日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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与件の変化があると、日本の核保有もいい悪いとは別に、時間の問題になります。核保有は、日本外交の現実の日程にはいっているのです。(1)

 

『人間の叡智』

佐藤優   文藝春秋  2012/7/20

 

 

 

新・帝国主義

下がる賃金、厳しい就活、ひろがる格差、あなたの仕事がつらいのは、世界がすでに「新・帝国主義」時代に入っているからだ。食うか食われるかのゲームのルールを見極め、それを打ち破る武器としての「物語」を手に入れよ。

 

・日本は過去20年、構造的な停滞の中にある。この停滞は、すでに危機的な状況に至っている。

 

・新・帝国主義という国際環境の下で、困難な国内状況に直面しているにもかかわらず、日本人も日本国家も生き残らなければならない。

 

・さらに神学の世界には「総合知に対立する博識」という格言がある。断片的な知識をいくらたくさん持っていても、それは叡智にならないということだ。断片的な知識をいかにつなげて「物語」にするかが、有識者の課題と私は考える。ここでもストーリーテラーとしての能力が必要となる。

 

ハルマゲドンを信じている人々

イランが招く核戦争の危機

・今後2、3年の間、国際政治の焦点になるのはイランです。ところが日本ではどういうわけか、イランに関する報道が少ない。

 

ところが2011年になると、アメリカもヨーロッパも、イランの核開発は最終段階に来ているという見方をしています。

 

・イランが核を持つと何が怖いのか。世界に核を持っている国は他にもたくさんあります。

 

アメリカはイランに対して相当妥協的に出ています。レッドカードを出すポイントは、ウランの90パーセント濃縮。そこまでいかなければ、いま持っている核開発能力を廃棄しろとは言わない。

 

・今、ここで述べた予測はあくまでもイランが合理的な行動をすることが前提の話です。そして、そうとは言い切れないのが怖ろしい。イランにはハルマゲドン思想を信じている人々がいるからです。

 

ハルマゲドンを信じる指導者

・イランの現体制は三つに割れています。一つはハメネイ宗教最高指導者たちのマヤトラという聖職者たちのグループ。この人たちは、石油とか、ピスタチオとか、ペルシャ絨毯とか、さまざまな経済特権を持っています。

 それに対して、イランの国教であるシーア派十二イマーム派の中の極端な考え方をするセクトから出て来たのが、アフマディネジャド大統領。この人は腐敗、汚職を追求していて、たしかに本人もクリーンなポピュリストです。ただ問題は、この教派がハルマゲドンを強く信じていることです。

 

・三つ目の勢力は、イスラム革命防衛隊です。これは正規軍よりずっと装備がいい最精鋭軍部隊です。

 

・この三者が絡んで、常軌を逸するような権力闘争が行われているのがイランの実状です。

 

・ちなみに、イランでは革新派を含めて、国民の全てが核開発に賛成です。核開発に反対する声はない。

 イランはアケメネス朝ペルシャの時代からの世界帝国でした。帝国にふさわしい地位を得るためには核が必要ということに関しては、改革派から宗教保守派まで、国民的なコンセンサスがあるのです。

 

北朝鮮の核の真意

いかなる状況においても核は手放さないという北朝鮮の論理です

・また、イランの核と北朝鮮の核は密接に結びついています。北朝鮮の核ミサイル技術者がイランに行っていることは、両国政府は否定しますけれども、インテリジェンスの世界では公然の秘密です。

 

北朝鮮は外貨を稼げるのなら何でも売るし、そのルートをつくるのがうまい。かつて第2経済委員会というものがありました。いまは名称が変わったでしょうが、他にも「労働党39号室」とか、金正日直轄の資金調達部門がありました。そこは何でも売る。中でも一番金になるのがミサイルです。これはそもそもソ連がエジプトに売ったスカッドミサイルを、エジプトがソ連の了解を得ないで北朝鮮横流ししたものです。それを北朝鮮が改良してノドン・ミサイルにしたのをイランが購入して、ソ連の技師を雇って改良したわけです。

