

・国とは政府と民間企業の集合体であり、ルール作りなどのお膳立ては政府、実際に活動するのは民間企業という役割分担で成り立っているということだ。

 

・「いい人、いるかな」と思って参加するのが合コンなら、さしずめ「いい条件、引き出せるかな」と思って参加するのが外交交渉の席、ということになるだろう。

 

知識の浅い素人がはまりやすい“落とし穴”

・しかし、ここに、じつは落とし穴がある。中途半端な知識で身近な例に落とし込もうとすると、大事なところを削ぎ落としてしまう危険性があるからだ。

 

・そして、たいていの物事には、メリットとデメリットの両面がある。「やるか、やらないか」でいったら、デメリットを補ってあまりあるメリットがある場合には「やる」という選択肢をとることになる。

 

これで「外交を考えるセンス」が一気に鋭くなる

・物事を考える際には、「過去に似た事例はなかったか」「海外に似た事例はないか」と探ってみることが欠かせない。

 こうしたものの見方を、「川を上れ、海を渡れ」という。私が官僚時代、先輩諸氏からつねづねいわれていたことであり、今も、ものを考えるときの基本の1つになっている。

 

・私は、「はじめに」でも書いたように、何事もまずは原理原則を用いて考える。

 経済について考える際は、もちろん市場原理だ。感情や偏見の余地がいっさいない市場原理の視点から見れば、どこでも、誰に対しても通用するロジックで考えることができる。

 国際法国連憲章は、市場原理ほど揺るぎないものではないまでも、世界で通用するロジックを知る手っ取り早い方法だ。外交を考えるときには、まず参照するといいだろう。

 

マクロで考えれば「自由貿易」が最適解

・真っ当に考えれば、応益も安全保障もじつは非常にシンプルな話である。複雑で難しく思えるかもしれないが、それぞれに「正しい答え」がある。

 まず貿易だが、日本のみならず世界をよい方向に導くためには、「自由貿易を進めること」が最良の解である。

 

・経済はマクロに考えなければ見誤る。この世界で起こっていることは、自分の身のまわりの「半径1メートル」の視野では見きわめられないものなのだ。

 

「負け」は「永遠の負け」ではない

・すでに説明したように、自由貿易によって増える国内消費者余剰は、自由貿易によって減る国内生産者余剰を必ず上回る。そこに、国際市場で勝負できる自国産業が外国で得る生産者余剰も加わる。その全体的なメリットを国内で再分配することによって、文字どおり「誰も損をしない状況」を作ることができるのだ。

 

・もちろん実際には、前に示したグラフのように単純にはいかない。

 それでも「自由貿易で国内産業は総崩れ」という狭量すぎるいい分に比べれば、誤差の範囲だ。自由貿易国益にかなうという結論は変わらないのである。

 海外の安い製品に押されて利益が減っていった結果、廃業を余儀なくされる人も出てくるかもしれないが、これは、いってしまえば競争に敗れたということである。

 競争は、つねに国内にも存在することを考えれば、これも自由貿易の弊害とはいえない。

 

・この部分で政治の役割があるとすれば、産業構造の転換をスムーズに行うということであり、その流れを逆にすることではないのだ。

 また、「負け」が永遠に「負け」ではないのも、自由競争の一面である。

 

・ただ、1つ気をつけなければならないことがある。自由貿易で「勝てる」分野すら見込めない国もあるという点だ。自由貿易がウィン・ウィンになるというのは、経済力が同程度の先進国の間での話である

 

互いに栄えれば戦争もしなくなる

・貿易が自由になると、それぞれの国が豊かになる。そして、豊かになった国同士は戦争をしなくなる。安全保障条上も自由貿易が最適解だといえるわけだ。

 

・しかし、自由貿易になると、官僚も出る幕がなくなる。自由貿易で働く市場原理は、官僚の身勝手な権限欲からくる裁量などを、はるかにしのぐものだからだ。

 

貿易赤字を問題視するのはバカバカしい

・企業の赤字・黒字は損得で見るものだが、国の貿易収支の赤字・黒字は損得で見てはいけない。

 

貿易赤字を悪いものとするのは、輸入企業に向かって「商売をするな」といっているようなものだろう。ようするに、輸入する企業も輸出する企業も、それぞれの分野で成功することが国を支え、栄えさせるのだ。

