日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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世界での核シェルターの普及率は、イスラエルが100%、ノルウェーが98%、アメリカが82%、ロシアが78%、イギリスが67%、シンガポールが54%、そして日本は0.02%だそうだ。(1)

 

 

『世界一豊かなスイスとそっくりな国 ニッポン』

川口マーン恵美  講談社  2016/11/1/

「幸福度世界1位」の条件は全て日本にも揃っている!!

あとはスイスに見習うだけ

 

 

 

<貴族の金儲けのための傭兵>

・ただ、スイス人がその能力を存分に発揮できるようになったのは、いってみれば、つい最近の話だ。それまでの彼らの歴史は残酷なほど暗い。『アルプスの少女ハイジ』の作者であるヨハンナ・シュピリ(1827-1901年)は、スイスを舞台に多くの小説を残したが、どの作品もあまりにも絶望的だ。

 父親が医者で、本人はチューリッヒの学校まで出た。「上流階級」でありながら、作品に登場する彼女が育った土地の貧しさや閉塞感は凄まじい。外へ一歩出ると、孤児が餓鬼のようにさまよい、どこの家庭でも婦女の虐待は日常茶飯事だった。山奥の貧困はさらに激しく、一度も洗ったことも梳いたこともないような髪の毛を頭の上に帽子のように乗せた人間が暮らし、近親相姦が常態となっているような孤立した村もあったという。

 

・山がちな国土では、人口が増えればたちまち食料が不足した。輸出するものは人間しかなかった。それゆえ、スイスは中世以来、ヨーロッパのあらゆる戦線での戦士の供給国となっていったのだが、そのスイス傭兵の歴史は、あまり知られていない。

 ヨーロッパの戦争は、常に傭兵の戦力で行われてきた。イタリアで傭兵が活躍し出したのは、13世紀末だ。

 

・さて、中世のスイス誓約同盟の3州では、州の支配者である貴族たちが、金儲けのためにヨーロッパの各国と傭兵契約を結んだ。つまりスイスの傭兵というのは、各人が自分の才覚で雇用契約を結んだわけではなく、いわば国家の斡旋によるもの。州政庁が安くかき集めた傭兵を、諸外国に高く輸出したのである。

 支配者であった貴族たちが、その利ざやで懐を肥やしたことはいうまでもない。15世紀、すでにスイス人が、ヨーロッパの傭兵の主流を占めていた。

 

<傭兵ではなく植民地人や黒人を>

・書き始めるとキリがないが、アメリカ軍における日系移民で構成された442連隊は、ヨーロッパ戦線のいちばん危険なところに投入され、めざましい活躍と、最悪の死傷率を残した。しかし、当時、442連隊の勇敢な功績は無視され、凱旋パレードには、日系兵士の姿はついぞなかった。

 一方、サイパン島の攻略では、上陸してきたアメリカ兵は全部黒人だったし、朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐屯していた兵士のうち、黒人兵だけが最前線に送り出された。これは松本清張の『黒地の絵』に描かれているが、このときの黒人兵は、ほとんど戻ってきていない。

 

永世中立国だからこそ強い軍隊を>

・現在、スイスが輸出しているのは、ハイテク武器だけでなく、軍事ノウハウも含まれる。軍隊の規模は人口の2%近く、男女平等を期するため、女子にも徴兵制を作るべきではないかという議論さえあるという。

 成人男子には、最初の兵役が終わったあとも予備役があるということはすでに書いたが、興味深いのは、そのため各自が銃を自宅に保管できることだ。2011年、これを見直すべきかどうかという国民投票が行われたが、反対多数で否決された。

 つまりスイスでは、兵役を終えた男性のいる家庭には、その男性が予備役に行く年齢(20歳から34歳)であるあいだ、ずっと銃がある。現在は、銃弾は有事のときにのみ支給されることになったが、少し前までは、銃弾も各自が保管していた。

 

・いずれにしても、スイス人の国防意識は高い。永世中立国であるから、集団的自衛権は持たず、NATOにも加わらず(平和のためのパートナーシップのみ)、自分の国は自分で守るというスタンスを貫いている。

