日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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中国語の「小組」とは、日本でいう「プロジェクトチーム」の「チーム」に相当する言葉だが、中国共産党の政治中枢では「〇〇指導小組」と称されるような「小組」が多数存在していて、それが政治を動かしている。(1)

 

 

『なぜ中国は民主化したくてもできないのか』

皇帝政治の本質を知れば現代中国の核心がわかる

石平  KADOKAWA   2018/3/24

 

 

 

<「経済発展が起これば民主化が促される」>

なぜこのタイミングで習近平は「終身主席」を狙ったのか?その背後には「皇帝を求めざるをえない」中国独特の政治システムがあった。

 

・「経済発展が起これば民主化が促される」という、いわゆる「リプセット仮説」が中国には通じない、などの解説も目にしたが、まさに表層をさらった議論である。

 

・なぜ反対が起こらなかったのか?日本人にとってはまったく不可思議なことだろうが、答えは簡単だ。じつは中国人民は、「皇帝」の誕生をいつも待ち望んでいるからである。これは中国人の「エートス」(社会通念)といってもよい。

 

・そうした歴史的な考察を行なえば、じつは中国の歴史が、日本とはまったく異なる「法則」によって動いていることが理解できてくるだろう。

 

さらにいえばこの「法則」は、1911年の辛亥革命によって、いわゆる近代中国が誕生して以降も、それまでの「皇帝の時代」と同じように機能している、というのが筆者の見立てである。そうした歴史観辛亥革命以降の中国近現代史をと捉え直したとき、それが巷で語られている歴史観とはまったく違うものであることに、読者の方は驚くはずである。そしてその先に、いま「新しい皇帝」になろうとしている習近平の行動は位置づけられるのだ。

 本書で筆者が明らかにしたいのは、まさにいま述べたような、中国社会に存在する「皇帝」を求めるエートス、そのエートスを背景に成立している中国の歴史の「法則」である。

 

・それらを理解することができれば、いまやアジアの超大国となった中国がこれからどのように変貌していくのか、彼の国はたして民主化という道を選択するのか、という予測も立てられるはずだ。さらに、その中国に対して日本はどう付き合っていけばよいのか、自国の戦略をいかにつくるべきか、という正しい判断も行なえるだろう。

 

・むしろ日本と中国、この見方の政治システムを知っている筆者だからこそ、日本人の多くがわかっていないだろう中国の本質を、価値判断を加えずに伝えられるのではないか、と思ったのである。

 

<あえて紫禁城でトランプをもてなした習近平

・中国の指導者が故宮博物院を使って外国の元首を歓待するのは異例中の異例、前代未聞のことだった。

 

毛沢東が主席になって北京に住んでから、故宮のなかに足を運んだことは一度もないし、毛沢東から胡錦涛までの歴代指導者は、外交を含めた公式行事の場として故宮を使ったことがない。革命政党を自認する中国共産党にとって、「悪しき封建権力」の住まいに接することはタブーなのである。

 

・こうして見ると、習主席があたかも故宮の主人であるかのように、トランプ大統領を歓待した真意も理解できるのではないか。習氏はまさに、往時の華夷秩序の頂点に立った中華帝国の皇帝のように、西洋列強がつくり上げた現在の世界秩序の象徴であるアメリカ大統領に向かって、「本来の秩序の頂点はここであり、我々はそれを取り戻す」と宣言した、と筆者はそれについて受け止めた。

 

<2017年党大会後、権力を独占した習近平派閥>

・こうして2017年10月開催の共産党第19回党大会後に誕生した政治局常務委員会では、共産党トップの習近平と彼の率いる習近平派が最大派閥として権勢を誇り、党の最高指導部を事実上、牛耳るようになった。

 この支配は、最高指導部である政治局常務委員会に限られていない。政治局常務委員よりも一段下の政治局委員の人事となると、その権力独占はさらに明確になる。

 

・その結果、25人からなる政治局には、留任の習近平派を含め、「習家軍」が12人となっている。それに対し、共産党前総書記の胡錦涛が率いる胡錦涛派(すなわち共青団派)は3人、他の10人はいずれも派閥色のない一匹狼のような存在で、政治勢力を成していない。

 こうして習近平派は政治局において圧倒的な勢力をもつ派閥となっているが、これは中国共産党の歴史上においても、じつは前代未聞の事態である。

 