 

貿易収支に“損得”や“経済成長”は関係ない

貿易赤字=悪いこと」というのは、じつは2世紀半以上も昔に指摘された「勘違い」である。

 

・その『国富論』のなかで、アダム・スミスは、国を豊かにするのは輸出ではなく輸入であると論じた。

 

・それが経済学のセオリーとなったため、経済学では貿易黒字を得なこと、貿易赤字を損なことと考えるのは、「重商主義の誤謬」として一蹴されるのが普通になっているのだ。

 

・しかし、すでに説明したとおり、貿易収支は損得の問題ではなく、赤字だろうが黒字だろうが経済成長にはなんら関係ない。加えてアダム・スミスの論に従えば、外国との売り買いの両方があって国は栄える。

 輸出と輸入のどちらが多いからいい、いけない、という話ではない。貿易赤字だから国が危うい、貿易赤字が経済成長を止めるというロジックは、どう考えても成り立たないのである。

 

見るべきは「経常収支」>

貿易赤字は「輸出より輸入のほうが多かった」という話に過ぎず、どちらのほうが多いかは国家の経済の健全性を測る目安にならない。本当に国の収支を云々したいのであれば、「経常収支」について考える必要がある。経常収支とは、次に示すように国の収支の全体像である。貿易収支もここに含まれる。

 

経常収支

・貿易収支……モノの輸出入の差引額

・サービス収支……サービスの輸出入の差引額

・第一次所得収支……外国への直接投資や証券投資の収支

・第二次所得収支……外国への無償の資金援助や物資援助の額

 

 貿易収支が赤字でも、経常収支が黒字である限り、何も心配することはない。

 

・2018年末の時点で、日本の対外資産は1018兆円もあり、7年連続で過去最高額を記録している。しかも経常黒字が続いているので、毎年、資産は純増している。

 

・いくつかの項目にわたって貿易について述べた。その前提は「自由貿易国益にかなう」という話だったことを、もう一度、思い出してほしい。自由貿易になれば、全体として潤う。個人や企業は、チャンスが増えることは間違いないが、それを生かせるかどうかは各人の努力と運次第だ。最後の最後には、自由貿易になって窮地に立たされる国内企業が生じたとしても、自由貿易によって得た富を再分配すれば問題はない。

 また、貿易赤字は企業の赤字とは、まったく質の異なるものだ。したがって、自由貿易によって輸入が増え貿易赤字が広がっても、それを心配する必要はない。

 これらの点がわかれば、自由貿易にマイナス要素は見いだせなくなるはずだ。

 

<「アジア版ユーロ」は可能か

自由貿易が最適解ならば、自由貿易圏をさらに進めて共通通貨圏はどうだろうか。無関税のユーロ圏のような共通通貨圏に、日本が加わることは可能だろうか。日本がアジアの近隣諸国とともに、共通通貨圏を作ってはどうか。そう思った読者もいるかもしれないが、答えは「ノー」である。

 

加盟国の条件がピッタリ合致すれば強みになるが、どこか無理をしたり、条件を甘くしたりして、合致しない国まで含めると一転、不安材料だらけとなるのだ。

 

・文化や宗教の違いは、「これが正しい」という答えが出ない分、こじれやすい。その点、自由貿易はよって立つ市場原理というロジックが明快であるだけに、もっとも進めやすい外交交渉ともいえる。

 

人道支援も、ゆくゆくは自国のためになる

・日本国内では、経済に対する国民の不満は尽きないが、世界的に見れば日本が今なお屈指の経済大国であることは変わりない。

 そんな日本にとっては、いわゆる発展途上国への経済支援や投資も外交の一環である。

 その代表格がODA(政府開発援助)だ

 

・ODAとは国が国に対して行う支援策で、有償資金協力(円借款ともいう)、無償資金協力、技術協力などがある。

 

・もちろん第一義的には人道的な観点から行われていることだが、じつはODAも立派な外交といえる。というのも、たとえば、貧困にあえぐ国は、精密機器の製造に欠かせないレアメタルの産出国だったりするからだ。

 

