日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

ブラジルには、UFOが頻繁にやって来ることで(一部のマニアのあいだでは)有名なアルトパライソという街がある。(1)

 

 

 『旅がなければ死んでいた』

坂田ミギー ベストセラーズ  2019/7/1

 

 

 

旅マニア/エッセイスト/クリエイティブディレクター

・年間旅行日数100日以上の旅マニア。20代でうつ病を患い、プチひきこもりになるも、回復期にインドを旅したらどうでもよくなり寛解。がんばったら幸せになれると信じて日々を生きるも、過労と失恋で「このままじゃ死ぬ」と気づき、命からがら世界一周へ。旅を機に立ち上げたブログ「世界を旅するラブレター」は、世界一周ブログランキング上位常連の人気ブログに。

 

旅に出る前、わたしは社畜だった

・朝から深夜まで働き、寝て起きてシャワーを浴びたら、また仕事。

 裁量労働制という名の、残業代の出ない定額働かせ放題システム。定額で使い放題なのは、データ通信量だけにしていただきたい。

 とはいえ、がんばっていればチャンスはもらえるし、貧乏性なうえ使う暇がないので、勝手に多少の貯金はできた。

 

・そうして数年が経ち、増える一方の仕事に埋もれていた、ある日、

 オフィスに3日連続お泊り中だった。自分の異変に気がつく。うれしくも悲しくもないのに、涙が止まらない。視界が滲んで、エクセルが読めない、使えない。エクセルのせいかと思ったが、フォトショップでも、ワードでも、結果は同じだった。それから、さらに数日後。

 変なものを食べたわけでもないのに、吐き気がした。

 トイレで吐いてびっくり。便器が真っ赤。

 

・このままじゃ精神も肉体もやられて、最悪死ぬ可能性もある。20代の数年をうつ病に費やしていた自分は、このまま沼にハマるとどうなるかわかっていた。

 

出発早々プチトラブルに見舞われつつも、旅の初夜に手紙を放つ。(中国・北京)

・中国の北京空港に降り立ち、荷物をかついでホテルの迎えを探す。

 出口で掲げられたネームカードをひとつずつ確認していくも、自分の名前が書かれたものは見つからない。あれ? おかしいな……ちゃんと予約したときに送迎もお願いしたのに。そう思ってホテルに電話を入れるも、英語が通じないまま切られてしまう。そうだ、ここは中国だ。

 大学では第二外国語で中国語を選択した。普通は2年間で終える過程を、落第してわざわざ3年間も学ぶくらい、中国語には慣れ親しんでいた。3年間も中国語を読み書きしていたのに「あなたのホテルから迎えが来ていません」の一言すら出てこない。あの3年間は一体何だったのだろうか。

 迎えに来てもらうのは諦め、タクシーに乗ってホテルへ向かう。

 到着後、フロントで再度「なぜ迎えに来なかったのか」と言うも、やはり英語が通じない。

 おたがいの言い分が伝わらないままワーワー言い合っていると、横から端整な顔立ちをしたカピバラのような好青年が現れて「どうしたのですか?」とニッコリ。事情を話すとカピバラさんは通訳をかってでてくれ、ようやくスタッフとの意思疎通ができた。

 どうやらホテルで問題が起きたらしく、迎えにいけるスタッフがいなくなってしまったらしい。

 しかし、そんなことを言われても、こちらはタクシー代を払うハメになったので「そうですか」とは引き下がれない。

 タクシー代を宿泊料から減額してほしいと話すと、値引きはできないが、このホテルで一番いい部屋にアップグレードするから勘弁してくれと言われる。

 

UFOの飛来するスピリチュアルな街で起きたハプニング・ライフ。(ブラジル、アルトパライソ)

・わたしはスピリチュアル派でもなければ、オカルト好きででもないのだが、おもしろそうなものがあると、ついつい手を出してしまう性癖がある。

 ブラジルには、UFOが頻繁にやって来ることで(一部のマニアのあいだでは)有名なアルトパライソという街がある。

 UFOなんぞ信じてはいない。見たことがないからだ。もしUFOを見ることができれば、それは価値観が変わりそうなくらいに、衝撃の出来事であることは間違いない。これは自分の価値観をぶち壊して再構築する旅なので、ぜひUFOを拝見せねば。

 UFOが飛来する街なら、もしかしたら宇宙人に会えちゃうかも。宇宙人はわたし好みの犬顔の男性の姿をしているかもしれないし、アメーバ状でローションのようなヌルヌル生命体かもしれない。