・しかし繰り返すように、現在の政治局のなかの習近平派は12人という状態である。しかもそれは実績というよりも、習近平との関係性から抜擢されたことが客観的に明らかなのだ。

 

個人独裁を強化する「指導小組」の真実

・側近政治を行なって政治支配を確立する一方、習近平氏はこの数年間、いわゆる「小組政治」によって個人独裁を強化している。

 中国語の「小組」とは、日本でいう「プロジェクトチーム」の「チーム」に相当する言葉だが、中国共産党の政治中枢では「〇〇指導小組」と称されるような「小組」が多数存在していて、それが政治を動かしている。

 

・たとえば前出の「中央財経指導小組」は共産党中枢部における経済関係の「指導小組」だが、それは実質上、中国という国の経済運営と経営企画の司令塔である。

 経済の企画や運営を担当しているのは、名目上は国の公式機関である国務院や「国家発展改革委員会」などの国家組織だが、実際には、一党独裁の政治体制において党がすべてを支配しなければならないから、共産党の中枢において「中央財経指導小組」という非公式な組織が生まれ、それが公式機関としての国務院などを「指導」しながら国の経済を動かしている、という構図だ。

 もちろん経済面だけでなく、中国では軍事・外交・文化など、ありとあらゆる領域において共産党中枢部に「〇〇指導小組」が創設され、党の分身として軍事・外交・文化などのすべてを支配している。

 

・そこで、数年前から始まった習近平政治の特徴とは何か。まず重要だと思われる「指導小組」の組長に習氏自身が就任する。そして側近の幹部をその副組長や秘書長(事務局長)に据える。こうして「小組」が使って政治・経済・軍事・外交・文化のあらゆる領域に対するトップダウンの政治指導を行ない、全権限を習氏の手に集中させていったのである

 

これは日本で譬えれば、1人の政治家が、総理大臣・国家公安委員会委員長警察庁長官防衛大臣行政改革担当大臣・外務大臣を兼任しているものといえば、わかりやすいだろう。1人の人間が、一国の政治・経済・軍事・外交・文化のすべてを支配下に置いているのだ。

 

<「指導小組」の活用は、現代版の「宮廷政治」?>

・以上が2017年10月の共産党大会で確立された習近平体制の実態だが、その度合いはある意味で、中国の歴史上の「皇帝独裁」にも近い状況となっている。たとえば彼が好んで行なう前述の「小組政治」は、中国の伝統を受け継いだ皇帝独裁の典型的な政治手法だ。

 

中国では歴代王朝の政権内において、皇帝のもとで「外朝」と「内廷」2つの権力中枢が存在した。「外朝」とは、「三省六部」と呼ばれる国家の正式の権力機関である。「三省」は、門下省尚書省中書省のことだが、この3つの機関はいわば、皇帝直属の政策立案・諮問・行政統括機関で、現在の日本でいえば、内閣官房総理府がこの「三省」にあたる。

 一方で「六部」とは、官僚の人事を司る「吏部」、財政と地方行政を司る「戸部」、礼制・教育・外交を司る「礼部」、軍事を司る「兵部」、司法と警察を司る「刑部」、公共工事を司る「工部」のことである。

 この「三省六部制」を整備したのは中国の隋唐王朝であり、それが歴代王朝へと受け継がれていった。そして「三省六部」の行政システムにおいては、最高権力者の皇帝が直属の「三省」の助力を受けて「六部」の長を動かせば、王朝の政治がスムーズに行なわれる。したがって本来であれば、皇帝の「内廷」は外朝の政治に干渉する必要はない。

 しかしそこから時代がくだって明朝、清朝になると、皇帝独裁の度合いが進むなかで、皇帝は徐々に「外朝」である「三省六部」から遠ざかり、皇帝自身のプライベートと生活の場である「内廷」、すなわち宮廷のなかから側近たちを使って政治を動かすことになった。

 

・ちなみに、現在の日本で行政権を担当する最高機関は「内閣」と呼ばれているが、この名称の由来はまさに、明朝の「内閣」である。もちろん正式な公的機関としての日本の内閣とは違い、明朝の内閣は皇帝の個人独裁を実行するための「私的機関」の性格を持つ。

 

