日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

アイヌの創造神にして文化神オキクルミが空飛ぶ龍カムイシンタに乗って降臨し、様々な技術を伝えたとされている。(1)

 

『日本怪異伝説事典』

朝里樹  えいとえふ  笠間書院  2020/12/23

 

 

 

北海道

文化神オキクルミ降臨の地・平取町ハヨピラ

平取町の外れ、沙流(さる)川流域のハヨピラという土地は、アイヌの人々にとって聖地のひとつ。アイヌの創造神にして文化神オキクルミが空飛ぶ龍カムイシンタに乗って降臨し、様々な技術を伝えたとされている。ハヨピラとはアイヌ語で「武装した崖」という意味だ。

 文化神オキクルミは、アイヌの人々に様々な知恵や文化を伝え、飢饉の際にコタン(村)を救った神様だ。天神のところで粟(あわ)と稗(ひえ)をご馳走になり、その穂を隠して地上に持ち帰ったという伝承もあり、農耕の始祖神ともされている。

 

青森県

岩木山の安寿姫(あんじゅひめ)伝説

・日本の山は女の神を祀ることが多く、津軽富士と呼ばれる美しい霊峰・岩木山は古くから「女子山」と呼ばれている。その理由は、説話『安寿と厨子王』に登場する安寿姫が祀られているからだ。浄瑠璃や映画などにも描かれたこの説話の発祥が、岩木山という。

 

大石神(おおいしがみ)ピラミッド

・キリスト伝説で有名な新郷村の中央に位置する大石神山。1935年、画家の鳥谷幡山(とやばんざん)が大石神の巨石群を発見し、のちに日本ピラミッド研究の創始者である酒井勝軍がピラミッドだと認めた。竹内文書』によればエジプトのピラミッドより古い5万年前に造られ、世界中のピラミッドの起源は日本にあるとされる。

 

・十和利山の麓にある迷ヶ平(まよがたい)高原は、考古学・地質学の山根キクが「光りは東方より」にて「エデンの地」だと指摘した場所。かつて天浮舟に乗ってやってきたアマテラスオオミカミの孫・ニニギノミコトによって築かれた都市があったのではとされる場所でもあり、「神秘の里」「謎の超古代文明の発祥地」として知られるようになった

 

・なみに、酒井の提唱する日本ピラミッドとはエジプトのように平面から築き上げたものではない。山の自然な円錐形の地形をえがき、山頂には「太陽石」と呼ばれる巨石を配して、太陽礼拝などの祭祀空間としての役割を担うという

 

巖鬼(がんき)山の鬼伝説

・「大人(おおびと)の逆水(さかさみず)」とも呼ばれる伝説。一般的には鬼は悪い存在とされがちだが、津軽の鬼は違う。時折、山から下りて人々を助けたり、一緒に遊んだりする優しい心の持ち主で、神のような存在とされている

 

東北のイエス・キリスト

十和田湖の東にある新郷村には、こんな仮説がある。ゴルゴダの丘磔刑となったイエス・キリストは、密かに日本へ逃れていたというものだ。処刑されたのは身代わりの弟イスキリで、エスは十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と称し、戸来(へらい)の地でミユ子という日本女性と結婚して106歳で没したという。

 これは1935年、皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる謎の古文書『竹内文書』から出てきた説。

 

岩手県

ざしきわらしに出会える宿

ざしきわらしとは、子どもの姿をした家の中にいる精霊や神様のような存在。ざしきわらしがいる家には福が訪れ、その家は栄えるという。岩手県には「ざしきわらしに会える」とされる宿があり、泊まった人には福を授けるという。それが、雑誌やテレビでも取り上げられたことのある金田一温泉郷の旅館「緑風荘」だ。

 

・また、盛岡市の旅館「菅原別館」も、ざしきわらしが現れる宿として2018年にテレビで紹介された。

 

宮城県

不老長寿の僧・常陸海尊(ひたちぼうかいそん)

