日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

このスープを飲むと前世を忘れてしまい、飲まなければ前世を覚えていられるという言い伝えです。このスープの伝説があることで、生まれ変わりの村には前世の記憶を持つ人が多いらしいのです。(3)

 

生まれ変わりの研究に生涯を捧げた科学者

・大門博士は、「そもそもスティ-ブンソン博士が生まれ変わりの研究を始めた大きなきっかけの一つは日本人の事例なんですよ」と言う。スティーブンソン博士が本格的に生まれ変わりの研究に進むきっかけとなったのは、1958年にアメリカ心霊研究協会(ASPR)が募集した懸賞論文への応募だった。博士は、世界中の前世の記憶を持つ子どもたちの記録を分類して見事に入選。その中で紹介された事例の一つが、江戸時代の「勝五郎」の記録だったのだ。実は、勝五郎の記録は、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)によって海外に紹介されていた。それがスティーブンソン博士の目に留まり生まれ変わり研究が行われる端緒となったのだ。

 

・タッカー博士は、亡くなったスティーブンソン博士の研究を引き継いだ研究者である。それは、50年にわたる研究で蓄積された、2500を超える膨大な事例を引き継いだということである。

 

未来へ――意識の科学

・博士は、生まれ変わりや臨死体験について、ある仮説を唱えている。脳で生まれる意識は、この世界の最も小さな物質よりさらに小さな存在だという。その意識は、重力や時間、空間にとらわれない性質を持ち、人間の脳を出入りすることがあるとハメロフ博士は言うのだ。

 

・「人が普通に生きている状態では“意識”は脳の中に納まっています。しかし、心臓が止まると、意識は宇宙に拡散します。患者が蘇生した場合、それは体の中に戻り、臨死体験をしたと言うでしょう。しかし、患者が蘇生しなければ、その情報は宇宙の中にあり続けるか、別の生命体と結びついて、生まれ変わるのかもしれません。証明できてはいませんが、ありえるメカニズムだと思います。私たちはみんなつながっていると考えられるのです」

全く荒唐無稽な説に聞こえる。実際、今はこの仮説に反対する科学者がほとんどだ。

 

「死後の世界」を垣間見た人々

・よく引用されるのが1982年にアメリカのギャラップ社が行った世論調査である。その結果、アメリカだけで約800万人が臨死体験をしたと結論づけた。これは、当時のアメリカの成人人口の、およそ5パーセントに相当する。随分多い印象を受ける。

 

臨死体験の不思議な共通性

・「意識を失うと、トンネルにいました。その奥には素晴らしい光がありました。とてもきれいで、暖かくて、幻想的でした。だから歩いてトンネルから出ました。すると、素晴らしい花、色、音楽・・・。見たことも聞いたこともないような世界を見ました」

 

・「たどりついた場所は、黄色の世界です。そこに、大きな緑の草原がありました。草原には、花が一面に咲いていました。この世にはない色で、とても洗練されていて、うまく描けません。そこには私を待っている人がいたのです。それは、私が12歳の時に亡くなった父でした。父は、私の手を握ってくれました。言葉もなく、話さなくても理解できるようで、そのまま一緒に連れていってくれました。天国・・・、天国としか言えないような情景で、光に満ちて、ただ美しく、無条件で受け入れてくれる世界です。無条件の愛に包まれた感じです」

 

・「父と光の中を歩いていきました。すると、足を踏み外して、つないでいた手が離れました。トンネルに戻されて、気がつくと、看護師さんが私のほおを強くたたいていました。あなたは戻ってきたわ、幸運よ。もう駄目かと思ったよ、って」

 

・「知らず知らず私の意識は、ある美しい別の世界へと流れていきました。家族や医師など周りにいる人たちから見たら、私は単に昏睡状態だったわけですが、実際は全く別の世界を旅していたのです。深い海の底のような場所でした。さまざまな色合いのブルーとか、生き生きとした色彩に囲まれていました。これまでに見たことがないような色です。美しくて、美しくて・・・・」

  

・「私はそこで浮遊していました。形は保っていますが、水をはじめ、自分の周りのものとつながっていました。自分がすごく軽くなっていた感覚をはっきりと覚えています。それまでずっと抱えてきた苦しみや、恐怖、失望、怒り、不満、悲しみ・・・・、人生の重荷がなくなったような気持ちです。それまでの過ちも全て消えたのです。自分が羽根のように軽くなったのを感じました」

 