・それに対し、皇帝が自らの政治権力を維持していくためにはどうしても、この官僚機構の上に自らの側近からなる内閣や軍機処などの特別機関を設置し、気心の知れた数名の側近たちを手足のように使いつつ、宮廷のなかから官僚機構を動かす必要がある。だからこそ権力は「内廷」に集中し、「外朝」と呼ばれる官僚機構は無力化するのだ。

 こうして見ると、明朝の「内閣」や清朝の「軍機処」に象徴される「宮廷政治」は、まさに皇帝独裁の論理が貫徹されたことの結果だが、現在の中国共産党最高指導者の習近平氏もまたこの論理と伝統を受け継ぎ、「指導小組」を使って現代版の「宮廷政治」と側近政治を行なおうとしているのではないか、そう筆者は考えているのである。

 

どこをどう探しても後継者が見当たらない

権力中枢において「宮廷政治」を行なう一方、まさに歴代王朝の皇帝と同じく、習近平氏は終身にわたる個人独裁、つまり終身主席をもくろんでいるのではないか。それは2017年7月10月開催の第19回党大会人事を見れば、一目瞭然だった。

 前述のように、2017年の10月の第19回党大会において、習近平氏は自らの側近たちなどを政治局と政治局常務委員会に送り込むことに成功した。しかし奇妙なことに、そのなかには彼自身の後継者となる人物が見当たらないのである。

 

・「ポスト習近平」となるべき人物はこれまでの慣例に従えば、第19期の5年間を経て、2022年の第20期に新総書記に就任し、2期10年間を務めるが、そう考えるとこの人物は2017年時点で50代でなくては厳しい。中国共産党では5年に一度の共産党大会時に、68歳以上は引退することが暗黙の了解となっているからだ。

 

・ここから推測されるのは、習氏は2022年の党大会でも引退せず、次の3期目5年間も総書記の椅子に居座るのを狙っているのではないかということだ。少なくとも、2022年に新たな総書記になる資格のある候補者がいない以上、そう考えざるをえない。

 逆にいえば、5年後の党大会で引退しないつもりだからこそ、習近平氏は自らの後継者となる50代の人物を現在の政治局常務委員会に入れなかった、ということである。

 

<少なくとも4期、できれば狙いは「終身主席」>

・それでは習近平は、10年後の党大会で引退するのか。答えはNOであろう。先に触れた新しい政治局常務委員の構成から見れば、おそらく習氏が狙っているのは、次の党大会の党総書記3期目の続投だけではない。彼は、4期目の続投、あるいは終身の総書記を狙っているのではないだろうか。

 なぜならもし習氏が3期で引退するならば、それは2027年の党大会でということになる。そうなれば、「ポスト習近平」の候補者として、2022年の党大会で若手を政治局常務委員に抜擢してくれるはずである。

 そしてその候補者は、現在の党中央政治局委員のなかにそうした人物がいるのだろうか。

 

・つまり習近平氏は2017年10月の党大会において、9人の腹心や側近を政治局に送り込んだにもかかわらず、そのなかには彼自身の後継者となりうる者がいない。そこから考えられるのは、彼は少なくとも4期、できれば終身総書記の地位を狙おうとしている、ということなのだ。

 

<党規約に盛り込まれた「習近平」という思想>

・もちろん、党規約や憲法には、総書記や国家主席は2期までしか続けられないと明記がある。そのため、3期以上もその地位に残りつづけるためには、党規約や憲法の改正が必要となる。

 だが、習近平は2016年10月の第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)において、「習近平同志を核心とする党中央」という表現を盛り込み、自らを党の核心として位置づけさせることに成功した。これまで党の重要会議において「核心」と位置づけられた中国指導者は、じつは毛沢東、鄧小平、江沢民の3人しかいない。

 

・これについては、のちにさらに詳しく論じるが、少なくとも習氏が党内の権威・権力を掌握したことは間違いない。建国の父である毛沢東に並ぶ指導者となった習近平にとって、党規約や憲法を改正することは、さほど難しいことではない。

 

毛沢東は82歳で死去するまで権力を保持し、鄧小平は85歳まで党中央軍事委員会主席を務めた。2017年時点で64歳の習近平もそのくらい、あるいはそれ以上の権力保持を狙っていると考えるのが自然だろう。彼は確実に、毛沢東と並ぶ終身独裁者への道を歩んでいるのである。

 

