日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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元財務官僚の高橋洋一氏は、政府の債務(借金1000兆円)が過大評価されていると述べている。そして、増税の必要性を強調するのは財務省の謀略である、という。(1)

 

『「幸福な日本」の経済学』

石見徹 講談社  2017/11/11

 

 

大きな政府」は避けられない

<不安な個人、立ちすくむ国家>

・現在では子供から老人に至るまで、すべての世代が経済的な問題を抱えていることが広く知られるようになった。

 このような問題を解決するのに、もっとも分かりやすく、有効な手段として浮かび上がってくるのは、所得の再分配である。

 

・結論的にいうと、所得再分配や福祉の拡充、言葉を換えていうと「大きな政府」しか対策はないと思われるが、かといってヨーロッパ諸国のような「大きな政府」が直ちに実現できるわけはない。今とくらべて「より大きな政府」を目指すことになる。

 

・またもう1つ重要な論点は経済成長であるこれほどに「貧困」や「格差」が注目されるようになり、福祉国家に対する風当たりが強くなったのは、経済が低成長に陥ったことが大いに関係している。成長の低迷は日本ばかりではなく、先進諸国に共通している現象である。

 

筆者は、財政、社会福祉やや、労働の専門家ではない。それで見当違いや誤解しているところがあるかもしれない。しかし、このように広がりをもった問題には、たとえ素人談義であっても、衆議をつくすことが必要であると考えた。

 

<「大きな政府」は避けられない>

経済成長は現代日本の行き詰まり状態を打開する上で、きわめて重要な条件である。しかし、少子高齢化が進む状況では、経済成長が難しいことも、これまた事実であることは認めざるをえない。

 

大きな政府」への反感

・政府のはたすべき役割というと、「大きな政府」に対する拒絶反応が予想される。そのような批判の理論的支柱であるミルトン・フリードマンによれば、「大きな政府」が生まれたきっかけは、アメリカで1920年代から30年代にかけて「大恐慌」を経験したこと、また苦境にある資本主義に対してソ連社会主義体制が魅力的にみえたことにあった。ルーズベルト政権の下で実施された「ニューディール」政策が、公共事業によって雇用と需要を作り出す試みであったことはよく知られているが、同時に福祉政策の面でも1935年の社会保障法で失業保険や老齢年金を制度化した。

 

・ところが、1970年代後半、あるいは80年代から、いわゆる新自由主義の考え方が広まるにつれて、「大きな政府」が信頼を失い、「小さな政府」への評価は高まる一方であった。政府の介入が大きくなるほど、非効率性やムダが生まれるので、民間にできることは民間に任せるべきである、といわれてきた。

 

しかし、実際のところ「大きな政府」が経済成長を阻害するかどうかとなると、答えはそれほど簡単ではない。このような問いを検証するために、政府の支出や税収の規模と経済成長との関係を分析した研究がこれまでいくつか発表されてきた。こうした一連の研究結果を比較検討してみると、正の相関、すなわち政府の規模が大きくなるほど成長率は高くなるという結果もあれば、逆の相関、すなわち政府の規模が大きくなるほど成長率は低くなるという結論を導いたものもある。最近は「大きな政府」が経済成長を阻害するという研究の方が比較的多いようにみえるが、まだ反論の余地のない答えを出すところまで達していない

 

ただ注目すべきは、「高福祉・高負担」の福祉国家でよく知られているスカンディナヴィア諸国が良好な経済的成果を上げていることである新自由主義の考えによると、「高負担」は経済成長を抑制するはずなのに、これら諸国の所得水準も経済成長率も高く、日本を上回っている。この現象は北欧の「パラドックス」、あるいは「謎」といわれる。

 

・しかし他方で興味深いのは、同論文で「大きな政府」が経済的に成功する条件として「社会的信頼」という要因も指摘していることである。いわゆる福祉の「過剰」やバラまきを防ぐには、市民が互いに信頼したり、政府を信用できたりする関係が重要であるとするならば、たしかに理解しやすいだろう。

 

