日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

耕作放棄地、有害鳥獣、空き家問題は日本の三大問題で、これから税金を使って解決していかなければならないことはわかりきっている。問題の根は同じで、地方の人口減少と少子高齢化である。(1)

 

『アロハで猟師、はじめました』

近藤康太郎     河出書房新社  2020/5/23

 

 

 

狩猟は、一部の変人の“趣味”ではありません。>

・私は、東京・渋谷生まれで、仕事場もずっと東京かニューヨーク、濃密な人間関係がいやで田舎暮らしなど考えたこともなく、夏はいつでもアロハ姿、冬でもアロハや派手なシャツを着て粋がっているとっぽい野郎で、狩猟や百姓など問題外、そもそも虫がいじれないので釣りさえできず、冬になるといつも元気がなくなってうつ気味になり、夏は毎年フジロックに通って「これこそ大自然だ!」と勘違いしていた馬鹿で、フランス映画の「カルネ」を観てショックを受け一時期ベジタリアンになっていた人間です。

 

・そうした人間が、なんの因果か、6年前から百姓になり、猟師になり、罠師になって、とうとう食肉ブローカーにもなりそうなのです。

 狩猟は、一部の変人の“趣味”ではありません。狩猟採取は、女も男も子供も、すべての人間にとっての根源的な営みです。これは、狩猟をしてみて、初めて分かった真理です。

 

・つまり、狩りは、スリルとかゲーム感覚とか、そんなことではないんです。人間の、人間のくらしの、おおもとだったんです。わたしは、もう、猟師をやめられなくなりました。

 

わたしは鉄砲撃ちになった

長崎県諫早市に移り住み、わたしは猟師になった。手始めに鴨猟に挑んでいるが、その肝心の鴨に、会えなくなったのだ。

 

干拓地に通い始めた最初のころは、鴨も何羽か見かけたのだ。軽トラックで小水路に着くと、エンジンを止め、ドアを無造作に閉め、鴨の姿を発見したら、猟銃を携帯バッグから取り出しつつ、急ぎ足で近づいた。有効な射程内の茂みからのぞき込むと、鴨の姿はもはやどこにもなかった。

 

違う「環世界」に生きる

読者に、散弾銃を持ったことがある人はどれくらいいるだろう。持つと、初めて分かる。銃とは、重い道具だ。その重さは、目指す獲物に会えないと、さらに増す。

 雨の日など、服を通して肌まで濡れて、銃弾を入れたウエストバッグはいやましに重く、固く締まった銃の吊り紐が上着に粘着して、食い込むような重力を肩に加える。

 

猟師になると、初めて<世界>が見える。<世界>が聞こえるようになる。音、色、匂い。風や水面や樹木や葉っぱなど、世界を見る目がまるで変ってくる。生物学者ユクスキュルがいうところの「環世界」が変わる。いままでと違う環世界に生きることになる。それが猟師の魅力の半分以上なのだが、そんなことが分かるのは、まだまだ先の話だ。

 一度聞いたら忘れられない鴨特有の鳴き声が、草むらの向こうから聞こえる。音の元を予想して、そっと忍び寄る。

 

ここでなにをしているのだ

・野郎、いやがった! 息を荒く、深い葦に足を取られながら、静かに忍び寄ると、突然、地面が沈んでいった。

 干拓地は水浸しで地盤がゆるい。水路のうえにも、葦や枯れ枝が茂っていて、ちょっと見るだけでは、地面なのか、水面などかが分からない。

 

・真冬の荒地に、呆然と立つ。長靴には泥水が入り、死ぬ思いでつかんだイバラに切られて、手に血がにじんでいる。下半身からは腐った水とヘドロの臭いがする。

 

書くべきことを書け

・2016年の秋に、鉄砲撃ちの猟師になった。もとはといえば、東京・渋谷生まれのセンター街育ちで、仕事場もずっと東京だった。ニューヨークに住んでいたこともある。

 