<12面のうち、8面で習氏を称えた『人民日報』>

習近平を「新しい皇帝」の地位に押し上げるための工作は、他の分野でも進められている。たとえば中国の動向をつねに観察しているものにとって、2016年あたりから、共産党宣伝部から『人民日報』まで、すべての宣伝機関を含めて、習近平を神格化する演出がさかんに行なわれるようになっているのは、周知の事実だ。

 

ここで記事は習近平マルクスをつなげているが、これまで中国においてマルクスとつなげて論じられるのは、唯一、毛沢東だけであった。この論評は、習近平がたんなる政治的指導者ではなく、思想的指導者となったことを明確に示している。習近平マルクス毛沢東を連ねたその記事のなかには、鄧小平、江沢民胡錦涛の名前は出てこなかった。

 

<なぜ21世紀のいま、中国は皇帝を求めるのか>

・つまり辛亥革命が起きてから百年以上が経過し、時代が近現代に入ってからも、中国という国はかつての「皇帝政治」から脱却できていない、と見なすべきだろう。この21世紀になってからも中国において「皇帝政治」が蘇ってくるのは、なぜだろうか。

 

・要するに、政権の座に就いてからわずか5年、習氏が党内からの強い抵抗に遭遇した痕跡もなく、鄧小平以来のルールと伝統を一挙に変更して毛沢東並みの権力と権威を手に入れたことの理由は、中国共産党と中国がこのような独裁的な指導者の出現を待ち望んでいたからだ、ということにほかならない。

 そこでさらなる疑問が登場する。なぜいまここに至って、中国共産党と中国は「新しい皇帝」の出現を必要としているのだろうか。旧ソ連崩壊の20数年、独裁体制が次から次へと崩壊し、民主化が世界の潮流となっているいま、それに逆行するように、中国という国が再び「新しい皇帝」をつくり出そうとしているのは、どうしてなのか。

 

<「新しい皇帝」である習近平は何をめざすのか>

・ここまで中国における皇帝と皇帝政治の本質とは何かを見てきた。この国の長い歴史においては「中央集権制の皇帝独裁」が天下大乱の易姓革命を招く原因だったが、天下大乱によってもたらされる大被害への恐怖から逆に、天下安定の要として皇帝独裁を期待する民族心理が生まれ、それが中国における皇帝政治の永続性の要因となったということが、その要諦である。

 

・皇帝一族が天下を支配する王朝が成立すると、民衆はその圧制に喘ぎながらも「天下の安定」を望んで皇帝の支配に耐える。しかし最後には我慢の効かなくなった民衆が反乱を起こして王朝をつぶし、易姓革命を実現させる。さらに、易姓革命のなかで苦難と辛酸を舐めた民衆は、再び新しい皇帝と王朝の出現による秩序の回復を願い、その「天下の安定」を期待するのである。

 中国はその長い歴史のなかで、皇帝に支配されてその悪政に苦しめられながらも、つねに新しい皇帝の出現に期待を寄せ、皇帝の支配を喜ばなければならない、という非常に複雑なシステムを培ってきたのだ。

 

そのうえで我々は、中国の「新しい皇帝」となった習近平は、これから何をめざすのか、ということを考えなければならない。彼はその絶対的な権力を行使して、13億の民と世界の大国である中国をいかなる方向へと導いていくのか。それは当の中国人民にとっての大問題であると同時に、日本をはじめとする周辺諸国にとっても他人事ではない。

 

<「弱み」と「強み」から分析できる習近平の思考>

・前任の胡錦涛、および前々任の江沢民に比べると、共産党指導者としての習近平の強みは明らかである。江沢民胡錦涛が手にいれられなかった絶大な個人独裁の権力を習近平は確実に掌握している。2017年の党大会と前後して、習近平はその側近で中央指導部を固めた一方、「指導小組」という形でのいわば宮廷政治を行なうことで、政治・軍事・経済・外交・文化への決定権を一手に握り、個人独裁体制を確立した。

 その一方、「習近平思想」と称する自らの思想を党の規約に盛り込むことに成功し、鄧小平さえ超えて毛沢東と肩を並べる絶対的な指導者となった。毛沢東の死去以来、中国共産党政権内でこれほど強い指導者が出現したのは初めてであり、政治力についていえば、習近平は稀に見るほどの強さをもっている。