・それでは、日本ではこの信頼関係はどうなっているのだろうか。第1章でとり上げた『世界価値観調査』で、政府、政党や国会に対する信頼度を参照すると、時系列な変化(1981年から2010年の期間)はあまりみられず、6-7割が信頼していないという結果が出ている。そして国際比較をしても、信頼度が48ヵ国中で最下位に近いのである。このように政府、あるいは政治を信頼できないという声が大きいとすると、日本では福祉国家を成功させる条件が乏しいのかもしれない

 

以上、要するに「失われた10年」ないし「20年」の間に、日本人は格差をむしろ肯定するようになった。それ以前はたしかなことは分からないが、貧困の原因が「怠惰」にあるとみなす人が多いことも注目される。一方で「福祉の充実」を求めながら、他方で格差の存在には寛容であるという、いささか矛盾した傾向は、自己中心的という観点からみると、矛盾なく解釈できるのかもしれない。

 

日本は「大きな政府」か?

まず国際的にみると、日本は必ずしも「大きな政府」の国ではないことを確認しておこう。

 

これによると、日本は政府の債務残高が抜群に大きいことを除き、とくに大きな数値は出ていない。政府支出や税収は、アメリカをやや上回るが、イギリスとほとんど変わらず、ヨーロッパ大陸の諸国をむしろ下回っているそしてとりわけ目をひくのは、公務員の数が少ないことである。日本に次いで少ないドイツと比べても、その約半分である。

 

日本は国民の税・社会保障費の負担をかなり低く抑えているという印象がある。以上のような事実があるにもかかわらず、なぜ日本では政府、あるいは「大きな政府」が信用されないのだろうか。この問いに対して、まず浮かび上がってくる答えは、第一に現行の行政の枠組みにさまざまなムダがあることである。それらの多くは、官庁の縦割り行政や既得権益と結びつき、関連業界の利害も絡んでいるので、是正することは容易ではない。こうしたムダの排除はむろん必要なことである

 一例として、歳入庁の設立が提唱され、閣議決定までされながら実現していないことがある。

 

第二に、政府サービスの利益が実感できないことが指摘されている。とくに中間層にはこの種の不満が大きいといわれる。

 

第三に、ここでも少子高齢化の影響がある。高齢者向けの社会福祉支出が増える一方なので、その負担を引き受ける現役世代から「大きな政府」への反感が生じやすい。世代間の対立をことさらあおる必要はないが、潜在的な意識としてこの点は無視できないだろう。やはり社会福祉の改革を避けて通ることはできない。

 

・以上のように、「大きな政府」に対する厳しい見方には、それ相応の理由がある。しかしその一方で、「大きな政府」が必要とされる深い理由もある。その理由というのは、戦後の日本社会を支えてきた企業や家族の力が衰えてきたことである。これまで企業は、正社員の雇用を維持し、年功賃金や家族手当、住宅手当などで生活を保障してきた。その意味で、企業は福祉国家に代行する存在であり、だからこそ社員は、特にはその家族を含めて会社への帰属意識を高めてきた。ところが、「イエ」に喩えられることもあった会社は、低成長期に入った現在ではもはやそれだけの余裕をもてなくなってきた。

 

・そうした空隙を埋めるのが政府の役割となるはずだが、人々の意識はまだそこまで行っていない。国の責任よりも、自己責任が強調されやすい風土があるのは、このギャップのせいであるだからこそ、高齢者の割合が高いにもかかわらず、政府の支出規模や国民負担率を比較的、小さくおさえることができた。またその反面で、「大きな政府」に対する警戒感が根強いことになる。

 

<政府債務に問題はないか>

元財務官僚の高橋洋一氏は、政府の債務(借金1000兆円が過大評価されていると述べている。そして、増税の必要性を強調するのは財務省の謀略である、という。政府債務が過大評価であるという理由は、第1に債務は資産と合わせてみるべきだからである。政府の債務から資産を差し引いた純資産でみると、借金1000兆円が実際は200兆円程度になる。第2に、日本銀行はいわば政府の子会社に当たるので、連結決算(総合的な貸借対照表)で捉えることを提唱している。

 

