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さて、全ての山々の中に、神のいらっしゃらない山はなく、また山人のいない山もありません。(1)

 

 

『天狗にさらわれた少年  抄訳仙境異聞』

平田篤胤  今井秀和=訳   角川文庫  2018/12/25

 

 

 

寅吉、謎の老人に出会う

・その年の四月頃、寛永寺の山の下で遊んでいて、黒門前の五条天神の辺りを見ていた。すると五十歳ほどに見える、長く伸ばした髪をくるくると櫛巻きのように結んで旅装束に身を包んだ老翁がいて、口の周りが四寸(約12センチメートル)ほどあるかと思われる小さな壺から、丸薬を取り出して売っていた。

 その際にとり並べた物は、小さな籠から敷物に至るまで、ことごとくその小壺に入れられ、何事もなく納まっていた。さらに、老翁自らも壺の中に入ろうとした。どうやってその中に入れるのだろうかと見つめていると、片足を踏み入れたと思ったら体全てが入っていて、その壺が大空に飛び上がり、どこに行ったかも分からなかった。

 

壺に入って空を飛ぶ

・寅吉はとても怪しく思って、その後もまた同じ場所へ行き、夕暮れまで見ていると、以前と同じような様子であった。その後にもまた行って見ていると、その老翁は寅吉に声をかけて、「お前もこの壺に入りなさい。面白いことなど見せてやろう」と言った。

 

・寅吉は常に卜筮(占い)について知りたいという思いもあり、行ってみようと思う心が出てきた。そして壺の中に入ったような気がすると、日も暮れない内に、とある山の頂に着いた。

 その山は、常陸国(現在の茨城県)にある南台丈という山であった。いわゆる天狗の修行場であるという。

 

・ただ、幼い時のことだったので、寅吉は夜になるとしきりに両親が恋しくなり、泣くのだった。老翁は色々と慰めたが、なおも声をあげて泣くので、ついに慰めかねて、「それならば家に送り帰そう。ただし、決してこのことを人に語ることなく、毎日、五条天神の前に来なさい。私が送り迎えをして、占いを習わせてやろう」と言い含めて、寅吉を背中に背負って目を閉じさせ、大空に舞い上がった。耳に風が当たって、ざわざわと鳴るように思うと、もう我が家の前に着いていた。

 ここでも老翁は返す返す、「このことは人に語ってはいけない、語ればその身のために悪いことがおきよう」と言ってから、見えなくなった。こうして私(寅吉)はその戒めを固く守って、後になるまで両親にもこのことを言わなかった。

 

わいわい天王と山の異人

・あちこちの神社の札を配る者、わいわい天王などというものの中には、稀に山々の異人も混ざっている。

 

<山での修行>

・毎日のように連れていかれた山は、最初の内は南台丈でしたが、いつの間にか同じ常陸国の岩間山に連れていかれるようになりました。今の師に当たる人に付くと、師はまず百日断食の行を行わせ、それから師弟の誓状を書かせました。

 

・私は、かねてからの念願である占いを教えてくれるように言いました。師は、それは簡単なことだが、占いは良くないものであるので、まずは別のことを学べと言って、いろいろな武術や書道の方法、神道に関わること、祈祷呪禁の方法、護符への文字の書き方、幣の切り方、薬や武器の作り方、また易卜以外の様々な占いの方法、仏教の諸宗における秘事や経文その他、様々な事などを教えてくれました。

 

・また、十日、二十日、五十日、百日余りなどにわたって山に居り、家に帰されたこともたびたびありましたが、どういうことか、両親をはじめ家の者たちは私がそのように長く家に居なかったとは思わなかったようでした。

 こうして山を行き来すること、7歳の夏から11歳の10月まで、すべて5年間のことでしたが、この間に師の供をして、また師に従うほかの人にも連れられて、色々な国々のあちこちを見て回りました。

 