・わたしは新聞記者として、また会社外では一介のライターとして働き、30年以上になった。それなりに順調に仕事は増えていいたのだが、2010年ごろだったろうか。友人のフリーライターやフリー編集者、フリーのカメラマンが、仕事を辞めていくようになった。アルバイトを始めたり、なかには郷里の実家に戻ってしまうものもいた。

 出版不況である。紙媒体の雑誌が、次々、廃刊するようになった。原稿料も右肩下がりに下がっていく。インターネットメディアの仕事もあるにはあるが、新聞や雑誌など既存メディアのニュースの切り貼りがほとんどで、たまに独自の取材記事があっても、注文は「とにかく分かりやすく、敷居を低く」の一本鎗で、文章に味だの節だの癖だのは求められない。士気が下がる。この商売も潮時か。そう考える仲間が増えた。分からなくもない。

 分からなくもないが、分かりたくはない。なんのために、これまでライターをやっていたのだ。それは「食うため」だったのか。食って、生きるための、方便だったのか。生きるために、書くのではない、書くために、生きる。書くことが、すなわち生きること。そう確信しているからこそ、机にへばりついて、腰を痛めて、だれが読むとも知れないこんな文章を書きつなぎ、書きつなぎしてきたのではなかったのか。

 食えないなら、辞める。そういう「お仕事」ではなかったはずだ。

 

「朝だけ農夫計画」発動

・そんなことを考えながら、ふと思いついたのが、「朝だけ農夫」計画だった。わたしは年齢の割には大食らいだが、人間、米さえあれば、なかなか飢え死にはしないだろう。であれば、主食の米ぐらいは、自分で作ってしまうのだ。早朝の1時間だけ、農夫として働く。ほかの時間は、今まで通りにライターである。それだけで、男一匹が一年間食つなぐための米が、できないものか?

 そんな企画を立ち上げて、わざわざ縁もゆかりもない日本の西端、長崎県諫早市に飛んでいったのが、2014年のことだった。

 

・いまや日本中、どこにでも広がっている耕作放棄地を借りる。ど素人に一から教えてくれる田作りの師匠と、偶然、出会った。

 

ところで日本の西端に位置する長崎県は、猪の捕獲数が全国一だった。山がちな県だから山間部の棚田が多く、足の便が悪くて高齢になった農家はなかなか田に通えない。だから耕作放棄地の割合も全国でワーストワンだ。わたしが田作りを続けている土地も、もとはそうした耕作放棄地のひとつだった。

 放棄された田んぼは、猪のかっこうの生息地になる

 

・わたしが耕し、どうやら成功した棚田の集落も、例外ではない。猪の被害にあう田畑が、随所にある。ジャガイモを食い荒らされたと、農家が頭を寄せ合って嘆いていた場に居合わせたこともある。

 

わが田んぼは幸い無事だったが、いったん猪が入って泥遊びでもされたものなら、その米は臭くって食えたものではないという

 そこでまた、ふと思いついてしまった。田作りの師匠を始め、集落の農家には世話になりっぱなしである。もしも、自分が猪を捕獲できれば、わずかながらの恩返しができるうえに、おかずにもなるのではないか。「朝だけ農夫」計画のしぜんな延長として、これ以上のものはないのではなかろうか。

 

猟師デビューは難しい

・猟師になると決心して、田の師匠に打ち明けると、完全に馬鹿にして、薄笑いされた。百姓も一人では満足にできない都会者に、猟師などできるわけがない。たしかに、薄笑いされても仕方がない無謀な試みだった。猟師デビューは、そのスタートラインに立つだけでも激しく難しいことが、すぐ分かる。

 猪を獲る方法には、大きく分けてふたつある。鉄砲による猟と、罠で捕獲する猟。そして、鉄砲での猟の方が、罠よりも一段とハードルは高い。

 鉄砲猟をするのは、まず第一種銃猟免許をとらなければならない。空気銃だけでよければ第二種銃猟免許だが、猪や鹿を撃つならば散弾銃が必要で、すなわち第一種銃猟免許が必須である。

 