・日銀は量的緩和策として、金融機関から国債(政府の債務)を大量に買い入れているが、この国債買い入れ額は日銀の政府に対する債権である。連結決算で考えると、政府の債務と日銀の債権が相殺されるので、この部分については、政府の債務が事実上、存在しなくなる。2014年度末で日銀が保有する額は国債発行残高の3割にもなる。これだけ巨額の政府債務が、まるで手品師が魔法をかけたかのように、消えてなくなる、ということになる。しかし、そんなにうまくいくわけがない。

 まず第1の点について、政府資産の中には現金・預金、有価証券、貸付金、出資金などの金融資産があり、これらは2014年度末で資産の55%を占める。ここには日本政策投資銀行、UR都市機構など特殊法人独立行政法人に対する資産が多く含まれている。そこは公務員の天下り先になっている、といわれる。

 

・資産保有天下りの温床となっているとすれば、これはたしかに問題である。しかし、株式など金融資産はすぐにでも売却できるかもしれないが、売ってしまえばそれまで、二度と使えない。一時的に政府債務を減らせても、将来さらに財政赤字が続けば、その保証にはならない。やはり着実に財政赤字を減らしていく努力が必要である。

 第2の点について、政府と日銀を連結すると国債残高が消えるとするのは暴論である。それはなぜかを理解するためには、日銀の貸借対照表を参照しなければならない。

 

ところで、国債発行が今後も持続していけば、いつか民間が購入しきれなくなる時がくる。そうなると、国債の信認が揺らぎ価格も大きく下落する。それは、日銀の資産(国債保有残高)を大幅に減価させ、資産が負債を下回る状態(債務超過)になりかねない債務超過になると、政府が救済することもありうるが、すでに政府債務があまりに大きいと、この方法にも限界がある。この状態になると、日本の通貨(円)に対する信認が一挙に下落し、猛烈なインフレが生じる。そうなると、国民生活への行動は予想もつかないほど大きい。つまり、日銀が国債を買い続けたとしても、いずれは日本の通貨、さらには経済そのものが破局に至ることを考慮しなければならないのである。

 

また、財政赤字を拡大させる一方の先送り策は、将来世代に巨額の債務を残すことになり、世代間の不公平を大きくするので容認すべきではないしかもやっかいなことに、政府債務ばかりではなく、さらにいっそう大きな社会保障の債務(年金、医療保険介護保険)が残されている、という指摘もある。そうだとするとますます、増税社会保険料の引き上げを早急に検討するしかないだろう。

 ところで、日本のように巨額の債務を控えた先例を探してみると、イギリスが浮かび上がってくる。この国の政府債務はナポレオン戦争後の19世紀初頭に国民所得の2倍近く、第2次大戦後には2倍を優に超えていた。19世紀初頭は現在の日本よりやや少ない規模であったが、第2次大戦後は日本とほぼ同じだとみてよいだろう。

 

それにしても、現在の日本でなぜ財政赤字が放置されてきたかというと、人々は遠い将来にまで考えが及ばないこと、近視眼的に利益を求めがちなことがあるだろう。それは「シルバー民主主義」にも関連するが、とりわけ高齢者は余命が短いので、いっそう現在の利益にこだわることが多い。 露骨な言い方をすると、「あとは野となれ山となれ」の精神である。ある友人などは、もう少し気取った表現を使って、「わが亡き後に洪水よ来れ」ということもあるが、同じことである。

 

<どのような税が好ましいか>                                                                                                                                                                                                                                                                                               

・次に財政赤字を解消していく手段として、税について考えてみよう。まず重要なことは、税が政治そのものということである。近代国家は一方で私的所有権を保証しながら、地方で個人の所得や資産から税を徴収するのは、矛盾といえば矛盾である。このような矛盾があるからこそ、近代国家は、課税やその支出について国民が意見を表明する権利を保障している。アメリカの独立戦争で、「代表なくして課税なし」というスローガンが説得力をもったのはそのせいであり、財政民主主義といわれることもある。

 

<消費税>

・消費税については、すでにみたように、「逆進的」であることが欠陥とされてきた。消費税が内閣の命運を左右するとまでいわれたのは、このような「逆進性」の他に、日常の消費行動すべてに課税されることに、国民の強い反発を呼び起こしたからであった。しかし高所得者低所得者も関わりなく、広く課税するという特徴は、税収を上げる点では、きわめて効果が大きい。

