・杉;ここではね、乞食が「神」なんだよ。この祭りは、乞食を崇拝する祭りなのさ。
・杉;それにはね、聞くも涙の物語があるんだよ……。昔、この土地を恐ろしい旱魃が襲った。雨が全く降らなくなり、作物が育たなくなり、村人は飢えに苦しんだ。そんな時、一人のみすぼらしい乞食が忽然と村に現れ、神社の縁の下に住み着き始めた。この村人たちは貧しいながらも親切な人々だったので、食うや食わずの生活を送りながらも、乞食に施しを与えた。するとそのうち、雨が降り始め、田畑は潤い、作物が育ち始めた。村人たちは飢餓から救われた。そして誰ともなしに言い始めたんだ。「ひょっとして、あの乞食は神の使いじゃなかろうか。あの乞食のおかげで雨が降り始め、わしらは救われたんじゃなかろうか」村人たちは乞食にお礼を言いに行こうとしたが、その時すでに乞食の姿はなかった。その後、二度とこの乞食の姿を見たものはなかった。それ以来、村人たちは乞食を神の化身と信じ、乞食を崇め奉る祭りを始めたというわけさ。
・杉;祭り自体は江戸時代の中期に始まったと言われているから、その頃の出来事じゃないかな。
・杉;「マレビト信仰」は国文学者の折口信夫が提唱した概念でね。日本には昔から「外部からやってくる異人が幸福をもたらしてくれる」という考え方があったんだよ。男鹿半島のナマハゲなんかがそうだよね。だから共同体から外れた乞食という存在が神としても崇められても、必ずしも不思議ではない。
・杉;ただ聖と賤は表裏一体でね。愛と憎しみがコインの裏表であるようにね。こういう「マレビト」たちは、尊敬され、崇められると同時に、軽蔑され、憎まれる対象でもあったんだ。旅人なんかが村に迷いこんできたりしたら、崇拝されるどころか、捕まって殺されてしまうこともままあったのさ。
<3年に1度行われる奇祭。ミノムシ男がひたすら転ぶ>
・上半身裸の男たちが、ミノムシ男の周りを固める。ミノムシ男はもみくちゃにされながら境内を疾走する。
<――「小糠三合持ったら婿に行くな」>
・杉;昔は「小糠三合持ったら婿に行くな」と言われてね、入り婿は凄まじい苛めにあったんだよ。かつての日本の村では、「女は村の男の共有財産」という考え方があっから、外部から来て、村の女を奪ってしまう男は、壮絶な嫉妬と苛めに晒されたんだ。例えば、1926(大正15)年に、栃木県芳賀郡清原村で、ある事件が起こってね。その村に入り婿に来た男が、「裸揉み」と称する祭りで、殴る蹴るの暴行を受け、人事不省の重体に陥り、暴力を振るった村人たちは逮捕され、実刑を受けているんだよね。
・杉;ただ、これはたまたま刑事事件になった稀有な例だよね。ほとんどが、誰にも訴えることができず、泣き寝入りだったと見ていい。ほかにも、例えば、雨乞いの祭りで、雨乞地蔵を川の中に放り込む。それを入り婿一人に取りに行かせるんだ。婿が必死になって、思い地蔵を抱えて川から上がってこようとすると、村の男たちが水や泥をかけたり、石を投げつけたりして邪魔をする。当然、婿が大怪我をすることもある。今でも、新潟県の松之山温泉には「むこ投げ・すみ塗り」という行事が残っている。これは、その地区の娘を嫁にもらった外部の婿が、崖の上から放り投げられるというものなんだ。まあ、雪が積もっているから怪我をすることもないし、今は「結婚祝いの夫婦の絆を強くするための祭り」ということになっているが、かつては、村の娘を取られた男たちが腹いせにやったとされているんだよね。
<『泥まみれの怪物の襲撃 パーントゥ 沖縄県宮古島市島尻』>
<――輝く島のタブー>
<タクシーはUターンし、今来た道を戻り始める。>
・杉;今回見に来た祭りは、「パーントゥ」と言ってね。パーントゥというのはこの島のことばで「妖怪・化け物」という意味なんだが、そのパーントゥが誕生する井戸、ンマリガー(生まれ井)という場所を目指していたんだ。しかし、ンナリガーでパーントゥが誕生する瞬間は、現地の人以外は見ることが許されないんだ。だから車の通行を拒否され、引き返したというわけさ。
鈴木さん、さっき君は「南の島は開放的だ」と言っていたけど、実は沖縄のような南の島ほど、タブーが多いんだよ。だいたいtabooという言葉自体、元は南洋のポリネシアの言葉だからね。「アカマタ・クロマタ」って聞いたことある?