 

新たな「東西対立」

・このイランの核問題にからめて重要なのは「西側」が復活していることです。西側の資本主義国に対する東側の共産圏という東西冷戦が崩壊したために、西側という言葉は死語になっていたのですが、イランの核がクローズアップされてから復活した。日本も西側の一員として、今度のイラン制裁には積極的に加わっているわけです。そして、この場合、「東側」は中東です。

 

野田外交の方向転換

・これらはすべて外交取引の世界なのです。イランという、アメリカにとって本当に重要な問題で日本が大きなカードを切ったからです。

 

とんでもない鳩山イラン訪問

もっとも、鳩山由紀夫元総理のイラン訪問は日本外交でも前代未聞の珍事で、相当なダメージを与えました。

 

・最大の問題は、鳩山氏が「絶対に正しいことを行なっている」という信念で行動していることです。善意にもとづいて、責任の所在の明らかでない勝手な外交を繰り広げているので手に負えない。新・帝国主義時代のルールを、まったく理解していないのです。

 

ロシアのシニカルなイラン観

・ロシアの中東外交は、シニシズムそのものです。ロシアはイランがどれくらい危険かよくわかっている。イギリスやイスラエルと同じレベルの認識がある。

 

・その場合、地図を見たらいいのです。帝国主義の時代を考えるときは、常に地球儀を見ながら考えることが大事です。古くからの地政学が重要になってきます。

 

かつてなく高まる核戦争の危機

・しかし中東にはそういう安全保障メカニズムは何もないのです。先ほど述べたように、イランのアフマディネジャド大統領たちはハルマゲドンを本当に信じています。キューバ危機のような事態が起きたら、フルシチョフとは違って、本当に核のボタンを押すかもしれません。

 もう一つ、冷戦のときと違うのは、イスラエル・ファクターですアフマディネジャド大統領が2005年10月に、イスラエルを地図上から抹消するという公約を出した。イスラエルは、全世界に同情されながら死に絶えるよりも、全世界を敵に回しても戦って生き残るというコンセンサスがとれている国です。西側がやらないのなら、イスラエルがイランを単独攻撃する可能性は十分あります。

 イランの核施設は各地に分散していて、その一つはコムという場所の近くにある。コムは初代の最高指導者ホメイニ師が教えていた聖地ですから、ここを攻撃すると宗教戦争になります。イランの首脳はそれを計算して聖地付近に核施設を造っている。

 

その先に来るのは、イスラエルとイランの全面戦争です。このイスラエルの独走を抑える術が西側にはないところが、新しい「東西対立」の怖ろしいところです。だからこそ、アメリカもヨーロッパも、イランへの経済制裁にいち早く踏み切ったのです。イランへの警告だけでなく、イラエルの独走を抑えるという意味もあった。

 イランに加えて、中東の中で不安定要因として大きいのがサウジアラビアです。イランが核を保有した場合に備えて、サウジアラビアパキスタンの間に秘密協定があるといわれています。もちろん両国の政府は認めていないのですが、インテリジェンスの専門家の間では常識になっていることです。パキスタンのような貧乏国にどうして核開発ができたかというと、サウジアラビアがお金を出したから。そして秘密協定で、イランの核保有が確認されたら可塑的速やかにパキスタンの核弾頭のいくつかをサウジアラビア領内に移動させるというのです。

 そうなると、アラブ首長国連邦カタールオマーンも、核をよこせということになる。エジプトも核保有に関心を持ちかねない。さらにシリアが核を持つようなことになると恐ろしい。

 

アラブでは国民国家はできていませんから、反対派を鎮圧するために、広島型核兵器を平気で使うような政権があるわけです。そうすると、核戦争のハードルが非常に低くなる。核を本当に使うぞという恫喝外交が可能になってくる。であれば、並の国はみんな核爆弾を持ちたがる。相当数の核兵器が世界中にあふれ出て、人間の非合理な要素が引き起こす偶発核戦争の危機が高まっています。