・しかし、日本の消費税率は西ヨーロッパ諸国よりもまだかなり低い。今後、引き上げがあれば、福祉の拡充に使える余地は大きい。また将来の引き上げが可能であるとの見通しがあるからこそ、巨額の政府債務があっても、国債に対する信頼がまだ揺らいでいないという事情もある。

 

・高い税率や「大きな政府」が経済成長に及ぼす影響について、短期的にはマイナスに働くことはあるかもしれないが、この社会が持続することを考えるならば、長期的な時間軸で考えなければならない。日本はそこまで追い込まれているということもできる。

 

このように「大きな政府」が避けられないとすると、増税の可能性を探っていくしかない所得税、なかでも金融所得の増税はやむをえないし、相続税のいっそうの引き上げや、新たに資産課税も検討のリストに載ってくる。しかし税収に占める固定資産税や相続税の比重はもともと大きくないので、消費税の引き上げはやはり不可避である。逆進性などの短所は、政府支出の面で再分配機能を強めることで補う必要がある。

 

 

 

SAPIO 2018/1・2』

財務省の「国民貧困化計画」を暴く  三橋貴明

 

 

 

このままでは2020年に日本は破滅してしまう

・国民を豊かにするために存在するはずの財務省が秘かに「国民貧困化」を進めている—―経済評論家の三橋貴明氏は財務省が、自分たちの影響力を拡大するために国民を犠牲にし、亡国に導こうとしていると告発する。

 

現在、「国民の貧困化」「発展途上国化」が進行していることに危機感を抱く日本人はどれだけいるだろうか。

私たちの所得はもう20年近く下がり続けている。

 

15年時点で、日本国民は97年に比べて15%も貧乏になった。

 

まさに怒涛の増税ラッシュである

・なぜ所得がそれほどまで下がってしまったのか。答えは、国民の所得を減らす経済政策がデフレ下の日本で過去20年続けられてきたからだ。それこそが国民貧困化の原因。その政策とは「緊縮財政」、すなわち「政府支出の削減」と「増税」である

 

徴収した税金以上に政府が支出するなら、分配が変わるだけだから経済にダメージはない。が、増税分を借金返済に回すと、国民の所得が増える要素はない。

 亡国のタイムリミットは2020年だ。19年の消費増税、残業規制による残業代の削減、東京五輪のインフラ整備終了などにより、20兆円~30兆円の所得が減る可能性が高い。現在のGDPはおよそ500兆円だから、4~5%マイナス成長になるだろう。「20202年亡国」への道をまっしぐらに進んでいることを全国民は認識する必要がある。

 

国債は国の借金にあらず

そうはいっても、国の借金1000兆円と言われる今、「将来世代にツケを回して自分たちが贅沢をするわけにはいかない」と考える読者は多いだろう。

 

増税、政府支出の削減は「PB(プライマリーバランス=政府の基礎的財政収支)黒字化」のお題目のもとに行われている。増税で歳入を増やし、政府支出を削減することで債務を減らそうとしている。

 

しかし今や日本国債の4割は政府の子会社である日本銀行保有しており、これは償還(返済)も利払いも必要ない。親会社・子会社間のお金の貸し借りは連結決算で相殺されるためだまた、日本国債は100%円建てであり、そこが実質破綻したギリシャと決定的に違う。自国通貨建て国債のデフォルト(債務不履行)があり得ないことは、かつて財務省自らが海外格付け会社に主張したことだ。

 

インフラ、科学技術に投資せよ

財務省の身勝手な思惑から離れ、国民が豊かになるためにはどうすればいいか。まずは今すぐ緊縮財政を改め、財政政策として重要分野に投資することが、「発展途上国化」を防ぐ道である。

 

一つ目は国防だ。日本の防衛費は「GDPの1%以内」という制約があるため、GDPが縮小すると防衛費まで削られてしまう。本来、防衛費は必要に応じて規模を決めるべき支出のはずだ。

 

二つ目はインフラ整備。日本のインフラは多くが老朽化してきている。専門家の推計によると、今後50年間で28兆円程度のインフラ整備をしないと橋、トンネル、港湾などの多くが使用できなくなる。

 

三つ目は、社会保障。医療、介護、年金といった今後もしばらく需要が増えていく分野に資金を供給していくことが必要だ。

 