 彼らは、中立を宣言したからといって攻撃されない保証などないということを、ちゃんと知っている。自国の国土と国民を守るためには、強い軍隊を持たなくてはならず、その結果、ようやく得られるものが平和だと考える。

 

<日本の核シェルター普及率の衝撃>

・また、つい最近までは、スイスの家は必ず地下に核シェルターを備えなければならないという法律もあった。ドイツではどこの家にも地下室があるので、そのようなものを少し強化した防空壕かと思ったら、そうではなく、本当にコンクリートと金属でできた頑丈な核シェルターが各戸に設置されていた。

 しかも、非常食、衛生設備、酸素ボンベなどを完備し、2週間は暮らせるものでなくてはならないなどと決められている。自治体の担当の部署から、抜かりはないか見回りに来ることもある、という話だった。

 そこまで設置を徹底していた核シェルターだったが、2012年、ついに法律が改正され、自治体に1500スイスフランを払って最寄りの公共シェルターに家族分のスペースを確保すれば、自宅には設けなくても済むことになった。1960年より続いていきた国防対策の一つが、ようやく緩和されたのである。

 公共シェルターは、全国に5000基あまり。病院や学校といった公共の建物の地下にあるシェルターと合わせると、その数は30万基にも上るという。全人口の114%の収容が可能だ。

 ところで世界での核シェルターの普及率は、イスラエルが100%、ノルウェーが98%、アメリカが82%、ロシアが78%、イギリスが67%、シンガポールが54%、そして日本は0.02%だそうだ。

 もっとも、広島の原爆投下時の状況について様々な知識のある日本人にしてみれば、核シェルターと聞いても、あまりピンと来ない。いつ駆け込むのか、いつ出るのかなど、様々な疑問が湧いてくる。しかし、それはさておくとしても、やはりいちばん衝撃的なのは、日本人には危機感が完全に欠落しているという事実に気づかされることではないか。

 

<スイス人の危機感から学ぶ国是>

・いま大都市の地下道を核シェルターとして利用可能にするという話があるらしいが、考えてみれば、核攻撃にしろ、災害にしろ、スイスよりも格段に危ういのが日本だ。北朝鮮が飛ばしてくるミサイルは、現在、日本近海に落ちているが、手に入れた物は使ってみたくなるのが人情だ。近い将来「偉大なる指導者」が、そのミサイルに、ようやく完成した核を搭載しないとも限らない。また尖閣諸島周辺では、中国の公船や戦闘機が、自由に日本の領海や領空を侵犯し続けている。

 

・しかし、平和憲法を拝んで、私たちは戦争を放棄しましたと唱えても、戦争が私たちを放棄してくれたわけではない。しかも、いま私たちの置かれている状況においては、攻撃される可能性は間違いなく大きくなってきている。

 日本もスイスを見習って、各自が危険を察知するアンテナを、しっかりと立てたほうがよい。攻撃されないためには、抑止力としての武装が必要であるという事実も、そろそろ冷静に認めるべきではないか。

 武装は戦争を始めるためにするものだという考えは短絡的で、しかも間違っている。それはスイスを見れば、一目瞭然だ。

 

・スイス人の危機感と、現実的な視点を、日本人は真剣に学んだほうがよい。「備えあれば憂いなし」を国是とするべきだ。

 

<1970年まで続いた奴隷市場>

・2016年4月27日、スイスの下院は、かつて国家が強制労働させた子供たちに対して補償金を支払うことを決めた。

 この強制労働は、戦時下に外国人の子供をこき使ったという話ではない。被害者はれっきとしたスイス国民で、スイスは1800年から1970年ごろまで、なんと160年以上も、貧困家庭や離婚家庭の子供たちを教育という名目で強制的に「保護」し、孤児院に入れたり、「里子」として斡旋したりしていた。

 これはもっと侮蔑的な「Verdingkind=子供召し使い(?)」という言葉で呼ばれていたのだが、この差別的雰囲気をうまく日本語に訳せないので、ここでは「里子」としておく。「里子」の引き取り手は、主に安い労働力を欲していた農家などだったが、ときに炭鉱で働かされたり、薬物実験に回されたりする子供もいたという。