師、杉山僧正と名乗る

・師はその有様を見咎めて、「お前は母のことを思っている様子だが、無事だが、無事であるから案じて過ごすことはない。その有様を見よ」とおっしゃっていました。

 すると、夢とも現とも山とも家とも分からない状態になりました。そして、母と兄が無事でいる様子がありありと見えたのですが、話しかけようと思った時に、師の声が聞こえました。

 これに驚いて振り返り見ると、師が自分の目の前にいました。

 

・ただし仏道をはじめとして、私が好まない道においても、決して決して、人にそれを悪く言って争うことのないように。お前の前世は神の道に深い因縁のある者であるから、そして私はまた影の身として添って守護するから、かねて教えたことなどの、世のため人のためとなることを施し行うように。

 

<一瞬で浅草へ>

・空中を飛行してしばらくの間に、人通りの絶えない大きな仁王門のある堂の前に至りました。

 

・空中飛行に伴われてから、ふとこの場所に置かれたので、そこがどこということが分からず、戸惑っていたのです。ここで私は師へと暇乞いをして、一人で家に帰りました。

 

<山周りのこと>

・「山人は長生きで、ものごとを自在にする力もあり、金の貸し借りをめぐる苦労はありません。しかし世間を助けるのに大変で、あちこちの様子を探るために飛びまわり、暇が少なくて苦労ばかり多いものです。そうすると、どんな立場であっても苦労は免れることができないことのように思えます」

 するとそれを聞いて、一人の門人が言った。「山人というのは、唐土の仙人と同様のものだと聞く。そうであれば、仙人と同じように安閑無為として、神通自在の力をもって好きなように暮らせそうなものを、なんだってそのように忙しくすることが多いのか」

 寅吉は言った。「山人というのは、神通自在で山々に住んでいる点では、唐土の仙人と同じようなものです。しかし、安閑無為というわけにはいきません。その訳を説明するには、まず神のことから申し上げねばなりません。

 師がおっしゃるには、神というものは全て、人から神と崇められているのであれば、理由があって成就が難しい願いであっても、千日祈って験がないときには一万日祈れば験があります。

 

・まして正しい祈願であれば、よく信心を徹しさえすれば、叶わないことがないものだといいます。しかしながら人間の願うことには、自分では道理に適った祈りだと思っていても、神から見れば多くはよこしまな願いなのです。

 

・さて、全ての山々の中に、神のいらっしゃらない山はなく、また山人のいない山もありません。山によって、秋葉山、岩間山などのように、世間でも山人がいることを知っていて、これを天狗と呼んで祈り崇めているところは言うに及ばず、世間では山人がいることに気付いておらず、人知れずその山に鎮座なさっている神に祈ったとしても、そこに住む山人は、祈願を聞いてそれを遂げさせてやるものなのです。

 

<山人の忙しさ>

・たとえば、我が師の本山は浅間山ですが、世間の人は未だかつて師の名を知らないが故に、祈願のある時には、ただただ浅間神社に祈ります。それでも師は人の願いを聞き受けて、神に祈って遂げさせてやるのです。まして、象頭山の御神のように人気のある神であれば、騒がしくて過ごしていらっしゃることは言うまでもありません。

 この山には山人や天狗がことに多いのですが、忙しくて手が回らないために、諸国の山々から山人・天狗が代わる代わる行って山周りをしています。それでもなお手が回らないほど忙しいときもあり、また人間の祈願が種々多様なものであって、それらの山々だけでは祈願を遂げてやるのが困難なときもあります。

 

・こうした次第によるものですから、山人が忙しく騒がしいというのは申すまでもないことなのです。一つの祈願に対して数百里(1里は約3.9キロメートル)の距離を、数回にわたる飛行で行き来することもあります。常に、どこからどのような祈願の依頼が任せられるか分かりませんから、世の中にあることは何であっても一通り知っておき、準備しておく必要があります。