平安時代から鎌倉時代にかけての僧侶で、源義経に仕えた常陸海尊義経が高館で自刃した衣川の戦いの時、山寺に出かけていたため生き延びたとされる。その後、不思議な老人に出会い、老人に招かれて「ニンカン」という赤魚の料理を食してからは不老長寿となり、源平合戦の顛末を語り伝えたという。

 

秋田県

房住山の阿計徒丸(あけとまる)

・昔、出羽国(現在の秋田県山形県)房住山という山の向こうに阿計徒丸・阿計留丸(あけるまる)・阿計志丸(あけしまる)という鬼の三兄弟が住み、民を苦しめていた。阿計徒丸は身の丈約5メートル以上もあることから、大長丸(おおたけまる)と呼ばれていた。

 阿計徒丸は、蝦夷討伐のために進軍してきた坂上田村麻呂と激突。

 

・阿計徒丸と田村麻呂の戦いを蝦夷軍対朝廷軍の激戦に見立てて、阿計徒丸は蝦夷の大首長で悪路王と同類もしくは同一人物であった、とする見方もある。

 

山形県

稀代の超能力者・長南年恵(おさなみとしえ)

・鉄門海(てつもんかい)上人の即身仏が眠る注連寺の分寺・南岳寺の境内には、明治時代の超能力者として知られる長南年恵を祀る淡島大明神、通称、長南年恵霊堂がある。

 1863年鶴岡市に生まれた長南年恵は、20歳の頃より神がかりとなり一切の食を絶ち、ほんの少量の生水とサツマイモを口にするだけで生活していたという。

 

福島県

山間の八百比丘尼(やおびくに)伝説

不老長寿の八百比丘尼といえば、福井県をはじめ120以上の伝説が全国で語り継がれているが、喜多方市のように海のない内陸部でも残されている。

 

茨城県

虚舟(うつろぶね)伝説

・江戸時代に、現在の太平洋大洗沖に現れた、謎の舟「虚舟」にまつわる伝説。

 1803年2月22日の午後、常陸国(現在の茨城県)の「はらやどり」という浜に、奇妙な小舟が漂着した。直径約5.5メートル、丸いお香立てのような形で、上部はガラス張り、舟底は鉄板が張ってあり、中には、顔は桃色で眉と髪が赤毛、長くて白い付け髪を垂らした女性が一人乗っていた。

 

・舟の中には多くの奇妙な文字が書かれていたといい、伝わっている文字はアルファベットとも日本に残る象形文字とも異なり、世界中のどの民族の文字でもないそうだ。虚舟は外国の舟なのか、江戸時代に現れた宇宙船なのか、議論はつきない。

 

栃木県

平家落人の里

・源氏との戦いに敗れ、源頼朝の追討命令から逃れるべく、栃木の山奥に平家の落ち武者が逃げ延びたという伝説がある。それが下野国(現在の栃木県)の湯西川地区に伝わる「平家落人伝説」だ。

 

群馬県

海のない群馬県にある龍宮伝説

・本州のほぼ中央にあり、「ツル舞うかたち」として親しまれる群馬県湖はあるが海はない海なし県だが、不思議と龍宮伝説が多く残されている。

 伊勢崎市を流れる広瀬川のほとりにある「龍神宮」にまつわる龍宮伝説は、次の通り。古墳時代の400年頃、近くに一人の公家が住んでいた。公家が家来と共に卯の木の岩山でどんちゃん騒ぎをしていると、どこからか美しい少女が現れて「この岩山は竜神の城であるから、行動を慎むように」と注意して消えてしまった。公家は怖くなって逃げ帰り、以来、その地は龍神宮と呼ばれるようになった。

 

・また、浦島太郎のように実際に龍宮城に行った話もある。伊勢崎市宮子町に残る伝説では、阿感坊(あかんぼう)という農民が利根川の中の島に藤を切りにいった時、鉈を川に落としてしまう。阿感坊が鉈を拾いに川の中へ入ると、美しい龍宮城に辿り着き、三日間過ごしてから村に帰ると三年経っていた。他言すると命はないと言われていたが、当時の殿様に責められて竜宮城のことを漏らすと、阿感坊は死んでしまったそうだ。

