日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

コロナ危機への対応以上に、生活者も消費者も、これまでのライフスタイルを長期にわたり転換しなければならないことになるはずだ。(3)

 

リモート時代における社内コミュニケーションの4原則

◆「過剰管理」でもなく「野放し」でもなく――部下が「自己管理」できるように上司が導く

◆オンラインとオフラインを使い分け、コミュニケーションの質を高める――オンラインで「業務管理」はできるが、「人の管理」は限界がある

 

原則❶ 人間の3タイプによって、コミュニケーションの仕方を変える

①  言われなくてもやる人

②  言われたらやる人

③  言われてもやらない人

 

原則❷ 経験値の高い人と低い人を「ペア」で組ませ、アドバイスする「メンタリング」がより重要になる

 

原則❸ 「ムダ話」や「雑談」をするための、インフォーマル・コミュニケーションの「場」をつくる

 

原則❹ 定期的にオフライン(対面)で会うから、日常のオンラインが機能する

 

働き方の自由度を高め、真の豊かさを享受する

<◆「転勤」をめぐる会社と社員の溝は大きくなっている――「転勤レス」という「新たな選択肢」も現実のものに>

 

・ポストコロナにおいて私たちが手に入れるのは、「通勤レス」「出張レス」「残業レス」などの「新たな選択肢」だけではない。

 これまでサラリーマンが強いられてきた会社都合の「転勤」という考え方もここにきて大きく変わろうとしている。

 つまり、「転勤レス」という「新たな選択肢」も現実のものになろうとしている。

 

・共働きや育児、親の介護など、社員たちを取り巻く環境は大きく変わり、「転勤できない」社員も増えている。

 実際、人材サービス大手エン・ジャパンの調査では、「転勤が退職を考えるきっかけになる」との答えが6割に達している。

 

◆会社都合の転勤を撤廃する会社も出始めた

・もちろん、企業側も手をこまねいていたわけではない。

 これまでにも「地域限定社員」などの制度をつくり、転勤が難しい社員たちと「共生」する手だてを講じてきた。

 しかし、転勤を受け入れる社員と転勤しない社員のあいだに階層ができ、待遇面でも差が出るため、働く意欲という面でも問題が生じていた。

 そんななかで、管理職を含む基幹社員に対して「会社都合による転勤の原則禁止」を打ち出した会社がある。AIG損害保険である。

 同社は管理職を含む約4000人の社員を対象に、東京や大阪など全国を11に分けたエリアから、自分が望む勤務地を選べるようになっている。

 社員は、あらかじめ転勤の可否に関する自分の考えを表明する。

「場合によっては転勤してもいい」を自発的に選択した社員は約3割、「希望エリアで働きたい」が約7割となっている。

 この制度のポイントは、どちらを選択しても待遇は同じであり、昇進やキャリア形成など評価にも差を設けないことである。

 転勤なしを打ち出してから、同社の新卒採用への応募数は急増しているという。

「転勤レス」は時代の要請でもある。

 

◆社員が住むところにオフィスを設ける会社も――会社と個の「新たな関係性」をつくる

・会社のオフィスがある場所に社員を転勤させるのではなく、社員が住むところにオフィスを設けさせる会社もある。ソフトウエア大手のサイボウズだ。

 

・これまでは会社都合で有無を言わせずに、転勤を押しつけるのが、日本企業の常識だった。しかし、その常識はもはや通用しなくなりつつある。

 代替性の低い「プロ社員」に活躍してもらおうと思うのであれば、会社はこれまで以上に「個」の都合や自縄自縛に配慮せざるをえない。

 

・あらゆる制約条件を取っ払い、「プロ」の成果を最大化する環境を調える。それが会社と「プロ」が共存する方法なのだ。「社員本位」の目線で、働く場所や働き方を選択する。

 

◆「フリーランス」「会社レス」という働き方が広がる

・最も自由度の高い働き方のひとつが、「フリーランス」である。

 日本でもフリーランスは徐々に広がりつつあるが、欧米に比べるとまだまだマイナーな存在である。内閣官房の調査によると、副業や自営業者などを加えた広義のフリーランス人口は1087万人だ。

 フリーランス大国である米国は、労働人口の3分の1以上にあたる約5700万人が、広義のフリーランスとして仕事をしている。日本の5倍以上だ。

 ひとつの会社にしがみつく。ひとつの仕事にしがみつく。ひとつの場所にしがみつく。そうした生き方を否定するわけではないが、それしか認めない、それしか選択肢がない社会というのは、けっして豊かとは言えない。