 物事を幅広く知っているほど、あちこちから依頼が多くなりますが、その分、自然と位は高くなっていきます。我が師は4千歳に近く、知っていることも多いものですから、たくさんいる山人の中でも、とくに用事が多くて忙しいのです。

 師が常に苦行をしているのも、ますます霊妙自在な力を得て、人間の役に立とうとしているためなのです。従って、山人というのは人間よりも苦労が多いものなのです。だからこそ、人間は楽なものだと、常に羨ましがられることになるのです。

 

<師の名前>

・寅吉は言った。「山周りというのは、自分の山だけに居ることを指すわけではありません。あの山この山と、代わる代わる互いに周っていくので、そう呼ぶのです。去年の十二月三日から今年の正月三日まで、寒の三十日、師が象頭山にいらしたことも、山周りでした。

 象頭山はすでに申し上げたように、たいへん忙しい山である上に、寒中は祈願の人が多くて、とくにこれらの諸願を果たしてやらねばならない時期ですから、毎年、寒中には諸国の山々から大勢の山人が集まってきて、手助けをすることになります。

 山人だけでなく、もと鳥獣であったものが変化した天狗までもが集まって手助けを致します。金毘羅様は山人・天狗全ての長のごとくでいらっしゃるので、このようにする定めなのです。しかし他の山々とは違い、こうした賑わいは毎年の寒中ばかりのことなので、普段は山周りに行く人がいません。また金毘羅様は他山の山人のように、本山を出て他山を周るということもありません。

 

・その後、岩間山に住んでからは、杉山僧正と称されるようになりました。杉山の称号は、大山にある杉山を用いられたものです。僧正というのは、岩間山の山人の名なのかどうか、それについては知りません。

 師の双岳という号は、唐土(中国)の山に住んでいらした時の名を用いていらっしゃるとのことです。

 

女嶋のこと

・私は寅吉に訊ねた。「ここから□の方角に、夜なる国があるというが、そうした所に行ったことはあるか」

 寅吉は言った。「それはホツクのヂウの国という国でしょう。夏の頃に行きました。太陽の大きさが拳ほど小さく見えて寒かったものの、雪はありませんでした。薄暗くて、八分がたが欠けた日蝕の時はこんなものだろうかと思われました。太陽はちらちらと縦に動きつつ、西に没するようであり、夜ははなはだ長く思えましたが、月の見えない時だったので、月の様子は知りません。

 地面には幾筋も溝川を掘ってありました。この国は太陽の見えない時もあるので、水の光を借りるために川を掘ってあるとのことでした。五穀もそれ相応に収穫できる国と見え、麦を刈ってありました。また稲も出来ると見え、道の間に稲が置いてあるのも見ました。木や草もありました。

 人の様子はだいたいが痩せこけていて背が高く、頭は小さく鼻が高く、口が大きくて手足の親指が2本ずつありました。衣服についてはよく分かりません。家は無く、穴に住むように見受けました。しかし、この国にいたのは長くなく、それから女嶋へ渡ったので詳しいことは分かりません」

 私は寅吉に訊ねた。「女嶋は日本から海上百里(約1600キロメートル)ばかりの東方にあります。家は作らず、山の横腹に穴を掘り、入り口は狭く、中を広くしつらえて、入り口の所にわずかに木を渡し、昆布を敷いて雨を防いでいます。

 日本の女と違うところはありません。髪はくるくると巻いて束ねています。衣服は、海はばきのようなゆるやかなもので、海にあるのを採って筒袖のように組み織ったものを着て、衣服を着用したままで海に入って、魚や昆布を採って食べています。

 海から上がって体を震わせれば、着物についた水は全て散って落ちるようになっています。これは、火で燃やしても傷まないものだといいます。

 