 いくつかの州においては、「里子」を取引する市場が定期的に開かれた。そこで子供たちは家畜のように吟味されたというから、まさに奴隷市場だった。

 ただし、本当の奴隷市場とは違い、引き取り手はお金を支払うのではなく、「里親」として国から養育費をもらった。競売とはちょうど反対で、養育費を少なく要求した人から順に、子供をもらえたのだという。そして子供の人権は一切剥奪され、実質的には、「里親」となった人間に生殺与奪の権利が与えられた。

 こうなると、子供たちの運命は「里親」によって決まる。多くの子供たちは4、5歳ぐいから、賃金も小遣いももらえないまま、ただ、働かされた。戦後は、最低限の義務教育は受けさせてもらったが、それより以前は学校などとは縁がなかった。

 虐待は日常茶飯事で、さらに運の悪い子供たちは、飢えや寒さや性的虐待にも見舞われた。妊娠すれば堕胎させられ、断種や強制避妊も行われた。しかし、虐待がわかっても、警察や行政はほとんど介入することはなかった。

 要するに、子供たちは社会のクズのような扱いを受け、お金がないのでいつまでたっても自立できず、農奴の状態を抜け出せないまま一生を終えることも稀ではなかった。

 1910年には、スイス全土で14歳未満の子供たちの4%もが、「里子」に堕されていた。歴史家マルコ・ロイエンベルガーによれば、児童労働は国家の政策として、組織的に行われていたという。

 

<子供の強制収容が中止された年は>

・驚くべきことに、この「里親」制度が正式に中止されたのは1981年である。この年、ようやくスイスは、これまで行ってきた子供の強制的な収容や「里親」への引き渡し、避妊手術や堕胎、強制的な養子縁組などを停止した。

 そのあと2005年には、法務省の指示で過去の「里親」制度にメスが入れられ、下院が法改正を提案したが、いつの間にかうやむやになり、6年後には立ち消えになってしまった。

 

<スイスで根絶されるべき人種とは>

・スイスのやり方は、ロマに対しても徹底的に過酷だった。ロマとはいわゆるジプシー(差別語)で、東欧やバルカン半島に多く住んでいる。それらの国では、ロマはいまでも激しい差別を受けているが、その対応の仕方は、基本的に「無視」である。早い話、ロマはいないものとして社会が構成されている。

 社会が受け入れないから、ロマたちはもちろん、ちゃんとした職にも就けない。多くの町のあちこちで物乞いをしたり、ゴミを漁ったりしているが、普通の人の目には、その姿さえ見ないも同然なのだ。

 アルバニアでもブルガリアでも、現地でそれを如実に感じた。「ロマがいるから、ハンドバッグに気をつけて」と注意してくれる人の目には、ロマは煩わしい害虫と変わりがなかった。なるべく遠くの集落に住み、なるべく社会に害を与えずにいてくれればそれでよいのだ。ロマの人権はもとより、状況の改善などを本気で考える人は、政治家にもほとんどいないというのが、私の印象だった。

 

・ところがスイスは違った。ロマは根絶されるべき人種だというのがこの国のエリートの考えであったようだ。それゆえ、無視はせず、赤ん坊が誘拐のように連れ去られ、施設に閉じ込められたり、「里子」に出されて強制労働に従事させられたりした。収容施設では寒くて薄暗い独房に閉じ込められ、親に会わせてもらうことも一切なし……そんなロマの子供たちがたくさんいたという。

 また子供だけでなく、大人も多くが強制的に施設に収容され、断種が積極的に行われた。スイスのロマは、生まれてから死ぬまで犯罪者のように扱われたのだ。

 ロマの子供の「保護」は、1912年に設立された「青少年のために」という公共団体の主導のもとに行なわれ、とくに1926年からは浮浪児援助の部局が設けられ、ロマ対策に当たり、スイス政府も1930年ごろから積極的に協力し始めたという。

 