 

日本は核武装すべきか

いまや帝国主義の生き残りには、核保有の問題が絡まってきているわけです。では日本はどうなのか

 私は「日本の核武装、是か非か」と聞かれたときは、「非」と答えることにしています。しかし、現実は日本の核武装に関しては、ある種の与件があって、それ次第で、賛成反対にかかわりなく進んで行くことでしょう。与件の変化があると、たとえば中東でイランが核を保有する、サウジアラビアも持つ、となると、日本の核保有もいい悪いとは別に、時間の問題になります。核保有は、日本外交の現実の日程にはいっているのです。

 

・20年先まで考えると、核保有をするか、あるいはアメリカの核の傘を日本の中に及ばせる、つまり非核三原則の逆で国内に必ず核を持ち込ませるという形でコミットメントさせるか。安全保障の論理からすると、何らかの形で核の担保が必要になってきます。

 ただしその際、世界の核不拡散体制を崩す最初の旗を振る必要はないという感覚が私にはあります。だから聞かれたときは「非」と答えているのです。

 

曖昧にしておけばよかったのです。「曖昧な日本人」などといわれますが、真面目すぎるのか、国際政治のリアリズムがわかっていないのか、必要以上に詰め過ぎるところがあります。

 各国が自国の利益をむきだしに帝国主義の論理で行動し、そこにゲームのルールがわかっていない中華帝国や、ハルマゲドンを信じているペルシャ帝国が加わっているのが、今、私たちが生きている世界です。

 核の問題ひとつをとっても、それに対処するには、総合的な「知力」が必要とされます。相手の内在的論理を知り、彼らがどういう行動原理で動いているかがわからなければなりません。

 記憶力だけが優れた、試験勉強エリートに頼っていたのでは、日本はもはや国家として生きのびることができないのです

 

資本論』で読み解くグローバリゼーション

・しかしある意味ではその解決は容易なのです。マルクスの『資本論』を読むことです。いまどき『資本論』かと思わないでください。資本論』を革命の書として読むと人生を間違えますが、資本主義分析の本としてはきわめて優れている。

 資本家どうしの関係において、損失の負担の押し付け合いは折り合いがつかず激しい争いになるが、利益の分配に関する資本家の抗争は折り合いがつくとマルクスは言っています。その応用で、経済が成長すれば、相当な問題も折り合いがつくのです

 要するにゼロサムゲームではケンカが起きて収拾がつかなくなるけれど、利益の分け前をめぐっての争いは話し合いで何とか片が付く、ということです。

 日本がこの時代を生きのびるためには、総合的な知力が必要です。バラバラな分野について細かいことを知っていても、生き残るためにはほとんど役に立たない。いま日本にある知識を、日本の生き残りのために繋げて総合的な教養に、ひいては人間の叡智にしていかなくてはならない。

 それは個人においても同じです。資本主義が猛威をふるっている時代に生きなければならないのですから、また資本主義に替わるシステムも見出せないのですから、まず資本主義とは何かを知る必要があります。それには『資本論』は格好のテキストなのです。

 

優れた古典は複数の読み方を可能にする

・『資本論』に限らず、すぐれたテキストというのは、すべて複数の読み方が可能なのです。複数の読み方で、すべて整合的に読める。『聖書』でも『太平記』でもそうです。

 ちょっと脇道にそれますが、南北朝の『太平記』はアカデミックな実証においては、北朝側の書物だということがいまはほぼ確実になっています。北朝の人たちが、なぜこんなに天変地異が起きるのか、天龍寺までつくってなだめているのに、どうして内裏に雷が落ちたりするのかと、坊さんやインテリたちが集まって考えて、これは南朝の人たちの、とくに後醍醐天皇の雷が鎮められていないせいではないかということになった。鎮めるには、南北朝の騒乱で起きたことをできるだけ正確に記すことだ。そうすれば鎮魂になると考えて書き始めた。そのためには、南朝がやったこともきちんと書かないと鎮魂にならないので、北朝の立場から南朝を貶めることは書けないわけです。そうしてテキストが残り、しかも全体のうちの一巻が欠けてしまったので、通読しても何を言おうとしているのかわからない。