さて、女ばかりの国なので、この国の者たちは男を欲しがり、もし漂着する男があれば皆で打ち集まって食べてしまうとのことです。

 懐妊するためには、笹の葉を束ねたものを各々の手に持って、西の方に向かって拝し。女同士で互いに夫婦のように抱き合って孕むそうです。ただし大抵、子を孕む時期は決まっているとのことです。この国には十日ばかりも隠れ暮らし、様子を見ていました」

 

岩間十三天狗

・寅吉は言った。「古い時代のことは知りませんが、今、世間で岩間山の天狗を指して十三天狗と称していることに関して申せば、実際には十三人の山人がいるわけではありません。

 人の亡霊が変じたものと、生きた身体のままで変じたものとが合わせて四人ばかりあります。そのほかは、鷲や鳶、また獣などの変じたものが多いのです。

 これらのうち、人の形をしたものは長楽寺だけです。長楽寺が首領となったのは、次のような次第によります。最初は、十二天狗たちが長楽寺を手下に引き入れようとしていました。

 ところが、長楽寺はその頃の岩間山の別当(寺院の役務を総括する僧職)の知り合いであり、また、もとより頑強な人で、なおかつ尋常ならぬ霊威の持ち主でもあったため、逆に十二天狗たちは押し伏せられてしまいました。そこで十二天狗たちは長楽寺をとくに敬って第一となし、長楽寺が彼らの首領の座におさまったのです。

 人でなかった物が変じた天狗は全て、人の言語も通じ、様々なことを自在にする術も行えます。しかし人に比べてしまえば、さすがに甚だ愚か物でありますので、長楽寺に押し伏せられてしまったのです。長楽寺は、三十歳余りに見える山伏姿の人です。

 ところで、我が師は岩間山にいらっしゃる方ですので、長楽寺をはじめ、岩間山のそのほかの天狗たちも全て、その命令をきくことになります

 

浜町、使用人の神隠

・私は寅吉に訊ねた。「以前聞いた話に、江戸浜町にいる、ある人の使用人が、異人に誘われて二年ばかりも帰らなかったというものがある。帰ってから語ることには、源為朝源義経などに逢ったということである。お前は、こうした人々、また彼らのほかにも古い人々に逢ったことはないか」

 寅吉は言った。「私はそうした古い時代の人々に逢ったことはありません。しかし、師が語っていた中で、義経などが今も生きているということは聞いたことがあります

 

天狗と大杉明神、弘法大師

・私は寅吉に訊ねた。「俗に、常陸国の阿波大杉大明神のことを、義経に従った常陸海尊だといい、この人は今も生存していて仙人になっているということが『会津風土記』という書物にも載っている。彼の境で、こうした説を聞いたことはないか」

 寅吉は言った。「大杉大明神は、鷲が天狗に変化したものを祀ったということは聞いたことがありますが、常陸坊というものについては聞いたことがありません」

 私は寅吉に訊ねた。「弘法大師は今も生きていて、四国をはじめ諸国を廻っているという。あちこちの土地に、この僧が為したと思われることがあると聞いている。彼の境において、こうしたことは聞いたことがないか」

 寅吉は言った。「弘法大師に関するそうした話は、未だかつて聞いたことがありません。

 ただし、弘法が天狗になったということは聞いたことがあります(原注。弘法が初めて天狗を使ったということ)」

 

もう一人の仙童

・これは私の書いた『玉襻(たまだすき)』に詳しく記した話である。

 寅吉とは異なるある童子が、異人に誘われていなくなったことがあった。両親が血の涙を流して氏神に祈っていると、四、五日経ってから帰ってきた。童子は次のように語った。

 連れていかれた所は、どこの山とも分からなかったが、異人が多くいて、剣術などの稽古をしていた。時々は酒を酌みかわすこともあって、その盃を、遠く谷を隔てた山の頂などに投げて、「いますぐ取って来い」などと言う。

「どうやって私があの山に登り、取ってくることができましょうか」と断ろうとすると、怒って谷底に突き落とされた――と思うと、何ということもなく、やがてその峰にたどり着き、盃を拾って異人の前に戻ってきている。