 運命の相手は、宇宙人。なんともいいストーリーではないか。それならば、いままで地球人とうまくいかなかったことも納得できる。

 UFOと宇宙人を目当てに、さっそくバスを乗り継いで、その街へと向かった。

 

アルトパライソは、ヘンテコな空気が流れる街だ。街のあちこちにUFOのオブジェが置かれているし、壁にはたくさんのUFOの絵が描かれているし、UFOの御用達らしい公園(通称UFO公園)もあるし、UFO型の宿泊施設まである

 アルトパライソは、南米におけるヒッピーと宇宙人のたまり場のような場所なのだと、全身タトゥーだらけのゲストハウスのオーナーは笑う。

 この街のUFO以外の娯楽といえば、滝である。

 

・映画館やゲームセンターのようなものはないが、滝だけはたくさんある。滝はどれもが美しい自然のなかにあり、観光案内所には滝マップが置かれていた。というより、滝以外に推せる場所やアクティビティがほとんどないので、観光案内所は滝案内所と化しているのだ。

 街のあちこちで行われている謎のイベントに精力的にでかけてみると、宇宙に声を届ける会(発声練習)だったり、宇宙を感じる会(瞑想)だったりした。

 

シャーマンパワーは本物なのか ⁉ 幻覚剤アヤワスカ・トリップ、(ペルー。サンフランシスコ村)

・わたしは目に見えるもの以外は信じてこなかったし、科学的に実証されていないものを疑って生きてきた。

 たとえば、霊感だとか、UFOだとか、超常現象だとか、神さまだとか。

 それは自分に実感がないせいだろう。霊感はないし、UFOは見られなかったし、超常現象なんて体験したこともないし、もし神さまがいるとするなら、この世はけっこう残酷な仕上がりだ。

 

・それでも、占い師やスピリチュアル・カウンセラーみたいな人が、本当に霊的なチカラがあるのかといえば、それはちょっと「?」と思ってしまう、へそ曲がりな人間、それがわたしだ。

 

・そんな自分の偏屈な部分をタコ殴りにしてみたいと、やってきたのがペルーのサンフランシスコ村だ。この村には数人のシャーマンが住んでおり、彼らは幻覚剤アヤワスカを使って、その人に必要なビジョンを見せるセレモニー(儀式)をしてくれるのだという。

 アヤワスカは、ホフマン博士が生み出した有名な幻覚剤LSDを遥かにしのぐ効果があるらしく、なんとその差100倍とのウワサだ。

 LSDの100倍もぶっ飛ぶといわれる強烈な効果のせいか、アヤワスカを違法とする國もあるのだが、ペルーでは合法。

 それもそのはず、アマゾン上流域のシャーマンは、古くからこのアヤワスカを使ったセレモニーを通じて、さまざまな精霊たちと交わり、そこで得られたビジョンを用いて村の行事を決めたり、争いごとを解決したり、病気の治療をしてきたのだ。

 

・サンフランシスコ村は、小さな空港のあるプカルパから、バイクタクシーで20分弱。そしてヤリナコチャの湖畔から、エンジン付きのボートで1時間半ほどであり、アクセスはそんなに悪くない。

 偶然リマから同じ飛行機でプカルパまでやってきた、スラリとしたイギリス人の美女タニアも、これからサンフランシスコ村で2週間ほど滞在して、セレモニーを受ける予定だという。

 以前イギリスでサンフランシスコ村から招待されたシャーマンの女性・リサのセレモニーに参加したところ、人生が変わるくらいにすばらしい経験ができたらしい。

 

・シャーマンと一括りに言っても、その質はさまざまだ。

 数年前にはセレモニーでオーストラリア人が死亡し、その死体が遺棄された事件があった。アヤワスカで酩酊状態の女性をレイプする極悪シャーマンだっている。

 少々マニアックなジャングルなので、最新のシャーマン情報を得るのも一苦労。これもなにかの縁だろうと思い、わたしもタニアと同じシャーマンのところでお世話になることにした。

 夜になり、命の気配がそこかしこにある紺色のアマゾンを、ボートが音を立ててすべっていく。

 アヤワスカセレモニーを希望する者は、そのセレモニー主のシャーマンと、同じ敷地に滞在するのが一般的だ。わたしたちの滞在する施設は、どんな感じだろうか。

 