四つ目は、科学技術予算。2000年を100とした科学技術関係予算の推移を見ると、日本はかろうじて横ばいを維持しているだけでほとんど増えていない。

 

国民が正しい認識を持って財務省の刷り込みから目覚めない限り、日本はインフラがボロボロで、防衛力も弱体化して他国からの侵略に怯えるような「科学技術劣等国」となることは避けられないだろう。

 

 

 

『なぜ日本だけがこの理不尽な世界で勝者になれるのか』

高橋洋一   KADOKAWA  2017/4/28

 

 

 

いまや世界経済のリスクとなった中国

<自国の統計を信じない中国の政治家たち>

・経済学者の目から見ると、中国は不思議な国だ。経済学の基本でいえば、輸出は外需、輸入は内需の動きを示す。貿易統計の数字を見ると、近年の中国は輸出・輸入ともに減少しているのに、GDPは伸びている。この現象を論理的に説明できる術を筆者は持ち合わせていない。誰かに説明してもらいたいほどだ。

 もっとも、中国政府が発表しているデータを鵜呑みにすれば、いまも中国が経済成長を続けているというストーリーを簡単につくり出すことができる。

 

・中国のGDP統計に対して疑惑の目を向けているのは、筆者だけではない。以前から多くのエコノミストやジャーナリストが疑惑を指摘しているが、恐ろしいことに中国の政治家たちすら、国の統計を信頼していない。

 

・中国の国家統計局が公表する経済成長率は2012年から“小刻み”に低下しているが、これも経済の成長が止まったことをわかったうえで、対外的に「急激な失速」という印象を与えないように改竄されたデータである、と見たほうがよい。

 外需が芳しくない要因には、競争力の低下や需要の落ち込みが考えられる。これらは短期的には改善されにくいものだ。また、内需についても、共産党指導部が問題視している国内の過剰生産が「供給側の構造改革」によって解消されないかぎり、好転は難しい。貿易統計しか信頼できる判断材料がないとはいえ、中国経済が当分のあいだ、低迷する確率は高いと予測できる。

 

人民元は国際通貨になれるのか>

経済が低迷するなかで、今後の動向を探るカギとなるのは、習近平体制がどこまでもちこたえられるか、ということだ。中国経済をめぐっては、アメリカの経済学者であるケネス・ロゴフがハードランディング論を唱えている。はたして習政権は自国の経済をどこに、どう着地させようとしているのか。

 先進国では、政治的な自由と経済的な自由はセットで動いている。一方、中国の政治体制は一党独裁であるため、政治的な自由の確保は絶望的だ。そのため中国では、経済的な自由を達成できない――というのが、筆者の考える基本的なロジックである。

 

<中国は先進国になる前に「中進国の罠」に突き当たる>

・中進国には2種類の相手との競争がある。1つは、背後から追い上げてくる途上国。賃金の安さで中進国よりも比較優位にある途上国は、輸出品ではコスト競争力を発揮する。もう1つは先進国だ。技術力や開発力では、中進国は先進国の後塵を拝するケースが多い。コスト競争力で途上国に敗れ、技術力では先進国に敵わなければ、中進国の経済成長は止まってしまう。これが「中進国の壁」といわれる現象である。

 

・それに対して中国は、工業化を国有企業が牽引し、いくつかの優良企業も現れつつはあるが、資本・投資の自由化はほぼ不可能である。

 

・このままでは、中国は中進国の壁を越えられなかったマレーシア、タイ、アルゼンチン、メキシコといった成長停滞国の二の舞になる確率が高い。

 

・国際通貨になるためには、発行国が経済大国であり、発達した健全な為替・金融資本市場を有し、対外取引の自由が保証されているといった要件を満たしていなければならない。これらは経済的な自由の典型だが、中国の場合、巨大な国内市場はあるものの、常習的な為替管理国であり、自由な対外取引にも難点がある。

 中国が経済的な自由を認めるのは、容易なことではない。なぜなら為替の自由化は資本取引の自由化と表裏一体であり、資本取引の自由化は国有企業の全面的な民営化につながるからだ。国有企業が民営化によって経済的な自由を獲得すれば、やがては政党選択という自由を国民は求めるようになる。すなわちそれは、現行の一党独裁体制が崩壊の危機にさらされることを意味する。