 もちろん、コロナ・ショックによってフリーランスは収入減や取引停止の影響をもろに受けている。会社の被雇用者ではないので、収入減を補う手当や補償はない。

 

「コロナ時代は働き方に対する価値観が大きく変わる。会社に依存しスキルを磨いてこなかった正社員は会社にとっての一番のリスクで、社会の中で一番の弱者になる

「しがみつかない」生き方は、不安定でリスクが高いように見える。しかし、現実はそうではない。

 フリーランスとは「会社レス」という生き方である。

 

・ポストコロナにおいては、「会社レス」というフリーランスの働き方が日本でも確実に広がっていくだろう。

 

◆真の豊かさとは「経済的な豊かさ×精神的な豊かさ」――個を尊重し、人間らしく生きる社会に変える

・会社にはさまざまなストレスが存在する。

 とりわけ「通勤」「残業」「人間関係」は、どの会社にも共通する3大ストレスである。ポストコロナの社会においては、これらを解消もしくは大きく軽減できる可能性がある。「デジタル化→オンライン化→リモートワーク」の流れが浸透、定着すれば、「通勤レス」「残業レス」「対面レス」は十分に実現可能だ。

 ポストコロナをきっかけに、私たちは個を尊重し、人間らしく生きる社会に変えなくてはならない。

 

・いくら会社が利益を上げ、内部留保を貯め込んでも、そこで働く人たちが疲弊し、暗い顔をしていたのでは、とてもいい会社とは言えない。平成30年は、そんな会社が増えていった時代だった。

 私たちはコロナ・ショックを機に、その流れに終止符を打たなければならない。

 真の豊かさとは、「経済的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」が共存するものだ。

 

「資本の論理」「会社の論理」ばかりがまかり通った時代から、「人間の論理」「個の論理」が通用する社会に変えていかなければならない。

 

どうすれば「創造性の高い働き方」ができるのか

◆「70%ルール」で時間を捻出し、創造性の高い仕事に振り向ける

・これまでの仕事は従来の70%の工数で終了させるという「70%ルール」を私は提唱したい。

 デジタルという武器を手に入れ、オンライン化、リモートワークという「新たな選択肢」を手に入れた現在、十分に実現可能な目標だ。

 それによって、残りの30%の時間を、創造的な仕事に振り向けることが可能となる。

 創造的な仕事とは、「新たな変化」や「新たな価値」を生み出す仕事である。難易度は高いが、やりがいは大きい。

 反復的かつ機能的なルーチン業務は、徹底的に効率化を志向する。

 

◆デジタルの時代だからこそ、リアリズムが大事――大事なのは「誰と会うか」

・創造性の高い仕事をするためには、「刺激」が必要だ。同質的な人たちだけが集まって、「刺激」に乏しい議論を繰り返したところで、新たな発想、ユニークなアイデアは生まれてこない。

 

「変化の芽」は現場にある。現場に身を置くからこそ、五感が機能し、「変化の予兆」に気づくことができる。

 機能的な仕事はサクサクとオンライン、リモートですませればいい。しかし、机にしがみついているだけでは、「未来の予兆」は見えてこない。

 デジタルの時代だからこそ、リアリズムが大事になる。人と対面で会うからこそわかること、現場に自ら行くからこそ見えることも多い。

 

・オンライン化やリモートワークの最大のリスクは、「つながっているつもり」「見えているつもり」「わかっているつもり」に陥ってしまうことである。

 いくら便利でも、やはり現場に行かなければ感じられないもの、人と対面で会わなければ見えてこないものは確実にある。

「三現主義」(現地・現物・現実)など時代遅れと切り捨ててはいけない。五感で感じるリアリズムは、デジタルで代替することはできない。

 

◆掛け持ち業務や副業で、創造性を高める――「異質の場」で、「異質の人」と出会い、「異質の仕事」に関わる

・日本企業における働き方改革は、リモートワークの推進だけではない。多くの会社が働き方の自由度を高める取り組みを広げようとしている。

 たとえば武田薬品工業は、社内で異なる業務を期間限定で掛け持ちする新たな制度を導入した。

「タケダ・キャリア・スクエア」というこの制度では、就業時間の20%程度を、自分が関心のあるほかの部署の業務に使うことができる

 知識やスキルを磨くだけでなく、自分自身の適正に合った仕事を見つけるきっかけにもなる。

 