・このように、ODAは一方的に身銭を切る人道支援ではない。先ほどもいったように第一義的には人道支援だが、お金を出す側の国もそれなりの自覚があって対象国を選んでいる。そのため、レアメタルなどの資源国に対しては、支援国の間で「取り合い」のようなことが起こる場合もある。

 

・やはり大事なのは、第一次的な人道支援という点において、どれほど効果的なことができるかだ。有意義な支援をしなければ、対象国と友好的な関係は築けない。その点で、ある程度の成功を納めてこそ、あとあとのメリットも享受できるのである。

 

安全保障を考えるのに「地政学」はかかせない

・本章では、外交のもう1つの側面、安全保障を見ていく。

 まず押さえておきたいのは、「地政学(=地理の政治学)」――つまり“地理的な条件が一国の政治や軍事、経済に与える影響を考える”という視点だ。

 歴史は偶然の産物ではない。奇しくも起こった出来事が影響したこともあるだろうが、歴史の背景には例外なく「国家の思惑」「目論見」、もっといえば「野心」が存在している。世界史とは、そうした国家の思惑、目論見、野心が複雑に絡み合い、争い合いながら作られてきたのだ。

 

・そこで大きな要素となるのが「地理的条件」である。なぜなら、国家の野心とは「領土にまつわる野心」にほかならず、戦争とは領土および領土に付随するもの――すなわち「より広い、よりよい土地」をめぐって起こってきたものだからだ。

 

・したがって外交、とくに安全保障について考える際には、地政学がかかせない。

 今も昔も、国家同士の地政学的な「押し合い」が起こっている。

 たとえ実弾が飛び交っていなくとも、土地をめぐって国同士が腹の探り合いを続け、少しでも自国に利するようにと戦略を練っているのだ。

 

覇権争いの舞台はずっと“海”だった

・地理的条件が国家の安全保障を左右すると話した。

 地理といっても、より厳密に、とりわけ近代以降でいえば、重要なのは「陸」よりも「海」だ。海を制する海洋国家が、覇権を握るといっていいだろう。

 

・海を渡って他国へと進出するためには、「海」を制さなくてはならない。「より広い、よりよい土地をめぐる押し合い」は、舞台を陸から海へと移したのである。

 

・世界一といわれる強大な軍事力を背景に、アメリカもまた海を制することで覇権国家になったのだ。

 

もう1つの重要視点  「民主的平和論」

・前章では、経済外交では自由貿易を進めることが最適解であると説明した。

 では安全保障はどうだろう。最適解など存在するのだろうか。

 ここで挙げたいのが「民主的平和論」という国際政治学の理論だ。ひと言でいえば民主主義国家同士は戦争をしない、というものである。

 

・もちろん、民主主義国家同士は「絶対に戦争をしない」わけではない。

 しかし、民主国家は独裁国家に比べ、「戦争を起こす確率が絶対的に低い」といえる。なぜなら、民主主義という政治システムは、次のように根本的に戦争とは相容れないからだ。

 まず民主主義という共通の価値観を持っているので、イデオロギー対立がない。価値観が同じなので、相手の体制転覆や、みずからの体制維持をかけて戦う必要がないということだ。

 また国内が複数政党となっており、国外に対しても議会主義的交渉力が発達していること、マイノリティの言論の自由が保護されていること、情報公開が根付いていること、そもそも民主主義国では戦争の大義がないことなども挙げられる。

 

・つまり民主主義とは、一国のリーダーが、みずからの欲や名誉のために自国民を動員し、他国に流出するという独断専行が下されにくい政治システムなのである。

 

・民衆もまた当然の権利として、気に入らないことには声を上げるようになっている。基本的には選挙による参政だが、ときにはデモという形で現れることもある。

 このように、「戦争の抑止効果」が政治家、民衆、そして軍部の三重にも働いているのが、民主主義国家なのである。

 

民主主義国は基本的に「話せばわかる」間柄

・このフォークランド紛争が物語っているように、民主主義国家に比べて独裁主義国家は、格段に戦争に駆り立てられやすいといえる。

 

・民主主義とはひと言でいえば、基本的に「話し合い」によって問題を解決する政治システムであり、この政治システムを共有する国同士は、基本的に「話せばわかる」間柄だ。それが通用しないのが独裁主義国家というわけである。

 もし民主主義国家が、やむを得ず戦争をするとしたら、自衛のための戦争だ

 