 

<中国は「理」がなくとも「利」で動く>

・中国としては、統計をどれだけ改竄しても実体経済の悪化は覆い隠せないという現実がある。実際に、中国からの資本流出には歯止めがかからなくなっている。その一部は、外貨準備高の減少というかたちでも現れている。

 

・いずれにせよ、中国国内の人件費は高騰し、もはや絶対的なコスト競争力が確保できない状況になっている。しかも、無格付けの社債が平気で発行される国である。破産法制が整っていないから企業の倒産はなかなか顕在化しないが、広州、香港、マカオでは数千社の倒産が起こっている。

 もはやビジネスの最適立地とはいえない、という理由から、中国以外の新興国に生産拠点を求める日本企業も少なくない。

 

この状況を放置しておけば、人民元は国際通貨になるどころか、大暴落を引き起こす可能性すら出てくる。人民元の暴落は習政権にとって致命傷になるだろう

 

・大風呂敷を畳むことができなければ、中国は「GDPが順調に伸びている」という架空のシナリオを描きつづけるしかなくなる。

 

「戦争の巣」東アジアでどう生き残るか

集団的自衛権行使で戦争リスクは下がる>

<民主主義国家同士のあいだでは戦争はほとんど起こらない>

・戦争は二国(多国)間で起こる。そして、仕掛ける国の都合で始まる。だからこそ、成熟した民主主義国家同士の「同盟関係」が重要になる。どんなに野蛮な国でも、複数国を相手に戦争を仕掛けることの無謀さを理解しているからだ。

 

・筆者は数字を示そう。集団的自衛権の行使によって日本の戦争リスクは最大40%下がる。また自主防衛(個別的自衛権の行使)と比較すれば、コストは75%程度少なくて済む。

 

・日米同盟のコストは1年で約1.7兆円、そこに防衛関係費を加えても約6.7兆円だが、現在と同等の防衛力を自前で賄おうとすれば、24~25.5兆円かかると試算されている。さらに筆者の指摘を加えるなら、自主防衛の道を選択すれば、いずれは抑止力としての核兵器保有まで視野に入れなければならなくなる。

 

・お花畑の真ん中で安全保障の論議をしていたら、いつ非合理な事態に巻き込まれてもおかしくはない。すでに日本の排他的経済水域EEZ)には北朝鮮から頻繁にミサイルが撃ち込まれているという「事実」を、日本人はきちんと認識すべきだ。

 

<日本のPKO議論はガラパゴス状態>

・ついでにいえば、駆けつけ警護も安保関連法も憲法違反だと主張する野党は、25年前の世界にとどまったままである。1周遅れどころか、3周遅れだ。

 

<「日本の借金1000兆円」の大嘘>

<政府資産の存在がバレて困るのは誰か>

バーナンキ氏の理論では、大恐慌は各国の金融政策という一点からシンプルに説明される。金本位制に執着した国は十分な金融緩和ができずデフレから抜け出せなかったが、金本位制を放棄した国では自由に金融緩和ができたので、デフレからすぐに脱出できた。それが「魔物」の正体だ。この慧眼に、筆者もなるほど、と膝を打った。そして、当時の日本とドイツの経済政策に思いが及んだ。

 

世界恐慌の渦中にあった1932年、ドイツでは失業率が30%を越え、失業者は600万人を数えた。これを3年間で160万人にまで減らし、世界恐慌前の経済状態に戻したのがアドルフ・ヒトラーの経済政策だった。アウトバーン(高速道路)の建設など、積極財政による雇用政策が功を奏したのである。

 

・一方、日本は世界恐慌とほぼ同時期に行われた金解禁によって通貨高となり、輸出が落ち込んで昭和恐慌を招いた。立憲民政党浜口雄幸首相が、金本位制復帰に伴って緊縮財政を採用したことで、日本は猛烈なデフレに見舞われた。1931年の経済状況を29年と比較すると、国民所得は2割減、物価は3割減となっている。32年の失業率は統計上では8%程度となっているが、この数字は信頼性に乏しい。かなりの失業者がいたことは、各種の経済データから複合的に推測できる。その昭和恐慌から日本経済を回復させたのが、「高橋財政」と呼ばれた高橋是清の経済政策だった。