<EU農家の収入の半分は補助金?>

・EUはECの時代より、常に農業部門に、最大の補助金を注ぎ込んできた。戦後、食料の供給が最重要事項の一つであった時代の名残だが、いまでは食料は、どちらかというと余っている。それでも、一度奮発した補助金を縮小することは難しいらしく、現在、EUの農家が受け取っている補助金の額は、ケースバイケースだが、その収入の4分の1から半分を占めているという。

 ただ、多くの補助金を注ぎ込んでいるわりには、EUの農業政策には無駄が多い。目的とは違うところで補助金が消えてしまっている例が、跡を絶たない。牛乳の値段を安定させるためだった生産量の割り当て制度も、極端なミルクの池やバターの山を減らすことには役立ったが、牛乳の値段はそれほど安定することはなかった。

 

 

 

『スイス人が教えてくれた「がらくた」ではなく「ヴィンテージ」になれる生き方』

多根幹雄   主婦の友社 2016/5/25

 

 

 

<スイスのパンがまずいワケ>

・最近でこそ、だいぶ改善されましたが、スイスのパンのまずさはヨーロッパでも評判でした。パンを焼く技術が低いせいではないのです。安全保障のために1年間、備蓄をしておいた小麦を使うからおいしくない。日本流でいえば、わざわざ古米を食べるわけです。

 

・また自宅にも、いざ戦争が起こったときの備えを欠かさないのがスイス流です。

 マンションでも一戸建てでも、地下には核シェルターが備えられています。厚さ50センチを超えるドアがついていて、いざ有事になったら、この中に入って外部から遮断できるようになっているのです。

 私が購入したマンションにも共同で使うシェルターがあり、各部屋ごとに簡単な間仕切りもありました。

 

・またジュネーブの街には公共の駐車場が地下に造られていて、いざというときは、そこも核シェルターとして使えるように設計されているそうです。地域の人たちが逃げ込んでも大丈夫なように、3日分の非常用食品や水の備蓄があり、さらには病院としても使えるように医療用器具、ベッドがあり、万が一、放射性物質にさらされてしまったら、それらを除染できるような施設もあるとのこと。私の事務所の近所にもそういった場所があり、日本にある地下駐車場などより、ずっと地下深くまで駐車場が造られていたのを覚えています。

 

<自分たちの力で国を守る国民皆兵制>

・スイスには徴兵制度があります。

永世中立国スイスでも徴兵制を導入しているので、日本も導入しているので、日本も導入すべきだという評論家もいるようですが、スイス人と国との関係を無視した不用意な意見だと思います。スイス人にとって徴兵制は、国の強制というのとはちょっと違います。「自分たちのコミュニティを自分たちで守るのが当然」という考えの延長線上で、「自分たちの国を守る」という意識が強く、主体性を持った参加をしているようです。

 

・スイスの家庭には、政府が発行している『民間防衛』というマニュアル本が置かれています。日本でも訳本が出ていて、内容を見ることができますが、国土の防衛について驚くほどこと細かく解説されています。

 食糧や燃料の備蓄のこと、避難所に必要な装備、安全な場所への非難の仕方、原子力爆弾についての解説、生物兵器化学兵器への対応方法、被災者への支援、救護班と応急手当、さらにはレジスタンス(抵抗活動)の仕方まで記述されているので、日本人にとっては驚くべき内容かもしれません。

 

<自由と独立を守るのは、自分たち自身の力なのだという決意>

・「国土の防衛は、わがスイスに昔から伝わっている伝統であり、わが連邦の存在そのものにかかわるものです。……武器をとり得るすべての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき……われわれにとって最も大きな財産である自由と独立が保障されるのです」

 

・スイスは国民皆兵制なので、一般的に男性は20歳になると、15週間の兵役訓練があります。そして42歳になるまで、2年ごとに20日間の訓練を合計10回行います。合計すると200日の訓練義務があるというわけです。この間、軍と企業が負担して給料を支払います。

 軍事訓練ですから、銃の扱い方も学びますし、体力的にも厳しい内容です。ただ最近では民間病院での奉仕活動などの選択肢もあるようです。また訓練期間中、土日には必ず家に帰れるというのも、どこかスイス的ですね。