・この「民主的平和論」は、安全保障を考えるうえで、地政学と併せてきわめて重要かつ根本的な視点である。

 安全保障とは、裏を返せば、どのような場合に安全が脅かされるかを想定し、先手を打っておくことだ。

 国家にとって、もっとも深刻なのは他国と軍事衝突することである

 

・したがって、自国の安全保障をしっかりするためには、似た価値観の国々の集まりに参加しておくことがもっとも有効だということになる。

 その集まりのなかでは戦争にならないだけでなく、「似た者同士」でまとまっておくこと――ようするに集団的自衛権によって守り合う体制を作っておくことが、「似ていない者」たちへの牽制にもなる。

 

独裁国家民主化を進める方法

・ただ、別のアプローチがあることも指摘しておきたい。それは、民主主義より先に自由貿易を広めるという方法だ。

 

・このように自由貿易と民主主義は、ともに「自由」の理念が通底しており、自由貿易は民主主義国にもっともフィットする。

 その一方で、自由貿易がフィットしない国々もある。国民の自由が制限されている一党独裁の国々だ。一党独裁の国は、土地や資本を国が牛耳っているのがつねである。国民は、まったく自由ではない。そして「民主的平和論」に従えば、これらの国々は、民主主義国ではないために戦争の火種にもなりうる。

 

・このように、自由貿易は、民主主義国の経済的および軍事的つながりを強めるよすがにもなれば、世界の民主化を進める原動力ともなりうるのである。

 

「安全保障は経済に優先する」

・2001年に出版された『Triangulating Peace』という本がある。ブルース・ラセットとジョン・オニールという学者が、膨大な戦争のデータから民主的平和論を実証したものだ。

 この本によれば、同盟関係の強化は戦争リスクを減少させる

 より具体的にいえば、

・きちんとした同盟関係を結ぶことで40パーセント

・相対的な軍事力が一定割合増加することで36パーセント

・民主主義の程度が一定割合増加することで33パーセント

・経済的依存関係が一定割合増加することで43パーセント

・国際的組織加入が一定割合増加することで24パーセント

というパーセンテージで、戦争リスクが減少するという。

 

つまりは、

  • 独立国としてふさわしい軍備をして牽制効果を高め、
  • きちんとした同盟関係を結び、その上で、
  • 民主主義国同士で
  • 自由貿易を行う関係を築き、
  • 国連に加入する。

 

こうすれば、世界の戦争リスクはぐんと下がる、ということである。

 

・先に挙げた5つの平和達成の要件のうち、経済と安全保障に関係するのは、④経済依存度だ。今までも説明してきたように、これは貿易関係が密接になるほど戦争をしなくなるという側面と、強固な安全保障があるほど貿易が盛んになるという双方向の効果によると考えられている。

 

・実際、国連などでも、安全保障上の懸念を解決するために経済制裁という手法がとられる。この2つは切り離して考えられないのだ。

 日本は強大な軍事力を持ち合わせていない。NSS(国家安全保障局)の経済部署設立では、日本が得意とする経済を外交力に生かし、安全保障上の懸念の解消を図っていくことも課題となるだろう。

 

国連は、はっきりいってアテにならない

国連は機能することもあれば、機能しないこともある

・日本人には、なぜか“国連信奉”に厚い人が多いように思える。さすがに専門家にはあまり見られないが、一般的には、「何か問題があったら国連に持ち込めばいい」と考えている人も多いのではないか。

 

・では、国連はどれほど機能しているのか。世界で起こっている紛争を、たちどころに解決してくれるのならありがたみも増すし、お金を出す意義も感じられるだろう。

 しかし、ケースごとに見ていけば、国連が万能ではないことは明らかだ。

 

・したがって国連は、ご大層な話し合いの場になっただけで終わることも多いのだ。それくらい、機能するかどうかあやふやなのが国連の実態なのである。

 

・安全保障は国家の自己責任、つまり、いざというときに自分が困らないような体制を、あらかじめ自分で作っておくべきだというのが、国際社会の常識である。

 

日本が「永世中立国」になれない理由

・民主主義国同士は基本的に戦争をしない。万が一、戦争という手段を取るとしたら、理念を別にする独裁国家から攻撃を仕掛けられた際の「自衛のための戦争」となる。

 