 

・ドイツのヒトラーも、日本の高橋是清も、積極財政と金融緩和をいち早く行ない、早期のデフレ脱却を成し遂げた。だが、経済が回復してからの両者の人生は対照的だ。ヒトラーは独裁体制を構築して戦争へと突き進んだ。高橋是清は軍事費の緊縮へと動いたことで暗殺され(2・26事件)、軍部の台頭と暴走によって日本も戦争へと向かった。

 

・たとえば、国の借金が約1000兆円もある—―と心配している人は、いまだに少なくない。左派マスコミや財務省の御用学者だけでなく、どこのヒミつきでもないエコノミストのなかにも、この大嘘を疑わない人がいるのだから、彼らの言論に国民が騙されるのも仕方ないかもしれない。筆者にいわせれば「いまさら」だが、日本の財政はそれほど脆弱ではない。いわんや「このままでは財政破綻する」という主張には、失笑さえ覚える。

 

財政再建はすでに達成されている>

そこで、あらためて計算すると、約500兆円の借金から400兆円が除外されるのだから、国の本当の借金は100兆円そこそこ、多く見積もっても150兆円程度でしかない、という実態にたどり着く、GDP比でいえば、せいぜい20%程度。日本の稼ぎは、借金の5倍もある。これで「財政破綻寸前」なら、アメリカやイギリスはとうの昔に破綻しているだろう。同じ計算方法で各国の純債務をGDP比で見れば、アメリカは65%、イギリスは60%である。先進国のなかで比較をすれば、日本の財政はむしろ「優良」といってもよいくらいだ。

 断言しよう。日本の財政再建は実質的に、すでに達成されているのである。

 

<「政府の借金は国民の資産」論の危うさ>

・政府がもっている、莫大な収益をあげるための強力な権利が徴税権だ。国民や企業から強制的に税金を徴収できる権利は、実質的な資産といえる。しかも、少なく見積もって毎年30兆円以上の税金を徴収できるのだから、割引率5%として資産価値は600兆円にもなる。それを加味すれば、日本の財政は資産超過といってもおかしくない。

 

<マイナス金利で得をするのは国民だ>

<「濡れ手に粟」だった日本の金融機関>

・「マイナス金利」という言葉を初めて耳にしたとき、その意味と効果をすぐに理解できた人は少なかったのではないか。というより、いまだに正しい理解が得られていない人が多くいるように感じる。

「マイナス」と聞けば、条件反射的にネガティブなイメージを抱きやすいものだ。日銀がマイナス金利を導入したのは2016年1月29日。直接に株価や為替が乱高下したこともって、エコノミストの論評のなかにも、マイナス金利を否定的に扱うものが数多く見られた。

 こちらも結論から述べよう。マイナス金利は日本の経済を活発にすると同時に、国民が得をする金融政策である。

 

<「オークンの法則」>

・オークンの法則は、GDPと失業率には密接な関係があり、経済成長しなければ失業者が増えるという理論である。成長しなければ人々の満足度も豊かさも高めることはできないという因果モデルは、経済学では動かしがたいテーゼだ。

 

・オークンの法則は、日本を含めた先進国で広く実証されているからこそ、「経済法則」の名に値するのである。

 

<経済成長をボウリングに譬えると………>

・オークンの法則は経済成長と失業の関係を如実に示すものだが、さらに踏み込んで開設すれば、失業率が下がることは自殺率や犯罪率の低下、また労働力人口に占める生活保護率などの低下にもつながる。

 

<年金制度の持続可能性は高まった>

<評価に値するマクロ経済スライドの発動>

<消費税の社会保障目的税化は悪手だ>

・少子高齢社会において、年金の財源確保は大きな問題だ。しかし、そのために消費税率を上げなければならないというロジックに合理性はない。

 

歳入庁創設が年金問題解決の最適解

・この問題は、じつは簡単に解決できる。「歳入庁」を創設して税金と社会保険料の徴収を一元化すればよいだけだ。現状の非合理なシステムを一つの機関に統合すれば、徴収効率は高まるし、行政のスリム化にもなる。納める側も手続きが1ヵ所で済む。デメリットは何もない。