 しかし、まさにこの稀に見る強さのなかに、習近平の最大の弱点が隠されている、と筆者は分析している。

 個人独裁の度合いと権力の強さでは、習近平は確かに鄧小平をも超えて、毛沢東と肩を並べている。しかし、もう一面においては、習近平はこの2人の先輩指導者にはまだ及ばない。それはすなわち政治指導者としての実績、つまりは絶対的な独裁者の地位の裏付けだ。

 

・つまり習近平はこれから、鄧小平のそれを超え、毛沢東と肩を並べるような実績をつくっていかなければならないのだ。自らの思想を党の規約に入れて党の「指導理念」にした以上、彼はその思想が「指導理念」に値するほどの有効性をもっていることを、事実をもって示さなければならないのである。

 だからこそ、これから習近平は短い期間で中国の人々をあっといわせるほどの偉大なる業績をつくっていかなければならない。それこそが、「新しい皇帝」となった習近平の逃れられない宿命なのである。

 

毛沢東も鄧小平も超えられる最後のフロンティア>

・じつは習近平には、毛沢東にも鄧小平にもできなかった大仕事を成し遂げ、この2人の先輩指導者を超えるような業績をつくることのできる歴史的チャンスがあったのではないか、と筆者は考えている。それはすなわち、民主主義という時代の潮流に従って中国の民主化を進め、中国という国を皇帝政治の長い伝統から脱出させることだったのではないか。

 もしそれが実現できたなら、習近平は確実に、秦の始皇帝以来の中国の政治伝統を刷新し、新しい時代を切り開く指導者として歴史に永遠に名を残すことになっただろう。しかし現状の動きを見るかぎり、習氏にそうした考えはないようだ。そして中国の伝統もまた、民主化よりも新しい皇帝の出現を求めているのである。

 中国共産党の指導者になってからの5年余、習近平はむしろ民主化とは逆の方向に歩を進めてきた。彼は政権内において個人独裁体制の確立をめざした一方、国内の言論の自由と人権活動については胡錦涛政権以上の厳しさをもってそれに対処した。

 

・そして、まさにそうして築いた立場を守っていくためにこそ、毛沢東の建国、鄧小平の改革開放に匹敵するほどの実績づくりを習近平は急がなければならないのだ。

 ここまで議論が進めば、もうその結論は出ているに等しい。毛沢東がつくり上げた中華人民共和国が鄧小平の手によって世界の経済大国と軍事大国にまで成長したいまこそ、対外的覇権主義の推進によって中華秩序の再建を果たし、皇帝と中華帝国の支配的な地位を取り戻す。それこそが習近平にとって、毛沢東と鄧小平を超える歴史的業績をつくり出せる唯一の領域であり、最後のフロンティアなのである。

 

もう一度、「民族の偉大なる復興」の真意を読み解く

・実際に習近平政権が成立してから2017年10月の党大会までの5年間、習近平は「中華民族の偉大なる復興」をたんなるスローガンとして唱えるだけでなく、まさに現実の戦略として、それを推し進めてきたのである。

 

<「一帯一路」「南シナ海の軍事拠点化」という2大戦略

・そして今後はさらに、習近平と彼が支配する中国は、この政策理念の実現に向け、2つの戦略に全力を挙げるはずである。

 

「新アジア安全観」の狙いは米軍を排除すること

・さて、中国がこの2つの戦略を実現させるために、その前提条件としてやらねばならない大仕事がある。それはすなわち、アメリカの政治的影響力と軍事力をアジア地域から完全に排除する、ということだ。

 

・とはいえ、おそらく習近平自身もよく理解しているように、少なくとも現段階で、中国が武力をもってアメリカと米軍をアジアから排除するのは不可能だ。いくら何でも、世界最強の米軍を相手に戦えば、中国軍に勝ち目はない。

 だからこそ中国はいま、いわゆる「沖縄工作」の展開を強く意識している。

 

<中国が日中関係の改善に意欲を示す理由とは>

「一帯一路構想」が始まってから数年経ったが、現在のところ、それは必ずしもうまくいっていない。中国政府の強引なやり方がアジア諸国の一部の反感と反発を買ったことが理由の一つだが、もう一つの理由はやはり、莫大な投資資金が必要となってくるこの「一帯一路構想」に肝心の投資資金が集まらないからだ。

 

<日本はいま、存亡をかけた戦いを迫られている>

・習政権がこれほどの軍事的恫喝を日本に繰り返すことの意図は、どこにあるのだろうか。習政権からすれば、自らのアジア支配戦略を進めていくうえで、前述のアメリカと並んで、日本の存在が大いなる障壁の一つになっているからだ。