 さらに43歳から52歳までの男性には、民間防衛と災害援助のボランティア義務があります。

 災害には①一般災害、②水害、③放射能という3つの種類があります。ある時期まで原子爆弾の脅威があったので「放射能」に対する備えもしているのでしょう。それぞれサイレンの音が異なり、それを聞くことで識別できるように訓練を行うそうです。

 

<自分たちの命は、まず自分たちで守る>

・また日本では考えられないことですが、兵役訓練を受けた男性は自宅に武器をワンセット置いておき、いざというときに備えています。機関銃、、缶に入った銃弾は年に一度の点検が義務づけられていて、時折、軍から呼び出しがあって射撃訓練を受けます。そこで成績が悪いと、また別途、特別訓練を受けなければいけないというので、なかなか大変です。自宅に銃があっても、きちんと使えなければ意味がないので、そこは徹底して教育しているのです。

 この他、自宅には軍服、コート、軍靴、リュックサック、ヘルメット。飯ごう、コップ、スプーン、アーミーナイフ、水筒、ガスマスク、薬セット、銃の手入れセットなども常備して、コミュニティを守るべく、準備しています。「ヴィンテージ」を目指すためには、実用的な準備が必要なのですね。

 

<「自由」と「自立」を守るには覚悟が必要>

永世中立国を維持する」とはどういう意味なのか。それが、どれだけ大変なことなのか。スイス人の「防衛」に対する決意を見るとよくわかりますし、私たち日本人の中にある感覚とはまったく異なることに気づかされます。

 日本人は「平和賛成!」と言うけれども、では「どうすれば、それを実現できるのか」についての議論がないのです。スイス人は「1年前の古い小麦で作ったパンを食べる」というつらいことも引き受け、また国民皆兵という厳しい義務をまっとうしながら「自由」と「独立」を守っています。その覚悟を、私たちも学び、理解しなければならない時代になっているのかもしれません。

 

 

 

『真・国防論』

田母神俊雄  宝島社   2009/4/20

 

 

 

<攻撃力を備えた自主防衛ができるとき>

・いままで書いてきたとおり、いまの自衛隊をみて本当に国を守れる防衛力があるかどうかと問われれば、これはまた不完全だろうと答えざるを得ない。

 

 にもかかわらず、F-15(通称:イーグル)戦闘機を200機もち、世界第4位の軍事費をもつ、いまの自衛隊の装備は過剰なのではないかと言われることがある。しかし軍事力というものは、国力に応じて備えるべきもので、経済力にあった軍事力をもつことは、国際社会を安定させるために国が果たすべき責任である。

 

・このままいけば日本の自主防衛に、私は、20~30年かかるのではないかと思っている。日本政府が大きな政治決断をすれば別だが、それはなかなかむずかしいだろう。

 防衛力整備には長い時間を必要とするのだ。

 政治決断をするにしても、いまの政治をみていると、国内の勢力争いでうまくいかないことが多いように感じている。政治家のみなさんには、政局よりも国家や国民を重視した行動をとっていただきたいものだ。

 

<核とはどんな兵器なのか>

・新たな攻撃法を考えると、最初にあがるのは核だろう。しかし被爆国ということもあり、日本には核アレルギーが根強い。核兵器と聞いただけでとんでもないと思う人たちもたくさんいる。その上政治家の中には、核をもっているより、もたない方が安全が保障されると信じる人達がいる。こんなことを信じる政治家がいるのは日本だけだ。

 私に言わせると彼らは本当に無知か、選挙目当てか、タカ派と言われたくないか、リベラル派と言われたいかのいずれかであろう。多くの国では、核武装をしないよりもした方がより安全と考える。だからこそ、核武装している国が身近に存在する我が国は、核兵器についても冷静に議論をしなければならないはずである。

 