 全て、このような調子で使われていたのだが、昨日になって「お前の産土神が、ねんごろにお前を返すべき理由を言って寄越したので、留め置くのが難しい」と言われて帰された、と語った。

 

神隠しと空飛ぶ盆

・私は寅吉に訊ねた。「元文年間(1736――1741)のことである。比叡山に御修理があった際に、木内兵左衛門という、神隠しにあった人がいた。その人が帰ってきて、後に伝えたのは次のようなことであった。

 兵左衛門を連れて行った異人は、丸い盆の上に柄を付けたような物を出して、その上に彼を乗せた。肩に両手をかけて押し付けられたように思うと、そのまま地上を離れて虚空へと高く舞い上がったという。

 お前の師は自在の力を持つ身であるから、大空を飛行することもできるだろうが、まだ未熟なお前などが、虚空へ高く舞い上がることはできるはずもない。もしや、兵左衛門が乗った盆のような物などを使って、師に連れていかれたのではないか

 寅吉は言った。「これまで、そうした器物を使ったことはありません。おっしゃったように、私は自在の力を持たず、何もできません。

 そうした未熟な身でありますが、どのような術があるのか、師に従ってさえいれば、前へと進むのも後ろへと退がるのも、空を行くことが自由になるのです。たとえば、雁や鴨などの一羽が飛び上がれば、残りの群れも自然とその後について飛び上がるようなもので、師に付き従ってさえいれば、どこまでも行くことができるのです」

 

悪魔と天狗

・私は寅吉に訊ねた。「世の中に悪魔がおびただしくあるとは、一体どういうことか。悪魔は天狗とは違うのか。その棲んでいるところはどこなのだろうか

 寅吉は言った。「悪魔どもがどこに棲むかということは知りませんが、おのおのに群れがあって、その仲間はおびただしく、常に大空を飛びまわって、世の中に障礙をなし、悪しき人をますます悪人にし、善き人の徳ある行いを妨げて悪へと赴かせ、人々の慢心や怠慢を見つけてその心に入り込み、種々の災いを生じてその心をよこしまに曲げさせます。

 仏、菩薩や美女美男にも変じ、地獄極楽やそのほか何であっても、人々の好むところに従い、これらの形象を現してたぶらかし、ことごとく自分たちの仲間に引き入れ、世の中を我が物にせんと企むものなのです。

 

・神が人を助け給うのも、このようなわけによるものです。世の人に悪魔の多いことを知ったのであれば道徳を積むべし、というのが私の師の説くところです。さて、天狗というものは、深山におのずから出て来たものもあります。また鷲・鳶・烏・猿・狼・熊・鹿・猪、そのほか、何によらず、鳥獣の年を経たものが化ることもあります。鳥は手足を生じ、獣は羽を生じるようになります。また、人の死霊が化ることもあります。生まれながる成ることもあります。ただし、人の成れるものには、邪と正と二種があります。邪天狗は、妖魔の仲間です。

 世の中では、こうした種々のものの仕業を、すべて天狗のわざと言うのです。我が師のような存在をも、世には天狗というのでとりあえず天狗とは言っていますが、実は天狗ではありません。山人というものです。

 

鶴に乗る仙人

・私は寅吉に訊ねた。「唐土(中国)にいる仙人というものは、この国にも来ることがあるのか。また、お前はそれを見たことがあるか

 寅吉は言った。「我が師などは、唐土やほかの国々へも行くことがあります。同様に、唐土の仙人が、この国に来ることもあるだろうと思います。

 どこの国かは分かりませんが、師に連れられて大空を翔ていたときのことです。我々がいるよりもちょっと下のほうの空を、頭に手巾か何かをたたんで乗せたように見える老人が、鶴に乗って、歌を吟じながら通っていくのを見たことがあります」

 