 

迦葉山(かしょうざん)の大天狗

京都府鞍馬寺、東京都の高尾山薬王院とともに、日本三大天狗のひとつに数えられるのが、群馬県の迦葉山龍華院弥勒寺の大天狗である。

 

埼玉県

江戸時代のスーパーマン・六兵衛(ろくべえ)伝説

秩父市の即道神社には、即道という人物の霊が祀られている。若い頃は六兵衛と呼ばれており、俊足・怪力・器用者といった数々の伝説を残している。

 例えば、囲炉裏に掛けた鉄瓶の湯が沸かないうちに武甲山の頂上の鐘を撞いて戻ってきた。一反(約12メートル)の絹布につけて走ったら布の先は少しも地面につくことなくひらひらなびいた。往復200キロもある江戸で鮮魚を買い求め、日帰りで戻ってきたなど。まるでテレポーテーションのような俊足伝説を持つ。

 

・晩年の六兵衛は、髪を剃って即道(そくどう)と名乗り、常明寺の住職となった。

 

・また、即道神社の「爪彫石」は、即道が富士山から衣の袂に入れて持ってきたものとされ、この石に彫られている文字は今も解読できていない。読める者は、即道の再来という言い伝えがある。

 数々の超人伝説を残した六兵衛とは、一体何者だったのか。晩年、彼は入定することにして墓の中で読経を続けたが、音が絶えたあとに墓を掘ると遺骸は消えていた。のちに香川県金刀比羅宮で見かけた人がいたという。

 

千葉県

南総里見八犬伝』始まりの地・伏姫(ふせひめ)籠穴(ろうけつ)

・28年もの歳月をかけて曲亭(滝沢)馬琴が手掛けた『南総里見八犬伝』は、八つの霊玉を持つ八犬士が活躍する全98巻、106冊の伝奇小説。地元では、あたかも物語が史実であるかのように、ゆかりの地が点在し、史実とフィクションが混じり合いながら物語が語り継がれている。

 

東京都

高尾山の天狗伝説

・都心からも交通の便に恵まれ、日帰りで山歩きができるため、人気スポットとなっている高尾山。古くは山岳信仰の山として広く庶民に親しまれた高尾山には、天狗にまつわる伝説が多い。

 

神奈川県

大山(おおやま)の大天狗・大山伯耆坊(だいせんほうきぼう)

・大山伯耆坊は、日本八天狗のひとり。なぜ神奈川県の天狗なのに伯耆(現在の鳥取県)という名前なのかというと、この天狗は最初、鳥取県伯耆大山(ほうきだいせん)にいたためだ。

 だが平安時代末期、相模国(現在の神奈川県)の相模大山にいた相模坊が、保元の乱をきっかけに讃岐国(現在の香川県)に流された崇徳上皇のもとに行ってしまった。そのため、後任として相模大山にやってきたのだ。

 

新潟県

茨城童子のふるさと

平安京の正門である羅城門の鬼と同一視される茨木童子が生まれたという伝承が、長岡市軽井沢に残されている。

 

・やがて酒呑童子に出会って意気投合する。酒呑童子を兄貴分と慕い、二人で鬼倉山に移り棲んで悪行の限りを尽くしたあと、京都の大江山へと移動したという。酒呑童子にまつわる伝説と非常に似ている点が面白い。

 

酒呑童子のふるさと

・『御伽草子』によると、もっとも有名な鬼伝説のひとつ、酒呑童子の出生地は越後国(現在の新潟県)ということになっている。

 

・こうして酒呑童子となった外道丸は、寺を追われ、盗賊の首領となり、大江山源頼光らに討ち取られることとなる。『奈良絵本』によると近江国(現在の滋賀県)の伊吹山とする説もあり、酒呑童子の出生については、異説がいくつかある。

 