しかし、これとは別に、警察から銃の所持許可も得なければならない。試験は別で、両方とも筆記と実技とがある。このふたつの試験に合格して、初めて自分の銃を持ち、猟をできる。

 銃所持の試験に申し込む前には、精神の働きに異常がないことを、医者に証明してもらわなければならない。近所の精神科クリニックに診断を電話で頼んだのだが、受付の女性との会話がなにか、かみ合わないのである。

 

・いや、そういうことではないのだが、話がかみ合わないのも当然で、そもそも銃所持のための診断書を書いてくれるクリニックを街中で探すことじたいが、けっこう難しいことなのだ。それぐらい、いま、猟師になろうというのは、社会的な少数派、マイノリティーだ。

 いろいろな病院をたらい回しにされ、諫早市では、山の奥にひっそりとある大きな精神病院でしか診断してくれないことが分かった。向かった病院には、窓に鉄枠がしてあった。

 

<国家とはなにか>

警察の試験にはきわめて厳重なものがある。本人への面接はもちろんのこと、家族や職場、隣近所などを警察官が聞き込む。素行調査である。銃と銃弾の保管庫もそれぞれ別の部屋に、管理することが求められる。

銃のロッカーはねじなどで壁に固定しなければならない。銃の改造がないか、銃弾の使用数と残弾数とで齟齬がないかなどを、毎年、厳しく調べられる。

 人を殺傷する能力さえある道具であるのだから、厳重管理はあたりまえとも言える。ただ、銃所持を申請し、警察との面接などを経て、初めて直観できることはある。これは、安全対策はもちろんなのだが、その底流にあるのは、暴力の一元管理とでもいうべき<国家の思想>なのだ。

 国家は本質的に「暴力の独占装置」という面を持つ。

 

・警察の銃管理が、極めて厳重かつ細心で、規制だらけだということの底流には、暴力の独占という、国家の無意識的な生存本能が働いている。

 こんなことは猟師を目指さなければ考えもしなかったことだ。こうした極めて煩瑣な、厳重な管理をも厭わずに、銃を保持して、けものを撃つことにこだわる猟師には、癖のある人が多い。頑固者、つむじ曲がりといってもいい、経済合理性に欠ける。カネにはかえられない「なにか」を持っている人間の集まりだ。

 

「人間のすることは勝手」

・書類をそろえて、県警本部で実施される銃所持試験に臨んだ。試験は年に2回しか行われない。筆記試験は「銃砲刀剣類所持等取締法、いわゆる銃刀法の法令問題である。ポイントを覚え込んでいけば、通るのはそれほど困難でもないだろう。問題は実技試験だ。

 

人生の扉が開く音

・世間話で打ち解けると、その後の教官の教え方は、合理的かつ的確だった。

「銃の衝撃波、肩で抑え込む!」

「標的を待ち過ぎない。思い切りが大事」

「射撃後、銃の振りを止めない! 野球のフォロースルーと同じ!」

 ハイスピードで飛んでくるクレーを銃口で追い、タイミングよく引き金を引く。生まれて初めて聞いた銃声は、思わず声を出してしまうような、すさまじい音であった。まともな生活では決して聞かない轟音が、山中にとどろく。

 規定では25発が1セットで、25発中3発命中すると合格になる。やってみれば、分かる。これは、簡単な数字ではない。

 

・鴨が見えている間は当たらない。鴨ではなく、銃の先にある小さな「照星」という目印を見る。照星を鴨の上にかぶせるようにして乗せ、鴨の飛ぶ方向の先の「空間」に向けて撃つから、飛ぶ物体に当たるのだ。物体そのものを狙っては当たらない。

 

猟奇的な受験生

・銃の所持許可を得ると、次は狩猟免許を目指した。散弾銃を撃つならば、第一種銃猟免許を取得しなければならない。これで空気銃も撃てる。

 狩猟免許も銃免許試験と同様に難しく、手続きは面倒だ。やはり、実技と筆記がある

 事前に猟友会が行う講習会に参加しなければならない。法令試験は「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法令(鳥獣保護法」などである。