神の御姿

・私は寅吉に訊ねた。「神の御姿は、山人や天狗、またお前などの目に見えることはないのか」

 寅吉は言った。「師などの目に見えなさることもあるのかどうか。それは分かりません。私たちは神の御姿をかつて見たことはありませんが、時々、金色の幣束のように見えるものが、ひらひらと大空を飛んでいることがあります。これは神のお通りだということです。そのときには、だれもが地に伏せ畏まって拝するものです

 

月に穴のあること

・私は寅吉に訊ねた。「大空からこの国の国土を見た様子はどのようなものなのか

 寅吉は言った。「少し飛び上がってから見れば、海や川、野や山、そして人の行き交う様子までが見えて、おびただしく広く丸く見えます。

 もう少し上方へ上ってから見れば、段々と海川や野山の様子が見えなくなり、むらむらと薄青い網目を引き延ばしたかのように見えます。なおも上がっていくと、段々にそれが小さくなって、星のある辺りまで上ってから国土を見れば、光を放っていて、月よりはだいぶ大きく見えるものです」

 

・私は寅吉に訊ねた。「星のあるところまで行ったということは、月の様子も見たことがあるのか」

 寅吉は言った。「月の様子は近くへ寄るほどに段々と大きくなります。寒気は身を刺すように厳しく、近くへは寄り難いように思えるのを、無理して二町(約218メートル)ほどに見えるところまで行って見たところ、思いのほか、暖かいものでした

 さて、まず月の光って見えるところには国土における海のようであって、泥が混じっているように見えます。俗に、兎が餅をついているというところには、二つ三つ、穴が開いています。しかし、かなり離れて見ていたため、正しいところは定かではありません」

 

・すると寅吉は笑って言った。「あなたの説は、書物に書いてあることを以ておっしゃるために、間違っているのです。私は書物に書かれたことは知りません。直接、近くに見て申しているのです。もっとも、師もあれを岳だとは言っていましたが近寄って見れば、まさしく穴が二つ三つあって、その穴から月の後ろにある星が見えたものです。つまり、穴があるのは疑いないことなのです」

 

星と大地について

・私は寅吉に訊ねた。「それでは、星はどのようなものだと理解しているのか」

 寅吉は言った。「星は、我々の地上から見れば、細かいものが多く並んでいるように見えますが、大空に上ってから見れば、いつも明るいゆえに、地上から見たほどには光っては見えないものです。

 空を上がるほどほどに、星は段々と非常に大きくなり、それらは四方・上下に何百里(1里は約3.9キロメートル)あるとも知れず、互いに遠く離れたものが夥しい数あります。地球もその中に交じって、どれがそれとも見分けがたくなります。

 ここでよく分からないのは、星がいかなるものなのか見てみたいと師に言ったところ、見せてやろうと言われてこの地上から見てとくに大きく見える星を目指して空へ上がりましたが、近くに寄るほどに、大きくぼうっとした気に見え、その中を通り抜けることがあります。

 通り抜けてから遠く先のほうへ行き、振り返って見れば、もとのような星の形をしていました。そうすると、星というのは気の凝り固まったものかと思われます」

 

・さらに、次のように寅吉に訊ねた。「大虚空は、いつも明るいのに、星が光って見えることはない。どういうことか

 寅吉は言った。「この地上から、昼は星を見ることができないことをもって、そう疑いなさるのでしょうが、(原注。以下欠)

 また、次のようにも訊ねた。「太陽はどのような成分かということを、知っているか」

 寅吉は言った。「太陽は近くに寄ろうとすると、焼けるようで寄ることができません。しかし、日眼鏡で見るとずっとよく見えるところまで上ってから見たところ、炎々たる中に、雷のようにひらめき飛んで暗く見えるために、どのような成分ということは分かりかねます。

 しかし、何かひとつの物から炎が燃え出ているように見えます。また、試みに手火を灯してみたところ、太陽の近くにおいては、さらに光がなくなり、見ているうちに火炎が次第次第に太陽を半月のように見ることも多く、小さく見えるところもありました。