・杉;そうだろうな。あまりにも強烈なタブーだからね。これは西表島などで行われる祭祀なんだけどね。いまだ実態がよくわかっていないんだ。「アカマタ・クロマタ」という神が出現するとされているのだが、よそ者は、まずこの祭りを見せてもらえない。仮に見せてもらえたとしても、写真を撮ることは許されない。メモを取ることも、録音することも許されない。しかも、そこで見たことを一切、外部に漏らしてはならないんだ。ここで密かに写真を隠し撮りした者が、大変な目に遭わされたとも言われているんだよね。
太陽の光が眩くなればなるほど、影もそれだけ瞑さを増す。明るい南の島だからこそ、隠された何かがあると思っておいたほうがいいよ。
<――襲いかかる怪物>
・担;き、来たって言ってますよ、先生!あっ、不気味な仮面をかぶった化け物が三匹、向こうから近づいてきています。全身ぐちゃぐちゃの泥まみれです!
<――闇に蠢く妖怪>
・闇が濃くなってくる。パーントゥ、野外での男たちの酒宴に招かれ、酒を飲んだ後、男たちを泥まみれにする。また、道行く人にも手当たり次第に襲いかかる。
・担;小さな子供たちは、本気でパーントゥを怖がってますねえ。泣き叫んで逃げ回ってますよ。男鹿半島のナマハゲみたい。
・杉;伝説では、パーントゥの仮面が、クバの葉に包まれて海岸に流れ着いたことに始まるといわれている。かつては、この地域は街灯もなく、闇も今より深かった。だから、暗闇の中で疾走するパーントゥは、本当に恐怖の対象だったというよ。いつ、どこからパーントゥが襲いかかってくるのか、わからないんだからね。そして、かつては、村の掟を守らない者を襲撃していたというんだ。パーントゥは、地域の秩序や規律を維持する役割を担っていたんだろうね。
<ヨッカブイ 怪物が子供を袋に放りこんで脅す 鹿児島県・玉手神社>
・杉;ヨッカブイとは「夜具をかぶる」という意味でね、夜具の綿を抜いて着ているんだ。さらに棕櫚の皮をかぶって顔を隠しているのさ。
・二人も幼稚園の中に侵入する。大きな袋を持ったヨッカブイが、泣き叫びながら逃げる子供たちを追い回している。
<――ヨッカブイと子供、決死の相撲!>
<ヨッカブイ、子供や女性を襲いながら、神社の中に入っていく。>
・杉;河童が相撲好きだという話は聞いたことあるでしょ?ここでヨッカブイと子供が相撲を取るさ。
・杉;これを高橋十八番踊りといってね、これが本来の祭りのメインイベントなんだよ。水難事故から守ってくれる水神(ヒッチドン)を祭る踊りなんだ。歌は変わったけれど、踊り自体は300年ほど前から踊られているそうだよ。
不気味と言えばね、ヨゥカブイには妙な言い伝えがあってね。祭りの終わった日、夜中にこっそりこの神社に来るとね…。河童たちが密かに相撲を取り続けているという………。
<日本三大奇祭の謎>
・何しろ、私の知る限り、「日本三大奇祭の一つ」を自称する祭りは、全国で百近くあるからである。
三大奇祭というものは、別に文科省やユネスコが認定するわけではない。言ったらもの勝ちなのだ。
・古来から「日本三大奇祭」と呼ばれていたのは、鍋冠祭り、縣祭り、鵜坂の尻叩き祭りである。これら三つは、どれも性の薫りが濃厚なものばかりだ。
・それから時代が下がり、割と最近まで言われてきた「三大奇祭」には、吉田の火祭り、島田の帯祭り、国府宮はだか祭りなどがある。
・私なら、現代の日本三大奇祭としては、キリスト祭り、笑い祭り、かなまら祭りをそれぞれ知性、ユーモア、エロスの奇祭の頂点として挙げる。だが、これも近い将来、大きく変動するかもしれない。世界は今、激動の時代に突入しているのである。
『もののけの正体』 怪談はこうして生まれた
原田実 新潮社 2010/8
<アカマタ――魔物の子を宿す>