日本の事例

・交通事故に遭い、すい臓を損傷して危篤に陥った。

「私、死んじゃうと思った瞬間に映像が途切れました。真っ暗なトンネルの中に場面がきり替わったんです」

鈴木さんは、その時に歩いたトンネルのことを今も明確に覚えているという。

「暗いんだけど、広く感じます。足で歩いているような、床がある感じで、ずっと歩いていると、徐々に空間が狭まっているような気がしました。いつの間にか、右手を壁につきながら歩いていました」

 

・自らが死に直面していることには気づいていた。いつまでトンネルが続くのか不安だった、と鈴木さんは話す。

 

「その時、遠くにこう、小さく光が見えたんです。曇りガラスの向こうに太陽がある感じ。あ、あそこに行けばいいんだって思った瞬間に、そのトンネルがなくなって、一瞬にして真っ白い世界に変わったんですね。暗闇が光に変わったんです。あ、すごい、こんなきれいな光があるんだって思ったら、だんだんそれが光の粒になっていって、その粒が、自分の寝ている病室のベッドの柵になったり、窓になったり、窓の向こうの木になったり、傍らに立っていた父親になったり・・・。その景色を見ながら、ああ、全部光でできているんだな、って思ったんですね」

 

・この他にも、取材班は、数多くの臨死体験者に話を聞き、膨大な事例の記録に目を通した。臨死体験者の全てが、一様に、全く同じ体験をしているわけでもない。中には、この世のものとは思えないような苦しい「地獄体験」をした、という事例もある。人生を走馬灯のように振り返る「ライフレビュー」を経験した人も多い。

 

・しかし全体として、3000例の臨死体験データベースを運営するロング博士が指摘したとおり、臨死体験者に通じる共通性が確かに見いだせた。臨死体験で見た世界について、花を見たと言う人、何百万のチョウを見たという人、深い海底に流されたと言う人、何もかもが輝く壮大なドームだったと言う人。個人差はあるけれど、「トンネルに入った」「見たこともないような美しい世界だった」など、共通する要素が確かに見いだせた。ちなみに、インド出身のヒンドゥー教徒の男性は、臨死体験キリスト教の天使を見て戸惑ったと言っている。

 

・体験者たちの証言を基に整理した、臨死体験に共通するイメージである。

 

  • 気がつくと、暗いトンネルにいる。その先は、明るい光。

 

  • 光の中には、見たことのない美しい景色。聞いたことのない、心地よい音楽。

 

  • 決して会えない大切な人が待っていることもある

 

  • 無上の愛や、大きな幸せを感じる。

 

 

 

アセンションものがたり(上)』

ジュディ・キャロル    アーバンプロ出版センター  2010/4/8

 

 

 

スター・チルドレン

・「人類支援プロジェクト」としてのゼータたちの活動は、出生前に合意が出来ていた地球人にコンタクトすること、そして、スター・チルドレンの成長をサポートすることが主体になっているようです。

 これらの「作業」の中には、彼らの母船で行うことになるので、いずれの場合も対象者(コンタクティー)を、主に夜中に母船までエスコートする必要があります。

 それが時にはアブダクションと形容される状況を生むわけですが、本質的には双方の魂のレベルの合意でやっていることです。しかし、コンタクティーの顕在意識では、かなりのケースで、特に最初は場合によっては毎回が、「恐怖の出来事」になったりするわけで、その部分がゼータたちが最も苦労するところです。

 

・スターチルドレンは、1980年代以降に生まれ、1990年頃から数が増えてきた。一般にインディゴ・チルドレンやクリスタル・チルドレンと呼ばれる子供たちです。宇宙の計画に従い地球の次の時代の担い手として宇宙のさまざまな星々から転生しています。

 

・彼らの意識のレべルと、今の地球社会の実際とのギャップが大きく、両親の理解の面も含めて、必ずしも順調に育っているとはいえない状況にあります。しかし、大人たちの意識の変化や、ゼータたちの努力によって、少しずつ状況は改善されてきているようです。

 

ここにいう「異星人の遺伝子」とは、人類の創成の際に遺伝子を提供したシリウス、プレアデス、およびゼータの遺伝子を指しているとみられます。

 

 

 

アセンションものがたり(下)』

ジュディ・キャロル     アーバンプロ出版センター 2010/9/15

 

 

 

ウォークインという特殊な生まれ変わり

「ウォークインというのは、きみのように物質的な形態をとっている人が、私のような、精神体でいる人のために自分の『入れもの』を提供することだよ。提供されるほうの人は、果たさなければならない、とても重要な使命があり、その使命を全うするためには、完全に機能している大人の身体がどうしても必要なのだ」