・荷物を置いて、タニアとダイニングのある小屋へ行くと、そこではすでに10名の男女がキャンドルを囲んで談笑していた。全員がアヤワスカセレモニーのために世界各国から集まり、きょうからここに滞在するのだという。

 ちょうど自己紹介をしていたところだったらしく、われわれも仲間に入る、アメリカから来た男性3人組のほか、フィンランド、スペイン、オーストラリア、フランス、イギリス、チリ、ぺルー、そして日本と、グローバルな顔ぶれだ。

 アヤワスカの経験者は4人。リピートしたくなるようなすてきな体験なのだろうかと、期待におっぱいがふくらむ。

 リサのセレモニーを受けるために、ほぼ全員が2週間以上滞在する予定らしい。さながらアヤワスカ合宿だ。

 

・食事をとり、セレモニーに使うアヤワスカづくりをお手伝い。

 アヤワスカとは、アマゾンに自生しているツル植物の名前なのだが、実はアヤワスカ単体だけでは、十分な幻覚効果は得られない。アヤワスカをハンマーで叩いてほぐしたものに、緑の葉チャクルーナを加えて長時間煮込んだものが、幻覚剤アヤワスカと呼ばれている。

 昔の人はどうしてこの茶色のツルと、緑の葉をあわせて煮詰めると、幻覚剤ができるとわかったのだろうか。そんなことを考えながら、ボコボコとアヤワスカを叩き続けた。

 

・サンフランシスコ村のあるプカルパ周辺だけでなく、東に位置する街イキトスなどでも、観光客向けにアヤワスカ・セレモニーが行われている。イキトスでは一晩で何万円もする、ラグジュアリーな宿泊施設がいくつもあり、各国のセレブも数多く訪れていると聞く。シャーマニズムが、観光資源として使われるようになってきているのだ。

 

・開始時間は、明日の夜8時。リラックスすることがたいせつなので、締め付けのない服を着ること。濃い色の服は避け、できれば白い服が望ましいこと、嘔吐したくなったら我慢せずに、そばに置かれたバケツに出すことなどが告げられる。

 

・・それから参加者はひとりずつリサのもとへ行き、彼女から注がれたアヤワスカを1杯ずつ飲んでいく、

 自分の番になって、いざコップに入ったアヤワスカを見ると………量が多い。180ccはあるのではなかろうか。ドロドロで嗅いだことのない臭気をはっしている。

 気合いを入れて、一気飲みした。カカオを粘土の高い液状にして、仕上げに泥をぶち込んだような、なんとも表現しにくい味と臭い。絶妙なマズさだ。

 

・リサとそのとなりにいた男性のシャーマンが、ふぅと一息ついて、歌をうたいはじめた。シャーマンによって受け継がれている歌、イカロだ。

 

・目を閉じるとビジョンが見えやすいと聞いていたので、まぶたをかぶせると緑色のフラッシュがまたたく、ハッキリとしたモチーフが見えたり、劇的な変化が起こったりするのではないかと観察しているうちに……そのまま眠ってしまった。

 

・翌朝、わたしが起きたのを見つけると、近くにいたみんながハグをしにやってくる。

「どうだった、どんな体験だった」と次々と聞かれる。みんな自分の体験を話したくて、そしてほかの参加者の体験を聞きたがっていた。彼らの話を聞くと、ほとんどかなり深いところまでビジョン・トリップをしてきたようだ。

「ミギーはどうだったの」と聞かれるが、特に話せるようなことは起きなかったので、それを素直に伝える。

 

・前夜のセレモニーでビジョンが見えなかったのは、わたしとスウェーデンから来た学校教師のスーだけだった。

 

・もっとアヤワスカシャーマニズムを体験したかったが、いまの自分にはビジョンよりも送られたモアイのほうがたいせつだ、きっと、いまはそういうタイミングだったのだろう。リサに礼を告げ、スピリチュアルな仲間たちに見送られ、後ろ髪を引かれながら、施設をあとにした。

 

「当たり前」

・学校や仕事を休んだり、辞めたりして、長旅に出ることも、いまは世捨て人だ、人生の落後者だと揶揄されるけど、そんなの超ナンセンスだし、こういう「当たり前」も、率先して時代錯誤としていきたい。

 こういう社会の「当たり前」を変えていくには、長い時間がかかるけれど、自分の「当たり前」は、案外どうにか変えることができる。

 