 かつては後醍醐天皇方の楠正成やその子の正行の活躍などがいろいろ書かれているから、これは南朝側のテキストではないかとずっと見られていたのです。ところが、読めばいきなり巻第一で、痛烈な後醍醐批判をしている。北条高時が臣下としての身分を守らず、後醍醐も天皇としての徳に欠ける。女性関係にだらしない後醍醐が、内裏の女性からのアドバイスによって政策を練るということが散々書いてある。

 

宇野経済学が教えてくれるもの

・日本では1930年代に日本資本主義論争があったので、『資本論』は戦前から多くの知識人に読まれました。その中から宇野弘蔵というマルクス経済学者による独特の資本論読みが出て来る。私はこの宇野経済学が、現在でも通用する読み方だと思います。

 

・『資本論』の冒頭に「われわれの研究は商品の分析をもって始まる」とありますが、この商品を資本主義的な商品として読むか、それともすべての時代に通底する商品として読むかで、読み方はまるっきり変わってしまいます。すべての時代の商品と読むと、『資本論』は革命の書になる。たしかにそう読むこともできる。ただ、それは相当無理な読み方だと思います。宇野弘蔵は、商品一般ではなくて資本主義社会から抽出された商品であると読みました。私も同じ見解です資本論』を素直に読めば、これは資本家になる見習いの人間を相手に書いた本だと思えます。資本主義はこういうふうに発展するのだという論理が書いてある。

 

その論理のカギになる概念が、「労働力の商品化」です。人間が働く能力は、本来商品にされるものではなかったのに、商品されたというのはどういうことか。労働者は働いて賃金をもらいますが、その賃金は三つの要素から成り立っている。

 一番目は、一カ月生活をして、家を借りて、ご飯を食べ、服を買い、いくばくかのレジャーをする。それによってもう一カ月働くエネルギーが出て来る。そのための費用です。

 二番目の要素は、労働者階級の「再生産」、すなわち、子供を産み、育て、教育を受けさせ、労働者にして社会に送り出すまでの費用が賃金に入っていないといけないのです。独身者の場合は、将来のパートナーを見つけるためのデート代が入っていないといけない。そうでないと資本主義システムの再生産ができない。

 三番目は技術革新に対応するための教育の経費です。資本主義には科学技術の革新が常にある。それに対応するための自己学習の費用が入っていないといけない。

 

・その三要素がないと資本主義はまともに回らないのです。ところが個別の資本は、少しでも搾取を強めようとする。だから二番目、三番目の要素は切られてしまいがちです。一番目の要素もどんどん切り詰めて行く。それによって搾取率を強化する。資本とは本来そういうものです。搾取は、不正なことではないのです。労働者は嫌だったら契約しなければいいのだから、収奪ではない。収奪というのは、たとえば、米を10トン作ったら地主が来て、そのうち6トンを持って行く、出さないと殺すと言う。これが収奪ですね。搾取は資本家と労働者の合意の上で成り立って、システムの中に階級関係が埋め込まれている。だから自由平等といいながら自由でも平等でもない実態は、社会構造を見ないとわからないというのがマルクスの主張です。ちょっと難しい言い方でしょうか。要するに経営者がいい人、悪い人というのは別の話で、資本主義というシステムにおいては、労働者の取り分が減らされることは避けられないということです。

 なぜそうなるのでしょうか。その根本には交換の問題があります。

 