 

・「元の『入れもの』の保有者は、致命的な病気とか事故など、何らかの方法でそこから出て行くことになる。それによって『入れもの』が空くから肉体のない精神体が、つまり中へ入って(ウォークインして)、いわば制御装置を引き継ぐわけだ

 

・「もちろん、すべての臨死体験がウォークインを伴うわけではないから、そうしたことが起こる場合もあるのだ。元の保有者が去る必要がなく、むしろ入って来た精神体と『入れもの』を共有する場合もあるがね」

 

・「ウォークイン」は、それまで肉体を占めていた「元の魂」が退去して「新しい魂」にその肉体を譲り渡すケースが、一般的で、ここで話し合われている「入ってきた精神体と『入れもの』を共有する」のは例外的なケースです。

 

・いずれにしても「ウォークイン」は今に始まったことではなく、地球に人類が登場して以来からある現象です。これまでは単に、物質オンリーの人類文明が、考慮の対象にすることを拒絶してきただけです。しかし、人の魂と肉体との関係、特に肉体は人の本質ではなくて「入れもの」に過ぎないという「正しい認識」を確信するのに、「ウォークイン」ほど手ごろな教材はないでしょう。

 

「ウォークイン」には、次のような共通点があります。

1、「新しい魂」は、明白な使命と高邁な精神を持った存在で、新しい視点をもたらす「時代のリーダー」となる。

2、それまであった病気やトラウマは自然に癒されて回復する。

3、元の肉体が持っていた記憶は継承するが、出来事に関係する「元の魂」の感情の部分ははっきりしない。

4、関心や趣味などの大部分は大きく変わる。しかし、中には継承されるものがある。

5、人格も変わり、周囲の人も気づくようになるが、次第に新しい状況が受け入れられるようになる(「ウォークイン」の認識がないままで)。

 

・「ウォークイン」に関して特筆するべきこととして「時代背景」との関係があります。例えば、アメリカ建国のプログラムでは、新しい視点を持つリーダーを多数必要とする「緊急の需要」があり、それが「ウォークイン」によって満たされたケースが少なくなかったようです

 

 

 

『誰も書かなかった高橋信次  巨星の実像』

菅原秀  成甲書房  2017/3/16

 

 

 

1976年6月、1人の超人が死んだ。>

戦後最大の霊能力者、あるいは釈迦の生まれ変わりなどと呼ばれた、高橋信次という男である。GLAという教団を創始した高橋信次は、優れた宗教家であったと同時に、ごくノーマルな人間であった。だが、多くの追従教団は今や、高橋信次が禁じた道に迷い込んでいる。本書は、高橋信次の生前の肉声を精確に伝える、唯一の書である。

 

なぜ今、高橋信次なのか

高橋信次の名前を一気に有名にしたのは、『幸福の科学』という新興宗教である。>

・1970(昭和45)年、高橋信次は、東京・浅草の自社ビルの一角に絨毯を敷き詰めて、車座になって心の問題を説くということを開始いた。私が訪ねて行ったのは、その車座の講義が開始された直後のことだった。

 

・最近、遠隔気功でガンを治している藤谷泰光さんと知り合いになり、その遠隔透視力が、高橋信次を彷彿させるパワーを持つことに驚いた。よくよく聞いてみると、現在の境地にたどりつくことができたのは、高橋信次の指導によるものだという。

 

・また、世界各地で「内観」と呼ばれる心の内省法を指導しておられる中野節子さんも、高橋信次の影響を強く受け、それが現在の活動の原点となっていることを知った。

 

・本書の中では、こういった言葉の使い方を「符牒言語」と呼んでいる。いわばサークル内での仲間同士にだけ通用する言語だからだ。

 

・さて、高橋信次はこの宇宙をコントロールしている意識を「神」と呼んでいる。そして、釈迦や観自在菩薩などの仏教の言葉をたくさん使って、自分の教えを伝えている。

 

アメリカのカルトとマインドコントロールの手法

簡単に整理しておくと、高橋信次の言っている神は、キリスト教の神と同じものである。そして、如来または仏とは神のことではなく、「最高の悟りを得た人」という意味である。仏教用語としてもこの如来の定義は正しいと思うのだが、鎌倉仏教各派は親鸞日蓮を敬うあまりに、自派の開祖をまるで神のようにあがめる傾向があるようだ。