・強大な軍事力、国民皆兵の意識、そして中立という孤独を平和的に保つために、連綿と続いている外交力。加えて、ヨーロッパの真ん中に位置するという地の利。

 はたして日本が、これらを併せ持つ国になれるだろうか。まず地政学的には無理だということがわかるだろう。

 こう考えると、日本はほかの多くの国同様、「普通の国」なのである

 その自覚を持って、スイスのような「特別な国」になることなど夢見ないほうが身のためだ。

 

「不戦」に向かいつつある世界

・なぜ、今まで数多の戦争が起こってきたかといえば、人が「より広い、よりよい土地」を求めてきたからだ。しかし、今や世界の趨勢は「不戦」に向かっている。つまり、積極的に戦って土地を奪うより、戦争を避けようという力学が働きはじめている。いったいなぜなのか。

 戦いに懲りた人類がより「賢く」なり、戦いを避けて共存共栄することを目指すようになったからといえる。

 

・20世紀になって、人類はそれ以前に比べるとマシで、少し平和的になった。それは、民主主義という政治システムが成熟し、定着しつつあるからだ。領土を奪い取るのではなく、お互い持っているものを対等に交換する(つまり自由貿易をする)ようになったという意味で、現代の平和を「資本主義的平和」「自由主義的平和」と呼ぶ学者もいる

 いずれにせよ個の価値が高まり、自由と権利が尊重される国は戦争を起こしにくいといえる。

 

「自分の頭で考える>という習慣を持つ

原理原則で「筋の通った答え」を導く

・国の行方を決める政府に対して、あるいは無知蒙昧なマスコミに惑わされないために、私たちがもっとも心がけたいことは、「本質を見抜き、筋の通った答えを導く思考力」をもつことだ。その「考えるという習慣」を手にするためには、一にも二にも原理原則を知ることが何より大事である。

 

・私の専門は「数量政策学」だ。

 数量政策学とは数字、つまり「データ」を通して経済など世の中のことを分析し、政策論を展開するものだ。

 

・経済のように「よくわからない」と投げ出すのも危険だが、外交については「わかったつもり」で間違った考えに陥るのは、さらに危険だ。

 貧しい知識からくる狭い視野が、ロジックに乏しい感情論を生み出していることに、早く気付いてほしいものである。

 

一方通行の思考から脱却する

・外交では「やる」「やらない」の二択になることが多い。

 検討すべき要素はたくさんあるものの、最終的には「やるか」「やらないか」を決めなくてはいけない。したがって、やるべきか、やらざるべきか、という問題の場合は、やってみた場合とやらなかった場合の比較をしてみればいい。

 

・もちろん、先ほどもいったように、物事には原理原則がある。

 本書で話してきた国際関係でいえば、貿易は自由貿易が最適解であり、安全保障は似た者同士、つまり日本ならば民主主義国と同盟を組んで、その集団の安全保障に日本自身も積極的にコミットしていくというのが最適解だと話した。これらが、国際関係の原理原則ということだ。

 

・とくに国際関係においては、国は「やったこと」について、国民から非難を浴びることが非常に多い。やったことの結果に難癖をつけるのは簡単だ。そこで重要なのは、「では、やってみなかったらどうだった可能性があるのか」と考えてみることだ。

 

国際関係に「文化」は持ち込めない

・「英語で説明できるか?」と少し高度な手段を考えてみると、言葉の欺瞞や矛盾を見抜けることが多い。

 国際関係は、国際常識に照らして考える必要がある。そして国際常識とは、おしなべて、世界共通言語である英語で説明できるものだ。つまり、「英語で説明できない言葉」は、「国際社会では語られようがないこと」=「国際常識に沿っていないこと」をいい表していると考えていい。

 言葉は文化であり、どの言語にも、他言語には置き換えられない言葉がある。

 

・しかし、国際関係に文化を持ち込むのはタブーだ。タブーというより相手に通用しないから、持ち込んでも意味がないのである。

 

・たとえば、いっとき集団的自衛権の行使容認の是非が議論されていたころ、日本国内では「個別的自衛権」という言葉が盛んに出された。しかし、英語で自衛は「self-defense」とひとくくりにされており、集団と個別の区別はない。個別的自衛権というのは、いってしまえば「他国の争いに加わりたくない」という日本人の精神的土壌、つまり文化的背景から生まれたものといえるのだ。