サプライズ好きはインドに行こう。いいサプライズだけではないけれど。(インド、カソール)

・「インドに行けば人生観が変わる」とか、「インドに行った人間は二種類に分かれる。大好きになるか、大嫌いになるかだ」などといったフレーズは、バックパッカーのあいだで、耳にタコができるほど繰り返されてきた。

 かくいうわたしの初インドは、大学の卒業旅行。タイとミャンマーを旅したのち、ひとりでインドへと流れ着いた。同級生たちが欧米でオシャレな旅行を満喫している裏で、わたしはインドで牛のウンコを踏んでいた。

 

・初のインド旅は、ひどい結果に終わった。到着3日目で高熱を出し、下痢と嘔吐が止まれなくなる、いわゆる「インドの洗礼」を思いっきり受けたのだ。

 ニューデリーの安宿街パハールガンジにある、ドミトリーのボロいベッドの上で、唸りながら毎日をすごす以外になす術はなかった。ドミトリーは5階にあり、安宿なので、もちろんエレベーターはない。バックパッカーの溜まり場的な街だというのに、このとき宿泊客はほかに誰もいなかった。この当時スマホはなく、スタッフはまったく掃除に来ないので、誰にも助けを求められない。

 

・買い置きしていた水と食料が尽きたとき、階段を下りることもできなかった瀕死のわたしは、窓の外から聞こえるインドの喧騒を聴きながら涙し「このまま他界するかもしれない」と本気で思ったものだ。

 数日後、真っ白な顔で死期を待っている宿泊客の存在に、ようやく気づいた宿の従業員が、水だのバナナだのを買ってきてくれ、一命はとりとめた。

 それから1週間経っても下痢が治らないので、いったんインドを離れようと安い航空券で香港に飛び、中華粥を食べて、静かなベッドで療養に専念。

 香港では、物乞いが大名行列のように自分に連なってくることもないし、客引きや詐欺師にマンツーマンでマークされることもない。もちろん牛のウンコも落ちていないしで、安心して歩けた。

 

・2度目のインドは最高だった。

 停電した街を歩いていたら牛のウンコで滑って転ぶし、リキシャー(人力車)から華麗に飛び降りたら、また牛のウンコを踏んだ。まだ下痢は治っていなかったが、薬局で下痢止めを買って飲んだら、強烈な効き目で便秘になった。

 なにもかもが過剰で、過激で、理解ができなくて、すっかりおもしろくなってしまったのだ。

 それからというもの、就職してからも頻繁にインドに通うようになった。

 インドは毎回、予想もできないようなサプライズをくれるダライ・ラマ猊下にお会いできたり、他殺体を見つけたり、落とし穴にハマったり、同時にふたりの旅行者から告白される謎のモテ期を迎えたり、死体が焼かれているのを見たり、適当な占い師が転職しろと言うので、それを真に受けて職を変えたりした。

 

・そして今回も例外なく、驚きの経験をさせていただいたのだ。

 警察による強制の持ち物検査、そして家宅捜索である

 インド警察の腐敗ぶりは枚挙に遑がないレベルで有名なのだが、北インドの街、カソールの警察は、そのなかでも群を抜いて味わい深い酷さであった。

 

・重ねて驚くことに、彼らはこの2日後にも、また宿にガサ入れにやってきた。下着以外は汚れのない聖人君子(わたし)からは、なにも取れないと学習したらしく、完全にスルーされたものの、他の旅行者たちは懲りずに再度ネタを調達していたので、また荷物と部屋を隅から隅までひっくり返されては、いろんなものを没収されていた。

 ケルサンも買い戻したばかりのハシンを持っていかれたうえに、逮捕しない代わりの賄賂として、懐中電灯を取られていた。キミらも学習しなさいよ……。

 落ち込む友人たちをなぐさめるべく、夕飯を食べにいこうと歩いていると、サンダルがズルッとすべった。

 イヤな予感がしながら足元をみると、牛のウンコだった。

 インドでは足元に注意しながら歩かないといけない。わたしにも学習が必要である。

 

 

 

『奇界紀行』

佐藤健寿  角川学芸出版   2015/12/25

 

 

 