核兵器をもつ国は特権的地位を占めることができるが、もっていない国は核保有国が決めたことに従わざるを得ない。

 なぜ核兵器がそれほどの力を持つのか。それは核兵器が戦力の均衡を必要としないからだ。通常戦力の場合、10対1の戦力比だと抑止は成り立たないが、核兵器は1発でもあれば抑止が成り立つ。核攻撃を受けた国は、たとえ1発でも被害に堪えられない。たった1発の核兵器が、アメリカで起きた9・11テロどころではない被害をもたらすのである。

 

・いま北朝鮮が核をもとうとしているのは、1964年の中国と似ている。あのとき中国は貧しく、餓死者が出るほどだったが、毛沢東は国民がズボンをはかなくても核武装をすると言った。

 

<日本も核武装をするべきだ>

・私は、大国としての責任を果たすためにも日本は核武装をするべきだと思う。しかし日本はNPT条約に加盟しているため、いまの世界の枠組みの中では、核武装はできない。

 もし日本が核武装しようとしても、アメリカは力一杯妨害するだろう。

 

自民党の政治家の中には、石破氏のようにどうせできないんだから核武装しない方がよいという人もいる。しかし国家としては、結果できなかったとしても、核武装すると言い続けたほうが核抑止力はぐんと高まるのである。

 

・さて、核を巡る新しい仕組みに、『ニュークリア・シェアリング』(nuclear sharing)というものがある。

 これは、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの5カ国がアメリカと結んでいる条約で、これらの国がロシアなどから核の恫喝を受けた場合、アメリカの核を使って反撃ができるというものだ。だからこの5カ国は、アメリカの核を使って日常的に訓練をしている。これらの国は核武装国ではないが、アメリカの核をいつでも使えることで核抑止力を担保しているのだ。

 第2次世界大戦で共に敗戦国同士であったドイツやイタリアでさえもこうやって、アメリカの核を担保にして自国の安全保障を追及しているのである。同じことを日本がやって悪かろうはずがない。

 日本もこの仕組みを使えるようになれば、中国から核の恫喝を受けるようなこともなくなるだろう。

 

・もし日本が最初にもつべき核兵器は?と聞かれたら、私は第一にSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)だと考えている。四方を海に囲まれた日本にとっては、潜水艦のほうが隠密性が確保できるからだ。情報化が進んでも、潜水艦は地上に比べ捕捉しにくい。現実的には、海上自衛隊の隊員をアメリカの原子力潜水艦に乗せて日常的に訓練させたらよいだろう。日本が中国から核の恫喝を受けたら、海上自衛隊にミサイル発射権限をもたせるという条約を日米で結んでおけばよいのだ。

 

<強いことが戦争を回避する>

・日本が抑止力をもつということは、自衛隊を強い存在として認識させる必要があるということだ。そしてその力を発揮させるためにも、日本が理不尽な要求をされたときには、強い自衛隊をもって相手を攻撃する能力と意志があると示すことが重要になる。日本を攻撃したら自衛隊に徹底的に叩かれる、勝てる見込みがないということが、他の国に広く知られていれば、これが抑止力となる。抑止力が効いていれば、他国は簡単に日本に武力行使をしようとは思わないものである。拉致被害や領海侵犯なども、自衛隊が法律でがんじがらめになっており、行動できないために被害が拡大しているのだ。

 

<政治家自らが、抑止力を低くしている>

・最近では、福田内閣のときに高村外務大臣が「日本は絶対に戦争をしない国だ」と発言をした瞬間に抑止力は大きく下がってしまう。国を代表する政治家からこういった発言が何度もされることにより、日本を攻撃しても反撃されない、簡単に屈服させることができるという誤ったメッセージを他国に伝えてしまい、日本への侵略を誘発する危険性を高めてしまう。本来であれば、「日本はあらゆる手段を排除しない」でなければならないのだ。

 こういった発言は、本来国益を追究する立場にある政治家が、逆に日本を危険に陥れるという皮肉な結果をまねいてしまう。

 またこのような発言が何度も重なることで、他国に与えるイメージだけでなく、国内も影響される。日本は戦争をしないという大臣の発言を、何度も聞いているうちに、だんだんと国家はその発言に縛られるようになってしまう。