 

・筆記試験には面接もあり、狩猟できる鳥獣と狩猟不可の鳥獣を、絵を見て識別しなければならない。見たこともないような鳥獣の名前を覚え、狩猟の可、不可を答える。試験対策に、鳥やけものの絵を切り貼りして手帳のカードを作り、暗記に励んだ。トイレや、原稿書きの休憩時間など、寸暇を惜しんでカードをめくり、まるで受験生だが、「台湾リス、撃ってよし。オナガガモ、撃ってよし。トモエガモ、撃って悪し………」などと口の中でぶつぶつ唱えるさまは、なかなか猟奇的な受験生だろう。

 

ニホンジカエゾシカ、日本リスと台湾リスの区別に狩猟の可否、イタチのオス・メスにアライグマ、アナグマなどを見分けていく。ムササビだのヌートリアだのタシギだのオシドリだのトモエガモだの、見たことも聞いたこともないけものや鳥の名前を覚えていくことじたいが、非日常の世界に一歩ずつ足を踏み入れていくようで、ひとかたならず興奮を覚える。

 

実技試験が、たいへん難しいものだった。銃を解体し、組み立て、安全を確認し、銃を持ちながら歩行したり、休んだり、その動作の一つひとつをチェックされる。川を渡る際のシミュレーションで、猟仲間にいったん銃を預け、安全を確認してから銃を再び受けとる。書けば簡単に思えるだろうが、銃口を人に向けたり、うっかり引き金に指を触れたりしたら、その場で大失点、もしくは即刻アウト、試験終了だ。

「なんだ、それしき」と思うかもしれない。しかし、普段の生活で銃を持たない者は、すぐ銃口を人に向けるし、引き金に無意識に指を入れる。そのたびに講師に激怒され、身がすくむ。

 

神聖喜劇』なら殴られてる

・講習会を終えて自宅に帰ると、本番の試験まで動作を体に覚えさせた。何度も、自分で声に出しながら、繰り返す。

銃、解体します! 銃口内、異物なし、実包なし!

「縦列行進、始めます!」

「休みます! 銃口内、異物なし、実包なし!」

 自室で、百円のビニール傘を片手に、大声で叫びながら、手順を確認する。

 講義を受けていた受験者のなかに、「サバゲーをやっていた」という若い男性がいた。サバイバルゲーム、つまりミリタリーマニアであろう。わたしの偏見かもしれないが、おそらく偏見だろうが、サバゲーを愛好する感覚がどうにも理解できない。結局、人を撃つゲームであり、遊びにせよ、銃で人を撃つことにおもしろみを感じる感性が、わたしの理解の埒外にある。

 

・本番試験がやってきた。銃の取り扱い、解体、組み立て、集団での縦列行進に休憩、その所作を細かくチェックされる。

 猟とは、準備がすべてである。試験準備だけは、入念に、周到にした。自己採点で、おそらくはノーミス、満点で合格した。

 晴れて猟師へ、一歩踏み出したはずだった。

 

3年ほどは弁当持ち

・踏み出して、すぐ踏み外した。

 猟銃の免許を取ったとはいえ、すぐに目標だった猪を獲れるわけではなかった。命の危険がある。「初心者はまず鳥撃ちから」と教えられた。鴨やヒヨドリ、キジなどを狙えというわけだが、そもそもどこに行き、なにをすれば、鴨やキジに会えるのか、どんな教科書にも書いていない。

 地元の猟友会に入っているので、講習会でもしてくれたらよさそうなものだが、そうした新人育成プログラムのようなものは期待できない。なぜか。

 猟師は、基本的に、みながライバルなのである。新しく若い猟師が参入するのは、表向きでは喜ばしいことになっているのだが、それはあくまで建前で、新人猟師は、自分の縄張り以外でやってくれというのが先行者の本音だ。

 