国家なきグローバル経済など成立しない

・『資本論』の論理を解析すると、結局こうなります。

 社会には三つの階級しか存在しない。まず資本家と労働者(資本家と労働者というのは、個別の社長や社員を意味するわけではありません。そうでないと日本の大企業に多いサラリーマン社長は資本家なのか労働者なのかわからなくなってしまいます)。資本家が労働者の労働力を買って、労働力と原料を使って生産させ、そこから生まれた「剰余価値」を得ようとする。ただし剰余価値を全部自分のものにはできない。ここに地主が出て来る。地主は土地を貸して「地代」をとることができる。地主論は、当時マルクスがどう考えたかは別として、すごく重要です。

 

・資本主義社会は資本家と労働者と地主の三大階級だけでまわるシステムなのです。この議論には国家がありません。国家はシステムの外側にあるのです。ではどこから国家はこのシステムに入っていくのでしょう。おそらく『資本論』の論理からすると鋳貨、国家による貨幣の保障からです。

 

・こうして現在、私たちの社会に流通するペーパーマネーが誕生したわけです。これが管理通貨制度の根本です。ペーパーマネーになって実体から離れてもマネーが流通するのは、国家による裏打ちがあるからなのです。資本主義の交換メカニズムの中に国家が必ず必要な根拠が、(貨幣の)刻印にある。何かあったときに、国家の暴力の裏打ちによって経済の信用システムの保障ができるわけです。素手で経済活動をしているときに、暴力で「よこせ」という者が来たら防ぐことができない。そうなると経済活動なんか意味ないのです。経済活動よりも、腕力でいつでも略奪できる態勢をとった人間が勝ちだということになるから。となると、実は市場が成り立つために国家が必要なのです。

 

マルクスはそこまではテキストの中では言っていませんが、マルクスの論理を突き詰めて考えると、逆説としての国家が出て来るのです。『資本論』はデビッド・リカードの『経済学および課税の原理』(1817年)の構成をほぼ真似ているのですけれど、リカードの本では課税の問題が半分を占めているのに、『資本論』には課税の部分がない。税について語らないことによって逆説的に国家を語っているわけなのです。

 そうすると実は、柄谷行人氏が非常にうまく解析したのですが、資本主義システムは四大階級制なのだということになる。資本家、労働者、地主に加え、官僚がいる。官僚階級というのは社会の外側にいて、社会から収奪する。国家の暴力を背景にして、「よこせ」と言って取る。それが租税なのだということです。だから資本家も労働者も地主も、みんな官僚が嫌いです。

そうすると、いまグローバル資本主義は国家を超えるというようなことが言われますけれども、それはあり得ない。国家を与件としてでなければ資本主義は発展できないのです。勝手にものを取ってくるやつがいるシステムでは社会は発展しない。取ってくるやつの行動を規制して、市場という形で動かせるような枠をつくらないといけないのです。

ただし国家は独自の原理で動き出しますから、自由経済が有利なら自由経済にするし、保護主義が有利なら保護主義にするし、戦争で他国から収奪するのが有利だったら戦争をする。

 

マルクス経済学の真価

・恐慌とかグローバル資本主義の危機とかを理解するためには、近代経済学ではなくて、マルクス経済学のタームのほうがいいのです。

 

・ただ問題は、マルクス経済学のジャルゴン(専門語)が日本でもうほとんど通じなくなってしまった。その中でどういう風に分かりやすく説明するかです。もう一つは、マルクス主義者とか左翼の人たちが、『資本論』を本当はほとんど読んでいないか、めちゃくちゃな読み方をしていたことです。

 一方における富の集積が、他方における貧困の集積になって、それに対して人間の抵抗が必ず爆発し、最後の警鐘が鳴って、革命が起きる――そういうほとんど「ノストラダムスの大予言」みたいな変な読み方をする。たしかに『資本論』の一部にそういうことを言っているところもあるのですけれど、論理を追って『資本論』を読むということを左翼の人はしていないのです。これは、ファンダメンタリストのクリスチャンが聖書をいくら読んでも聖書の論理がわからないのとよく似ています。