 夜国のことをホツクのチウといいます。太陽は団子のような大きさに

見えました。太陽の見えない国もあります。そこでは、地上にいくつもの穴を掘って光らせます。その国の人々の鼻は高く、口は大きく、親指が二本あります」(原注・銕胤が言うことには、「ホツクのチウ」とは、北国(北極か)の中)という意味ではないか、とのこと。どうであろうか)

 私は寅吉に訊ねた。「日月(太陽・月)ともに、神々の住み給う国だという説を、山人から聞いたことはないか

 寅吉は言った。「そうした説を聞いたことはありません」

 

女について、男色について

・私は寅吉に訊ねた。「山人や天狗などが住む境に、女人はいないのか

 寅吉は言った。「ほかの山のことは知りませんが、岩間山や筑波山などは、女人の入れない山であるため、決して女がいることはありません。女の汚れに触れた人が登山をすれば、怪我をさせ、突き落としたりもします」

 私はまた訊ねた。「そうしたことは師自らが行うのか、寅吉などもするのか」

 寅吉が答えるには、「師が自ら手を下すこともありますが、多くは師に付き従う者たちが師の命令を受けて、遠くから足をあげて蹴るような様子をとり、また手を伸ばして突き落とすような様子をなせば、倒れたり、落ちたりするのです

 私は訊ねた。「山登りする人が引き裂かれたりすることを、時々耳にすることがある。こうした激しい例もあるのか

 寅吉は答えた。「山人にも天狗にも、邪悪なものも正しいものもあります。猛烈なものも、温和なものもあります。猛烈な天狗や山人の中には、そのように激しい所業を為すものもあるのです」

 

・また、次のようにも訊ねた。「彼の境に男色(――訳者注。男性同士の同性愛)はないのか

 寅吉は答えた。「ほかの山のことは知りませんが、私のいた山などにはそうしたことは決してありません

 

・(原注。このことは私が自ら訊ねることができなかったので、門人の守屋稲雄に命じて、寅吉が心を許しているときにこっそりと訊ねさせたのである。

 それは、世の中で天狗に誘われたというものの多くが少年であることの理由が、もしかして僧侶の変身した天狗などが、僧侶であったときの悪しき性癖が治まらず、その用に伴わせるのではないかと、常日頃から疑っていたためである)

 

・(その用に伴わせる)性欲発散のために少年をさらうこと。当時、天狗は男性、とくに少年をさらうと考えられていた。たとえば松浦静山甲子夜話』巻49の40は、天狗が尼をさらったという世間話を非常に珍しい例として載せた上で、「是まで天狗は女人は取行かぬものなるが」と記す。

 

 

 

『神仙道の本』 秘教玄学と幽冥界への参入

学研マーケティング   2007/3

 

 

『図説・仙境異聞』

仙道寅吉の物語

神仙界を探訪した少年の実録

 

 

・幽冥界探求にただならぬ情熱を抱く平田篤胤が、神隠しに遭って江戸に舞い戻ってきた少年・寅吉と、ついに運命的な出逢いを果たす――。

 

篤胤は、寅吉の口から語られる異界見聞譚を巧みに聞き出し、克明に記し、精緻に図像化した。かくして、幽世の民俗誌ともいうべき前代未聞の遺産が残されたのである。

 

<天狗小僧、異界より現る> 

・『仙境異聞』全7巻には寅吉という異能者の言行が詳細に記録されている。”異界もの”という、いわば眉唾物のジャンルでありながら、この記録にはただごとではない圧倒的なリアリティがある。篤胤の方法論は、頑固までの実証主義だった。曖昧で情緒的な記述は、配され。徹底した聞き取りによって事実として納得できた事柄だけが記されていったのである。

 