 もしアメリカとの安全保障の交渉で、「日本にはself-defenseを「集団」と「個別」に分ける文化がありまして………」などと説明しても、「何をいっているんだ?」となり、まったく話にならなかっただろう。

 

・すべてにおいて同様のことあぎえる。

 日本人の価値観でしか通用しないような言葉を使って主張しても、国際社会では相手にされない。まずもって同じ土俵に立たないことには、なんの話もできないのである。

 

・もし英語に置き換えることができなければ、それはきわめて日本人的であり、国際的には通用しない概念だと思ったほうがいい。

 

 

 

『ざんねんな中国』

高橋洋一&石平のデータとファクトで読み解く

常に中国の逆を行け!

高橋洋一、石平   ビジネス社 2019/11/18

 

 

 

あまりにも知恵が足りない中国側が招いた悲劇

・10月1日に建国70周年を迎えた中国はかつてない試練に直面している。むろん最大の試練は、激化する一方の米中貿易戦争にほかならない。トランプ大統領は一向に手を緩める気配はなく、中国への制裁関税は実質第5弾目を控え、ほぼ中国からの輸入品全品目に網がかけられることになった。

 さらにアメリカの制裁は為替部門にも飛び火し、「為替操作国」に認定された中国はますます窮地に陥った。これは中国に対する資本自由化の要求に等しく、それを許せば中国は一党独裁社会主義体制の旗を降ろさねばならず、まったく無理な相談といえる。

 

・つまり、貿易黒字を出すということイコール「儲けている」という意味ではなく、ただ単に輸出入の輸出部門の数字が多いというだけに過ぎない。その逆もしかり、そこを理解していただきたい。

 もし、貿易赤字を出すことが赤字国に本当に深刻な影響をおよぼすならば、世界の半分の国は大変な状況に陥っているはずではないか。

 

・もう一度言うと、貿易赤字や黒字の額が本当に重要であるならば、世界の半分の国はそれを気にして経済運営しなければならないが、どこにもお構いなしにしている。

 

中国の実力を検分する

外貨準備高に見るカラク

・(高橋) アメリカも中国が為替操作をしているのはずっと前から知っていた。IMFのボードメンバーで変動相場制でないのは中国のみ。さすがにIMFのなかでは、「わが国は変動相場制だ」とは中国は言えない。為替操作をしているのは知れ渡っているから、IMFに対してもそれを届け出ている

 今回、アメリカが今さら中国を為替操作国に認定したのは、すなわち「資本の自由化」を“要求”しているということ。でも、資本の自由化は中国にはできない。資本の自由化などしたら中国は社会主義国ではなくなり、共産党一党独裁国家ではなくなるのだから。

 だから、これはアメリカが、中国が絶対にできないのをわかっていて、わざと言っているわけだ。

(石平) 問題は、もし中国政府が為替操作をしなければ、要するに市場に任せる、人民元の本来の価値に任せるならば、人民元は暴落するということだ。

(高橋) 人民元相場を自由にすること自体、海外の資本取引を全部入れるということだから、中国にはできない。それができないから、人民元の暴落はおそらくはない。

 

「中所得の罠」に嵌った中国

・(石平) ということは、中国が、たとえば制裁関税を相殺するためにわざと人民元を安くする。そういう戦術にも限界があって、そう簡単にできるわけがない。

 中国が直面している問題として挙げたいのが、経済が輸出に頼っていると同時に、国民生活は輸入を頼りにしていることだ。先端科学技術の部品でなく、中国は世界一の石油輸入大国、世界一の食糧輸入大国となっている。

 中国は国民1人当たり100キロの食料を輸入している。外貨が枯渇して輸入ができなくなると、中国国民は食べていけなくなる。そうした状況下でも石油の輸入についても最低レベルは確保しなければいけない。

 だから最低限の外貨を確保するために貿易を拡大する必要がある。しかし、いま中国の貿易は全体的に縮小している。にもかかわらず、一帯一路で世界中にお金をばらまく。もうこの中国モデルは無理ではないか。