 

ゼロ成長社会脱出の処方箋

・デフレがつづき経済成長が止まった現在の日本では、このままいくと賃金の三要素の二番目と三番目がつぶれてしまいます。

 

・その点、ロシア人は暴力的な行動にはほとんど出ません。デモをするにしても平和的で、火炎瓶を投げたり、投石したりしない。暴力装置としての国家がどれくらい怖いかよく知っているからです。

 

ハーバーマスはこんなことを言っています。資本主義は成長が止まってやがて終わりが来るように見えても、実は終わりは来ない。ではゼロ成長に対する処方箋はというと、エリートの学級会のようなものをつくり、かれらが大衆を指導する。

 

誰かとくに偉い人の言うことを聞くのではなく、学級会方式の対話で人間の力を引き出す。学級会に耐えられるように、みんな成績を上げて、良い子になりましょう。良い子でない子は、教育で良い子にする。そういう理論です。

 

ハーバーマスは日本では良識的な知識人ということになっていますが、典型的な帝国主義者と言えます。外部の世界に公共性があるのかどうかわからないが、自分たちにとっては欧米が問題なのであって、それ以外のところについて考える余裕などないという、身も蓋もないヨーロッパ中心主義です。

 

エリートの強化しかない

ポピュリズムに対抗するにはエリートの強化しかないのです言いかえれば専門家の強化で、素人が専門的な問題にくちばしを差し挟むことを抑制する文化をきちんとつくることです知的エリート、パワーエリートが国際基準のインテリになり、ノブレス・オブリージュを果たすことができるかどうかに成否がかかっている。

 

・エリートというと、社会の上層というように勘違いするむきがありますが、エリートは各層ごとにいるし、いなければならないのです。下士官のエリートもいるし、小隊長のエリートも必要です。小隊長としてはエリートの機能を果たすけれども大隊長としては無理な人もいる。あるいは参謀総長としては有能だが中隊長としては能力を発揮できない人もいる。エリートは多重であって、それぞれに求められる資質が違うので、多様性の中の一致が必要なのです。

 

 

 

『田母神 「自衛隊問答」 国防の「壁」を打ち破る!』

田母神俊雄   拳骨拓史   PHP  2015/1/26

 

 

 

ポジティブリスト(根拠規定)

(田母神)自衛隊ポジティブリスト(根拠規定)で縛り、動かさない、というのが、これまでの国会答弁でいわれてきたことです。つまり、「相手が撃ってきました。どうしましょうか」と聞いて行動する根拠を形づくらなければ動けないのが自衛隊で、相手が撃ってきたら、すぐ撃ち返せるのが外国の軍なのです。

 

・防衛出動とスクランブルとは、まったく性格を異にします。スクランブルは「対領空侵犯措置」といい、あくまで自衛隊の「平時の任務」として自衛隊法に定められているものです。スクランブルでは、領空侵犯があった際、発進して警告を与えることまでは認められています。ただし、外国機が警告を無視して、さらに領空へ入ってきたときに撃っていいかどうかは、防衛省の内訓で秘密扱いになっています。武器の使用も、かなり制約が多いのです。外国に比べ、現場の裁量権が非常に少ないのです。

 結局、空の場合も海と同じで、「入ったら必ず撃たれる」と思えば、相手は入ってきません。ところが日本の場合、めったなことでは撃たないとわかっているから、「ちょっと行ってみようか」となるのです。

 

<昭和50年頃から自民党も日本政府もおかしくなった>

(田母神)だから自衛隊をPKO活動で海外派遣するときも、最初は持っていく機関銃を1丁に限定するという話から始まりました自衛隊が「1丁だと、故障したとき、どうするんですか」というと、「ああ、そうか。故障したときのことを考えなければいけないな」と、やっと、そのおかしさに気づくのです。いかに「国を護る」「自衛隊員を護る」ということを真面目に考えていないか、わかります。