 いわずもがなだが、仏教の開祖は親鸞日蓮ではなく、釈迦である。

 

驚くべき奇跡の数々を見せた現代の霊人

他人の人生を読み取れる男

高橋信次は、人の心を読むことができた

 彼が亡くなってからもう19年(註:1995年当時)。それにもかかわらず多くの人が高橋信次に心酔している。その理由の第一に、この人が他人の心を読み取ることができたという信じがたい、強烈な印象があるからではないだろうか。

 

・相談に来る人々は、さまざまな悩みを持っていた。しゅうとめとのあつれきによる心の悩み。商売の上での悩み。人間関係の悩み。宗教上の悩み。身体の不調。つまり、それらの悩みを自分で解決できずに、高橋信次の噂を聞きつけて全国からやってくるのであった。

 

・しかし相手の名前を覚えなくても、その人の固有の意識を読んでいたようだ。ひとりひとりが持っている複雑な意識をよく記憶していた。

 

・身内の人以外には相手の名前を呼ぶことはなく、必ず「あなた」というふうに呼びかけていた。だから、名前を覚える必要もなかったのではないかと思う。

 

・「あなたは長年教師をしていましたが、仕事のほうはしっかりやっているのに、自分の家庭をここまで不調和にしてしまいましたね。娘さんの病気を作ったのはあなたです。あなたは、どうしたらいいかを知っているけれど、頭がいいので解決を邪魔しているのです」

 高橋信次はその婦人がインテリであり、知性が十分にあることを説明した。しかし、知性だけの理解では愛情のある家庭を作れないことを、じゅんじゅんと説いた。

 

高橋信次は相手からの相談の言葉を待たずに、一方的に問題点を指摘し、その解決法を示すことが多かった。この婦人の場合もそうだった。娘の病気の悩みで相談に来たということまで見通している。

 

他の宗教団体から派遣された偵察者も相ついだ

・GLAというのが、高橋信次の作った団体の名前である。昭和46(1971)年になって正式にGLAが発足するとともに、彼は全国各地から請われて講演に行くようになった。

 

・「この中にふたりの不調和な人間がいます。そちらでさっきからニヤニヤしている女性、そう、あなたです。それから柱に寄りかかっている男性。あなたです。あなた方は、〇〇会という宗教団体の会員です。この講習会を偵察しろと言われて来たのです。堂々と前に出てきなさい」

 

・昭和45(1970)年にGLAがスタートする前から、高橋信次のまわりには『生長の家』という宗教団体を遍歴してきた人の参加がめだった。すでに幹部の何人かが高橋信次に帰依(信仰して弟子になること)をしていた。また、既成の仏教やキリスト教に属する人々もたくさん来ていた。

 

高橋信次には自分の生活のことなど一切話したことがなかったのに、まるで見てきたようなことを言う。しかもその教室というのは、浅草から4百キロも離れた東北の田舎町にあった。

「どうしてわかるんですか?」と聞いたところ、「あなたの後ろにいる偉い人に聞いているのです」。たとえば、つのだじろうのマンガにある「うしろの百太郎」が私にもついているのだろうか。「あなたの守護霊が、あなたのことを心配して、私にいろいろと説明してくれるのです」

 高橋信次は、私の守護霊とやらしばらく話をしていた。

 

・「あなたの教室をちゃんとするには1200万円が必要です。そのお金は、もっと広いところを借りるのに必要な金額です。宣伝することも必要です」

 高橋信次は、どういう場所を借りるべきか、宣伝はどうすべきかなど説明した。つまり、新しい場所を借りうる家賃、敷金、改装費、新聞やテレビへの宣伝費などを細かく説明した。

 私の守護霊と相談して判明した必要な金額だという。

「来週の月曜日にそのお金を貸しますから、取りにいらっしゃい。必ずすぐに返せるようになるので、安心して借りにいらっしゃい」

 と不思議なことを言う。まだ4、5回しか会ったことのない、20歳をちょっと過ぎたばかりの若者に対して、高橋信次は驚くべき援助を申し出たのだ。

 1200万円などというお金は、当時の私には見当もつかない大金だった。今の感覚でいえば、家を1軒買えるぐらいの金額だ。2、3日考えてみたが、霊をつかむような話だったので、借りに行くのをやめようと決意した。

 

宗教は怖いものであるということを教えたかった

高橋信次は、宗教関係者には特にきびしい指導をしていた。

「宗教関係者というのは、人に間違ったことを教えることが多いので、ほとんどが地獄に行くのです。そのためには他人の何倍も、自分の心を磨く努力をしなければならないのです」