猟師は縄張りが財産なのだ。けものの通り道、鴨やキジがえさを食う場所、鹿が山にこもって寝る場所など、経験のある猟師ほど、そうした場所のデータベースを揃えている。その財産は、20年から30年もかけて、一人ひとりが築いてきたものだ。あだやおろそかに、赤の他人の猟師に教えるわけがない。当然といえば、当然なのだ。

 

いつ飛び立ったのかが分からない

全国でも一、二を争うほどの、鴨の優良猟場

・一度だけ、猟友会会長が鴨猟に連れていってくれたことがあった。

 諫早は巨大な干拓地で有名だ。

 敗戦後すぐの日本は、食糧不足のため、有明海諫早湾を大規模に干拓し、水田を確保しようと計画した。

 

辞めていく新人猟師が多い

・いまなら、分かる。すべて、やってはならないことだらけなのだ。

 鴨は耳のいい動物だ。軽トラが通りすぎるだけで用心するし、軽トラが停車したら、はや警戒レベルはマックスになる。鴨がいる場所から、かなり遠い場所で静かに停車しなければだめなのだ。ましてや、扉をバタンと閉めれば、それだけで飛び立って逃げていく鴨もいる。

 目もきわめていい。人間が鴨を正視すること、急ぎ足で歩くこと、すべて、鴨にとっては最大級の警戒信号にあたる。色を識別できるとも言われ、本来ならオレンジや赤などの着衣は避けたいところなのだ。

 

・いつものように、鴨の顔さえ拝めず、軽トラで帰る。あれだけ苦労してとった銃の所持許可に銃猟免許だが、撃つことさえできない日々が続いた。

あとで聞いたことだが、これは新米猟師にはけっして珍しいことではないという。獲物に遭遇して、撃って、はずす。これはまだ、耐えられる。自分の腕が悪いのだから。だが、獲物に会うことさえせず、弾を撃つこともない。これは、こたえる。何週間も続けば、だれでもへこたれる。せっかくとった免許を捨て、辞めていく新人猟師も多いのだ。

 

「冬はなにして遊びよっと?」

・最初に教えてもらった干拓地で、自分のへまから鴨に会えなくなったのだが、さりとて新しい猟場を開拓しようにも、そもそもどこを探せばいいのかが分からない。県が発行している狩猟マップがあって、そこには狩猟可能な地域、禁漁区、保護区などが色分けされて記載されている。しかし、この地図にしたところで、なれない素人にはきわめて判別しにくい大ざっぱな地図だ。ふつうの道路地図とは違うから、じっさいに自分の立っているクリークや池が、禁猟区なのか猟区なのか、境界線がよく分からないのだ。

 仮に判別できるほど、はっきりとした猟区のど真ん中にいたとしても、思いもかけない人家が近くにあったり、畜舎があったり、墓地や社寺仏閣があったりすれば、それは、法律上はともかく、銃猟をするのに適当な場所とは言えない。

 厳冬のある朝、夜明け前から準備して、また鴨の姿を見かけることなく、帰る。一カ月、弾を撃つ機会さえなく、無為に過ぎていた。さすがにへこむ。

 

「馬鹿に鉄砲」はたちが悪い

・「どこに行けば、鴨を獲れますか?」と聞いてはいけない。これは、最低の質問だ。相手も猟師なのだ。そんな虫のいい質問をするだけで、質問者の馬鹿さ加減が分かる。そして、猟師は、馬鹿とは猟をしない。失敗するし、場合によっては、自分の命にも関わる。なにやらに刃物、という。馬鹿に鉄砲は、さらにたちが悪い。

 50歳にして湿地でヘドロまみれになっているわたしもたいがい馬鹿だが、そこまでの非常識、無遠慮ではない。

 

堤こそ猟師の命

・出会いがなければ獲物もない。釣り人にとって秘密の釣り場がなにより大事なのと同じように、猟師にとっては、「自分の堤」をいくつ持っているかが、勝負の分かれ目になる。ブラ師も、かれこれ40年以上、長崎県中の堤を開拓して、探し歩いたのだという。その一部を、わたしにおしげもなく数えてくれているわけである。ふつうではあり得ない好意なのだ。