 

(田母神)昭和50年頃でしょう。田中角栄内閣が誕生した昭和47年あたりから、おかしくなっています。その前の佐藤栄作内閣よりも前の内閣は、少しはまともだったと思います。 

 ところで、佐藤栄作総理は、昭和49年にノーベル平和賞を受賞しますが、彼がノーベル平和賞に値する何かをやったというと、何もしていません。それなのに受賞したのは、アメリカと何か取引があったのだろうと私は勝手に思っています。証拠はありませんが、おそらく総理時代、「日本は核武装しない」とアメリカに約束したのではないか。あの頃までは、日本も核武装を視野に入れていて、NPT(核拡散防止条約)に加盟するなど、とんでもないことと思っていたのに、佐藤内閣を境にガラリと変わっていきます。

 

武器輸出と核武装をどのように考えるべきか

(田母神)核武装は、追求すべきだと思います。核武装を実現することは最終目標ですが、追求するだけでも抑止効果が表れます。「追求する」と言いつづけることで、抑止力は格段に高まります。北朝鮮にしても、核兵器を持つことで極めて強い態度に出られるようになっています。

 残念ながら現代の国際社会では、核兵器を持っている国が得をするのです。国際社会のルールは核武装国が決めていますから、すでに核武装している国は、これ以上、核武装国を増やしたくない。だから増やさないために「広島を見ろ、長崎を見ろ」と、核兵器の恐怖を煽るのです。そして「核武装など、とんでもない。あんなものを持って、日本はまた軍事大国化するつもりか」といった情報戦を展開させる。それで日本人はみんな「核武装はやめたほうがいい」と思わされているのです。

 

核武装しない国のほうが、核武装している国よりも平和」などという考えが責任ある立場の人々のあいだで通るのは日本だけで、外国では通用しません。なにしろ日本は「軍事力が強い国の方が、弱い国よりも安全」という常識すら通用しない人が多い国です。「強くなると、侵略戦争を始めるから、あまり強くないほうがいい」というわけで、政治家にもこのような考えの人がたくさんいます。

 

(拳骨)現実には、中東を見てもわかるように国家として成り立っていない国ほど、軍も成り立っていません。逆にテロが跋扈して、国内が無茶苦茶になっています

 

(田母神) その意味で日本は、核武装を追求すべきなのです。私が自衛隊を退官した6年前は「核武装をすべき」というと変人扱いされましたが、いまはかなり変わってきています。私がずっと言いつづけているので、「あいつがいうのは仕方ない」と諦めただけかもしれませんが(笑)。

 NPT(核拡散防止条約)の第1条は「核保有国の不拡散義務」について述べたものですが、これはけっして「核廃絶に向けて行動する」という意味ではありません。「現在の非核保有国が核保有国にならないために行動する」と述べているだけです。NPTは核保有国のみに都合のいい条約で、みんなに騙されているのです。

 そうした中、現在は日本が核保有国になるチャンスともいえます。ロシア、中国、北朝鮮と、周囲がみな核保有国になっているのですから、「日本も不安だから核を持ちたい」といえばいいのです。

 

アメリカにしても、中国が日本を核攻撃したからといって、中国からの反撃覚悟で中国に報復してくれるかというと、難しいでしょう。日本を護るには、やはり日本自身が核を持つしかありません。アメリカに対して、「ロシア、中国、北朝鮮と周囲が核武装国なのだから、日本のことを心底考えるなら、アメリカは日本も核武装をしたほうがいいというべきでしょう。それを核武装をしないほうがいいというのは、日本を本当の友だちと思ってないからじゃないですか」と、正面から向かっていけばいい。おそらく、いままでこのような形で、日本がアメリカに切り込んだことはないはずです。

 