 

・国際社会ではどの国も理不尽なことを言われたら断固戦うと宣言しているのに、日本の場合はあくまでも話し合いでと言う。これではまったく抑止力にならないのだ。

 

 国を代表する政治家が、こうして危機を誘発するような発言をするのは、国際社会では考えられないことである。

 

・なかなか進展をみせない北朝鮮拉致問題でも、いざとなったら日本は、最終的に軍事力を行使してでも拉致被害者を取り返すという気構えを、これまで見せていたなら、事態は大きく違っていただろう。

 絶対に軍事攻撃をしないと日本政府が宣言することで、北朝鮮にこの問題をどこまでも引き延ばせるという確信を与えてしまっている。拉致被害者を返してしまったら、日本を恫喝する手段がなくなる北朝鮮が、自ら拉致被害者を返すとは到底考えられない。戦争をしないという日本政府の姿勢を変えない限り、これからも拉致被害者が帰国する可能性は低い。

 

 これまで何度も領海侵犯をしている北朝鮮工作船についても、警告に応じない場合は沈めるという意志を日本政府が示せば、いまのように好き放題にやられることはなくなり、不審船は二度とこなくなるだろう。

 

・日本政府のこうしたやさしい対応で、多くの国民が拉致されるという悲劇が起こったのである。やさしさが国益を守るのかといえば、決してそうではない。本当に国益を守るためには、国家として断固とした対応をとる必要があるのだ。

 

<いま何が起きても、黙って見ているしかない自衛隊

 

・もちろん他の国の軍隊で、日本の自衛隊のようにやってよいことが決められている法律はない。外国では軍隊というものは政府の判断で動き、禁止されていること以外は何でもできる。

 本来、国際法上では、外国の軍隊のように自立した行動ができる自衛隊だが、国内法の縛りで動けなくなっている。やってはいけないことを決めるのは禁止規定(ネガティブリスト)と言われ、軍隊はこの禁止規定で動くのが国際常識である。逆にやっていいことを決めるのは、根拠規定(ポジティブリスト)と呼ばれ、一般の官公庁はこの根拠規定で動いている。

 軍隊は通常、ネガティブリストで動き、禁止されていること以外は自己の判断でやってもいいことになっている。それが国際社会のグローバル―スタンダードなのだ。

 しかし自衛隊は、一般の官公庁と同じポジティブリストで、行動が細かく決められる存在となっている。これでは、自衛隊ポジティブリストにない想定外のことが起きたときや、あいまいなケースには対応できないのだ。世界の中で、唯一、自衛隊だけがグローバルスタンダードに反しているという状況なのである。

 

専守防衛では国を守れない>

・いま、日本はこの専守防衛を考え直す必要に直面していると言っていいだろう。専守防衛で守りに徹し、攻撃的兵器をもたないということでは、国を危険にさらしてしまうことになりかねないのだ。こうした危険を回避するためにも、攻撃的兵器をもつことで、殴られたら殴り返すぞと言えるようになることが必要なのだ。

 

・具体的な例で言えば、北朝鮮の拉致もまさに専守防衛の悪影響といえる。北朝鮮にしてみたら、日本は絶対に自分達を攻撃しないとわかっているから、交渉に3年から5年かけても拉致被害者を返さないのである。これがもし、日本政府が相手に対して、返さないのであればぶん殴るぞという態度を示せば、交渉の結果も違っていただろう。ところが、日本は絶対に武力行使しませんからと北朝鮮に向かって言ってしまうのである。

 拉致被害者を隠しもっている限り、北朝鮮はずっとさまざまなことで日本をゆすることができる。日本が、何があってもこちらから武力行使はしませんと言った途端、返さなくても何もされない北朝鮮は、ああ、じゃあ彼らを返すことはやめようと思ってしまう。

 

<ゆきすぎの専守防衛

・外交交渉においても、この専守防衛はまったくもって不利な戦略であることはおわかりだと思うが、先にも書いたが、この専守防衛戦略をとる以上、自衛隊は攻撃的な兵器をもてない。いまの自衛隊の装備を見れば、一目瞭然なのだが、海自、空自の能力は専守防衛をもとに装備されている。たとえば、長距離ミサイルや爆撃機といった攻撃的な性格をもつ兵器はないのだ。