 海外では、むしろそれが当たり前のシステムだ。

 

国税庁の税務調査権は、財務官僚の裏の権力だと筆者は思っている。「税務調査が入る」といえば、誰でもビビる。この権力を振りかざせば、政界、財界、学界など、あらゆる業界の人たちを黙らせられる。この既得権を手放したくないから、財務官僚は国税庁が切り離されて歳入庁に編入されることに全力で抵抗するのだ。

 歳入庁創設は年金問題の最適解である。その解を導く計算式をどう編み出していくかが、政府の進める「社会保障と税の一体改革」のカギになる。

 

GPIFは見直しではなく廃止せよ

GPIFについては、組織の「見直し」よりも「廃止」が正しいと筆者は主張してきた。

 公的年金の現行制度はほぼ割賦方式で、一割程度が積立方式になる。割賦方式は「入(保険料+税)」と「出(年金給付)」が等しくなるように調整する。「入」は賃金に連動し、「出」は物価に連動する。このバランスがうまくとれていれば、年金制度が破綻することはない。マクロ経済スライドは、そのバランサーだと理解すればよい。

 ということは、年金財政にとって積立方式は1割程度しか寄与していないことになる。年金積立金は100兆円以上ある。そんなにもっている必要がほんとうにあるのか。年金運営の流動性を確保するなら、10兆円程度で十分だ。

 GPIFは積立金を運用する独立行政法人である。2015年度には株価下落で5兆円を越える損失を出したことが大きく報じられたが、累積利益は40兆円ある。しかし、年金制度の本質論としては、一般国民の公的年金である積立金をリスクのある市場で運用することの是非を問うべきだ。

 結論からいえば、国が行なう事業として市場運用ほど不適切なものはない。100兆円の積立金を運用して利益が出ても、1割の寄与では年金給付額が大きく増えるわけではない。年金財政に運用は不要である。

 この筆者の主張に顔色を変えて反対するのは、GPIFから運用委託を受けている民間の金融機関だろう。100兆円の資産を運用する信託報酬を0.01%としても、金融機関には100億円もの手数料が転がり込む。実際、金融機関の厚労省詣では霞が関でも有名だ。金融機関の関連団体が厚労省の退官者の再就職先になるケースもある。ここにも利権と天下りの癒着構造が存在している。

 

・年金財政の観点からいえば、インフレヘッジのためには市場運用を行なうのではなく、積立金の金額を非市場性の物価連動国債にすればよい。これなら不確実性も、リスクもない。さらに、有能なファンドマネジャーによる裁量も必要ない。業務は「今月はいくら分買います」と財務省に電話をするだけだから、運用担当者が1人いれば事足りる。したがって、GPIFという大きな組織もいらなくなる。これが「廃止論」の根拠である。

 

しっかり保険として制度運営を行なえば、日本の年金制度が破綻することはない

・厚労委で意見陳述したとき、筆者は官僚時代に考案した「社会保障個人勘定」を引き合いに出し、社会保障費の個人ベースの持分権を、個人勘定内で融通し合う制度の検討を提案した。これは「お好みメニュー方式」や「カフェテリア方式」とも呼ばれる。たとえば健康に自信がある人なら、健康保険の持ち分を年金の持ち分に移行するといったことを可能にする仕組みで、自分の社会保障を自分の考えで再構成するアイデアだ。

 これに関連して、「年金定期便」を制度化した経緯も述べた。読者のところにも届いているだろう。政府が行なうべき責務を、国民の1人ひとりがしっかり把握していれば、年金を補完する手立ても自分で決めることができる。そういう社会保障のあり方を想定して、年金の将来も個人ベースで伝える年金定期便は企画された。官僚時代の筆者は、この制度発足にも関わっていた。

 

<シェアリング・エコノミー(共有型経済)>

・世界中に向かって、日本はおおいに“カッコつければ”よいと筆者は思う。それが経済成長につながり、オリンピックやパラオリンピックでは選手が獲得する金メダルの量産にもつながる。成長を否定せず、成長をめざしつづけているから、日本は「理不尽な」世界でも、勝者になれるのだ。