・ある日のこと、乙女が畑に出て芋を掘っていた。乙女が一休みして、また畑に戻ろうとしたところ、岩のうしろから赤い鉢巻をした若者が顔を出してはまたひっこめたのに気づいた。歩こうとすればまた顔を出し、立ち止まればまた隠れる。乙女がその若者の顔に見入って動けなくなっていた時、乙女の様子がおかしいことに気付いた農民たちがかけつけて乙女を畑に引き戻した。
乙女が見ていた若者の正体は、アカマタという蛇だった。アカマタは誘惑した乙女と情を通じ、自分の子供を産ませようとしていたのだ・・・。このパターンの民話は、沖縄の各地に伝わっている。
・石垣島の宮良では7月の豊年祭にアカマタ・クロマタという神が現れ、一軒一軒の家を回り祝福していくという(なお、この祭りは秘祭とされ撮影が一切禁じられている)。
沖縄では同じアカマタという名で、若い女性にとりつく蛇のもののけと、豊作を予視する来訪神の二通りの異界の者が現れる、というわけである。
・さて、蛇ににらまれた女性が動けなくなるという話は、本土の古典でも、たとえば『今昔物語集』などに見ることができる。また、蛇身の神が女性の元を訪れて交わるという話は古くは記紀にも見られ、さらに日本各地の伝説・民話などに見ることができる。ちなみに記紀ではその説話の舞台が大和の三輪山(現・奈良県桜井市)の麓とされているため、神話・民話研究者の間ではそのタイプの説話はその三輪山型神婚説話と呼ばれている。沖縄のアカマタの話はその三輪山型神婚説話に発展する可能性を秘めながら中断させられた話とみなすこともできよう。
実は、沖縄にも三輪山型神婚説話に属する類型の話が残されている。
・これは江戸時代の琉球王府が正史『球陽』の外伝として、琉球各地の口碑伝承を集めた『遺老説伝』に記された宮古島の始祖伝承の一部である。
この話に登場する大蛇には、娘が魅入られるという点からすれば憑き物的側面があり、夜に訪れるという点からすれば来訪神的側面もある。この話は、憑き物としてのアカマタと来訪神としてのアカマタの関係を考える上で暗示的だ。
ところで私はかつて、三輪山型神婚説話の起源について、異なる共同体に属する男女間の婚姻がその背景にある可能性を指摘したことがある。
<キムジナー 日本のエクソシスト>
・沖縄ではその昔、樹木に住む精霊の存在が信じられていた(あるいは今でも信じられている)。
・沖縄では古木の精をキムジナー(木に憑く物、の意味)という。また地域や木の種類によってはキムジン、キムナー、ブナガヤー、ハンダンミーなどの別名もある。赤い顔の子供のような姿とも全身が毛に覆われた姿ともいわれ、水辺に好んでよりつくことから、本土でいうところの河童の一種とみなす論者もいる。
・『遺老説伝』の話の全般に見られるように、キムジナーは友だちになれば魚をわけてくれたり、仕事を手伝ってくれたりするという。また、他愛ないいたずらを好む、ともされ、たとえば、夜、寝ていて急に重いものにのしかかられたように感じたり、夜道を歩いている時に手元の明かりが急に消えたりするのはキムジナーのしわざだという。
キムジナーが出没するという話は現在でも沖縄ではよく語られる。ただし、最近では、観光客のおみやげなどでキャラクター化されたかわいいキムジナーが流布する一方、人に憑いて苦しめるような悪霊めいたキムジナーの話が広まる、という形でのイメージが二極化する傾向があるようだ。
<キンマモン――海からの来訪神>
・その昔、屋部邑(現・沖縄県うるま市与那城屋慶名)は幾度となく火災に遭い、多くの家が失われていた。ある日、その村に君真物(キンマモン)と名乗る神様が現れて村人たちに仰せられた。
「ここに火事が起こるのは屋部という村の名が悪いからです。屋慶名と改名すれば火事が起きることはない」
村人たちがそのお告げにしたがったところ、その後は火事が起きることはなくなった(『遺老説伝』より)
・キンマモンに関する記録は、江戸時代初期の僧・袋中(1552~1639)の『琉球神道記』にすでに見ることができる。それによるとキンマモンは琉球開闢以来の守護神とされる。キンマモンは、ふだんは海底の宮に住んでいて、毎月、人間の世界に現れて遊んでは宣託を与えていくのだという。