見るなの花屋敷

・昔、旅商人の若者が、越後山奥の森で道に迷ってしまい、一軒の家に辿り着く。そこには美しい娘がいて、おいしい酒や食事でもてなしてくれた。ある日、娘が出かける時に「全部で13の座敷があります。12番目までは自由に見て構いませんが、13番目だけは見ないでください」と念を押して出て行った。若者は順に座敷に入ってみると、どの座敷にも四季折々の美しい景色が広がっていた。若者は娘の言葉を無視して、13番目の座敷も開けてしまう。梅の枝に止まった鶯がいて、一声鳴くどこかへ飛び去っていった。すると家も座敷も跡形もなく消え去り、男は森の中にいた。

 

・これは越後地方を中心に各地に伝わる民話の原型で、「見てはいけない」という部屋を覗いたために夢から醒めるというものだ。地域ごとに細部が異なるが、禁忌を犯した男が娘の正体(ここでは鶯)を知り、現実に引き戻されるという展開は同じ。

 同様の言い伝えでは『鶴女房』や『蛇女房』など。古くは、一瞬の夢のうちに富貴を極めた人生を経験する、中国の唐の時代に書かれた『邯鄲(かんたん)の夢』の伝説にも近い。

 

富山県

尖山(とがりやま)ピラミッド

立山黒部アルペンルートの入口に見える三角錐の山が尖山だ。標高はわずか599メートル。大石神(おおいしがみ)、黒又山、葦嶽山(あしたけやま)など日本には、人工ピラミッドと噂される山がいくつかあるが、尖山もそのひとつ。謎の古文書『竹内文書』によると、太古の時代、富山県は世界の中心地であり、この書に記されている「アメヤヒロトノアメツチヒヒラミツト」こそが尖山だというが、文書の信憑性は疑問視されている。

 尖山の登山道や斜面には、石垣のようなものがある、山頂付近にストーンサークルのような石組みがある、山頂付近や麓の蔵王神社の祭石に強い磁気異常がある、といった数々の謎に加え、この付近ではUFOや怪光現象がしばしば見られるという。尖山には古代の天皇の乗り物であるアメノウキフネ(天の浮舟)の飛行場があったのではないかとする説もある。尖山の整った三角形の山容を目前にすると、神秘的な何かを感じずにはいられないのかもしれない。

 

石川県

猿鬼(さるおに)の伝説

能登半島には一本角の鬼がいて、猿のように素早いため猿鬼と呼ばれていた。岩井戸という岩窟に住んでいた猿鬼は、たびたび付近の村にやってきては悪さを繰り返していたそうだ。そこで白衣の氣多(けた)大明神を大将、三井の大幡神杉姫(おおはたかんすぎひめ)を副将とした神軍が討伐に向かった。氣多大明神が猿鬼の目を射抜き、逃げたところを大幡神杉姫が名刀「鬼切丸」で退治した。

 

・また、能登半島の伊夜比咩(いやひめ)神社の社伝にも猿鬼の記録があり、腕の立つ左大将泰直に退治してもらったという。猿鬼の角が今も神社に保管されているという。

 

羽咋のそうはちぼん伝説

羽咋市は、古くからUFOの目撃情報が多い地帯「UFOの町、羽咋」として打ち出す羽咋市では、噂では市民の半数以上がUFOを目撃しているという。この地域では「そうはちぼん伝説」という言い伝えが江戸時代からあり、そうはちぼん(楽器のシンバルのような楕円形をした仏具)が光を放ちながら、羽咋市の北東にある眉丈山(びじょうざん)を夜な夜な飛んでいるという。

 また「鍋のふたが人をさらう」という神隠し伝説もあり、遅くまで遊んでいる子どもに対して「早く帰らないと鍋のふたがさらっていくぞ」と注意する。そうはちぼんも鍋のふたも空飛ぶ円盤に形が似ていることから、やはりUFOと関係が深い

 羽咋駅前には、巨大なUFOのオブジェクトが展示され、宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」では、宇宙やUFO関連の展示を見ることができる。

 