・文政3年(1820)晩秋、江戸に神仙界と人間界とを往還するという少年が現れた。名を高山嘉津間、通称を仙童寅吉という。

 

寅吉、神仙の世界を語る

・寅吉は、神仙界についてこう語った。7歳のころ、上野池の端の五条天神前で遊んでいると、薬売りの翁が目にとまった。その翁は毎日そこで丸薬を売っていたが、店じまいときは決まって、敷物、薬、葛籠などをわずか3、4寸の壺にしまいこんでいる。そして最後は自分も片足からスッとその壺に吸い込まれると、壺ごとどこかに飛び去っていくのだ。寅吉は、この謎の翁といっしょに来ないかと誘われた。卜筮を教えてやるというのだ。そして、この翁について自身も壺中に消える。これがすべてのはじまりだった。

 

・寅吉が訪れたのは、常陸国加波山と吾国山に挟まれた難台丈という行場である。翁は、岩間山の神仙で杉山僧正といい、13の眷属をたばねる天狗の首領だった。この眷属は、人の形をした者はただ一人で、ほかは獣のような姿だ。翁も人間界での仮の姿で、本来は40歳くらいの壮健な山人だった。山人とは仙人のことで、もとは人間だったが修行により天狗に昇華した者をいうらしい。

 

・寅吉はそれから修練を重ね、現界と往還しながら8年の間、仙境の異界に遊んだ。その間、師である杉山僧正とともに、神仙界はもとより世界中、月世界までも遊覧したという。普通に聞けば荒唐無稽というほかない。が、篤胤はこれを信じた。ときに寅吉は神仙界へ戻ることがあったが、このとき篤胤は、竈情僧正にあてた書簡を寅吉にことづけてさえいる。

 

寅吉の消息、ふっつり途切れる

・問うて云わく――『仙境異聞』はほぼ全編、篤胤らの問いに対する寅吉の回答を採録したものだ。

 ときに寅吉は篤胤所持の石笛を見て、神仙界でも見たことのないりっぱな霊物だと判じたりしているが、多くは、神仙界のありよう、山人の服装や料理、遊興などの日常生活、神祀りの方法や祭儀などについて語っている。山人であっても尊い神の姿をはっきりと見ることができない等々。神霊や妖魔の実相を漏らしているところも興味深い。

 

・住人がごく限られた人数の霊的な求道者たちであることや、細部の若干の差異をのぞけば、神仙界はどこにでもある山間の村落のような趣である。だが、ひとつ大きな違いがある。この異界には女性がいないのだ。詳細を伝えることはできないが、寅吉によればそれには深淵な意味が隠されているという。

 

・だが、寅吉に関する膨大な記述は、文政11年8月9日の「気吹舎日記」を最後にふっつりと途切れる。この消息を追ったのが近代の心霊研究家・浅野和三郎で、さらに門下の河目妻蔵によって追跡調査がなされ、大正14年の「心霊と人生」誌になんと寅吉の晩年の姿が報告されたのだ。それによると――。

 

秘薬の処方を遺し仙去す―――

・寅吉はその後、千葉県笹河村の諏訪神社神職となり、俗名石井嘉津間として天狗直伝の病気治しを行っていたという。これが大評判で、遠方からの訪問者がひきもきらなかったらしい。そして53歳のとき、奉公の女中しほとの間に男児が誕生。河目は、その実子・嘉津平(当時70歳)と孫の二世嘉津間(当時46歳)に取材したのである。

 

・晩年、寅吉は「僧正からの急のお召だ」と言い、惜別の宴を催した。そして日光山を伏し拝みつつ、安政6年(1859)12月12日、眠るように仙去したという。その際、神授秘伝の薬の処方箋とともに薬湯をはじめよとの遺言があり、子孫は銚子で二神湯(通称天狗湯)をはじめた。皮膚病や火傷、冷え性に薬効があり、湯は大いに流行って昭和30年ころまで存続していたとのことである。