・ライオンはほかの企業の社員などを対象に、新規事業の立ち上げを副業で行う人の公募を始めた。ライオンが個人に業務委託する契約で、リモートワークも可能で、勤務日数は週1日から選べる。

 こうした制度を使えば、転職しないでも、「新たな場」で「新たなチャレンジ」をすることができる。

「異質の場」で、「異質の人」と出会い、「異質の仕事」に関わることによって、間違いなく世界は広がる。

 

コロナ後の人材評価の4つのポイント

◆「個の自立」が前提条件

・機能的な仕事は、オンラインやリモートでサクサクと効率的に進めればいい。

 

・しかし、それを実現するには、重大な前提条件がある。それは一人ひとりが「自立」することである。

 

・力とやる気のある「個」の発想力、突破力を最大限に活かし、新たな可能性を追求しなくてはならない。

 

ポイント❶ 「自己管理」できる人が評価される

・リモートワークとは、たんに働く「場所」が変わることではない。仕事の「管理の仕方」が変わるのである。

 

・しかし、リモートワークにおける「ボス」はあくまでも自分自身である。自分で仕事を設計し、自分で管理するのが基本である。

 

リモートワークで成果を出すためには「規律」が必要である。たとえば、

  • 規則正しい生活を心がける
  • 報連相」(報告・連絡・相談)をこまめに行う
  • 業務日誌をつける(何をしていたのかを記録する)

 

ポイント❷ 「指示待ち」ではない人が評価される

・いま求められている人材は、「新たなレール」を敷ける人、「新たな車両」を造ることができる人である。

 自らの意見をもち、積極的にアイデアを出せる人でなければ、高い評価は得られない。

 

ポイント❸ 「自己研鑽」を続けられる人が評価される

・「プロ」になることを望むのであれば、自分自身を磨くことにお金と時間をかけて、自己鍛錬を行うべきである。

 

ポイント❹ 会社に「しがみつかない」人が評価される

・本当に力がある人間は、会社にしがみつかない。だから会社も、しがみつかない人を評価し、登用する。

 

元に戻るな、大きく前に進め!

歴史は70~80年サイクルで繰り返す」と多くの歴史学者が指摘する。

・そして、終戦から75年たった2020年、私たちを襲ったのは未知のウイルスだった。

 その被害は、私たちの当初の想定をはるかに超える甚大なものとなっている。世界経済は壊滅的な打撃を受け、日本もその影響をまともに受けざるをえない状況に陥っている。

 まずは、社会的弱者、経済的困窮者を救い、時間はかかるかもしれないが、経済的復興はしっかりと果たさなければならない。

 しかし、コロナ・ショックのもつ意味はそれだけにとどまらない。この「目に見えない黒船」は、日本という国、日本企業、そして日本人が覚醒するまたとないチャンスでもある。

 80年後には「コロナ革命」と呼ばれているかもしれない大変革の真っただ中に、私たちはいるのだ。

 

日本人が陥っていた悪弊を一掃するチャンス

・コロナ後に、私たちは元に戻ってはいけない。これは経済規模の話をしているのではない。元に戻してはいけないのは、私たちの心の中に長いあいだ巣食ってきた潜在意識や暗黙的な常識、根底にある価値観である。個人の幸せよりも組織が優先される「集団主義」。やってもやらなくても差がつかない「悪平等主義」。常に横と比較する「横並び主義」。責任を明確にしない「総合無責任体質」………。

 こうした悪弊を一掃することができず、私たちは「緩慢なる衰退」に陥っていた。「目に見えない黒船」が来襲したにもかかわらず、旧来の意識や常識、価値観を払拭することができなければ、この国が浮上することはないだろう。

 私たちは元に戻るのではなく、大きく前に進まなければならないのだ。

 

私たちはもっと豊かになれる。私たちはもっと幸せになれる

今回のコロナ・ショックは、私にとっても自分の働き方を見直す好機となった。この本はコロナのおかげで書き上げることができたといっても過言ではない。内容や質はさておき、私は2週間ほどでこの本をいっきに書き上げた。

 

「目に見えない黒船」は私たちに「もっと豊かになれ。もっと幸せになれ」という問いかけをしてくれているように私には思えてならない。

 すべてが止まったからこそ見えてきたものを、私たちは大切にしなければならない。

 