 

・しかし専守防衛をとっている日本では、自衛隊がこうしたことを調査することができない。たとえば、こうした調査を通して自衛隊が、北朝鮮のミサイル基地攻撃について研究していたとしたらどうだろうか。そうしたことが明らかになれば、マスコミはこぞって攻撃計画を立てていると大騒ぎをし、政府は関係者を処分することになるだろう。

 

・本来、軍隊というものは、国家の非常時に、敏速な対応をするためにあらゆることを研究、シュミュレーションするものである。外国では軍隊のこうした仕事について、普通国民は「ありがとう」と感謝するものであるが、日本では「余計なことをするな、処分するぞ」となる。私は、こうしたマスメディアの反応や政府の対応が信じられない。まったくもって、おかしな国である。このような考え方が続くようでは、誰が国防を担当したところで、国の安全は確保できないのだ。

 

<軍事力は外交交渉の後ろ盾

・ところが、日本は違うのだ。威嚇射撃をしたら、どこぞの政党が騒ぎ出し、それに対応する政府はひたすら自衛隊の責任問題に摩り替えて、処分をする方向へと流れていく。このような体制だから、海外諸国、とくに近隣の国々に好き勝手されてしまうのだ。

 

・しかし、だからと言って、外交交渉上軍事力の意義が減ずるものではない。外交交渉を支える軍事力の存在は、ますます重要となるのだ。たとえ国同士の関係が悪くなっても、こちらの軍事力の優位性が保たれていれば、相手と交渉を続けることができる。

 

・しかし、侵略や略奪こそなくなってはいるのだが、国際社会の安定は、金持ちの国が、貧乏な国より強い軍事力をもたなければ成立しない。

 その答えは明白だ。もし、経済力が弱くてもその国の軍事力が強ければ、経済力はあっても軍事力の弱い国の富を、略奪することができるからだ。

 

<守屋という男の素顔>

・守屋氏が逮捕されたとき、自衛隊員のほとんどが“あいつだったらやるかもしれない”と思っただろう。

 彼は以前からうさんくさい噂が絶えず、業者にたかっているとか、業者も要求されて困っていると聞いたこともあった。実際に彼が毎晩業者と飲みにいったり、特定の業者が長い時間、次官室にいたりするのを目にした者も多かった。

 守屋氏が直接こうしろと指示をしなくとも、絶大な権力をもつ事務次官がこう思うと言えば、相手は意図を汲めと言われていると感じることもあっただろう。

 2007年に新任だった小池防衛大臣と退官をめぐる衝突があったが、守屋氏はその当時で次官を4年やっていた。

 通常、事務次官に4年も居座る人などいないのである。

 

・いま官僚がいろいろ言われている。政治家も官僚を叩く。本来、行政・立法・司法の3つは独立しているものだが、政治家は自分が大神でなくとも行政府の上にいると思っているふしがある。また官僚も政治家は自分たちの上にいると認識している。政治家がよってたかって官公庁を叩いたら、官僚は政治家に協力しなくなる。政治家というものは役人に教えてもらわないといけないことがたくさんあるのだ。あなたたちのおかげで国が成り立っていると、ほめて使わないと人は動かないことを忘れてはいけない。

 

<抑止力としての自衛隊のあるべき姿>

<国際社会は性悪説で眺めるべきもの>

日本国憲法の前文には、「世界の国を性善説で見なさい」と書いてある。非常に、外国にとって都合のよい憲法だと私は思う。日本が武力行使をしなければ世界は平和だというが、実際はどうだろうか。世界を見回したとき、国防に力を注ぐ国はあるが、それを縮小しようとする国は日本だけだ。

 

・しかし、国際社会を性善説でとらえるとしたら、この国の進むべき道は間違ってしまう。ざっと見渡してみても、日本の周りでは腹黒いことがたくさん起きていることがこのことを裏付けているといえるのではないか。