 そもそも、猟師が猟場を他人に教えることは、ない。猟師の財産だ。したがって、ほかの猟師に教わった猟場は、原則、その人と一緒でなければ、回ってはならない。暗黙の、猟師のルールだ。

 そんな基本的な礼儀もわきまえない新参の猟師が多いからだろう。なおのこと、先輩猟師たちは、どこで撃っているか、その猟場を秘密にする。

 

・こんな苦労の果てに探し求めた堤(農業用水の小さなため池)こそ、猟師の命である。新人猟師にむやみに教えないのはあたりまえだ。

 自分で堤を探し始め、自分なりに試行錯誤し、いまでは方法論を確立したと思う。自分で開発した方法なので、ここで公表しても先輩猟師にも怒られないだろう。本書読者のために、特別にマニュアル化してみよう。

 

その1 ネット地図を使い倒す

・グーグルでもgooでもヤフー地図でもいいのだが、自分が使い慣れたインターネット地図を開く。試みに、自分が猟場にしようとしている付近を拡大してほしい。田んぼじたいは分からない。しかし、小さな池や沼、田んぼに水を引く堤ならば、慣れてくれば分かるはずだ。薄いブルーに色づけされている。

 じっさいに堤のいくつかに足を運べば分かるが、池や沼と違って、堤はどれも特徴的な形をしている。

 

・先にも書いたように、鴨はいったん飛び立って山に逃げるが、Uターンして海側に帰ってゆく。したがって、われら猟師はこの直線上の堤体で、鴨を待つことになる。

 

その2 農道探しがキーポイント

・地図で、「ここは堤(農業用水の小さなため池)かもしれない」と目星を付けたところを、注意して眺める。すると、ある規則性に気付くはずだ。海に近いところにも堤はあるが、山の中腹あたりに、堤が密集して横並びになっている場所があるのではないか。なぜ密集しているか。農道があるからだ。

 

・ネット地図で倍率を上げてよく見ると、そうした農道に、「オレンジロード」とか「レインボーロード」などという名前が付けられている。

 わたしたちのように、一日中、鴨を追いかける猟では、この農道が主戦場になる。

 農道が通っているということは、その近辺には田んぼや畑が多いことを意味する。そこには必ず水が引かれており、田の裏には堤がある可能性が高い。

 

・2011年の東日本大震災では、農業用水のため池も決壊するなどして、大きな被害につながった。このため国土交通省は日本全国の自治体に、管内のため池の位置や所有者情報をまとめておくように指導している。地図上で位置を特定し、職員がじっさいに足を運んで水の有無を調べ、所有関係も調査している。この地図が、じつは、いま日本でいちばん詳しく、正確な、堤情報だ。

 個人情報が含まれるといった理由で、自治体によっては見せない、コピーさせないところもある。そこで引き下がっているようでは、猟師にはなれない。猟師の第一要件は、しつこいこと、そう言って悪ければ、執念深さだ。あくまで冷静に、自治体が税金を使って集めた情報は、本来、市民のものだということを主張し、納得させる。情報公開請求するくらい、やってもいいのだ。

 

その3 狩猟マップを読みこなす

・新人猟師のいちばんの悩みどころは、じつはもっとも初歩的なものである。どこが猟をしてよくて、どこがだめなのか、その判断が簡単にはつかないところだ。最終的には地元の猟師に聞くのがいちばんなのだが、先から述べているように、猟師は基本的につるまない先輩猟師に聞いたところで、あからさまにここはおれの縄張りだという態度で、排除してくることがよくある。自分で調べるしかない。

 各県が「鳥獣保護区等位置図」という地図を発行していて、狩猟者登録をすれば、毎年、最新版が配布される。ここに、鳥獣保護区や休猟区、特定猟具禁止区域などが、地図に色分けして示してある。

 ただし非常におおざっぱな地図で、自分の見当をつけた堤が猟区に入っているのか、禁猟区なのか、これだけで判断するのはまず不可能だ。そこでこの地図と、先ほど述べたネット地図とを、つき合わせて比べてみる。