 

 

パンデミック・マップ』

伝染病の起源・拡大・根絶の歴史

サンドラ・ヘンベル 日経ナショナルグラフィック  2020/2/14

 

 

 

人類と伝染病の闘い

・14世紀にヨーロッパに壊滅的な被害をもたらしたペストから、19世紀に流行して多数の死者を出したコレラ、毎年のように流行をくりかえすインフルエンザ、1980年代に姿を現したエイズ、世界を恐怖に陥れたエボラ出血熱、近年ブラジルで爆発的な感染を見せ新生児に重篤な症状をもたらすジカ熱まで、歴史の中に現れては消えた伝染病の数々を、地図を中心に解説する。

 

人類と恐ろしい伝染病との戦いは、同時に、興味深い歴史の物語でもある

・伝染病がなぜ起こり広がるのかは人類にとって長年の謎だったが、19世紀半ば以降になると、感染地図と呼ばれるものがその解明に大きく寄与するようになる。専門家たちはこの地図を使って予防法を考え、感染の拡大を防ぐようになった。歴史上はじめての感染地図は、1854年にロンドン・ソーホー地区コレラが大流行した時にイギリスの医師ジョン・スノウが作ったものだ。この流行ではおよそ600人が犠牲になったが、そのうち200人は一夜のうちに命を落とした。

 

ソーホー地区の調査と、ロンドン南部で行われたさらに大規模な調査研究が評価され、ジョン・スノウは「疫学の父」として歴史上に名を残すことになった。疫学とは、伝染病の発生率や分布、決定因子などを研究する医学の一分野だ。疫学者は一人ひとりの患者を診るのではなく、もっと広い視野で発病したのかを調べ、伝染病が突如広がる原因を調査する学問だと言える。疫学者が「医学探偵」と呼ばれる所以だ

 

・1918年のスペインインフルエンザ(スペインかぜ)の流行のような世界規模での大流行を示す地図もあれば、1875年にダイド号からフィジーに広まった麻疹(はしか)のようにごく限られた地域での流行に着目したものもある。

 

・印象的な物語はいくつもある。15世紀の終わりに梅毒が初めてヨーロッパに上陸した時などは、この病気をどこの国が持ち込んだかという責任のなすり合いが起こった。17世紀には赤痢で死亡した人間が「積み荷」となった奴隷船がカリブ海に到着したという心痛む報告が残っている。18世紀にはニューゲート監獄の囚人たちが天然痘の接種を受けることに同意し、絞首刑を免れていた。

 

・1979年には天然痘の根絶が正式に宣言され、そう遠くない未来に、他の伝染病も根絶されるだろうという楽観的な見方が広まった。

 それから40年が経過したが、天然痘以外に人類が根絶できたヒトの伝染病はまだない。根絶寸前までいったものはいくつかあるが、伝染病は実にしぶとく、ほぼ根絶されたと思われていた状態から再流行が始まったケースもある。さらに何の前触れもなく新たな伝染病が発生し、交通網の発達のおかげであっという間に世界中に広がることすら起こり得るようになった。加えて、感染症の治療法として最も効果がある抗生物質に耐性を持つ病原体の増加も懸念されている

 

2002年、未知の新型肺炎が中国で広がった。重症急性呼吸器症候群(SARS)と名付けられたこの病気で命を落とした患者はアジア、南北アメリカ大陸、ヨーロッパで700人以上にのぼる。のちに、この新種の病原体は普通の風邪の症状を起こすウイルスの仲間だということがわかった。それまでの風邪のウイルスは、ちょっとしたのどの痛みを引き起こす程度のごく弱いものだった。

 エボラ出血熱が最初に知られるようになったのは1976年のことだ。この時は中央アフリカのごく一部の地域での流行だったため、ほとんど注目されなかった。ところが2014年に、突如として、爆発的な流行が始まった。過去にエボラ患者が出ていなかった西アフリカで最初の患者が確認されると、ヨーロッパや米国など他の地域にも感染が広がっていった。

 

2016年までにHIV感染とエイズの世界的流行により少なくとも3500万人が死亡し、さらに数千万人がウイルスのキャリアであることがわかっている。しかも患者の大多数は命を救うために必要な薬を手に入れられずにいる。これに匹敵する規模の伝染病を探すなら、14世紀のペストにまでさかのぼらなければならない。当時8000万人だったヨーロッパの全人口の60%が死亡し、全世界では7500万人から2億人の死者が出たと推定されている。