・また、曲亭馬琴の『椿説弓張月』(1807~1811年)は保元の乱に破れて伊豆に流された源為朝が流刑地から脱出して琉球にたどりつき琉球最初の王朝である舜天王統の祖になったという伝説を読本にしたてたものだが、その中でキンマモンは「きんまんもん」と呼ばれ琉球を守護する神だとされている。ちなみにこの読本に挿絵を付したのは葛飾北斎だが、北斎は「きんまんもん」を、魚の胴体に人間の顔、鱗だらけの手足
があって直立するという異形の姿に描いた。
キンマモン=君真物で、「君」は君主もしくは神女は君主もしくは神女への尊称、「真」は真実、本物という意味の尊称、「物」は精霊の意味とみなせば、キンマモンは、精霊の真の君主ともいうべき偉大な精霊といった意味になる。「物」はまた本土の言葉で言う「もののけ」にも通じている。
・キンマモンは海から人里にやってくる宣託神であり、典型的な来訪神である。最近の沖縄では、この神について、単に沖縄の守護神というだけではなく、世界の救世神だとして主神に祭る新興宗教も出現している。
沖縄の習俗伝承には、憑き物系のもののけや来訪神に関わるものが多い。これは沖縄の社会事情とも深く関連している。後述するように、沖縄では、ノロやユタといった神女たちがさまざまな祭祀をとりおこない、庶民の生活に深く関わる存在となっている。
そして、彼女たちの職掌というのはつまるところ来訪する神を迎え、憑き物を払うことなのである。彼女たちが人々の生活に深く関わっている以上、来訪神や憑き物は社会的・文化的に認知された存在であり続けるし、またそうしたものたちが認知されている以上、神女たちの職掌も必要とされ続けるのである。
<メリマツノカワラ――神女と異神>
・沖縄には各地に御嶽と呼ばれる聖域がある。それらは神がかつて降臨した(あるいは今も降臨する)とされる聖地である。本土でいえば神社の本殿に相当するといえようが、御嶽は神社のような建築物ではなく自然の岩や洞窟をそのまま聖域と見なすものである。
その御嶽の由来の中には、異形の神の降臨について伝えるものもある。
・13か月が過ぎ、真嘉那志は一人の男の子を生んだ。いや、それを男の子と言っていいものかどうか・・・生まれた子供は頭に2本の角を生やし、両目は輪のように丸く、手足は鳥に似て細長く、奇妙な顔立ちで少しも人間らしいところはなかったからだ。
目利真角嘉和良(メリマツノカワラ)と名付けられたその子供は14歳になった時、母と祖母とに連れられて雲に乗り、空へと去って行ってしまった。
しかし、その後、メリマツノカワラは彼らがかつて住んでいた近くの目利真山にたびたび現れ、その度に人々を助けるような霊験を示した。人々は目利真山を御嶽として崇めるようになったという。
この話は『遺老説伝』や『宮古史伝』に出てくる。
・一部の古代史研究家は、メリマツノカワラの容貌が鳥に似ていたとされるところから、中国の長江流域にいた鳥トーテムの部族が漢民族に追われて海に逃れ、沖縄に渡来して鳥崇拝を伝えたのではないか、と考察している。
<神女が重んじられる文化>
・明治政府の廃藩置県によって王政が廃止された後も聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女制度は存続し、現在は聞得大君こそ空位だが、各地のノロ(祝女、各地域の神を祭る女司祭)は祭祀によってそれぞれの地元の人の精神的なよりどころとなっている。
・一方、正規の神女制度に属さないユタという人々もいる。彼女らは庶民の祖先祭祀について指導したり、憑き物落としをしたりする民間の神女であり、その存在は沖縄の人々の生活に深く根付いている。ユタは祖先崇拝を通して庶民生活における伝統を伝えようとする存在ともいえよう。
・ノロやユタが沖縄の人々の精神生活に深く関わっていることを思えば、沖縄の民俗伝承に来訪神や憑き物系のもののけが多い理由も改めてよくわかる。