モーゼの墓

能登半島の最高峰・宝達山(ほうだつさん)の麓の三ツ子塚古墳には、「十戒」で有名なモーゼの墓があるという。モーゼといえば紀元前13世紀頃、迫害を受けた古代ヘブライ人を率いてエジプトを脱出中、紅海の水を分けて道を作るという奇跡を起こした人物。

 モアブの地で亡くなり墓も知られていないというが、実はモーゼロミュラスと名乗りローマ帝国を建国後、天浮船(あめのうきふね)に乗り宝達山に至り、羽咋(はくい)姫と結婚、583歳まで生きたとされる

 

福井県

八百比丘尼(やおびくに)入定洞

・人魚の肉を口にして不老不死となり、諸国を巡った八百比丘尼の伝説は各地にある。中でも小浜市は、比丘尼の出生地であり、最期の地でもある。

 

羽賀寺(はがじ)の天狗の爪あと

小浜市の羽賀寺に残る伝説。昔、羽賀寺の住職が天狗と碁の勝負をすることになった。

 

・爪痕のついた基盤と折れた爪が今も羽賀寺に残っているという。

 

また、羽賀寺にはかつて「日本」を「ヒノモト」と読んでいた時代があったという説を裏づける縁起が伝わっている。羽賀寺が1398年に焼失した際、後花園天皇津軽の支配者だった安東盛季(もりすえ)・康季(やすすえ)父子に再建の勅令を下した。安東父子が11年かけて落成させた時、その功を称えて「日之本将軍」という称号を安東氏に授けたという。中央政権とは別に「日之本」と呼ばれた政権があったのではないかとする説もある。

 

山梨県

富士山麓の徐福(じょふく)伝説

・富士山麓には、伝説の人物・徐福の伝説が数多く存在する。徐福は中国の秦の始皇帝に仕えた方士(神仙の術を操る呪術師)で、東方の海上遥か先にある蓬莱(ほうらい)の山にあるという不老不死の薬を求めて消息を絶った人物だ。その後、日本に漂着したという徐福伝説は、熊野を中心に日本全国に見られる。

 熊野と同じくらい徐福伝説が多いのは、山梨県富士吉田市である。伝説によれば、徐福は富士山の麓に漂着して、富士山こそ蓬莱の山に違いないと思い、そこに定住した。徐福の子孫は秦氏の姓を名乗るようになったという。

 

山梨県のでいだらぼっち伝説

・各地に伝承が残るでいだらぼっち(だいだらぼっち)は、日本を代表する巨人伝説。

 東日本の伝説では地形造りの話が多く、山梨県では特に富士山に絡んだ伝説が知られている。

 

・『甲州の伝説』によれば、でいだらぼっちは日本の仁王と唐の伽王との間に生まれた大男だという。その大きさは、地域の伝承によって様々。東日本と西日本とでは、でいだらぼっちの特徴も物語も大きく異なる点が興味深い。

 

長野県

血の雨を降らせた八面大王(はちめんだいおう)

平安時代の頃、信州安曇野有明山には、八面大王という鬼がいた。その鬼は魏石鬼(ぎせっき)とも呼ばれ、八つの顔をもっていた。八面大王は里に下りては人間たちを困らせたり、娘をさらったりして悪行の限りを尽くしたため、勅命を受けた坂上田村麻呂によって成敗されたという。

 

・なお、別の伝説では戸隠山の鬼女紅葉(きじょもみじ)と夫婦になり、金太郎(のちの坂田金時)をもうけたという説もある。

 

龍になった甲賀三郎

・諏訪地方には龍の伝説が多い。北佐久郡南佐久郡では、甲賀三郎という青年が龍になった物語が伝わる。

 