 

・また、こうすることで、地元民以外、だれも知らない山や川やダムの名前を覚えて、さらに地理に詳しくなる。地理に詳しいものが、いい猟師だ。

 

その4 実地調査はバイクがベスト

・あらゆる地図を利用して堤情報を集めていく。ここまで調べれば、自分だけの猟場候補が数十ヵ所はでてくるはずだ。そうして、いよいよ実地に堤を調査するのである。

 ここまでやる人は少ないが、自分は、軽トラでいきなり堤に行かずに、オフロードバイクで偵察することにしている。

 

そういう池を偶然に見つけたら、一生の宝物になる。猟師を始めてまだ間もないが、じつはわたしも、「秘密の池」を、ひとつ持っている。夏のあいだ、馬鹿のように山を走り回ったたまものだ。馬鹿は足で稼ぐのだ。

 

その5 ノートを作る

プロ野球の名監督・故野村克也は、プロの世界で、超一流打者と凡打者を分ける違いは、じつはそんなに大きくないと書いている。

 

・野村は1954年に南海に入団したが、それはテスト生としてだった。3年間の下積み生活ののち、本塁打王になったが、さらにその3年後には、技術の現界というプロの壁にぶち当たったという。「俺は野球の技術は二流だなあ、本当に不器用に生まれついたものだなあ、とため息をつきながら、一方で技術以外の要素も野球では必要なのだと気づいた

 それからは、試合を終えるごとに詳細なノートをつけた。現役引退後も、試合で気付いたことや、感銘を受けた言葉など、手帳にメモを取る習慣が身についた。かの有名な野村ノートである。「私にとって『書くこと』は考えることと同義であった」と、野村は書いている。ほとんど哲学者の言である。

人間の最大の悪は何であるか。それは『鈍感』である」とまで、野村は書く。これは、そのまま猟師にあてはまる(というより、まずもって、ライターに当てはまるのだが)。

 せっかく苦労して探し当てた自分の猟場である堤は、ノートに取るのだ。目視して、だいたいの形を絵に描く。

 

鴨は逃げる勇気をもつ

・鴨は、きわめて視力がいい。色も判別するといわれている。視力だけでなく、音にも非常に敏感だ。堤に近づくとき、どんなに足場が悪くても、ブラ師には「木をつかむな」と注意される。葉が揺れる、という。最初はまさかと思ったが、鴨は、そんな音も聞き逃さない。

 いち早く危機を察知する。敵を発見する。発見したら逡巡しない。

 

わたしたちはなぜ生きるのか

・弾があたっても致命傷にはならず、まだ生きている獲物を「半矢」にしたという。いわば半殺しで、半矢で放置するのが、ハンターとしてのいちばんの恥だ。半矢の鴨は、結局はその日のうちに死んでしまうからだ。狸や狐に見つかり、食われてしまう。だから、半矢で落としてしまった鴨は、必死で探す。

 こればかりはやってみないとほんとうのところは理解できないのだが、草むらや竹やぶに半矢で落とした鴨を探すのは、至難の業なのだ。

 

探すことが猟の仕事の半分以上

・ところで、わたしのような初心者がうろついて、ほとんど毎回、法律で決められた上限定数、鴨でいえば一人5羽に達してしまう。なぜか。

 わたしのしているのが、「共猟」だからだ。

 鴨を撃つには、単独行より、二人以上で攻める共猟の方が格段に有利だ。

 

猟は山の托鉢

・資本主義社会にも半分足を突っ込み、原稿料を稼いだりする。しかし、脅迫的な新自由主義からも、半分は足抜けする。

 先進国はどこでも経済成長は鈍っていて、またそれは地球が有限である以上、むしろ自然な成り行きなのだが、資本家はそのあたりまえな理屈を納得しない。配当金を求め、労働者への分け前、労働分配率を下げることによって対処している。「AI時代には、仕事があるだけましで、飢えたくなければ、給料が上がらずとも文句を言わずに働け」というのが、新自由主義の脅迫的な論理だ。