<ARGENTINA    南米山奥の異星人に愛された村>

・これまで、世界中のUFOスポットと呼ばれる場所を随分と旅してきたが、2008年5月に訪れた南米アルゼンチンの田舎町、カピージャ・デル・モンテは、私の中でも一風変わったUFOの村として、強く記憶に残っているカピージャ・デル・モンテはアルゼンチン中部、コルドバ州の北部に位置するごく小さな農村である。古くからインディヘナ(先住民)の聖地として存在し、16世紀、スペインの宣教師達が訪れて山の上で怪光現象を目撃し、そこに教会を建てたことから、いつしか「山の教会(カピージャ・デル・モンテ)」という名で呼ばれるようになった。

 現在では南米きってのUFO目撃スポット、あるいはパワースポットとして知られ、南米や欧州のUFO研究家や好事家が集う。村には占いの館はもちろん、UFO研究所や謎の瞑想用ピラミッド、そしてキルリアン写真館といった不可思議な建物が並び、さしずめ、村全体が不思議愛好家によるコミュニティのような、独特の雰囲気を放っている。

 

ブエノスアイレスから6時間、バスを乗り継いでようやくその村を訪れた私は、いつものごとく適当にバス停側のホテルにチェックインし、早速町に出て、まず英語を喋れる人を探すことにした。特にガイドもつけない飛び込み取材の場合、まずは言葉の通じる人を探すことが第一となる。

 

・シシリアは、いかにも話し好き、世話好きのおばちゃん、といった様子で、私が答える間も無く、矢継ぎ早に質問をはじめた。英語は流暢で、顔つきも村の人々とは少し違う。外国人だろうか。しかし、この村のあるコルドバ州は、戦後、ドイツを始めとした多くの移民が移住していることから、顔だけはナショナリティが掴みづらいのは事実だった。

 

・村に来る前、私はこの村について色々調べてはいた。多くは海外のウェブサイトや文献だが、まず決まって言われていたのは、ここがUFOの村だということ。しかし、たとえ一部でそうした認識があるとはいえ、例えば昔訪れたアメリカのロズウェルのように、町全体がUFOだけで回っている場所ではない。この村ではUFOのトピックがどのくらい日常的なものであるのか、私はまだ量りかねていた。レストランで知り合ったごく普通の中年女性に、いきなりUFOの話を切り出すのは、普通ならばあり得ない。日本ならば確実に不審者である。

 しかし、シシリアのリアクションは、私の予想を覆すものだった。

「ああ、そうなの。それならウリトルコ山に登るといいわよ」。シシリアはまるで村一番の釣りスポットを教えるように、私に平然とそう言った。やはりここは、UFOの村だったのだ。するとシシリアは、レストランの中を見回し、ちょっと待ってね、と言って、別のテーブルに座るある男性に話しかけた。彼もまた、見た目はごく普通の中年男性である。シシリアは彼に何かを話して、私に紹介してくれた。

 名前はマリオ。数年前、ブエノスアイレスから引っ越し、今はこの村に暮らしているという。そして彼はそのとき、「たまたま持っていた」という自前のUFO写真アルバムをバッグから取り出すと、私に見せてくれた。アルバムの中には、不思議な発行物体を写した写真が幾枚も収められていた。

 ここはエリア51のUFOマニアが集うUFOカフェではない。無作為に入った南米の田舎のレストランで、UFO写真アルバムを持ち歩く中年男性に出会う確率とは、一体どんなものなのだろう。いずれにせよその村は、私の期待を遥かに上回り、UFOが日常のトピックであることは、どうやら間違いないようだった。

 

・それから数日の滞在の間、シシリアとマリオのかげで、私はずいぶんと充実した取材を行うことが出来た。その日はすぐにウリトルコ山に登ってUFOスポットを撮影し、翌日にはマリオの自宅を訪れ、村の外れにある美しいエルカホンという湖を訪れて、満天の星を眺めながら、夜通しUFOウオッチングした。結局滞在中、残念ながらUFOこそ見られなかったが、私はもうそんな事はすっかり忘れて、この不思議で、温かい村の人々を好きになっていた。

 

・彼女もはじめ、この村の不思議な雰囲気に随分と驚かされたそうだが、異星人も異邦人も分け隔てなく受け入れる村の空気がいつしかすっかり気に入ってしまい、気づけば10年もここに暮らしているという。そしてシシリアの話では—―実はマリオもそうだったのだが――彼女のように、ふいなきっかけでこのUFO村を訪れ、いつしか住人となってしまう人は驚くほど多いということだった。実際、村の人口は20年前まで3千人に満たなかったのが、今は1万人にまで増えているそうである

 