・また、14世紀頃に成立した説話集『神道集(しんとうしゅう)』では、地底世界を巡る三郎の大冒険物語になっている。三郎は大和国(現在の奈良県)の国司に任じられた弥生時代の官人で、春日姫という美しい姫と結婚する。だが春日姫が天狗にさらわれ、彼女を探して信濃国(現在の長野県)の蓼科山に辿り着く。山の中の大穴で春日姫を発見して無事に助け出したが、日頃から優秀な三郎を妬んでいた兄たちにより、三郎は穴に取り残されてしまう。三郎は仕方なく地底の国を歩き回り、73の地底国を探訪した。三郎は地底国で家族を作り数年暮らしたが、やがて地上の世界が恋しくなって地上に戻ると、蛇の姿になっていたという。この話では、三郎は無事に人間の姿に戻って春日姫とも再会し、中国で神通力を会得するなどして、最終的に三郎は諏訪大明神の上宮、春日姫は下宮となった。

 

龍の化身だった女武士・巴御前(ともえごぜん)

木曽義仲源義仲)の側室であり、武勇に優れていた巴御前。義仲に従って出陣しては、しばしば戦功を立てたと言われている。だが、宇治川の戦いで敗戦した義仲に諭され、巴御前は戦から落ち延びる。その後、和田義盛の妻となるが、義盛の死後は出家して尼になったという。

 長野県木曽郡木曽町にある徳音寺(とくおんじ)は木曽義仲の一族の菩提寺であり、「巴淵の竜神が化身して巴御前になった」という伝説が残されている。境内には義仲や巴御前の墓がある。

 

霊狐を操る飯綱(いづな)三郎天狗

戸隠山の近くにある飯綱山にいたという飯綱三郎天狗は、京都府鞍馬山僧正坊、滋賀県の比良山次郎坊らとともに、日本を代表する八天狗にひとりに数えられる信濃の大天狗だ。

 

岐阜県

英雄か化け物か?両面宿儺(りょうめんすくな)

・377年頃、第16代仁徳天皇の時代。飛騨に『両面宿儺』という化け物が現れたという記録が『日本書紀』に載る。記録によると、両面宿儺は身の丈約3メートル、二つの顔に四つの手足、二本の剣と四組の弓矢を持つ。朝廷に逆らい人々を苦しめたため、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)に討たれたとある。

 ところが、飛騨の伝説では両面宿儺は英雄であり、人々に愛される存在だった。

 両面宿儺は、高山市郊外の丹生川村にある出羽ヶ平の洞窟から現れた。容姿は異形だが「我は魔怪にあらず、救世観音(くぜかんのん)の示現なり」と告げて農耕や信仰について教えてくれたので、人々は次第に深く崇敬するようになったという。

 

・正史では朝敵だが、地元の伝説では人望厚く武勇に優れ、神祭や農耕の指導者でもあった両面宿儺。東北の蝦夷(えみし)や九州の熊襲(くまそ)のように、地方の豪族として強大な力を持っていたため、大和朝廷によって怪物的な存在として、葬り去られてしまったのだろう。

 

ヤマトタケルを追いつめた伊吹山荒神

岐阜県滋賀県にまたがる伊吹山は、日本百名山のひとつに数えられる霊峰だ。山頂にはヤマトタケルノミコトの石像が祀られている。『古事記』『日本書紀』によると、今から2000年ほど前にヤマトタケル荒神を退治するため伊吹山に登った伝説がある。

  ヤマトタケルは、山の途中で大きな白猪と出会うが、これを「荒神の使い」と勘違いしてしまう。「今は生かしておくが、帰りに殺してやろう」と白猪を威嚇するが、実はこの猪こそ伊吹山荒神だった。荒神の怒りにより山は荒れ、雹(ひょう)に打たれたヤマトタケルは命からがら下山した。

 

伊吹山の神は『古事記』では白猪、『日本書紀』では大蛇の姿とされ、いずれもヤマトタケルの死因となっている。

 

・また、酒呑童子の伝説では伊吹山の神はヤマタノオロチであり、彼と人間の娘の間に生まれたのが酒呑童子という物語も見られる。さらに、伊吹山に住む伊吹弥三郎(いぶきやさぶろう)という大男も、酒呑童子の父という話が伝わる。弥三郎は怪力自慢で、琵琶湖の土を運んできて伊吹山と霊仙山を作った、伊吹山と七尾山を両方の天秤にかけて運んだといったなどの様々な伝説をもつが、最後は弱点である脇の下を槍で突かれて殺されたそうだ。