(高橋) 中国の統計のなかで唯一正しいのは相手がある貿易統計のみだ。これがかなり縮小しているのは中国経済がすごく悪い方向に行っていることを示唆している。貿易戦争をアメリカとやらかしている場合ではない。

 

・「中所得の罠」がどういう理論かをざっくり言うと、経済発展の段階で、中所得の段階(1人当たりのGDPが1万ドル程度)になると経済が停滞してしまい、先進国入りを逃すというものだ。

 現在の中国は、1人当たりGDPは8000ドル超で、中所得の段階に届きつつある。これまで世界で中所得の段階を超えている国は、ほとんどが民主主義国、自由主義国であった。

 

・個人の自由が確保されないと経済的自由が確保されないというところを演繹しているわけで、これと「中所得の罠」を結びつける理論が強く支持されている。そうすると中国が「中所得の罠」を超えられないという答えを簡単に導くことができる

 

最初にトランプに中国への警戒心を植え付けたのは安倍首相

・(石平) 習近平は昨年からトランプ政権に対して判断ミスを続けてきた。トランプ政権の本質、考え方について完全に見誤ってしまった。

 

工業化より消費化に進んでしまった悲劇

・(石平) ここからはテーマを最先端分野に関する米中の覇権争いに転じてみたい。ただ正直に言うと、中国が2025年までに「製造大国」から「製造強国」へと変わり、世界のハイテクをはじめ、ロボット、宇宙、バイオなど先端技術分野でアメリカとしのぎを削るのだと聞かされても、私にはピンとこない。

 なぜならこれまで技術の物真似しかできず、独創的な技術などなかったのに、中国がどうしてそんな強気なことを言えるのかさっぱりわからない。私のイメージではまだまだアメリカ、日本、ドイツなどには何十年間か遅れをとっている。

(高橋) 中国の学者のなかにも世界最先端の研究をしている人はいる。けれども、その研究が産業に結びつくのにはそうとう時間がかかってしまう。

 

・中国の場合、先進国並みになる前に、工業化の先、消費化に進んでしまった。したがって、これまでの歴史を見ると、中国は「中所得の罠」を超えられない、克服できないという答えが出てくるわけだ。

 

・(高橋) 製造業の技術を発展させる前に消費経済に移行してしまったから、日本でいうと昭和30年代~40年代レベルという感じは否めない。

 中国はいろいろなハイテク技術を持っているし、プライバシー無視の世界だから、AIや自動運転は日本など足元にも及ばないと、勘違いしている日本人はけっこう多いのではないか。そうした技術は軍人には役に立つかもしれないけれど、消費経済ではあまり役に立たない。

(石平) 特に日本のマスコミの一部の論者が、中国に行ったら現金が要らないキャッシュレス社会になっていると大騒ぎをしている。中国の技術がもう日本を遥かに超えたような論調でモノを言っている。

(高橋) あれは中国の紙幣がニセ札が多いから、それだけのことだ。流行りのQRコード技術は日本のもの。キャッシュレスについては、固定電話が設置できる予算がなかった途上国が、携帯電話に飛びついたのと同じような話だと考えればいい。

 

・たしかに中国が技術で突出している部門は何個かある。たとえば携帯でもファーウェイとかZTEとかそこそこのものは出しているが、アップルにはまったく及ばない。

(石平)携帯にしても、肝心の心臓部分の集積回路のほとんどをアメリカから買っていた。

 

ようやく他国のレベルに追いついた中国のGPS

(石平) そういう意味では、マスコミが喧伝する米中の先端技術の覇権争いはそもそもバカバカしい話ということか。

(高橋) 20年か30年先にはあるかもしれない程度のことではないか。5年ぐらいのスパンで見たら、それは考えられない。そんなことよりも、アメリカがファーウェイとZTEを潰してしまうと、中国から10億のコンシューマー製品が消えてしまうことを、中国は心配したほうがいいのではないか。

(石平)貿易戦争はアメリカに負ける。価値観、イデオロギーも負ける。おそらく経済圏からも中国は排除されてしまう。残るは軍事面か。

(高橋) 軍事面の目は少しはある。あれだけ金を突っ込んでいるのだから。だが、航空母艦はたいしたことはない。もともと海洋国家ではないから仕方がないのかもしれないが。