・私は今まで、こんな旅ばかりしてきたが、実はパワースポットだとか、スピリチュアル・スポットといった言葉は信じていない。そうした言葉の多くは、どこかの旅行会社が作り出す、マーケティング用語みたいなものだと思っているからだ。それに私自身、いつもこんな取材ばかりしてきて、行く先でエネルギーやらに感化されていたら身がもたないのである。しかし南米で一番異星人に愛されるその山奥の小さな村は、確かに、異邦人さえ包み込む、不思議な優しさで満たされていた気がする。

 私はいつか、またあの村を訪れたいと思う。UFOを見るためではない。あの村の人々に、もう一度会いに行くためだ。

 

<GREECE 人類最古のコンピューター アンティキティラの機械>

・2009年7月、私はあの神話の国、ギリシアへと降り立った。真夏のアテネは日本の猛暑など話にならぬほどの、文字通りの炎天下。暑い暑いとは聞いていたが、想像を絶する暑さである。そんな炎暑を避けるように、私は遺跡観光もほどほどに、アテネ中央に位置する国立考古学博物館を目指した。

 

・しかし私が見たかったのは、古代神殿に刻まれた神々の姿でも、エーゲ海から発見された女神の彫像でもなかった。目的はただひとつ、今から1世紀前、海の底から引きあげられたあの「オーパーツ」を見るためだった。

 オーパーツとは、Out Of Place ARTifactS(その場に存在しえない人工物)を省略した、主にオカルト界隈で用いられる専門用語である。有名なところでは、水晶のドクロやコロンビアの黄金飛行機模型、あるいはイタリアのピリ・レイズの地図(16世紀に南極の地図を描いていたと言われる)などがある。世界がオカルトに沸いた70~80年代、これらの物体は人類史を覆す謎の考古物として喧伝されたが、その後の懐疑的検証によって、ほとんどが後世の捏造であったことが明らかになっている。

 しかしここアテネ博物館には、世界で唯一とも言われる、「本物のオーパーツ」が存在する。それはいかにもオカルトめいた逸話や神秘的な道具ではなく、むしろ極めて正確で論理的な構造で人類史を覆す、「世界最古のコンピューター」なのである。

 

・そしていよいよ小部屋に辿り着くと、その「機械」はとうとう目の前に現れた。異様な雰囲気を放つ幅2mあまりのガラスケース。中には腐食した3片の小さな歯車が収められている。これこそが、アンティキティラの機械だった。

 私は今まで幾度となくこの機械についての写真を見てきたが、実物を見てまず驚いたのは、その「小ささ」であった。高さは約13cm、幅約15cmと、ちょうど大人の手のひらを広げた程度の大きさだろうか。そこには古代に刻まれた2百を超えるという小さな歯が確かに見て取れる。

 

海底に眠っていたコンピューター

・しかし、その海底で彼らが目にしたのは、途方もないものだった。手つかずの豊富な海綿の森に埋まれるようにして、古代ローマの沈没船を発見したのである。

 この世紀の発見は、ただちにギリシア全土へと広まった。ギリシア政府は発見者のシミ島漁師らと協力して、国をあげての全面的発掘作業に乗り出した。

 

それは大きな青銅の歯車を中心とした、まるで現代の時計。しかし試しに少しばかり錆をけずり落とすと、館長は思わず息を呑んだ。そこには現代のものではない、コイネー(古代ギリシア文字)がびっしりと刻まれていたからだ。

 その後、この前代未聞の「古代機械」はギリシア考古学会の専門家によって慎重な調査が続けられた。そして放射性炭素測定の結果、この謎の機械が作られたのは、少なくとも今から約二千百年前(紀元前1世紀頃)であるという事が明らかになる。しかしこの解明は、むしろ巨大な謎を生んだ。この不思議な機械を、一体、誰が、どこで、何の目的で作ったのか、ということである。

 

<デレク・デ・ソーラ・プライスの奮闘>

・館長による発見から現在に至るまでの1世紀は、この謎の機械の正体をめぐる科学者と工学者の戦いが続けられた。最初にこの難題に取り組んだのは、米国イェール大学のデレク・デ・ソーラ・プライス。プライスは元々物理学の権威であり、科学史の専門家でもあった。プライスの研究はおよそ30年続けられ、1983年、この世を去るまでに導きだした結論は、「太陽や月の運行を予測するきわめて精度の高い、天文計算機器」というものだった。

 