 

静岡県

羽衣伝説

・富士山頂から約45キロ離れた静岡市清水区の三保半島には、沿岸約5キロにわたり松林が続く。この松林は「三保松原(みほのまつばら)」と呼ばれる。

 

・松原の中央付近にある「羽衣の松」が、有名な「羽衣伝説」の舞台である。

 

・この羽衣伝説は15世紀頃に成立した世阿弥謡曲『羽衣』によって有名になった。日本各地に広く残る羽衣伝説では、羽衣を奪われた天女が人間の男と結婚するが、数年後に隠されていた羽衣を見つけて天に帰っていく説話となっている。

 羽衣の松から近い松林にある御穂(みほ)神社には、羽衣の錦の布切れの一部が社宝として保存されているという。

 

愛知県

日本の神になった楊貴妃

・中国の唐の国随一の美女と謳われた楊貴妃は、皇帝・玄宗にこよなく愛されて権勢を誇った女性だ。のちに国政が乱れ、楊貴妃は責任を負わされて処刑されたとも自害したとも伝えられるが、実は処刑される前に日本に逃れたという伝説がある。

 『蘇我物語』によると、楊貴妃は唐で反乱が起きるとすぐに玄宗とともに海を渡り、尾張国(現代の愛知県)に流れ着いた。そこで地元の人々に迎えられ、楊貴妃は熱田明神になったという。玄宗は八剣(やつるぎ)明神になったという説もある。

 

三重県

だんだらぼっちとわらじ祭り

志摩市大王町に伝わる民話。波切の大王崎の沖に浮かぶ大王島には、だんだらぼっちという一つ目の大男が住んでいた。男がひとまたぎすれば重みで岩が海底に沈んでしまうほどだったという。

 

滋賀県

伊吹弥三郎(やさぶろう)の伝説

滋賀県の最高峰・伊吹山に伝わる民話。昔、伊吹山に住む弥三郎という怪力の大男がいた。伊吹山と隣にある七尾山を天秤で担いだとの伝説が残るほどの大男だった。

 武士だった弥三郎は戦に負けて伊吹山に逃げてきていたが、その後、何度、敵の襲撃を受けても、刀でも矢でも倒すことはできなかった。

 

・また、弥三郎は平安京を襲った鬼・酒呑童子の父だったという説もある。

 

京都府

金星からきた鞍馬寺の魔王尊

・796年に建てられた鞍馬山鞍馬寺で祀られているのが、千手観音、毘沙門天、護法魔王尊の三尊だ。

 

・「鞍馬」の名前の由来には諸説あり、鞍馬寺奥の院の魔王殿に祀られている魔王尊の古い伝説もそのひとつだ。650万年前、護法魔王尊(サナト・クマラ)が金星から降臨し、鞍馬寺の大杉に依りついたという。この「クマラ」にちなんで「鞍馬」とつけられたという説があるのだ。

 魔王尊は、地球では大地の霊王として悪魔を調伏し、遠い未来では人類を破滅から救ったのちに水星へと誘うという

 光明心殿に祀られている魔王尊像は、長い髭と背中に生えた羽根が特徴であり、見た目は天狗のイメージにそっくりである。魔王尊は大天狗・僧正坊を含む鞍馬山の天狗たちを指揮していたそうだ。また、魔王尊は本尊である毘沙門天の夜の姿である。その見た目は永遠に16歳のままで歳をとらないとも言われている。

 

天狗に育てられた義経

鞍馬寺の僧兵は勇猛なことで有名であり、平安末期には牛若丸(のちの源義経)が7歳頃から16歳頃まで修行に励んだと言われている。そして、鞍馬寺は日本中の天狗が集結する地だと言われている。鞍馬山の僧正ヶ谷には大天狗や烏天狗が棲んでおり、鞍馬の天狗は兵法と武術にすぐれ、牛若丸に剣術の秘伝を教えたという。

 