・日本は唯一の被爆国だからこそ、世界で唯一、核武装する権利があるということです。海洋国家としての日本の特質を考えれば、そのための方法として、戦略核ミサイルを搭載した潜水艦をはじめさまざまな選択肢が考えられます。核ミサイルを搭載した原子力潜水艦が3隻あれば。まずは十分です。1隻は作戦行動中、1隻は定期修理、もう1隻は予備、という使い方ができて、核抑止力として有効に機能させることができます。

 

いまこそ「軍備」も「武士の魂」も整えよ――「尚武の精神」を取り戻す

「中国の軍事力は強大」は中国の情報戦

(田母神)確かに日本の政治家には、中国の軍事力が強大で、たとえば中国が軍事力で尖閣諸島を奪おうとしたら、たちどころに取られてしまうと思っている人が多いです。しかし現実には、そんなことはありえません。なにしろ尖閣諸島の上には、中国のレーダーの範囲外なのです。日本のAWACS(早期警戒管制機)やE-2Cホークアイのような「空飛ぶレーダーサイト」と呼ばれる飛行機を運用できる態勢も現在の中国にはありません。尖閣諸島上空まで中国の戦闘機が来たとしても、航空自衛隊は全機、撃ち落とせます。

 今後10年、20年、放置していたら、彼らも能力をつけるかもしれませんが、現段階では中国が尖閣上空での航空戦で勝てる見込みはありません海上作戦というのは、航空作戦で勝たなければ成功しません。空で勝って、海で勝って、ようやく陸に上がれるのです。

 そんな中国の軍事力が強大だと日本の政治家が誤解しているのは、中国の情報戦にやられているからでもあります。中国の軍事力は強大だと認識させようというのが、中国の情報戦なのです。

 

・日本の「防衛白書」を見ると、2013年の中国の軍艦の数は日本の8倍ぐらいありますが、総トン数は3倍程度です。つまり、中国の船は総じて小さいことがわかります。漁船みたいな船ばかりで、そんな船では軍事作戦には使えません。尖閣諸島まで来て作戦に使える船は、かなり限られています。艦艇の性能はもちろん自衛隊のほうが圧倒的に高いので、中国は海上自衛隊との海の戦いに勝つことはできないと思います。その限られた船も、結局は空の戦いで勝たなければ、空からの攻撃でみんな沈められてしまいます。

 

「中国軍機450機、自衛隊機150機」でも尖閣諸島自衛隊は圧勝する

大規模災害救助訓練で地域共同体を復活させよう

(拳骨)自衛隊に求められる今後の課題として、海自と海保、警察と陸自による共同訓練のよりいっそうの活性化があるでしょう。たとえば、いま海保の船が尖閣諸島に貼りついていますが、小笠原に5隻しか配置できない状況が続いています。そうした中で、海自と海保沿岸警備隊、警察と陸自の共同訓練は大きな意味を持つように思います。

 

(田母神)災害救助に向けた共同訓練も重要ですね。日本ではよく災害が起こりますが、災害救助について即応体制がつくられていない国は、先進国では日本だけです。私は空幕長時代にアメリカの空軍参謀長の公式招待行事に招かれ、「フロリダに2万人が死亡するレベルの台風が発生した」という状況を想定した災害救助訓練の様子を見せてもらったことがあります。

 災害が起きたとき、アメリカは基本的に各州知事が対応します。ただし手に負えない規模になると、アメリカの北方軍司令官が対応します。北方軍司令官は陸海空、海兵隊の統合を指揮するので、これらの将校や隊員たちが参加するのですが、このとき警察や消防、民間の建設業者、輸送業者、食料業者なども軍司令官が指揮できるようになるのです。軍司令官が「人が足りない」「カネが足りない」などと判断すれば、大統領に要求できるようにもなっています。

 

・いま政府は国土強靭化を推進するといっているのですから、その一環として災害救助訓練を行なう。そしてこのような取り組みを、地域共同体を復活させる一つの核にしていくべきなのです。