 

すでに2014年、習近平政権のもとで中国は「南京大虐殺の国家的追悼日」など、日本との戦争にまつわる3つの国家的記念日を一気に制定しているのである。

 

・ならばいま、13億人の大将となった習近平という人は、今後その独裁体制を強化していくために、どこかの「隣村」に合戦を仕掛けてくるのではないか………。四川省の山村育ちの筆者は、そう心配になったのである。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)

シーモア(セイモア)・マーティン・リプセット(Seymour Martin Lipset、1922年3月18日 - 2006年12月31日)は、アメリカ合衆国社会学者、政治学者。専門は政治社会学

(来歴)

ニューヨーク生まれ。ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒業後、コロンビア大学で博士号取得。スタンフォード大学ハーヴァード大学コロンビア大学トロント大学などで教鞭をとる。1981年から1982年にかけてアメリ政治学会会長を務めた。スタイン・ロッカンと共に政党システムにおける凍結仮説の提唱を行ったこと、経済発展は中間層を形成し、政治の民主化をもたらすとした「リプセット命題」で知られる。

 

 

 

「ならずものの国家 中国の本性」   蹂躙されたチベット

ペマ・ギャルポ    石平    ワック  2008/8/1

 

 

 

参議院の三割は元官僚がいい>

・私は、日本を良くするため、参議院は議員数を半減し、教育、防衛、外交に関してはもっと責任と権限を与え、外務大臣文部科学大臣参議院から任命し、その任期は総理大臣と同じにするべきだと思う。

 

・世界の他の国々、例えば、日本の13倍以上の人口を有する中国において通常の常識に基づく健全な民主制度は存在しないが、一応、日本の国会に相当するのは全国人民代表大会の常務委員会であり、そのメンバーは現段階で197人である。また日本の7倍以上の人々を有する世界最大の民主主義国家インドでは、上院が241人、下院が543人で日本とほぼ同数である。これから見ても、日本の国会議員の数がいかに多いかということがわかる。

 

また参議院良識の府として衆議院とチェックアンドバランスを考慮し、経験豊かな人であることが必要である。そのため立候補の資格年齢を5歳引き上げる。

 

・私個人的には3割ぐらいは元官僚が占めても良いのではないかと思う。

 

・供託金制度や選挙制度に関しても見直す必要がある。面白半分で徒に立候補するのは困るが、今の制度では資金の無い人は組合や宗教団体に身売りしなければ、どんな素晴らしい理想を持ち、経験を積み清らかな動機を持っていても国民にその考えすら、十分に伝えられない仕組みになっている。

 

 

 

「絶望の大国、中国の真実」

日本人は中国人のことを何も分かっていない!

宮崎正弘 + 石平   ワック   2009年5月8日

 

 

 

汚職専門集団化した共産党の細胞

<軍の暴走という悪夢>

宮崎;結局、中国の政治と言うのは党の細胞があるだけであって、行政がないからなんです。あるのは党と軍なんです。

 

石;みんな中国政府、中国政府という。あれがほんとに政府であるとは思えない。政府は全部党の出張機関みたいな有様です。

 

宮崎;このように行政っていうのは飾りなんですね。国務院っていうのは、中国における政府で、国務院総理というのは日本でいう総理大臣ですが、温家宝よりも偉い人が山盛りいて、じゃあ、温家宝は中央の権力の中でいったい何番目なんだと、こういうことですよね。行政より党細胞が優先するという話です。

 

石;大学でもそうです。大学でいちばん偉いのは学長先生ですが、いちばん偉いのは共産党の細胞。

 

石;要するに党がすべての利権を手にいれている。すべて利権を手に入れてみんないっせいに汚職する。しかも党の幹部自体も汚職で生まれたポストですから。完全にすべての利権を掌握してすべての利権でカネを手に入れて、それを自分たちのフトコロに入れる。もう汚職専門集団そのものですよ。

 

ビル・ゲイツが中国人にとってのヒーロー>

<ネットは革命前夜の雰囲気>

石;さっき、大学生の就職難の話が出ましたけれど、北京の公共浴場、つまりお風呂屋さんが三助を募集したんです。そしたらなんと五千人の大学生が応募してきた。こうした事態にまで発展してきたらそれこそほんとに暴動が起こってきます。もう絶体絶命の状況です。