 宗教家に対しては、

「〇月〇日にあなたはこんなことをしましたね」とか、「こういうふうに思いましたね」「そのとき、○○さんがいましたね」という聞き方をよくしていた。相手の記憶を鮮明にさせるために、たたみかけ、容赦しなかった。

 誰も見ていなかったはずのことを指摘されるのだから、指導されるほうはうそをつけなくなってしまう。

 つまり、宗教家の場合、急いで反省をするきっかけをつくらないと地獄にまっしぐらというコースをたどってしまうので、特にきびしくしているという。

 

・先に話した『生長の家』の元幹部などは、その後何度も何度も、心の中に隠していることを洗いざらいするという作業をさせられていた。

 彼以外にも、他の宗教団体から高橋信次のもとに来た人がたくさんいた。GLAが特徴的だったのは、他団体の幹部クラスの人の帰依が多かったということだ。そして、あとにはひとつの教団がまるごと帰依することになる。宗教学者たちものちに指摘しているが、こういった形の集団帰依は宗教史上めずらしい出来事だという。

 

・悲しいかな、人間は他人を悪く言うことで、自分のアイデンティティーを確認しようとする。高橋信次は、心の毒は他人と自分に恐ろしい作用をおよぼすと言い続けた。

 そして宗教家の心の中に形成されている毒は、一般の人の何倍もの毒性を持っていることを訴えた。つまり、人を教え導くという立場が、本来清いものだと思ったら大間違いだということである。

 なぜならば、教団という心の上下をあつかうヒエラルキー(ピラミッド組織)の中では、信徒たちの側からのチェックを受けることはめったにない。社会的にも、宗教法人という法律的な保護の中で、めったなことではチェックを受けない。それだけに、ひとりよがりな価値観が毒となって心にため込まれるのである、と高橋信次は言った。

 

キリストの癒しの実演と引導渡し

・彼は病気治しそのものは、あまり積極的に行なわなかった。ただし、彼に病気を治してほしくて訪れる人は数多かった。そういう人々に対しては、心を修正すれば病気が治るということを、色心不二(身体と心は不可分の関係にあるという理論)を説きながら、根気よく説明し続けた。

 さらに病気の80パーセントは憑依霊のせいであると説いた。この憑依霊を取ると病気が治るという。ただし、色心不二を理解した正しい生活をしなければ、また別の憑依霊がついて元のもくあみになると説いた。色心不二というのは、天台宗を起こした中国の僧侶智顗が6世紀に説いた概念で、天台宗日蓮宗にとっては重要な教義になっている。

 

病気の80パーセントは憑依霊によるものだ

・彼の説明によると、人間は不調和な心を持つと、体の一部に炭酸ガスがたまるなどの器質的な変化を起こし、ウィルスや細菌を培養しやすくなる。憑依霊を除去すれば一時的に病気が治るが、肝心の心のゆがみを直さないと、またまた別の病気を呼び込むという。

 この憑依霊というのは目に見えるのだそうである。

 

・「きのうの〇時ごろ、あなたのご主人が、あの世に旅立つというあいさつに見えたので、ちゃんとあの世に案内して差し上げましたよ

 高橋信次はそう言って、亡くなった人の死亡時刻を肉親に伝えることがよくあった。そう言われたほうは、死亡時刻を読み取れる高橋信次の能力に驚くとともに、亡き人が成仏したことを確認して安心したものである。

 この引導を渡す能力は、現在のGLAの教祖である娘、佳子も習得している。高橋信次から指導されたのか、それとも母親の一栄さんから指導されたのかも知らないが、私の知り合いの死期に、佳子が引導渡しを正確にしたのを何度か目撃している。

「正確にした」というのは私の思い込みかもしれない。なにせ私は佳子とは口を利いたことがないのだから。ただし、佳子がキャッチする死亡時刻と、医者がカルテに書く死亡時刻は、佳子がその場にいないにもかかわらず常に一致していた。

 

高橋信次の死後、GLAを離れて教祖になった人々のほとんどが佳子の悪口を言っているが、そういった人々は、佳子が正確に引導を渡すという能力を持っていることを知っているのだろうか?