ノロの大きな職掌は来訪神を迎えることであり、ユタの仕事の一環には憑き物落としが含まれているからだ。沖縄の異神やもののけは、神女たちの存在意義を支えてきた。
そして、彼女らが沖縄の人々の生活に深く関わっているということは、とりもなおざず、彼女らに関わる異神やもののけが沖縄の人々の生活と密着しているということでもあるのだ。
<蝦夷地の妖怪や異神>
<コロポックル――妖精はどこにいる?>
・アイヌの伝説で本土の人にもよく知られているものと言えば、筆頭に挙げられるべきは、コロポックル(蕗の下に住む人)という小人族に関する伝説である。彼らはまた、トイチセウンクル(土の家に住む人)、トンチなどとも呼ばれる。この小人族たちは、伝承上、あくまで「人間」とされており、カムイ(神)でもカミムンでもないが、西欧の伝承における妖精などとよく似たところがあることも否めない。
・また、十勝地方の伝説では、コロポックルはアイヌに迫害されてその地を去ったが、その時、川に「トカップチ」(水よ、枯れろ)という呪いをかけた。これがトカチという地名の由来だという。
この伝説に基づき、コロポックルを北海道におけるアイヌ以前の先住民族とする説を唱える論者も多い。明治20年(1887)には人類学者・坪井正五郎がコロポックルは北海道のみならず日本列島全域の先住民族で、日本民族に追われてかろうじて北海道に残っていたものが、そこからさらにアイヌに追われた、という説をたてた。
<魔女ウエソヨマ――北国の天孫降臨>
・アイヌの伝説を論じる場合に避けて通れないのはユーカラといわれる口承叙事詩だ。その中には、もののけと戦って人間の世界に平和をもたらした英雄たちの物語も含まれている。
<水の精ミンツチ――半人半獣の謎>
・ところでアイヌの信仰で、和人のカミ(神)にあたる霊的存在を「カムイ」ということはよく知られている。
・ミンツチは半人半獣のもののけで小さい子供くらいの背格好をしているという。肌は海亀のようで色は紫とも赤とも言われる。
川辺に来る人を襲って水の中に引きずり込むとして恐れられる一方で、山や川で働く人を苦難から救うこともあると言われる。
・ミンツチの行動パターンには和人の伝承における河童に似たところがある。さらに言えば、ミンツチは和人との接触でアイヌの伝承にとりこまれた河童とみなした方がいいだろう。ミンツチの語源「みずち」は、水の神を意味する日本の古語(「蛟」という漢字を当てられる)だが、一方で青森県における河童の呼称「メドチ」と同語源でもあるのだ。
『ど・スピリチュアル日本旅』
<会社を辞めて“旅人・エッセイスト”として独立した私>
<「世界一、スピリチュアルな国」日本をめぐる旅>
・私も、人生のテーマは「お金儲け」ではないので、「うわ、こんなおもろい人に出会えて、ラッキー!」と思えるような出会いを求めて、“人もうけ”をモットーに生きていきます。
・案内された沖縄コーナーには、沖縄の文化や宗教、歴史等の本がズラリ。沖縄では、年間300冊近くの沖縄本が出版され、この店だけでも1万5000冊を取り扱っているのだという。沖縄の総人口は約140万人だというから、沖縄人がいかに故郷を愛し、アイデンティティを大事にしているかが分かる。
<いよいよ“沖縄最強のユタ”と対面!>
・このイシキ浜は、海の向こうにあるとされる「ニライカナイ」を拝む聖地で、毎年、島の祭祀が行われているのだという。ニライカナイとは、東方の海の彼方にあるとされる異界、「神の住む国」で、祖先の霊が守護霊に生まれ変わる場所だといわれているのだ。
・「照屋家庭はんだん」の看板の掛かった鑑定所に着くと、普通の家のような落ち着いた風情の居間に通され、ユタの照屋全明さんが現れた。長身の照屋さんは穏やかな雰囲気ではあるものの、どこか存在感に凄みを感じる人だった。
「取材に見えたとお聞きしましたが、それには私の仕事を見てもらうのが一番なので、たかのさん、ご自身を鑑定させて頂くということでよろしいですか」