 

石;そのために唯一の道はみんな公務員を目指す。公務員試験は今年でいうと百万人の卒業生が受ける。競争率は73倍。女の子は大学卒業前に結婚しちゃう。

 

宮崎;日本人が誤解していた中国という国家像が、じつは実体は党細胞が中心で行政っていうのは飾りにすぎなかったということなんですが、国はいまだに共産主義を謳っている。実体を動かしている共産党は、共産主義をもはやまったく信じていなくて資本主義のカタマリでしょ。人民はどうかといったら、人民は自己中心主義で、もうカネ以外にあんまり興味がない。教養主義もすたれた。

 

 

 

『常識ではあり得ない中国の裏側』

中国人だからよくわかる

陳破空    ビジネス社  2016/12/22

 

 

 

中国共産党こそ歴史上最大の“穀潰し”―—なぜ、中国は2006年まで食糧援助を受けていたのか?

・「一番大きな問題は飯を食うこと」「共産党は13億人を養ってきた!」と鄧小平ら中国の指導者は言ってきた。

 だが、実際には共産党が13億人を養ってきたのではなく、13億人が共産党を養ってきたというのが真実だ。しかも、党が政府を兼ねているため、中国国民は2倍の負担を強いられてきたのだ。「党がすべてを指導する」「党が軍を指揮する」といったスローガンのもと、中央から下部に至るまですべての組織は、党と政府の二重に属する。

 

前漢の時代(紀元前3~1世紀)、中国の人口は少なかったが、それでも8000人の民が1人の役人を養っていた。だが今の中国では、わずか26人の民で1人の役人を養っている計算なのだ。今日の中国は、かつて共産党主義者によって定義された、まさに資本家による「搾取社会」に名実ともに成り下がっているのである。

 

・ところが、1949年に中国共産党政権が発足すると、平和な時代だった中国で突如、歴史上類を見ない大飢饉が発生したのである。餓死者は3800万人(4300万人との説もある)に上り、この数はそれまでの中国史上の餓死者の合計を越えた。

 

・国の経済発展を制限した政府は、中国共産党が世界史上最初にして唯一である。「一番大きな問題は飯を食うこと」とはとどのつまり、共産党が自ら作り出した問題にすぎなかったのである。

 毛沢東の死後、国内外の圧力を受けて中国共産党は経済発展に力を入れ始めた。それと同時に、1979年から2006年まで、世界食糧計画(WFP)の援助を受け入れたのだ。ここに、歴史上外国からの食糧援助を初めて、かつ最も長く受けることとなったのである。

 

<中国嫌いで西洋崇拝者の世界一の殺人者――「建国の父」毛沢東の知られざる横顔>

・そもそも、国家経済も民生も顧みることなく、公然と経済を破壊した者は毛沢東を置いて他にない。

 

毛沢東は教育を蔑み、ほとんどの知識人を下放(地方への追放)したり打倒したり、あるいは死へと追いやった。さらに、学制の短縮、教育革命を訴え、毛沢東1人の手によって引き起こされた文化大革命で高等教育は停滞し、初等教育は完全に荒廃してしまった。

 

ヒトラーは600万人のユダヤ人を虐殺し、スターリンは1200万人のロシア人を虐殺した。だが毛沢東が虐殺した中国人は少なくとも3000万人以上に上る。大躍進による餓死者を合わせれば7000万人以上(8000万人以上との説もある)の中国人が、毛沢東の統治下で命を落としているのだ。

 

・このようなことができたのは、実は毛沢東が敵視していたものこそ中国だったからだ。かつて書簡のなかで、「愛国主義を深く憎悪する」と本音を吐露。日本の侵攻という国難に直面した時も、毛沢東は抗日運動を抑えつけ日本軍と結託して、抗日戦争で疲弊していた国民政府に公然と襲いかかり打倒した。さらに言えば、毛沢東は中国文化を憎悪していたのだ。文革で中国の文化をほとんど破壊したうえ、これを今後も「7、8年に一度行おう」と誓った。また、毛沢東は「核戦争をする」と豪語し、「たとえ中国の人口の半分が死んでも惜しくない」などと狂気に満ちた、国民を侮辱する暴言を吐いた。

 その反面、毛沢東の本質は西洋崇拝者だった。