 

過去生の言葉を使って生まれ変わりを実証する

アメリカには2憶5千万人が住んでいる。朝日新聞外報部の沢村亙氏によれば、1993年現在、登録されているピストルと短銃の数は2憶強である。年間2千人が銃の事故で死んでいるとのことである。つまり、ほとんどの家庭に2丁や3丁のピストルがある計算になる。

 

・そのせいだと思うが、アメリカでは「臨死体験」の本がたくさん出版されている。

 

その内容のほとんどが、「死後の世界には川があって、向こう岸に亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんがいた」とか、「すごく気持ちのいい景色の世界に呼ばれたが、帰ってこいという声が聞こえた」とか、「自分の死体を自分で見ながら空中を飛んでいた」というものである。

 

高橋信次は、この国の長い仏教の歴史の中で、私の知る限りでは、初めて輪廻転生を実証する試みに挑戦した人ではないだろうか。

 彼は全国各地で公演活動を行なったが、過去生の記憶を呼び起こすというデモンストレーションを千数百回にわたって行なっている。

 

高橋信次が相手に向かって聞いたこともない言語で話しかけると、不思議なことに相手は、同じような聞いたことのない言語を話しはじめる。マスコミ用語では、この過去生の言葉を異言(いげん)と呼んでいる。

 

高橋信次は、興和高橋信次実弟)さんに向かって不思議な言語で話しかけた。そうすると興和さんも、同じような言葉で語りはじめた。あとで聞いたところ、この不思議な言語は古代コーサラ語だという。釈迦が使っていた言語である。兄の声と違って、ややハスキーな優しい声であった。

「この人は、釈迦の時代にクナンダという名前で仏教を修行していました。当時のことを今こうして思い出して話しているのです。この人はのちに、キリストの時代にパウロとして生まれ、さらに日本でも鎌倉時代親鸞という名前で生まれ、魂の修行をしてきたのです

 私は、エドガー・ケイシーの輪廻転生の本などをはじめ、アメリカの生まれ変わりの文献をいくらか読みあさってはいたものの、目前のこの現象だけで納得するのは無理だった。しかも、この人はパウロ親鸞などの有名人だったという。生まれ変わりというのは、有名人ばかりなのか。

 

高橋信次は、ハンカチで汗を拭きながら、「ムー大陸の言葉ですよ。キワワカ語が出るなんてめずらしい」と言った。「えっ」

 あまりにも奇想天外なので、私は一瞬頭の中が真っ白になった。高橋武さんのような中国語でも出てきたらおもしろかったのだが、ムー大陸の言葉なんて、うそか本当か調べようがないじゃないか。だいたいにして、アトランティス大陸については、その実在の証拠がいくつか挙がっているものの、ムー大陸なんて、まだ伝説の域を出ていない。

 高橋信次は、ムー大陸について説明しはじめた。キワワカというのは、ムー大陸の北側にあった一番大きな国で、イヨーというのは、当時信仰されていた太陽神の名前だという。ムー大陸の人間はイヨーに対する信仰が篤く、心が激するとイヨーを唱えることが日常だったという。キワワカ語をしゃべり出す人はめったにいないそうである。

 

他人の夢をコントロールする

ともかく、高橋信次はトリックでは絶対に行なえない超能力を持っていた。さらに、それらの能力を他人の自己実現のために助力することに考慮をはらっていた。テレビに出て有名になりたいとか、お金を儲けたいとかの願望は、本人にはまったくなかった。

 また、睡眠中の他人に夢を送り込み、それを読み取るという能力を高橋信次は持っていた。高橋信次の持っていた超能力の中では、きわだった特筆すべきものである。

 

・聞くと、高橋信次の弟子だという。東京・新宿区の高田馬場駅から歩いて十分ほどの小滝橋にある、観音寺の住職をしている村上宥快さんという人で、真言宗豊山派の僧侶だという。

「高橋先生はお釈迦さまの生まれ変わりですよ」と、このお坊さんは不思議なことを言う。仏法をちゃんと説ける人は高橋信次しかいないので、修行をしに来ているのだという。高橋信次=釈迦説を最初に言い出したのは、この人である。

 

・先ほどの「成長の家」といい、この「真言宗」といい、GLAにはさまざまな団体に所属する宗教家が教えを請いに集まっていた。この観音寺には何度か遊びに行ったことがあるが、高田馬場付近では一番大きな立派なお寺である。

 

・さて、村上さんが何度も失敗していた「夢テスト」というのは、高橋信次がその人の心の修行段階に応じて、寝ているときに夢を送り、それをどの程度解決できるかを判断するというものであった。読者のみなさんにとってはにわかに信じられないことであろうが。

 

高橋信次は夢を他人に送り込んで、それをじっと見ているわけだから、すべての人をテストするということは不可能だった。