 14世紀には微生物の存在はまったく知られておらず、人々の生活の中心にあったのは宗教だった。そのため、ハンセン病は神の罰とされ、ペストも同じような捉え方をしていたようだ。

 

・本書で示す地図それぞれの背後には、人類が味わってきた恐怖と苦しみがある。しかし同時に、人類がどこまでも手ごわい、恐るべき敵を撃退する力を手に入れるための知識を求めて、たゆまぬ努力を続けたことも見て取れるだろう。

 

SARS

病原体: SARSコロナウイルス

感染経路: 完全には解明されていないが、感染者との濃厚な接触(主に経気道感染)やウイルスが付着した場所に触れることを介して感染すると考えられている

症状: 発熱、全身の懈怠感、筋肉痛、頭痛、下痢、悪寒などインフルエンザに似た症状が出る

発生状況: 2018年半ばの段階で2004年以降SARSの報告はない

流行状況: 現時点で発生の報告はないが、流行が起これば世界中に広がる恐れがある

予防: 新たな患者が発生した場合は速やかに報告し、感染者と接触者を隔離する

治療: 確立された治療法はないが、抗ウイルス剤を使用し、呼吸管理、肺炎の予防または治療、肺の腫脹を抑える治療が行われる

グローバル戦略: 新たな患者の発生を世界レベルで監視し、迅速な報告と封じ込めを行う

 

2002年11月16日、中南部広東省で農業に従事する若い男性が、肺炎に似た症状で仏山第一人民医院に入院した。その症状は一般的な肺炎

とは異なるものだった。男性は回復して退院したが、どこでどのようにして病気にかかったのかはわからないままだった。その後の数週間で同じ症状を示す患者が次々と現れた。

 

あっという間の感染拡大

・3カ月後、広東省でこの病気の治療にあたっていた医師の1人が結婚式に出席するため香港に向かった、この医師は香港のメトロポールホテルにチェックインした頃から体調を崩し、数日後に死亡する。医師のホテル滞在は24時間にも満たなかったが、近くの部屋に泊まっていた宿泊客にもすでに感染はひろがっていた。78歳のカナダ人女性も感染した1人だった。2日後に女性は自宅のあるカナダのトロントに戻ったが、その時点で肺炎に似た症状を呈しており、3月5日に死亡した。それからの数週間というもの、マスコミは騒然となる。カナダではおよそ400人が同様の症状を訴え、トロントの住民2万5000人に隔離措置がとられ、44人の患者が死亡した。

 中国系米国人のビジネスマン、ジョニー・チャンもメトロホールホテルに宿泊していた宿泊していた1人だ。チャンはベトナムに向かう飛行機の機内で具合が悪くなり、ハノイの病院に運ばれた。チャンは病院で死亡したが、医療スタッフや他の患者に感染が広がった。

 

・その頃、世界保健機関(WHO)の職員で感染症が専門のイタリア人医師カルロ・ウルバニはハノイを拠点に活動していた。ウルバニのもとに病院から緊急要請の電話が入り、調査に向かった。ウルバニはこの病気を今までにない未知の感染症だと結論付け、WHOに警戒態勢を敷くように連絡した。彼もまたこの病気に感染し、死亡した。

 

・2003年3月半ば、イギリスの新聞『サンデータイムズ』に「死の病原菌がヨーロッパにも」という見出しが躍った。ニューヨークからシンガポールに向かう飛行機の乗客150人以上に「従来の治療が効かない新型肺炎」と接触した恐れがあるため、ドイツのフランクフルトで隔離されているという記事だった。隔離は流行発生時の対策として古くから行われてきた手法で、賛否はあるものの、不明点が多くワクチンもない状況では、いかに21世紀とはいえ当局もこのやり方に頼るしかなかった

 

・3月の第3週までに350人の感染が疑われ、そのうち10人が死亡し、感染はイタリア、アイルランド、米国、シンガポールなど13カ国に拡大した。2週間後には感染者を出した国は18カ国に増え、2400人以上の感染者と、89人の死者が出た。WHOは調査のため国際的な専門家チームを中国に派遣。米国は隔離措置が可能な感染症のリストにSARSを加えた。