大阪府

姫路城の長壁(おさかべ)姫

・日本で初の世界文化遺産となったことでも有名な姫路城の天守閣には、長壁姫という女の妖怪が棲むという。その姿は緋色の袴と十二単を着た美しい姫とも、白髪の老婆とも言われる。身長が3メートルに伸びる、数多の化物を従えている、天井を床にして逆さに歩いて現れるなどの特徴が伝わっている。

 

奈良県

大峰山(おおみねさん)の大天狗

大峰山は、役小角(えんのおづぬ)が開いた修験道発祥の地とされている。今も修行の場は女人禁制となっている山だ。ここには八大天狗のひとり、大峰山前鬼坊が棲むという。役小角の住者だった前鬼が、小角の死後、大峰山を守る天狗になったと言われている。

 

和歌山県

西行(さいぎょう)の作った人造人間

平安時代から鎌倉時代の僧であり歌人としても有名な西行にまつわる伝説。ちなみに西行は大百足(おおむかで)退治で有名な藤原秀郷(俵藤太)の末裔でもある。

撰集抄(せんじゅうしょう)』巻五には、西行が反魂の術を使って人造人間を作ろうとしたという話が載る。

 23歳で出家後、西行は各地を旅したのちに高野山に住むことにした。ある日、人恋しさが募った西行は、聞いた反魂の術に習い、野原で人骨を拾い集め、人の形に並べて特別な薬を塗るなどをして人造人間を作った。しかし肌の色は悪く、声もきたないそれは、人の姿ではあったものの、心を持たぬ人間ではない何かだった。

 がっかりした西行はこの人造人間を人が来ない山奥に捨ててしまう。失敗してしまった理由を知りたかった西行は、ある日都を訪れたついでに、人造人間の作り方を教わった徳大寺左大臣の邸宅に出向く

 理由を尋ねると、西行の作り方の一部に間違いがあったことを指摘される。詳しい秘術を改めて教えてもらったが、再び人造人間を作ろうとはしなかったそうだ。

 

鳥取県

孝霊(こうれい)天皇の鬼退治

・日本最古の鬼伝説と言われる第七代孝霊天皇の話。

 昔、溝口(現在の伯耆(ほうき)町)の鬼住山(きずみやま)に、大牛蟹(おおうしかに)と乙牛蟹(おとうしかに)という兄弟の鬼が棲んでいた。悪さをする兄弟鬼に里の人々が困っていたところ、巡幸中の孝霊天皇がこの地を訪れた。それから、そこで鬼を退治した。

 

島根県

一寸法師スクナビコナノカミ

・『御伽草子』に載る「一寸法師」は有名な昔話のひとつだ。一寸とは約3.03センチの長さで、一寸法師という小さな男が、針の刀を携えてお椀の船で旅に出る。そして鬼を退治し、打出の小槌(こづち)で大きくなるというのがあらすじだ。

 この一寸法師に代表される小さい男の伝説は、神話に登場する小さき神、スクナビコナノカミにルーツがあるとする説がある。

 スクナビコナは、オオクニヌシノミコトとともに出雲を造った神である。『古事記』によると高天原の女神カミムスビノカミの指の股から生まれたという。スクナビコナは芋の実を割った船に乗り、蛾のような生き物の皮でできた服を着て、御大(みほ)(現在の美保)の岬の沖からやってきた。オオクニヌシスクナビコナとともに国造りをせよと命じられたが、その途中でスクナビコナは海の彼方にあるという常世(とこよ)の国に行ってしまったという。

 

岡山県

猿神(さるがみ)退治

津山市の中山(なかやま)神社はキビツヒコノミコト(吉備津彦命)を祭神とし、古くは「ちゅうさん」と呼ばれた神社。境内にある猿神社にまつわる伝説。

 

・猿神社では、この伝説に登場する「中山の猿」の霊を猿田彦神として祀っている。生贄(いけにえ)を求める猿神を、犬を連れた旅人が退治する話は全国に分布しており、詳しくは山形県の大入道を退治しためっけ犬、長野県の光前寺の早太郎伝説の項目を参照。