<アンティキティラ・プロジェクト>

・かくして2003年、ギリシア政府支援のもと、世界中のエキスパートがこの機械の前に集結した。1世紀にわたる鍵を解き明かすべく、米国のヒューレット・パッカード社、世界最高水準のX線技術を持つX-Tec社、さらにギリシア考古学会の権威など錚々たるメンバーが名を連ね、「アンティキティラ島の機械研究プロジェクト」を発足したのだ。

 

・そして2005年、チームが現代最高の知恵と技術を総動員して導きだした答えは、「この機械が太陽や月、惑星の運行を揺らぎも含めてシミュレートし、太陽暦大陰暦、日食の日時やオリンピックの日時までも予測する、現代のものに全く劣らぬ超高度な天文観測機器である」という驚くべき結論だったのである。

 

・つまりはじめに館長が想像したとおり、「現代の時計」に勝るとも劣らない、極めて精密な機構をもつ「古代のコンピューター」だった事が明らかにされたのだ。しかし内部にはいまだ目的不明のギアも残され、プロジェクトの研究は現在に至るまで続いている。

 

誰が機械を作り上げたのか

・これはアルキメデス説を裏付ける決定打のようにも思える。しかし、結論を急ぐべきではない。まず注意すべきは、キケロは“(アルキメデスが)方法を考えだした”と述べるに留めていることである。またもし、当時すでに有名人であったアルキメデスが、この機械を完成させていたとすれば、それは何らかのはっきりした形で、歴史の記述として残されていたとしてもおかしくはない。つまりこれらの条件を総合すると、こう仮説することはできる。元となる数式はアルキメデスによって考案されたが、仮にそれを模型化するだけの技術はなかった。

 

・とはいえ、もしこれで仮に発明者の推測が出来たとしても、まだ最後の大きな問題が残されている。それはこの機械と同じもの――あるいは類するものさえも—―が、その後、どこからも発見されていないという事実である。高度な数学や天文学、工学の知識を持ち、さらに1500年以上後に現れる地動説さえも含んだこの機械を作り上げた知識が、一体、なぜこつ然と途絶えてしまったのか。この原因については、今もまだ明確な解答は存在しない。

 

・今から2千年前、ローマの船が嵐で難破し、そして百年前、漁師達が同じ場所で偶然に嵐に巻き込まれるというこの奇跡的な2つの偶然がなければ、この機械は今も世界にその存在を知られる事もなく、我々は誤った歴史を記していたかもしれない。

 科学者にしてSF作家の、巨匠アーサー・C・クラークもこの「アンティキティラの機械」についてこう語っている。「もしもギリシア人があの知識を進歩させていたら、産業革命は千年早く起きていただろう。そして今頃私たちは、月のあたりで足踏みしたりせずに、近くの星へと到達していただろう

 アンティキティラの機械――それはまだ我々の知らぬ、超古代に失われた叡智のうちの、ほんお氷山の一角にすぎないのかもしれない。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウェッブサイト ミステリーニュースステーションATLAS)から引用

 

<あまりに出すぎて住民スルー!?南米で一番UFOが現れる町カピージャ・デル・モンテ>

 

アメリカのニューメキシコ州ロズウェルなど、UFO事件で有名になったりUFO目撃例が多い町は、UFOを観光の目玉としていることもある。

 

日本でも石川県羽咋市や、千葉県銚子市などがUFOを観光に用いている。銚子市では本アトラスの監修を行っている山口敏太郎氏がプロデュースしてのUFO召喚イベントが毎年開催されている。

そんなUFOを目玉にした観光地で一番UFO目撃率が高い!?とされているのがアルゼンチンのコルドバ州に存在するカピージャ・デル・モンテだ。何しろ「あまりに日常的にUFOが現れるので、町の住人はUFOに慣れてしまっている」ほどだとか

この町のUFO目撃例に関する歴史は古く、16世紀にこの地にやって来たキリスト教宣教師らも謎の怪光現象を目撃していたという。

中南米ではUFOがよく観測される場所としてポポカテペトル山が有名だが、この町の外れにもウリトルコ山という山があり、古くから山を中心に先住民の聖地となっていたそうだ。やはり先住民たちもUFOを目撃し、崇めていたのだろうか。

 

現在ではUFO博物館や占い系の店が多く並ぶ、スピリチュアルな町となっているそうだ。

(飯山俊樹 ミステリーニュースステーションATLAS編集部2018/6/10)