 そして政治権力は、資本の要請にだけ、耳を傾ける。これとても当然といえば、当然の話で、政治家は資本にカネをもらっているのである。政治献金だパーティー券だと、資金を出してもらっているのは、大企業である。労働者は、「客」ではない。

 

鴨はネギ畑に落とせ

・そういう世界を諦観し、仕方ないとあきらめ、順応していく生き方もあるだろう。あるいは、ネトウヨとかパヨクとか、韓国とか中国とか、移民とか、高齢者や障害者や生活保護家庭や、好都合な「敵」を設定し、攻撃し、留飲を下げて、刹那の満足感を覚える生き方もあろう

 否定しないし、勝手に敵をたたきあってもらおう。ただ、わたしは付き合わないというだけだ。

 

漱石も賢治も猟師を嫌った

猟師は、昔から嫌われ者なのである。

 

 一体釣や猟をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生をして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きている方が楽に極まってくる。釣や猟をしなくっちゃ活計がたたないなら格別だが、何不足なく暮らしている上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢な話だ。     (夏目漱石坊っちゃん』)

 

 度しがたい卑怯者の赤シャツや野だいこに、正義漢の坊っちゃんは釣りに連れ出され、こう憤慨している。猟師は不人情な輩と決めつけられる。

 

・命をいとおしむ、人間らしい感情の文学的発露だといえば、一言もない。同じ猟師として、恥じ入るばかりである。だが、こうなるとどうだろう。かつて民俗学者柳田国男は「全く狩といふ強い薬があって、(略)殺生の快楽は酒色の比では無かった」『後狩詞記』と書き、柳田の弟子である千葉徳爾も「野獣を追い求めてこれを狩り殺す快味が、酒に酔い女色に溺れる楽しみに勝るとも劣らぬ魅力をそなえていたことは、体験した者ならば誰でもうなずく」『切腹の話』と書いた。

 わたしはふとした偶然から、「野獣を追い求めてこれを狩り殺す」側の人間になった。そのことに一片の悔いもない。おそらく一生、猟師を続けることだろう。そうした人間として、肉体をもって向き合いたいのである。

 猟師は、殺生に快楽を覚えるものなのか、と。

 

わたしは罠師にもなった

罠猟免許も取った

・いままでは鴨猟に専念していたが、ここで一念発起、日田市で罠猟免許を取得することにした。筆記試験に実技試験があるが、すでにとっている銃猟免許に比べれば、ずっとやさしくなる。

 よく勘違いする人もいるのだが、罠を勝手に仕掛けるのは違法である。足をワイヤで縛り付けるくくり猟、鉄格子の囲いにおびき寄せる箱罠猟など、すべてに免許が必要だ。落とし穴やトラバサミなど違法な猟もあるし、ニホンザルカモシカなど捕ってはならない鳥獣も、あたりまえだが、事細かに定められている。

 有害鳥獣被害に苦しむ自治体は多く、たいていの自治体で新人猟師への優遇策をとっている。ここ日田市でも、罠試験の受験料などが援助された。

 前述したが、耕作放棄地、有害鳥獣、空き家問題は日本の三大問題で、これから税金を使って解決していかなければならないことはわかりきっている。問題の根は同じで、地方の人口減少と少子高齢化である

 

・本来ならば人とけものの生きる領域の境となっていた田畑や林などの里山が、日本全国で消滅しつつある。最近たびたび報じられるようになった、熊による高齢者への危害など、本来、けものと人間との生存域を分けていた里山があれば、あり得ない事態であった。けものは、基本的に、人間世界に近づかないのである。

 こうして日本の山野は、猪、鹿、熊、猿、リスの王国となった。まるでディズニーワールドだが、ファンタジーどころではなく、山でうかつに歩き回れば、死ぬ危険がある。一般の人はもちろん、猟師でも、猪や熊に襲われたり、罠で捕らえた鹿に蹴られたりで、毎年、命を落とす人がいる。あるいは、大けがをする。