「あ、はい! お願いします!」
思いもよらない展開に、胸がドギマギしてくる。照屋さんは毎日、朝10時から19時まで、30分刻みで1日16名を鑑定しているというのだが、毎朝8時から、その日の鑑定予約を電話で受け付け、たった10分で予約が埋まってしまうほどの人気だと聞いていたのだ。
・「スタンスがフリーですね。一匹狼。自由人。組織はムリです。持っている良さが、フリーだからこそ出てきます。人徳はあり。ボランティア精神で、人材育成もしていくでしょう」
な、なぜそれを?!私はこの秋から、私立大で「異文化の理解」という講義を週イチで受け持つことになっていたのだ。非常勤の講師料は、目がテンになるほどのボランティア価格。国公立はもっと講師料が安いと聞き、非常勤講師は不安定な派遣社員みたいだなぁと思っていたところだった。
・動揺している私をよそに、怒濤の勢いで鑑定が続く。
「3、4年後、新しい才能が出てきます。それまでは、才能にフタしてる状態ですね。ゆくゆくは経済面も安定します。今はゆとりがないけれど修行だと思って、今までの道は間違いではないです。仕事はイエス・ノー、ハッキリさせていいですが、人間関係は『テーゲー』で、テーゲーは沖縄の言葉で『細かい事を気にせず、大らかに』という意味です。人間関係は突き詰めず、ほどよく適当にいきましょう」
・鑑定中の照屋さんは、物言いはあくまでジェントルなのだが、恐ろしく早口だった。神様からのメッセージはイメージのようにダーッと伝わるのか、照屋さんは神様のお告げを全部伝えたいがために、なんとか早口でしゃべって、そのスピ―ドに追いつかんとしている感じなのだ。
と、突然、真剣な面持ちの照屋さんから「タバコ、いいですか?」と聞かれ、「あ、はい」と頷くと、照屋さんは鑑定しながらタバコをスパスパ吸い始めた。神様のメッセージがあまりに早口だから、気持ちを落ち着かせるようとしてるんだろうか………。
その後、私の両親、兄ふたり、義姉たち、甥っ子たちの性質もズバズバ言い当てられ、それぞれの将来まで示唆されると言葉が出ず、「いやはや、恐れ入りました!」という感じだった。
「家族のことまでみて頂いて、ありがとうございます!」
鑑定後、お礼を言うと、照屋さんが言う。
「お悩みに家族のことが連鎖している場合も少なくないので、私はいつも、来た人の家族全員、鑑定させて頂くんですよ」
これで8千円ならリーズナブルだなぁと思いつつ、鑑定料をお支払いさせて頂く。
・ユタはたいてい家系で継承され、圧倒的に女性のユタが多いのだという。そんな中、男性の照屋さんがユタになったのは、照屋さんの祖母が、祭祀を取り仕切る神職「ノロ」だったことが大きいというのだ。
ノロが神職のシャーマンなら、ユタは民間のシャーマン。沖縄には古くから「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、これは「ユタの助言で精神的な癒しを得る」という意味で、ユタは生活全般のアドバイザーのような存在なのだという。
<●●インターネット情報から●●>
ユタ ( 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
<概念>
沖縄の信仰において、琉球王国が制定したシャーマンであるノロ(祝女)やツカサ(司)が公的な神事、祭事を司るのに対し、ユタは市井で生活し、一般人を相手に霊的アドバイスを行うことを生業とする、在野のシャーマン・巫(かんなぎ)である。
ユタはいわゆる霊能力者であるが、迷信と考える者も多い。だが、一般にユタの力は古くから広く信じられており、凶事に当たった場合や原因不明の病気、運勢を占いたいとき、冠婚葬祭の相談など、人が人知を超えると考える問題を解決したいときに利用される。こうした行為は「ユタ買い」といわれ、通常、ユタは相談料をもらって問題解決にあたる。医者がユタを勧める例もあり、沖縄には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。
ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者と位置づけており、広義にはノロやツカサなどと同じく「神人(かみんちゅ)」と呼ばれる。沖縄では神に仕えるのは一般に女性と考えられており、ユタもノロやツカサと同じく、大多数が女性である。
ユタは弾圧の歴史を持つことから、隠語として、ユタのことを三人相(サンジンゾー:易者)やムヌシリ(物知り)などと呼ぶこともある。
『うわさの人物』 心霊と生きる人々
<『普通の高校生がユタになるまで』(平博秋)(ユタ)>
・それは17歳のことだった。
・母方のお祖母さんがカミンチュ(神人)だったんだから、きっと感じたんでしょうね。
<拝みの言葉は自然に出る>
・はい。お祖母ちゃんのときもあるし、大日(大日如来)さん、天照さんが教えてくれたり。
<神様の生の姿とは>
「ユタの世界や霊感の世界で、ある程度できるようになったら、夢で免許証みたいな、本をもらうんです。「帳簿」と言いますが、聞いたことあります?」
「あります。なんとか長老という方が出てきて、ユタの許可証を渡すんでしたっけ。」
「ウティン長老。白い髭のお爺さんです。」
「それ、本当なんですか。」
「本当です。杖を持っていてね。」
「平さんの許にも現れて?」
「はい。自分はこの神様にいろいろ教えられて、何回も天照さんのお姿も見て。それから弁財天さんも。」
「弁財様。すごい美人なんじゃないですか(笑)?」
「ものすごい美人、真っ白です。大日如来さんは、こっちに赤いのがついていて。髪がね、剛毛で長いんですよ。」
<インタビューを終えて>
・こんなにはっきり神の姿を語る人を、私は彼のほかに知らない。ターリと共に、何よりインパクトがあったのは、容姿や口調、身長まで、平氏が「神様」をすごくリアルに捕らえているということだった。無論、その真偽のほどは、私には計りようがないことだ。だが、氏は神々を親戚や教師であるかのように語った。
『ほんとうは怖い沖縄』
仲村清司 新潮社 2012/6/27
<死霊>
・「別の生き霊がいくつも寄ってきたり、死霊が取り憑くおそれがあります。霊にも人間のようにそれぞれ性格がありますから、悪さをする霊がつくと危険ですね」
<キムジナーとケンムン>
・日本の妖怪といえばワタクシなど、すぐにカッパが思い浮かぶのだが、風土や環境が内地と著しく異なっているせいか、沖縄にはカッパは存在しないようだ。ただし、似たのはいる。
キムジナーと呼ばれる子どものような背格好をした妖怪である。
全身真っ赤で、髪の毛はパサパサにして茶髪ならぬ赤髪、顔も赤ら顔。ひと頃流行った渋谷系ガングロ女子高生に近いかもしれない。
・しかし、コヤツはどうやらオスらしく、地域によっては大きな睾丸をぶらさげているのが特徴とか。
また、腕はオランウータンのように長く、木の枝みたいに細くふしくれだっているとも。なにやら、やせすぎの老人を思わせるところがあるけれど、これでもやはり10歳ぐらいの子どもらしい。
・興味深いのは………、
実はこのことがキムジナーを特徴づける要素になるのだが、漁師の船にいっしょに乗って魚をとるのを手伝ったり、農家の野良仕事の手伝いを買ってでたりするなど、人間の前にくったくなく姿を現して、人と積極的にご近所づきあいする点である。また、いかにも子どもっぽいのは人間と相撲をとりたがることで、負けると何度も勝負を挑んでくるとされる。
いうまでもなく、カッパも人間社会と接点をもつ妖怪にして、相撲が大好き。キムジナーが沖縄版のカッパといわれるのは、こうした性格も大きな理由になっているようだ。
といっても、キムジナーには頭のお皿や背中の甲羅がないので、風姿からいえば、カッパの系統とするにはやや無理があるように思える。